January 28, 2012

Inspiron531sの電源ユニットをPS2-T350EFに交換して

2008年3月頃から1日4時間程使用していたInspiron531sの電源ユニットはBestec製のTFX0250P5Wになるが、コンセントにプラグを差し、電源ユニットの裏にある緑のインジケーターが点灯するまでに1〜5分かかっていたことが最近確認されたため、電源ユニットの不具合を懸念していた。また、数年前のスリムケースのせいか出力が250Wであったことからか、300W以上の電源ユニットに交換することが電源ユニットの使用に対するゆとりを感じさせる運びとなっていた。

他方でエナジーセービングと言っても電気をこまめに消すことが全てではなく、例えば2004年に発表された80PLUSプログラムのように交流から直流に変換する際のエネルギー効率を高めることによって、消費電力を抑えていくといった思想に技術の進歩を感じるときがあった。メーカーの謳い文句によれば、1日4時間212Whの使用で、70%効率の電源ユニットと比較すると計算の前提にもよるが年間の電気料金が1,204円ほど安くなるといったことを考慮すると、Inspiron531sの電源ユニットが完全に故障していた訳ではなかったものの、近年の日本政府、産業界やメディアの広報キャンペーンが語ることが少ないエナジーセービングの在り方といったものを身近なところでささやかに実現することに魅力を感じることにつながっていた。下の写真はTFXに合わせたPS2-T350EFのパッケージになる。

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ケーブルやコネクタは、ATX MAIN(20+4ピン)×1、ATX12V CPU(4ピン)×1、HDD ODD(4ピン)×3、FDD(4ピン)×1、SATA Ⅰ,Ⅱ×3になり、サイズはL175×W85×H65mmになるが、SATA用の電源ケーブルの長さに関し2本は約30cm前後あったが、残り1本は約15cm前後になり、DVDドライブに加えHDDを2台積んでいると、延長ケーブルを追加購入する必要があったことを追記したい。下の写真は本体とその付属品を示している。

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熱やエアフローといったものを考慮するにはスリムケースではやや厳しいものになるが、下の写真は電源ユニット交換前のInspiron531sの内部構造になり、左上が光学ドライブ、右上がHDD、左下がCPUで、右下にあるシルバーのパーツが電源ユニットになる。

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下の写真は交換後の内部構造になり、配線の配置が乱雑気味だが、右下にあるブラックのパーツがPS2-T350EFになり、ケースに固定するための3つのねじ穴も丁度良く合わせることができたことを追記したい。

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最後に、電源ユニットを交換しトラブルを解消したのみならず、出力を100W増加させたにもかかわらず、実際の消費電力の軽減に繋がった事例に至ったことは、ともすれば4年という短い年月の経過の間に世界で生じていた技術進歩の恩恵だろうと考えることがあり、ここに感謝の言葉を申し添えたい。

では。

January 28, 2012 in パソコン・インターネット , 学問・資格 , 雑記 , 
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December 25, 2011

閑話休題、BenQ EW2730Vのレビューについて

衛星放送受信機をブラウン管とDVDレコーダーで代用させていたことや、クーポンでの割引が6,000円を超えていたこともあって、低価格のPC用液晶パネルをテレビ映像用モニタとして流用することについて、しばらく前から考えを巡らしていた(実際のところ問題が多々あろうが、インターネット端末としてノートPCに接続する割合は5〜10%ぐらいだが情報の双方向性に利便性を見出しており、他国も同様だが歴史のある伝統的メディアには問題が多々あるため、情報の一方通行を特徴としている国内向けの放送内容に対し関心を払う意思はないものの、表面上の体裁はともかく報道内容に暗黙の制約を課している状況をある程度は確認しておく必要があることを念頭に置いており、だったら市販のテレビ映像用パネルでも構わないだろうとの視点が存在していたが、ここでは言及を避けるもののメーカーとメディアの相互依存性はともかく、機能に限定して言えば、日本市場では27インチ以下でフルHDに対応させようとすると選択肢は限られたものになっており、他方で国内の大手メーカー特有の国内でしか通用しない独自規格や機能に縛られることを個人的に好んでいなかったことを背景にして、徐々に選択肢を広げていく経過となっていた)。下の写真はEW2730Vが梱包され配送されてきた直後の様子を示している。

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箱のサイズは約、73cm(W)、56cm(H)、18cm(D)といった大きさになり、想像より大きなものであったが、地元の電気屋さんで32インチや40インチのパッケージを目にしているとそれほどでもないと考え直すこともあった。また外装に日本語の表記をほとんど見受けなかったが、液晶パネルの組み立て方に各国のお国事情が大きく反映しているとはあまり考えられず、部品を一目見れば然程問題は少ないだろうと考え直すことがあった。下の写真はEW2730Vに付属している部品や説明書になる。

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左上から順に、PDF化された多言語のマニュアルを含むCD-ROM、多言語によるクイック・スタート・ガイドなる小冊子(CD-ROM内のユーザーズ・ガイドを参照せよといった日本語を見つければ十分か)、リモコン、右上はモニタベースというかパネルの台座(Windows7対応のシールが貼付されているが、台座の金属部分を保護しているフィルムの上に貼付されているので、保護フィルムごと剥がすことが容易になっている)、下段の左から順に、音声ケーブル(RCA)、電源ケーブル、USBケーブル(USB AコネクタオスーUSB Bコネクタオス)、音声ケーブル(ピンプラグ)、HDMIケーブル、ビデオケーブル(DVI-D)が付属されており、またビデオケーブル(D-Sub)がEW2730Vに直接ささっていた。そして下の写真は電源を入れた直後の起動画面になる。

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カメラの設定と画像の色の調整に依存しているが、実際、画面の紫はもう少し違ったものになっており、とは言え雰囲気は伝わるかと考えている。電源ボタンはオフで赤、オンで緑になり、スタンバイでオレンジになっていった。EW2730Vの大きさについては、下の台座にあるCD-ROMの大きさと比較すれば理解しやすいのではないかと考えている。また下の写真は画面をオフにした時のものになる。

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画面が暗いが、ここで示されているハーフグレアとはこんな感じであり、ブラウン管ではグレーがかっていたものに対し、黒く引き締まった印象を与えているが、感じ方は人それぞれだろう。映像については、色の調整を含めて設定事項がいくつかあり、AMAをオンにしていれば、YouTube、デジタル放送、アナログビデオ等の再生に関して問題を感じなかったことを追記する。

また後で気が付いたことだが、日本国内のDVDレコーダーとBenQのパネルとの連動機能について一言申し添えたい。一般にHDMIを介してDVDレコーダーと液晶パネルを接続するとき、同時に電源をオンにすることができたり、他方でオフにすることが可能になることがあるが、それはDVDレコーダーとパネルが同一メーカーであるときに限定されるといったことではなく、EW2730VのCEC機能をオンにし、国内のDVDレコーダーのリンク機能をオンにしておくと(例えばブラビアリンクであれ、レグザリンクであれ)、レコーダー側の電源をオンにするとパネルもオンになり、パネル側の電源をオフにするとレコーダーの電源もオフになることから、ヨーロッパのP50を参考にしたとされている技術進歩の恩恵を感じ取るときがあった。そして下の写真はBenQ Service Pageの写真になる。

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このサービス・モードに入り、ロゴをオンにしたりオフにしたりするためには、各入力端子からパネルに映像信号を流した状態で、パワー・ボタンとメニュー・ボタンを同時に押し、その後パネルに像が映し出された状態でメニュー・ボタンを押すことを必要としていたが、ノートPCと接続し、HDMIを通じた連動機能が効いていない状態で設定を進めるならば、問題は少ないであろうと考えることもあった。

他にも色々述べることがあるかもしれないが、それは機会があれば別の機会に申し添えることになるかもしれない。さしあたりこの辺で。

では。

December 25, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
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December 04, 2011

新自由主義の何が問題であったかーアメリカのWikipediaの「新自由主義」「インサイド・ジョブ(映画)」「エンロン(映画)」の項目を読んで考えたこと

デヴィッド・ハーヴェイによれば、「1945年以降、先進国に高い成長率をもたらした埋め込まれた自由主義は明らかに疲弊し、1960年代の終わりに崩壊を始め、もはや機能しなくなっていた」とされており、ケインズ主義に疑念を投げかけていたスタグフレーションの危機を経て、戦後の女性やマイノリティを除外した社会から、政治的および経済的統合を果たすことにより、企業やビジネスを解放し、自由市場を再構築することに関心がある人々が、1980年代までに新自由主義として知られる世界経済システムを擁護していた。また、アンテ・マルコヴィッチの指導によるユーゴスラビア社会主義連邦共和国や鄧小平の指導による中華人民共和国に見られるように、1980年代における慢性的な経済危機や1980年代末の共産圏の崩壊は、国家の介入主義に反対し、自由市場改革の政策を擁護する政治的立場を促進させていた。

シカゴ学派は政府の非介入を強調し、非効率なものとして放任主義の自由市場に対する規制を拒否していた。それは新古典派の価格理論やリバタリアニズムと関連しており、1980年代まではマネタリズムを擁護しケインズ主義を拒否しており、その後合理的期待形成に変わって行った。またシカゴ学派は効率的市場仮説の展開により金融の分野に影響を及ぼしていた。そして世界有数の経済学部の1つであると広く考えられていたシカゴ大学の経済学部は、他のどの大学よりもノーベル賞やジョン・ベイツ・クラーク賞の受賞者を擁立していたため、アメリカの経済学部の教授のおよそ70%がシカゴ学派の考え方に関連していると見なされており、シカゴ学派に見られる新自由主義は、アカデミズムの世界において経済学者たちが数十年にわたり規制緩和を主張し続け、アメリカの政策を形成する手助けをしていたことや、その経済学者たちが、2008年の危機の後でもなお、金融改革に反対していたこと、これに関与していたコンサルティング会社に、アナリシス・グループ、チャールス・リバー・アソシエーツ、コンパス・レクシコン、LECGが挙げられていたことなどに影響を及ぼしていた。

1980年代後半にアイスランドは新自由主義経済政策を採用し始めていた。世界経済自由度によれば、アイスランドは1975年には53番目に「自由な経済」であり、ヨーロッパで最も貧しい国の1つだったが、2004年には9番目に自由な経済になり、最も裕福な国の1つになった。しかし2009年までにアイスランドは深刻な金融危機に直面し、その多くはアイスランドの過度な規制緩和に起因していたとされるが、当時のエコノミストたちは正確に実体を把握することなくマクロ経済の指標から判断してアイスランド経済を賞賛していたことを、時価会計を利用して、利益を上げていないにもかかわらず、収益を上げているとの客観的な体裁を整えていたエンロンの事件と重ねて眺めることがあった。

ジェームズ・キャラハンによって需要サイドの管理に対するケインジアンのアプローチが失敗であったと結論づけられた後、サッチャーはマネーサプライの伸びを低下させるために利子率を上昇させるといった経済改革を始め、1982年までにインフレーションを以前のピークの18%から8.6%に低下させていたが、イギリス国内では失業率が増加しており、より低い数字を示すために失業率の定義を31回も変更することもあったが、1960年から1973年までの1.9%や、1973年から1979年にかけての3.4%と比較して、イギリスの失業率は1979年から1989年にかけて9.1%を示していた。

エマニュエル・サエスによれば、レーガン政権の経済政策に関してインフレーションが大幅に減少したものの、1920年以来初めて格差が大幅に拡大していたとの主張を、ウィリアム・ニスカネンのような一部の人々が無視して、80年代を通じて労働者の平均報酬が上昇し、すべての社会のパーセンタイルのパフォーマンスが改善していたとの主張が存在していたことは、富裕層への課税の削減を肯定するトリクルダウン経済学(現実にそぐわない)を想像させるが、この大企業や富裕層に対する減税と防衛支出の増大によって、国内の債務が7000億ドルから3兆ドルに膨れあがり、アメリカが世界最大の債権者から最大の債務者へと立場を変えていたことに異論は少ないだろうと考えることがある。そして大企業や富裕層に対する減税を通じて債務残高が膨れあがったことはインフレーションに対する懸念が少なかったにもかかわらず新自由主義政策を採用していた日本政府も同様であると考えることがある。

ピーター・ゴーワンによれば、ドルが国際準備通貨であるため、アメリカの銀行はアメリカ国外の銀行と比較して競争上優位にあり、アメリカ国外の銀行はドルで直接貸すことができないため、アメリカ国外の銀行は外国為替リスクをともないながら、アメリカの銀行と競争するために(少なくとも短期では、他の通貨を保有することより、ドルを保有することの方がリスクが少なかった)、一旦アメリカが金融市場や金融機関に対する規制を自由化したら、他の国々も追随することを余儀なくされていた現状は、各国がその過ちを十分に認識しながらもアメリカの新自由主義政策を採用していた一因として挙げられていた。

アレハンドロ・ポルテスやブライアン・ロバーツによれば、ラテンアメリカの地方自治体において都市部の人口の増加が観察されるものの、成長率に関して大幅な落ち込みが示されており、「主要都市の魅力の損失により...要因の複雑なセットにもよるが、疑いなく輸入代替工業化(ISI)時代の終焉に関連していた」との認識は、市場の開放と都市のシステムの変化との関係を1対1に対応づけるものではないものの、新自由主義政策の採用が都市化のパターンにある影響を与えていることを示唆していた。

またポルテスやロバーツによれば、特権を享受する上位10%に属する人々はラテンアメリカの貧困ラインの平均所得の40倍に等しい平均所得を手にしており、所得不平等の直接の影響として、各々の国々において都市部や郊外で犯罪や被害が増加していることが挙げられていた。

国家中心的アプローチは国家のアクターが新自由主義を実施する政治的起業家であったと主張しており、以下に同意していないものの、一般人に対して「他に代わるものがない」と主張する高度に組織化された富裕層の集票マシーンによって新自由主義政策がプロパガンダされ、減税、社会支出の削減、規制緩和、民営化等を有権者の選好に訴えかけ、一般への普及に成功していたとの視点が存在しており、同時に、フランスやドイツにおいて、政府による課税が逆進的であり、産業政策がビジネスに好まれており、福祉国家の概念が中産階級に恩恵をもたらすために広く認められており、その結果、新自由主義政策がビジネスや中産階級によって広く好まれていなかったことを通じてモニカ・プラサドによる主張が反証されている視点も存在していた。

ロバート・ポーリンによれば、新自由主義政策は、税や政府支出の削減、自由貿易に対する関税や障壁の撤廃、労働市場や金融市場に対する規制の緩和、雇用の拡大を刺激するよりむしろインフレーションをコントロールすることにマクロ経済政策をフォーカスしていたことによって、ケインジアンや積極的労働市場政策(ALMPs)に存在していた
階級間の妥協を拒絶していたことから、経済的格差をもたらしており、いくつかの実証分析によれば、ジョージ・H・W・ブッシュやビル・クリントンのような新自由主義の支持者たちによるあらゆる時代であらゆる所得階層が暮らし向きを改善していたとの主張は現実にそぐわないことが示されていた。

ハウエルやディアロによれば、新自由主義政策が、労働者の30%が「低賃金」に留まり、労働力の35%が「パートタイム」であり、アメリカの労働世代人口の40%しか正規雇用されていないことの原因となっており、ジョン・シュミットやベン・ジッペラーによれば、アメリカの経済社会モデルは社会的排除と関連しており、それは高いレベルの所得格差、比較的高く絶対的な貧困率、乏しく不平等な教育成果、貧弱な健康状態、犯罪や投獄率の高い割合を含んでおり、アメリカ型の労働市場の柔軟性が劇的に労働市場の成果を改善するとの見解に対する支持をほとんど与えておらず、アメリカ経済はヨーロッパ大陸の国々よりも低いレベルの経済的移動性を示していた。

ポーリンによれば、アラン・グリーンスパンやロバート・ルービンによるビル・クリントン政権下における新自由主義は、政府によって支持された金融市場や住宅市場に対する投機を通じて経済成長を促す一時的で不安定な政策であり、低い失業率やインフレーションを特徴としていたが、労働者階級の解体や搾取によって可能になっており、アンジェラ・デイビスやブルース・ウェスタンによれば、アメリカ成人の37人に1人が刑務所のシステムの中にいるといったアメリカにおける高い投獄率は、失業率を統計上低く保つための新自由主義的な政治的手段であったとの視点が存在していた。

前回同様これが全てであるとは言及しないが、アメリカのWikipediaの「新自由主義」「インサイド・ジョブ(映画)」「エンロン(映画)」の項目を訳すことにより上記の知見をサポートすることにする。URLは以下に示されるとおりになる。

http://en.wikipedia.org/wiki/Neoliberalism

新自由主義

新自由主義は、民間企業の効率性、自由貿易、比較的開放された市場を強調している新古典派経済学に基づいた経済・社会政策に対する市場主導[1]のアプローチであり、国家の政治的・経済的優先事項を決定する際、民間部門の役割を最大限に活用することを求めていた。財政・金融政策、所得分配政策、景気介入策、政治的自由化の程度に対して言及するか否かについてはかなりの曖昧さが存在していた。このようにこの用語は明確なイデオロギーに関連づけられておらず、通常自己表明として用いられるよりむしろ、他者を批判し軽視するときに用いられていた[2][3]。

1 政策的含意

政府をより効率的にし、国家の経済状況を改善するとの考えの下で、新自由主義は経済に対する支配を公的部門から民間部門に移すことを求めていた[5]。新自由主義によって擁護される具体的な政策に対する明確な声明はしばしばジョン・ウィリアムソンによる「ワシントン・コンセンサス」になると考えられており、提唱された政策のリストはワシントンを拠点とする国際経済組織(国際通貨基金(IMF)や世界銀行)で承認されたコンセンサスになると思われていた。ウィリアムソンのリストは以下の10項目を含んでいた。

財政政策について、政府は将来の世代によって支払われなければならない巨額の赤字を出すべきではなく、そのような赤字は短期の雇用水準に影響を及ぼすにすぎない。赤字の常態化は高いインフレや低い生産性を促すだろうから、回避されるべきである。赤字はその時々の安定化の目的のために用いられるべきである。

公的支出の使途は、補助金(特に新自由主義者たちが「無差別な補助金」と呼んでいるもの)や新自由主義者たちが無駄であると考えている他の支出から、初等教育、医療サービス、インフラ投資のような重要な成長を擁護し、貧困を擁護するサービスを広範に提供する方向へシフトすべきである。

税制改革について、技術革新や効率性を促すために、幅広い課税ベースや適度な限界税率を採用すること。

利子率は市場によって決定され、実質ベースでプラス(しかし適度)であること。

変動為替レートの採用。

貿易の自由化について、輸入の自由化が、量的制限(許認可等)を撤廃し、低く比較的均一な税率によって貿易を保護することを特に強調するのは、競争や長期の成長を促すからである。

国際収支における「資本収支」を自由化することは、人々が海外のファンドに投資する機会を与え、外国ファンドが自国に投資する機会を与える。

国営企業の民営化は、多くのプロバイダーが選択と競争を促される電気通信のように、効率性を政府が与えることができない財やサービスを市場に提供することを促している。

規制緩和について、市場参入を妨げ、競争を制限する規制を廃止するが、安全、環境、消費者保護の理由や金融機関に対する慎重な監督により正当化されるものは除外される。

財産権の法的保障

資本の金融化。

2 歴史

2.1 埋め込まれた自由主義

埋め込まれた自由主義という用語は第二次世界大戦の終わりから1970年代まで共産主義でない世界経済を支配した経済システムを指していた。デヴィッド・ハーヴェイは第二次世界大戦の終わりに、この主な目的は1930年代の世界大恐慌を繰り返さない経済計画を発展させることであると述べていた[7]。ハーヴェイは、この新しいシステムの下で自由貿易は規制されており、「その制限には固定価格で金と交換できるUSドルによって裏打ちされた固定為替レートが挙げられ、固定為替レートは資本の自由な移動と共存していなかった」と記していた[8]。ハーヴェイは、埋め込まれた自由主義は1950年代や1960年代に明確にされた経済的繁栄の高まりを促していたと主張していた。

世界の多くの地域において、政府が自由市場を安定化させ、微調整する手段を策定するように努めていたジョン・メイナード・ケインズの仕事は非常に有力なアプローチになっていた。発展途上国では、脱植民地化、民族の独立に対する願い、戦前の世界経済の解体に対する進展や、国々は自由市場のシステムの下で効率的に工業化することができないとの見解(例えばプレビッシュ=シンガー命題)は共産主義、社会主義、輸入代替政策によって影響された経済政策を促していた。

1950年代や1960年代に政府が介入主義を採用していた時代は、経済成長が一般的に高かったので、例外的な経済的繁栄によって特徴づけられており、経済の分布は比較的均一であった[10][11]。この時代は「栄光の30年」や「黄金時代」として知られており、第二次世界大戦と1973年の間の高いレベルの繁栄を経験した国々を指していた。

2.2 埋め込まれた自由主義の崩壊

デヴィッド・ハーヴェイは、埋め込まれた自由主義は1960年代の終わりに崩壊を始めていたと記していた。1970年代は資本の蓄積、失業、インフレーションの増加(スタグフレーションと呼ばれている)や、さまざまな財政危機によって特徴づけられていた。彼は「1945年以降少なくとも発展した資本主義諸国に高い成長率をもたらした埋め込まれた自由主義は明らかに疲弊し、もはや機能しなくなっていた」と記していた[12]。新しいシステムに関連した多くの理論が発展し始めており、そのことは「社会民主主義や中央計画を一方で」擁護する人々や「他方で企業やビジネスを解放し、自由市場を再構築することに関心がある」人々の間で大きな論議になっていた。ハーヴェイは、1980年代までに後者のグループはリーダーとして台頭しており、新自由主義として知られる世界経済システムを擁護し、創造していたと述べていた[13]。

一部は、生じた結果は国際金融システムにおけるものであり[14][15]、ブレトン・ウッズ体制の崩壊で最高潮に達していたと主張しており、またそのことがある程度英語圏でケインズ主義に疑念を投げかけていたスタグフレーションの危機をお膳立てしていたと一部は主張していた。さらに一部は、戦後の経済システムは女性やマイノリティを除外した社会を前提としており、これらのグループに対する政治的および経済的統合は戦後のシステムを変革するものであると主張していた[16]。

3 1970年代以後の経済自由主義

3.1 世界的広がり

1980年代における慢性的な経済危機や1980年代末の共産圏の崩壊は国家の介入主義に反対し、自由市場改革の政策を擁護する政治的立場を促進させていた。1980年代以降、共産主義や社会主義を採用する多くの国々はさまざまな新自由主義的市場改革を行い、例えばアンテ・マルコヴィッチの指導の下におけるユーゴスラビア社会主義連邦共和国(1990年代初頭の国家の崩壊まで)や鄧小平の指導の下における中華人民共和国が挙げられる。

変化は1970年代から1980年代にかけて生じていた。多くの民主的な世界で行われていたことに、政府が比較的自由な貿易を促すことにおける経済主体の権利、法規制、政府の役割の優位性に焦点を当てていたことが挙げられていた。そのことは同時にほぼ国民の自己決定であるとされていた。

ロナルド・レーガンやマーガレット・サッチャーが政府の役割を低減させる意図で貿易障壁をなくすために強い立場を取っていたときに、組織化された労働者の立場は変更を及ぼされ、市場がさらに重要になるとの立場を許容していた。したがって産業界はますます経済を活性化する統合された知識へと世界的にシフトしていた。

3.2 シカゴ学派

経済学のシカゴ学派は、シカゴ大学の教員にフォーカスし、経済学界で見られる考え方に含まれている新古典派を説明していた。

シカゴ学派は政府の非介入を強調し、非効率なものとして放任主義の自由市場に対する規制を拒否していた。それは新古典派の価格理論やリバタリアニズムと関連しており、1980年代まではマネタリズムを擁護しケインズ主義を拒否しており、その後合理的期待形成に変わって行った。シカゴ学派は効率的市場仮説の展開により金融の分野に影響を及ぼしていた。方法論の面では「実証経済学」を強調しており、理論を証明するために統計を用いる研究に対して経験的に基づいていた。

アメリカの経済学部の教授のおよそ70%がシカゴ学派の考え方に関連していると見なされていた。世界有数の経済学部の1つであると広く考えられていたシカゴ大学の経済学部は、他のどの大学よりもノーベル賞やジョン・ベイツ・クラーク賞の受賞者を擁立していた[17][18][19]。

シカゴ学派に属する人々は、競争法、教育バウチャー、中央銀行、知的財産権といったものを好み、既存のシステムの代替手段として、ミルトン・フリードマンの負の所得税を好んでいた。

3.3 オーストラリア

オーストラリアでは新自由主義的経済政策は1983年以来労働党や自由党の両方の政権から支持されていた。1983年から1996年までボブ・ホークやポール・キーティングの政権は経済自由化やミクロ経済改革のプログラムを推進していた。これらの政府は政府企業を民営化し、要素市場の規制を緩和し、オーストラリア・ドルを変動相場制に移行し、貿易の保護を削減していた[20]。

財務大臣としてキーティングは、国民貯蓄を増加し、老齢年金のための将来にわたる政府債務を減らために、義務的な退職年金の保障制度を実施していた[21]。大学の資金調達は規制緩和され、高等教育費用負担制度(HECS)として知られる返済型のローンのシステムを通じて、大学に貢献するよう学生に求め、外国人学生を含めて全授業料を支払っている学生を入学させることによって大学が収入を増やすよう促していた[22]。公立大学に全授業料を支払って国内の学生が入学することはラッド労働党政権によって2009年に中止された[23]。

ジョン・ハワード首相の下で1996年3月に自由党が権力の座に戻ったときに、経済自由化のプログラムはより多くの政府企業の民営化、特に電気通信のプロバイダであるテルストラの売却とともに継続され、オーストラリアの準備銀行は金融政策を決定する際に政府から独立することになった。10%の物品サービス税(GST)(ヨーロッパの付加価値税に類似している)が、システムをより効率的にするために以前の関税や他の税を組み合わせて簡素化する意図で導入されていた。一連の改革は労働市場の規制を緩和するために制定されていた[24]。

3.4 カナダ

カナダでは、新自由主義と同一視されている問題(税や福祉に対する支出を削減し、政府を最小化し、公的医療や教育を改革すること)はしばしばブライアン・マローニー、マイク・ハリス、ラルフ・クライン、ゴードン・キャンベル、スティーブン・ハーパーと関連づけられていた[25]。

アルバータ州の広大な石油や天然ガスの埋蔵からの採取を支持していたラルフ・クラインは、オイルサンドの生産量の増加と比較して少額ではあるが州の収入を生み出したために、ペンビナ研究所によって信任を与えられていた。1995年から2004年の間に生産量は133%増加したが、政府の歳入は30%落ち込み、企業の手に多額の富を残していた[26]。

1990年代のオンタリオ州におけるマイク・ハリスの下で、産業や社会的責任が市に移転されていた。この時期のトロントは合併し、発展段階に入ることを余儀なくされていた。トロントの合併はコスト削減の手段としてみなされており、2000年にマイケル・R・ギャレットは年間1億3620万ドルの削減の可能性を示していた(CDN)[27]。しかし2007年にバリー・ヘルツは保守的な全国紙であるナショナル・ポスト紙の中で、コスト削減は実現しないだろうと報告していた。彼はまた政府のスタッフが増加しており、1998年と比較して、市は4,015人多い人々を雇用していたことを指摘していた[28]。

同様にカナダの政策も影響を受けていた。関税は終焉を迎え、貿易における緩やかな制限のみが許容されていた。政府の大きさは縮小し、産業界に対する権力も制限されていた[29]。連邦政府はその間に規制を行っていたが、市町村には権限がなかった。

3.5 チリ

ミルトン・フリードマンは「シカゴ・ボーイズ」によって実施されたチリにおける自由主義経済の変化に対するアウグスト・ピノチェトの支持に言及する際、「チリの奇跡」という用語を用いていた。彼らの実施した経済モデルには3つの主要な目的があり、経済の自由化、国有企業の民営化、インフレーションの安定化が挙げられていた。これらの市場志向の経済政策は、ピノチェトの辞任後、歴代政権によって継続され、強化されていた[30]。同時にミルトン・フリードマンは、チリの経験は「戦後のドイツ経済の奇跡に匹敵する」と述べていた[31]。

ピノチェトの新自由主義政策の一部は、彼の17年にわたる独裁の終焉後も継続されていたが、より社会的な政策が大きな社会経済的不平等に対抗していた[32][33]。ヘリテージ財団やウォール・ストリート・ジャーナルによれば、2007年にチリは世界で11番目に「自由な」経済であり、アメリカ大陸では3番目だった。

2009年の国連開発報告書によれば、チリは高い競争力、生活の質、政治的安定性、グローバル化、経済的自由、低いレベルの汚職、比較的低い貧困率を有していた[34]。

国際通貨基金によれば、チリは報道の自由、人間開発、民主主義の発展において「その地域における高いランクに位置していた」。同様にIMFによれば、チリは1人あたりのGDPに関し地域で最も高い値(市場価格[35]や購買力平価で)を示しており[36]、またジニ係数で測定された高いレベルの所得格差を示していた[37]。

1970年代と1980年代のチリの経験や特に元労働大臣であるホセ・ピニェラによるチリの年金モデルの輸出は中国の共産党の政策に影響を与え、他国における経済改革者たちのモデルとして引き合いに出され、ロシアのボリス・エリツィンやほぼすべての東欧の共産圏が例として挙げられていた[38]。

チリにおける銅の採掘は公に所有されていた(チリの銅の国有化を参照せよ)。チリは世界最大の銅の産出国であり、銅はチリ最大の輸出財であった(輸出額の40%以上を占めていた)。

3.6 香港

ミルトン・フリードマンは自由放任主義の国家として香港を示しており、50年間において貧困から繁栄へと急速に移行した政策に対して信任を与えていた[39]。香港のGDPは1897年から1997年までイギリスの植民地支配下で成長していたが、中央銀行を所有し、学校を規制し、環境を規制し、住宅を政府が所有するといった、経済的介入のすべての例を示していた[40]。しかしこれらの規制は他の多くの国々と比べて軽いものであり、経済的規制の点で、香港を自由放任国家としてみるフリードマンの分析は正しいものであると思われていた。香港には、キャピタルゲインに対する課税、利子に対する課税、売上に対する課税がなく、15%の均一な所得税があるのみだった。また関税、国際的な自由貿易に対する法的規制、最低賃金法(2010年まで)、価格や賃金のコントロールは一切なかった。さらに失業給付、労働法、社会保障、国民健康保険も一切なかった[41]。

1994年の世界銀行の報告書は、香港の1人あたりのGDPが1965年から1989年までに実質値で年率6.5%ほど成長しており、ほぼ25年間を通して一貫した成長率だったと述べていた[42]。1990年まで香港の1人あたりの所得は支配しているイギリスを公式値で上回っていた[43]。1960年における香港の1人あたり平均所得はイギリスの28%だったが、1996年までにはイギリスの137%に上昇していた[44]。

1995年以来ヘリテージ財団やウォール・ストリート・ジャーナルによれば、香港は世界で最も自由な資本市場を有していると認識されていた[45]。2007年にフレイザー研究所もそのことに同意していた[46]。

3.7 日本

史上最大の民営化は郵便局のことだった。それは国内で最大の雇用者であり、日本政府職員の3分の1は郵便局に勤務していた。

2003年9月に小泉内閣は郵便局を4つの別々の会社に分割することを提案し、銀行、保険会社、郵便サービス会社、他の3つの小売店としての郵便局を経営する4番目の会社が挙げられていた。民営化が参議院で否決された後、小泉は国政選挙を予定し、2005年9月11日に行われた。小泉はその結果改革に必要な圧倒的多数を得てこの選挙に勝利し、2005年10月に、郵便局を2007年に民営化するための法案が通過していた[47]。

3.8 メキシコ

メキシコは現在第8位の貿易国である。メキシコは1986年に関税と貿易に関する一般協定(GATT)に参加し、1990年から北米自由貿易協定(NAFTA)の一部となった。メキシコが参加した他の貿易パートナーシップはウルグアイ・ラウンド(UR)であった。

NAFTAによってもたらされた改革はメキシコ経済にとって大きな開放であり、「貿易政策の失敗という政治的そして経済的コストを増大させ、NAFTAと関連する他の国々(仮に従属していないにしても)との貿易政策を頓挫させていた」(メーナ, p.48)。関税は経済のほとんどのセクターにわたって削減されていた。彼らはアメリカとメキシコの国境沿いの工場に門戸を開いていた。マキラドーラはメキシコの輸出市場のほとんどを説明していた。また1973年の外国投資法である「外国投資が石油産出や精製に対して許可されていなかったこと」における改革が存在していた(メーナ, p.49)。

メキシコはウルグアイ・ラウンドや世界貿易機関から大きな恩恵を被っていた。メキシコの財に対する関税は低いものであり、メキシコはウルグアイ・ラウンドのメンバーに対する関税を変更することに縛られていなかった。「非農業部門の補助金に対するメキシコの選好は主にウルグアイ・ラウンドの協定によって裏付けされていた」(オルティス・メーナ, p.60)。メキシコは外国所有権に制限を設け続けており、政府調達に関する協定に署名しないことで批判されてきた。NGOは同様になされた改革を批判していた。

NAFTAに参加した後で、メキシコは30の自由貿易協定(FTA)を締結していた。メキシコは同様に欧州連合(EU)とのFTAである欧州自由貿易協定(EFTA)や日本とのFTAに署名していた。これらの協定の結果として輸出が増加し、工業製品はさらに重要になり、メキシコはアメリカの第2の貿易相手国になっていた。

先進国によるウルグアイ・ラウンドの協定に基づく政策が実施されなかったことにより、自由主義の恩恵が緩やかなものになっていると、メキシコ政府は感じていた。また環境問題や労働問題が貿易の議題に影響を及ぼす可能性があることを政府は恐れていた。彼らは先進国にドーハ後の作業プログラムに問題なく移行することを支援することを求めていた。メキシコが将来焦点を当てるだろう11の分野が存在しており、農業、輸出補助金、貿易関連の投資手段、サービス、知的財産権、紛争解決、海外直接投資、競争政策、政府調達、工業製品、労働と環境が挙げられていた。またメキシコは、ウルグアイ・ラウンドの協定を完全に遵守することにより重要な輸出品目に対するアクセスを改善することを求めていた[48]。

3.9 ニュージーランド

ロジャーノミクスという用語は、1984年以来ニュージーランドの財務大臣であるロジャー・ダグラスによる経済政策を説明するためにレーガノミックスからの類推によって生み出されていた。

政策は、農業補助金や貿易障壁を削減し、公共資産を私有化し、マネタリズムを通じてインフレーションをコントロールすることを含んでおり、ニュージーランドにおけるダグラスの労働党について、伝統的な労働党の理念を裏切るものとしてみなされていた。労働党はその後純粋なロジャーノミクスから離れたが、ロジャーノミクスは多くの右派のアクト党の核心的な教義となっていた。ロジャー・ダグラスは、ニュージーランドで15%の一律課税を行い、学校、道路、病院を民営化することを計画し、当時そのことは労働党内閣によって穏健に進められていたが、改革の結果は今なおグローバルな背景の中で一般的にラディカルであるとみなされていた。ダグラスは労働党を去った後、1993年にアクト党を設立し、それはニュージーランドの新しい自由主義正統派としてみなされていた。

1984年以来、農業補助金を含む政府補助金は撤廃され、輸入規制は自由化され、為替レートは自由に変動し、利子率、賃金、価格に対するコントロールは撤廃され、限界税率は縮小された。金融引き締め政策や政府の財政赤字を削減する努力は、1987年の年率18%以上のインフレーションを低下させていた。1980年代と1990年代における政府所有企業の規制緩和は経済における政府の役割を縮小させ、一部の公的債務の償還を促したが、同時に多額の福祉支出を必要とし、以前の10年を基準にするとかなり高い失業率を導いていた。しかしニュージーランドの失業率は2006から2007年にかけて再び低下し、3.5%から4%を前後していた。

規制緩和は非常にビジネス向きの規制の枠組みを生み出していた。2008年のサーベイはニュージーランドを「ビジネスの自由」に関して99.9%に、全体としての「経済的自由」に関して80%にランクしており、他の事項として、概してニュージーランドではビジネスを立ち上げるのに12日しか要しないが、世界平均では43日要することを記していた。他の指標は財産権、労働市場の状態、政府のコントロールや腐敗になり、最後に関してヘリテージ財団やウォール・ストリート・ジャーナルの調査によれば「ほとんど存在しない」と考えられていた[50]。

ドゥーイング・ビジネスの2008年のサーベイでは、世界銀行(ニュージーランドをその年に世界で2番目にビジネス向きの国であるとしていた)はニュージーランドを、雇用法におけるビジネス向きの点で、178ヶ国中13位にランクさせていた[51]。

ニュージーランドは国際的な調査によれば生活満足度に関し高いレベルを示しており、このことは他の多くのOECD諸国と比較して1人あたりのGDPが低いにもかかわらず生じていた。ニュージーランドは識字や公衆衛生といった非経済的要因から説明される2006年の人間開発指数で第20位にランクされ、エコノミスト誌による2005年のクオリティ・オブ・ライフ インデックスでは第15位だった[52]。さらにニュージーランドは2007年のレガタム研究所の繁栄指数によれば生活満足度で第1位になり、全体的な繁栄度では第5位に位置していた[53][54]。加えてマーサー『2007年世界生活環境調査』はそのリストによればオークランドを第5位に、ウェリントンを第12位に位置づけていた[55]。

3.10 スカンディナヴィア

北欧諸国は多くの新自由主義政策を受け入れていた[7]。

デンマークの元首相でありヴェンスタのリーダーであるアンダース・フォー・ラスムッセンは市場での活動に関する最小国家を擁護する著作を記していた。デンマークは経済的自由の指標においてヨーロッパのリーダーだった。ウォール・ストリート・ジャーナルやヘリテージ財団による指標や2008年の経済自由度によれば、デンマークは世界162ヶ国中、11番目に「自由な経済」としてランクされていた。  

スウェーデンのカール・ビルトの政策プログラムは、スウェーデン経済を自由化し、公共サービスを民営化し、国を欧州連合に加盟させた政策群の1つであった。1994年6月23日にギリシアのコルフで開催された欧州連合のサミットでカール・ビルトは加盟条約に調印した。経済的な変化が立法されており、公有企業の民営化同様、教育バウチャー、電気通信やエネルギーにおける市場の自由化が例として挙げられていた。ビルトの政権は(ほとんどの国がこれを行っていないのだけれども)健康保険を民営化することを可能にし、スウェーデン経済の自由化に貢献していた。また国有企業の民営化やビジネスの規制緩和は社会民主労働党政権によって実施されることになった。

1980年代後半にアイスランドは新自由主義経済政策を採用し始めていた。世界経済自由度によれば、アイスランドは1975年には53番目に「自由な経済」であり、ヨーロッパで最も貧しい国の1つだった。2004年には9番目に自由な経済になり、最も裕福な国の1つになった[56]。しかし2009年までにアイスランドは深刻な金融危機に直面し、その多くはアイスランドの過度な規制緩和に起因していた[57][58][59][60][61]。

3.11 南アフリカ

アパルトヘイトを廃止した1994年の新政府の樹立以来、南アフリカのGDPは成長を続けていた。一部は成長率を押し上げる要因を南アフリカの新自由主義政策の中に眺めていたが、他は経済成長を実際に損なうインフレーションを鎮圧するために高い利子率を維持するような政策を引用していた。一方GEAR(成長、雇用、再分配の戦略)に基づいた政策の実施は1994年の新政府後に始まった雇用の落ち込みの原因となり、南アフリカの貧困のレベルを拡大する原因となっていた[62]。

3.12 イギリス

1979年に政権に就くと、マーガレット・サッチャーの政治経済哲学は国家の介入の縮小[63]、より自由な市場[64]、さらなる企業家精神[65]を強調していた。彼女はかつてフリードリヒ・ハイエクの『自由の条件』のコピーを影の内閣の会議の最中にテーブルの下で閉じ、「これこそが私たちが信じるものである」と述べた[66]。サッチャリズムに関連づけられた思想家たちはキース・ジョセフ、フリードリヒ・ハイエク、ミルトン・フリードマンを含んでいた[67]。

サッチャーの政治経済哲学は自由市場同様国家の介入の縮小や「企業家精神」を強調していた[67]。彼女は経済に対する政府による過度の介入を終えることを明言し、国有企業の民営化を通じこれを行おうとしていた。ジェームズ・キャラハンによる政府が需要サイドの管理に対するケインジアンのアプローチが失敗であったと結論づけた後、サッチャーは、経済が自己修復することはなく、財政上の判断がインフレーションを収束させるためになされる必要があると感じていた[68]。彼女は、マネーサプライの伸びを低下させるために利子率を上昇させるといった経済改革を始め、インフレーションを低下させていた[69]。「政府によるより小さな介入」を目指した考え方にしたがって、彼女は特に住宅や産業界に対する補助金について公的支出を削減することを導入していた[70]。また彼女は通貨の発行に対する制限や労働組合に対する法的規制を実施していた。

1982年までにインフレーションは以前のピークの18%から8.6%に低下していた。1983年まで世界経済は強い成長を続けていたが、インフレーションや住宅ローンの金利は1970年以来最低の水準だった[71]。「サッチャリズム」という用語は彼女の倫理的な見解や個人的なスタイルが示す側面同様に彼女の政策に触れており、道徳的絶対主義、ナショナリズム、全体としての社会よりむしろ個人にフォーカスすること、政策目標を達成するために妥協しないアプローチを含んでいた。

1983年の選挙で保守党の多数派が拡大した後、サッチャーは彼女の経済政策を実施し続けていた[70]。イギリス政府は国家の大規模な施設の多くを売却していた[70]。民営化の政策はサッチャリズムの主要な部分を占めていた。サッチャーが1990年に辞任を余儀なくされていたとき、イギリス経済の成長は概して他のEU諸国(ドイツ、フランス、イタリア)よりも高かった。しかしこのことはEUの残りの国々と比較すると貧しい社会的条件を伴っていた。

これらの経済政策による代償は、サッチャー政権を悩ませた失業率における一時的だが激しい増加になり、失業率の定義はより低い数字を示すために31回も変更されていた。これにもかかわらず、1973年から1979年にかけて3.4%になり、1960年から1973年までは1.9%になった後のことになるが、イギリスの失業率に関する公式発表は1979年から1989年にかけての9.1%を示していた[72][73]。

2001年にイギリス労働党の議員でありトニー・ブレアと緊密に関係していたピーター・マンデルソンは「私たちはみな現在もサッチャリズムを支持している」と言い放っていた[74]。現代のイギリスの政治文化によれば、「ポスト・サッチャリズムの支持者の間におけるコンセンサス」が経済政策に関して存在していることが語られていた。1980年代には今はなき社会民主党は、サッチャリズムの支持者による改革を福祉と結びつける「一面では厳しく一面では優しい」アプローチを採用していた。1983年から1992年における労働党の党首であったニール・キノックは、サッチャー政権の経済政策を支持することによって労働党の政治的言動の幅を右へシフトさせていた。経済政策の多くがサッチャーの政策をまねていたので、トニー・ブレアによる新しい労働党政権は一部によって「新サッチャリズムの支持者」として説明されていた[75][76]。

2010年のキャメロンとクレッグによる連立政権は新自由主義的立場であると説明されており、新自由主義的な自由民主党の若手市場主義グループが重要な閣僚としての役割を果たしていた。

3.13 アメリカ

1981年から1989年にかけてロナルド・レーガン政権はアメリカ経済を自由化するために幅広い決定を行ってきた(現代のアメリカの用語ではリベラルという用語は本来のリベラルよりむしろ保守的な経済学として説明されており、この記事でのリベラルの意味はほとんど規制のない経済システムを指している)[78][79]。これらの政策はレーガノミックスとしてしばしば説明されており、サプライサイド経済学と関連づけられていた(その考え方として、価格を低下させ、経済的繁栄を促すために、政策は消費者よりむしろ生産者に対して訴えかけられるべきであることが挙げられていた)。

レーガンの在任中、GDPは年率2.7%で推移していた[80]。1989年の1人あたりの実質GDPは$31,877で、1981年の$25,640から24%上昇していた。失業率は1983年の高い水準から下落していたが、以前の10年間やその後の10年間に比べて概して高いものであった。またインフレーションが大幅に減少していた[81]。1920年以来初めて不平等が拡大し始めていたので、平均実質賃金は停滞していた。ウィリアム・ニスカネンのような一部の人々は2つの事実を指摘しており、まず80年代を通じて労働者の平均報酬(賃金と福利厚生)は上昇していたことや、次に80年代を通じてすべての社会のパーセンタイルのパフォーマンスが改善されていることが挙げられていた。不平等が大幅に拡大しており、2007年を通じてそのトレンドは継続していたとの主張を彼は無視していた(エマニュエル・サエスの著作を参照せよ)。富裕層への課税を削減することにより、その政策は「トリクルダウン経済学」として軽視されていた[82]。巨額の財政赤字[83]や貿易赤字[83]の原因であり、貯蓄貸付組合の危機[84]につながった冷戦期の防衛支出の増大が存在していた。連邦予算の赤字をカバーするために、アメリカは国内や海外から巨額の債務を負い、国内の債務は7000億ドルから3兆ドルに膨れあがり[85]、アメリカは世界最大の債権者から最大の債務者へと立場を変えることになった[86]。ピーター・ゴーワンは、アメリカが他の世界に新自由主義政策を採用させる背後にある主要な力になっていると主張していた。基本的な議論は、ドルが国際準備通貨であるため、アメリカの銀行はアメリカ国外の銀行と比較して競争上優位にあり、アメリカ国外の銀行はドルで直接貸すことができないため、アメリカ国外の銀行の業務は外国為替リスクをともなうものであるといったことであった(ドルは基軸通貨であるので、たいていの外貨準備はドルを用いて行われ、石油のような一次産品の価格はドルで設定されており、少なくとも短期では、他の通貨を保有することより、ドルを保有することの方がリスクが少なかった)。このように一旦アメリカが金融市場や金融機関に対する規制を自由化したら、他の国々も追随することを余儀なくされていた[87]。

4 影響や結果

新自由主義の動きは多くの方法で世界経済を最終的に変えていたが、世界が自由化した程度はしばしば誇張されているかもしれないと一部のアナリストは主張していた。過去30年間の変化ははっきりとしており、以下のようになる[88]。

国際貿易や国境を越えた資本の流れの成長。

貿易障壁の撤廃。

公共部門の人員削減。

国有企業の民営化。

人口の上位のパーセンタイルを占める経済への国々の経済的富のシェアーの移転[89]。

他の変化はそれほど明確ではなく、以下の文献の中で議論されている[88]。

政府の大きさにおける縮小。政府は大規模にその役割を縮小させているように思われなかった。例外的に高い政府支出を除いて、政府支出(GDPに占める割合)は1980年から同じままであると見られていた。大半の政府支出の削減は1990年代に行われた一時的現象であると思われていた。

4.1 ラテンアメリカの都市化の影響

1930年代から1970年代後半にかけてラテンアメリカの多くの国々が、産業を育成し、外国からの輸入依存度を減らすために、輸入代替工業化のモデル(ISI)を採用していた。これらの諸国におけるISIの影響は、1〜2の大都市の急速な都市化、労働階級である都市人口の増加、労働組合や左派政党による頻繁な抗議活動を含んでいた[90]。経済危機への対応では、これらの国々のリーダーはプロスペクト理論によってすばやく新自由主義政策を採用しそして実施していた。

ラテンアメリカの6ヶ国における新自由主義の結果としての都市での生活やシステムの変化に基づく研究がアレハンドロ・ポルテスやブライアン・ロバーツによって発表された。この比較研究はセンサス・データの分析やサーベイを含んでおり、フィールドワークはアルゼンチン、ブラジル、チリ、メキシコ、ペルー、ウルグアイにフォーカスしていた。新自由主義の予測は4つの分野におけるこれらの6ヶ国に拡大されており、都市のシステムと優位性、都市の失業と非正規雇用、都市の不平等と貧困、都市の犯罪と被害が挙げられていた。集められたデータは新自由主義に基づく経済政策と結果として得られる都市化のパターンとの関連を支持していた。

都市のシステムと優位性の分野では2つの傾向がデータによって明らかにされた。1番目の傾向は都市部の人口に対するトータルのサイズにおける拡大が継続していることを示している一方、2番目の傾向はこれらの地方自治体に対する移民の流入が減少している主要都市のサイズにおける縮小が見られていることを示していた。そのため都市の成長率を計算するとき、これらの国々の個々の地方自治体のすべてが成長における最低限のもしくは大幅な落ち込みを示していた。ポルテスやロバーツは、その変化は「主要都市の魅力の損失により...要因の複雑なセットによるが、疑いなくISI時代の終焉に関連していた」ことを理論化していた[90]。市場の開放と都市のシステムの変化との間の関係は完全な1対1の関係であると証明されていないが、事実は、新自由主義的変化の後、これらの2つの傾向を加速させるかもしくは促すことを支持していた[90]。

また6ヶ国の間における不平等や貧困においてバリエーションが存在していた。これらの国々における人口の多数が貧困にあえいでいる一方、「上流階級」は新自由主義的なシステムの恩恵を手に入れていた。ポルテスやロバーツによれば、「特権を享受している第9十分位数に属する人々」はラテンアメリカの貧困ラインの平均所得の40倍に等しい平均所得を手にしていた[90]。著者たちによれば、所得不平等の直接の影響は、各々の国々が都市部や郊外で犯罪やその被害が増加していることに苦労していることであった。しかし警察内の腐敗が原因で、犯罪や被害のデータからトレンドを正確に外挿することは不可能だった[90]。

5 支持

5.1 政治的自由

『資本主義と自由』(1962)の中で、フリードマンは自由全体の中で重要な位置を占める経済的自由は政治的自由の必要条件でもあるとの議論を展開していた。彼は、経済活動に対する中央集権がいつも政治的抑圧を招いているとコメントしていた。

彼の見解では、自由な市場経済でのあらゆる取引における自発的な特徴やそれが許容する幅広い多様性は、抑圧的な政治的リーダーにとって原理的な脅威であり、強制する力を大幅に減少させるものだった。経済活動に対する中央集権の排除を通じて、経済的な力は政治的な力から分離され、一方が他方への抑制力として機能することが可能であった。生産性と関連性がないといった理由で、人間的でない市場の力は経済活動における差別から人々を守るといったことを背景にして、競争的な資本主義はマイノリティのグループにとって特に重要であると、フリードマンは感じていた[91]。

しかし、初期の新自由主義体制が軍事独裁であり深刻な社会的抑圧の下でのチリで行われていたことを考慮に入れることは重要である。だが、経済的自由の実現にとって非常に不快な背景になると考えられるかもしれないが、チリは現在ラテンアメリカで非常に高い1人あたりのGDPの成長率を享受しており、このことは経済的自由は民主的な制度以上に繁栄にとって重要かもしれないことに対し、根拠はないものの、強い信用を与えているかもしれなかった。また経済的自由の拡大は時間を掛けながら独裁政権に対し圧力を加えるものであり、政治的自由を拡大するものであった。『隷従への道』の中でハイエクは「経済のコントロールは分離されることが可能な人間の生活におけるある分野を単にコントロールするのではなく、私たち皆の目標のための手段をコントロールすることである」と主張していた[92]。

5.2 国家中心的アプローチ

新自由主義に対する国家中心的アプローチは重要ではないが、新自由主義の考えがケインズ主義を倒した本物の放任主義のリベラルな対処法である重要なアプローチであるといった点で一致していた。国家中心的アプローチの理論家は、新自由主義は「減税、社会支出の削減、規制緩和、民営化を通じて国家の役割を減らす試み」だったことに合意していた[93]。しかし、新自由主義の批評家が主張するように、資本主義的政治組織、エコノミスト、経済部門、シンクタンク、政治家すべてが、階級を意識した資本家によって支持されていたというよりむしろ、国家のアクターが新自由主義を実施する政治的起業家であったと、国家中心的アプローチは主張していた。投票者の選好に最も合っていたので、新自由主義は普及したと、国家中心的アプローチの理論家は主張するが、新自由主義の骨組みや政策が一般人に対して「他に代わるものはない」と主張する裕福で高度に組織された政治マシーンによってプロパガンダされていた点にかかわる重要なアプローチであったことに同意していなかった。国家中心的アプローチの社会学者であるモニカ・プラサド(2006)はさらに(連邦の)税体系が先進的であり、産業政策がビジネスに「逆行」しており、福祉が貧困に関連している場所で、新自由主義は優勢になると主張していた。彼女は、これはフランスやドイツに関連したアメリカやイギリスのケースであると主張していた。しかしフランスやドイツでは、政府による課税は逆進的であり、産業政策はビジネスに好まれており、福祉国家の概念は中産階級に恩恵をもたらすために広く認められており、その結果、新自由主義は両国においてビジネスや中産階級によって広く好まれていなかった。

プラサドの分析は、新自由主義が資本家の利益を考慮しているため労働階級によって好まれる政策に対して否定的であり、独立した国家のアクターによって支持されていたことを示唆していた。

6 反対

新自由主義の反対者は以下の点を主張していた。

グローバル化や自由化は自己決定のための国家の能力を蝕んでいた。

搾取:批評家は新自由主義を搾取を促すものとして考えていた。

負の経済的影響:批評家は新自由主義政策が不平等を生むと主張していた。

企業の力の増大:一部の反企業組織は、自由主義と異なり新自由主義は大企業の力を増大させるために経済政策や他の政策を変え、下層階級から上流階級へ富をシフトしていると考えていた[94]。

地域的にそして社会的に新自由主義に苦しんでいる土壌が存在していた。都市住民は日常生活における基本的な状態を形成する力をますます奪われていった[29]。

貿易主導の規制のない経済活動や汚染に対して杜撰な国家の規制は環境問題を引き起こすかもしれなかった[95]。

労働市場の規制緩和は、労働の柔軟性やパートタイム化、増加する非正規雇用、労働災害や職業病の増加を引き起こしていた[96]。

6.1 イギリスやアメリカ

「標準的な新自由主義の政策は、税や政府支出の削減、自由貿易に対する関税や他の障壁の撤廃、労働市場や金融市場に対する規制の緩和、雇用の拡大を刺激するよりむしろインフレーションをコントロールすることにマクロ経済政策をフォーカスすることを含んでいた」とエコノミストであるロバート・ポーリン(2003)は報告していた[97]。ケインジアンや積極的労働市場政策(ALMPs)を含む以前の自由主義的政治経済政策の中に存在していた階級間の妥協を拒絶したことから、経済的新自由主義はふつう強い経済的不平等をもたらしていた。ジョージ・H・W・ブッシュやビル・クリントンのような新自由主義へのシフトの支持者たちはあらゆる時代であらゆる所得階層が暮らし向きを改善していたと主張していたが、一部の実証的証拠はこれが当てはまらないことを示していた[7]。

6.1.1 左派からの批判

左派からの批判は時として「アメリカ型のモデル」として新自由主義に言及しており、新自由主義は低賃金や大きな格差を促すと主張していた[98]。経済学者であるハウエルやディアロ(2007)によれば、新自由主義政策は、労働者の30%が「低賃金」に留まり(中位数で測ったフルタイム労働者の賃金の3分の2以下)、労働力の35%が「パートタイム」であり、アメリカの労働世代人口の40%しか正規雇用されていないことの原因となっていた。経済政策研究センター(CEPR)のディーン・ベイカー(2006)は、アメリカの不平等を拡大する原因は、反インフレーションバイアス、反労働組合主義、健康産業への利益誘導を含む一連の計画的な新自由主義の政策の選択にあると主張していた[99]。しかし各国はさまざまなレベルで新自由主義を採用しており、例えばOECD(経済協力開発機構)は、新自由主義政策を採用していないことにより、スウェーデンの労働者のわずか6%しか賃金の低さに悩んでいないものの、全体的にスウェーデンの賃金は低い水準にあると計算していた[100]。CEPRのジョン・シュミットやベン・ジッペラー(2006)は、ヨーロッパ大陸の新自由主義と比較して徹底されたイギリスやアメリカの新自由主義政策の影響を分析しており、こう結論づけていた。「アメリカの経済的そして社会的モデルは重大なレベルの社会的排除と関連しており、それは高いレベルの所得格差、比較的高く絶対的な貧困率、乏しく不平等な教育成果、貧弱な健康状態、犯罪や投獄率の高い割合を含んでいた。同時に利用できる事実は、アメリカ型の労働市場の柔軟性が劇的に労働市場の成果を改善する見解に対する支持をほとんど与えていなかった。反対に人気がある先入観にもかかわらず、アメリカ経済は一貫してデータが利用可能なすべてのヨーロッパ大陸の国々よりも低いレベルの経済的移動性を示していた。」[101]

新自由主義に対する理論的もしくは実践的な批判者の中で著名な人々は、経済学者であるジョセフ・スティグリッツ、アマルティア・セン、ロバート・ポーリン[102]、言語学者であるノーム・チョムスキー[103]、地理学者であるデヴィッド・ハーヴェイ[7]、ATTACのようなグループを含む一般的な反グローバル運動を含めていた。新自由主義の批判者たちは、新自由主義による社会主義(自由の束縛として)に対する批判が間違っているのみならず、新自由主義はその強みの1つであると思われる自由を提供することができていないと主張していた。ダニエル・ブルックの『罠』(2007)、ロバート・フランクの『遅れ』(2007)、ロバート・チェルノマスとイアン・ハドソンの『社会的殺人』(2007)、リチャード・G・ウィルキンソンの『不平等の影響』(2005)といったすべてが、新自由主義によって大きな不平等が拡大しており、深刻な政治的、社会的、経済的、健康上の、環境における抑圧や問題を引き起こしていると主張していた。カナダ代替政策センター(CCPA)のエコノミストや政策アナリストは新自由主義政策に対して不平等を削減する社会民主的な代替政策を提唱していた。さらに新自由主義に対する大きな反対がラテンアメリカで成長していた。ラテンアメリカにおける著名な反対派はサパティスタ民族解放軍、ブラジルのMST、ベネズエラ、ボリビア、キューバの社会主義政府を含んでいた。

ポーリン(2003)によれば、アラン・グリーンスパンやロバート・ルービンによって操作されたアメリカのビル・クリントン政権の下における新自由主義は、政府によって支持された金融市場や住宅市場に対する投機を通じて経済成長を促す一時的で不安定な政策であり、低い失業率やインフレーションを特徴としていた。彼は、この異常な偶然の一致は労働者階級の解体や搾取によって可能になったと主張していた。サンタクルスの歴史を意識していたアンジェラ・デイビスやプリンストンの社会学者であるブルース・ウェスタンは、特にアメリカ成人の37人に1人が刑務所のシステムの中にいるといったアメリカにおける高い投獄率(ヨーロッパと比較して)はクリントン政権によって促されており、失業率を統計上低く保つための新自由主義的な政治的手段であり、現代の奴隷人口の維持や刑務所の建設及び「武装警察」の促進を通じて、経済成長を促していたと主張していた[104]。またクリントン政権は、企業部門に利益をもたらす国際的な貿易協定を追求することによって(例えば中国との貿易の正常化)、新自由主義を採用していた。国内的にクリントンは、健康医療団体を通じた医療の企業買収、福祉のばらまきの削減、「再就業を促進するための技能教育」の実施といった新自由主義改革を行っていた[105]。 

6.2 ヨーロッパやラテンアメリカによる反対

新自由主義とグローバル化はお互いに関係していると考えられていた。一般的な理論家は新自由主義を資本家による拡大主義の現代版と説明しているが、一部の理論家は「グローバル化」と「新自由主義」は厳密には分けて考える必要があり、文化は概念が理解されるレンズとして本来あるべきであると主張していた。「自由市場や世界的な自由貿易は新しいものではなく、この言葉(新自由主義)の使用は先進国での発展段階を無視していた...新自由主義は単に経済上の概念ではなく、自由主義とは質的に異なった側面をもっており、社会的または道徳的哲学を示していた」[106]。

ヨーロッパやラテンアメリカからの新自由主義に対する批判は、経済システムにいつも新自由主義が組み込まれるようになった方法にフォーカスしていた。例えばオランダの作家であるポール・トレーナーは、新自由主義から派生した考え方(新自由主義自体を含む)は哲学であり、単なる「経済構造」ではないと主張していた。また例えば新自由主義者は「市場が示唆する意味」の中で世界を把握しており、社会のメンバーは一般論として企業としての国家に言及するとき、その文明はリベラルな文化の代わりに新自由主義的に把握されるかもしれなかった。しかしトレーナーは同様に歴史上のリベラルと現代の新自由主義的文化の連続性を認識していた。「これが国民国家の見方ならば、新自由主義と同じように新国粋主義が存在するだろう。同様にリベラル以前の経済理論を振り返ると、その重商主義はヨーロッパの国々を競合する単位として眺めていた。重商主義者はそれらの王国を企業としてよりむしろ巨大な家計として取り扱っていた。それにもかかわらず、国家規模の単位の間における競争として世界貿易を眺めることは現代の新自由主義者たちにとって受け入れられる考え方だった」[106]。

トレーナーの共同研究者であるエリザベス・マルティネスやアルノルド・ガルシアは、新自由主義は過去25年間に世界中に広められた経済政策の集合体であることを見出していた。彼らは、富の分配の不公正を増大させることを許容することによって、新自由主義は最も貧しい市民を明らかにひどく扱っていたと主張していた(「豊かな人々はさらに豊かになる一方、貧しい人々はそれより遅々としたペースで豊かになるだろう」)。イデオロギーを強調すると、マルティネスやガルシアは、自由主義がイデオロギーと妥協する階級と関連していたことを指摘することにより、新自由主義と自由主義の違いを説明しており、「自由主義は政治的、経済的、そして宗教的でさえある考え方に言及することが可能であった。アメリカでは、自由主義は社会的な対立を防止するための戦略だった。そして新自由主義は、保守派や右派と比べて、貧しい人々や労働階級にとって進歩的なものとして示されていた。」と述べていた[107]。しかし彼らはさらに、このリベラルな社会的対立は、新自由主義を含めたアメリカのエリートによる政治運動によって、打ち壊されていたと主張していた[108]。

6.2.1 アルゼンチン経済の崩壊

数十年におよぶ劣った統治、支出を倹約する軍事独裁、労働市場改革、新自由主義的構造調整プログラムは結局のところ1999から2002年におよぶアルゼンチンの経済危機を導いていた。メネム政権の間、アルゼンチンは国際通貨基金(IMF)、世界銀行(WB)、アメリカ財務省の管理下にあった。重い債務を抱えながらもIMFはアルゼンチンにローンを貸し続け、ローンの返済が延期されたときに、公的債務は急上昇していた。アルゼンチンは新自由主義的合理化のプロセスを始めていた。この小さなケーススタディは、どのように「ワシントン・コンセンサス」の指導の下でトップダウンで指示を受けた新自由主義政策が非効率でアルゼンチン経済にさらなる損害を与えていたかを例示していた。「ワシントン・コンセンサス」の非公式のスローガンは「安定化、民営化、自由化」だった[109]。多くの労働市場改革が実施され、公的雇用のための新しい規制の制定、社会サービスの分散化、弱体化された労働法に基づいた民間経済の規制緩和、社会保障システムの部分的民営化、労働市場の柔軟化を含んでいた[110]。この間のアルゼンチンの対外債務は1990年の576億ドルから2001年の1445億ドルにまで実質的に拡大していた[110]。アルゼンチン・ペソの通貨価値の下落が倍増したことによる債務の蓄積は、ハイパーインフレーション、高い失業率、大きな非正規労働部門、貧困レベルの上昇、基本的な教育や医療のサービス削減を導いていた。民営化から生じた公的給与の削減や大量の解雇は大量の労働者の所得の損失を招いており、効率的に下層階級や中産階級の間に「新しい貧困者」を生み出していた[110]。同時にアルゼンチンの経済は改変の結果としてますます競争力を失い、対外債務は増加し続け、政府の腐敗は蔓延し、規制緩和が資本逃避をもたらし、社会不安を増大させていた[110]。

http://en.wikipedia.org/wiki/Inside_Job_(film)

インサイド・ジョブ(映画)

インサイド・ジョブ(2010)はチャールズ・H・ファーガソン監督による2000年代後半の金融危機をテーマにしたドキュメンタリー映画である。映画は2010年5月にカンヌ映画祭で上映され、2010年の長編ドキュメンタリー賞を受賞していた。

ファーガソンは「アメリカの金融業界の構造的腐敗とその構造的腐敗の結果」として映画を説明していた[3]。5つのパートを通じて、映画はどのように政策環境や銀行業務における変化が金融危機を生み出していたかを描いていた。インサイド・ジョブはテンポ、調査、複雑な素材の構成を賞賛した映画評論家によって高く評価されていた。

1 概要

ドキュメンタリーは5つのパートに分けられている。映画は、2000年にアイスランドがどのように規制緩和したのかを眺めることから始まっている。アイスランドの銀行は民営化されていた。2008年9月15日にリーマン・ブラザーズが倒産し、AIGが崩壊したとき、アイスランドや世界の他の国は世界的な景気後退に入っていた。

「パート1:どのようにこうなったか」 アメリカの金融業界は1940年から1980年まで規制されており、その後長い期間にわたって規制緩和を迎えた。1980年代末の貯蓄貸付組合危機は納税者に1,240億ドルの損失をもたらしていた。1990年代後半に金融セクターは少数の巨大企業に集約されていた。2001年に破綻すると分かっていたIT企業を投資銀行が後押ししていたため、ITバブルが弾け、投資家の損失は5兆ドルに及んでいた。1990年代にデリバティブが業界で人気となり、不安定性を増加させていた。デリバティブを規制しようとする努力は、いくらかの主要関係者によって支持された2000年の商品先物近代化法によって妨げられていた。2000年代に業界は、5つの投資銀行(ゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレー、リーマン・ブラザーズ、メリルリンチ、およびベアー・スターンズ)、2つの金融コングロマリット(シティグループ、JPモルガン)、3つの保険会社(AIG、MBIA、AMBAC)、3つの格付け機関(ムーディーズ、スタンダード&プアーズ、フィッチ)によって支配されていた。投資銀行は、債務担保証券(CDOs)の中に他のローンや債務に対する抵当を混ぜて、投資家に売却していた。格付け機関は多くのCDOsにAAAの格付けを与えていた。サブプライムローンは人を食いものにする融資につながっていた。多くの持ち家所有者は返済しきれないほどのローンを組まされていた。

「パート2:バブル(2001-2007)」 住宅ブームの間に、銀行自身の資産に対する投資銀行の借入額の比率がこれまでにない水準に達していた。クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)は保険契約に類似していた。投機筋は所有していないCDOに投機を行うためにCDSを購入することが可能だった。多くのCDOがサブプライムの抵当によって裏打ちされていた。ゴールドマン・サックスは2006年の上半期に30億ドル以上のCDOを販売していた。またゴールドマンは、投資家にそのCDOが高品質であると述べて、低品質のCDOに投機を行っていた。三大格付け機関もその問題の一端を担っていた。AAAの証券は2000年には一握りだったが、2006年には4,000以上に跳ね上がっていた。

「パート3:危機」 CDO市場が崩壊し、投資銀行は、他に押しつけることができないローン、CDO、不動産に対し数千億ドルもの損害を残されていた。大不況は2007年11月に始まり、ベアー・スターンズは不渡りを出していた。9月に連邦政府は崩壊の危機に瀕していたファニー・メイやフレディ・マックを救済していた。その2日後、リーマン・ブラザーズが倒産していた。救済されるとき、これらの経済主体はすべてAAやAAAの格付けを受けていた。崩壊の縁にあったメリルリンチはバンク・オブ・アメリカに買収されていた。ヘンリー・ポールソンとティモシー・ガイトナーはリーマンを倒産させることを決定し、コマーシャル・ペーパー市場の崩壊につながっていた。9月17日、破綻したAIGは政府に引き継がれていた。翌日、ポールソンとFRB議長のベン・バーナンキは銀行を救済するために7,000億ドルの支援を議会に求めていた。世界の金融システムは麻痺していた。2008年10月3日、ブッシュ大統領は不良資産救済プログラムに署名していたが、世界の株式市場は下落し続けていた。解雇や差し押さえが続き、失業率はアメリカや欧州連合で10%にまで上昇していた。2008年12月までにGMとクライスラーも同様に破産に直面していた。アメリカでの差し押さえは前例のないレベルに達していた。

「パート4:アカウンタビリティ」 倒産した企業の経営幹部陣は損失を被ることなく彼らの財産を保持しながら渡り歩いていた。幹部陣は取締役会を掌握しており、政府による救済後、数十億ドルのボーナスを手にしていた。大手銀行は権力を手中にし、改革に反対する行為を倍増させていた。アカデミズムの世界において経済学者たちは数十年にわたり規制緩和を主張し続け、アメリカの政策を形作る手助けをしていた。彼ら、経済学者たちは、2008年の危機の後でもなお、改革に反対していた。これに関与していたコンサルティング会社に、アナリシス・グループ、チャールス・リバー・アソシエーツ、コンパス・レクシコン、LECGが挙げられていた。

「パート5:私たちは現在どこにいるのか」 アメリカの工場労働者の内、数万人が解雇されていた。オバマ政権の金融改革は弱いものであり、格付け機関、ロビイスト、役員報酬について意味のある規制案は存在していなかった。フェルドシュタイン、タイソン、サマーズは皆、オバマにとって重要な経済顧問だった。バーナンキはFRBの議長に再任されていた。ヨーロッパ諸国は銀行の補償に対して厳しい規制を課していたが、アメリカは規制に抵抗していた。

http://en.wikipedia.org/wiki/Enron:_The_Smartest_Guys_in_the_Room

エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか?

『エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか?』は、アメリカ史上最大のビジネススキャンダルの1つを研究したフォーチュン記者であるベサニー・マクリーンとピーター・エルカインドによる同名の2003年のベストセラーに基づいた2005年のドキュメンタリー映画になる。マクリーンとエルカインドはアレックス・ギブニー監督とともに映画の作家たちの一員として認められていた。

映画は、同社の経営幹部の刑事裁判につながった2001年のエンロン社の崩壊を検証しており、それはまたカリフォルニアの電力危機におけるエンロンのトレーダーの関与を示していた。映画は、旧エンロンの役員や従業員、証券アナリスト、レポーター、カリフォルニアの元知事であるグレイ・デービス同様マクリーンやエルカインドにインタビューしていた。

映画はインディペンデント・スピリット賞を受賞し、2006年の第78回アカデミー賞のうち長編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされていた[1]。

2 概要

映画は、1985年にエンロンを創業したケネス・レイのプロフィールから始まっていた。2年後、2人のトレーダーが石油市場に対して投機を始め、会社に対して疑わしい利益をもたらした後、エンロンはスキャンダルに巻き込まれるようになっていた。またエンロンのCEOであるルイ・ボーゲットが海外の口座に会社の資金を流用していたことが表面化していた。監査役がそのスキームを明らかにした後、レイは彼らに「私たちに数百万ドルを生み出させ続けること」を要求していた。しかし、エンロンの資金を投機につぎ込んでいたことが明らかになった後、トレーダーたちは解雇され、エンロンは崩壊に近づいていた。これらの事実が明るみになった後、レイはそのような不正行為に関与していないとして否認を続けていた。

レイは時価会計を利用する条件でエンロンに加わったジェフリー・スキリングを新しいCEOとして雇い、プロジェクトが成功するか否かに関わらず、取引が行われた直後に、エンロンがあるプロジェクトの将来価値を計上することを許容していた。そのためエンロンは利益を上げていないにもかかわらず、収益を上げているとの客観的な体裁を整えることが可能であった。スキリングは、従業員に等級を付け、エンロンの目標に適さないと思われる底辺の15%の従業員を毎年解雇する審査委員会を立ち上げ、エンロンにダーウィンの世界観を持ち込んでいた。このシステムは激しい競争と冷酷な労働環境を生み出していた。

スキリングはエンロン内部に対して彼の指示を徹底するために「防波堤」として知られるルーテナンツを雇っていた。「防波堤」には知的だが暗い幹部であるJ・クリフォード・バクスターやエンロン・エネルギー・サービスのCEOであるルー・パイを含んでいた。パイは裏のクラブを訪れる悪習のために株主の資金を流用することで悪名高く、伝えられるところでは彼のオフィスやエンロンのトレーディング・フロアにダンサーを招いていた。パイは株式を売却した後すぐに2億5千万ドルを手にして突然EESを辞職していた。パイがなした利潤にもかかわらず、彼が以前管理していた部門は10億ドルの損失を計上しており、事実はエンロンによって隠蔽されていた。パイはコロラドで大規模な牧場を購入するために資金を用い、州で2番目に大きな土地所有者となった。

ドットコムバブルによってもたらされた強気市場による成功にともない、エンロンは予想通りに進むことによって株式市場のアナリストをもてなすように努めていた。経営陣は株価を押し上げ、その後「風説の流布」と呼ばれるプロセスを経て、数百万ドルのオプションを崩壊させていた。また、例え世界的な事業のパフォーマンスが低下していたとしても、エンロンは収益性と安定性の高さを売り物にする広報キャンペーンを行っていた。1つの大きな失敗はインドのダボール発電所になり、エンロンはインドに投資する業界の危険性を省みず、その発電所を建設していた。しかしインドが発電する電力を維持することができなくなったときに、エンロンは発電所を放棄し、十億ドルの損失を出していた。他に、エンロンはオンデマンドで映画を配信するブロードバンド技術を利用しようとしたり、日用品のように天候のリスクを扱おうとしていたが、これらの取り組みも失敗に終わっていた。しかし時価会計を用いることにより、エンロンはこれらの事業に対して存在していない利益を計上していた。

数少ないインターネット関連企業が2000年に崩壊したドットコムバブルを生き延びたように、エンロンの成功は続いており、6年連続でフォーチュン誌によって「最も賞賛される」企業として名を馳せていた。しかしエンロンの投資家であるジム・シャノスやフォーチュンの記者であるベサニー・マクリーンは会社の財務諸表と株価についての不規則性に疑念を抱いていた。スキリングはマクリーンを「倫理性に欠けている」と呼ぶことによって対応し、彼女の記事を公表したフォーチュンを非難し、エンロンに対して肯定的であったビジネスウィークにも影響を及ぼしていた。CFOであるアンドリュー・ファストウを含む3人のエンロンの経営陣はマクリーンやフォーチュンの編集者に会い、企業の財務について説明を行っていた。

ファストウはエンロンと取り引きするためだけにでっち上げられたペーパー・カンパニーのネットワークを立ち上げており。それは、エンロンに送金すると同時にエンロンで増え続けている負債を隠すといった表面上2重の目的を有していた。しかしレイやスキリングに知られていないことに、ファストウがこれらの事業で財務上の裏取引を行っていたことが挙げられ、エンロンから数千万ドルを詐取するためにそれらの事業を用いていた。またファストウはシティバンクやメリルリンチのようなウォール街の投資銀行の私心を利用して、彼のペーパー・カンパニーに投資するように圧力を掛け、実際のところ、彼自身とビジネス上の取り引きを行っていた。

December 4, 2011 in 学問・資格 , 経済・政治・国際 , 雑記 , 
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November 13, 2011

ワシントン・コンセンサスの何が問題か、パート2ーアメリカ、フランス、ドイツのWikipediaの「ワシントン・コンセンサス」の項目を読んで考えたこと

ウィリアム・プファフによれば、外交問題に対してアメリカの主流派メディアはワシントンの意思に基づいた形式的な中道主義の立場をとることが慣例になり、アメリカにおける国際情勢の報道はほぼ完全に大企業の利益を代弁するワシントン主導になり、ワシントンが意図的に情報を与えない回答をし、メディアからの不快な見解に横槍を入れていることが常態化しているとされる現状や、Fairness & Accuracy In Reporting (FAIR)によれば、主流派メディアは政府と敵対関係にあると主張しているにもかかわらず、実際のところワシントンの公式見解に追随しており、議論の幅が、民主党や共和党による立場の違いといった比較的狭い範囲に落ち込んでいるとされる現状が示唆することは、日本国内の主流派メディアについても同様のことを推察できるが、一般のアメリカ人がワシントンの外交政策に対してほとんど関心をもっていないとされている構造的背景を説明しており、それは、アメリカのメディアに対して暗黙の規制をかけて、大企業の利益に偏らない公共の利益を増加させることに貢献することがなかった市場の失敗の例につながるかもしれないが、加えてメディアが伝えないことの中に重大な問題が存在していることも世界的な社会問題に含まれるだろうと考えることがあった。

ワシントンが要求している構造改革プログラムはワシントン・コンセンサスの延長であると考えることが可能であるが、それはアメリカの政治に対する経済力を背景にした覇権的な政治プログラムであり、IMF、世界銀行、アメリカ財務省、多くのワシントンのシンクタンクにより組織されており、サプライサイドの政策、自由貿易、輸出志向の経済政策を含んだニューライト(レーガノミクス、サッチャリズム)以降ずっと継続してきたものであると言及されているが、そのことを主流派メディアで目にする機会が少なかったのは前述のような報道に対する社会厚生を損ねる暗黙の規制が存在しているからであろうか。

ジョセフ・E・スティグリッツによればワシントン・コンセンサスの結果として、西アフリカにおいて国家の役割の縮小を通じ、民間セクターが対応する業績を上げなかったのみならず、数少ない豊かな農家による独占体制が構築されていたこと、ロシアにおける民営化が寡占の出現と市場の歪みや所得の不平等を生み出していたこと、トリクルダウン理論と反対に発展途上国における経済成長が社会的不平等を悪化させていたこと、IMFが金融危機に直面した国々に対して十分な社会政策を採用せずむしろ食糧補助金の廃止を求めていたことは、IMFがワシントン・コンセンサスを目的として理解するよりむしろ手段として理解していたことや、ワシントン・コンセンサスが完全競争や完全情報を含む理想論に基づいており、発展途上国にとってはほとんどその現実との関連がなかったことの結果になるとされており、政策を適切に実施するとは単なる手続きの問題ではなくその趣旨を十分に反映させることが求められている現状を、日本国内における制度の運用と対比させることがあった。

マイケル・スペンスによれば、貧困を削減するために強い国家が必要であるとされており、そしてIMFによれば、不況を避けるために財政赤字を含む予算を編成し、社会保障のために支出を増加し、資本移動に対して課税する必要があることが認識されており、一部に関して勧告を促していたことは、エコノミストや政策立案者たちによれば、ワシントン・コンセンサスが不完全であり、「第一世代」のマクロ経済的そして貿易に関する改革から離れて生産性を向上する改革や貧困層を直接支援するプログラムに強くフォーカスすることへシフトする必要があることに対する合意が存在していたからであり、投資環境を改善し、官僚的形式主義を取り除き(特に小規模な企業において)、制度を強化し(司法システムのような分野において)、メキシコやブラジルのような国々で採用された条件付き所得移転プログラムを通じて直接貧困と闘い、初等・中等教育の質を高め、技術を開発し吸収する国の効率を向上させ、ラテンアメリカの先住民やアフリカ系人口集団を含む歴史的に恵まれない集団の特別なニーズにどれだけ対応できるかといった現在の「第二世代の」ワシントン・コンセンサスを巡る議論にシフトしているからであろうと考えることがあった。

2009年のG20ロンドン・サミットでゴードン・ブラウンが「古いワシントン・コンセンサスは終焉を迎えた」と述べていことや、ジョン・ウィリアムソン自身がワシントン・ポストに対し「ワシントン・コンセンサスが新自由主義として解釈されるならば、(ゴードン・ブラウンの見解は)正しいと思っている」と述べていたことは、前述の議論の背景を説明する言葉になるが、2010年のG20ソウル・サミットがソウル開発コンセンサスにおける合意に達したとき、フィナンシャルタイムズ紙が「文書は終焉を迎えて久しいワシントン・コンセンサスの棺に別の釘を打ち込んでいるにすぎないだろう」と述べていたことを併せて考慮すると、現在のワシントン・コンセンサスを巡る議論は過渡期に相当しているがゆえに、さまざまな状況に展開することが想定されるものの、ダニ・ロドリックによれば、原理主義的な貿易の自由化が経済発展に好ましい影響を及ぼすだろうとは考えられず、一般的なコンセンサスとして、市場原理主義は力を失っているので、2008年の世界金融危機を通じて基本的にはワシントン・コンセンサスは終焉を迎えていたとされる見方に説得力があると思われることがあった。

実証分析を通じて、その量的影響は自由貿易の支持派や反対派によって主張されているよりはるかに小さいとされる見解がある一方で、自由貿易の支持者による「参加国の企業に利益を促し、アメリカの消費者に恩恵をもたらし、安価な外国製品を享受する」との見解で用いられている便益を、例えばラルフ・ネーダーによる「メキシコのような安い労働市場に生産拠点を移すことによって、メキシコの労働者を搾取し、アメリカの労働者階級に害をなす」との見解で用いられている損失と適切に比較することが求められているが、アメリカやヨーロッパからの補助金付きの大量の農産物が、経済的に農業に依存する多くの発展途上国の市場に溢れているとの指摘を考慮すると、自由貿易の思想と現実に進行しているグローバル化による格差の拡大が整合性の取れないものとして説明されているのではなかろうかとの見方に説得力があるかもしれないと考えることがあった。

ノーム・チョムスキー、タリク・アリ、スーザン・ジョージ、ナオミ・クラインのような世界のグローバル化に対する批評家たちは、ワシントン・コンセンサスの処方箋を、先進国の企業による搾取の対象として、発展途上国の経済における労働市場を開放させているにすぎないとみなしており、労働は、ビザや就労許可の要件のために自由に移動することを許されていないことから、発展途上国の経済における安い労働力を用いて財が生産され、第三世界の労働者たちは依然として貧しいままであり、先進国の労働者たちは失業に直面し、多国籍企業の豊かな所有者たちはさらに豊かになっているとの彼らの見解が、ラテンアメリカに大きな経済のブームをもたらさず、深刻な経済危機や対外債務を残したことの背景に付け加えられるかもしれないが、多くの発展途上国におけるインフレーションは現在数十年間にわたって最も低いレベルにあり(ラテンアメリカの多くでは一桁になる)、外国投資によって生み出された工場の労働者たちは彼らの自国の労働条件よりも高い賃金とより良い労働環境を手にしていると見られており、ラテンアメリカの多くにおける経済成長は歴史的に高い水準にあり、経済規模と比較した債務残高は概して数年前より低い水準にあったとされる見方が一方で存在していることと適切に比較される必要もあるだろう。

実際のところマクロ経済の指標の改善にもかかわらず、貧困と不平等はラテンアメリカで高い水準に留まっており、約3人に1人の人々つまり全体で1億6500万人の人々が1日につき$2以下で生活しており、同様の割合の人口が電気や基本的な衛生に対するアクセスを有しておらず、推定1000万人の子供が栄養失調に苦しんでいた事実や、国家主導の輸入代替や市場志向型の自由化の時代にあっても経済的に不平等な地域であり続けていた事実を考慮すると、ホルヘ・タイアナが2005年8月16日に国営通信であるテラムとのインタビューの中でワシントン・コンセンサスを批判しており、「南半球のかなりの数の政府が1990年代にこれらの政策を採用したときの前提を再検討している」と述べていたことが、前述の「第一世代の」ワシントン・コンセンサスに対するいくつかの改善点へと導くことになったのであろうかと考えることがあった。

他方で「第一世代の」ワシントン・コンセンサスにせよ「第二世代の」コンセンサスにせよ、たまたま現在存在していたにすぎない既得権益に配慮した制度であり、政治的権力を獲得し、地域において労働搾取を維持することに対して強い関心を有している小規模で、裕福で、地域に根差したエリートの繁栄を確保するメカニズムであるとの批判や、スティグリッツによる「第一世代の」ワシントン・コンセンサスに基づく政策の背景にある市場原理主義的なイデオロギーが終焉を迎えたものとしての認識は妥当であろうと考えることがあり、前回の記事でも述べた通り間違った経済政策の歴史を学ぶ必要性に変化が生じている訳ではない。

前回同様これが全てであるとは言及しないが、アメリカ、フランス、ドイツのWikipediaの「ワシントン・コンセンサス」の項目を訳すことにより上記の知見をサポートすることにする。URLは以下に示されるとおりになる。

http://en.wikipedia.org/wiki/Washington_Consensus

ワシントン・コンセンサス

ワシントン・コンセンサスといった用語は1989年にエコノミストであるジョン・ウィリアムソンによって造られ、ワシントンD.C.に基づいた機関である国際通貨基金(IMF)、世界銀行、アメリカ財務省によって危機に直面した発展途上国の経済を促進させるための「標準的な」改革パッケージを構成すると考えられていた比較的特定化された経済政策の処方箋のセットを説明していた[1]。処方箋は、マクロ経済の安定化、貿易や投資における経済の開放、国内経済における市場の拡大のような分野における政策を含んでいた。

ウィリアムソンの研究の後、ワシントン・コンセンサスといった用語は副次的なより広い意味で一般的に用いられるようになり、強い市場ベースのアプローチに対するより全体的な方向性(時として軽視の意味を込めて市場原理主義や新自由主義と呼ばれている)を参照していた。一部の著者たちが示唆するように、政策の処方箋が(用語の意味を広く解釈するのかそれとも狭く解釈するのかを含めて)特に影響力を有していた時代に普及していた歴史的意味を込めて、ワシントン・コンセンサスといった用語は時として同様に用いられていた。彼の10項目に及ぶ狭く定義された処方箋は主に「存在意義とメリットがある」状態をもたらしていたが(当然広く解釈されている)、「より広い新自由主義のマニフェストは(ワシントンにおける)や他のいかなる場所においてもコンセンサスを得ておらず」、コンセンサスの意義は失われてしまったと今では合理的に語られるようになっていたことをウィリアムソン自身は論じていた。

ワシントン・コンセンサスに関する議論は長い間続いていた。前述されたより広い定義とより狭い定義との対照性に直面して、この問題は用語によって何が意味されているのかについて合意がなされていなかったことを部分的に反映していた(明確なことだが、コンセンサスに対して重要な勧告を含めること(もしくは拒否すること)をさまざな形で主張する国々における成功や失敗に関しかなりの議論があったが、ほとんどはコンセンサスに至らなかった)。しかし同様に内在する実質的な違いもあった。この記事で論じられている批評の一部は、例えば、グローバル・マーケットに発展途上国を開放することに対するワシントン・コンセンサスの強調や、国家の重要な機能を犠牲にして、彼らが国内の市場要因の影響力を強化することを過度に強調したものとして眺めているものに反対していた。以下で論じられる他のコメンテーターにとって、社会的に最も弱い立場にある人々のための機会を改善するための制度構築や目標に向かう努力のような分野を含めて、問題点は、コンセンサスの中で語られているものより語られていないもののほうに多く存在していた。これらの分野の議論にもかかわらず、かなり多くの著者たちや開発組織は今日では、すべての場面に当てはまる唯一の対処法よりむしろ、個々の国々の特定の状況に当てはまる戦略の必要性といったより一般的な提案を受け入れていた。

1 歴史

1.1 用語の本来の意味:ウィリアムソンによる10のポイント

ワシントン・コンセンサスという概念と名前は、ワシントンD.C.にある国際的な経済シンクタンクである国際経済研究所のエコノミストであるジョン・ウィリアムソンによって1989年に発表された[1]。国際通貨基金、世界銀行、アメリカ財務省のようなワシントンに本拠を置く機関による政策の助言における一般的に共有されたテーマを要約するためにウィリアムソンはその用語を用い、それは1980年代の経済・金融危機からラテンアメリカを回復させるために必要であると信じられてきた。

本来ウィリアムソンによって述べられていたコンセンサスは比較的特定された政策勧告の10に及ぶ広範なセットを含んでいた[1]。

GDPと比較して大きい財政赤字を避けるような財政政策の規律。

公共支出を補助金(特に無差別な補助金)から初等教育、医療サービス、インフラ投資のような重要な成長指向、貧困対策指向の広範な提供に向けること。

税制改革に関し、課税ベースを拡大し、適度な限界税率を採用すること。

利子率は市場によって決定され、実質ベースでプラスであること(しかし適度であること)。

競争に基づく変動為替レートの採用。

貿易の自由化:量的制限(認可等)を取り除くことを特に強調した輸入の自由化、低率で比較的均一な関税による貿易の保護。

国内への外国からの直接投資の自由化。

国営企業の民営化。

規制緩和:安全、環境や消費者保護の立場、金融機関の健全性の監督を正当化するものを除いて、市場参入を妨げ、競争を制限する規制の廃止。

財産権の法的保障。

ウィリアムソンによる対処法は政策課題を進める上でワシントンに本拠を置く機関の役割を強調しているが、多くの著者たちは、ラテンアメリカの政策立案者たちは彼らの国々に対する彼ら自身の分析に本来基づいた彼ら自身の政策改革のパッケージを有していることを強調していた。このように『市場対国家』の著者であるジョゼフ・スタニスローとダニエル・ヤーギンによれば、ワシントン・コンセンサスの中に記述されている政策の処方箋は「地域の中と外で生じたものに対応して、ラテンアメリカの中でラテンアメリカ人によって展開されていた」[2]。ジョセフ・スティグリッツは「ワシントン・コンセンサスに基づく政策はラテンアメリカの実際の問題に対処するために設計されており、非常に意味がある」と記していた(しかしスティグリッツはその時発展途上国に適用されたIMFの政策を辛口に批評していた)[3]。政策が本来外部からもたらされるワシントン・コンセンサスという用語によって伝えられる含意を眺めると、スタニスローやヤーギンは、用語の生みの親であるジョン・ウィリアムソンが「それ以来その用語を後悔しており」、「外交的なスローガンでないと考えることが難しくなった」と述べていたと伝えていた[4]。

ナンシー・バーズオール、アウグスト・デラ・トーレ、フェリペ・バレンシア・カイセドによる2010年の論文は同様に、本来のコンセンサスの中にある政策は主にラテンアメリカの政治家やテクノクラートによってもたらされたものであり、ウィリアムソンの役割は政策のパッケージを形成するよりむしろ、初めて1つの場に10のポイントを集めたことにあったことを示唆していた[5]。

2002年のウィリアムソン自身の言葉:

用語の生みの親にとって「ワシントン・コンセンサス」というフレーズがブランド名に被害を与えたことを否定することは困難であった(ナイム,2002)。世界中の人々が、これがワシントンに本拠を置く国際金融機関によって不運な国々に課され、それらの国々に危機と惨事を導いた一連の新自由主義的政策を意味していたことを信じているように思われていた。そして口角泡を飛ばすことなくその用語を口にできない人々が存在していた。

私自身の見解はもちろん全く異なっている。ワシントン・コンセンサスに集約しようとした基本的な考え方は、ルーラが当選するために支持を集めたように、過去10年においてより広範な支持を獲得し続けていた。大部分において、それらは存在意義やメリットを有しており、そういう理由でそれらはコンセンサスを強制していた[6]。

1.2 用語の広い意味

ウィリアムソンは、その用語が彼の元々の意味とは異なる意味で一般的に用いられていることを認識していた。より広い市場原理主義(もしくは新自由主義)に基づく政策課題を扱うための当初の対処法の後一般的になったその用語の代替的な使用に彼は反対していた[7]。

私はもちろん、私の用語が資本の自由化(...意識的に除外していた)、マネタリズム、サプライサイド経済学、最小国家(福祉の提供や所得の再分配を除外した国家)のような政策を含める意図をもっておらず、それらを私は本質的に新自由主義の考え方とみなしていた。もしそのようにその用語が解釈されるならば、私たちはみなそう意識することができるが、私たちは少なくともこれらの考え方がワシントンではめったに支配的になることがなく、そこであれどこであれコンセンサスを強制したことはないといった良識を有している...[6]。

具体的にはウィリアムソンは、彼の10の処方箋の内最初の3つは経済コミュニティーの中では議論の余地がないと論じていたが、一方他はいくらかの論争を引き起こしていることを認識していた。彼は、最も論争を引き起こしていない処方箋の1つである、支出をインフラ、医療、教育へ向けることがしばしば無視されていると主張していた。彼は同様に、その処方箋が政府のある機能を縮小する(生産的な企業を所有者にする)ことを強調している一方、同様に教育や健康を支援するような他のアクションを実施する政府の能力を強化していると論じていた。ウィリアムソンは、市場原理主義を支持せず、もし正確に実施されるなら、コンセンサスによる処方箋は貧困層に対して有益となるだろうと考えていると述べていた[8]。2003年にペドロ=パブロ・クチンスキーと編集した著作の中で、ウィリアムソンは拡大された改革計画を打ち出し、経済危機の証拠、「第二世代の」改革、不平等や社会問題に言及する政策を強調していた(クチンスキー,ウィリアムソン,2003)。

ワシントン・コンセンサスという用語は、1970年代のケインズ主義に代えて自由市場政策に全般的にシフトすることを把握するために用いられていた。この広い意味では、ワシントン・コンセンサスは時として約1980年頃に始まったと考えられていた[9][10]。特にもし用語を広い意味で解釈するならば、多くのコメンテーターたちはそのコンセンサスは1990年代に最も影響力があったと考えていた。一部はそのコンセンサスは世紀の変わり目に終焉を迎え、少なくとも約2000年以降影響力が小さくなったと主張していた[5][11]。さらに一般的なことを言えば、コメンテーターたちはそのコンセンサスは2008年から2009年の世界的な金融危機の頃まで影響力を保持していたことを示唆していた[10]。市場の失敗に対して政府が実施する強力な介入により、多くのジャーナリスト、政治家、世界銀行のような国際機関の高官はワシントン・コンセンサスは終焉を迎えたと言い始めていた[12][13]。これらはイギリス前首相であるゴードン・ブラウンを含み、彼は2009年のG20ロンドン・サミットで「古いワシントン・コンセンサスは終焉を迎えた」と述べていた[14]。ウィリアムソンは2009年4月にワシントン・ポストから、ワシントン・コンセンサスは終焉を迎えたとのゴードン・ブラウンに彼が同意するかどうかを尋ねられ、こう回答した。

それは人がワシントン・コンセンサスによって何を意味するかに依存している。もし人が私によって輪郭を示された10のポイントを意味しているならば、それは明らかに正しくない。もし人が著名なジョセフ・スティグリッツを含む多くの人々が新自由主義のような意味を押しつける解釈を用いているならば、私はそれは正しいと思っている[15]。

2010年のG20ソウル・サミットがソウル開発コンセンサスにおける合意に達したことを発表した後、フィナンシャルタイムズ紙は「開発に対するその実践的かつ多元的な視点は十分に魅力的である。しかし文書は終焉を迎えて久しいワシントン・コンセンサスの棺に別の釘を打ち込んでいるにすぎないだろう」と述べていた[16]。

2 背景

IMFや世界銀行から融資を受けるために条件として課された改革のパッケージのさまざまな部分を実施しようと多くの国々が労力を重ねていた[9]。これらの改革の成果は非常に議論を呼んでいた。一部の批評家は改革が不安定化につながったという主張を強調していた[17]。一部の批評家は同様に、アルゼンチン経済危機(1999–2002)のような特定の経済危機に対して、ラテンアメリカの経済的不平等を悪化させるとして、ワシントン・コンセンサスを批判していた。ワシントン・コンセンサスに対する批判はしばしば社会主義や反グローバリズムとして片付けられてきた。これらの理念はこれらの政策を批判していた一方、そのコンセンサスに対する経済学からの一般的な批判が現在広く確立しており、例えばハーバード大学の国際政治経済学の教授であるダニ・ロドリックの論文である『さようならワシントン・コンセンサス、ようこそワシントンの困惑へ』などで概説されていた[18]。

そのコンセンサスを形成していた機関は主にグローバル化をめぐる政治的圧力により2000年代にはこれらの政策に対する主張を軟化させ始めていたが、一般的なコンセンサスとしてのこれらの考え方に対する言及は、市場原理主義が力を失っていたので、2008年の世界金融危機の頃には基本的に終焉を迎えていた。しかし、コアとなる特定の政策の大半が今なお一般的に好意的にみなされているものの、その政策は深刻な経済危機を防止することも緩和することもないと見られていることが留意されるべきである。1990年代後半のアジア通貨危機の間に韓国が受け入れることを強制された新しい種類の介入プログラムを造り上げた韓国とIMFの作業の中でこのことはおそらく最も顕著であった。ワシントン・コンセンサスに基づくその介入は「アジアの連鎖反応」を止めたためにその時は賞賛されていたが、結局のところそのプログラムはさらに懐疑的に見られるようになっていた。

ウィリアムソン自身は多くの国々における成長、雇用、貧困の削減に対する全体的な結果を「控え目に言っても、失望に耐えない」とまとめていた。彼はこの限定的な影響を3つの要因に帰していた。(a) コンセンサス自体は経済危機を回避するためのメカニズムを特に強調しておらず、そのことは非常に有害となりうることを示していた。(b) 彼の記事に記載されていた政策と、さらに有力な理由になる、実際に実施された政策の双方を通じた改革は不完全であった。(c) 採用された改革は所得分配を目標にした改善について不十分な意欲しか示しておらず、この方向性に沿ったより強力な努力によって実施される必要があった。しかし元々の10の処方箋を放棄するための議論よりむしろ、ウィリアムソンはそれらが「存在意義とメリットを有しており」、「議論する必要はない」と結論づけていた[6]。ウィリアムソンや他のアナリストたちは、チリのような関連する政策の変更を一貫して採用している多くの国々における経済のパフォーマンスの長期における改善を指摘していた。

ウィリアムソンが指摘していたように、用語は市場原理主義や新自由主義に対する同意語として元々の意図に対してより広い意味で用いられるようになった。このより広い意味で、ウィリアムソンはジョージ・ソロスやノーベル賞受賞者であるジョセフ・E・スティグリッツのような人々によって批判されていたと述べていた[8]。ワシントン・コンセンサスは同様にラテンアメリカの政治家のような他者やエリック・レイナートのような正統でない経済学者たちによって批判されていた[19]。その用語は一般的に新自由主義政策に関連しており、国々の国家主権に関わりながら、自由市場、国家に対する制約、アメリカの影響力の役割の拡大やより広範なグローバル化についての幅広い議論の中に描かれていた。

「安定化、民営化、自由化」は発展途上国で最初の経験を積んだテクノクラートや彼が助言した政治的リーダーの世代にとってのスローガンになっていた[18]。—ダニ・ロドリック、ハーバード大学国際政治経済学教授、12月6日、JELにて。

意見が経済学者の間で異なる一方、ロドリックは事実におけるパラドックスであると彼が主張するものについて指摘していた。中国やインドが限られた範囲で自由市場の力に対する経済的依存度を増している一方、彼らの全般的な経済政策はワシントン・コンセンサスに基づいた主な勧告と正反対であった。両国は1990年代を通じて高いレベルの保護主義、民営化に積極的でない姿勢、大規模な産業政策の立案、緩慢な財政・金融政策を採用していた。もし両国が失敗していたならば、両国は勧告されるワシントン・コンセンサスに基づく政策を支持する強い証拠を示していただろう。しかしながら両国は成功していることが判明していた[20]。ロドリックによれば「支持者や懐疑論者によって示される教訓は異なっている一方、誰も本当にこれ以上ワシントン・コンセンサスを信じていないことは明白だった。問題は今やワシントン・コンセンサスが終焉を迎えたのか、まだ有効であるのかではなく、何がワシントン・コンセンサスに取って代わるのかになった」[18]。

1990年代の中国やインドにおけるロドリックの説明は普遍的に受け入れられていなかった。とりわけこれらの政策は国内外において市場の力に大きく依存する方向へ舵を切っていたことを含んでいた[21]。

2003年にペドロ・パブロ・クチンスキーとともに編集した著作の中でジョン・ウィリアムソンは、経済危機の証明、「第二世代の」改革、不平等や社会問題に対処する政策を強調し、改革計画の拡大を打ち出していた。

3 マクロ経済の改革

政府によるワシントン・コンセンサスの広範な普及は、1980年代を通じラテンアメリカや他の発展途上の地域を襲ったマクロ経済上の危機に対する大規模な反応だった。危機の理由は複数存在しており、OPECの出現による輸入石油価格の高騰、対外債務の増加、アメリカの金利の高騰(国際的な要因になるが)、上記の問題に対する結果としての追加的な対外債権へのアクセスを失ったことが挙げられていた。数十年間ラテンアメリカや他の場所の多くの発展途上国によって追求されてきた輸入代替政策は、輸入石油に対する追加的な費用に対しすばやく支払うための輸出を拡大するには準備不足の経済だった(対照的により輸出指向型の戦略を続けていた東アジアの多くの国々はさらに輸出を拡大することを比較的容易にしており、経済的、社会的混乱を少なくして外的ショックに対応していた)。さらに外部から借り入れることも容易に輸出から利益を上げることもできず、多くのラテンアメリカの国々は大きな財政規律を通じて国内需要全体を縮小することに対する維持可能な選択肢を獲得しておらず、一方並行して、保護主義を縮小し、経済の輸出志向を強化する政策を採用していた[22]。

4 貿易の自由化

ウィリアムソンによるワシントン・コンセンサスは主に貿易改革の一方的なプロセスを想定しており、それによって国々は(特に)関税や非関税障壁を低下させていた。ラテンアメリカを含む多くの国々はその後数年にわたって非常に一方的な貿易の自由化を実施しており、より大きな輸入競争に経済を開放し、同時にGDPにおける輸出品のシェアを増加させていた(並行して世界の貿易に占めるラテンアメリカのシェアは同様に増加していた)。

ウィリアムソンによるワシントン・コンセンサスに関連した別の議題は、世界(WTO)や地域レベルであれ、多国間貿易自由化のためのさまざまなプログラムに関心があり、北米自由貿易協定(NAFTA)や米・中米・ドミニカ共和国自由貿易協定(DR-CAFTA)を含んでいた。

4.1 NAFTAやDR-CAFTA

1990年代初頭のアメリカ大陸における地域貿易の自由化について、アメリカ大統領であるジョージ・H・W・ブッシュは北米自由貿易協定(NAFTA)として知られるようになるアメリカ・メキシコ・カナダによる自由貿易についての提案を策定し始めていた。NAFTAは後にブッシュの後継者であるビル・クリントンによって法案に署名され、北米の3ヶ国はお互いの財に対する関税を縮小し、徐々に廃止することに合意しており、その政策はそのコンセンサスに完全に沿ったものだった。大統領であるジョージ・W・ブッシュはNAFTAを支持し続け、彼の政権はドミニカ共和国や中央アメリカと米・中米・ドミニカ共和国自由貿易協定として知られる類似の協定を交渉し、それは2005年にアメリカ議会で承認された。

NAFTAやDR-CAFTAの支持者たちは、それらが参加国の企業に利益を促し、アメリカの消費者に恩恵をもたらし、安価な外国製品を提供することを指摘していた。政治的左派(特に労働組合運動における同盟やラルフ・ネーダーのような反グローバリゼーション左派を含む)と政治的右派(特にパトリック・J・ブキャナンによって示されたナショナリストや移民排斥主義者の主張)の双方を含む批評家は、メキシコのような安い労働市場に生産拠点を移すことによってアメリカの労働者階級に害をなすとして協定を批判しており、そのような移転はメキシコの労働者を搾取する結果となると伝えていた。逆にアメリカからの補助金付きの大量の農産物が経済的に農業に依存している多くの国々の市場に溢れていた。

実証研究はアメリカ経済に対するこれらの貿易協定の量的影響は支持者や批判者による予測よりもはるかに小さいことを見出していた[23]。

民主党の大統領であるビル・クリントンがNAFTAに署名し、共和党の大統領であるジョージ・W・ブッシュがCAFTAに署名する一方、これらの協定に対するアメリカ議会のその後の支持は党派色の強いものだった。ほとんどの共和党員はその協定に賛成であり、ほとんどの民主党員はその協定に反対しているか、修正を求めており、例えば環境保護や労働者の権利に関して強力な規程を付け加えていた。

5 ワシントン・コンセンサスに基づく政策に対する批判

ほとんどの批判は貿易の自由化や補助金の撤廃に焦点を当てており、批判は特に農業部門を強調していた。しかしかなり天然資源を保有する国々での批判は産業の民営化やこれらの資源の搾取に焦点を当てる傾向があった。

その政策はもともと主にラテンアメリカに対する保守的な対応として考えられていたが、2010年のように、いくつかのラテンアメリカの国々は社会主義者や他の左派政権によって率いられ、アルゼンチンやベネズエラを含むいくつかの国々はワシントン・コンセンサスに反対する政策(ある程度は採用されていた)を肯定する運動を続けていた。ブラジル、チリ、ペルーを含む左派政権である他のラテンアメリカの国々はウィリアムソンのリストに含まれる政策群を採用していたが、これらがしばしば関連している市場原理主義を批判していた。同様にジョセフ・スティグリッツやダニ・ロドリックのような一部のアメリカの経済学者はIMFによって実際に行われていた政策を批判しており、彼らは、IMFやアメリカ財務省の「原理主義的な」政策として示されるものに対して、時として、スティグリッツが個々の経済に対する「すべての場面に当てはまる唯一の対処法」と呼んでいる政策を理由にして、疑問を投げかけていた。スティグリッツによれば、IMFによって提案される対処法は非常に単純すぎており、優先順位を付け、副作用を確認することなく、安定化、自由化、民営化を1回行えばすぐに効き目が現れるといったものではなかった[24]。

改革は彼らが意図した通りにいつも機能しなかった。一般的に成長はラテンアメリカではかなり改善されているが、大半の国々では改革者たちがもともと期待していた以下の成果に止まった(上述される「移行の危機」は以前の社会主義経済の一部で期待されたより深く長く続くものになった)。1990年代におけるサハラ以南のアフリカでのサクセスストーリーは比較的少数のやや極端な例になり、彼ら自身による市場志向の改革は大陸が巻き込まれた増大する公衆衛生上の緊急事態に対処する方法を示唆するものではなかった。批評家は一方、失望させる結果は標準的な改革に対する計画の不適切さに関する懸念の正しさを立証していると主張していた[25]。—ハーバード大学教授、ダニ・ロドリック

批判は1990年代の経済成長に関する世界銀行の研究に対して行われていた。『改革の10年から学ぶこと』(2005)はワシントン・コンセンサスのもともとの考え方からどれほどかけ離れた議論が行われてきたかを示していた。世界銀行のアフリカ担当副総裁であるゴビン・ナンカーニはこう序文に記していた。「唯一の普遍的なルールといったものは存在していない....私たちはルールや達成しにくい「最善の実施状況」を模索することから離れる必要がある....」(p. xiii)。世界銀行は、謙虚さ、政策の多様性、選択的で適度な改革、実験性を必要としていることを強調していた[27]。

『改革から学ぶこと』という世界銀行のレポートは1990年代に行われた一部の開発を示していた。共産主義から市場経済に移行している一部の国々(しかしすべてではない)の産出において深く長期化した崩壊の過程が存在していた(中欧や東欧の国々の多くは対照的に比較的早く調整を行っていた)。10年以上もの移行過程において、以前の共産主義の国々の一部、特に旧ソ連の一部は1990年の産出水準に追いついていなかった。政治改革の努力や政治的、外的環境の変化にもかかわらず、多くのサハラ以南のアフリカ諸国は1990年代に経済を軌道に乗せることに失敗し、多量の対外援助の流入に頼っていた。ウガンダ、タンザニア、モザンビークはいくらかの成功を示した諸国に含まれていたが、安定した成功ではなかった。ラテンアメリカ、東アジア、ロシア、トルコにおいては成功をともなうが痛ましい金融危機が存在していた。1990年代前半のラテンアメリカの回復は後半の危機によって中断されていた。1950-80年代における世界経済の戦後の急速な拡大や幕開けと比較すると、ラテンアメリカにおける1人あたりのGDPの成長は小さいものだった。「ラテンアメリカの経済改革におけるイメージキャラクター」として描かれていたアルゼンチンは2002年に崩壊を迎えていた[27][28]。

世界的な金融危機の他の結果の中には、定型的なアプローチより適した地域開発のモデルの意義に対する信念を強化していたことが挙げられていた。この学派の思想の要素として、国家はそれ自身の発展や改革の経路を見出す必要があることを示唆している「北京モデル」の考えが挙げられていた。

5.1 反グローバリゼーション運動

ノーム・チョムスキー、タリク・アリ、スーザン・ジョージ、ナオミ・クラインのような貿易自由化の批評家たちはワシントン・コンセンサスを先進国の企業による搾取の対象として発展途上国の経済における労働市場を開放することであるとみなしていた。関税や他の貿易障壁の縮小は市場の力により国境を越えた財の自由な移動を許容していたが、労働はビザや就労許可の要件のために自由に移動することが許されていなかった。このことは発展途上国の経済における安い労働力を用いて財が生産され、その後豊かな世界経済に輸出されるといった経済環境を生み出しており、批評家たちはそこに大企業によって蓄積される安価な賃金に対して不釣り合いで膨大な上乗せ価格が存在していると主張していた。批判は、貿易自由化以前と比較しその賃金の上昇はインフレによって相殺されているので、第三世界の労働者たちは貧しいままであり、先進国の労働者たちは失業に直面している一方で、多国籍企業の豊かな所有者たちはさらに豊かになっていったといったことになる。

反グローバリゼーションの批評家たちは、世界銀行や国際通貨基金を通じたり政治的圧力や賄賂によって、先進国が、批評家たちがそのコンセンサスの新自由主義的政策として描かれているものを、経済的に脆弱な国々に課していると主張していた。彼らは、ワシントン・コンセンサスは事実ラテンアメリカに大きな経済のブームをもたらしておらず、むしろ深刻な経済危機や先進国に恩義を感じている国に対し与えられていた損害を与えうる対外債務を導いていた。

多くの政策の実施(例えば、国有企業の民営化、税制改革、規制緩和)は、政治的権力を獲得し、同様に地域における事実上の労働搾取を維持することに強い関心を有している小規模で、裕福で、地域に根差したエリートの繁栄を確保するメカニズムであるとして批判されていた。

上述された批判に対するいくつかの特定の事実に基づく前提は、ワシントン・コンセンサスの支持者たちもしくは事実すべての批評家によって受け入れられていなかった。いくつか例を挙げれば[29]、多くの発展途上国におけるインフレーションは現在数十年間にわたって最も低いレベルにある(ラテンアメリカの多くでは一桁になる)。外国投資によって生み出された工場の労働者たちは彼らの自国の労働条件よりも高い賃金とより良い労働環境を手にしていると一般的に見られている。過去数年におけるラテンアメリカの多くにおける経済成長は歴史的に高い水準にあり、経済規模と比較した債務残高は概して数年前より低い水準にあった。

これらのマクロ経済の指標の改善にもかかわらず、貧困と不平等はラテンアメリカで高い水準に留まっていた。約3人に1人の人々つまり全体で1億6500万人の人々が1日につき$2以下で生活していた。約3分の1の人口が電気や基本的な衛生に対するアクセスを有しておらず、推定1000万人の子供が栄養失調に苦しんでいた。しかしながらこれらの問題は新しいものであった。1950年にラテンアメリカは世界で最も経済的に不平等な地域であり、国家主導の輸入代替や市場志向型の自由化の時代にあってもそうであり続けていた[30]。

一部のラテンアメリカの社会主義的政治のリーダーは反対の声を上げ、ワシントン・コンセンサスに対する有名な批評家になっており、例えばベネズエラ大統領のウゴ・チャベス、キューバの元国家評議会議長であるフィデル・カストロ、ボリビア大統領のエボ・モラレス、エクアドル大統領のラファエル・コレアが挙げられる。アルゼンチンでも同様に最近のペロン党政権のネストル・キルチネルは少なくともいくつかのワシントン・コンセンサスに基づく政策を否定する政策を実施していた(継続中の議論を参照せよ)。

ラテンアメリカの他の左派は違ったアプローチを採用していた。チリの社会党、ペルーのアラン・ガルシア、ウルグアイのタバレ・バスケス、ブラジルのルーラによって導かれた政府はワシントン・コンセンサスで説明される経済政策の継続を実際強力に維持していた(債務支払い、外国投資の保護、金融改革等)。しかしこの種の政府は同時に、教育改革や子供を学校に通わせている貧しい家庭への補助金のように貧困層を援助し、生産性を改善する狙いを有する措置によってこれらの政策を補完していた。

5.2 ネオ・ケインジアンによる批判

ワシントン・コンセンサスに対するネオ・ケインジアンやポスト・ケインジアンの批評家たちは、基礎となる政策が不適当に実施されており、あまりにも厳格すぎて成功することができないと主張していた。例えば柔軟な労働法は新規の雇用を創出すると想定されていたが、経済的な証拠はこの点において否定的であった。さらに一部は、政策のパッケージは国々の間における経済的そして文化的違いを考慮していないと主張していた。一部の批評家は、急激な経済成長の時期においてはそうであるが、たいていの場合、特に経済危機の時期においてはそうでないように、この一連の政策は実施されるべきであると主張していた。

『外交政策』の編集長であるモイセス・ナイムは当初は「コンセンサス」など存在していなかったと論じていた。彼は何が「適当な経済政策」かについてエコノミストの間で大きな違いが存在しており、これゆえコンセンサスの考え方も同様に欠陥を抱えていたと主張していた。

6 アルゼンチン

1999–2002年のアルゼンチンにおける経済危機はしばしば、ワシントン・コンセンサスの援用によってもたらされた経済的惨状の例として示されていた。アルゼンチンの筆頭外務副大臣であるホルヘ・タイアナは2005年8月16日に国営通信であるテラムとのインタビューの中でワシントン・コンセンサスを批判していた。そのような政策に対する本当のコンセンサスが存在していたことはないと彼は述べ、今日「南半球のかなりの数の政府が1990年代にこれらの政策を採用したときの前提を再検討している」と述べ、政府は生産的な雇用と本当の富の創出を保障する発展モデルを模索していると付け加えていた[2]。

しかしながら多くのエコノミストは、アルゼンチンの失敗がワシントン・コンセンサスに密着していたからであるとの見方に疑念を抱いていた。財政収支を効果的にコントールすることに失敗し、一層競争性を失わせていった独特の固定為替レート体制の採用(ドル等との交換性を維持する)はコンセンサスの中心的な条件に反しており、マクロ経済の崩壊に道を開いていた。初期のメネムとカバロ政権における市場志向の政策は一方ですぐに国内の政治的制約に直面し力を失っていった(メネムの再選を考慮した対応を含んでいる)[31]。

1998年10月にIMFは理事会の年次総会にアルゼンチン大統領であるカルロス・メネムを招き、アルゼンチンの経験について話を聞いた[32]。メネム政権の経済政策(ドル等との交換性を維持する)の立案者であり、メネム大統領の経済相(1991–1996)であるドミンゴ・カバロは、アルゼンチンは当時「IMF、世界銀行、アメリカ政府の最も良い教え子として考えられていた」と主張していた。

1998年後半にアルゼンチンはブレイディ構想の中で債務を再建した国々の中で最も成功した経済であるとワシントンの中で考えられていた。ワシントン・コンセンサスのスポンサーのいずれもアルゼンチンの経済改革が10の勧告と異なっていると指摘することに関心をもっていなかった。反対にアルゼンチンはIMF、世界銀行、アメリカ政府の最も良い教え子として考えられていた。—ドミンゴ・カバロ、前アルゼンチン経済相(1991–1996)[33]。

固定為替レートのメカニズムに対する信任にともない生じた問題は1990年代の経済成長に関する世界銀行のレポートの中で議論されていた。『改革の10年から学ぶこと』は期待が「政府によってプラスの影響を受けているかどうか」について疑念を投げかけていた。1990年代初頭に、外国為替問題から政府の裁量を完全に取り除くことを市場の参加者に再確認させるために、国家は固定為替レートか変動為替レートに移行すべきであるといった見解が存在していた。アルゼンチンの崩壊後、一部のオブザーバーは大きなペナルティを課すメカニズムを創出することにより政府の裁量を取り除くことは反対に実際期待を損なってしまうかもしれないと考えていた。ベラスコとニュート(2003)[34]は、「もし世界が不確実であり、裁量の欠如が大きな損失を招く状況が存在しているならば、事前にコミットする仕組みは事態を悪化させてしまうことになるだろう」と主張していた[35]。レポート(金融自由化:何が正しく、何が悪かったのか[35])の第7章で、世界銀行はアルゼンチンで何が悪かったのかを分析しており、経験からの教訓を要約し、将来の政策に対する示唆を描いていた[35]。

IMFの独立評価機関はアルゼンチンの教訓の再検討に言及しており、以下のように要約していた。

アルゼンチンの危機はIMFにとって多くの教訓を示唆しており、その一部はすでに学び取られ、改訂された政策や手続きに組み込まれていた。この評価は、監視やプログラムの設計、危機管理、意思決定のプロセスの分野における10の教訓を示唆していた[36]。

マーク・ワイズブロットは最近、前大統領であるネストル・キルチネルの下でのアルゼンチンはワシントン・コンセンサスの採用を中止しており、このことは経済に対して重要な改善を促していたと述べていた。そして一部はエクアドルがすぐに続くかもしれないと付け加えていた[37]。しかし(しばしば本質的に公益事業体のような外国からの投資を受けた企業を対象にしていた)価格コントロールや同様の行政措置に対するキルチネルの信頼は明らかにワシントン・コンセンサスの精神に反しており、事実彼の政権は極端に引き締められた財政政策に反対しており、競争的な変動為替レートを維持していた。アルゼンチンはすぐに危機から立ち直り、債務を放棄し、一次産品の偶然のブームを支援し、長期にわたる維持可能性に対して未解決の問題を残すことになった[38]。エコノミストは、ネストル・キルチネル政権がアルゼンチンにおけるポピュリズム政権の長い歴史の一幕として終わるだろうと述べていた[39]。2008年10月にキルチネルの妻であり大統領の後継者であるクリスティーナ・キルチネルは、メネムとカバロにより実施された民営化されたシステムから年金基金を国有化する意思を発表した[40]。そして経済的パフォーマンスに対する不正確なプラスの評価を生じさせるためにキルチネルの下での(最も悪評を買ったのはインフレに対してだが)政府統計の操作に対する批判が生じていた[41]。

2003年に当時のアルゼンチンの大統領であるネストル・キルチネルとブラジルの大統領であるルーラ・ダ・シルヴァは、ワシントン・コンセンサスの政策に反対するマニフェストである「ブエノスアイレス・コンセンサス」に署名していた[42]。しかし懐疑的な政治のオブザーバーは、公的発言としてのルーラのレトリックは彼の政権が実際に実施した政策と区別されるべきであると述べていた[43]。このことは、ルーラ・ダ・シルヴァが2年先にIMFにブラジルの債務のすべてを支払い、2005年にキルチネルの政府も同様のことを行ったことを伝えていた。

7 マラウイの農業助成金

ワシントン・コンセンサスに対する一部の批評家は、パッケージの処方箋にある欠陥を例示している農業補助金に関するマラウイの経験を引用していた。数十年間、世界銀行や債権国はアフリカの農業国であるマラウイに農家への政府による肥料補助金を削減するように圧力をかけていた。世界銀行の専門家は同様にマラウイの農家に対して輸出するために換金作物を栽培するようシフトし、食料を輸入するために外貨収入を利用するよう促していた[44]。長年にわたりマラウイは飢餓の危機に瀕しており、特に2005年におけるトウモロコシの壊滅的な減収の後、1300万人の内ほとんど500万人の人々が緊急食料援助を必要としていた。マラウイの新大統領であるビング・ワ・ムタリカは当時政策を逆にすることを決定していた。手厚い肥料補助金(種子あたり小さな額になる)の導入は良い雨量に助けられながら2006年や2007年において記録的なトウモロコシを生産するよう農家を支援しており、トウモロコシの生産量は2005年の120万トンから2006年の270万トン、2007年の340万トンへと跳ね上がっていた。蔓延する子供の飢餓は大幅に下落し、マラウイは最近緊急食料援助を断っていた。

世界開発センターのために用意されたマラウイの経験に対する論評に[45]、開発経済学者であるヴィジャヤ・ラマチャンドランやピーター・ティマーは、アフリカの一部(そしてインドネシア)における肥料補助金は実質的にコストを上回る便益をもたらす可能性があると論じていた。しかし彼らは補助金が運用される方法が長期的な成功にとって重要になることに着目しており、肥料の分配が独占的になることを許容していることに対して警告を発していた。ラマチャンドランやティマーは同様に肥料補助金以上のものをアフリカの農家が必要としており、具体的にはより良い輸送手段やエネルギーインフラと同様に新しい肥料や新しい種子を開発するためのより良い研究を必要としていることを強調していた。世界銀行は現在時々ではあるが繰り返し、貧困層向けにそして民間市場を育成する方法で実施される肥料補助金の一時的な利用を支援していた。「マラウイの銀行の関係者たちは、マラウイの政策を一般的には支持しているが、結局のところ補助金を終える戦略を有していないために政府を批判しており、その2007年のトウモロコシの生産量の推定値がかさ上げされているか否かについて疑念を投げかけており、どのように補助金が実施されるかについて多くの改善の余地があると述べていた。」[44]

8 継続する論争

ほとんどのラテンアメリカの国々は高い貧困と失業率に苦しみ続けていた。チリはコンセンサスのサクセスストーリーの例として見られており、エルサルバドルやウルグアイのような国々も同様に経済発展に関しいくつかの肯定的な徴候を示していた。比較的あまり高くない成長率にもかかわらず、ブラジルは近年貧困の削減について目覚ましい進歩を示していた。

ジョセフ・スティグリッツは、チリのサクセスストーリーは多くが重要な産業、特に銅産業を国有化していることや資本移動を安定化させる通貨介入によっていると論じていた。しかし多くの他のエコノミストは、チリの経済的成功は主に健全なマクロ経済と市場志向の政策の組合せによるものであると論じていた(しかしより良い公立学校のシステムを含む国の比較的強い公的機関を同様に賞賛に値している)[46]。

ウィリアムソンによって提唱されたワシントン・コンセンサスとワシントンに支持されている実際に実施された政策との間の矛盾が主張されていた。例えば、ワシントン・コンセンサスは教育投資に対する必要性に言及しているが、国際通貨基金によって促された財政規律に対する政策は、実際に時として基礎教育のような分野を含む社会プログラムに対する公的支出を各国々に削減させるよう導いていた。IMFの仕事に通じている人々は、ある段階で破綻に近い国々は収入の範囲で暮らしていくためにある方法でもしくは別の方法で公的支出を削減しなければならないと回答していた[47]。ワシントンは異なった公的支出の優先順位の中での賢明な選択を論じるかもしれないが、最も重要な分析において国内の選挙で選ばれた政治リーダーは最終的に厳しい政治的選択をしなければならなかった。

9 ワシントンコンセンサスを超えて

エコノミストや政策立案者たちの大多数は、ウィリアムソンによってもともと提唱されていたワシントン・コンセンサスにおける誤りは、そこで語られていたもののよりそこで語られていないものほうがその関連性が強いといったことを論じていた[48]。この見解は、ブラジル、チリ、ペルー、ウルグアイのような国々は近年主に左派を中心にした政党によって支配されてきたが、彼らのレトリックが何であれ、実際にはワシントン・コンセンサスの重要な要素を放棄してはいなかったと主張していた。財政と金融の規律を通じてマクロ経済の安定化を達成した国々はそれを放棄することに批判的だった。近年のブラジル大統領(そして労働者党のリーダー)であるルーラは、ハイパーインフレーションの退治[49]は国の貧困層向けの福祉に対して近年最も重要で肯定的な貢献の1つであったと明示していた。またこれらの国々は実際に1950年代から1980年代までに追求されていた専制政治の政策に戻ることに賛成することはなく、グローバルな貿易と国際投資へとより開放する志向を否定することもなかった。

しかしこれらのエコノミストや政策立案者たちは圧倒的に、ワシントン・コンセンサスが不完全であり、ラテンアメリカや他の地域の国々は「第一世代」のマクロ経済的そして貿易に関する改革から離れて生産性を向上する改革や貧困層を直接支援するプログラムに強くフォーカスすることへシフトする必要があることに同意していた[50]。このことは、投資環境を改善し、官僚的形式主義を取り除き(特に小規模な企業において)、制度を強化し(司法システムのような分野において)、メキシコやブラジルのような国々で採用された条件付き所得移転プログラムを通じて直接貧困と闘い、初等・中等教育の質を高め、技術を開発し吸収する国の効率を向上させ、ラテンアメリカの先住民やアフリカ系人口集団を含む歴史的に恵まれない集団の特別なニーズに対応することを含んでいた。

10 外交政策と関連した用語(2008)のもう1つの用法

2008年初頭、「ワシントン・コンセンサス」という用語は、一般的にはアメリカの外交政策にそして特定的には中東政策に対するアメリカの主流派メディアの報道を分析するための手段として異なった意味で用いられていた。「繰り返しのことだが、非常に希な例外として、メディアが疑問を抱かずに繰り返し失敗していることに、いつの時代においてもアメリカ政府の公式見解である「ワシントン・コンセンサス」に疑念を抱くことが挙げられる」[51]。シンジケーティッド・コラムニストのウィリアム・プファフによれば、外交問題に対するアメリカの主流派メディアの中にあるワシントンの意思に基づいた中道主義は例外というよりむしろ慣例であった。「アメリカにおける国際情勢の報道はほぼ完全にワシントン主導であった。それは、外交問題についての疑問とは国内政治やしっかりとした政策の位置づけに基づいて立案されたワシントンの疑問であることを示していた。このことは情報を与えない回答を促し、ワシントンにとって不要で不快である見解に水を差していた」[52]。外交政策における経済的論争のように、用語の用法は、語られるものより語られないもののほうが関連性が強いものになっていた。

別の名称になるが同様の見解は、進歩的にメディアを批判する組織であるFairness & Accuracy In Reporting (FAIR)によって行われていた。彼らは「ニュースにおいて何が間違っているのか?」といった疑問の背景にある9つの「課題分野」のうちの1つとして「公式アジェンダ」と記していた。彼らは以下のように記していた。「報道は政府と敵対関係にあると主張しているにもかかわらず、実際のところ一般的に言えばアメリカのメディアはワシントンの公式見解に追随していた。このことは特に戦時や外交政策における報道において顕著であったが、国内の論争でさえ、議論の幅は通常、民主党や共和党のリーダーシップの違いといった比較的狭い範囲に落ち込んでいた」[54]。

http://fr.wikipedia.org/wiki/Consensus_de_Washington

ワシントン・コンセンサス

ワシントン・コンセンサスはワシントンに本拠を置く国際金融機関(世界銀行、国際通貨基金)やアメリカ財務省によって支持された債務問題を抱えた経済(ラテンアメリカを含む)に適用される標準的な対処法になる。それはエコノミストであるジョン・ウィリアムソン[1]によって1989年に発表された見解を具体化しており、シカゴ学派のイデオロギーによって強く感化された10の提案(以下を参照せよ)を支持していた。

1 国家の債務危機を解決する方法

ラテンアメリカにおける1980年代の「失われた10年」は深刻な経済危機である壊滅的なハイパーインフレーション、社会的崩壊、政治的不安定といった特徴を有していた。金融市場に関する対外債務の危機は、先進国へ退避した年平均250億ドルに及ぶ金融資産の(負の)純移転をともなう、ラテンアメリカからの対外投資の避難を示していた[2]。

景気後退やハイパーインフレーションにともなう債務危機に直面した国家に勧告された改革の「パッケージ」は、10の提案を行ったエコノミストであるジョン・ウィリアムソンの1989年の発表の中にまとめられていた。

厳格な財政規律。

この財政規律は、投資に対する高い収益率や所得不平等を改善する機会(基本的な医療サービス、初等教育、インフラ整備)を提供する分野に公共支出を振り分けることを含んでいた。

税制改革(課税ベースの拡大、より低い限界税率)。

金利の自由化。

競争的な為替レート。

対外貿易の自由化。

対外直接投資に対する障壁の撤廃。

国家による独占、資本参加、事業の民営化は、イデオロギー的には適切でない株主の例としてみなされ、現実的にはその影響力を考慮していた。

市場の規制緩和(参入・退出障壁の撤廃)。

知的財産権を含む所有権の保護。

このプログラムに賛成する議論の1つは、肥大化し、時には腐敗した政府を再建することを含めていた。

2 批判

国際通貨基金や世界銀行は、これらの原則に基づいた政策を遵守する政府に対し融資を効果的に与えていた。

ソビエトの共産主義の崩壊にともなうイデオロギー的な世界危機を追い風として、自由市場に感化されたこれらの提案は、(選択的ではあるが)多くの国々で、異なった成功の度合いを示しながらも実施されていた。

エコノミストたちのコンセンサスから離れ、ワシントン・コンセンサスはジャグディーシュ・バグワティーやノーベル賞受賞者であるジョセフ・スティグリッツのように多数のエコノミストたちによって否定されている点を含んでおり、スティグリッツは『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』という著作の中で厳しく批判していた。ワシントン・コンセンサスは同様に反グローバル主義者たちからも批判されていた。共産主義者による反対の枠組みが実質的に廃れている一方、そのコンセンサスに対する代わりの声が状況を打破するために長い葛藤を続けていた。

原理主義的な規制のない資本主義と共産主義の間で混合された見解として描かれる代替案はポスト・ケインジアンやグローバルな正義によって進化を遂げていた。「世界中で中所得国である10ヶ国が1994年から1999年の間に深刻な金融危機を経験しており、生活水準を低下させ、時には政府が崩壊し、数百万人の人々の苦境を悪化させていた。意思決定者たちは突然金融危機の波及の恐れに直面し、エコノミストたちは規制緩和や自由化のペースやそれに隷従された状況に疑念を呈していた。」[3]

3 国際金融機関の立場の変化

ワシントン・コンセンサスの実施に責任がある国際的金融機関(IMFや世界銀行)は2000年代後半から彼らの主張や政策に変更を加えていた。

2007年の世界銀行による世界開発報告によれば、ワシントン・コンセンサスに随う主要な機関の1つが政府の介入の必要性を認めていた[4]。2008年のマイケル・スペンスを議長にする成長と開発に関する委員会のレポートは、貧困を削減するために強い国家が必要とされていると結論づけていた[5]。

2008年の危機を通じてIMFは、不況を避けるために財政赤字を含む予算の編成を国家に求めていた。2008年から2009年までの間におけるIMFの19のプランの内16において、社会保障のための支出を増加させることが勧告されていた。結局のところIMFの専務理事は、資本移動の自由が経済を危機に直面させ、資本移動に対し課税する必要があるかもしれないと認識していた[5]。

http://de.wikipedia.org/wiki/Washington_Consensus

ワシントン・コンセンサス

ワシントン・コンセンサスという用語は多くの経済政策を指しており、まず開発経済の分野において政府は経済的安定と成長を促す必要があった。この考え方は長い間IMFや世界銀行によって擁護され、支持されてきた。

1 歴史

ラテンアメリカの債務危機の結果として、IMFや世界銀行は債務の支払いを再建する政策を採用していた。このことを背景にこれらの国々が構造改革を実施することを条件にして、IMFはラテンアメリカの国々に融資を行ってきた。構造改革プログラムの実施を通じて、彼らはラテンアメリカの経済エリートと定期的に協議することを促してきた。

これらの構造改革プログラムはワシントン・コンセンサスの実施として理解されており、それはアメリカの政治に対する経済力を背景にした覇権的な政治プログラムであり、IMF、世界銀行、アメリカ財務省、多くのワシントンのシンクタンクにより組織されていた。経済政策に対する覇権的な考えは、サプライサイドの政策、自由貿易、輸出志向の経済政策のような考えに対する「ニューライト」(レーガノミクス、サッチャリズム)の隆盛以降ずっと継続していた[1]。個々の対処法はワシントン・コンセンサスに対応する構造改革のための政策を課していた[2]。

財政、信用、金融政策を通じた政府支出に対する需要抑制と削減。

為替レートの調整(切り下げ)や経済における資源の利用の効率性を改善すること(合理化や費用をそれほど要しない経済)。

貿易障壁や為替コントロールを撤廃し、輸出インセンティブを高めることによる貿易の自由化。

市場と価格に対する規制緩和(しばしば生活必需品に対する補助金の廃止を意味している)。

歳出削減。

国有企業の民営化。

官僚制。

補助金の削減。

ワシントンにおける政治的コンセンサスは、マクロ経済の安定を達成し、ラテンアメリカ諸国における極端な保護主義を抑制し、グローバルな貿易と対外投資の潜在的発展を促すための分かりやすい方法を示していた。さらに1990年代においてワシントンでは、グローバル化や改革が高い経済成長を達成するのみならず、貧困を大幅に削減し、所得分布を平準化することも期待されていた。

これらの要望と1980年代の新自由主義的政策との間には一致点があり、そのことは規制の手を離れるものであった[3]。

ワシントン・コンセンサスという用語は1990年にワシントンD.C.で開かれた会議においてジョン・ウィリアムソンが提唱した概念であった。そこでラテンアメリカやカリブ海の政策担当者たち(国際機関やアカデミズムの関係者たち)は、ラテンアメリカの経済政策における進歩を評価しようとしていた。ジョン・ウィリアムソンは、ワシントン・コンセンサスという用語が今日の用法と反対しており、市場原理主義を意味していなかったことを強調していた[4]。

「私はもちろん、私の用語が資本の自由化(...意識的に除外していた)、マネタリズム、サプライサイド経済学、最小国家(福祉の提供や所得の再分配を除外した国家)のような政策を含める意図をもっておらず、それらを私は本質的に新自由主義の考え方とみなしていた。」

ワシントン・コンセンサスはテキーラ危機や直後に生じたアジア通貨危機の中で窮地に直面し、それは金融危機が新しい様相を呈していたからであるが、健全なマクロ指標を示す国々(GDPの成長率、インフレ、公的支出の予算に占めるバランス)において、それはさらにIMFの構造改革の模範国とみなされていたが、特に経験したことのない様相と関連しているとも思われていた[5]。

2 批判

エルナンド・デ・ソトは資本の自由に関する著作の中でこれらの対処法の適用だけでは不十分であると説明していた。ラテンアメリカに欠けているものとして繁栄を創造するために定められた財産権、契約する権利、企業構造が挙げられていた。

ジョセフ・E・スティグリッツはグローバリズムに関する著作の中でワシントン・コンセンサスの処方箋を批判していた。彼は「これらの勧告はもし適切に実施されるならば非常に有益であるが[...]、IMFはこれらのガイドラインをそれ自体を目的として理解するよりむしろ衡平で維持可能な成長のための手段として考慮していた」と記していた[6]。彼は「経済理論が重要で有益な代替手段を展開しているにもかかわらず、IMFがこれらの目標に盲目的であった」ことを批判していた[7]。グローバリズムに関する最近の著作の中で彼は、ワシントン・コンセンサスは完全競争や完全情報を含む理想論に基づいており「特に発展途上国にとって現実から程遠く、関連性がほとんどないものであった」と批判していた[8]。中国のようなこれらの勧告に応じない国々は経済的に非常にプラスの発展をしており、アフリカやラテンアメリカのような勧告を受け入れた国々はより低い成長率を示していた。スティグリッツは4つの主要な批判を展開していた[9]。

国家の役割の縮小は常に、民間セクターが対応する業績を上げることにつながっている訳ではない。したがって西アフリカにおける販売手数料の廃止は、十分な輸送手段を所有している数少ない豊かな農家が独占体制を築き上げることを促していた。他の農家の状況はそれによって大幅に悪化していた。

国家の役割の縮小によって新興市場はすべての潜在的供給者たちに開かれることが確認されるはずであったが、これによりロシアにおける民営化は、良く機能する市場の出現よりむしろ、寡占の出現とそれにともなう市場の歪みや所得の不平等を生み出していた。

ワシントン・コンセンサスは批判抜きに、あらゆる人口における経済成長が達成されるだろうということを仮定していた(トリクルダウン理論)。対照的にスティグリッツは、特に発展途上国における経済成長は政治的不安定の結果として社会的不平等を悪化させることを促し、経済を損なうだろうと記していた。十分な社会政策によって、この事態を避けることが可能であった。極端な例として彼は、IMFが金融危機に直面した国々に対して食糧補助金の廃止を求めていたことに言及していた。

各国の信用状態は同様に経済危機にあると認識していた国々の財政に極端な厳格さを求めていた。危機は悪化し、不況になだれ込む恐れも存在していた。

スティグリッツは2007年の金融危機の経験をワシントン・コンセンサスに基づく政策や「背景にある市場原理主義的なイデオロギー」が「終焉を迎えた」ものとして認識していた[10]。

ダニ・ロドリックは、財産権、強い通貨、政府の支払い能力、市場に基づいたインセンティブのようなワシントン・コンセンサスの背景にある原則は成長の達成に必要なものであるが、ワシントン・コンセンサスに基づく具体的なアクション・プランを通じて達成することはないだろうといったことを強調していた。それ程成功していないラテンアメリカの多くの国々と中国や韓国のような繁栄しているアジアの国々との間には、追求される具体的な開発戦略において大きな違いが存在していた。ロドリックは例えば、原理主義的な貿易の自由化が経済発展に好ましい影響を及ぼすだろうとは考えていなかった。産業政策が開放にともなう多くの成功を示すケースの前提になっているかもしれなかった。そのためロドリックは発展途上国に制度的柔軟さを許容することを論じていた。ワシントン・コンセンサスのパッケージにおける対処法はめったに特定の地域の状況や制約に完全に合致することはなかった[11]。

November 13, 2011 in 学問・資格 , 経済・政治・国際 , 雑記 , 
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November 03, 2011

ワシントン・コンセンサスの何が問題かーフランス、ドイツ、イタリアのWikipediaの「新自由主義」や「反自由主義」の項目を読んで考えたこと

ジャン=フランソワ・カーンによれば、自由主義はコングロマリットに対し公正な競争を強制する能力(独占禁止法やそれを実施する強い国家)を有する上部構造を仮定しているが、新自由主義はそれに疑問を投げかけ、暗黙の協定や需要が決定しない相場により作り上げられたいくつかの寡占による支配の利益のために自由主義に対し結局のところ矛盾を引き起こしていたことになるが、「世界の商品化」とその独占・寡占に対する危機感が1980年代以降の新自由主義がもたらした好ましくない結果の1つに含まれるだろうと考えることがあった。

ジャック・シラクが2005年に「自由主義は共産主義と同じくらい惨憺たるものである」と述べており、2007年に「自由主義は人間の思考の堕落である」と付け加えていたことや、2008年5月のベルトラン・ドラノエによる「サルコジズムに示される抑制された独裁体制は徹底的に反自由主義の立場だった」との言葉は、フランスが新自由主義の危うさを政治的に認識していた上での言葉になるだろうと考えることがあった。

ルートヴィヒ・エアハルトによれば「かつて理論が時代の様子を正しく解釈しており、それらの知見が適切な経済社会政策に新たな推進力を与えていたとき、今日の新自由主義者やオルドリベラリストのような人間の思想に十分な価値があった。そして経済政策にいつも多くの社会政策を強調していた」との見解があるが、オルドリベラリズムに見られる新自由主義と1980年代以降の新自由主義の根本的な違いは社会政策の意義をどれほど切実に認識しているか否かの区別になり、現実は多様化しており、それゆえ十分に人間が実体経済を認識できないほどの情報量の中で限定的に合理的判断を下し続けていることの危うさ、つまり政策担当者による間違った経済政策の歴史といったものを学ぶ必要性が問われているかもしれないと考えることがあった。

ハイエクによれば「誰もがそれ以下に落ち込む必要がない」最低所得が主張されており、この最低所得保障は社会における明白な義務であり、犯罪予防のためにも用いられるだろうといったことを考慮すると、社会保障を充実させることは自由の基盤を守ることでもあるとするならば、1980年代以降の新自由主義の誤りの原因の1つはそこにも起因していないだろうかと考えることがあった。

つまり1980年代以降の新自由主義は原理的な立場のため、オイケン、レプケ、リュストウ、ミュラー=アルマックとの関連を見出すことができなくなっていることが問題の1つに含まれるだろうと考えている。

事実、1973年以降のピノチェトの下で行われた経済政策がフリードマンやハイエクの理論をより原理主義的にしたものであり、結果として専制体制の中で経済における国家の後退が生じたことや、軍事政権が経済政策のプロパガンダの目的のために新自由主義と関連した社会的市場経済という言葉を用いたことを、現代の反面教師として役立てることも可能であろうと考えることがあった。

アンドレアス・レナーによる、新自由主義が狭い視野の経済政策を目標にした政治的スローガンとしてその言葉を利用しており、社会や環境保護における課題を解決せず、むしろ悪化させていたことも同様であろう。

自由市場の支持者が、新自由主義という言葉を否定的な意味のために避けており、他の言葉を探し、例えばジョン・ウィリアムソンがワシントン・コンセンサスという言葉を採用していたことは、それでもなお現在の世界における権益構造を維持し続けたいとのエリート層や富裕層側の願いが表れているからでもあろうが、問題の根深さを伺わせることがあり、今回の記事のタイトルにつながる経緯になった。

そしてノーム・チョムスキーによれば、新自由主義がロナルド・レーガンやマーガレット・サッチャーによるグローバルな覇権主義から長らく続いている数々の事実を示しており、このことは大多数を犠牲にして少数が特権を享受していることを意味しており、大企業とそのカルテルはアメリカの政治を支配し、自由市場は少なくとも競争的なシステムを生み出しておらず、大企業の政治的影響力を通じて民主主義が損なわれ、アメリカ政府が大企業を補助金や輸入関税を通じて助けていたことは、ワシントン・コンセンサスを通じて健全な市民社会の発展を阻害する要因に新自由主義に基づく数々の政策を付け加えることを妥当ならしめるだろうと考えることがあった。

他方で環境保護主義者による、市場に対する規制緩和、民営化の推進、国家の役割の縮小を通じて生じたグローバル経済が、私たちの地球における生態系のバランスや自然の多様性に対する脅威として眺められる視点も同様の経過に含まれるだろう。

新自由主義はすべての人々に恩恵をもたらすように機能しておらず、国内の異なる社会階層にある人々の格差や富裕国と恵まれない国々との間の格差を助長しており、この政策は多数の人々を犠牲にして一部の国々や多国籍企業の富を増加させていたにすぎないとの見解や、再生することができない資源に損害を与え、負の外部性を生じさせることにより地球全体を犠牲にして、富裕化のプロセスが進行していたとの見解は、現在のウォール街のデモを始めとして世界的に生じている状況の背景を説明する1つの要因になるだろうか。

ナオミ・クラインによる、戦争や災害のように惨事を通じた混乱やショックを利用し、メディアを通じて、債務(世界銀行、WTO、IMF)を口実に一般の人々の利益に反し多国籍企業や圧力団体の利益に合致する自由主義の改革を推し進めるように主要な金融機関が小国である政府に圧力をかけるといった戦略の中に破綻の徴候を認めることができるか否かは、ギリシアの問題でも表面化することになるかもしれないが、今後に依存する面が多分にあり、注視していく必要があるだろう。

新自由主義に基づく経済政策が多くの第三世界(例えばミャンマーやパキスタン)そして社会主義から脱したヨーロッパの中部や東部の国々において採用されており、主な国際機関(世界銀行、WTO、IMF)に対するアクセスの後にその政策を迫られていたことを考慮すると、これも同様に考えることがあり、同時にその是正の道を考えるときがあった。

前回同様これが全てであるとは言及しないが、フランス、ドイツ、イタリアのWikipediaの「新自由主義」や「反自由主義」の項目を訳すことにより上記の知見をサポートすることにする。URLは以下に示されるとおりになる。

http://fr.wikipedia.org/wiki/Néolibéralisme

新自由主義

新自由主義という言葉は、リベラルの影響に関する多次元的な分析を示すために今日用いられており、一般的に1945年以後の先進国における社会保障の発展や経済に対する政府の介入の増大を批判することを支持している[1]。しかしこの分析は個人の自由に基づく市場の経済効率性を考慮することにより市場の意義を擁護しており、経済活動に対する国家の介入を制限することを勧めている。この言葉は軽蔑的な意味合いを有しており、非常に異なる学派の分析を含んでいる。この言葉は現代の自由主義に対する批判的な潮流によって一般的に用いられており、一方この言葉によって示される分析の大部分はそれを認めることを拒否している。

「新自由主義」の意味は時代によって変わり、この言葉はコンセンサスから隔たりがあり、その使用にあたり慎重さが求められるのは、それが異なった意味の中で変遷しているからである。

1844年に登場したとき、その言葉は国家の介入に対する制限を認める自由主義の様相を十分に一般的な方法で示していた[2]。

同様の背景で30年代末に、オーギュスト・ドトゥーフやルイ・マーリオのような著名なフランスの経済学者はレッセフェール(マンチェスター学派とも呼ばれる)の同意語ではない自由主義の様相を示すためにこの言葉を用いていた。彼らは、改革において、このシステムは経済や社会における計画について当時流行していた統制経済や計画経済より優れたものになりうるといった事実のみを強調していた。

経済競争におけるフリードリヒ・ハイエクの新自由主義(非常に制限された状況で政府の介入を許容する)はあらゆる国家の介入主義を非難し、リベラルな見解を再評価していた。

60年代や70年代には、この言葉にまったく異なった意味(社会自由主義)が与えられた。この意味でドナルド・モグリッジはジョン・メイナード・ケインズを最初の新自由主義者として示していた[4]。

それにもかかわらず自由主義のこの様態は比較することが興味深いドイツのオルドリベラリズムと同じ時代に現れていた。

1 フランスの新自由主義(1938年から1960年まで)

フランスにおける新自由主義の潮流は1938年から1960年代後半までにウォルター・リップマン・シンポジウムが影響を及ぼした非常に短い期間に見受けることが可能である[5]。この登場は30年代末の計画経済論者や統制経済論者による支配に対応し、現在の問題を処理する最善の方法は自由主義を再評価することであると主張する要求に基づいていた。さらに会議やディベートの参加者のリストに見られるように、国際的なアジェンダや全体主義に対抗する意思が十分に異なった学派間における対話を推し進める決定的要因になっていた。

1.1 新自由主義とウォルター・リップマン・シンポジウム

リップマン・シンポジウムに、フランスのリベラル、オーストリア学派であるフリードリヒ・フォン・ハイエクやルートヴィヒ・フォン・ミーゼスに影響されたメンバー、戦後のドイツにおけるオルドリベラリズムに影響された人々、ヴィルヘルム・レプケ、アレクサンダー・リュストウ(この運動の最大の理論家であるヴァルター・オイケンはドイツを離れることを許されていなかった[6])、さまざまな国々からの参加者が集っていた。

1.1.1 新自由主義と自由主義においてどちらを選択するか?

事実、名称の変更の問題は、自由主義の衰退は外部環境に依存しているのか、または第一次世界大戦後の現実に19世紀型の自由主義が適応していないことにそれは関連しているのかといった問いに対する答えを含んでいた。ミーゼスにとって、それは、扱うことができないリベラルのドクトリンの外側にある事実によるものであることは明白だった[7]。オルドリベラリストやフランスの経済学者の大半にとっては、反対に、リベラルのドクトリンの一部を再評価しなければならないことが示されていた。

1.1.2 フランスの新自由主義における創始者たち

フランソワ・ビルガーはクレメント・コルソンの弟子であるジャック・リュエフ、モーリス・アレ、ルイ・ボーダン、ダニエル・ビレーのような主要な創始者の1人である[8]。この潮流に加え、ジャック・クロのような創始者においては、自由主義はケインズの理論に貢献する必要があった[9]。フランソワ・ビルガーは新自由主義者として考慮されておらず、彼自身そう主張していないように思われた。

1.2 抵抗運動の間の構造改革に関する議論

クーセルにとっては抵抗運動の間、社会党の少数派である統制経済主義者(アンドレ・フィリップ、ジョージ・ボリス、ジュール・モック、ピエール・マンデス・フランス)と新自由主義者(エチエンヌ・イルシュ、ルネ・クルタン、マキシム・ブロック=マスカール、ルネ・プレヴァン)との間に論争があった[10]。前者は社会主義的枠組みを導入することを願っており、アメリカやイギリスに懐疑的だった。後者は市場と民営化が経済の核になると考えており、国際的な政策においてヨーロッパと大西洋の友好に肯定的だった。しかし戦後クーセルにとっての改革の実現においてこの議論は中心になく、むしろ共産党とド・ゴール将軍の影響が中心にあった。

1.3 フランスの新自由主義とドイツのオルドリベラリズム

2003年に議事録が公開された2000年開催のシンポジウムの報告の中で、フランソワ・ビルガーは集中と分散の論点を指摘しながらフランスの新自由主義とドイツのオルドリベラリズムを比較していた。分散にかかわる論点は両国における異なったアプローチを説明しているように思われた。

1.3.1 集中

彼らは、生産と貿易の自由、自由競争、価格メカニズムの自由な機能、金融システムの安定性を信じている。

彼らは、レッセ・フェールの自由主義は壊れやすいと考えている。効率的で安定した市場経済の確立はそれゆえ、財産、契約、破産、特許、競争、貨幣と信用の創造、財政システム、労働、社会的連帯に対する精緻な法律の制定や、同様にシステムを良く機能させるための国家による経済や社会に対する適切な介入に対し十分に配慮した説明を求めている[6]。

1.3.2 分散

1.3.2.1 理論の分散

「19世紀以来、フランスの経済学は主に実体経済のファンダメンタルズに対する数理モデルから派生した抽象的、演繹的アプローチによって特徴づけられていた。」このアプローチは、アルセーヌ・デュピュイ、オーギュスタン・クールノー、レオン・ワルラス、クレメント・コルソンによって示されてた。新自由主義者の中で、ジャック・リュエフとモーリス・アレは「社会物理を解明するこの伝統」を追求していた[12]。

ドイツは反対にヴィルヘルム・ロッシャー、ブルーノ・ヒルデブラント、カール・クニース、グスタフ・フォン・シュモラー、マックス・ウェーバーの伝統から現実と過去の傾向から導かれる帰納的で具体的なアプローチを採用していた。ビルガーによれば、これらの創始者は「ドイツの歴史家とドイツの理論家の間における方法論をめぐる論争を克服する意思を示していた」ヴァルター・オイケンに注目していた[13]。

1.3.2.2 哲学的にそして倫理的に異なった選択

フランスでは、ルイ・ボーダンやダニエル・ビレーによって、個人の自由、個人の自由に対する国家の干渉に対する不信、個人の主権が強調されていた[13]。

オルドリベラリストにとって、秩序と社会調和の概念が個人の自由に対する考え方と競合していた。「カントによれば、彼らは道徳に対する敬意の中で自由を擁護しており、言い換えるならば絶対的な自由でなくよく機能する自由のみに言及していた」[14]。

1.3.2.3 一般的な活動に関する異なった考え方

フランスの新自由主義者は財政と金融政策における時宜を失した政府の介入に関連した障害に非常に敏感だった。反対に、限界費用の管理を尊重するならば、彼らは大きな政府を維持することに反対していなかった。彼らはカルテルや寡占の形成にいつも反対している訳ではなかった。

オルドリベラリストはカルテルの禁止に基づき公正な市場の法制度を尊重する必要性についてより厳しい態度を示していた。「人間に対する好ましくない影響を修正するだけでなく、自由で公正な社会の発展に対して好ましい社会状況を創造するためにも、社会政策を実施することによってこの競争経済を確立すること」は妥当であると彼らは同様に考えていた[14]。

1.4 60年代後半にフランスの新自由主義が停滞した理由

多くの理由が[15]、60年代後半のフランスにおける新自由主義の停滞[16]がオルドリベラリズムの衰退とともに生じていることを説明している。

創始者の世代が移り変わり、事実と状況は進化していた。

20世紀のフランスの新自由主義と関係を断ち、バスティアのような19世紀のフランスの創始者と同様にオーストリアやアメリカに基づいたフランスのリベラリズムを再構築するフランスのリベラルの意思が存在していた[15]。

グランゼコールと大学との間に大きな隔たりが存在していた[15]。フランスの新自由主義はポリテクニーク出身者(第一世代としてアーネスト・メルシエ、ルイ・マーリオ、オーギュスト・ドトゥーフ、第二世代としてジャック・リュエフ、モーリス・アレ)と大学出身者であるルイ・ボーダン、ルネ・クルタン、ダニエル・ビレーに依存していた。

人はある方法で新自由主義はそれらの目標の大半を達成していたと付け加えるかもしれない。さらにフランスにおける新自由主義の創始者たちがある経済学派に属することの本当の意味を理解していたかについては疑問の余地が残っている。

2 言葉の新しい用法

1970年代後半からアングロサクソンの世界で、1990年代からヨーロッパで、ネオリベラリズムという言葉が(同様に「超自由主義」や「過度な自由主義」と呼ばれることがある[17])ケインズの考えに対する、また国家の介入に対するより一般的な方法の計画経済に対するリベラルな政策を示していた。このドクトリンはイギリスのマーガレット・サッチャー、1980年代後半のアメリカにおけるロナルド・レーガン、チリのピノチェト、だけでなく、IMF、WTO、世界銀行[18]やある程度は欧州連合において提唱されていた。この言葉はしばしば左派を示すために用いられたが、語の一部は「保守派」を示す右派を指していた。

その支持者にとって、それはその思考と行動において一新された自由主義を推し進めており、マネタリズムとサプライサイド経済学といった2本の主要な柱に基づいていた。それを非難する人々にとって、「新自由主義」は社会の不平等を増大させ、国家の主権を縮小させ[19]、途上国の発展を妨げていた。

2.1 「新自由主義」の政治学

これらの政策はほとんどの国におけるケインジアンの理論や国家の強い介入を植え付けた支配的な思想に対する根本的な批判を展開していた。より効率的な行政とより強い経済を目指すといった思想に影響され、それらはその代わりに経済において民間部門の利益のために公的部門の影響を縮小させることを目指していた[20]。

2.1.1 マネタリズムの推進

新自由主義はマネタリストの理論を擁護しており、それはシカゴ学派で構成されていたが、それによれば景気の波は生じるものであり、インフレーションは利子率を操作する政策によって抑えることができるとされていた。

2.1.2 サプライサイド経済の推進

ケインジアンにおける「需要」の刺激でなく供給の刺激が、もし景気回復が必要ならば、一般経済の支援のための重要な鍵になるとして示されていた。これは規制緩和と民間主導を目指す経済主体が直面するすべての「制約」を取り除くことによって達成された(民営化、減税、労働市場の流動化、福祉部門の縮小、公共支出の削減、国家予算の均衡回帰、倹約の奨励...)。

2.1.3 ワシントン・コンセンサス

ジョン・ウィリアムソン[22]によればワシントン・コンセンサス[21]は「新自由主義」を示す提案について10の論点に要約される。

財政政策について、赤字は短期的に企業活動や失業に対しプラスの効果を有しておらず、それはそれが将来世代の責任によるものであることによる。長期においてそれはインフレーションを引き起こし、生産性と企業活動を減少させる。そのためそれは避けられるべきであり、安定化が求められるとき以外用いられるべきではない。

政府支出は、教育、一般の人々の健康、インフラストラクチャーといった経済成長や低所得者の支援の鍵となる要素に対しその増大する活動を制限しなければならない。他の補助金(特に国際援助活動の論理によるもの)は有害である。

財政政策について、課税は広い課税対象と低い税率に基づかなければならず、それはイノヴェーションと効率性を損なわないためである。

金融政策について、利子率は市場で決定されなければならず、プラスであるが程々でなければならない。

通貨間の固定為替レートを禁止する。

国内と海外における経済活動の自由化について、これは競争と長期の経済成長を促すものである。私たちは輸入や輸出の割当量を取り除く必要があり、関税を低減し縮小する必要がある...

資本の自由な移動は投資を促す。

公営企業の民営化や公的独占の解体は市場の効率性や経済主体が利用できる選択の可能性を改善する。

規制緩和について、安全、環境保護、消費者や投資家の保護に関する規制を例外として、競争を妨げ、市場に参入する競争者を除外するあらゆる規制は取り除かれなければならない。

財産権は法的に保障されていなければならない。

金融化を促す。

2.2 新自由主義と時に呼ばれる経済学派

今日「新自由主義」という言葉はフリードリヒ・ハイエクやミルトン・フリードマンのようなオーストリア学派やシカゴ学派に見られる類似していないリベラル経済の学派を示すために用いられており、2人はその言葉を用いていない。

しかしアメリカのケインズ主義において、古典的な自由主義やマネタリズムと対比して、新自由主義と呼ぶことがあるのは、ジョン・メイナード・ケインズが介入主義者のドクトリンを支持するために「新しい自由」とそれを呼んでいたことによる。しかしアングロサクソンの思想家はこの「新しい自由主義」を新自由主義と区別しており、後者の使用はケインズによって否定されており、実際のところ彼は自由主義の再来か社会民主運動を含むものとして考えていた。

ヨーロッパ大陸と北米の間にある「リベラル」の意味についての大きな隔たりはアメリカにおける「リベラル」という言葉の意味論的進化によって説明される。それは20世紀前半に多くのアメリカの社会主義者や社会民主主義者によって徐々に用いられ、ヨーロッパの社会主義の影響を打ち消していた。この発言はリバタリアンであるデヴィッド・フリードマンによってなされていた。「社会主義を浸透させる効果的な戦術の1つは、特にアメリカでは、肯定的な意味を有する単語に結びつけることだった。最も良い例はリベラルという言葉である。19世紀にリベラルはレッセフェールの経済、自由貿易、[…]市民の自由に関する政策を肯定していた。この言葉は非常に肯定的な意味を有し、今日でさえ[…]不自由はつねに悪い意味を示している。社会主義者たちは自由主義経済の政策に反対していた。自由主義は正しいと言って成功した人々は彼らをリベラルと呼び、その反対を「保守的である」と呼んでいた。」[23] リベラルという言葉の認識におけるこの違いは新自由主義という言葉の認識における違いを生じさせていた。

2.3 新古典派の自由主義としての新自由主義

1998年3月付けのル・モンド・ディプロマティークの記事の中でピエール・ブルデューは、彼が「純粋な理論」に対するワルラシアンの神話と呼んでいるものの中に「新自由主義の本質」を眺めているように思われる[24]。

2.4 新自由主義は資本主義の現代版か?

財にもはや限定することなく他の分野においても拡大している開かれたグローバル・マーケットの拡大を許容するWTOのような巨大な体制の中で交渉することによって、現代の資本主義は貿易の自由を拡大する傾向にある。これらの組織によって擁護される自由化は国内の規制を取り除くことを含んでいる。サービスの貿易に関する一般協定の発展や、以前は国家に帰属していた健康、教育、社会サービスのような市場に対する競争の導入により、サービスが関心の対象となった。このように資本主義は人間の生活の新しい分野にまで拡大している。ある人々は「世界の商品化」という言葉を用い、資本主義の発展に対する反対の意思を強調している。

資本は以前ほど当該国でのビジネスに束縛されていない。「新自由主義」に影響された現代の資本主義はグローバルマーケットで実体をもたない資本(株式)を保有し循環させる能力を必要としている。これらの資本取引は物理的移動を伴わず、単に世界の銀行のコンピュータ上における電子的記録の移動になる。取引可能な資産の市場は新しい分野に拡大され、水、電気、等が挙げられる。それはますます拡大し、例えば炭素排出権のような汚染する権利にまで広がっている。

2.5 批判されている考え方

多くの人々が責任を十分に負っていないことから「新自由主義者」として批判されている。自由主義の本質と矛盾するドクトリンから、反自由主義者たちは自由主義と新自由主義を批判している。

フランスのジャーナリストであるジャン=フランソワ・カーンは、彼が新自由主義と呼ぶ自由主義より新しい思想は実際のところ反自由主義と見間違う声明を続けている事実があると述べている。つまり自由主義は彼によればコングロマリットに対し公正な競争を強制する能力(独占禁止法やそれを実施する強い国家)を有する上部構造を仮定しているが、この新しい動きは両者に疑問を投げかけ、暗黙の協定や需要が決定しない相場により作り上げられたいくつかの寡占による支配の利益のために自由主義に対し結局のところ矛盾を引き起こしている。

ピエール=アンドレ・タギエフは、新自由主義は「扇動的な新左派」にとって災いの最後の呼称であると答え、一方アラン・ウォルフェルスペルジェは「超反自由主義」のことを話していた。

http://fr.wikipedia.org/wiki/Antilibéralisme

反自由主義

反自由主義はリベラルな思想のすべてまたは一部、特に今日の自由主義経済に対するさまざまな反対によって特徴づけられる政治的な潮流である。

1 多様性

反自由主義の潮流は多様であり、第一に自由主義は唯一のものでなく、第二に提案されている代替案が多様であるからである。

1.1 自由主義の多様性

著作や著者によって定められているリベラルの定義は存在していない。ジョン・ロックやアレクシス・ド・トクヴィルの思想とアイン・ランドやデヴィッド・フリードマンの思想の間には大きな違いが存在している。フリードリヒ・ハイエクはこう記している。「普遍のドグマをつくることを許容する自由主義の原則の中には何もない。一度たりとも安定し固定されたルールが存在したことはなかった。基本的な原則は存在しており、取引において、私たちは自発的な社会の力を最大限に利用し、強制されることを最小限に抑制しようとしていることが挙げられる。」[1]

思想に関し一般的に多くの学派が存在しており、以下を含んでいる。

古典的な自由主義者は三権分立に関心がある(ジョン・ロック、ベンジャミン・コンスタン、カール・ポパー、フリードリヒ・ハイエク、ジョン・スチュアート・ミル)。

最小国家主義者は規制の機能に限定された国家の存在を擁護している(ヴィルヘルム・フォン・フンボルト、フレデリック・バスティア、ハーバート・スペンサー、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス)。

アナルコキャピタリストは国家は非合法であり、すべての機能が民間企業によって運営されることが望ましいと考えており、そこには司法、内部や外部における安全保障が含まれている(ギュスターヴ・ド・モリナーリ、マリー・ロスバード、デヴィッド・フリードマン)。これらの最後の2つのカテゴリーはリバタリアニズムに分類されることができる。

さらにほぼ常に自由主義は同じ問題に対し多くの解決策や同様に反対の解決策を許容してきており、決断するために別の考え方から援助を求める必要があり、リベラルな思想の多様性を増大させている。例えば国際貿易は、自由貿易を絶対的な存在としてみなしているが複雑な税関の組織も同様であるといったことを含めて、多くの主張の対象であった(税率を上げる必要性から、輸入品目に対して課税することは合法的であり、貿易の相手は完全ではなく、それをコントロールする必要があり、世界的な汚染を考慮に入れることは合法的であったこと等)。同様に一部のリベラルは「提携」(労働組合、職人のギルド、企業のカルテル)に対する措置を求めており、反対にこれらの措置を構成する障害物に対して議論を起こしていた。このようにリベラルと呼ばれる人々はすべてに対して合意を形成しておらず、反自由主義者のような一部の人々によって考慮に加えられているかもしれない。

1.2 反自由主義のさまざまな潮流

伝統的なカトリックに対する批判は1864年12月8日のシラブスの公表によりピウス9世の下で最高潮に達していた。彼は「私たちの時代の誤り」と呼んでいるものを批判しており、特に以下のものが挙げられる。「ローマ教皇は進歩、自由主義、現代文明と和解し妥協することができ、しなければならない。」 これは特に公的領域と私的領域(それに宗教は属していた)との分離を示しており、それは当時のリベラルや教会に反対していた。自由主義の本質である良心の自由についての発言に関し、ローマ教皇グレゴリウス16世はピウス9世の前で「誤った不合理な行動基準」であり「妄想」でさえあるとの表現を用いていた。自由主義は「誤りをともなう寛容さ」であるとして同様に批判されていた[2]。フランスでのこの運動の代表者の1人はアントワーヌ・ブラン・サン=ボネになり、その反自由主義の思想は同様に政治や経済の問題を組み込んでいた。この潮流は第一次世界大戦の前夜におけるフランスにおいて意味をなしており、例えば司祭であるエマニュエル・バルビエが宗教的政治的自由主義の批評雑誌を設立していた。

運動に対する反応はヨーロッパの戦間期に発展しており、イタリアでは1925年にムッソリーニ政権がすでに政治面と経済面の双方で同業組合と反自由主義への回帰に向かっていた[3]。ドイツではカール・シュミットのような人々は明確に反自由主義と反マルクス主義のイデオロギーを擁護しており、ナチ党に加わる前の保守的な改革に影響を及ぼしていた[4][5]。それはフランスでは第二次世界大戦中のヴィシー政権の政策によって具体化されていた。「自由主義経済の国際的な破綻」[6]を批判し、マレシャル・ペタンはフランス革命以来決定されてきたリベラルな措置に反対する労働憲章のような措置とともにある同業組合に基づく経済へと再び向かった。アラルド法、オリビエ法、ワルデック・ルソー法など。

歴史家であるゼーブ・シュテルンヘルは政治的自由主義にしか関心がなく、反自由主義である「反主流派」の動きの中にこの運動を統合し、それを彼はフランス革命からネオコンの時代にまで遡っていた。政治的にこの傾向はフランスでは反自由主義の解剖学の著者であるスティーブン・ホームズによればジョゼフ・ド・メーストルから伝統主義者としての反応まで遡ることになる。 

極右のプジャード派の起業家は競争に疑念を呈し、国家の保護を求めていた。

特にフランスでは1995年以来、2003年の年金改革やとりわけ欧州憲法条約に対する国民投票を通じて、今日の反自由主義の運動は展開してきた。反グローバリゼーション運動とフランスにおける反自由主義を掲げるグループは「反」ヨーロッパ運動の間に生まれ、反自由主義左派に属している。彼らはしばしば彼ら自身を「超自由主義」や「新自由主義」と呼ばれるものに代わるものとして眺めている。彼らの反対は本質的に経済問題に対して投げかけられている。この運動は特にPCF、les Alternatifs、LCR党、緑の党、社会党等を含んでいる。私たちはまた、ATTACやコペルニクス財団のような団体を加えることができる。この反自由主義はしばしば実際にはマルクス主義の社会主義者であるアラン・ビールによって強調されるように反資本主義である[9]。

2 反自由主義運動の分析

2.1 リベラルの分析

1927年にリベラリズムの中で記されているオーストリア学派の経済学派であるルートヴィヒ・フォン・ミーゼスにとって、反自由主義に対する「心理学的」理由は2つの領域にまたがっている。

うまく成されているものに対する憤りと合理的な議論が導き出すだろう感情になる。

「フーリエの複素数」とも示されるが、ミーゼスは、挫かれた願いにより神経質になり、非現実的なイデオロギーに基づくより良い世界の中を浮かんでいると考えているものをそれにより表現している。

最近では、作家でありエッセイストであるギ・ソルマンが、自由主義と反自由主義が特徴づけているものとの違いを強調していた。2007年4月に彼は以下のように述べた。「反ユダヤ主義がユダヤ人とほとんど関係がなく、反米主義が本当のアメリカと離れたものであるのと同じように、反自由主義はフランスの自由主義とほとんど関係がない。この反自由主義は、想像上の話として、それを声高に言う対象について説明していたが、私たちにフランスのリベラルの伝統について何も示していなかった。」[11] 彼は後にこう付け加えた。「反自由主義はいつも惨憺たるものであったが、一方自由主義はイスラムに対してであれそうでないにせよ前に進んでいる。」[12]

ペルーの作家であるマリオ・バルガス・リョサは、反自由主義が極右と極左の接点になっていると述べており、左派は概して「スケープゴート」として作り上げた自由主義に対して繰り返した敵愾心によって極右の反自由主義者と反動主義者を呼び覚ましたと考えていた。さらに反自由主義はバルガス・リョサによるとある知的サークルにとっては過去の共産主義のイデオロギーに取って代わるものとして眺められていた[13]。フランスの哲学者であるジャン=フランソワ・ルヴェルは同様の考えを展開し、自由主義に対する現代の敵愾心は「空想的社会主義後の再評価」に対する願望につながっていると2000年に述べていた[14]。

2.2 反自由主義は陰謀説によって導かれているのか?

ボルケスタイン指令や2004年の欧州条約に関する国民投票のように、さまざまな場面で、ブリュッセル以来「国民に対して」向けられてきた「超自由主義の」計画の反対者による批評は、時には陰謀主義者のビジョンとして描かれてきた。この分析によれば、たとえ彼ら自身が絶対に陰謀ではないと話していたにせよ、そうでないにせよ、この反自由主義はリベラルの陰謀に対する抵抗として考えられてきた[16]。例えば作家でありジャーナリストであるステファン・デニによれば、この見方から「ヨーロッパはリベラルによる陰謀論の中心である」とされている[17]。さらに一般化すると、レゼコーの編集者によれば、フランスにおける「改革」の反対者たちは「リベラルによる大きな陰謀論が彼らを脅かしていると考えている」[18]。ジャーナリストであるジャン・キャトルメールは陰謀論に傾くAcrimedのような協会を批判している[19]。この状況の中で、彼はこの協会の協同推進者であるアンリ・マレの生き生きしたレプリカを描いていた[20]。

パリ政治学院教授のアラン・ウォルフェルスペルジェはさらに一般化して反自由主義の中に陰謀論からさらに進んだ誇大な解釈を眺めている[21]。

フランスのエコノミストであるピエール・カユクは、多面的な考慮を妨げながら、「リベラル」のそして「アングロサクソン」の陰謀があらゆる状況を多元的に決定していることを残念に思っていた。

3 フランスの反自由主義

3.1 政治表明

フランスには排他的なリベラルの大政党は存在しておらず、反自由主義の左派や右派からの声明が聞かれることがある。このことは政治学者であるフィリップ・レイノーにそれがフランスにおける「反自由主義の環境」を支配していると示されている[23]。

同様にジャン=ピエール・シュベヌマンは2006年に「反自由主義で共和制支持のより良い候補者」としての資格を得たが、一方社会党第一書記であるフランソワ・オランドは「私は同じように左派であり反自由主義である」と付け加えた[25]。ジャック・シラクは2005年に「自由主義は共産主義と同じくらい惨憺たるものである」と考えており[26]、2007年に「自由主義は人間の思考の堕落である」と付け加えていた。ジャック・シラクと同じように編集者であるケルドレル・イブはフランスにおける反自由主義の最も決意の固い旗手だった[27]。2008年5月にベルトラン・ドラノエはニコラ・サルコジについて「サルコジズムに示される抑制された独裁体制は徹底的に反自由主義の立場だった」と付け加えていた[28]。

3.2 起源と説明

2つの傾向がフランスにおける反自由主義運動の説明において錯綜しており、ある人々はそれを文化的先祖返りとして眺め、他の人々は純粋に一時的な理由を眺めていた。

もしエリー・アレヴィの定義にしたがうならば、フランスの反自由主義は政治に動機づけられ、権力に対する反対や「チェック・アンド・バランス」のシステムを拒否するフランスの絶対主義者の伝統の中に根付いていると思われた。その結果、国民が階層的にでなく個人が何か別のものや組織にしたがっている限り、フランスにおける反自由主義のある形態が、同様に手際の良くないやり方で、広く認識されたリベラルの意思を示していないことを問題にすることは自由であった。アレクシス・ド・トクヴィルによれば、自由主義経済と重農主義者がフランス革命で伝えたアンシャン・レジームの行政の伝統の回復の混合がフランスの問題の源であると見られていた。政治アナリストであるエズラ・スレイマンは同様にフランスは「自発的な反自由主義」の国であると考えていた[30]。

その反対に、哲学者であるマルセル・ゴーシェは、フランス社会の一部である現代の反自由主義は戦後のブーム後に生まれた新しい世界に直面し「状況のずれや後退に対する認識」を示しており、それに対しそれは代替モデルを有していないと考えていた[31]。反自由主義の精神分析の中で、クリスティアン・ストファエは、国民的な反自由主義が歴史的基礎を有していないことを示すために、バスティア、セー、リュエフとともにフランスの思想におけるリベラルの遺産を同様に強調していた。

3.2.1 反自由主義の政治

エリー・アレヴィによる[32]。「政治的自由主義は道徳上の悲観主義に依存している。人間の性質は本質的に悪であり、国家の本当の関心や個人の本当の関心を理解することは不可能であり、すべての政府は悪である…多様な憲法の思想や複雑な憲法の思想、民主的な要素は貴族的な要素にとって「失敗」であることや逆も同様であること、行政権と司法権、司法権と立法権、行政権と立法権は同じ重みを有しており、それは仕組みの中でバランスを保っている…リベラルな国家は、それが主権のない国家であるかそれが多くの主権を封じ込めているといったことを望むときはいつでも述べることができる国家である。」 しかしフランスでは第三共和制の間でさえ、国家は複数の主権を有することが可能であり、正確に言えば、対等な主体の間に対話が存在する可能性があるといった考えに対する不信があった。

1930年代にアメリカの経済学者であるエドワード・メイソンはフランスの社会主義を研究するためにフランスを訪れ、最終的に十分に近似された話を通じある記事にまとめた。「しかしながらサン=シモンと現代の自由主義は2つのことを願っており、自由な利益に対する制限を課した入念なネットワークが存在している。この2つのドクトリンの間の主な違いはこれらの制限における性質になる。サン=シモンは、社会の利益を阻む特定の利益を妨げるのに十分なほど強い、ビジネスにおけるある種の道徳である倫理の発展の可能性を眺めていた。共通の道徳に関する思想を受け入れることの必要性を強調し、ある場合にはビジネスの倫理を発展させる可能性を認める自由主義は、しかしながら、政府による規制のやり方を構築することの意義を強調していた。サン=シモンも自由主義も政府による企業の支配と所有に対する経済的利潤によって強い印象を与えられていない。」[3]

3.2.2 反自由主義の経済

ミシェル・ゴデにとって、企業、貿易、集中の自由は「フランスでは歪められた形で同一視されてきたが、資本主義にとって他のすべての国ではリベラルは改革派、進歩派、民主派であり、保守派に反対する人々だった」[34]。歴史家であるゼーブ・シュテルンヘルは反自由主義は左派にとって危険なものであると考えており、事実「反自由主義者であると言うことは反資本主義者であると述べていることにしかならず、同時にリベラルの価値観に反対していると述べていることになる」[35]。

オーギュスタン・ランジェとダビッド・テスマルは以下のように考えていた。「自由主義経済を拒否するこの現象について印象づけるものは、それがフランスの特異な点であるといったことである」[36]。著者たちによると、フランスの反自由主義は起源に関して文化的なものではなく、戦後のブームに特に関連していた。1945年以前、自由主義はフランス社会のコンセンサスだったが、自由貿易には反対していた。第二次世界大戦はこのコンセンサスに影響を与え、戦後の強い経済成長が「反自由主義にフランスの有権者の意識を向けさせることになった」。しかしながらこれらの著者たちは、前もって蓄積された富の格差により主に「機械的に」戦後の成長がなされ(戦間期や第二次世界大戦の間)、成長を「効率的に調整した」とされている統制経済の成果によるものではないと考えていた。この「ノスタルジー」は例えば、この時代にアングロ=サクソンの国々で採用された政策と逆に作用し、1981年の国有化の波を説明するだろう[37]。

反自由主義との関係でランジェやテスマルが、フランスのビジネスリーダーが利益を巡る潜在的対立を認識することを拒否していると強調していることは記されるべきであり、反権力の役割を彼らはこう記していた。「多数の従業員を監視する方法に権威を与える言葉は...ボスの仕事になった....フランスは支配層のエリートが率直なところ直面している可能性がある利益の対立を明示的に認識することを拒否していた」[38]。

Enjeux les Échos誌は同様に、反自由主義は自由主義を示すものを不当に扱い非常に遠ざける恐れを鑑みるとフランス特有のことであると考えていた。ジャーナリストであるマリー=ポール・ヴィラールは、自由主義がすべての現代の問題に責任があるとするのはフランスにおいてでしかなく、これが結局のところリベラルの哲学の基礎とほとんど関係がないとするのは仕方がないことでもあると記していた[39]。

エコノミストであるジル・サン・ポールは自由主義に反対する信念の意義とそれらの伝達のメカニズムを強調していた。彼によれば、フランスは「市場経済に対するマイナスの社会的評価によって特徴づけられた。そして改革に対する抵抗を増大させる信用を生み出すシステムが存在していた。この信用は教育システムやメディアといった機関のバイアスによって再生産されていた」[40]。それは、2002年の大統領選挙において、教員の72%が左派の候補者に投票する意思を表明しており、「マルクス主義者」と呼ばれる候補者に対してその13%が賛同していたことを強調する結果になる(反対票はそれぞれ42,89%と13,81%になり、実際全人口を記載したものに対する数字になる)[40]。

フランスとドイツでは、教科書が企業の世界を悪いものとして描いており、学校は「市場経済に対する深刻な嫌悪感を頭の中に植え付けることを手助けしていた」[41][42]。社会学者であるミシェル・ロカールは「全般的にフランスの経済に対する理解のなさ」を残念に思っており、「抽象化と教条主義のレベルが社会的実践の中におけるあらゆる活用を妨げるビジョンを経済における彼らの短い間の仲間から受け継いできた中等教育を終えた学生たちとともに2,3年前に交わした会話を思い出していた」[43]。

この反自由主義はマイナスの結果をもたらす可能性があり、ニコラス・バヴェレズにとって、「反自由主義はフランスの衰退や後退の原理を見出す惨事になっていた」[44]。スイスの新聞であるル・タンによれば、右派と左派からフランスの反自由主義はフランスを動けなくしていた」[45]。モニーク・カント=スペルバーやベルナール・アンリ・レヴィのような哲学者は同様に現在展開されている反自由主義の考え方を批判しており、それは、左派が近代化に取り組み、リベラルの遺産の分け前を要求することを妨げていると考えていた[46][47]。この観点は同様に、左派が特にフランスで「自由主義を愛する」ことを学ばねばならないと考えている経済学者であるアルベルト・アレシナやフランチェスコ・ジャバッチによって共有されており、同じようにとりわけ経済学的含意の中で、彼らによると自由主義は年金や特権に対して反対運動を行っており、「部外者」を保護していることを理由にしている[48]。

http://de.wikipedia.org/wiki/Neoliberalismus

新自由主義

新自由主義は(古典ギリシャ語のνέος neos「新しい」とラテン語のliberalis「自由に関する」からきており)概念上の造語であり、最初、1938年にフランスのエコノミストであるベルナール・ラヴェルニュが特徴を示し[1]、同じ年にアレクサンダー・リュストウによってドイツの専門用語としてパリで開催されたウォルター・リップマン・シンポジウムにおいて定義されていた[2]。20世紀中頃の自由主義の再来はさまざまな経済的そして政治的概念を含んでいた。数世紀を通じて、古典的自由主義は経済活動に国家が介入することに反対する新自由主義に取って代わられたが、寡占や独占といった不完全競争を是正する介入を肯定しており、経済的自由と政治組織の相互依存関係が強調されていた。

新自由主義という言葉は扱う範囲が広く多様であり、そのため個々の学派や個々人の描写は論争の元になっていた。特にフライブルク学派(オルドリベラリズム)とシカゴ学派は新自由主義学派と呼ばれるが、オーストリア学派のフリードリヒ・フォン・ハイエクも同様であった。主にオルドリベラルでは、彼は社会的市場経済の重要な理論的基礎をなしたとされていた[3][4]。

1960年代にこの言葉は忘れ去られ、それは新自由主義者として振る舞う研究者のつながりが活発でなかったことによる。

1970年代に新自由主義という言葉は再び取り上げられるようになり、意味の変遷を経験した。チリの新自由主義に反対する研究者はその言葉を否定的な意味で用いており、シカゴ・ボーイによるラディカルな改革に影響を及ぼしたシカゴ学派の思想を批判していた[5]。

経済史的観点とは別に、政治的概念、成長モデル、イデオロギー、アカデミズムのパラダイムとして新自由主義という言葉が新たに用いられるようなった[6]。一部の批評家は、自由市場システムの発展に対する不正で反社会的な影響を及ぼしていることを念頭に、その言葉を用いていた。

最近では新自由主義という言葉は基本的に論争の多い概念、論争中の問題、政治的軽視の表現として用いられている[7][8][9]。

1 歴史と展開

19世紀にはすでに古典的自由主義と社会主義からの散発的な批判があった(先駆けとしてのレプケ、ジャン=シャルル=レオナール 、シモンド・ド・シスモンディ、ピエール=ジョゼフ・プルードン、ウィルヘルム・ハインリヒ・リール、ピョートル・アレクセイヴィチ・クロポトキン、ピエール・ギヨーム・フレデリク・ル・プレイなどが上げられる)。新自由主義の始まりは通常戦間期に遡る。ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス、フランク・ナイト、エドウィン・キャナンはまだ新自由主義の代表として認知されていなかったが、特にミーゼスは次の世代に大きな影響を及ぼしていた。1920年代に始まる中央による計画経済と金融面での過剰投資に対する彼の批判はリベラルな人々に好意的に受け止められていた[10]。

新自由主義に貢献した最初の学派として、1930年代に起こったフライブルク学派、キャナン学派、シカゴ学派が挙げられる。ヨーロッパの学派は社会主義、共産主義、ナチズムとの対立によって特徴づけられ、同時に古典的自由主義とは一線を画していた。彼らは価格システムに対する政府の介入(例えばニューディール政策)を批判しており、国家の経済力を最大限縮小する市場経済を提案していた[10]。

最初は個々の学派間の交流はほとんどなかったが、アングロサクソン諸国において国家社会主義が導入されてきたので、1930年代においてドイツやオーストリアの新自由主義者たちは変わっていった。最初の国際会議は1938年にパリで開催されたウォルター・リップマン・シンポジウムであり、自由主義の改革のための研究における国際センターになる。ウォルター・リップマン・シンポジウムで新自由主義という言葉を造り上げていた。アレクサンダー・リュストウによる新語は新資本主義、社会的自由主義、左派による自由主義(フランスの左派自由主義)といった代替案に優っていた[11]。その名称は19世紀のレッセ・フェールの自由主義と対比された新しいリベラルの考え方を示していた。しかしすべてが新自由主義という言葉を採用していた訳ではなく、レプケは新自由主義という言葉の定義を「会議における最も不運な結果」と呼び、オイケンはそれを原則として拒否していた[12]。しかしながら第二次世界大戦から1960年代初頭までその言葉は使用され続け、特にドイツでは、社会経済に関する概念上の基礎について重要な議論が行われていた[13]。

第二次大戦後モンペルラン・ソサイエティーの支援により国際的なネットワークが増加していた。新自由主義の思想家がその考えを結集し普及させるために、ウォルター・リップマン・シンポジウムの15人の参加者が1947年にモンペルラン・ソサイエティーを設立していた。ここですぐにアルベルト・フーノルトやアウグスト・フォン・ハイエクが指導力を発揮していた[14]。1960年代初頭にはフォン・ハイエクのグループとフーノルトやヴィルヘルム・レプケのグループの間で社会の将来の方向性について議論があった。結果としてレプケは1962年に会長の職を降り、フーノルトとレプケは外に出ることになった[15]。第二次大戦後多くの諸国が経済システムを選択する問題に直面することになった。1945年から1965年の間に新自由主義は最大の政治的影響力を及ぼすようになっていた[10]。アカデミズムはフリードリヒ・フォン・ハイエク、ミルトン・フリードマン、ジョージ・スティグラー、ジェームズ・M・ブキャナンのような思想家にノーベル賞を授与していた。

1.1 外観

新自由主義という言葉は広く多様な潮流を表現するために用いられており、他の学派との大きな違いや個々の学派や人々の違いが議論の対象となっている。

したがって例えばリュストウの伝記作家であるカトリン・マイアー=ルストはすでにウォルター・リップマン・シンポジウムで「古いリベラル」との不一致を示しており、それに彼女はフォン・ミーゼスやフォン・ハイエクを含めており、新自由主義者であるオイケン、ルプケ、リュストウも紛れもなく明らかにそうであった[16]。リュストウは1959年に「多くの古いリベラル、妥協しない古いリベラルの一部に対して、特にアメリカでは、それを間違った方法であり誤解を招いていたが「新自由主義」と呼び、大きな混乱を引き起こしていた。不運にも私たちはそれに対し特許訴訟や商標の保護を行うことができなかった」との不快感を述べていた[17]。

リュストウの伝記作家であるヤン・ヘグナーの後、基本的な考え方によって新自由主義者たちを区別することはできなくなり、むしろ政府の機能と責任の範囲や介入の結果における問い掛けに対する微妙な差異しか存在していなかった[18]。ヘグナーによれば社会指向の新自由主義(ヨーロッパ大陸に影響された新自由主義)と個人指向の新自由主義(アングロサクソンの新自由主義)を区別することができる程度だった。個人指向の学派に彼はロンドン学派(ライオネル・ロビンズ、エドウィン・キャナン、Th・グレゴリー、F・C・ベンハムなど)、オーストリア学派(ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス、フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク、ゴットフリート・フォン・ハーバラー、フリッツ・マッハループなど)、シカゴ学派(ミルトン・フリードマン、ヘンリー・C・シモンズ、G・スティグラー、フランク・ナイトなど)を含めていた。「もし一般的な用語として社会指向の新自由主義を受け入れるならば、その概念を細分化することが可能になる。これらは個々のオルドリベラリズム(フライブルク学派、ヴァルター・オイケン、フランツ・ベーム、ハンス・グロスマン=ドエルト)、社会学的新自由主義(ヴィルヘルム・レプケ、アレクサンダー・リュストウ)、社会的市場経済に該当する。」 社会指向の新自由主義は社会に対する特別な義務を眺めることができ、それを社会のメンバーは引き受け、それをいざというときには行うことになる。「概して、基本的な方向性についてこれらの多様な新自由主義は異なった力点を有しており、思想家たちが互いに影響を受け合うといった事実の分類を意識して行うことができる。結局のところ個人的な研究の力点、その態度、内容に関連していない違いが、大陸のグループの支持者のその場における分類を決定していた。」[19]

エルンスト=ヴォルフラム・デュルに関連して、ラルフ・プタクは、競争の確保や社会政策の実施といった政府の役割になると、アングロサクソンの造語である個人指向の新自由主義は基本的に厳しい基準を当てはめることに気が付いた[20]。50年代の終わりはヨーロッパ大陸型の新自由主義とアングロサクソン型の新自由主義の違いが明確になり始め、モンペルラン・ソサイエティーに激しい対立をもたらしたが、プタクによれば、過大評価されるべきではなかった。新自由主義が統一的な見解を示していないといった事実は、少なくともブルジョワ国家や現代の産業社会に対してその国特有の発展の経路を説明しており、それゆえ国民経済のドグマと自由主義の理論における違いが生じていた[21]。

ラース・ゲルテンバッハは、多様な新自由主義のアプローチにもかかわらず、さまざまな学派における内容に関する一致点を見出していた。オルドリベラリズムやシカゴ学派は、一方では古典的自由主義(レッセ・フェールの自由主義)から、他方では社会主義から定義されていた。古典的自由主義から新自由主義を分ける認識論的契機はミーゼスの理論的方向転換に基づいており、後の2つの学派の中で保証されることになった。オーストリア学派、ロンドン学派、シカゴ学派、オルドリベラリズムが決定的な役割を果たしたように、ハイエクは、ゲルテンバッハによれば、新自由主義の中心的存在になっていた[22]。しかしこの基本的な合意にもかかわらず、ゲルテンバッハによれば、ハイエクとオルドリベラリズムの間には広範囲にわたる違いが存在していた。「社会正義の基準に対する立場を含む市場指向の規制を意識して制定するオルドリベラルの構想は自発的な秩序を考慮していたハイエクの理論と矛盾していた。」 もう1つの理論的な経済上の違いは、ハイエクがオイケンと対照的に市場均衡に対する新古典派の考え方から乖離していたという事実にあった[23]。その違いはしかしながら少なくとも基本的な理論の方向性に存在していたが、「政治的目標の方向性にも存在しており、政治的レトリックにおいても基本的に確認することができた」。オルドリベラリズムと異なり、ハイエクの新自由主義は、特に政治的観点でいえば、中道を介するものではないと理解されていた[24]。

ピースは、細部の違いにもかかわらず、ハイエクとオイケンの仕事は同じ考え方を有していたといった結論に達していた[25]。

経済倫理学者であるピーター・ウルリッヒは(アングロサクソンの)新自由主義とオルドリベラリズムの本質的な違いを以下のように眺めていた。新自由主義の効率性は[…]資本の効率的使用における市場経済システムの機能に関する要件を国家が用意することになるので政治の優越を認めていたが、一方、オルドリベラリズムの指導者であるウィルヘルム・レプケ、アレクサンダー・リュストウ、ヴァルター・オイケンは市場経済のロジックより政治的倫理の優越を強調していた[26]。

1.1.1 市場指向の規制の考え方

ゲルテンバッハは、市場の秩序のための法整備の必要性に関して、ハイエクの理論とオルドリベラリズムとの内容に関する一致点を眺めていた。ここではしかしながらオルドリベラルの思想は市場指向の規制を意識した制度や社会正義の基準に対する政治的方向性の前で自発的な秩序を考慮しているハイエクの理論と矛盾しており、ハイエクの見方によれば、規制を意識した制度の設計は「知識の不当行使」に基づいていた(認識論的懐疑論)[27]。インゴ・ピースによれば、ハイエクの訴えは、まるで彼が政治的禁欲を求めているかのように、秩序を計画しないことであると解釈されていなかった。ハイエクは、オイケンが規制のカテゴリーで用いた意味でなく、結果としてのカテゴリーといった意味で「秩序」という言葉を用いており、ピースの見方によれば、多数の文献において誤解が散見されていた[28]。ハイエクは自発的な秩序に言及しており、自発的な規制に言及していなかった。したがって意図的になされた規制に基づいた完全に自発的な秩序の形成はハイエクにとって十分に想定できることであった[29]。

シカゴ学派としてのハイエクとオルドリベラリズムは生存に対する国家の保証について議論していた。ラインハルト・ジントルによれば、競争のプロセスにおける不正を正すことではなく、共同体としての責任がハイエクにとって重要であった[30]。フィリップ・バッチャーニによれば、権力や所得の分配に関して、市場の結果における変化に対してでなく、行動様式に対して国家の規制が適用されるかもしれないといったことが、原則的にハイエクに対して当てはまっていた[31]。累進税率の所得税を彼は受け入れていなかった[32]。オルドリベラルの思想家であるオイケンにとって、しかしながら、それは所得分配から生じる競争に対して累進税率の所得税のように低所得の家計に対する是正のための秩序を必要としていた[33]。特定の状況では、最低賃金の固定化が提唱されていた[34]。

ベルント・ジーグラーによれば、シカゴ学派は自由放任政策を代表しており、それは国家に対し狭く定義された活動しか割り当てていなかった。その後国家は、国を守り貧困層を支援するために、私有財産を保護しなければならなかった。特にフリードマンは福祉国家を費用がかかる「モンスター」とみなしており、彼は国家による年金や最低賃金同様、公共住宅の建設までも受け入れていなかった[35]。

1.1.2 競争の秩序

オルドリベラル学派にとって独占禁止法は自由市場を機能させることを保障しており、国家の活動はここにおいて必要であると思われていた。「シカゴ学派は、あらゆる状況における参入障壁をなくすことにより、競争は調整されるだろうと期待していたので、上述のようには眺めていなかった。これゆえ独占禁止法でさえそれを抑制するために適用される評判の良くない規制を形成するだろうと考えられていた。」[36] ハイエクは原則として競争政策に関連した国家による制約を受け入れておらず、必需品やサービスにおける独占においてのみ、彼は政府の介入を正当化していた。著作においてハイエクは一貫して、国力に関連した民間の経済力をこの背景において危険な自由でもなければ批判される対象でもないとみなしていたことを認めていた...ハイエクにとって経済的独占や独占から生じる市場を支配する力は、原則として個人の自由や競争に対する脅威を意味していなかった...ハイエクは後期の著作の中で競争が存在している独占の効率性に付随する独占の問題に対する態度を示しており、そのことはリバタリアンであることを正当化する強い意味を有していなかった[37]。

1.2 ヨーロッパ大陸の特徴を有する新自由主義

1.2.1 オルドリベラリズム

「オルドリベラリズム」という言葉はヒーロー・ムーラーに遡り、1950年代に議論されていた。それは徐々に定着していき、部分的にはドイツ語の「新自由主義」の同義語として、また部分的にはフライブルク学派のために厳密に意味を限定した語として用いられていた。時としてそれは新自由主義と矛盾しており、モン・ペルラン・ソサイエティーのハイエクやフリードマンの影響の下で発展したウィーンの思想やシカゴ学派はその新自由主義に制限されていた[38][39]。フライブルク学派のオルドリベラリズムは新自由主義をドイツに焼き直した形の中で中心的な位置を占めていた[40]。フライブルク学派は1930年代初頭に形成され、法律家やエコノミストはオイケンの指導の下で国民経済の理論や経済秩序にまつわる一連の問題に取り組もうとしていた。彼らの観点はドイツの合法的なカルテルや独占を支援しており、彼らの特別の関心はそれゆえ独占禁止法や制限された経済力や競争の維持にあった。これは、国家社会主義が終焉を迎えた後、ドイツの経済組織を再考することにつながった。カール・フリードリヒ・ゲルデラーやフライブルク学派を巡り抵抗する関係が存在していた[10]。

1.2.1.1 ヴァルター・オイケン

オイケンはドイツの秩序モデルにおける思想を打ち破ることを援助していた。彼の『国民経済学の基礎』(1940)の中で、それまでまだドイツで優勢だった(アングロサクソンの)理論経済学からの分離や「部分を強調し抽象化する」といったドイツでまだ普及していた歴史学的方法を克服することを試みていた。結果として、彼は2つの基本的で理想的な経済システムである中央管理経済と流通経済を提唱していた。『経済政策原理』(1952)の中で彼はこれらのモデルを実体経済のシステムと連携させていた。原則から導かれていないとして、彼は混合モデルを受け入れなかった。彼は完全競争のモデルに基づき経済システムを発展させ、現実を認識する方法を示していた。継続する競争を通じてのみ、経済力と個人の自由の一貫性が可能であった[41]。

オイケンによって打ち立てられた路線は、ルートヴィヒ・エアハルト(1949–1963,連邦経済大臣、1963–1966,首相)に示されるように、社会的市場経済の中によくまとめられていた[42]。したがってオイケンは社会的市場経済における理論的な思想家としてみなされていた[43]。

1948年に彼は経済と社会の秩序についての年報であるORDOといった雑誌を出していた。

秩序に関する政策における基礎研究に従事していたフライブルク大学のヴァルター・オイケン研究所やドイツにおけるオルドリベラリズムやヨーロッパの政治を区別して受け入れてきたヴァルター-オイケン-アーカイブは彼の名にちなんでいた。それは彼が50歳の頃のことだった。彼の命日に秩序に関する政策を扱う財団が設立された。

1.2.1.2 フランツ・ベーム

フランツ・ベームはオイケンとともにフライブルク学派(オルドリベラリズム)の創始者として扱われていた。大きな影響を及ぼした彼の学説には、私法の社会と市場の社会における法的なそして経済的な秩序に関する相互依存の分析が含まれていた。私法の社会は国家と社会の分離を通じて示されていた。それは競争における秩序を必要としていた。彼の初期の著作において、彼は構成主義的な競争における秩序の基準を通じて完全競争を設ける見方を抱いていた。後期の著作はこの要求から離れ、法的枠組み(自由と市場経済における秩序)の中で自由競争を制限することを考慮していた[41]。

1.2.1.3 オルドリベラリズムの他の支持者たち

フライブルク学派の他の支持者たちはハンス・グロスマン=ドエルト、ハンス・ゲシュトリッヒ、ベルンハルト・プフィスター、コンスタンティン・フォン・ディーツェ、フリードリヒ・A・ルッツ、フリッツ・W・マイヤー、カール・フリードリヒ・マイヤー、レオンハルト・ミクシュ、アドルフ・ラムペ、ルドルフ・ジョーンズになる。それだけでなくエルヴィン・フォン・ベッケラート、ギュンター・シュメルダース、ハインリッヒ・フライヘル・フォン・シュタッケルベルクが密接に関連していた[10]。

1.2.2 社会学的(新)自由主義

理論家であるアレクサンダー・リュストウ、ヴィルヘルム・レプケ、そして部分的にはアルフレッド・ミュラー=アルマックは、レプケによれば、社会学的新自由主義(同様に社会学的自由主義、経済自由主義、人文主義)の立場を示していた。これらは広い意味でオルドリベラリズムの方向性を示していたが、この分類は論争の余地が残っている[44]。

経済力に課された制約とともに主にフライブルク学派を取り扱う際、リュストウやレプケは社会学的問題、例えば社会的一体性(社会的補償)や大衆化に着目していた[45]。オルドリベラリズムの対処法はそのため社会的な介入に拡大していた。市場経済はキリスト教的人文主義の倫理を達成するための手段として機能していた。

1.2.2.1 ヴィルヘルム・レプケ

「経済の基準は人間である。人間の基準は神との関係になる。」-ヴィルヘルム・レプケ[41]

経済秩序はレプケにとって社会秩序の一部だった。社会秩序の目標は人間の社会基盤を奪うことに対し抵抗することであり、集散主義の動向に抵抗できない人間を援助することであった。早くから彼は現代の福祉国家の傾向に集散主義の特徴を認め、それを強く批判していた。

1.2.2.2 アレクサンダー・リュストウ

1932年にアレクサンダー・リュストウは社会政策学会での会議において新しい自由主義の目標を概説していた。

「今日受け入れられ、私の友人とともに支持している新しい自由主義はあらゆる場面において想像以上の強い国家、経済を超える国家を必要としており、それは相応しいものになるだろう。」-アレクサンダー・リュストウ[46]

ドイツの新自由主義の誕生とみなされるこのスピーチで、リュストウは、大規模な経済社会における逸脱に対する望ましくない構造変化を避けるための政府の介入を責任があるものにした。これらの必要な調整を妨げる代わりに、これらのプロセスは摩擦的損失を最小化するためにも加速されるべきであった[47]。リュストウは保守的な補助金に反対していたが、非介入主義と一定の拡大を示す介入主義の間における第3の解決として、時間的に物質的に制限された範囲か例外的な状況においてのみ認められる適応のための補助金を提案していた。これによって構造変化の結果は、目標とされ市場に基づいた介入の加速を通じて、調整コストを最小化するために、もたらされるべきであった[48]。

リュストウは「強い国家」を利益集団からの圧力を払いのけることができないことを意識していない国家に対する対抗モデルとして理解していた。その強さは多量の仕事や手の届かないところにある権威から生じているのではなく、たんに競合する利益集団から影響を受けない能力によるものであった。この能力は秩序のフレームワークを保護し国家の機能を制限することに基づいていた[49]。リュストウの見方によれば、市場は役立つ機能を有しており、それは個人や社会が要求する物質を確認することを意図していた。市場に関して競争は組織の原理になる。しかし競争の原理は社会統合を促さず、これらの原理のみに社会は依存していない。それゆえリュストウは市場の限界を第2の領域として区別しており、その下で彼は、文化、倫理、宗教、家族といった人間性の本質を理解していた。ここに道徳的価値観や組織の原理が存在していた。この領域では、課題、統合、連帯、道徳的基準を確認することができた。国家が課題を2つの領域の中で互いに制限し、それぞれの領域の内側で秩序のフレームワークを設定し保障していたのは、領域の内側で干渉し、そこでは自己組織化が機能しないからであった(補完性の原理)[50]。

1.2.3 社会的市場経済

社会的市場経済はオルドリベラリズムの思想に基づいているが、よりプラグマティズムの立場が強いものであり、例えば経済政策に対する政治の影響の強さや社会政策自体の主張を強調している点が挙げられる[3][51]。トゥーフトフェルトはこれを自主的な新自由主義のタイプであるとみなしていた。

1.2.3.1 ルートヴィヒ・エアハルト

「つまりかつて理論が時代の様子を正しく解釈しており、それらの知見が適切な経済社会政策に新たな推進力を与えていたとき、今日の新自由主義者やオルドリベラリストのような人間の思想に十分な価値があった。あなたは経済政策にいつも多くの社会政策を強調しながら与えており、機械仕掛けのような思考の孤立からあなたを解放していた。」-ルートヴィヒ・エアハルト[52]

1.2.3.2 アルフレッド・ミュラー=アルマック

『経済統制と市場経済』(1946)という著作の中でミュラー=アルマックは「社会的市場経済」の考え方を発展させた。市場と社会は対立事項として認識されていなかった。すでに大きな社会保障給付が結果として残っていた。市場の効率性は生活水準の継続的な改善を可能にしていた。このことは1人あたりの所得と社会サービスのために利用できる資金を増加させていた。消費者の権利と競争は権力の集中に対して反対に作用していた。これらは、家族保険、新しい所有権の形成、自営業のための機会の改善、企業経営への参加といった社会制度を補完していた[41]。ミュラー=アルマックは社会的市場経済の概念によりフォン・ミーゼス、フォン・ハイエク、オイケン、ベーム、ミクシュとともにそれを指摘しており、レプケとリュストウが影響されていた。

どの経済主体にも市場で彼ら自身を良くする機会を与えているので、競争経済システムはすでに自発的に社会的であるといったことを背景にして、秩序政策と社会政策に関する広い定義から生じている、オルドリベラリズムと対照的に、アルフレッド・ミュラー=アルマックは、社会的平等に関心がある国家は経済的プロセスに十分に介入するべきであり、そうしなければならないが、とりわけ市場にしたがった資金でなければならないといった思想を示していた。キリスト教の社会倫理の要素を含めることで、社会的市場経済は、抑制のきかない資本主義の欠点だけでなく中央計画経済をも同様に避けるために「市場における自由の原則と社会的バランスをその代わりに組み合わせていた」[54]。社会政策の形成に加えて、ミュラー=アルマックは、経済政策に対する政府の活動の必要性を強調していた。カール・ゲオルク・ツィンはこう記していた。「しかしながら、ミュラー=アルマックと新自由主義的な自由市場経済の支持者たちとの間には大きな違いが存在していた。多くの点でミュラー=アルマックは理論的純粋主義者であるオイケンより移住者であるレプケやリュストウの哲学的思想に近かった。ミュラー=アルマックは社会政策や国家の経済的そして構造的政策に対してオイケンよりも重みを与えていた。」[55]

1.2.4 イタリア

最も重要な科学者たちはルイージ・エイナウディ、コンスタンティーノ・ブレッシアーニ・トゥローニ、ブルーノ・レオーニ、カルロ・アントーニになる。ルイージ・エイナウディはイタリア銀行の頭取で、後に副大統領と財務大臣になり、1948年から1955年までイタリアの大統領になった。

1.2.5 フランス

フランスにおける新自由主義の支持者はウォルター・リップマン・シンポジウムの主催者であるルイ・ルージェ、ルイ・ボーダン、モーリス・アレ、ギャストン・ルデュック、ダニエル・ヴィレ、ジャック・リュエフになる。1980年から新しいエコノミストのグループが登場することになる[10]。

1.3 アングロサクソンの新自由主義

1.3.1 キャナンの学派

1930年代にロンドン・スクール・オブ・エコノミクスでは、当時支配的だったフェビアン社会主義と対照的に、経済学派が形成されていた。キャナン自身はまだイギリスの古典派の影響下にあった。創始者であるキャナンを除いてその学派に属していたのは、フレデリック・チャールズ・ベンハム、セオドア・エマニュエル・グレゴリー、ウィリアム・ハロルド・ハット、フランク・ウォルター・ペイシュ、アーノルド・プラント、ライオネル・チャールズ・ロビンズになる。ケープタワン大学で教えていたハットを除いてすべてがLSEで教えていた[10]。

キャナンの学派の影響は主にミーゼスとハイエクに及んでいた。ハイエクは1935年から1950年までロンドンで教授を務めていた。特に中央統制経済を継続的に批判していた。さらにキャナンの学派はケインズ主義と一線を画していた。しかし彼らはレッセ・フェールの自由主義から離れた立場にあった。経済学における立場は、ケインズ経済学に基づくと、なおざりにされたものであった[10]。

経済問題研究所はグループのメンバーによって1957年に設立された。キャナンの学派はいわゆるHobart Paper、一般の著作物、不定期の論文、1980年からはThe Journal of Economic Affairsを刊行していた[10]。

1.3.2 カール・ポパー

第二次大戦後にカール・ポパーはロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで講義を行っていた。彼は特にあらゆる種類の歴史主義と全体主義を批判していた。それは経済への民主的な介入をともなう新自由主義の社会経済モデルを示していた。彼はしばしば参照するフリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエクの著作から強い影響を受けていた。彼は彼が擁護している点在していた社会工学とユートピア的社会工学を区別していた。経済的プロセスの計画は却下されたユートピア的社会工学にそれを組み込むことができた[10]。

1.3.3 オーストリア学派

オーストリア学派を新自由主義に分類することには論争の余地があった。一部の著者たちは第3世代以降の支持者たちを新自由主義の典型的な代表として眺めていたが[41]、他の著者たちはそれを否定しており[56][57][58]、その中に新自由主義に属する新オーストリア学派の代表であるミーゼスを含めていたが、彼の学説を反対に眺めて、彼を古典的自由主義に分類していた[59]。アレクサンダー・リュストウやヴィルヘルム・レプケでさえ旧自由主義のオーストリア学派に分類されており、彼らは新自由主義から離れた立場に分類されていた[60][61]。

1.3.3.1 ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス

ミーゼスは介入主義のミクロ経済分析を発展させていた。彼の初期の著作である『リベラリズム』(1927)や『介入主義への批判』(1929)では、彼は国家の介入における効率性を検証していた。彼は政府の介入がその大胆な目標を達成することはないと結論づけていた。しかしそれらは、専制主義国家による秩序、禁止、規制を通じて個人の自由を拡大することを制限することにつながった。そしてこのことは徐々に蝕むプロセスへとつながった(油汚れ理論を参照のこと)。ミーゼスはそのため長く混合システムを受け入れなかった。彼の最も広範な著作である『国民経済学:行動と経済活動の理論』(1940)は個人主義の方法論に基づいて人間の行動の演繹的理論を展開していた[41]。

1.3.3.2 フリードリヒ・フォン・ハイエク

フリードリヒ・フォン・ハイエクは通常オーストリア学派のミーゼスの弟子として分類されている。しかし時々ハイエクはオルドリベラリズムに分類され[62]、フライブルク学派の伝統の中に見られることもある[63]。1962年にフライブルク大学に務めたとき、ハイエクははっきりと友人であるオイケンの後継として彼自身をみなしていた[64]。ハイエクは「ヒュームとスミスの古典的自由主義や社会の発展の進化に対する展望をきっかけに非常に明示的に」『自由の条件』(1960)の中に彼自身を見ていた[65]。1981年にハイエクは、彼は新自由主義的でなかったと述べ、基本を変えることなく古典的自由主義の原則を発展させたいと考えていた。1980年代には新自由主義の意味のシフトがあり、このシフトは批判のための概念としてハイエクの思想(そしてミルトン・フリードマンの思想)を必要としていた[66]。

ハイエクの影響力のあるモノグラフである『隷従への道』(1940)は、彼によって観察されるイギリスの社会主義的傾向の拡大に反対していた。同様の傾向はナチズムによって導かれた1920年代と1930年代のドイツにおいても見受けられた。ナチズムは特に資本主義運動として左派知識人にとって認められていたが、ハイエクはそれを社会主義として分類していた[41]。両者は集産主義の哲学的伝統に由来しており、それはある時には国際的な側面を示し、別の時には民族主義的な側面を示していた。結局のところ両者は「あらゆる目標のための手段を支配する」と言われており、すべての社会を1つの目標に向けることを強制しようとしていた。経済的自由の制限は政治的自由の制限から分離することができず、集産主義である両者は全体主義を示すことになる。

例えば逃れることができずに増加し続ける東欧のブロック経済から西欧の社会主義にある危険性を感じながら、彼は福祉国家の発展を心配しながら眺めていた。『自由の条件』(1960)の中で、彼は個人の自由と国家の法律制定との関係に対する議論に没頭していた[41]。

全体主義的民主主義による個人の人権に対する脅威は最終的には法律、その制定、自由の中で議論されていた。彼は政治権力を制限する実用的な手段として民主主義の原理を擁護していたが、それらは個人の自由を保障することにはつながらなかった。彼は利益集団による政治的影響力の増大に対する危険性を眺めていた。そのため、独裁の危険性を防ぐために、民主的な意思決定と個人の人権との関係が重要であった。「自由主義にとって[…]あらゆる規制は強制的な権力の制限を主要な課題として見ており、それらが民主的であるか否かは問題になっていない。それに対して教条主義的な民主主義者は国家権力の制限のみを認めており、それはその時その時の多数派の意見になる。」[67]

ハイエクの貢献は今なお自発的な秩序に対する理論にとって重要であり、同様に「方法を見出す手段としての市場」に対する彼の考えも同様であった。これに基づき、ハイエクは新古典派の均衡理論を文化の進化に関する彼の理論と対比させていた。

ハイエクは「誰もがそれ以下に落ち込む必要がない」最低所得を主張しており、この最低所得保障は社会における明白な義務であった[68]。これらは犯罪予防のためにも用いられていた[69]。

1.3.4 シカゴ学派

シカゴ学派は戦間期におけるアメリカで増大する介入主義(特にニューディール政策)に対する反対から生じていた。それらの支持者たちはたいてい同様に政治的であり、現実に対しリベラルな政治秩序をもたらすために機能していた[41]。シカゴ学派の支持者たちは初期の会合で国家の競争政策と明確に市場と両立する秩序を擁護していたドイツの新自由主義者たちと意見を一致させていた一方、1950年代のシカゴ学派の初期の支持者たちはこれらの原則から離れていった[70]。

1.3.4.1 ヘンリー・C・シモンズ

ヘンリー・カルヴァート・シモンズは『自由な社会のための経済政策』(1948)の中で自由な社会経済秩序のための基礎について構想を練っていた。彼は脅威を一方で独占の中に(これらは国有化される必要がある)、他方でアメリカの財政の中に見出していた。1936年に彼は『Monetary Policy』の中で既存の金融政策に反対し、それを通じて彼は通貨の操作を支援した。またその代わりに彼は物価の安定を目的としたルールに基づいたマネーサプライを主張していた。1938年に彼はフラット・タックス(個人所得課税(1938))を提唱していた。また政府機能の集中化の代わりに、彼は財政に対する責任にために連邦化の拡大(連邦政府の税制改革(1950))を継続していた[41]。

1.3.4.2 ミルトン・フリードマン

ノーベル賞受賞者であるミルトン・フリードマンは新自由主義の主要な推進者の1人と考えられていた。彼はシカゴ学派のマネタリズムにおいて金融政策の理論を発展させていた。自然独占の国有化について彼は市場を機能させていないとして受け入れなかった。同様に国家による所得の再分配はその目標に到達することができないとしていた(『資本主義と自由』(1962))。彼は変動為替レートの主な支持者の1人であった[41]。

後に彼は経済分析の方法を政治にあてはめ、政党や政治に対する各種団体や利益団体のロビー活動や影響に関する理論を発展させた[41]。

「政治的な権益が何らかの形で経済的権益より貴いものになるといったことは本当に真実でしょうか?[…]私たちのために社会を組織するつもりの希少な人を見つけたらどうか私に教えてほしい?」-ミルトン・フリードマン:フィル・ドナヒューとの1979年のインタビューにて

競争の促進、技術的独占や外部効果に対する措置、私的なチャリティーを定義するために、フリードマンは維持すべき法と秩序や所有権を国家の課題に組み入れた[71]。資本主義と自由の中でフリードマンは貧困を緩和するためのベーシック・インカムと呼ばれる負の所得税の提案をまとめあげた[72][73]。

ハイエクのようにミルトン・フリードマンは後の発表物の中で新自由主義の表現から距離をおき、彼自身を古典的自由主義者の支持者として示していた(古いスタイルの自由主義)[74]。

1.3.5 政治経済学におけるバージニア学派

バージニア学派の最も重要な支持者にノーベル賞受賞者であるジェームズ・M・ブキャナンやゴードン・タロックが含まれ、公共選択論に対して重要な貢献をした。

2 1980年頃からの意味の変化

2.1 意味の変化の歴史

ボアズ/ガンズ=モースの後、新自由主義の本来の意味はフライブルク学派(オルドリベラリズム)を指しており、古典的自由主義に対する穏やかな代替手段としてみられていた[75]。彼らはケインズ主義と福祉国家の拡大を受け入れていなかったが、社会政策の意義を強調しており、市場原理主義を受け入れていなかった[76]。彼らはオルドリベラリズムに基本的に同意していない他のリベラルの思想家と彼ら自身を分けていた。新自由主義という言葉は旧自由主義と区別するためにオルドリベラルによって作られたが、1960年に例えばリュストウは旧自由主義の指導者たちが新自由主義者として記されることについて注文をつけていた[77]。今日の科学者はしばしばフリードリヒ・フォン・ハイエクやミルトン・フリードマンを新自由主義の父として見ているが、1950年代や1960年代にはフライブルク学派やエコノミストによって特に新自由主義という言葉を用いた科学記事の中に、私たちはオイケン、レプケ、リュストウ、ミュラー=アルマックとの関連を見出すことができた。その原理主義的な立場のために、対照的にハイエクはごくまれに、フリードマンはまったく新自由主義との関連をもつことがなかった[77]。1960年代中頃からのドイツの経済政策における新自由主義の影響はケインズ経済学の影響の増大とともに小さくなり、その言葉は今では用いられていない。どの学派もその時以来新自由主義と呼ばれなくなった[78][79]。

フライブルク学派の新自由主義に対して肯定的なモデルに基づくと、社会的市場経済に関するドイツのモデルやドイツの経済的奇跡は、1960年代のラテンアメリカにおける新自由主義という言葉を、肯定的な意味に対して中立的に振る舞うことから逸脱することなく、市場に対して友好的であるのと同様に市場に対して批判的な視点で眺めていた。1973年にピノチェト政権下で改革に関する批評家が、フライブルク学派や他の理論における所産を直接参照することなく、点在的にその言葉を使い始めたときに、最初の重要な変化が行われた。1973年9月11日チリにおけるアウグスト・ピノチェトのクーデターはこのシフトにおける主要な点を以下のように考えていた。決断力のない経済政策が続いた後、ピノチェトは1955年からシカゴでフリードマンと研究していたチリ人による経済政策に主要な役割を負わせ、彼らはシカゴ・ボーイズとして知られていた。ピノチェトの下で行われた経済政策はフリードマンやハイエクの理論をより原理主義的にしたものだった[80]。そのため専制体制の中で経済における国家の後退が生じ、この結果はかなりの論争を呼ぶことになった。1980年までの意味のシフトは以下のように生じていた。オルドリベラリズムの代わりにフライブルク学派をもちだすために、「新」という接頭辞はラディカルであり、フリードリヒ・フォン・ハイエクやミルトン・フリードマンの思想の価値を下げることと同義であり、ハイエクやフリードマンは彼ら自身を新自由主義者とは呼んでいなかった[81]。可能な1つの説明は、軍事政権が経済政策のプロパガンダの目的のために新自由主義と関連した社会的市場経済という言葉を用いたといったことになる[80]。

この軍事独裁政権下で、新自由主義は完全に本来の意味を失い、政治的抑圧の下での経済のラディカルな変更を意味していた。社会保障を犠牲にするので、新自由主義は還元主義者の立場からの批判の1つとして特徴づけられていた[82]。ここから新しい言葉の意味が広がり、現在は通常否定的な意味で用いられ、この現象は自由市場との関係にもちこまれることになった[80]。

アンドレアス・レナーによれば、アンソニー・ギデンズは現在の意味での新自由主義の概念を用いていた。ギデンズは新自由主義とサッチャー主義や「新しい法律」を同等に扱っており、それによって彼は保守的な自由主義経済の政治的概念を確立していた。そう理解されている新自由主義をラルフ・ダーレンドルフは「経済政策の新しい正当派」と分類し、ミルトン・フリードマンを最も影響力のある支持者としてみなしていた。レナーによれば、マリー・ロスバードやイスラエル・カーズナー他による適切な「自由市場」を求める「リバタリアン」の最小国家の概念を「最小国家」や「市場原理主義」のキーワードがそれに分類しており、今日のアメリカにおけるオーストリア学派の伝統を継続していた[83]。今日科学者による新自由主義という言葉は主に市場原理主義を示すために用いられており[76]、ロナルド・レーガンやマーガレット・サッチャーの経済政策との関連はない[84]。

2.2 最近における言葉の用法

ゲルハルト・ヴィルケはその言葉を「闘いのスローガン」として眺めている[85]。

アンドレアス・レナーによれば、新自由主義は狭い視野の経済政策を目標にした政治的スローガンとしてその言葉を利用されており、社会的そして環境保護的課題を解決せず、むしろ悪化させていた。しかしこれらの狭い視野の経済政策はオイケン、レプケ、リュストウによるオルドリベラルの理論に基づいておらず、狭い視野の経済学的展望に反対して決定されてきたものを一変し、とりわけ「重要な政治」にマイナスの影響を及ぼすように想定されていた[78]。彼はドイツの経済秩序を求め、新自由主義におけるあいまいな考え方を放棄し、明確な考え方はオルドリベラリズムにあると主張していた。市場経済と計画経済の論争が終わった後、さまざまな市場経済の種類における詳細に考慮する意義が増大していた。それにより、代表的なリバタリアンの「自由市場を求める自由主義」を明確にすることが重要になった[86]。

ボアズ/ガンズ=モースの後、新自由主義という言葉はアカデミックなスローガンに発展し、「民主主義」のような他の社会科学における言葉と異なり、これらの言葉の意味はほとんど議論されていなかった。以前におけるこの言葉の使用は不均一に散在していたことが示されていた。出版物ではこの言葉はほとんど肯定的な規範の意味で正しく認識されずに用いられていた[79]。自由市場の支持者は、新自由主義という言葉は否定的な意味のために避けられており、他の言葉を探し、例えばジョン・ウィリアムソンはワシントン・コンセンサスという言葉を採用することを決めていたと述べていた[87]。開発政策の分野におけるアメリカの科学雑誌でこの言葉の使用を調べた結果、「民主主義」のような基本的に論争の余地がある概念と異なり、新自由主義という言葉の使用に際して、たいてい経験に基づかない科学の出版物において言葉の明確な定義が与えられていないことが確認されていた[79]。

著者たちは、新自由主義という新しい言葉の使用は基本的に論争の余地がある概念におけるすべての条件を満たしていると結論づけていた。新自由主義はさまざまな概念を参照しており、自由市場がその特徴を統合していた[88]。「民主主義」のような他の基本的に論争の余地がある概念と異なり、自由市場について意味のあるアカデミックな論争は妨げられてきており、共通の専門用語が用いられることはなかった。新自由主義の反対者と話をすると、自由市場の支持者は他の用語の使用に切り替えていた。このことは言葉の定義や存在している対立点を狭め、論争を成立させず、それは双方の側が自身の用語を基準にして研究を行い、発表していることによる。このことは、一方もしくは他方のマイナスの現象が実際にその用語に含まれているかどうかに対する議論を成立させなかった。著者たちは新自由主義という概念を放棄する必要性を認識しておらず、彼らは、新自由主義という用語が経験的研究に役立つ可能性が存在する固有のシナリオを示すのみだった[89]。

新自由主義という言葉の最近の用例とさらに4つのカテゴリーに分割された経済史を大雑把に眺めることができる。

政治的アプローチ[79]:その言葉は頻繁に経済政策の改革に対する批判と結びつけられていた。ワシントン・コンセンサスは新自由主義の経済プログラムの例としてしばしば引用されており[90]、ワシントン・コンセンサスは時として新自由主義の同意語として用いられていた[91]。レーガンの下でのアメリカ(レーガノミクス)、サッチャーの下でのイギリス(サッチャリズム)[92]、ロジャー・ダグラスの下でのニュージーランド(ロジャーノミクス)[93]における経済政策の改革はしばしば新自由主義と呼ばれていた。経済政策の概念については3つのカテゴリーに分割される。

政府の役割の低減、国家機能の民営化、資本移動の規制緩和になる。

ジョセフ・スティグリッツによると新自由主義の考え方はこれらの3つの要素の組合せによって特徴づけられる[94]。

開発モデル[79]:さらに新自由主義という言葉は、構造主義者の経済政策に対する国家介入主義者のモデルに代わる(主に南アメリカ)労働組合、私有企業、政府からなる一定の役割に対する包括的な国家モデルと秩序モデルに対する言葉にまで見受けられる。

イデオロギー[79]:著者たちは、特に国家を最小限に縮小することによって促進される包括的な社会的価値としての自由といった用語において、個人の自由と共同体の間の特別な規範的関係の分析の中でその言葉を用いることを続けていた。

アカデミズムにおけるパラダイム[79]:最近では新自由主義的な記述の使用は特定の経済学のパラダイム、特に新古典派理論にまで見受けられる。

3 認容と批判

3.1 ノーム・チョムスキー

言語学者であるノーム・チョムスキーは1998年に『金儲けがすべてでいいのか グローバリズムの正体』を出版した。それは新自由主義がロナルド・レーガンやマーガレット・サッチャーによるグローバルな覇権主義から長らく続いている事実を示していた。このことは大多数を犠牲にして少数が特権を享受していることを意味していた。大企業とそのカルテルはアメリカの政治を支配していた。自由市場は少なくとも競争的なシステムを生み出していなかった。アメリカの政党に対する大企業の政治的影響力を通じて、民主主義は損なわれていた。アメリカ政府は大企業を補助金や輸入関税を通じて助けていた。政府による大企業支援の典型的な例は世界貿易機関になる。代替案として、彼はリバタリアンの社会主義を眺めていた[95]。

3.2 ミシェル・フーコー

フランスの哲学者であるミシェル・フーコーは1979年1月24日のコレージュ・ド・フランスでの講義の中で『生政治の誕生』というタイトルの下、古典的自由主義に対するドイツの新自由主義(特にヴァルター・オイケン)の割合やそれに対する哲学者であるエトムント・フッサールの影響を検討していた[96]。

3.3 新マルクス主義による解釈

新マルクス主義の展望によれば、新自由主義は階級に関する問題を示していた。この見方は新自由主義をフォーディズムの局面において資本家の支配の弱体化に対する反応として解釈されていた。この対抗運動の目的は労働者の利益の抑制、企業収益の増加、所得格差の拡大であった[97]。新マルクス主義の観点からの最も重要な批判の1つはデヴィッド・ハーヴェイによるものになる[98]。彼の著作である『新自由主義―その歴史的展開と現在』において、ハーヴェイは新自由主義を経済エリートが権力を回復する政治的構想として解釈することが可能であると指摘していた[97][98]。

シャンタル・ムフやエルネスト・ラクラウは新自由主義を古典的自由主義における自由や後の政治的イデオロギーに対する挑戦的な試みの中に眺めていた。自由主義は自由を手に入れる手段として格差に取り組む国家の介入を考えていた。すぐに政治的自由は論争の中に含められ、結局のところ貧困や主な社会的格差は自由を危機に陥れる要因として認識されるようになった。新自由主義は「無制限に専有する権利や資本主義市場経済の中で干渉しないものとしての自由に対する伝統的な考え方」に戻ろうとしていた。このことは、潜在的な全体主義としていかなる「肯定的な」自由の考え方に対する評価をも落としてしまう構想を含んでいた[100]。

3.4 環境保護の観点からの批判

一部の環境保護主義者は、市場に対する規制緩和、民営化の推進、国家の役割の縮小を通じて生じたグローバル経済を、私たちの地球における生態系のバランスや自然の多様性に対する脅威として眺めていた[101][102][103][104][105]。市場の制約を取り除くことは生物資源が限られているという事実を無視したものであった。実質を伴わない見かけだけの富は社会的、人的、もしくは自然における資本から生じているので、個人の期待を重視する市場に対する新自由主義的な考え方は生物圏を荒廃させ、地域社会の利益を害するだろう[106]。

http://it.wikipedia.org/wiki/Neoliberismo

新自由主義

新自由主義は経済的自由主義(リベラル)の立場をとる人々によって用いられた言葉になり、80年代から大きな影響力をもった経済的ドグマになり、特にマーガレット・サッチャーやロナルド・レーガンによるものが挙げられる。それは国家の経済の自由化、公共サービスの民営化、すべての非戦略部門の自由化、関税の撤廃を支持していた。

この政策を採用する国家において顕著な経済成長が見られたことにより、新自由主義の支持者たちは、長期において自由市場を促進することはGDPで測定される一般的な経済成長や貿易の促進を生じさせると説明していた。この好循環は富裕層の繁栄のみならず、広い民衆においても同様であるとされていた。

この経済改革はすべての人々の権利を擁護する側面がその人自身やその人生を自由にすると考えられていた。これらの理論は、厳密には保守層でなく、本質的には自由主義や資本主義に基づいた政治力によって支持されていた。

新自由主義に対する批判

批評によれば、新自由主義はすべての人々に恩恵をもたらすよう機能しておらず、国内の異なる社会階層にある人々の格差や富裕国と恵まれない国々の間の格差を助長していた。この政策は多数の人々を犠牲にして一部の国々や多国籍企業の富を増加させていた。

他の批評家は、再生することができない資源に損害を与え、負の外部性を生じさせることにより地球全体を犠牲にして、富裕化のプロセスが進行していたと指摘していた。メキシコ最大の州であるチアパス州で活動しているグループであるサパティスタ民族解放軍はこの経済モデルに反対しており、それはメキシコの植民地化をもたらすことを背景にしていた。

「ショック・ドクトリン』の中でナオミ・クラインは新自由主義の非民主的な特徴を批判していた。この理論は先入観を排除しており、戦争や災害のような惨事を通じた混乱やショックを利用したり、メディアを利用することを含んでおり、具体的には債務(世界銀行、WTO、IMF)を口実に一般の人々の利益に反し多国籍企業や圧力団体の利益に合致する自由主義の改革を推し進めるよう主要な金融機関が政府に圧力をかけていたことを指していた。

新自由主義という選択

新自由主義経済という選択は最近多くの第三世界(例えばミャンマーやパキスタン)そして社会主義から脱したヨーロッパの中部や東部の国々において採用されており、主な国際機関(世界銀行、WTO、IMF)に対するアクセスの後、その選択を迫られていた。

November 3, 2011 in 学問・資格 , 経済・政治・国際 , 雑記 , 
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October 09, 2011

福島の事故の背景を把握するためにーアメリカのWikipediaの「地球温暖化に関する議論」の項目を読んで考えたこと

『Merchants of Doubt』の著者によれば、ほぼ世界的なコンセンサスに反対する最も著名な科学者たちは、温室効果ガスを規制する政府の行動によって損失を被る立場にある自動車や石油などの産業によって資金を供給されているといったアメリカの事例は、テーマを地球温暖化に限った話ではなく、原子力産業についても通じる話だろうと考えることがあった。

政治科学者であるRoger Pielke, Jr.による「科学は必然的に政治と絡み合っている」との批判があるものの、『The Republican War on Science』の著者であるクリス・ムーニーによれば、懐疑的な科学者、コメンテーター、おそらく無関係な論争の中にあるシンクタンクといった重なる面があるグループの表面上の輪郭は科学的な分析を政治的イデオロギーとすり替える組織化された活動から生じており[...]、そのことはいつもそれ自体の政治的目標を達成するために科学的研究を歪め、隠匿してきたとの事例は、やはり地球温暖化に限った話ではなく、低線量被曝や内部被曝の影響の過小評価にも通じる話になるだろうと考えることがあった。

科学編集者であるBrooks Hansonの2010年の論説によれば「IPCCのレポートは気候変動のペースを過小評価しているが、一方温室効果ガスの排出を抑制する社会の能力を過大評価している」との記述があるが、アメリカのNRCが規制に合わなくなった老朽化した原発の処理策として規制自体を緩和することによって対処してきた事例と併せて考えると、原子力産業は事故を過小評価する傾向にあり、規制をクリアすることができないならば、規制を変更することで法的問題をクリアするといったアメリカの処理策と、地震によって生じたであろう福島の事故の可能性について、地震を事故の原因として認めるならばこれまでの原発をすべて設計段階から見直さなければならないといった技術的脆弱性を認識することができない日本政府の対応とを重ねて眺めてみると、それは法的問題をクリアすることが技術的問題をクリアすることにつながるといった論理の倒錯を内在させている事例につながり、それは人々がアメリカや日本における原子力の安全規制当局の監視体制の能力を過大評価しているから生じているのではなかろうかと考えることがあった。

世界経済を脱炭素化するための論争の多い断片的なアプローチを擁護していた2010年5月のThe Hartwell Paperによれば「私たちの所産をまとめた原則は3つの包括的な目標を通じ人間の尊厳を提唱すべきであり、それらの原因が何であれ、すべての人たちに対してエネルギーへのアクセスを保障し、地球システムの基本的な機能を損なわない方法で私たちが発展することを保障し、すべての異常気象から生じるリスクや危険に耐えられるよう私たちの社会が十分に備えていることを保障することが含まれる」との提案がなされ、「地球システムの基本的な機能を損なわない方法で私たちが発展することを保障する」とは原発の事故を想定したものではなく、つまり放射性物質の拡散の危険性を抱えている現状を鑑みると、私たちが温室効果ガスを削減するために原発を選択するとするならば、それは地球システムの基本的な機能(生命系であれ何であれ)を損なう危険を冒しながらエネルギーへのアクセスを保障することになり、それは人間の尊厳を提唱するというよりむしろ人間の欺瞞性を提唱している可能性につながらないだろうかと考えるときがある。

アメリカ下院の監視・政府改革委員会に報告された気候科学者たちの調査によれば「すべての回答者のほぼ半数がさまざまな会話の中において「気候変動」「地球温暖化」や他の類似した用語を排除するための圧力を認識し、個人的に経験していた」と記されており、2008年6月にNASAの監査総監局によるレポートによれば、ホワイトハウスによって任命されたNASAのスタッフが、2004年の大統領選挙と関連する論争からブッシュ政権を守るため、地球温暖化に対する科学的データを検閲し、隠匿してきたと結論づけられていたことから理解されることは、同様の圧力がIAEAやICRPを始めとする機関の内外で低線量被曝や内部被曝の影響を巡る議論について科学者たちの間において加えられていた可能性が存在しており、福島では現在なお事故に関連した「危険性」を示す言葉に対する言葉狩りが続いている現状になるのだろう。

ウォールストリートジャーナルの社説を担当する評論家によれば非科学的な調査になるが、2007年1月30日のAP通信によれば、アンケートに回答した279人の気候科学者のうちほぼ半数が、ある時点で彼らはレポートから「地球温暖化」や「気候変動」に対する言及を削除するように言われていたと述べていたことや、他方でTyndall Centre for Climate ResearchのMike Hulmeによる、気候変動に関する声明や講演が環境問題におけるドラマや誇張されたレトリックを求める欲望を満足していないとき、気候変動のキャンペーンを行っている者によってますますとがめられていることに気付くことになるとの発言が意味するところを、福島における「風評被害」キャンペーンと重ね合わせると、日本のメディア、行政(政治家を含む)の担当者、専門家は事故に関連した「危険性」を示す言葉に対する言葉狩りを維持する圧力を継続すると同時に、「風評被害」にまつわる大規模なメディア戦略を仕組み、結果として住民の長期間にわたる低線量の被爆を増加させており、これはアメリカもそうだが、行政官僚化が進んでいる司法が健全に機能していないことを背景にしているといった視点とともに、今後の福島を考慮すると、除染とともに移住と補償を確保するためになすべきことについて詳細な議論が求められているのだろうと考えることがある。

前回同様これが全てであるとは言及しないが、アメリカのWikipediaの「地球温暖化に関する議論」の項目の一部を訳すことにより上記の知見をサポートすることにする。URLは以下に示されるとおりになる。

http://en.wikipedia.org/wiki/Global_warming_controversy

地球温暖化に関する議論

その特徴、原因、影響に関して、地球温暖化に関する議論は科学的な文献よりむしろ一般的なメディアにおいてかなり顕著であり、様々な論点に及んでいる[1][2]。論点は、特に20世紀半ば以降の世界の平均気温の上昇の原因、この温暖化のトレンドは前例のないものであるのかそれとも通常の気候変動の枠内に収まるものであるのか、人類はそれに大きく影響を及ぼしているのか、気温の上昇は全体的にもしくは部分的に貧弱な測定の産物であるのかを含んでいる。さらに議論は、気候感度の推定値、その後の温暖化の予測値、地球温暖化の影響が何を示すかに及んでいる。

科学的な文献では、地球の表面温度は最近数十年間で上昇しており、そのトレンドは主に人間による温室効果ガスの排出によるものであるとの強いコンセンサスが存在している。いくつかの組織は外部から拘束を受けない立場を支持しているけれども、国内や国外のあらゆる科学に関する組織はこの見解に合意している[3][4]。

1 歴史

1.1 世論

地球温暖化をテーマにしたアメリカのマスメディアによる報道は「1988年以前は最低限度だった」が、1988年の干ばつの後その関心がかなり増大し、「私たちの国を悩ませている異常に暑い気候は地球温暖化を理由にしている」とのJames E. Hansenによる上院での証言に関連することになる[5]。イギリスのメディアによる気候変動に関する初期の報道は「1988年に変化を示し、それは、原子力を推進し石炭産業を解体するためにマーガレット・サッチャーが気候変動のリスクを転用したことにより刺激されていたが、政府に対し対照的な解決を求める環境団体や反対の政治勢力によっても刺激されていた」[6]。すべての欧州連合の加盟国は1997年の京都議定書に批准しており、多くのヨーロッパの諸国がすでに1990年より前から温室効果ガスの排出を削減する行動をとっていた。例えばマーガレット・サッチャーは1988年に人間によってなされた気候変動に反対する行動を擁護しており[7]、ドイツは1980年代に緑の党が議席を獲得した後に行動を起こし始めていた。NGOによる実質的な行動も同様に行われていた[8]。「地球温暖化」やより政治的に中立的な「気候変動」の双方が2005年の政治的な流行語やキャッチフレーズとしてThe Global Language Monitorによって列挙されていた[9]。ヨーロッパでは、気候に対する人間の影響の概念が、他の多くの諸国より、特にアメリカで顕著であるが、急速に広く受け入れられるようになった[10][11]。「Europeans' Attitude Toward Climate Change」とのタイトルをもつ2009年のユーロバロメーターの調査は概して、ヨーロッパ人は「貧困、食料と飲料水の欠如」と「重大な世界的景気後退」の間にある今日の世界が直面している2番目に深刻な問題として気候変動を把握していると記している。ヨーロッパ人の87%は気候変動を「非常に深刻な」もしくは「深刻な」問題であると考えている一方、10%は「それを深刻な問題として考えていなかった」[12]。

どれほどの重みと報道が議論の各側に与えられるべきかに関し広く世間に知られた解説者の間で論争があった。BBCのAndrew Neilは「ある問題において私たちが片側に立ち、そこで私たちが1種類の見解のみを有していることが意味している大きな危険性が存在していた」と述べていた[13]。

2010年に出版された『Merchants of Doubt』の著者は、人間による炭素排出の影響を減らすための意味のある社会的もしくは政治的進歩を止めるために世論に疑いの種を蒔こうとしている気候変動の「懐疑論者」をとがめていた。アメリカ人口の半数のみが地球温暖化は人間の活動によるものであると考えているという事実はこれらのいわゆる懐疑論者の勝利として眺められることが可能であった[2]。著者の主要な議論の1つは、ほぼ世界的なコンセンサスに反対する最も著名な科学者たちが、温室効果ガスを規制する政府の行動によって損失を被る立場にある自動車や石油などの産業によって資金を供給されているといったことになる[14]。

地球温暖化に関する国民の認識における世論調査の結果の概要は以下のようになる[15][16][17]。

   賛成  
  (アメリカ)  地球温暖化はとても・非常に重要である[16]  49    2006  
(世界)気候変動は深刻な問題である[18]902006
(世界)人間の活動は気候変動の大きな要因である[17]792007
(アメリカ)すぐに主要な措置を講じることが必要である[17]592007
(アメリカ)  人間の活動のために地球はますます温暖化している[19]  492009

2007年にIpsos MORIによるイギリスの国民の認識におけるレポートは以下のように伝えていた。

原因と無関係に気候が変動しているとの広い認識が存在しており、88%がこれを真実であると考えている。

しかし世論は科学コミュニティの枠外に存在しており、41%が気候変動は人間の活動と自然のプロセスの双方によって引き起こされていると考えている。そして46%は人間の活動が主な理由であると考えている。

わずか少数のみが人為的な気候変動を否定しており、ほぼ半数(44%)が非常に関心を示している。しかし大多数がまだ完全には納得しておらず、脅威の程度において疑念を抱いたままである。

国民の間にはさらなる情報を求める強い傾向がまだ存在しており、63%が、彼らはこの問題における確かな見解に達するためにこれらの情報やそれが彼らにとって意味しているものを必要としていると述べている。

世論は気候変動を他の国民、場所、時代に対して具体化し続けている。そのことは、将来の世代に対し広範囲な影響を及ぼす世界の主要な問題としてますます認識されてきており、45%がそれは今日の世界が直面する最も深刻な脅威であると述べ、53%がそれは将来の世代に対し大きな影響を与えるだろうと考えている。しかし問題は国内や地域においてより小さな意味を示しており、事実9%のみが気候変動は彼らに個人的に大きな影響を与えるだろうと考えている。

カナダで放送に携わる環境活動家であるDavid Suzukiは、David Suzuki財団によって組織された主要なグループは世論が地球温暖化の背景にある科学に対して乏しい理解を示していることを明らかにしたことを伝えている[21]。このことは『不都合な真実』や『The 11th hour』のような映画を含むさまざまな手段を通じて広報されているにもかかわらず生じている。

乏しい理解の例として地球温暖化、オゾン層破壊や他の環境問題における国民の混乱が挙げられる[22][23]。

Pew Globalによって2006年に行われた15ヶ国の世論調査は「地球温暖化に関し大きなギャップが存在していることを示していた。日本人(66%)とインド人(65%)の約3分の2が彼らは地球温暖化について非常に懸念していると述べ、スペイン(51%)とフランス(46%)の人口の約半数が、問題について聞いたことがある人々に関して、地球温暖化について同様に非常に懸念していると述べている。しかし温室効果ガスの二大排出国であるアメリカや中国において地球温暖化に関する懸念の証拠が存在していない。問題を耳にしたことがあるアメリカ人のちょうど19%と中国人の20%が地球温暖化について非常に懸念していると述べており、それは調査対象の15ヶ国の中で最低の割合になる。さらにアメリカ人(47%)とそれより若干少ない中国人(37%)の約半数がほとんどもしくは全くその問題について関心がないと述べている」[24]。

Pew Global Attitudesによって2007年に行われた47ヶ国の世論調査は「多数派である37ヶ国中の25ヶ国が地球温暖化は「非常に深刻な」問題であると述べている」ことを示していた[25]。

科学者の見解と一般人の見解の間には違いが存在している。Pew Research Centerによる2009年の世論調査は「化石燃料を燃やすような人間の活動を理由にして地球はますます温暖化していると科学者たちの84%が述べる一方、一般人のちょうど49%がそれに同意していたこと」を示している[19]。BBCによるイギリスでの2010年の世論調査は「気候変動に懐疑的な割合が上昇している」ことを示していた[26]。Robert Watsonはこれを「非常に失望させることである」と示しており、「私たちは気候変動が深刻であると世論に理解させる必要があり、それゆえ彼らは彼らの習慣を変更し、私たちを低炭素社会へと移行させるだろう」と述べている。

1.2 関連した議論

地球温暖化に関するコンセンサスを得た見解に対する評論家の多くは全体的にもしくは部分的に、他の問題、特にオゾン層破壊、殺虫剤、受動喫煙のような環境リスクに関する問題における科学的コンセンサスに反対している[27][28]。『The Republican War on Science』の著者であるクリス・ムーニーは、懐疑的な科学者、コメンテーター、おそらく無関係な論争の中にあるシンクタンクといった重なる面があるグループの表面上の輪郭は科学的な分析を政治的イデオロギーとすり替える組織化された活動から生じていると主張していた。ムーニーは、科学的でなく政治的に論争になっている問題に対する疑念の助長がブッシュ政権下においてますます広く認められるようになっており、そのことはいつもそれ自体の政治的目標を達成するために科学的研究を歪め、隠匿してきたと述べている。このことは同様に『Crimes Against Nature: How George W. Bush and Corporate Pals are Plundering the Country and Hijacking Our Democracy』(ISBN 978-0060746872)といったタイトルをもつ環境弁護士であるRobert F. Kennedy Jr.による2004年の著作の主題になる。このトピックにおけるもう1冊は前アメリカ副大統領であるアル・ゴアによる『理性の奪還 もうひとつの「不都合な真実」』になる。このトレンドの初期の例はRoss Gelbspanによる『The Heat Is On』で扱われている。

地球温暖化に関する科学的コンセンサスに対する一部の批評家は、これらの問題はリンクされるべきでなく、それらへの言及は不当な人身攻撃を含んでいると主張していた[29]。政治科学者であるRoger Pielke, Jr.はムーニーに関して科学は必然的に政治と絡み合っていると主張していた。

2 主流派科学の立場とそれに対する疑念

気候が最近数十年で温暖化しており、人間の活動がすでに地球規模の気候変動に対し悪影響を及ぼしているといった知見は、主要先進国のすべての科学アカデミーを含む、気候変動に関する声明を発表したすべての国の科学アカデミーによって支持されている[32]。

最近の気候変動における論争はどのように地球温暖化が人為的な温室効果ガスと関係しているかを議論している。

2.1 コンセンサスに関する主張

多くの国々における環境団体、多くの政府によるレポート、メディアはしばしば、人為的な地球温暖化を支持する科学コミュニティにおいて実質的に全員の合意があると主張している[33][34][35][36]。主流派の科学評価に対する反対派の中の一部の者は、自然の力に関する人為的な地球温暖化(AGW)の定量的大きさや便益に対するその損害についての一般的な合意なしに気候に対し影響を及ぼす人間に対するコンセンサスが存在していると述べている[37]。他の反対派はその見解を完全に退け、彼らが定説のない科学であると述べるものを背景にした唯一の視点に焦点を当てることの危険性を強調し、科学は世論調査の結果でなく事実に基づくべきであると指摘している[38][39]。

環境ジャーナリストであるGeorge Monbiotは、2007年に公表された『500 Scientists Whose Research Contradicts Man-Made Global Warming Scares』[40]と題され、The Heartland Instituteによって配布されたリストはリストから除外されることを求める数多くの科学者たちを含んでいることを明らかにしていた[41][42]。The Heartland Instituteは名前を除外することに対する科学者たちの要望を拒絶し、科学者たちは「彼らが同意しない研究者によって作られた目録から彼らの名前が除外されることを要望する権利を法的にも倫理的にも保有していない」と述べていた[43]。

全米科学アカデミーの紀要にある2010年の論文は「1,372人の気候に関する研究者と彼らの出版物や引用データを分析し、(i)その分野において最も積極的に発表する気候に関する研究者の97-98%が気候変動における政府間パネルによって概説されたACCの主義主張を支持しており、(ii)関連する気候の専門性やACCに同意していない研究者の科学的意義は実質的にACCに同意した研究者のそれ以下であることを示していた」[44][45]。Judith Curryは「これは完全に合意されていない分析である」と述べ、一方Naomi Oreskesは、論文は「気候研究者の大多数が気候変動において合意している...合意していない人々は不幸にも—これはエリート主義に聞こえないように述べることが難しいのだが—実際の気候の研究者でないか生産的な研究者でないかのいずれかになる」ことを示していると述べている[45][46]。研究の共著者の1人であるJim Prallは「第三のカテゴリーとしていい加減さを含んでいることは手助けになるだろう」と認識していた[45]。

2.2 IPCCの権威について

気候変動における「標準的な」見解はIPCCのレポートによって定義されるようになり、それは多くの他の科学アカデミーや科学組織によって支持されている。2001年に16ヶ国の世界各国の科学アカデミーは気候変動に関し共同声明を行い、IPCCに対して彼らの支持を付与した[32]。

反対派は一般的にIPCCの進展、人々、総合判断やエグゼクティブサマリーのいずれかを攻撃していたが[47]、その科学レポートは注意を引かなかった。議論と批判のいくつかは、レポートを提出し、パネルで作業するためにIPCCによって招かれた専門家から生じていた。例えば、Richard Lindzenは公にIPCCの立場に反対している[48]。

ハリケーンの研究者であるChristopher Landseaは、私の専門性が関連しているIPCCの一部について、「私は個人的に事前に想定された議題によって動機づけられることや科学的に不健全であることの双方を私が認識しているプロセスに貢献することを善意で続けることはできない」と[49]、Landseaが認めていないKevin Trenberthによる記者会見でなされたコメントを理由にして、述べていた。Trenbertは「Landseaのコメントは正確でない」と述べ[50]、IPCCは「IPCCを代表して述べない限り、個人の科学者は彼ら自身の権利の中で彼らが思うことをすることができる」と答え、AR4のレビューフェーズにLandseaを含めることを提案した[31]。Roger Pielke, Jr.は「LandseaとTrenberthの双方が潔白を証明することが可能であり、そうすべきである...IPCCは政策立案者向けの最近のサマリーの中で熱帯低気圧と気候変動に対する科学的理解の状況を正確に報告した」とコメントしていた[50]。

2005年に上院の経済委員会は「政治的配慮によって明らかに影響を受けた排出のシナリオとサマリーの一部により、私たちはIPCCのプロセスの客観性についていくつかの懸念をしている」と記していた。それは大きい排出のシナリオに疑念を示しており、IPCCが委員会が「地球温暖化のいくつかの肯定的な側面」と呼んでいるものを「軽く扱っている」と述べていた[52]。上院の経済委員会の主な声明はイギリス政府[53]とスターン・レビューによって拒否された。

気候変動における人間の活動の影響に対し正確に科学的なコンセンサスを確立することの困難さについて、寄稿者であるJohn Christyはこう記していた。

寄稿者は本質的に、初めに少量の文章を寄稿し、最初の2本のドラフトをレビューすることが求められている。私たちは編集の決定を左右することはない。そしてさらに少ない影響が2,000人ぐらいのレビュアーに与えられている。このように、800人の寄稿者や2,000人のレビュアーがあらゆることについてコンセンサスに達したと述べることは現実とは異なる状況を描いている[54]。

彼はこう付け加えた。

私は私たちの気候の記録の精度について多くの論文を書いてきた。京都議定書の影響は、気候の自然変動や観測システムにおける精度の欠如により私たち科学者が測定できないほど小さいものになるだろう。言い換えれば、私たちはよく信頼された議員に、特定の規制がこの国や世界における気候に関して何かを達成すると述べることはできないだろう。さらに気候システムは非常に複雑であり、実際、予測可能な成果のために微調整されることは不可能である。

2008年12月10日にアメリカ上院環境・公共事業委員会のメンバーによって最も遠慮なく意見を述べる地球温暖化に懐疑的なJim Inhofeのリーダーシップの下で1つのレポートが公表された。レポートのタイミングはポーランドにあるポズナンでの地球温暖化防止会議と一致していた。それがIPCCからの科学的な反対意見をまとめたものであるとそれは述べている[55]。レポートに挙げられた個人の数についての声明の多くが、彼らが実際に科学者であるかどうかや彼らが彼らを原因とする立場を支持するかどうかといったことについて議論されていた[56][57][58]。

一部の批評家はIPCCが地球温暖化の可能性を過大に評価していると主張していたが、一方他は反対の批評を行っていた。サイエンティフィック・アメリカンに寄稿しているDavid Bielloは、政府代表の間でコンセンサスを形成する必要があるため、IPCCのレポートは地球温暖化における現実的な程度と影響について保守的な評価を与えていると主張している[59]。科学編集者であるBrooks Hansonは2010年の論説の中でこう述べている。「IPCCのレポートは気候変動のペースを過小評価しているが、一方温室効果ガスの排出を抑制する社会の能力を過大評価している」[60]。気候科学者であるJames E. Hansenは、IPCCの保守性はフロリダ南部の3分の1のように多くの低地を氾濫させるのに十分なメートルのオーダーで海面が上昇するリスクを深刻にも過小評価していると主張している[61]。Roger A. Pielke Sr.は同様に「人間は地球の気候を十分に変動させてきたが、二酸化炭素の排出の影響を上回る多様な方法によるものであり、地域や世界の気候を変動させる人間の気候に対する影響力の意義を認めることにおいて、IPCCの評価は非常に保守的だった」と述べていた[62]。

Henderson-Sellersは多くの懸念を明らかにする2007年のワークショップでIPCCの著者達からコメントを集めていた[63]。

2.3 温室効果ガス

最近の気候変動の議論は最近の地球温暖化の証拠を取り扱っている。CO2と気温の相関はこの証拠に含まれていない。それにもかかわらず、地球温暖化に対する議論は二酸化炭素(CO2)や他の温室効果ガス(GHGs)のレベルの上昇が地球温暖化と関連していないことを示している[64]。

氷床コアの研究は気温変化後の600±400年に沿っている[65]。最近の温暖化はわずか5ヶ月遅れた二酸化炭素のレベルによって説明されている[66]。そのタイムラグは、CO2の現在の増加は温暖化の結果であって、原因でないということを議論するために用いられていた。産業革命以前の気候変動は主に天文学的な力によって引き起こされていたことが一般的に合意されているが[67]、一方現代の温暖化の主要な要因はCO2の人為的な排出によって引き起こされていることが見出され、過去に観察されたことがないそのかなり緊密な関連を示している(したがって人間のCO2排出の意味に対する議論に戻ることになる)。大気中のCO2における炭素同位体の分析は、最近観察されたCO2の増加は、海洋、火山、生物圏由来のものでなく、したがってもし過去の期間において生じた同じプロセスが現在進行中ならば要求されるだろう気温の上昇に対する反応とはならないことを示している[68]。

二酸化炭素は地球の大気において390百万分率(ppm)を占めており、1830年代の284ppmから2009年の387ppmに増加している[69][70]。二酸化炭素は自然の温室効果の9%から26%の間に寄与している[71]。

古生代のオルドビス紀(約450,000,000年前)には地球の大気中のCO2の濃度は4400ppm(もしくは大気の0.44%)と推定されており、同時にいくらかの氷河作用の証拠も示していた。モデルによる研究は、高い大気中のCO2の濃度にもかかわらず300-500m以上の標高の地域が一年中雪に覆われていたことを示していた[72]。2006年の研究は、増加したCO2のレベルと氷河作用は同時に生じておらず、むしろアパラチア山脈の隆起と浸食に関連した風化作用が主に大気中の温室効果ガスを減少させ、観察された氷河作用を導いたと示唆している[73]。

上記で述べられているように、気候モデルは、温室効果ガスの影響を含む過去の世紀における気温の記録をシミュレートすることができるのみであり、IPCCの知見と一致しており、それはこう述べている。「主に人間の活動の結果である温室効果ガスの影響は過去50年以上観測された地球温暖化の大半の原因となる蓋然性が高いものであった」[74]。

将来における大気中の温室効果ガスに対するシナリオの「標準的な」セットはIPCCのSRESのシナリオになる。その範囲のシナリオの目的は、どれほど妥当なコースを将来の排出が選択するのかや、どういった影響をその排出はある範囲の可能な人口、経済、社会的トレンドの下で及ぼすのかについて予測していない[75]。気候モデルは、気候変動のための異なった結果を説明するためのインプットとしてのあらゆるシナリオを用いて分析されることが可能である。どのシナリオも公式に推奨されていないが、実際大気中のCO2における1%/年の増加に大雑把に対応している「A1b」のシナリオがしばしばモデル研究のために用いられている。

化石燃料消費のためのさまざまなシナリオについて論争が存在している。地球温暖化について懐疑的なFred Singerは、大気中のCO2の濃度は経済が炭素にそれほど依存していないので2倍にはならないだろうと「一部の公正な専門家が考えている」と述べていた[76]。

しかし多くの他の報告書のようにスターン報告[77]は、CO2の排出と経済成長の過去の相関に言及しており、GDP成長とCO2レベルを予測するために「通常業務を仮定した」シナリオを用いて外挿を行っており、こう結論づけている。

化石燃料の不足分が増大することは結局のところ排出の増加を止めることにはならないだろう。抽出することが有益な炭化水素のストックが、気候変動への影響に対し非常に危険な結果をともなう750ppm以上のCO2のレベルを世界にもたらすのに十分な程度以上に存在しているからである。

ローレンス・リバモア国立研究所によると、「地球は、もし人間が2300年までに地球全体で利用可能な化石燃料を使用するならば8℃(14.4℉)分温暖化するだろう」との言及がある[78]。

2.4 太陽の変動

主流派科学の地球温暖化に対する評価に反対している科学者たちは地球温暖化の原因に関してさまざまな意見を表明している。一部は人間が地球温暖化の主な原因であるかどうかについてまだ確かめられていないとだけ述べ、他方は地球温暖化の原因を自然の変動、海流、増加した太陽の活動や宇宙線で説明している。コンセンサスの立場は、太陽の放射は、純粋に人為的な影響である1.6W/㎡と比較し、1750年以来0.12W/㎡増加しているかもしれないといったことになる[79]。TARは「2つの主な自然の要因(太陽の変動や火山性のエアロゾル)の放射における影響の複合変化が過去20年そしてひょっとすると40年間マイナスに作用していたと評価されている」と述べた[80]。AR4は太陽の影響における最近の役割について直接的に断言していないが、以前の声明はAR4の図4と一致していた。

いくつかの研究は、太陽活動の現在のレベルが太陽黒点の活動や他の要因によって決定されるように歴史的に高いものであると述べている。太陽活動は、太陽から発せられるものにおける変化やより理論的には形成された雲の総量における間接的な影響によって気候に影響を及ぼしている可能性があった。Solanki達は、最近の60年から70年間における太陽活動は8,000年間における最も高いレベルに達しているかもしれないことを示唆していた。Muscheler達は、活動の比較的高いレベルが最近数千年において何回か発生していたとの示唆に同意していなかった[81]。Muscheler達は「太陽活動の再活発化が私たちに、最近の地球温暖化のわずかな割合しか変動する太陽活動によって説明されることができないといったことを述べている」と結論づけていた[82]。Solanki達は「太陽変動は過去30年間において強い温暖化の主要な原因になりそうもなく、せいぜい強い温暖化の30%が太陽由来だろう」と結論づけていた[83]。

他の論点は気温と太陽変動との相関関係になる[84]。

Mike LockwoodとClaus Fröhlichは、約1850年以来の地球の平均表面温度の記録により観測される温暖化は太陽変動の結果であることを意味しているといった表明を拒否していた[85]。LockwoodとFröhlichは「どのメカニズムが援用されようとも、どれほど太陽変動が増幅されようとも、1985年以後観測される地球の平均気温の急速な上昇は太陽変動を原因にしていない」と結論づけていた。

2.5 エアロゾルの影響

1940年代から1960年代にかけての温暖化の「一時休止」は硫酸塩のエアロゾルの冷却効果に一般的に起因している[86][87]。最近ではこの効果は地域によってばらつきがあるが、この影響は(相対的に)減少しており、それは温暖化を促進させているかもしれなかった(地球薄暮化を参照せよ)。このもう1つの例は太陽の増光を原因とするヨーロッパにおけるエアロゾル濃度の60%の減少を見出したRuckstuhlの論文の中にある[88]。

[...]エアロゾルによる直接の影響は間接的なエアロゾルや雲の影響より約5倍大きい気候への影響を有していた。地表の気候に誘発される全体のエアロゾルや雲の影響は~+1 W m−2 dec−1になり、それはヨーロッパにおける最近の急速な温暖化に最も強く寄与していた。

2.6 気温の記録に対する信頼性

2.6.1 計器による気温の記録

懐疑論者は、都市のヒートアイランド現象に基づいた計器による気温の記録の精度、地表にある測候所のネットワークの質、そして気温の記録に対する保障されていない調整として彼らが眺めているものに疑念を呈していた。

懐疑論者は、より多くの人口密集地域に位置する測候所は地球の気温上昇よりむしろ都市によって生み出された熱の増大による温暖化を示している可能性があると主張していた[89]。IPCCの第三次報告書は、都市のヒートアイランドは重要な局所的効果になることを認識していたが、地球の温暖化のトレンドに対する都市のヒートアイランドの影響は1990年を通じ0.05℃(0.09℉)程度であることを示唆する史的データの分析を引用していた[90]。最近では、Peterson(2003)は都市部と農村部で観察された温暖化に違いがないことを見出していた[91]。

Parker(2006)は、風のない夜と風が強い夜の間における温暖化について違いがないことを見出していた。都市のヒートアイランド現象は風のない夜に一番強く表れるので、このことは、地球の気温におけるトレンドが都市の現象によって十分な影響を受けていないといった証拠として把握されていた[92]。PielkeとMatsuiはParkerの結論について同意しない論文を発表していた[93]。

最近ではRoger A. PielkeとStephen McIntyreがアメリカの計器による気温の記録やそれに対する調整を批判しており、Pielke達はアメリカにある多くの測候所の立地の質の悪さを批判していた[94][95]。これに反応してAnthony Wattsはこれらの測候所の立地の質を写真を用いて文書化するためにボランティア活動を開始していた[96]。Wattsの仕事に基づき、Stephen McIntyreは、CRNレベル1(最高)やレベル2(良い)であるための必要条件を満たしていると認められたこれらの測候所のみを用いたアメリカの気温の歴史的データの再編成を終えていた。より高い質を保つ測候所は、アメリカにおいて最も温暖な年は1934年と1921年になり、1998年と2006年が後に続くことを示唆していた[97]。McIntyreは彼の知見を他者が再現できるように方法、データ、コードのすべてを作り上げていた。McIntyreの分析は査読誌で公表されることはなかった。

Joe D'Aleoや他の気候懐疑論者は同様に、NOAAやGISSの気温の記録は世界の平均気温を計算するために用いられた測候所の数の減少により温暖化のトレンドを示していることを示唆していた。彼は、温暖化のトレンドを示すために測候所をいいとこ取りしたことによりこれがなされたと述べていた。特に、気温の記録を有する大規模な地域はその地域の他の測候所から派生しているに過ぎないと述べていた。例えば、内陸で高い海抜高度にあるボリビアは、その気温をアマゾン流域やペルーのようなより低い海抜の地域から派生させていた[98][99][100]。

2.6.2 対流圏気温の記録

大循環モデルや基本的な物理の知識は、熱帯地方において対流圏の気温は地表の気温より急激に上昇するはずであると予測していた。アメリカの気候変動科学プログラムにおける2006年のレポートは、モデルや観測がほとんどの観測されたデータセットにおいて数十年の時間スケールでなく月次および経年の時間スケールにおける上昇に一致していたと述べていた。改善された測定と解析技術はこの溝を埋めており、補正されたブイや衛星の表面温度はわずかに涼しく、熱帯対流圏における補正された衛星やラジオゾンデの測定はわずかに暖かかった[101]。衛星の温度測定は、対流圏の気温が「地表の気温のそれに類似した割合」で上昇しており、IPCCにこの溝が埋められることを結論づけるよう促していた[102]。

2.6.3 南極の寒冷化

さまざまな個人、特に作家であるMichael Crichton[103]は、南極の気温測定[104]は地球温暖化と矛盾していると主張している。観察は明確にその半島が温暖化していることを示している。そのトレンドはほかのところでは温暖化と寒冷化の双方を示しているが、より小さな幅になり、トレンドが計算される季節とタイムスパンに依存している[105][106]。気候モデルは、南極における将来のトレンドは北極に比べて小幅になると予測している[107]。

論争は大衆紙やブログに限られており、科学コミュニティ内で行われた関連した論争の証拠は存在していない。Crichtonによって引用された論文の主執筆者であるPeter Doranは「...私たちの結果は『State of Fear』の中でCrichtonによって地球温暖化に反対する『証拠』として誤用されてきた...」と述べており、例えばRealClimateのような他は矛盾がないことに合意している[109]。

2.7 気候感度

平衡気候感度は、放射強制力(RF)における単位変動にしたがった全球平均地表面温度(ΔTs)における平衡の変動に関係している[110]。

ΔTs=λRF, λは気候感度パラメータである[111]

気候感度は通常、大気中のCO2の倍増による全球平均気温の上昇として表現される。この値はIPCC第4次評価報告書によって推定され、それは「約3℃という最良の推定値を含む2から4.5℃の範囲に収まる可能性がある」。

地表面温度履歴と海洋貯熱量の組合せを用いて、Stephen E. Schwartzは、倍増されたCO2のために1.9±1.0Kといった気候感度の推定値を提案し、1.1±0.5Kから上方に改訂していた[113]。Grant Foster、James Annan、Gavin Schmidt、Michael E. Mann[114][115]は、Schwartzの分析の双方のバージョンに誤りがあると主張していた。天文学者であるNir Shavivは同様に0.35+/-0.09°K/(W/m2)といった気候感度に対する値を計算しており、それはさまざまな史的データセットと一致していた[116][117]。Petr Chylekと共著者は同様に倍増したCO2に対する低い気候感度を提案しており、1.6K±0.4Kになると推定していた[118]。

2.8 赤外線アイリス仮説

Richard Lindzenは、気候変動を安定化する傾向にある気象プロセスを補う赤外線アイリス仮説を提案していた[119]。Roy Spencer達は「アイリス」効果の考えを「潜在的に支持するかもしれない」熱帯の季節内変動において海洋-大気系への熱のインプットにおける純減を発見したが、彼らの仕事はかなり短期間のスケールに関連していることを指摘していた[120]。他の分析は、アイリス効果がLindzenによって提案された否定的なフィードバックよりむしろ肯定的なフィードバックになることを見出していた[121]。

2.9 内部における熱の放射の影響

Roy Spencerは「内部における熱の放射」が気候変動に影響を与えているとの仮説を立てた[122][123]。

[...]自然の気候変動を観察するとき原因と結果をごちゃ混ぜにすることは、気候システムが温室効果ガスの排出に対して実際以上に敏感であるとの間違った結論につながる可能性がある. . . .それは、地球温暖化は主に自然内部の気候変動の現れであるといった(少数派の)見方に対し定量的なメカニズムを与えている。

[...]1900年以来の南方振動や太平洋十年規模振動指数の加重平均に比例すると仮定される1Wm-2以上の低周波の内部における熱の放射は観測同様の海洋温度の振る舞いを生み出している。観測された100年の気温のトレンドの70%も同様であるが、1900年から1940年まで温暖化し、1970年代を通じてわずかに寒冷化し、その後現在まで再び温暖化している。

Spencerの仮説は2011年に査読雑誌であるRemote Sensingで公表された。

2.10 気温の予測

将来の気温上昇における従来の予測は将来のGHG排出(SRESを参照せよ)や気候感度の推定値に依存している。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)によって参照されるモデルは、地球の気温が1990年から2100年までに1.1から6.4℃(2.0から11.5℉)まで上昇する可能性があると予測している。他は、気温の上昇がIPCCが推定する以上に高くなるかもしれないと提案している。ある説は、正のフィードバック効果が急変する地球温暖化を導く「転換点」に気候が達するかもしれないとの立場を取っている。海氷の融解、より暗い海水の出現、永久凍土の融解からのメタンにおける潜在的な大量放出のようなフィードバックは太陽から放射される熱における反射の減少を含んでいる[124]。

検証される予測の例は1959年に遡り、Bert Bolin博士は全米科学アカデミーのスピーチで、2000年までに1859年のレベルと比較し大気中の二酸化炭素が25%増加するだろうと予測していた。この予測は過小推定であると証明された。2000年までの実際の増加は約29%になる[125]。

David OrrellやHenk Tennekesのような一部の科学者たちは、気候変動を正確に予測できないと述べている。Orrellは、IPCCによって提案された気温の将来における上昇のレンジがいくらか気候コミュニティ内の社会的コンセンサスを表していると述べるが、「私たちは気候に対し危険な影響を及ぼしている」と付け加えている[126]。

David Douglass達による2007年の研究は、IPCCによって用いられた22の最も一般的な地球気候モデルは対流圏における加速している温暖化を正確に予測することはできないが、それらは実際の地表の温度に一致しており、「これらのモデルに基づく将来の気候の予測は注意をもって眺められるべきである」と結論づけていた。この結果は、モデルの予測と実際の気温との不一致が測定誤差によるものであると見出した19のモデルの類似した研究と対照的である[127]。

2.11 予測の信頼度

IPCCは大循環モデルやGCMsからの予測の信頼性を増加させていると述べている。AR4の第8章にはこう記されている。

特に大陸以上をスケールにした場合、将来の気候変動において信頼できる定量的な推定値を気候モデルが与えていることに対しかなりの信頼が存在している。この信頼は、許容される物理原則の基礎や現在と過去の気候変動における観測された特性を再現する能力から生じている。モデルの推定値に対する信頼性は他(例えば、湿度)よりもいくつかの気候変数(例えば、気温)に対してのほうが高いものになる。数十年にわたる開発を通じ、モデルは一貫して温室効果ガスに対応する大幅な地球温暖化に対する頑健で明確な青写真を与えていた[128]。

懐疑論者であれ他であれ、ある科学者たちは、将来の気候を予測するモデルの能力に対するこの信頼性は妥当でないと考えている[131]。

2.12 北極の収縮

気温の上昇に関した未解決の疑問は、夏場において北極海は無氷になるのか否か、それはいつ頃か(冬の海氷はすべてのシナリオにおいてそのままである)になる。2007年に最低の記録を示しているが[127]、アメリカの国立雪氷データセンターの責任者であるMark Serrezeは「もしあなたが数年前に私にいつ北極はその氷のすべてを失うのかと尋ねるならば、私は2100年もしくは2070年かもしれないと答えていただろうが、今は私は2030年が合理的な推定値であると考えている」と述べていた[133]。

2.13 データのアーカイブ化と共有

科学雑誌や資金提供機関は一般的に査読研究の著者たちに彼らの研究を再現するために必要なすべてのデータをアーカイブ化することを求めている。もし別の科学者が研究を再現しようとし、追加的なデータを必要としているならば、著者たちは(若干の例外はあるが)必要とされるかもしれないデータ、メタデータ、方法、ソースコードを与えることを期待されている。

David Legatesは、そのホッケーのスティックの形をした歴史的な気温の再現で有名なMann, Bradley and Hughes 1998がこれらの政策を遵守しない気候科学者たちの例になると記しており、議会が最終的にそれらを実施する行動をとる可能性があることを示唆していた[134]。

2.14 科学者たちの間の賭け

他の種の先物市場と同様に気候先物の予測市場は気候変動における市場のコンセンサスを形成するために利用されることができる[136][137]。市場の枠組みの外で時折賭けが行われている。イギリスの気候科学者であるJames Annanは、将来の気温が上昇するかどうかについて地球温暖化の懐疑論者と賭けをすることを提案していた。ロシアの太陽物理学者である2人、Galina MashnichとVladimir Bashkirtsevは2012-2017年の地球の平均気温が1998-2003年より低くなるだろうといったことに対して$10,000の賭けをすることを受け入れた[137]。Annanは最初に直接Richard Lindzenに話を持ちかけた。Lindzenは地球の気温が今後20年間で低下するだろうといったことに賭けるつもりだった。AnnanはLindzenが気温の低下に対し50-1のオッズを希望していたと述べていた。しかしLindzenは0.4℃以上の気温の上昇に対して2-1のオッズを求めていたと述べていた[138]。ガーディアンのコラムニストであるGeorge MonbiotはCompetitive Enterprise研究所のMyron Ebellに対し地球寒冷化に対する地球温暖化に関し£5,000を賭けることを望んでいた[139]。Annanやそのコンセンサスに対する他の擁護者は、地球温暖化を超えた受け入れられない賭けのために他の懐疑論者に対し疑念を示すことを述べており[140]、気温が10年後より寒冷化することに対する1998年にPatrick Michaelsによって提案された賭けを受け入れる2005年のAnnanの試みを含めていた[141]。

3 政治性

アメリカでは地球温暖化はしばしば党派政治の問題になる。共和党は彼らが証明されていないものとみなしている脅威に対する行動に反対する傾向があり、一方民主党は温室効果ガスの排出をコントロールすることを通じて地球温暖化やその影響を減少させるだろうと彼らが考えている行動を支持する傾向がある[142]。最近では超党派的対策が導入されている[143]。

気候学者であるKevin E. Trenberthはこう述べている。

SPMは政府によって一行ずつ承認されていた[...]。ここでの議論は科学者たちが何を発言することができるのかを決定することであるが、政府はそれをどのように発言することが妥当であるかを決定していた。交渉は、メッセージの正確性、バランス、明確さ、了解事項と政策に対する関連性を確かめるための言葉遣いにおいて行われていた。IPCCのプロセスはバランスの取れた評価を行うための参加者の良心に依存していた。しかし上海では、サウジアラビアで最も顕著であるものの、レポートにおけるメッセージを弱めそして難読化させようとする行為があったように思われた。このことは当たり障りのない言葉遣いや何が議論の余地のない文言になるべきかについて非常に長引く議論を導いていた...IPCC(2001)のSPMにおける最も論争を呼ぶパラグラフはその議論に対する結論だった。かなりの論争の後、次のような文言が注意深く練り上げられた。「新たな証拠に照らし、残っている不確実性を考慮すると、最近の50年間において観測された温暖化は温室効果ガス濃度の上昇によるものである可能性が高かった」[144]。

さらなる証拠が地球温暖化の存在以上に利用されるようになると、議論はさらに論争の多い問題に移っていった。これは以下を含んでいた。

社会環境へのインパクト、気候変動に対する適切な対応、決定がより少ない不確実性を要求するかどうか。

1つであるが最大の問題は気温に関し数度上昇することの意味になる。

ほとんどの人々は「数度、それが何、もし私が私のサーモスタットを数度変更するならば、私は快適に暮らすことができるだろう」と述べている...[その]要点は、1、2度は私たちが過去10,000年もしくは人類の文明の時代における歴史的体験に関することになるといったことである。私たちが体験するだろう地球規模で平均された1度程度以上の変動はこれまで存在していなかった。したがって、もし私たちが1、2度以上の温暖化を経験するならば、過去10,000年において比較的穏やかだった気候の観点から私たちは実際に未知の領域に立ち入ることになる(Stephen H. Schneider[145])。

それが重要な経済的インパクトを有する可能性があるので、主要な議論を導く他の観点は、アクション(普通は二酸化炭素の排出を減らすために化石燃料の利用を制限することを示す)が現在もしくは近い将来において取られるべきかどうかや、これらの制限が地球の気温に意味のある影響を及ぼすかどうかになる。

このような制限の経済的影響から、排出規制のマイナスの経済効果は環境上の便益を上回ると強く感じるケイトー研究所のようなリバタリアンのシンクタンクを含む人々が存在していた[146]。地球温暖化が化石燃料の燃焼によってのみ生じたとしても、それらの利用を制限することは地球の気温上昇よりも世界経済に有害な影響を与えるだろうということを彼らは述べていた[147]。

アメリカにおける石炭、電気、経済成長の間のリンケージはその可能性と同じぐらい明白であった。そしてそれらは私たちの生活様式、私たちが働く方法、私たちの未来のために必要とされていた。石炭火力発電は必要なものであった(Fred Palmer, President of Western Fuels Association[147])。

反対に、他は、排出を削減する早期の行動が後のはるかに大きい経済コストを回避し、壊滅的で不可逆的な変動のリスクを軽減するだろうと強く感じていた[148]。2006年12月の著作の中で、Hell and High Waterのエネルギー技術の専門家であるJoseph J. Rommは行動することの緊急性とアメリカがそうすることを拒否した悲しい事実を論じていた...

しかし結局のところ、気候変動に対する行動に賛成するか反対するかといった厳密な経済に関する議論はせいぜい限られたものであり、変動に対する他の潜在的なインパクトを考慮に入れることに失敗していた。

Council on Foreign RelationsのシニアフェローであるWalter Russell Meadは、2009年のコペンハーゲンサミットは環境保護主義者が「バンビからゴジラに」変わったために失敗したと主張している。Meadによれば、環境保護主義者は、複雑な状況における単純だが巨大な解決をもたらそうとする政府のプログラムに対し有効な議論を呈してきた少数の懐疑論者を代表したものだった。地球温暖化に対する巨大な経済や社会における介入を擁護する最近の環境保護主義者は、Meadによれば、彼らを「終身雇用を確保され、テクノクラート化した支配階級の声」に変え、これゆえ地球温暖化にますます懐疑的な人々の支持を失っていった[149]。

3.1 京都議定書

京都議定書は気候変動に関する最も有名な国際的合意であり。また非常に物議を醸している。一部は、それは行き過ぎであるか[150]、もしくは温室効果ガスの排出を制限には十分でないかもしれない[151]と主張している。論争の別の領域は、中国やインドのような世界の二大人口を抱えている国々は議定書を批准していたが、現在の合意の下では炭素排出の増加を削減し、制限しさえすることは求められておらず、一人当たりの温室効果ガス排出を例に挙げると、例えばCO2換算で22.9t排出している一人当たりで14番目の立場にあるアメリカと比較すると、それらはそれぞれCO2換算で3.9t排出している一人当たりで121番目であり、CO2換算で1.8t排出している一人当たりで162番目であるランキングに位置している。それにもかかわらず中国は世界第2位の温室効果ガス排出国であり、インドは第4位である(温室効果ガス排出に関した国々を参照せよ)。様々な予測は、2007年後半から2010年にかけてすべての温室効果ガス排出において中国はアメリカを追い越しており[152][153][154]、多くの他の推定値によれば、これは2006年にはすでに生じていた[155][156]と伝えている。

さらに排出を削減するための高いコストがかなりの生産をインドや中国のような条約でカバーされていない国々に移転させるかもしれないとFred Singerは述べている[157]。これらの諸国はエネルギー効率が低いので、このシナリオはさらなる炭素排出の原因になっていると言われている。

2010年5月にThe Hartwell Paperはオックスフォード大学と協力してロンドン・スクール・オブ・エコノミクスによって公表された[158]。この論文は自然科学、人文科学におけるさまざまな分野からの14人の研究者や数人の政治思想家によって書かれており、彼らは、京都議定書が2009年後半に崩壊しており、「15年間温室効果ガスを認識可能な程度に現実世界において削減することに失敗していた」と主張していた[158]。彼らは、この失敗は京都議定書から離れた気候政策を設定する機会を設けていたと主張しており、その論文は世界経済を脱炭素化するための論争の多い断片的なアプローチを擁護していた[159][160]。The Hartwell Paperは「私たちの所産をまとめた原則は3つの包括的な目標を通じ人間の尊厳を提唱すべきであり、それらの原因が何であれ、すべての人たちに対してエネルギーへのアクセスを保障し、地球システムの基本的な機能を損なわない方法で私たちが発展することを保障し、すべての異常気象から生じるリスクや危険に耐えられるよう私たちの社会が十分に備えていることを保障することが含まれる」と提案している[158][159][160]。

京都議定書に署名したが批准していない唯一の主要な先進国はアメリカになる(署名国を参照せよ)。京都議定書で公式に関わりをもっていない国々は発展途上の科学のインフラをもつアフリカの国々と産油国になる。

3.2 党派のための資金供給

論争の双方が、資金へのアクセスが発言する信任された専門家の意思においてある役割を果たしていると主張している。

グリーンピースによれば、アメリカの情報公開法の下で彼らが手に入れた文書は、Charles G. Koch財団が2005年6月と再び2010年に合計$175,000のグラントをWillie Soonに与えていたことを示している。2001年から2007年の間にアメリカ石油協会から合計$274,000の複数のグラントがあり、2005年から2010の間にエクソンモービルから合計$335,000のグラントがあった。彼を援助していた他の石炭石油産業の資金源はモービル財団、テキサコ財団、アメリカ電力研究所を含んでいた。すぐに彼はこの金銭を受け取ったことを認め、彼は「いかなる科学的研究においても今までに一度も金銭的報酬によって動機付けされたことはない」と明確に述べていた[161]。

グリーンピースの研究プロジェクトであるExxonSecretsやさまざまな研究者同様にガーディアンで執筆しているGeorge Monbiotは、何人かの懐疑的な科学者であるFred Singer、Fred Seitz、Patrick Michaelsを、地球温暖化懐疑論を進めるためにエクソンモービルやフィリップモリスによって資金供給された組織に結びつけていた[164]。同様にGeorge C. Marshall研究所のような地球温暖化懐疑論者を採用しているグループは化石燃料企業との結びつきを批判されていた[165]。

2007年2月2日にガーディアンは、AEIの客員研究員であるKenneth Greenがイギリスやアメリカにいる科学者に手紙を送り[168]、特にIPCCの第4次評価報告書について「IPCCのプロセスの強みと弱みを強調する」ためのエッセイの見返りとして$10,000に加え旅費やその他の費用を提供することを述べていたと伝えていた[166][167]。

Intermountain Rural Electric Association(石炭を燃焼する発電所から電気の大部分を引いてくるエネルギー協同組合)が$100,000をPatrick Michaelsと彼のグループであるNew Hope Environmental Servicesに寄付し、そのメンバーからさらに個人的な寄付をせがまれたことが明らかにされたとき、騒動が起こった[169][170][171]。

憂慮する科学者同盟は、「タバコ産業以来の最も洗練され成功した偽情報を流すことを引き受け」、「その問題における不確かさをでっち上げるイデオロギー的なそしてその立場を擁護する組織のネットワークに1998年から2005年の間に約$16,000,000を供与した」ために、エクソンモービルを批判した『Smoke, Mirrors & Hot Air』と題されたレポートを公表した[172]。2006年にエクソンはこれらのグループにもはや資金を供給していないと述べたが[173]、この声明はグリーンピースによって疑問を呈されていた[174]。

懐疑論のグループであるThe Center for the Study of Carbon Dioxide and Global Changeは、彼らがまとめたビデオの資金供給について疑念を呈されたときに(石油産業から『The Greening of Planet Earth』に対して$250,000供給されていた)、「私たちがある時代に「一般的に受け入れられた」ものよりはるかに正確であると考えている議論の一面を公表する彼らの意思を理由にしてWestern Fuelsを私たちは賞賛する。しかしこのことは彼らがThe Centerに資金供給していることを意味していないか? おそらくそれは私たちが彼らに資金供給していることを意味している!」と述べていた[175]。

Scienceの編集長であるDonald Kennedyは、Michaelsのような懐疑論者は研究者というよりロビイストであるが、ロビー活動が倫理的でないのと同様にそれが倫理的でないとは考えていないと述べていた。彼は、懐疑論者への寄付が「政治的メッセージを理解させようとすること」に等しいと述べていた[176]。

以下のような多くの地球温暖化の懐疑論者は、助成金は地球温暖化の理論の支持者に対して優先的に与えられていると主張している。大気科学者であるReid Brysonは2007年6月に「ここにはたくさんのお金がある...もしあなたが著名な科学者になりたいなら、あなたはたくさんの大学院生とたくさんのグラントを取る必要がある。もしあなたが「ああ、地球温暖化、すべてイエスだ、二酸化炭素もそうだ」と言わなければ、あなたはグラントを手に入れることができない」と述べていた[177]。同様の立場は、気候学者であるMarcel Leroux[178]、NASAのRoy Spencer、気候学者でIPCCの寄稿者であるJohn Christy、ロンドン大学の生物地理学者であるPhilip Stott[179]、Accuracy in Media[180]、2009年の『Heaven and Earth — Global Warming: The Missing Science』と題された著作の中でIan Plimerによって擁護されていた。

MITの気象学におけるthe Alfred P. Sloan ProfessorであるRichard Lindzenは、「1989年の冬に、[MITの]気象学の教授であるReginald Newellは過去一世紀以上の温暖化の結果を示すことに失敗していたデータ分析に対し資金供給していたNational Science Foundationを失うことになった」との特定の声明を行っていた。Lindzenは同様に、4人の科学者たちが地球温暖化の科学的基盤に疑念を示した後「明白に」彼らの資金供給源や地位を失っていたことを示唆していた[181]。しかしLindzen自身は、OPECやThe Western Fuels Associationのようなエネルギー権益から生じた金銭の受領者であり、アメリカ国立科学財団、エネルギー省やNASAを含む連邦政府から資金供給を受けることと同様に「コンサルティングサービスのために1日につき$2,500」[182]の資金供給を受けていた[183]。

3.3 温暖化に対する最も効果的な対応をめぐる論争

近年では一部の懐疑論者は地球温暖化に関する彼らの立場を変えている。Global Warming and Other Eco-Myths(2002年にThe Competitive Enterprise Instituteによって公表された)の著者のRonald Baileyは2005年に「地球温暖化は存在していないという考えを未だに支持している者は誰でも引退しなければならないだろう」と述べていた[184]。2007年までに彼は「海面上昇のような事項は研究者によって議論され続けるだろうが、もし人類が地球温暖化に寄与しているかどうかに関する議論が以前に終わっていなかったならば、新しいIPCCのサマリーが気候変動における楽観主義者はもはや批判に耐えることができないと見なすので、その議論は現在になるだろう」と述べていた[185]。

「唯一の適切な政策面の対応はすぐに排出を削減することであるといった(気候変動における運動における)主張に対し代替案が存在している....温室効果ガス排出に上限を設けることは最終的にはエネルギー生産を制限することになるだろう。賢明な気候政策は気候変動に順応する力に回復する力を加えることを強調するだろう....私たちは気候変動に順応するための戦略を考慮すべきである。オランダ人が私たちに教えてくれるように、海面の上昇は世界の終わりを意味していない。」と保守的なシンクタンクであるアメリカンエンタープライズ研究所のSteven F. Haywardは述べている[186]。Haywardはまた「地球のさまざまな部分が受け取る日射量のバランスを再度とるために軌道上に鏡を」載せることを主張しており、それは日射量の管理のためにいわゆる地球工学を用いた宇宙における日よけを示していた。

2001年の質問に対する回答の中でRichard Lindzenは「京都議定書を除いて、私たちは二酸化炭素を削減しようとするべきだろうか? 地球温暖化に関する私たちの懸念はアクションを必要としているだろうか? 私たちは私たちの対応に優先順位をつけるべきである。あなたは「コストがどれほどかかろうとも、便益がどれほど小さかろうとも、私たちはこれをすることができない」と述べることができない。もし私たちが本当に温暖化を懸念しているならば、私たちはすでに私たちが順応しようとしていることを選択している...私たちがバングラデシュよりはるかに事態に対し順応している理由は私たちがより豊かであることによる。あなたは、私たちが可能な限り丈夫で豊かであり、世界における貧しい人々が同じように可能な限り丈夫で豊かであることを確認することに意味があると考えていないだろうか?」と述べていた[187]。

他は、もし途上国がアメリカの富のレベルに達するならば、これはCO2の排出や化石燃料の消費を非常に増加させるだろうと主張している。インドや中国のような大きな途上国は、経済成長により、次の数十年間で、温室効果ガスの主要な排出国になるだろうと予想されている[188][189]。

Sherwood IdsoやS. Fred Singerのような多くの気候変動懐疑論者を「環境タスクフォース」が抱えている保守的なNational Center for Policy Analysis[190]は「気候変動政策に対する大きなコンセンサスは、順応することがCO2排出を制限する取り組みよりはるかに気候感度のリスクから現在や将来の世代を保護するだろうといったことになる」と述べている[191]。

順応するのみの計画がエクソンモービルのような石油企業によって承認されており、「エクソンモービルの計画は、そのコースに留まり、変動が生じたときに調整しようとするように思われる。この企業の計画はリーダーシップをとることに反対しており、順応することを含むものになる」[192]とCeresレポートは伝えている[193]。

Gregg Easterbrookは自身を不必要な警告に長く反対していた立場として特徴付けていた。2006年に彼は「データに基づけば私は現在地球温暖化について懐疑論から立場を転向し、多くの科学者たちは、彼らが、人間の活動が地球温暖化の原因になっていることを示唆するあらゆる科学的結果をゆがめるかもしくは隠すことを意図した大きな圧力の下におかれていたと述べていた。アメリカ下院の監視・政府改革委員会に報告された気候科学者たちの調査は「すべての回答者のほぼ半数がさまざまな会話の中において「気候変動」「地球温暖化」や他の類似した用語を排除するための圧力を認識し、個人的に経験していた」と記していた。これらの科学者たちはブッシュ政権の気候変動に対する懐疑論に合わせるために彼らの地球温暖化に対するレポートを合わせるよう圧力を加えられていた。いくつかのケースでは、このことは元の石油産業のロビイストの要求によって生じていた[205]。2008年6月にNASAの監査総監局によるレポートは、ホワイトハウスによって任命されたNASAのスタッフが、2004年の大統領選挙と関連する論争からブッシュ政権を守るため、地球温暖化に対する科学的データを検閲し、隠匿してきたと結論づけていた[206]。

ブッシュ政権は同様に順応のみを採用する政策に対する支持を表明していた。「ブッシュ政権における紛れもないシフトとして、アメリカは気候報告[U.S. Climate Action Report 2002]を国連に送り、地球温暖化がアメリカの環境に与える具体的かつ広範囲の影響を詳細に述べていた。レポートの中で政権は初めて、温室効果ガスを大気中に排出する主なものとしての化石燃料の燃焼といった人間の活動による最近の地球温暖化に対しかなり責任を負わせていた。」しかしレポートは「温室効果ガスに対する政権の政策における大きなシフトを提起していなかった。そのかわりにそれは温暖化を制限するために温室効果ガスを急激かつ大幅に削減するかわりに避けられない変動に順応することを勧告していた」[195]。この立場は明白に数ヶ月後にニューデリーで行われたCOP8の気候会談で強調され類似のシフトを引き起こしており、「そのシフトはブッシュ政権を満足させており、ブッシュ政権は経済に害を及ぼすだろうといった恐れから排出量の義務的削減を回避するために闘っていた。そして「私たちは削減と順応といったバランスにより力点を置くことを歓迎しており、そしてあなた方はすべてを行うのに十分なお金を保有していない」とニューデリーでアメリカの交渉担当者は述べていた」[197]。同様に[198]を参照せよ。しかしホワイトハウスの順応に対する力点はよく受け止められていなかった。

「化石燃料の消費が深刻な被害を引き起こしていることをしぶしぶ認め、現在の政策が不十分であることを暗示しているにもかかわらず、レポートは、次のステップに移り、代替案を勧告することに失敗している。むしろそれは私たちが単に来たる変動に対応する必要があることを示唆している。例えば政府がアメリカ人にサングラス、日焼け止めローション、つばの広い帽子をよく利用することを促すことによってオゾン層の穴に言及している元内務長官のHodelの提案を振り返ると、レポートは私たちがエアコンの利用の増加による熱関連の健康への影響を取り扱うことが可能になることを示唆している...気候変動の解決を提案することから離れて、ブッシュ政権は温室効果ガスの排出を実際に増加させているエネルギー政策を採用していた。特に、レポートが増大するエアコンの利用を気候変動の影響に対する「解決」の1つとして認識すると、エネルギー省はエアコンに対するエネルギー効率基準を後退させることを決定していた」[199]。これは11州の司法長官からのGeorge W. Bushへの手紙になる。

一部はこのシフトや、防止(例えば排出や消費の削減)に反対し、環境を犠牲にして石油産業に利益をもたらす構造を延長する固有のバイアスを示す不誠実な態度を見出している。「気候変動を認めないことはもはや時代にそぐわないので、職業としての否認派は私たちがアクションをとることを止めさせるために別の方法を試している。彼らは、気候変動の影響が現れるのを待ち、彼らを順応させることがより安上がりであると述べている」と気候変動に対処することに関し想定される経済上の危険性に言及している記事の中で環境活動家のGeorge Monbiot[200]は述べている。他は順応のみでは不十分だろうと主張している[201]。コペンハーゲン合意を同様に参照せよ。

確かに、削減と同じ程度で強調されていないけれども、確かに変動している気候に対する順応は早くも1992年に議論に必要な部分として含まれており[202]、すべて共に存在していた[203][204]。しかし懐疑論者によって擁護されているように、それは予防的な削減の努力を除外することに対してではなく、炭素の削減の擁護者は、そこに違いが存在していたと述べている。

3.4 科学者たちに対する政治的圧力

多くの科学者たちは、彼らが、人間の活動が地球温暖化の原因になっていることを示唆するあらゆる科学的結果をゆがめるかもしくは隠すことを意図した大きな圧力の下におかれていたと述べていた。アメリカ下院の監視・政府改革委員会に報告された気候科学者たちの調査は「すべての回答者のほぼ半数がさまざまな会話に中において「気候変動」「地球温暖化」や他の類似した用語を排除するための圧力を認識し、個人的に経験していた」と記していた。これらの科学者たちはブッシュ政権の気候変動に対する懐疑論に合わせるために彼らの地球温暖化に対するレポートを合わせるよう圧力を加えられていた。いくつかのケースでは、このことは元の石油産業のロビイストの要求によって生じていた[205]。2008年6月にNASAの監査総監局によるレポートは、ホワイトハウスによって任命されたNASAのスタッフが、2004年の大統領選挙と関連する論争からブッシュ政権を守るため、地球温暖化に対する科学的データを検閲し、隠匿してきたと結論づけていた[206]。

Philip Cooneyのようなアメリカ高官は繰り返しアメリカ政府の科学者たちによる科学レポートを修正しており、Thomas Knutsonのような彼らの多くは気候変動や関連したトピックを議論することを控えるよう命じられていた[208][209][210]。地球温暖化や他の問題に関する科学的情報を隠匿する試みはジャーナリストであるChris MooneyによってThe Republican War on Scienceといった著作の中に記述されている。

NASAのゴダード宇宙科学研究所の責任者である気候科学者のJames E. Hansenは2006年に広く引用されているニューヨークタイムズ紙の中で、NASAの上役が「社会に公表される」情報を「検閲」しようとしていたと記していた。NASAはこれを否定し、NASAで行われる仕事の一部としてのインタビューの中で科学者は個人的見解と公式の政府としての見解を区別することが単に要求されているだけであると述べていた。アメリカ海洋大気圏局で働いている何人かの科学者たちは同様の苦情を述べていた[212]。繰り返すならば、政府高官は、個人的見解を公共の場でのインタビューやフォーラムに参加するときの見解と同一とみなすことを政府の科学者たちに要求する長期的な政策を彼らが実施していたと述べていた。

BBCで長く続いている時事問題のシリーズであるPanoramaは現在問題を調査しており、「地球温暖化についての科学レポートは組織的に変更され、隠匿されてきた」ことが伝えられていた[213]。

一方、気候変動に対する人間の影響の確からしさに関して疑念を表明してきた一部のアメリカの気候学者は政治家や政府機関によって批判されてきた。オレゴン州知事であるTed Kulongoskiは、オレゴンはオレゴン州立大学のGeorge Taylorによるそのタイトルの使用に応えて「州の気候学者」を公式に任命しないことを広く社会に明らかにした[214][215]。地球温暖化に関し彼が表明した科学的疑念の結果として、Delaware Department of Natural Resources and Environmental Controlは伝えられるところではデラウェア州のオフィスからDavid Legatesを排除しようとした。2006年後半にバージニア州知事のTim Kaine(D)は伝えられるところではバージニア州の気候学者であり地球温暖化の懐疑論者であるPatrick Michaelsを調査し始めた。

大多数の見解に合意する科学者たちは時として、利益団体やメディアによる地球温暖化に関するセンセーショナリズムとして彼らが見たものに対する懸念を表明していた。例えばTyndall Centre for Climate Researchの責任者であるMike Hulmeは、どのように「壊滅的」「混沌」「戻すことができない」のような悪い用語の使用の増加が気候変動における社会に開かれた議論を変えてしまったのかについて記していた。「この議論は現在、私たちは地球の気候に関し戻ることができない状況に置かれており、「全く得るものがない」立場にあるといった「気候変動は私たちが想像する以上に悪化している」とのフレーズによって特徴づけられている。気候変動に関する私の広く社会に開かれた声明や講演が環境問題におけるドラマや誇張されたレトリックを求める彼らの欲望を満足していないとき、私は気候変動のキャンペーンを行っている者によってますます私自身をとがめられていることに気付いていた」[216]。

2007年1月30日のAP通信によれば、7つの政府機関において気候科学者たちは、彼らが地球温暖化の脅威を軽視する目的の政治的圧力を受けていたと述べている。

そのグループは、アンケートに回答した279人の気候科学者たちのうち5分の2が、彼らの科学論文の一部がそれらの意味するところを変更するように修正されていたと不満を述べていたことを示す調査を公表した。「279人のうちほぼ半数が別の質問に対する回答で、ある時点で彼らはレポートから「地球温暖化」や「気候変動」に対する言及を削除するように言われていたと述べていた」[217]。

ウォールストリートジャーナルの社説のページを担当する評論家は、調査はそれ自体非科学的であると述べている[219]。

政治家からの圧力に加え、気候変動の問題に関わる多くの著名な科学者たちは、一般人から非常に深刻なハラスメントを受けていたと述べていた。ハラスメントはさまざまな形をとっていた。アメリカのFBIはABCニュースに気候科学者たちに対し脅迫メールを送るといった悪意がなしたことについて調査していると述べ、一方白人至上主義者のウェブサイトは何人かの気候科学者たちの写真を「ユダヤ人」といった言葉とともに掲載していた。ABCニュースによってインタビューされたある気候科学者はドアーの前に動物の死骸を捨てられており、現在頻繁にボディーガードとともに移動する必要があった。

3.5 訴訟

いくつかの訴訟が地球温暖化について行われていた。例えば、マサチューセッツ州とアメリカ合衆国環境保護庁が争ったアメリカの最高裁判所の審理は、環境保護庁が大気汚染防止法の下で温室効果ガスを規制することを認容していた。同様のアプローチは、自動車による二酸化炭素の排出を削減することを自動車メーカーに求めるために、カリフォルニア州とゼネラルモーターズの訴訟を起こしたカリフォルニア州の司法長官であるBill Lockyerによって採用されていた。この訴訟は法的メリットを欠いていると見受けられ、投げ出されていた[221]。3番目のケースはComerとアメリカのMurphy Oilの訴訟になり、ミシシッピ州の弁護士であるGerald Maplesによる集団訴訟は化石燃料や化学関連企業に地球温暖化による損害賠償を求めるものだった。それは迷惑訴訟として認識され、地方裁判所で却下された[222]。しかし地裁の決定はアメリカの第五巡回区の控訴審で覆り、原告の気候変動に関する主張のいくつかを認めるよう2009年10月22日に地方裁判所に指示していた[223]。シエラクラブは、自動車の燃費基準を引き上げることに対する失敗についてアメリカ政府を訴えており、それによって二酸化炭素の排出を減少させていた[224][225]。

October 9, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
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September 11, 2011

P3間(アメリカ、イギリス、フランス)における核軍縮に対する視点の違いやP5間(アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国)の核政策に対するNAM(非同盟運動)の影響を伝えてこなかった日本国内のメディア、専門家、行政の担当者(政治家を含む)のミスリーディングと福島の事故を比較しながら何を理解することが妥当であるのかーアメリカのWikipediaの「核拡散防止条約」等の項目やWikiLeaksによって公開されたP3の見解の違いに関するアメリカの公電を読んで考えたこと

多くのエコノミストや新自由主義者よれば、欧州連合の展開に付随するヨーロッパの経済統合は、ヨーロッパ大陸に存在する多数の国々における戦争を経済的に壊滅的な被害を生じさせるものとして認識させ、それゆえそれは効果的な抑止力として機能し、他方構成主義者はこのステップをさらに進め、欧州連合の政治制度の進展がヨーロッパのアイデンティティのモデルを導き、程度を別にしてヨーロッパ大陸の多数の国々がそれに加わることを願い、欧州連合の中に存在しまたは存在したいと願うすべての国家が、彼らの間における戦争を考慮する価値のないものとして認識することになると示されるように、核に対する抑止力は核保有でしか成し得ないといった考え方はややもすると狭いものの見方であるとの視点が存在している。

Mearsheimerによる選択的核拡散理論によれば、ヨーロッパは将来戦争や疑念が頻繁に生じていた冷戦前の環境に戻るかもしれない傾向にあり、西のフランスやイギリスと東の諸国において力の均衡を達成するためにドイツやウクライナの双方が核兵器を保有することが提唱されており、もしこうならないならば、ヨーロッパ大陸において結局のところ戦争が生じてしまうだろうといったやや悲観的な考え方が示されているのだが、Waltzによる相互確証破壊(MAD)の論理を考慮したとしても、依然として抑止力とは核に限定されるものではないとする考え方の根拠が失われた訳ではないと考えることがある(Waltzによる論理は核兵器によって人間社会にもたらされる短期的な外部被爆やその後長期にわたる内部被曝が非人道的な性質を有しているといった視点を欠落させており、前提に置いても構わないものについて慎重に考慮を加えたいと考えるときがある)。

そしてTretyakovによれば、「そんなにいい子ぶるな、今日のロシアの経済状況では、十分なお金をもっている誰もが核爆弾を購入することができ、それは実際には大したことではない」とロシアのビジネスマンであるVladimir K.Dmitrievが発言している現状と同時に、南アフリカはNPTに署名し、国産の核兵器を保有し、検証可能な状態でそれらを解体した唯一のよく知られた国家であるという事実や、1968年以前に核実験を行った国々のみを核兵器保有国としてみなすことと条約に参加するすべての他の国々に核兵器を保有しないことを要求することにおける差別があるといったNPTの問題点を背景にNAMに関わる諸国による運動の継続を眺めると、P3がどのような立場をとってきたかを問題の遡上に加えなければ、近年における全体像とその部分が織りなす矛盾を包含する背景が見えにくいのではないかと考えるときがある。

核拡散防止の特別代表であるSusan Burkによれば、もし他の国々が核兵器を製造しているなら、アメリカは核軍縮を容易にもしくは迅速に進めるといった幻想を一切保有しないだろうということが示されており、オバマによれば、核兵器を保有することが国家の威信を生じさせ、私たちがどの国々が核兵器を保有することができるかを決定することにより私たちを守ることができるといった考えは幻想であることが示されることから、アメリカにとって核のオプションとは保有せずに済ませることが可能であるならば保有しないに超したことはなく、抑止力の手段としてこれしかないから保有しているといったスタンスとは明確に異なった立場にあることが推察される。

そしてMFAのGerard Araudによる、核の抑止力がフランスの「国際的なアイデンティティ」の一部になっているとの発言を、イギリスのBen Fenderによる、抑止力がなくなることが同盟国によって尊重されず、窮地に追い込まれ、他の問題における進展を阻害させるとフランスが感じているとの分析と併せると、フランスは、核軍縮に対して消極的であり、アメリカやロシアのイニシアチブとイギリスの単独の措置が核軍縮を促すようにフランスに向けられた圧力を増大させるだろうということを懸念していたといった視点を見出すことが可能であるが、これは核以外のオプションを通じて問題を解決するといった考え方を否定するものではない。

DASのMartin Briensによれば、ゴードン・ブラウンは核軍縮が彼の遺産になるだろうと考えていると思われ、イギリスはトライデントの軍事力を更新する目的で議会の支持を得るための政治的譲歩として核軍縮について語ることから、その核自体を終わりにするために核軍縮を採用することに移行していることが示されており、イギリスは「核兵器を禁止する」ことを求める条項を許容する意思を示し、これを批判的に眺めると、イギリスのレトリックは、核兵器が本質的に悪いものであり、これゆえ抑止力を維持することは道徳に反することを示唆していたとの分析と併せると、遅かれ早かれ核軍縮を進める立場にあることを十分に認識していることが話の前提になっているからだろうと考えることがあった(これはFenderによる、フランスは大騒ぎするだろうが、結局のところ一緒に歩み始めるだろうとの見通しを背景にしている)。

フランスとイギリスの立場の違いは、フランスは、核軍縮のための対話は結局のところP3を外交的に弱体化させると感じているが、イギリスは、公式に核軍縮を擁護するスタンスが、核保有国が彼らの役割を果たしているとの主張を強化し、核拡散防止に対する議論をシフトさせるための外交的な影響力をP3に与えることになると感じていることにあろうが、ドイツのPeter Gottwaldによる、多くの人が核拡散防止体制は崩壊するだろうと考えている背景として、主にそれが不公正であることが挙げられ、アメリカのイニシアチブはその環境を変えることを示唆していたが、核兵器の廃絶に関わっているならば、体制の不平等はいつの日か終わる可能性があると現在考えられているとの視点と併せると、核の廃絶といった長期の目標に対して短期の目標をどう位置づけていくのかといったことに対する考え方の違いが表面化しているのだろうが、核非保有国が果たしてきた役割を通じた外交的な影響力の意義を多面的に考慮に加えることが妥当であるかもしれない。

アメリカはフランスに対し、もしアメリカが核の抑止力を「歴史的に正しいと評価されていない」と理解しているとGOFが感じ続けるならば、これゆえ古典的なフランスの妨害行為を生じさせ、それは貴重なパートナーを制度的な敵対者に変える可能性があることになるとの見通しを通じて理解しており、フランスのAraudによる、オバマ大統領はそのような兵器の廃絶の見通しを発表したが、カナダ、オランダ、スウェーデン、そして一般的に欧州連合を含む他の国々の不合理的な期待をフランスはコントロールする必要があり、中国は独自の核戦力の制限を求める圧力を避けるために他のP5諸国の努力の後ろに隠れているといった分析と併せると、アメリカとフランスが巧みに交渉を継続しながらも、他の世界では別の情勢が進展しており、そしてアメリカ政府による「戦争を早く終結させるために原爆を投下する決断を下した」との経済合理性に基づく言説や日本国内における低線量の被曝や内部被曝の人体に対する影響を過小評価するメディア、専門家、行政の担当者(政治家を含む)の見解における政治的なバイアスとは、核の抑止力を非人道的な手段であると高いレベルにおいて認識し明言することに対する一部の核保有国からの外交上の妨害行為や貴重なパートナーを制度的な敵対者に変える可能性を、それらが直接的もしくは間接的なものであれ、背景にしたものであるかもしれないと類推をすることがあった(フランス科学アカデミーは低線量被曝の危険性を十分に認識しているのだが、核兵器がもたらす低線量被曝や内部被曝の危険性を切り離し、フランスにとって核兵器は悪いものではなく良いものであり、「核兵器のない世界」といった言葉に反対しており、政治的判断を通じ道徳的判断を行っていたことは、フランスに限った話ではないが、アメリカ政府による言説や日本国内における過小評価の背景の一部を導いていることを示唆しているだろう)。

また7月13日に中道左派のガーディアン紙で公表されたICMの世論調査によれば、イギリスの有権者の54%がトライデントの核弾頭において新しい世代に資金を注入するよりむしろ核兵器を廃絶することを好んでいたとあるように少なくともイギリスでは核に対して距離を置いた見方をするものが多数派を形成しつつある現状を確認することができるが、ビジネスに裏打ちされた政府間もしくは内部におけるコンセンサスと世界各国における国民の意思との乖離は、その程度が小さいのか大きいのかを別にすれば、世界的に生じている現象であり(これは原子力発電所の事故を巡る議論を念頭に置いているが)、コンセンサスでは人々の意思を代弁しきれない現状が世界的に存在していることを鑑みると、少なく見積もったとしても国民的な投票による解決を目指した制度設計といったものが求められているだろうと考えることがある。

そして日本の話に移るが、P3が核軍縮の歩みについて共同歩調をとろうとしており(その後、時間を掛ければP5に進展することも予想される)、核の抑止力の道徳的価値やその代替概念に揺らぎが生じており、南アジアや中東を含め世界的に議論が紛糾している状況の中で、どういった理由で福島の事故から核の話がでてくるのかが理解できなかったが、これは復古主義者かそれともビジネスを支える既得権益集団の声によるものかは定かではないが、いずれにせよ日本は国民的に核兵器の非人道的な性質に気が付いている(それは核がもたらす長期にわたる内部被曝の影響に対する人々の意識を例にとっても明らかであろう、ヨーロッパはチェルノブイリのフォールアウトからの教訓という形で学んでいるが、日本は第五福竜丸事件に加え福島のフォールアウトを通じて学ぶことになり、現在それは進行中であるが)。これまでに必要とされてきた情報に対してしっかりと公開を促しじっくりと議論を積み重ねる習慣といったものが根付いていれば、また違った展開を考えることも可能になったであろうが、フィルターやバイアスに溢れその古い体質を批判されている伝統的なメディアに様々な場で表明されてきた国民の意思を反映させることが少なかった現状を鑑みると、利用するメディアをシフトし、これまでは情報の受け手であった個が情報の発信者としての立場を獲得していくことを通じ、しぶしぶながら伝統的なメディアが現状を追認していくといった構造的な問題は日本国内に限定された話ではなく、福島、日本国内、広く世界の有権者に限定された情報構造から解放されることつまり地域や他の属性に基づく情報格差を縮めていくことは徹底的に議論する文化の基盤を形成するものであるから、それは他方でグラス・ルーツに根差した健全な民主主義の発展に資するだろうと考えることがある。

さらに付け加えるならば繰り返しになるが、抑止力の在り様は多様であり、目には目をといった単純な話ではなく、それ以外にもできることをやればよいといったことになり、それが可能であるならば、世界の他の国にとってもロール・モデルになりうるものになり、目指すべきものを間違ってはいけないといったことがこの話の趣旨になる。

前回同様これが全てであるとは言及しないが、アメリカのWikipediaの「核拡散防止条約」等の項目やWikiLeaksによって公開されたP3間の見解の違いに関するアメリカの公電の一部を訳すことにより上記の知見をサポートすることにする。URLは以下に示されるとおりになる。

http://en.wikipedia.org/wiki/Nuclear_proliferation
http://en.wikipedia.org/wiki/Libya_and_nuclear_technology

核拡散

核拡散は、核不拡散条約、NPTとも呼ばれている核拡散防止条約によって核兵器、核分裂性物質、武器に転用可能な核技術、情報を「核保有国」として認識されていない国々へ拡散することを記述するために現在用いられている用語である。

核拡散は核兵器を保有している国々や保有していない国々によって反対されており、それに対し反対している国々の政府は、核兵器を保有する国々が増えることは核戦争(核兵器を用いて市民を標的にするいわゆる「カウンターバリュー」を示している)の可能性を増加させ、国際的または地域的関係を不安定にし、国家の主権を侵害するかもしれないと眺めている。

国際的に認められた5つの核兵器保有国に加え4つの国々がすでに核兵器を入手したかもしくは入手したと考えられ、それはインド、パキスタン、北朝鮮、イスラエルになる。NPTに対する1つの批判は、それが1968年以前に核実験を行った国々のみを核兵器保有国としてみなすことや条約に参加するすべての他の国々に核兵器を保有しないことを要求することにおける差別にある。

1 核兵器拡散

核兵器の開発に関する研究はアメリカ、イギリス、ドイツ、日本、ソ連によって第二次大戦中に行われた。アメリカは戦争で核兵器を使用した初めてのそして唯一の国であり、それは、1945年8月に日本に対して2つの爆弾を使用したときのことだった。戦争による損失のため、ドイツと日本はあらゆる核兵器の研究に関与することを止めた。1949年8月にソ連は核実験を行った[1]。1952年10月にイギリスが核実験を行った。フランスは1960年に核兵器を開発した。中華人民共和国は1964年に核実験を行った。インドは1974年に核実験を行い、パキスタンは1998年に核実験を行った。2006年に北朝鮮が核実験を行った。

2 核拡散防止の取り組み

核拡散防止における初期の労力は、強力な政府による秘密の保持、既知のウラン貯蔵所の戦時買収(複合的な開発トラスト)、そして時には徹底的な破壊工作、例えばドイツの核兵器のために使用されたと考えられる重水施設への爆撃を含んでいた。兵器開発自体が、広島の爆撃まで秘密に保たれていた事実により、これらの労力の1つとして明示的に公開されていなかった。

トルーマン政権が国連原子力委員会のアメリカの最初の代表であるバーナード・バルークにちなんだ1946年のバルーク案[2]を提案したとき、第二次世界大戦の直後に、核拡散防止のための本格的な国際的取り組みが始まった。すべての政府が以下の2つのことを達成するために首尾良く協力した後、1946年のアチソン-リリエンタール報告を重視したバルーク案はアメリカの核戦力(それは当時世界において唯一の核戦力だった)を検証可能な状態で解体し破壊することを提案していた。2つのこととは、(1)すべての軍事転用可能な核物質と活動を所有しコントロールする「国際原子力開発機関」の設立と、(2)国連安全保障理事会でさえ拒否権をもつことができず、そして核兵器や核分裂性物質を作る能力を獲得しようとした国家を適切に罰するだろう自動的な制裁のシステムの創設を示していた。

バルーク案は広い国際的支持を獲得していたけれども、ソ連が安全保障理事会でその提案に対し拒否権を用いることを計画していたため、それがUNAECから提案されることはなかった。しかしアイゼンハワー大統領が国連総会で「平和のための原子力」について演説する1953年以前において、それは公式のアメリカの政策であった。アイゼンハワーの提案は1957年に最終的に国際原子力機関(IAEA)の創設につながった。「平和のための原子力」プログラムの下に世界中の数千人の科学者は原子力工学について教育を受け、母国に戻り、多くの人がその後母国で秘密の核兵器プログラムに携わることになった[3]。

4ヶ国(アメリカ、ソ連、イギリス、フランス)が核兵器を入手した後(さらなる情報については核兵器を保有する国々のリストを参照せよ)、1960年代初頭まで、核兵器の拡散を制限する国際協定を締結する取り組みは開始されなかった。これらの取り組みは1960年代初頭になされたけれども、中国が核実験を行った後の1964年に核兵器保有国の定義は再度改められることになった。1968年に18か国軍縮委員会(ENDC)を代表する政府はNPTの文言における交渉を終えた。1968年6月、国連総会は国連総会決議2373(XXII)でNPTを承認し、1968年7月、NPTはワシントンD.C.、ロンドン、モスクワで署名された。1970年3月にNPTは発効した。

1970年代半ば以降、これらの核に関連する物質や技術は核兵器プログラムの内最も困難で費用がかさむため、核拡散防止の取り組みにおける主要な焦点は、そのような装置を建設するために必要な核分裂性物質や専門的な技術に対する国際的なコントロールを維持し、時には強化さえすることであった。製造と配布がコントロールされる主な物質は高度に濃縮されたウランとプルトニウムになる。これらの特別な物質の入手以外に、初歩的であるが稼働する核爆発装置を開発することを目的とした兵器生産のための科学技術上の手段は先進国の手の届く範囲にあると考えられてきた。

1957年に国連によって創設されて以来、国際原子力機関(IAEA)は2つの時に矛盾するミッションを進めてきた。一方でその機関は民間における原子力エネルギーの利用を国際的に促進し普及させることを目指していた。他方でそれは核兵器、核爆発装置、未知の目的のために民間の原子力エネルギーを転用することを防止し、少なくとも発見することを目指していた。IAEAは現在1968年の核拡散防止条約(NPT)の第3条に示されるように安全保護システムを運用しており、それはこれらの核物質に関連した施設や技術同様にウランやプルトニウムの民間における貯蔵が平和目的のためのみに利用され、核拡散や核兵器プログラムに対しいかなる方法でも寄与しないことを確認することを目的としている。多くの他の国々に対する核兵器の拡散は核保有国によるこれらの国々に対する保証と相互の防衛を目的とした条約の拡大によって防がれているが、同様に国家の威信、特定の歴史的体験といった他の要因が核の拡散を早めたり防いだりすることにおいてある役割を演じていることについてしばしば議論がなされてきた[4]。

3 2重に利用できる技術

2重に利用できる技術は民間における原子力技術の軍事利用の可能性に言及している。もし国がそうすることを選択するならば核兵器を製造するために利用されることが可能である点で、原子力プログラムの実施に関連した多くの技術や物質は2重に利用できる性質を有している。このような事態が起こると、原子力プログラムは原爆に導くルートや秘密裏に行われる爆弾のプログラムに至る抜け道になる可能性がある。イランの核に関連した行為における危機的状況はその一例になる[5]。

アメリカや世界の安全保障における重要な目標は原子力の拡大に関連した核拡散のリスクを最小限にすることになる。もしこの開発が「不十分に管理され、リスクを封じ込める取り組みが失敗するならば、核の将来は危険なものになるだろう」[5]。原子力プログラムが安全かつ確実に開発され管理されるためには、国が適切な原子力の運用と管理を促すといった国内における「良い統治」の特徴を有していることが重要である[5]。

これらの特徴は、低いレベルの汚職(パキスタンのA.Q.Khanによる密輸ネットワークで生じたように、関係者が自身の個人的な利益のために核物質や技術を売ることを避けるために)、高いレベルの政治的安定性(政治的動機に基づいた暴力やテロを含む違憲で暴力的な手段によって政府が不安定になり転覆する蓋然性として世界銀行によって定義されている)、政治の効率性における高いスコア(「民間のサービスの質、政治的圧力からどの程度独立しているか、政策の策定と実施の質」を世界銀行によって集計した値)、高いレベルの規制能力を含んでいる[5]。

4 国際協力

4.1 核拡散防止条約

現在、189ヶ国が一般的に核拡散防止条約またはNPTとして知られている核兵器の不拡散における条約の締約国である。これらは5つの核保有国(NWS)、中華人民共和国、フランス、ロシア連邦、イギリス、アメリカを含んでいる。

NPTに調印していない著名な国はイスラエル、パキスタン、インド(後者の2つは以後も核実験を行っており、一方イスラエルは多くの人によって非公式に核保有国になったと考えられている)。北朝鮮はかつて調印したが、2003年1月に撤回した。北朝鮮の撤回の合法性には議論の余地があるが、2006年10月9日の時点で北朝鮮は明らかに核の起爆装置を製造する能力を保持していた。

4.2 国際原子力機関

IAEAは1957年7月29日に平和目的で国家が原子力エネルギーを開発することを援助するために設立された。この役割に関連したものに、個々の国が条約に基づく約束を尊重することを国際社会に保証するための保障措置協定の管理がある。独自の国際条約の下で設立されたけれども、IAEAは国連総会と安全保障理事会の双方に報告を行っている。

IAEAは定期的に、それに与えられた文書を検証するために、民間の原子力施設を検査している。この機関は備蓄やサンプルを検査し、物質を分析している。保障措置は、初期段階での発見のリスクを増加させることによって核物質の転用を防止するために設計されている。それらは、原子力供給国グループのような自発的組織を通じイギリスやアメリカのような国々から機密技術の輸出をコントロールすることによって補完されている。IAEAの主要な関心は、ウランが民間における商業プラントにとって必要な程度以上に濃縮されていないことと、原子炉によって製造されたプルトニウムが爆弾製造に適した形に精錬されていないことになる。

4.3 保障措置の適用範囲

伝統的な保障措置は核物質の利用を説明しコントロールするためのいくつかの協定になる。この検証はウランが特に平和目的のみに利用されていることを確認する国際的なシステムにおいて重要な要素になる。

NPT締約国はIAEAによって適用される技術的な保障措置を受け入れることに同意している。これらは核施設のオペレーターが核物質が関与するすべての移動と取引の詳細な記録を保持し明らかにすることを求めている。550以上の施設と他の数百の場所が定期査察の対象となり、それらの記録や核物質が監査されている。IAEAによる査察は監視カメラや計測機器のような他の手段によって補完されている。

査察は平和的な活動からの核物質の転用の可能性を警告する警告システムとして機能している。システムは以下の活動に依存している。

核物質の管理 - すべての内部と外部における移動とあらゆる核施設における物質のフローを追跡すること。これは核物質のサンプリングや分析、現場の査察、操作記録の検査と検証を含んでいる。

物理的保護 - 敷地における核物質へのアクセスを制限すること。

封じ込めと監視 - 封印、自動カメラ、現場の抜き打ち検査同様、報告されていない移動や核物質を不法に変えることを検出する他の装置の使用。

すべてのNPT非核国家はこれらのすべての範囲における保障措置を受け入れなければならない。5つの核保有国に加え非NPT国(インド、パキスタン、イスラエル)では、特定の施設において保障措置が適用される。IAEA査察官は定期的に記録の完全性と正確性を検証するためにこれらの施設を訪問している。

4.4 追加議定書

1993年にプログラムは古典的な保障措置を強化し拡大するために始められ、議定書のモデルは1997年にIAEA理事会によって同意された。措置は不明な核の活動を検知するIAEAの能力を後押しし、それは核民間の燃料サイクルと関連がないものも含まれている。

イノベーションは2種類あった。いくつかは、保障措置協定や査察を通じIAEAの既存の法的権限に基づいて実施されることができた。その他は、追加議定書を通じ与えられるさらなる法的権限を要求していた。このことは、既存の包括的保障措置協定を補完するものとして、核非保有国によってIAEAと合意されなければならない。核保有国は追加議定書のモデルの原則を受け入れることに合意していた。

追加議定書のモデルにおける重要な要素

IAEAは、ウランやトリウムの研究開発や製造(それが取引されているかどうかと関係なく)を含む核や核が関連した活動と核が関連した輸入品や輸出品に関するかなりの情報を与えられている。

IAEAの査察官はより大きなアクセス権を保有するだろう。このことはあらゆる疑わしい場所を含め、それは短時間になる可能性があり(例えば、2時間)、IAEAは不法活動を検知するために環境のサンプリングとリモート監視技術を用いることができる。

国家は行政手続きを合理化しなければならないので、IAEAの査察官は自動的にビザを更新させ、IAEAの本部とさらに容易に通信することができる。

保障措置のさらなる発展は各国家の評価に対してであり、その特別な状況や保有している核物質の種類を考慮に入れている。このことは、IAEAの一部におけるより大きな判断とNPT締結国を再確認する効果的な方法論の開発を含むだろう。

2010年12月20時点で、139ヶ国が追加議定書に署名し、104ヶ国がそれらを施行し、1ヶ国(イラク)はその議定書を暫定的に実施していた[6]。IAEAは同様に台湾で追加議定書の措置を適用している[7]。追加議定書に署名しない先進国に中に、イスラエルが包括的なIAEAの保障措置を受け入れるまで署名するつもりはないと述べるエジプト[8]と、議定書を濃縮や再処理における国際協力のための要件とすることには反対しているが[9]署名を拒否していない[10]ブラジルがある。

4.5 保障措置の限界

核兵器拡散にとってのさらに大きなリスクは、NPTに参加しておらず、核活動に保障措置を設けていない国々に起因しており、インド、パキスタン、イスラエルはこのカテゴリーに含まれる。保障措置は彼らの活動の一部に適用される一方、他は綿密な調査の対象外になっている。

さらなる懸念は、国々がさまざまな機密を有する核燃料サイクル施設を開発し、完全な保障措置の下でリアクターを研究し、その後の結果としてNPTを脱退するかもしれないといったことになる。ウラン売却のためにオーストラリアやカナダによって主張された二国間協定はこのことを予備条項によって扱っているが、多くの国々はこれらの協定の範囲の外にある。もし核開発可能な国がNPTを脱退する場合には、まさにそのことが保障措置に対する違反であるかのように、国連安全保障理事会にIAEAによって報告される可能性がある。そして貿易制裁の可能性が高くなるだろう。

NPTの下で適用される二国間協定とともにあるIAEAの保障措置は、オーストラリアやカナダのような国々によって供給されるウランが核兵器の拡散に寄与しないことを保証することが可能でありそして保証している。事実、世界におけるこれらの保障措置の適用と原子力発電のための現実に行われているウランの国際貿易が核兵器の拡散の可能性をかなり低くしている。

かつて広い効力を存在させていた追加議定書は、関係国において明らかにされていない核物質や活動が存在しないことに対し信頼できる保証を与えるだろう。このことは、核拡散を防止するための大きな前進となるだろう。

4.6 他の展開

1978年に原子力供給国グループはそのガイドライン、本質的には一連の輸出規制をIAEAに対して伝達していた。これらは、核物質や設備の移転が保障措置のない核燃料サイクルや核爆発を含む活動に転用されることがないだろうといったことを保証することになり、そしてこの結果に対する公式の政府による保証が求められていた。ガイドラインは同様に、機密性の高い施設、技術、軍事利用可能な物質の移転における物理的保障措置の必要性を認識しており、再移転条項を強化した。そのグループは7ヶ国、アメリカ、旧ソ連、イギリス、フランス、ドイツ、カナダ、日本から始まったが、現在全ての5ヶ国の核保有国を含む46ヶ国を含めている。

Kenneth D.Bergeronの『氷上のトリチウム:核兵器と原子力発電の危険な連携』によれば、トリチウムは「特別な核物質」としてでなくむしろ「副産物」として分類されている。それはアメリカの核武装解除の意図に対する真摯さにおける重要なリトマス試験紙として見られている。この放射性超重水素の同位体は核兵器における核分裂性物質の効率を高めるために用いられている。アメリカは2003年に15年ぶりにトリチウムの生産を再開した。このことは、同位体は自然に減衰するので、潜在的な核兵器の備蓄を交換することを示唆する可能性があった。

1995年5月にNPTの締約国は、兵器用の核分裂性物質の生産を禁止するための兵器用核分裂性物質生産禁止条約に対する彼らのコミットメントを再確認した。これは、1996年の包括的核実験禁止条約(2011年の時点で発効されていない)を補完し、中国における類似の禁止同様、核兵器の材料の生産を停止するためにアメリカ、イギリス、フランス、ロシアによってなされたコミットメントを成文化することを目的にしたものである。この条約は同様に、国際的な検証に同意するように、イスラエル、インド、パキスタンにさらなる圧力を加えるだろう。

2005年8月9日にAyatollah Ali Khameneiは、核兵器の生産、備蓄、使用を禁止するイスラムにおける法的決定を表明した。Khameneiの公式声明はウィーンの国際原子力機関(IAEA)における会議でなされた[2]。2006年2月時点でイランは公式に、国内におけるウラン濃縮が継続されることを表明した。イランはそれが平和目的であると主張したが、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカはその目的が核兵器の研究と生産のためであると主張していた[11]。

5 制裁されない核活動

5.1 NPT非署名国

インド、パキスタン、イスラエルは国際的な拡散防止体制の点で「境界」となる国々になる。彼らは1つ以上の核兵器を所有し、迅速に製造することができる。彼らは1970年のNPTの枠外にいた。彼らはこのように主に、いくつかの安全関連機器を除いて、原子力プラントや核物質の取り引きから除外されている。

1998年5月にインドとパキスタンはそれぞれ何回かの地下核実験を行った。パキスタンは認められた核保有国である中華人民共和国と関連があり、このことは両国間の軍拡競争に関する懸念を高めた。両国は現状ではNPTに反対しており、それを核保有国に有利な偏った条約であるとして、インドは一貫して1970年の発端以来条約を批判していた。

両国の間の関係は緊張しておりそして敵対的であり、両国の間の核紛争のリスクは長い間かなり高いものであると考えられてきた。カシミールは両国の緊張の主要な原因であり、その主権が1948年以来争われてきた。反乱とカシミールでの紛争状態の背景にあるパキスタンによる永続的な低レベルの軍事衝突が存在している。

両国は1980年代に在来型の軍拡競争をしており、それは核兵器を移動させることができる高度な技術と機器を含んでいる。1994年代に軍拡競争のペースが早まった。1994年にインドは国防に対する配分を削減する4年間のトレンドを逆転し、そのかなり小さな経済にもかかわらず、パキスタンはそれ自身の支出額をさらに高く押し上げることが期待されていた。両国はインドにとって旧ソ連、パキスタンにとってアメリカといった彼らの後援者を失った。

しかし中国の核兵器の成長や近代化とパキスタンの原子力発電プログラムや伝えられるところではミサイル技術への中国の援助がインドの懸念を悪化させた。パキスタンは中国の人民解放軍によって支援され、その人民解放軍は軍事物資の輸出側として中国内ではやや独立して活動していた。

5.1.1 インド

民間の原子力発電はインドでは十分に認められている。インドの民間における核戦略は核燃料サイクルにおける完全な独立の方向へと向かっており、率直に言えばNPTを拒絶することを必然的な理由としている。この自給自足はウランの調査や採掘、重水の製造、原子炉の設計や建設から再処理や廃棄物管理までに及んでいる。インドには小さな高速増殖炉があり、それよりはるかに大きなものを計画している。インドはまた核燃料としてのトリチウムのように豊富な資源を利用する技術を開発している。

インドは商業運転している14機の発電用原子炉を有しており、さらに大きい2機が建設中で、10機以上が計画されている。稼働中の14機(合計2548万kW)は次のようになる。

1969年に始まったアメリカからの150万kW級の2機のBWRは地元で濃縮されたウランを利用しそして保障措置の下にあり、2機の小型のPHWR(1972年と1980年に開始)は同様に保障措置の下にあり、10機の地元のPHWRはカナダの設計に基づいており、そのうちの2機は150万kW級であり、8機は200万kW級である。Taraporeにおける新規の2機は540万kW級であり、2機は700万kW級のプラントである(TAPP:Tarapore原子力発電プロジェクトとして知られている)。

建設中の2機と計画されたプラントの2機は国内発電の200万kW級が450万kW級になったものである。建設は財政的技術的問題によってひどく遅れている。2001年に最終合意は、ロシアから融資された30億ドルの契約の下で、原子炉である2機のVVER-1000で構成されるインドで初めての大型原子力発電所のためにロシアとの間で署名された。初めての設備は2007年に稼働する予定である。さらに2機のロシアの設備が現場では検討中である。

原子力発電は2000年にインドの電力の3.1%を供給しており、これは2005年までに10%に達すると期待されていた。いくつかのプラント(上記参照)は個別施設に対する保障措置の下にあるけれども、インドの原子力産業は大部分IAEAの保障措置外にあった。結果としてインドの原子力発電プログラムは他の国々からの燃料や技術支援なしで大きく進行することになった。

インドの核兵器の雛形はNPT以前の1960年に始められたカナダで設計された40万kW級の研究用原子炉からきているように思われ、1985年以来インド独自の100万kW級の施設が稼働中である。インドが核燃料を輸入していないように、双方は地元のウランを利用している。インドは100発に及ぶ核弾頭用の十分な兵器級のプルトニウムを製造しているかもしれないと推定されている。

インドとパキスタンの核プログラムは兵器のための核分裂性物質を製造するためにCANDUという原子炉を用いていると広く信じられてきたが、これは正確ではない。カナダ(40万kW級の研究用原子炉を供給することによって)とアメリカ(21tの重水を供給することによって)の両方がCIRUS(カナダ・インド研究施設サービス)と呼ばれる核兵器プログラムを推進するのに必要な技術をインドに供給していた。原子炉とすべての副産物が「平和目的のためのみに利用される」といった条件で、カナダはインドに原子炉を売却した。同様にアメリカは、「平和目的での研究と原子力エネルギーの利用と関連しているときのみ」、原子炉内での利用のための重水をインドに売却した。これらの協定に違反してインドは、初めての核実験を目的としてプルトニウムを製造するために、カナダから供給された原子炉とアメリカから供給された重水を利用した[12]。しかし「平和的な核実験」と主張することにより、インドの政府は論争が多いもののこの事実を正当化した。

核分裂性のウラン233を増殖することによって、インドは、核燃料としてのトリウムの利用を調査する小さなタイプを含めて、少なくとも3機の他の研究用の原子炉を保有していた。

インドは1974年に原子爆弾を爆発させ、いわゆる「Smiling Buddha test」は平和目的であったと一貫して主張していた。他国はその実験を中国の核兵器能力に対する対応として眺めていた。その後インドの公式の否定にもかかわらず、核兵器を所有し迅速に製造することができることがあらゆるところで認識されるようになった。1999年にインドは独自の中距離ミサイルを配備し、中国内の産業の中心地を標的にして到達できる中距離ミサイルを開発した。

1995年にアメリカは提案された核実験を阻止するために控え目に介入した。しかし1998年にOperation Shaktiで5回以上の核実験があった。これらは、高度な核融合爆弾であると主張されるものを含む、明白に軍事的な兵器であり、彼らが宣言した目的は「異なった爆発力と運搬システムをもつ核兵器を設計することに対する援助」であった。

インドの安全保障政策は次の3点によって推進されている。
・地域において支配的な軍事力として認識されるための決定
・中国の拡大する核兵器やミサイル運搬プログラムに対する増大する懸念
・インドの奥深くまで核ミサイルを到達させるだろうパキスタンの能力に対する懸念

インドは核兵器を中国の核兵器や通常兵器に対する費用対効果の高い政治的対抗措置として認識しており、インドの核兵器政策がパキスタンを刺激したことによる影響はある意味で副次的なものだった。インドは中国との不幸な関係を経験している。不安定な停戦が1962年の戦闘を終えた後、両国の関係は1998年まで凍結されていた。それ以来ある程度高レベルの両国間の接触が行われており、初歩的な信頼醸成のための措置が実施されてきた。インドの主張によれば、前述の戦争の間に占領したある領土を中国はいまだに占領しており、インドは中国によって主張されているある領土を占領している。中国の核兵器とパキスタンへのミサイルの支援は論争の主要な骨組みになっている。

アメリカの大統領であるGeorge W.Bushは、インドの核兵器に対する関与を議論するために、インドの首相であるManmohan Singhと会談を行った。両国は、アメリカがインドの原子力発電に対し援助を与えることで合意した。

5.1.2 パキスタン

原子力発電はパキスタンの電力の僅か2.34%しか供給していない。パキスタンは、国際保障措置の下にある1971年から小さなカナダの原子炉であるPHWR(125万kW級)を保有しており、保障措置の下で中国によって供給された2機の300万kW級のPWRが2000年6月と2011年5月に稼働を開始した。中国は、さらに2機の原子炉とともに、これらのPWRのために低濃縮ウラン燃料を供給している。

パキスタンは同様に1965年製の9万kW級の研究用原子炉を保有しており、プルトニウム兵器を製造する可能性があると思われている別の多目的型原子炉であるKhushab付近にある50万kW級のPHWRに関する長年にわたるレポートが存在している。

高度に濃縮されたウランやさらに最近ではプルトニウムの両方を製造するために独自のウランを利用して、パキスタンは同様に核兵器を製造している。1990年に、パキスタンが核兵器を製造する製作を追求していないことを証明することができなくなったため、アメリカはパキスタンへの軍事援助を打ち切った。これは2001年後半に緩和された。

パキスタンは1996年始めに、核兵器に関する基本的な開発作業を行っており、もしインドが核実験を行うならば、すぐに核爆弾の製造を始めるだろうということを明らかにした。パキスタンは現在、40発の核弾頭にとって十分な高濃縮ウランを保有していると思われている。1998年5月、インドの核実験実施の数週間以内に、パキスタンはChagai Hillsでの6回の地下核実験を、5回はその月の28日に、1回は30日に行ったと公表した。そしてこれらの主張と一致した地震が記録されていた。

1970年代に、フランスによって与えられた再処理プラントからの核分裂性物質を入手することを期待して、パキスタンは初めてプルトニウムのルートに焦点をあてた。この計画はアメリカの介入により失敗したが、パキスタンは断念しておらず、ウラン濃縮技術を入手する努力を増強した。この方向に向けた努力はAbdul Qadeer Khan博士の下でなされてきた。Khan博士は以前にFysisch Dynamisch Onderzoekslaboratorium(FDO)で働いていた。FDOは、アムステルダムに本拠を置くオランダ企業であるVMF-Storkの子会社だった。1972年から1975年までKhan博士は、兵器級の濃度までに通常ウランを濃縮するために利用された機密データに対するアクセス権を保有していた。FDOはURENCOのために超高速遠心分離機の開発に取り組んでいた。

Khan博士がAlmeloにあるURENCOのプラントに翻訳者として17日間出向していた1974年に、彼はプラントに関する写真や文書を入手していた。Khan博士は1976年にパキスタンに帰国し、彼の以前の雇用主から入手した技術に基づいたウラン濃縮プログラムを始めた。イギリス政府がアメリカのEmerson Electric Companyのイギリス子会社にパキスタンへの核技術の移転を止めさせた後、Khan博士はドイツの供給者に対する不満を次のように述べた。「ドイツチームのあの人は道義にかなっていない。彼が私たちから発注したものを入手しなかったとき、彼は労働党のメンバーに手紙を書き、その疑問は(イギリスの)議会で尋ねられたことだろう」[3]。

A.Q Khanの努力は彼を国民的英雄にした。1981年に賛辞として、パキスタンの大統領であるムハンマド・ジア-ウル-ハク将軍は濃縮プラントを「The A.Q.Khan Research Laboratories」と改名した。

2003年にIAEAはパキスタンと緊密な関係にある核のブラック・マーケットを明らかにした。パキスタン政府が直接関与していることが広く信じられていた。Khan博士に他ならない疑わしい核のブラック・マーケットの責任者にIAEAがインタビューすることをパキスタン政府が拒否したことにより、この主張を確認することはできなかった。すべての責任を取ることによって政府を救うために、Khan博士は後に国営テレビで彼の犯罪を告白した。彼はパキスタンからイランや北朝鮮への核の拡散を告白した。彼はすぐに引き換えに大統領による免責を与えられた。政府レベルでの関与の正確な本質はまだ不明であるが、政府の振る舞いにおける態度はパキスタンの誠意に疑問を投げかけている。

5.1.3 北朝鮮

北朝鮮は1985年にNPTに参加し、その後IAEAとの保障措置協定に署名した。しかし北朝鮮は核兵器を製造するために寧辺にある原子炉の燃料から取り出したプルトニウムを転用していると考えられていた。検査と疑われる違反の問題におけるその後のIAEAとの対立は1993年における北朝鮮によるNPTからの脱退の脅しをもたらした。これは最終的に、その原子炉や使用済み燃料棒に適用されるIAEAの保障措置を与えた1994年の同意された枠組みをもたらしたアメリカとの交渉につながった。北朝鮮がプルトニウムを抽出することを抑えるためにこれらの使用済み燃料棒はアメリカによって金属容器の中に封印された。北朝鮮はそのためにそのプルトニウムプログラムを凍結しなければならなかった。

この間にミサイル技術移転に関するパキスタンと北朝鮮の協力が確立されていた。報告されるところによればパキスタンへのスカッドミサイル技術の供給を議論するために、高レベルのパキスタン軍事代表団が1992年8月から9月にかけて北朝鮮を訪問した。そして1993年にBenazir Bhutto首相は中国と北朝鮮を訪れた。その訪問はその後のパキスタンによるGhauri(北朝鮮ではノドン)ミサイルの入手に関連していると信じられている。1992年から1994年の間にA.Q.Khanは13回北朝鮮を訪問したと伝えられていた。北朝鮮とのミサイル協力プログラムはA.Q.Khan博士のKahuta Research Laboratoriesの下にあった。この時点での中国はパキスタンにM系のミサイルを供給しないことを求めるアメリカからの圧力の下にあった。このことはパキスタンが(おそらく中国の黙認で)ミサイル移転のために北朝鮮に接触することを押しつけていた。レポートは、北朝鮮が5千万ドルで固体燃料ロケットエンジン、慣性航法装置、スカッド地対地ミサイルのコントロールと検査機器を含むミサイルのサブシステムを供給する意思があったことを示唆している。

北朝鮮が見返りに得たものは不明である。ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー(2002年11月27日)においてJoseph S.Bermudez Jr.は、欧米のアナリストは北朝鮮がミサイルの見返りに何を得たのかについて疑念の声を上げ始め、多くはそれが核技術や部品であると疑っていたと伝えている。KhanのKRLはパキスタンのウラン濃縮プログラムと北朝鮮のミサイルプログラムの双方に責任があった。そのためこの間にパキスタンと北朝鮮における核技術の協力が始められた可能性があった。欧米の諜報機関はKRLと北朝鮮第二経済委員会(兵器製造を担当)といった組織の間で人員、技術、部品の交換が行われていたことに気付き始めた。

2002年10月18日のニューヨークタイムズのレポートは、アメリカの諜報関係者がパキスタンは北朝鮮に対して決定的な機器の主要な供給者であると述べていたことを引用した。そのレポートは、ガス遠心分離機のような機器は北朝鮮がパキスタンにミサイルを供給した際の「物々交換の対象」であったように思われると付け加えていた。個別のレポート(ワシントンポスト、2002年11月22日)は、アメリカの情報機関は早くも1999年に北朝鮮が核兵器を開発し続けていたことを示す徴候を得ていたことを示唆していた。他のレポートは同様に、北朝鮮が少なくとも5年間核兵器のための濃縮技術を開発するために密かに活動し、パキスタンから得た技術を利用したことを示唆していた(ワシントンタイムズ、2002年10月18日)。

5.1.4 イスラエル

イスラエルは同様に、潜在的な数百発の核弾頭の軍需工場や関連した運搬システムを保有していると考えられるが、このことは公然と確認されている訳ではなく、否定されている。

イスラエルの核施設はディモナの南約10kmのところにあり、それはネゲブ原子力研究センターになる。その建設はフランスの援助で1958年に始まった。イスラエルとフランス政府によって与えられた公式の理由は「ネゲブを緑化する」ことを目的として、「淡水化プラント」に電力を供給するために原子炉を建設することだった。ディモナプラントの目的は核兵器を製造することであると広くみなされており、防衛の専門家の大半はそれは事実そうしていると結論づけている。しかしイスラエル政府はこのことを公然と確認することを拒否し、否定しており、その政策は「曖昧」であると言及されている。

ノルウェーは1959年と1960年に闇取引を行い、原子炉に必要とされている20tの重水をイスラエルに売却した。平和目的でない重水の利用を防ぐためにこの取引に対して要求された「保障措置」は存在していなかった。イギリスの新聞であるデイリー・エクスプレスは1960年に原爆を開発していたイスラエルを非難した[3]。アメリカの情報機関が1960年代初頭にディモナプラントの目的に気が付いたとき、それはイスラエルが国際的な査察に同意することを要求した。イスラエルは同意したが、IAEAよりむしろアメリカの査察官が担当し、イスラエルがすべての査察の事前通知を受けるだろうことが条件になった。

ある一部の者たちは、イスラエルは査察官の訪問のスケジュールを知っているので、個々の査察の前に一時的に偽の壁や他の機器を設置することにより、査察官から敷地における疑惑をもたれている目的を隠すことができると主張していた。査察官は結局アメリカ政府に、彼らが査察できる施設のどんな地域であろうともイスラエルによる制限があるので、彼らの査察は役に立たなかったことを伝えていた。1969年にアメリカは査察を終了した。

1986年にディモナプラントの元技術者であるMordechai Vanunuがメディアにイスラエルの核プログラムにおけるいくつかの証拠を明らかにした。イスラエルの情報員はイタリアで彼を逮捕し、彼に薬を飲ませ眠らせ、彼をイスラエルに搬送し、イスラエルの裁判所は反逆罪とスパイの容疑で彼を秘密裁判にかけ、懲役18年の刑を宣告した。彼は2004年4月21日に釈放されたが、イスラエル政府によって厳しく自由を制限されていた。彼は公式になされた容疑に基づきすぐに起訴されなかったのだが、2004年11月11日に再び逮捕された。

ネゲブ原子力研究センター内でMordechai Vanunuによって撮られた写真に対するコメントが著名な科学者たちによってなされた。数日間Vanunuに質問していたイギリスの核兵器科学者であるFrank Barnabyは、イスラエルは約150の兵器に対して十分なプルトニウムを保有していると推定していた[13]。アメリカによって採用された原爆の設計者であるTed Taylorは、Vanunuの写真に基づき数百発の核弾頭の保有が推定されることを確認していた。

5.2 南アジアにおける核兵器管理

核拡散防止に関し両国における公然の態度は著しく異なっている。パキスタンは継続的なプロパガンダのディベートを支配しているように思われる。

パキスタンは一連の地域の安全保障に対する提案を始めた。パキスタンは繰り返し南アジアにおける非核地帯を提案し、もしインドがそうするならば、核の廃絶に関わり、核拡散防止条約に署名するパキスタンの意思を宣言していた。パキスタンは、南アジアにおける核拡散防止を考慮して、地域の5つの電力会議のためのアメリカの提案を支持していた。

インドの主な関心は中国にあったので、インドは地域の安全保障問題に対する解決が地域のレベルよりむしろ国際的なレベルで見受けられるべきであるとの見方をとっていた。インドはそのためパキスタンの提案を拒否した。

そのかわりに1988年に提唱された「ガンジーのプラン」は、インドが核保有国を有利にする本質的な差別とみなしていた核拡散防止条約の改定と完全な核兵器の廃絶のためのタイムテーブルを提案していた。インドは、包括的核実験禁止条約や「カットオフ」条約として知られる軍事目的の高濃縮ウランやプルトニウムの製造を禁止するための国際条約のための早期の提案を支持していた。

特にクリントン政権下で数年間アメリカは、核兵器を放棄し、すべての核活動における包括的な国際的保障措置を受け入れるようインドとパキスタンを説得するさまざまな取り組みを追求していた。この目的のためにクリントン政権は5つの核保有国、日本、ドイツ、インド、パキスタンによる会議を提案した。

インドはこの提案や類似した以前の提案を拒否し、イランや北朝鮮のような他の潜在的核保有国が招かれるべきであり、もし提案が中国によって同様に受け入れられるならば、地域の制限のみが受け入れられるべきだろうといった要求で対抗した。アメリカはイランや北朝鮮の参加を受け入れず、これらの取り組みは消滅していった。

別の、さらに最近のアプローチは軍事目的のための核分裂性物質の製造を制限することに主眼を置き、それはうまくいけば「逆戻り」によって生じるだろう。この目的のために、インドとアメリカは共同で、「カットオフ」条約のための交渉を求める1993年の国連総会決議を支持していた。もし万が一にもインドとパキスタンがそのような条約に参加することがあるならば、彼らは軍用の核分裂性物質の製造を停止し、彼らの関連核施設に(濃縮と再処理工場)に対し国際的検証を受け入れることに合意しなければならないだろう。インドは今や国連軍縮会議の下でそのようなカットオフ条約に関する交渉に参加する用意をしているように思われる。

対立の可能性を減少させるインドとパキスタンの間における二国間の信頼醸成措置は限られている。1990年に両国は互いの核施設を攻撃しない条約を批准し、1991年末、たとえそれぞれのリストが完全に正確なものでないとみなされていても、両国はすべての両国の原子力発電所の位置を示すリストをお互いに与えた。1994年始めにインドは、核兵器の「先制不使用」と核施設同様民間や産業上のターゲットを保護するための「核施設を攻撃しない」条約の拡大のための二国間協定を提案した。

1954年以来、包括的核実験禁止条約を推進してきたが、インドは1995年に支持することを止め、1996年に条約を拒否することを試みた。1998年の核実験に随い、疑問が再び生じ、パキスタンとインドの両国はCTBTに署名する意向を示していた。インドの批准は核兵器の特定の削減に合意している5つの核保有国次第かもしれない。国連軍縮会議は同様に、両国におそらく核非保有国として「核拡散防止条約に遅滞なく応じるように」呼びかけてきた。

5.3 NPT署名国

5.3.1 エジプト

2004年と2005年にエジプトはIAEAに過去の申告されていない核活動や核物質を明らかにした。2007年と2008年に高濃縮や低濃縮のウラン粒子がエジプトで採取された環境からのサンプル中に検出された[14]。2008年にIAEAはエジプトの声明はIAEA自身の検出と一致していると述べていた[15]。2009年5月にロイターはIAEAがエジプトに対してさらなる調査を行うことを伝えた[16][17]。

5.3.2 イラン

2003年にIAEAはイランが保障措置協定を遵守する義務に違反していると伝えた[18]。2005年にIAEA理事会は、NPT保障措置協定を遵守しないイランを認め、国連安全保障理事会に遵守していないことを伝えるコンセンサスの形式をとらない希な決定に対し投票を行い[19][20]、それに対する回答として国連安全保障理事会はプログラムについての懸念に応じた一連の決議を通過させた[21][22][23][24][25]。イランの国連代表は、制裁が核拡散防止条約の下での平和的な核技術に対するイランの権利を放棄することをイランに強要していると主張している[26]。イランは、そのウラン濃縮プログラムが平和目的のみのものであり[27][28]、「5%以下」にウランを濃縮しており、それは原子力発電所の燃料として問題がないものであり、兵器のプログラムで一般的に利用されるWEUの純度(約90%)より十分に低いものである[29][30]と述べている。国際原子力機関の事務局長である天野之弥は2009年に、IAEAの公式文書の中でイランが核兵器を開発しているという証拠を見たことがないと述べている[31]。

5.3.3 イラク

1980年代後半には、いかなる未申告の核活動も保障措置を経た核物質の転用に基づかなければならないだろうといったことが一般的に考えられていた。政府は核活動の可能性が保障措置によってカバーされるものから完全に独立していることを認めていたが、それらの活動は国家の諜報活動によって検知されるだろうといったことが考えられていた。それらの活動を検知しようとするIAEAの取り組みは特になかった。

イラクは1960年代から核の可能性を確保する努力を行っていた。1970年代後半には専用のプラントであるOsiraqがバグダードの近くに建設された。プラントはイラン・イラク戦争中に攻撃され、1981年6月にイスラエルの爆撃によって破壊された。

NPT運用検討会議以降、一部の国が(例えば)既存のNPT保障措置協定における「特別査察」に対する規程をさらに運用する可能性を高めていた。もし未申告の物質や活動があると信じるに十分な理由が存在しているならば、特別査察は、保障措置が日常的に行われている以外の場所で実施されることが可能であった。

国連の湾岸戦争停戦決議に基づきイラクに対する査察がイラクの秘密核兵器開発プログラムが扱っていた範囲を示した後、IAEAがその活動の範囲を拡大させなければならないだろうことが明らかになった。イラクはNPT締結国だったので、IAEAの保障措置の下にすべての核物質を扱うことに合意した。しかし査察は、イラクが大規模な秘密のウラン濃縮プログラムのみならず、核兵器の設計プログラムも追求していたことを明らかにした。

イラクのウラン濃縮プログラムの主眼は国内のウランに対する電磁同位体分離(EMIS)のための技術開発だった。これは質量分析計と同じ原理を(はるかに大きい規模ではあるが)利用していた。磁場内を移動するとき異なる半径の弧を描くため、ウラン238とウラン235のイオンは分離されることが可能である。このプロセスは、広島型原爆で用いられた高濃縮ウランを製造するためのマンハッタン計画で利用されていたが、その後すぐに破棄された。

イラク人はバグダード近郊のTuwaithaにある核研究施設において基礎研究の仕事を行い、バグダード近郊のTarmiyaやAsh Sharqatに2つの総力を挙げた施設を建設していた。しかし戦争が始まり、わずか数機の分離装置しかTarmiyaには設置されず、Ash Sharqatには1つも設置されなかった。

イラク人は同様に遠心濃縮に非常に関心があり、検証の初期段階ではあるが、いくつかの炭素繊維による回転翼を含むいくつかの部品を入手することが可能であった。

イラク人は明らかにNPTや保障措置義務に違反しており、IAEA理事会はその影響を左右する立場にあった。その後国連安全保障理事会はIAEAにイラクの核兵器製造能力を取り除き、破壊し、無害にするよう指示した。このことは1998年半ばに行われたが、当時イラクが国連とのすべての協力作業を中止したため、IAEAはこの作業から撤退した。

イラクに対する摘発は、保障措置が達成するよう目的としている対象におけるはるかに広範囲にわたる見直しを促した。

5.3.4 リビア

リビアは化学兵器や弾道ミサイルを保有し、核兵器を追求してきた。2003年12月19日にリビアの最高指導者であるムアンマル・カダフィ大佐は、大量破壊兵器や長距離弾道ミサイルを含む国際的に禁止されている兵器につながる可能性があるすべての物質、機器、プログラムをリビアは自発的に除去する意思があることを発表した[1][2][3]。リビアは1968年に核拡散防止条約(NPT)に署名し、1975年に批准し、1980年にIAEAと保障措置協定を締結した[4]。アメリカとイギリスは、国際原子力機関による独立した検証を通じ、リビアの核兵器プログラムから機器や物質をリビアが除去することを支援していた[3]。リビアは化学兵器禁止条約に加盟し、それは2004年2月5日に発効し[5]、その年以降リビアの化学兵器を破壊したが[6]、化学兵器製造施設を平和利用に転換し、マスタード剤の備蓄を廃棄する期限に間に合わなかった[7]。

核開発プログラム

イドリース1世は1968年7月に核拡散防止条約(NPT)に署名したが、ムアンマル・カダフィ大佐によるクーデターで追放された。1975年にリビアは条約を批准したが、伝えられるところではカダフィ大佐はさまざまな供給元から核兵器を入手するために労力を費やしたことによって条約に違反していた[3]。リビアの核プログラムはイスラエルの核プログラムに対応したものだが、比較的低い水準の科学と技術の発展によって阻害されていた[3]。カダフィ大佐は、スイスの原子力技術者であるFriedrich Tinnerを含む、違法な核拡散ネットワークやさまざまな闇供給者を注意して眺め始めていた。1970年に中華人民共和国の首相である周恩来との会談で、カダフィ大佐は核兵器の購入の企てに失敗したが、これは中国側の拒否によるものだった[3][8]。1974年にラホール(パキスタン)にあったイスラム諸国会議機構(OIC)に参加している間、当時の首相であるズルフィカール・アリー・ブットーは秘密のプログラムであるProject-706に参加するためにリビアに派遣された[9]。しかしリビアがこのプログラムに参加する頃には、ブットーはパキスタンの最高裁判所の命令により処刑されていた[9]。新しい戒厳令司令官(CMLA)であるジア・ウル・ハクはカダフィ大佐を信用できないと嫌って、リビアの科学者は注意深くその参加から除外され、即座にその国を去るように命じられた[9]。この間リビアの諜報機関はパキスタンの高度な研究施設に侵入することに失敗したが、パキスタン軍統合情報局がリビアのエージェントを逮捕し、その通信を傍受していたために、そのような侵入行為がパキスタン軍統合情報局によって妨害されていたからだった[8]。

カダフィ大佐はあきらめることを望まず、そのためにリビアは核兵器の支援のためにパキスタンの最大の競争相手であるインドへと向かった[10][3]。1978年にリビアのエージェントはインドを説得し、インドから核兵器を購入しようとした[10]。しかしインドにおける平和のための原子力プログラムの一環として、原子力エネルギー協定がリビアとインドによって署名された[3][10]。両国の間でどれほどの対話と協力がなされたかは定かではない[3]。1970年代と1980年代を通じて、リビアは学術上の進歩における困難に直面していたにもかかわらず、さまざまな供給元から核兵器を入手するための多大なる労力を費やしていた[3]。1970年代にリビアはウラン濃縮製法を追求し、ウラン鉱石、ウラン転換施設、兵器級ウランをリビアが製造することを可能にするだろう濃縮技術にアクセスするために多大な労力を費やしていた[3]。このアプローチは1979年に失敗し、1980年にリビアは核兵器に対するプルトニウムを用いた手段を追求することを決定していた[3]。複数回にわたってリビアはその署名された条約に違反し、NPTによって求められているIAEAに報告することなしに、ニジェールにおけるフランスに管理された鉱山からの1200tのウラン精鉱を輸入していた[3]。1982年にリビアはベルギーから4フッ化ウラン(UF6)を製造するためのプラントを購入しようとしていた[3]。当時リビアは4フッ化ウランを必要とする核施設を公表していなかったため、その購入は拒絶された[3]。

1981年にソ連は、リビアがIAEAの保障措置と査察の下に完全に入る条件で、核施設を建設することを最終的に合意した。Tajura核研究施設(TNRF)として知られるところで、リビアは不法なウラン転換実験を行っていた[3]。伝えられるところでは未確認の核保有国が同様にリビアをIAEAによって名前が秘密に保たれているこれらの実験において支援していた[3]。科学国際安全保障研究所の核専門家であるDavid Albrightは、ソ連と中国が最も可能性が高い容疑者であると述べていた[3]。1980年に施設における外国からの専門家が、ウラン濃縮用ガス遠心分離機を製造する目的で、リビアにあるTajoura核研究センターにおいて設計プログラムの実験を実施し始めた[3]。IAEAは、それはIAEAに以前所属していたスイス出身の核技術者であるFriedrich Tinnerであると伝えていた[3]。Tinnerは1992年に仕事を終えていたが、リビアは稼働する遠心分離機を製造することがまだできず、核物質を含むいかなる遠心分離機を用いた実験も行われていなかった[3]。

2000年にリビアは、Tinnerが開発プログラムの責任者を務めていたときに、そのプログラムの進展を促進させた。濃縮ウランを製造するために遠心分離工場を設置することを意図して、リビアは他国に遠心分離機とその部品を発注し始めた[3]。

リビアは遠心分離機とその運用に関する膨大なドキュメントを入手していた。しかしそれらのドキュメントを解釈し運用することに困難を抱えていたため、リビアとTinnerはこれらの設計を評価することに対し多くの失敗を抱えていた。リビアは最終的にIAEAの査察官に、当時これらの設計を評価するための国内における有能な人材を擁していなかったことを述べており、仮に核兵器を追求する決定を行ったとしても、リビアは供給国に助けを求めなければならなかっただろう。

外国からの支援

1980年にソ連は核プログラムに関してリビアの重要なパートナーを務めていた[10]。ソ連は2つの核研究施設を建設し、それはIAEAの保障措置の下に置かれたものだった。最初の施設はAl Hashan(AHF)になり、他はTajura核研究施設(TNRF)になる[10]。リビアの核プログラムは度々管理の不手際と学術面での世代の損失から被害を被っていた[10]。Tajura施設はソ連の専門家によって管理され、ソ連のスタッフによって支援された少数ではあるが未経験の750人に及ぶリビアの専門家と技術者によって構成されていた[10]。1984年にリビアは原子力発電所の供給ためにソ連と交渉していたが、その旧式の技術はカダフィ大佐を不満にさせていた[10]。カダフィはベルギーと交渉したが、会談は失敗に終わった[10]。1984年にリビアはパイロット版のウラン転換施設を発注し日本と交渉していた[10]。日本企業はリビアに技術を供給し、中間業者を通してではなく直接手配していた[10]。施設はAl Hashan施設付近に建設され、研究が始められていた[10]。

しかし後にFriedrich Tinnerが開発プログラムに参加し、プログラムの責任者になった[10]。リビアは多数のブラック・マーケットの供給者と取引した[10]。上級研究員であるAbdul Qadeer Khan博士が守秘義務を課せられたのは、リビアに対しTinnerを通じ遠心分離機の設計の機密を売ったことをパキスタンの国民全体に告白した後だった[10]。

廃止

2003年にアメリカの諜報機関は地中海北部の港におけるリビア向けの遠心分離機に関しその後配送される機器を押収した。調査はこれらの部品の多くがマレーシアにあるScomi精密工場によって製造されたことを明らかにした。そしてそれはA.Q.Khan博士やイギリス、ドイツ、スイス国籍の人物による技術的指導の下で製造されていた。ニュースが公表された後、リビア人の意気込みは低下し、挫かれるものになった[3]。

一部のアナリストによれば、カダフィが非難した2001年9月11日の攻撃と差し迫っていたアメリカによるイラク侵攻はアメリカとの間に平和を築きたいリビアの意思を増大させた。リビア高官は公式に開発プログラムを廃止するためにイギリス、ロシア、アメリカ高官との秘密裏の会合を始めていた。2003年3月、イラク侵攻の前日にカダフィの個人的な特使がブッシュ大統領、イギリスのトニー・ブレア首相に開発プログラムを廃止するリビアの意思について接触を図っていた。その後カダフィの指示で、リビアの高官はイギリスとアメリカの高官にリビアの化学、生物、核、バリスティックミサイル活動に関するドキュメントと付随的な資料を与えた。リビアは繰り返しアメリカやイギリスの高官に、以前は秘密とされた10の施設、数十に及ぶリビアの研究所や軍事施設を核燃料サイクルに関連した活動や化学、ミサイルプログラムを調査するために訪問するよう求めていた。

2003年12月19日にカダフィは開発プログラムを廃止する不意をつく発表を行った。リビアはすべての化学、核、生物兵器を破壊することに合意した。リビアはアメリカ高官に遠心分離機の設計図を与え、供給者の名前を与えていた。その公表はパキスタンの上級研究者の1人であるAbdul Qadeer Khanに守秘義務を課することを促した。2004年にIAEAの関係者やインターポールとともにアメリカはリビアの核プログラムの責任者であるFriedrich Tinnerの逮捕を導いた。2004年1月22日にアメリカの輸送機はリビアの核、バリスティックミサイルプログラムに関連する55,000ポンドに及ぶドキュメントと機器をテネシー州にあるオークリッジ国立研究所に運んだ。2004年3月に1,000を超える付随的な遠心分離機とミサイルの部品がリビアから輸送された。

5.3.5 ミャンマー

ミャンマーの軍事政権は5年以内に初めての原爆を入手することを目的にして北朝鮮の支援とともに密かに原子炉やプルトニウムの抽出施設を建設していると2人のミャンマーからの亡命者が述べているとシドニーモーニングヘラルド紙や日本の新聞であるサーチナのレポートが伝えている。レポートによれば、「秘密の複合施設の多くはビルマ北部のNaung Laingの山の中に掘られた洞窟の中にあり、ロシアによる別の敷地に建設された民間のリアクターと平行して管理されており、ロシアとビルマの双方はそれが国際的保障措置の下に置かれるだろうと述べている」[32]。2002年にミャンマーはIAEAに民間の核プログラムを追求する意思があることを通知していた。後にロシアは、ミャンマーに原子炉を建設すると発表した。AQ Khanの仲間から2人のパキスタンの科学者が移住先であるミャンマーに派遣され、ミャンマーのプロジェクトを支援したとのレポートが同様にあった。最近David Albrightによって導かれた科学国際安全保障研究所は北朝鮮の援助を受けたミャンマーの核プロジェクトの実施について警鐘を鳴らした。もしそれが本当ならば、国際的な圧力のすべてがミャンマーに反対に作用していたと開発に精通している関係者は述べていた。しかし同様に亡命者によって広められている情報は「準備段階」のものであり、2010年のミャンマーにおける選挙の実施において民主主義と人権の問題に関して圧力をかけるために欧米によって用いられている可能性があった。2009年7月のタイで開催されたASEANの会合において、ヒラリー・クリントンは北朝鮮の関わりに対する懸念を強調していた。「私たちは私たちが深刻に受け止めている北朝鮮とビルマの間の軍事協力に関する懸念が同様に増大している事実に気付いている」とクリントンは述べていた[33]。

5.3.6 北朝鮮

朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)はソ連による原子力発電所の供給のための条件としてNPTに加盟した。しかし北朝鮮は1992年4月までIAEAとのNPT保障措置協定の締結とわずか18ヶ月しか要しない手続きを遅らせていた。

その間に北朝鮮は、イギリスのマグノックスの設計に基づく約25MWt(5万kW)級の、小型のガス冷却を有し、黒鉛減速で、天然ウラン(金属)を燃料とする「実験用原子炉」を実用化していた。これは全て独自に原子炉を開発することに対して十分に適していたが、同様に兵器目的の小型のプルトニウム製造のためのすべての機能を示していた。北朝鮮はまた同じ原則に基づいて設計された2機のさらに大きいリアクターの建設においてかなり進歩を遂げており、それは、約200MWt(50万kW)級のプロトタイプと約800MWt(200万kW)級の本格的なバージョンになった。それらはゆっくりと進歩を遂げるのみだったが、1994年に両者において建設が中止され、再開されることはなかった。双方のリアクターはその時以来かなり劣化しており、再開するにはかなりの労力を必要とするだろう。

さらに北朝鮮はマグノックス使用済み核燃料を処理する再処理工場を完成し稼働させ、ウランとプルトニウムを再利用した。燃料が非常に低い燃焼度で照射されるならそのときのみ、プルトニウムは兵器のために非常に適した形になるだろう。寧辺にあるこれらのすべての施設は保障措置の下にあるけれども、ある段階で北朝鮮がNPTから脱退し、兵器のためにプルトニウムを使用するリスクが常に存在していた。

NPTの保障措置を適用する最初のステップの1つは、国内のすべての核物質が保障措置の目的のために申告されていることを確認するためにIAEAがウランとプルトニウムの当初のストックを検証することになる。1992年にこの作業を引き受ける一方、IAEAの査察官は北朝鮮が申告するより頻繁に再処理工場が利用されていることを示唆する矛盾に気が付き、そのことはIAEAに申告されていない兵器級のプルトニウムを北朝鮮が保有していることを示していた。加盟国によってIAEAに渡された情報(IAEAによって要求されていた)は、北朝鮮が2つの申告されていない廃棄物や他の貯蔵施設を有していることを示唆することを支持していた。

1993年2月に核物質の当初のストックが検証されることができるように、IAEAは2つの施設の特別査察を可能にするために北朝鮮を訪問した。北朝鮮はそれを拒否し、3月12日にNPTから脱退する意思を公表した(3ヶ月の事前通知が必要とされている)。1993年4月にIAEA理事会は北朝鮮が保障措置義務を遵守していないと結論づけ、国連安全保障理事会に問題を報告した。1993年4月に北朝鮮はNPTからの脱退を「中断」したと公表したが、その後保障措置義務に関して「特別な地位」を主張していた。これはIAEAによって拒否された。

一旦北朝鮮が保障措置義務を遵守していないことが国連安全保障理事会に報告されると、IAEAの任務の基本的な部分は完了されたことになる。北朝鮮における査察は継続されていたが、査察官は北朝鮮の「特別な地位」を求める主張によって許可された活動においてますます妨害を受けていた。しかし実験炉に関する約8,000本の腐食した燃料棒は徹底した監視の下にあった。

アメリカと北朝鮮の二国間交渉や1994年10月に合意された枠組みにしたがって、IAEAは追加的な責任を付与された。合意は北朝鮮のプルト二ウム生産炉や関連施設を建設し稼働することを凍結することを求めており、IAEAは施設が最終的に解体されるまで凍結をモニタリングする責任を有している。北朝鮮はIAEAの検証作業に非協力的であり、まだ保障措置協定を遵守していない。

イラクは戦争に敗北し、停戦条件の部分として核兵器プログラムを探し破壊する機会を国連に許容していたが、北朝鮮は敗北しておらず、貿易制裁のような他の措置に対して脆弱でもなかった。北朝鮮は輸入する余裕がほとんどなく、石油のような重要な産品に対する制裁は効果的でなく、戦争を引き起こすリスクにつながるかもしれなかった。

最終的に北朝鮮は、エネルギーに関連した約50億ドルの支援における合意された枠組みの下で、引き換えに核兵器プログラムになると思われるものを止めるように説得されていた。このことはアメリカの高度なSystem80の設計に基づいた2機の1,000万kW級の軽水炉原子力発電所を含んでいた。

2003年1月に北朝鮮はNPTを脱退した。反応として、六者会合(北朝鮮、韓国、中国、日本、アメリカ、ロシアで構成されている)において北朝鮮、アメリカ、中国の間における一連の議論が北京で行われ、2004年4月に開始された最初の会合は北朝鮮の兵器プログラムに懸念を示していた。

2005年1月に北朝鮮は核兵器を保有したと表明した。2005年9月19日に六者会合の第4ラウンドは、北朝鮮が外交、エネルギー、経済支援と引き換えに核プログラムを廃止し、NPTに復帰することに合意する共同声明で終わった。しかし2005年末までに、アメリカがマカオのそれらのような北朝鮮における特定の国際金融資産を凍結したので、北朝鮮はすべての六者会合を停止した。

2006年10月9日に北朝鮮は初の核実験を行ったことを公表した。2006年12月18日に六者会合がようやく再開された。2007年2月13日に関係諸国は、エネルギー支援と引き換えに北朝鮮の核施設の閉鎖と無能力化を含む2005年の共同声明を実施するための「初期段階の措置」を公表した。2009年4月のミサイルテストの後課された国連制裁に対する対応として、北朝鮮は六者会合から脱退し、核施設を再開し、2009年5月25日に2回目の核実験を行った。

5.3.7 ロシア

ロシアの核兵器のセキュリティは懸念材料のままである。ロシア対外情報庁からの高位の亡命者であるTretyakovによれば、1991年に彼は国立の企業であるChetekを代表する2人のロシアのビジネスマンと会合を行った。彼らは、地下核爆発によりNovaya Zemlyaの島(ソ連の核兵器の試験場)で西側諸国から集められた大量の化学廃棄物を破壊するプロジェクトを思いついた。プロジェクトはカナダの代表者によって拒否されたが、ビジネスマンの1人はTretyakovに、彼がモスクワ郊外の別荘に自身の核爆弾を保有していると伝えた。Tretyakovはその男が正気でないと考えたが「ビジネスマン」(Vladimir K.Dmitriev)はこう回答した。「そんなにいい子ぶるな。今日のロシアの経済状況では、十分なお金をもっている誰もが核爆弾を購入することができる。それは実際には大したことではない」[34]。

5.3.8 南アフリカ

1991年に南アフリカはNPTに加盟し、IAEAと包括的保障措置協定を締結し、保障措置に対する核物質の問題に関するレポートを提出した。当時イラクと北朝鮮のみが研究用の原子炉を保有していたのに対し、南アフリカは国内の電力のほとんど10%を発電する原子力発電プログラムを有していた。

1979年から1989年の間において多くの核兵器を製造し解体したとの南アフリカの公表により、IAEAの初期検証作業は複雑化していた。南アフリカは兵器プログラムの結論を検証するようIAEAに要請していた。1995年にIAEAは、すべての物質が考慮され、兵器プログラムが終了され、解体されたことに満足したことを表明した。

南アフリカはNPTに署名し、国産の核兵器を保有し、検証可能な状態でそれらを解体した唯一のよく知られた国家であるという特色を有している[35]。

5.3.9 シリア

2007年9月6日にイスラエルは、後に建設中の原子炉であると主張したシリアにある公式に未確認であるサイトを爆撃した(Operation Orchardを参照せよ)[35]。伝えられた原子炉は稼働中であると主張されず、核物質が導入されていたとも主張されていなかった[14]。シリアはサイトが軍事拠点であるがいかなる核活動とも関与していなかったと述べていた[14]。IAEAはシリアに、そのサイトや建物からの残骸や機器が貯蔵されていた他のサイトへのさらなるアクセスを与えるよう求めていた[14]。シリアはその事件に関する西側の「事実のでっちあげと捏造」と呼ぶものを公然と非難していた[37]。IAEAの事務局長であるモハメド・エルバラダイはその攻撃を批判し、問題に関する情報がもっと早くIAEAと共有されなかったことを嘆いていた[38]。

5.3.10 核兵器におけるイギリスとのアメリカの協力

1958年の米英相互防衛協定以来、アメリカはイギリスに核兵器の設計や製造におけるかなりの援助を与えていた。1974年にCIAの核拡散評価は「多くのケースにおいて『核やミサイルの分野におけるイギリスの機密技術』はアメリカから受け取った技術に基づいており、アメリカの許可なしに合法的に渡されることはなかった」と述べていた[39]。

少なくとも1975年から1996年の間、アメリカの大統領は「核兵器のパーツ」をイギリスに移すことに承認を与えていた[40][41]。イギリスの国立監査院は、イギリスのトライデント(ミサイル)の開発や製造に関わる支出の大半は「特定の弾頭に関連した部品」を供給するアメリカに頼ったものであると述べていた[42][43]。イギリスのトライデント用の核分裂性物質の一部はアメリカから購入されていた[43]。機密解除されたアメリカ合衆国エネルギー省のドキュメントは、イギリスのトライデントの弾頭システムがアメリカ海軍のトライデント(ミサイル)に装着されたアメリカの核弾頭であるW76に沿って非核目的で設計された活動に関与していたことを示し[44]、アメリカ科学者連盟がイギリスの弾頭はW76からの設計情報を共有しているかもしれないと推測することを促していた[45]。

1960年から1979年において相互防衛協定の下、6.7kgのトリチウムと7.5tの高濃縮されたウランと引き換えに、5.37tのイギリスで製造されたプルトニウムがアメリカに送られた。機密扱いのままであるが、さらに0.47tのプルトニウムがイギリスとアメリカの間で交換された[46]。一部のイギリスで製造されたプルトニウムは原子炉級のプルトニウムを用いた核実験のためにアメリカによって1962年に使用された[47]。

NPTの署名以前からアメリカは、イギリスの核の力を支援するために核兵器輸送システムを供給していた。協定の更新は21世紀の2番目の10年間に行われる予定である[4][5]。

6 核拡散を肯定する議論

核拡散の可否に関して国際安全保障上の学問的研究の中で多くの議論があった。1950年代後半から1960年代初頭にかけて、シャルル・ド・ゴールの顧問である元フランス空軍参謀長のピエールマリ・ガロワは『恐怖の均衡』といった著作の中で議論をしている。核時代(1961年)の戦略とは、フランス人が抑止力と呼ぶ核兵器の単なる保有は抑止力を確保するには十分なものであり、したがって核兵器の拡散は国際的な安定性を高めることができるといったものになる。

カリフォルニア大学バークレー校の名誉教授であり、コロンビア大学の非常勤主任研究者であるKenneth Waltz、シカゴ大学の政治学教授であるJohn Mearsheimerのような一部の非常に著名な新現実主義者である研究者はガロワの線に沿って議論を続けている(これらの研究者はめったに彼らの知的産物がガロワや同時代の人物に負っていることを認めていないのだけれども)。具体的にはこれらの研究者は核拡散のいくつかの形態を擁護し、特に世界の問題を抱えた地域において、それは戦争の蓋然性を減少させるだろうと主張している。核拡散に反対する多数派の見解とは別に、この問題に関する思想において2つの学派が存在している。それは、選択的な核拡散を支持するMearsheimerのような人々や北朝鮮のようなプログラムに対する自由放任主義の態度を擁護するWaltzのような人々になる。

6.1 全体における核拡散

初期段階ではWaltzは、歴史的緊張や近年の敵意に関わらず、相互確証破壊(MAD)の論理はすべての安全保障環境において機能するはずであると主張している。彼は冷戦をMAD論理の究極の証拠として理解しており、これは2つの大国の間における確執が軍事紛争につながらなかった唯一のケースである。彼は、これは核兵器が意思決定において注意を促したからだと主張している。ワシントンもモスクワも領土的もしくは覇権的目標を達成するために核によるハルマゲドンの危険に晒されることはなく、これゆえ平和的な膠着状態が続いていた(Waltz and Sagan(2003), p.24)。Waltzは、この影響があらゆる環境で生じるだろう理由が存在していると考えていた。

6.2 選択的核拡散

John Mearsheimerは潜在的実例の多数においてWaltzの楽観主義を支持していないが、彼は冷戦後のヨーロッパのような特定の地域における政策として核拡散を議論していた。2本の有名な論文の中でMearsheimer教授は、ヨーロッパは将来戦争や疑念が頻繁に生じていた冷戦前の環境に戻るかもしれない傾向にあると述べている。彼は、西のフランスやイギリスと東の諸国において力の均衡を達成するためにドイツとウクライナの双方が核兵器を保有することを提唱している。もしこうならないならば、彼はヨーロッパ大陸において結局のところ戦争が生じてしまうだろうといったことを確信している(Mearsheimer(1990), pp.5–56 and (1993),pp.50–66)。

Waltzの開かれた核拡散に反対し、Mearsheimerの選択的核拡散に賛成する他の独立した議論は核テロリズムの蓋然性になる。前述の自由放任主義の核拡散に含まれる一部の国々はいかなる政府とも提携していないグループの手に落ちる核物質や爆弾の移転を容易にしている可能性がある。一部の国々は第三者に移転される機器を保護する政治的意思や能力を有していないだろう。全滅によって抑止されないならば、テロリズムのグループは彼ら自身の核の力を利用した計画を助長することができ、前述の不安定な政府によって襲撃計画を遂行するための影の前線として利用されることができるだろう。

6.3 双方の立場に対する議論

選択的なもしくは全体に及ぶ核拡散の双方に対して示される多くの議論があり、その支持者が擁護する傾向にある非常に新現実主義的仮定(例えば、国家の議論における軍事的安全保障の優位性、国際機関の脆弱性、国家戦略にとっての経済統合やグローバリゼーションが長期において重要でないこと)を一般的に対象にしている。ヨーロッパにおけるMearsheimerの具体例に関して、多くのエコノミストや新自由主義者は、欧州連合の展開に付随するヨーロッパの経済統合は、ヨーロッパ大陸に存在する多数の国々における戦争を経済的に壊滅的な損害を生じさせるものとして理解させ、それゆえそれは効果的な抑止力として機能すると主張している。構成主義者はこのステップをさらに進め、欧州連合の政治制度の進展はヨーロッパのアイデンティティのモデルを導き、程度を別にしてヨーロッパ大陸の多数の国々はそれに加わることを願い、欧州連合の中に存在しまたは存在したいと願うすべての国家が、彼らの間における戦争を考慮する価値のないものとして認識することになると頻繁に主張している。

Waltzに関する一般的な見解は、大半の国家は核の使用に対して安全を保障できる立場になく、彼は多くの地域において長期にわたり存在している反感を過小評価しており、弱い国家は核のテロリズムの悲惨な可能性を防ぐことができず、積極的にそれを増大させてしまうかもしれないといったことになる。Waltzは彼の著作の中のいくつかの点でこれらの反論のすべてを取り扱っているが、多くに対し彼は十分に答えていなかった(Betts(2000))。

ザ・ラーニング・チャンネルのドキュメンタリーである『Doomsday:"On The Brink"』は40年におよぶアメリカとソ連の核兵器における事故を扱っていた。1995年のノルウェーにおけるロケットの事件は、冷戦後のロシアの民主化と軍備縮小が指揮と管理の誤りを通じ偶発的な核戦争の危険性を除去していなかった潜在的なシナリオを示していた。将来のロシアの支配者や反逆したロシアの高級将校が外交政策のために核兵器を利用したくなる可能性はあるかと尋ねた後、ドキュメンタリー作家は、核の貯蔵におけるロシアの安全保障におけるさらに大きな危険性と、特に政治力や軍事力を行使するために究極の大量破壊兵器を望む人間における究極の危険性を明らかにしている。将来の世界の指導者は、どれほど緊密にソ連、ロシア、アメリカ人が最後の審判の日に存在していたかや、どれほど安易にそのすべてが30,000年におよぶ人間の先史時代に対して子供を愛し死ぬことを望んでいないライバル、テロリストでなく政治家の間でわずか40年の間大惨事が避けられてきたからだと思われてきたかを理解しないかもしれない。歴史と軍事の専門家は核拡散のペースが遅くなることはあっても決して止まることはないことに同意している(技術の発明を止めることはありえない)[49]。

6.4 核拡散が核拡散の原因となる

「核拡散が核拡散の原因となる」は『Why Do States Build Nuclear Weapons?』といった論文の中でスコット・セーガンによって描かれる概念である。この考え方は戦略的な連鎖反応として描かれることが可能である。もしある国家が核兵器を製造するならば、それはその地域においてほとんどドミノ効果を生じさせるだろう。その地域における国家はバランスをとるためにもしくは安全保障上の脅威を根絶するために核兵器を入手することを望むだろう。セーガンは著作の中でこの反応を十分に想定されるものとして描いており、彼はこう述べている。「ある国家が主なライバルに対しバランスをとるために核兵器を開発するならばそのたびごとに、同様に他の地域に対し核の脅威を生じさせることになり、その後その地域は国家の安全保障を維持するために自身の核兵器プログラムに着手しなければならない」(Sagan, pg.70)。歴史をさかのぼれば私たちはどのようにこのことが行われてきたかを理解することができる。アメリカが広島と長崎の爆撃の後核の保有能力を示したときに、ロシアは冷戦に備えるために核のプログラムを開発することに着手した。ロシアの軍事的増強にともない、フランスとイギリスがこれを安全保障上の脅威として認識し、そのため彼らは核兵器を追求した(Sagan, pg71)。

6.5 核のアパルトヘイト

核拡散の効果的な防止は、わずかに選ばれたいくつかの国家のみが(特に国連安全保障理事会の理事国)核の技術を獲得することができるような技術的アパルトヘイトの形で特徴づけられ、彼ら核保有国は他の国々が核の技術を開発することを妨げるために彼らの力を使うことができる。理論的には、既に原子力発電所を保有している国々と同盟しているわずかの国々のみが自身で核の技術を獲得することができるだろう。

6.5.1 イラン

イランのマフムード・アフマディーネジャード大統領は、いくつかの国々特にアメリカによって行われているような核のアパルトヘイトの考え方を頻繁に批判していた。CNNのクリスティアン・アマンプールとのインタビューの中で、アフマディーネジャードは、イランは「核のアパルトヘイトに反対しており、それはいくつかの国がそれを保有し、燃料を利用し、他の国に10倍の価格で売却する権利を有していることを意味している。私たちはそれに反対している。私たちはクリーンエネルギーへのアクセスはすべての国々の権利になると述べている。しかし同様に核の拡散を防止する枠組みを構築することは私たちを含むすべての国々の義務と責任である。」と述べている。インタビューの後数時間、彼は核技術を開発するためのイランの権利に対する支持を情熱的に語り、国家は同じ自由を保有するべきであると主張していた[50]。

イランは核拡散防止条約の署名国であり、核技術に関連したいかなる作業も民間の用途に限定されており、それは条約の下で許容されていると主張している[51]。イランは秘密裏にウラン濃縮を行ったことにより条約に違反しており、その後国連安全保障理事会がイランにすべてのウラン濃縮を止めるよう指示していた。

6.5.2 インド

インドは同様に核のアパルトヘイトの文脈の中で議論されてきた。インドは一貫して完全な国際的核放棄を求める施策を講じるよう訴えてきたが、それらは既に核兵器を保有している国々からの抗議により成功しなかった。これによりインドは、まだ核兵器を保有する特定の国家が存在する限り、すべての国々に対する必要な権利として核兵器を眺めていた。インドは核の問題は直接的には国家の安全保障と関係していると述べていた。

1998年にインドが最初の地下核実験を行う数年前に、包括的核実験禁止条約が可決されていた。一部は、条約に署名させるためにインドを説得する試みの中で威圧的な言葉が用いられており、それは隣国の中国によって激しく行われていたと主張していた[53]。インドは条約を、既に核兵器を保有している国々、主として国連安全保障理事会の常任理事国のための、そして他のいかなる国々も核を開発できないことを確認しているが、常任理事国の保有は維持されるための手段として眺めていた[54]。

6.6 核拡散の交渉や考え方におけるウィキリークスの見方

ウィキリークスの公電のタイトルである、2009年8月6日に送信された"NONPROLIFERATION TREATY (NPT) BILATERALS"、2009年7月31日に送信された"POSITION ON NUCLEAR ISSUES IN THE RUN-UP"、2009年7月24日に送信された"DOUBTS AND REASSURANCES ABOUT REPLACING BRITAIN'S TRIDENT NUCLEAR DETERRENT"は、フランスの考え、P3(アメリカ、フランス、イギリス)における暗黙の合意、核兵器、NPT、核軍縮の問題に関する教義に対する洞察を得ることを可能にしている。

http://www.guardian.co.uk/world/us-embassy-cables-documents/219798

二国間における核拡散防止条約(NPT)

1. (C) 要旨 核拡散防止の特別代表であるSusan Burk大使は重要な核拡散防止条約(NPT)の交渉者と7月14日から17日にかけてロンドン、パリ、ベルリンで会合を行った。会合は、私たちが条約や2010年の検討会議(RevCon)の主な目標においてこれらの政府とごくわずかな違いしかないことを示していた。イギリスとフランスは強力なリーダーシップの役割を担い、核軍縮の問題を含め私たちと緊密に協力し、検討会議を成功させるために拡大したNPTの締約国と作業を行うことを強く願っていた。BurkはNPTの問題におけるP5間の協調の意義についてイギリスやフランスの関係者と合意していた。イギリスやフランスは私たちが検討会議のために目標を追求することにおいて積極的になるべきであることに合意していた。しかし彼らは1つの重要な分野において見解が異なっており、イギリスは積極的に核軍縮を促進することを願っており、フランスは、核軍縮に対して消極的であり、アメリカやロシアのイニシアチブとイギリスの単独の措置が核軍縮を促すようにフランスに向けられた圧力を増大させるだろうことを懸念していた。この相異なる観点は両国の間にかなりの不安を引き起こしていた。

2. (C) ドイツの担当者は検討会議の目標についてより慎重であり、それは非同盟運動に関わる国々の見解に対し明らかに敏感になっていることが、彼らに対しそれらの国々と西側諸国との間に存在する溝に注目させてしまうからである。私たちが会合した三ヶ国においてすべての政府はイランをおそらくNPTに対する最大の問題とみなしており、エジプトとの高いレベルでの介入が検討会議での中東の問題を解決するために必要とされているだろうと考えている。

3. (U) ロンドンとパリでBurkは、ISN/MNSAの部長代理であるScott Davis、OSDのAmy Prible、国家安全保障会議における核拡散防止の部長であるAdam Scheinmanと会合していた。

4. (C) Burk大使は、アメリカは検討会議が条約に対する締結国の支持を再確認することを願っていると述べており、会議に対する特定のアメリカの目標は、条約の遵守を徹底し、IAEAの保障措置を強化し、NPT締結国が条約の脱退条項を乱用することを防ぎ、原子力エネルギーの成長が核拡散のリスクを増大させないことを確認し、核軍縮のペースについて現実的である一方、オバマ大統領の核軍縮計画を支持することを含むことを示唆していた。彼女は、アメリカは1995年と2000年の検討会議で達成された合意を支持しているが、最後の検討会議からすでに10年が経過しており、締結国はさらに前向きになる必要があることを示唆していた。彼女は、今後の会議は重要な国際的な出来事になるが、それ自体は目的ではないと指摘していた。アメリカは、体制を強化するため他の影響に貴重な勢いを与えるだろう条約の建設的な再検討を求めていた。

5. (C) イギリスにおける国防・戦略的脅威の部長であるSimon Manleyは、イギリスは検討会議が処理における唯一のステップになるが、NPTは彼の国における大きな政治問題になっていたことに同意していると答えていた。彼は、第3回準備委員会は期待以上であり、「ほぼ完璧」であるとしていたが、「私たちに賛成しない」P5間の一貫性のなさが存在していたと述べていた。Manleyと彼のイギリスの同僚は核拡散防止と核軍縮におけるオバマ大統領のリーダーシップを賞賛していた。ManleyはFNCTやCTBTにおけるアメリカのイニシアチブから生じた「肯定的な動き」に言及したが、中国やフランスが核軍縮における最近の進展について不快感を示していると付け加えた。彼とBurkは、私たちの政府はどれほど私たちが核兵器の数や信頼を減らすために行動してきたかを説明するためにつらい仕事をし続ける必要があることに合意していた。

6. (C) Manleyは、最近の進展が核軍縮における非同盟運動を不安定な状態にしているものの、核保有国は2000年の検討会議の最終文書から核軍縮に至る「13の現実的なステップ」を取り扱う方法を議論する必要があることを示唆していた。彼は、Mariot Leslie(FCOの国防・情報局長)がP5における協調とNPT問題における肯定的なメッセージの必要性を願っていることを付け加えた。双方が、強力にP3とP5が関与することが検討会議のために準備されることが必要とされているが、P5のコンセンサスの価値と、ロシアや中国が私たちの核軍縮のイニシアチブに信用を与えないことを避けることについて述べていた。Burkが言うように、私たちはP5のコンセンサスのために「手心を加える」べきではない。Manleyはフランスの態度に対するイギリスの懸念を表明し、パリは核兵器を廃絶することにおける「思考プロセスを表明せず」、多国間における核軍縮の提案について懸念していることを示唆していた。

7. (C) ManleyとNick Lowe(FCOの核拡散防止局、核問題部長)は、遵守せず撤退することに関するアメリカの考え方に合意していた。Loweは、私たちは検討会議を損なうイランや北朝鮮問題を許容するべきではないが、同様に彼らを「救い出す」べきでもないと述べていた。Burkは、第3回準備委員会の委員長であるBoniface Chidyausikuが名指しによって頻繁に批判するよりむしろ準備委員会の場で「一般的な」方法でイランや北朝鮮を扱うアメリカを賞賛していたことを指摘していた。Burkがシリアの核活動について懸念を示したとき、Liane Saunders(FCOの核拡散防止局長)は、ロシアが2007年のシリアの施設に対するイスラエルの攻撃に触れることを主張しているため、核拡散防止に関する最近のG8サミットの表明はその問題に触れるだろうことを指摘していた。

8. (C) Burkは、追加議定書を全世界で遵守することに対する議論によって西側諸国が条約を変更しようとする非同盟運動の議論に対し懸念を表明し、私たちは条約を修正するのではなく体制を強化することを求めていることを明らかにする必要があると述べていた。彼女は、IAEA加盟国がそのミッションを実行するために必要としている資源ををIAEAに与える必要があることを示唆する機会を利用しており、IAEAの通常予算における意味のある増加に対するUSGの支持に言及していた。Peter Carter(エネルギー省の核拡散防止局長)やJudith Gough(FCOの安全保障政策グループにおけるグループ長代理)は、IAEAはどのようにそのような資源を利用するかに対して「ビジネス上の事例」を生み出す必要があると答えていた。

9. (C) Carterは、多国間の核燃料サイクルの取り決めにおける努力が緊張を伴うか否かといった議論から離れる必要があると述べていた。Manleyは、その不信が高いものであり、3月にロンドンで開催された原子力エネルギーに関する会議はこの問題が悪化していることを反映していると付け加えた。Loweは、関連した提案の1つとして消費国に平和利用の権利を放棄するよう求めていないことを指摘していた。Burkは、NPTや強力で信頼できる核拡散防止体制が原子力発電を含む平和的目的のための原子力エネルギーを共有することをどのように促進するかを説明することによって、私たちはこのことに対し肯定的な議論をすべきであることを示唆していた。

10. (C) 双方がNPTの中東における状況がどれほど困難であるかを認識しており、Burkは、NPTが地域の安全保障のより広範な問題の背景の中で考慮される必要があると述べていた。Manleyはこの問題に関する大きな要求のための勢いを生み出しているエジプトの努力について懸念を表明していた。Saundersは、主要な会議や地域へのNPT「特使」を含めた中東を取り扱うロシアの提案に言及しており、ロシアがその問題において「エジプトを排除する」ことを望んでいることを示唆していた。

11. (C) NPT外交や措置に目を向けると、Jon Noble(MODの核拡散防止・安全保障協力局長)は、コンセンサスを求める現在のやり方の代わりに多数決を許容するために検討会議の規則を修正することは締結国がより意味のある声明を採択することを許容するだろうと示唆していた。Burkは、重要な問題における投票が私たちの意見の相違にもかかわらず可決されることがありうるので、多数決は「諸刃の剣」になると答えていた。彼女は、いくつかの異なる見解(すなわち「あるものはこう考え、他はこう考える」)や検討会議の主要な委員会における合意された言葉を反映したIAEAの配布情報の公布をまとめた最終文書が採択された1995年に用いられたものを、検討会議で用いられることができる他のアプローチが含んでいることを付け加えた。議論はその後、Manleyが「マッピング」と呼んだ影響力のある非同盟運動に関わる諸国に対するそれぞれの努力における協調へと変化していた。部分的な課題はそのような諸国にどのように条約が恩恵を与えるかを示すことにあった。

12. (C) その後BurkはFCO大臣であるIvan Lewisと会談し、彼はイギリスの核拡散防止における優先順位に関わり、核軍縮におけるイギリスとフランスの違いに言及し、核安全保障においてアメリカが提唱したサミットとNPTにおける検討会議の間の関係について疑問を呈していた。

フランス

13. (C) Gerard Araud(MFAの政治部長)はセッションを開催し、ほぼ半日に及ぶ会合に45分間出席していた。彼はアメリカの核政策の進展に「神経質」になっていると述べることから始め、核の能力におけるフランスの見通しに対する「心理学的分析」と彼が呼んでいるものを提案していた。彼は、核の抑止力が国家の「国際的なアイデンティティ」の一部になっており、フランスは一部のNPT締結国が望むように非合法な核兵器を望んでいないと主張していた。彼は、オバマ大統領がそのような兵器の廃絶の見通しを発表したが、カナダ、オランダ、スウェーデン、そして一般的に欧州連合を含む他の国々の不合理的な期待をフランスがコントロールする必要があると述べていた。そして中国は独自の核戦力の制限を求める圧力を避けるために他のP5諸国の努力の後ろに隠れていた。

14. (C) フランスの一部に対し、Araudは、Sarkozy大統領の2008年3月に行われた核政策の演説は核軍縮に対する具体的な提案を含んでいたと述べていた。大統領のカイロでの声明を引用すると、「いかなる国民もどの国民が核兵器を保有するかを決定するべきではない」になるが、もし私たちが私たちのレトリックをさらに変更する意図があるならば、Araudはフランスに警告するようアメリカに要求していた。彼はまたNPTの柱である核拡散防止や平和利用は核軍縮より重要であると主張していた。

15. (C) Burkは、特にもし他の国々が核兵器を製造しているなら、アメリカは核軍縮を容易にもしくは迅速に進めるといった幻想を一切保有しないだろうと答えていた。彼女は、オバマ大統領が一般的にNPTやその体制を活性化しようとしていることを述べていた。アメリカの希望は、核軍縮における進展が核兵器非保有国による核拡散防止に対するより強いコミットメントに対する影響力として作用することになるが、この分野におけるアメリカの柔軟性は明らかに限界があった。Burkは同様にアメリカは検討会議における大胆な目標群を追求したいと述べていたが、それを彼女はロンドンで用いたものと類似した用語で説明していた。

16. (C) Jacques Audibert(MFAの戦略的外交・安全保障・軍縮部長)はBurkに、彼は「神経質ではない」が、イギリスの政策変更を考慮すると、P5は核軍縮に関してアンバランスであり、アメリカとフランスはともに核兵器に固執する必要があることを確認していた。Martin Briens(DASの軍縮・核拡散防止)は、トライデント潜水艦発射弾道ミサイル計画を廃棄するかもしれないので、イギリスは核軍縮が可能であると本当に納得させると思われ始めていたと付け加えた。準備委員会では、イギリスの代表は、フランスと非同盟運動諸国との間の「仲介役」として機能しているようにさえ思われ、不一致を避けることを求めることによって主に動機づけられていた。

17. (C) BriensはイランがNPTにとって最も深刻な問題であると主張し、フランスは最近の準備委員会に対するその一般的な声明の中でそれを明示的に言及した唯一の締結国だった。この問題に真剣に取り組むことを確認するために、私たちは非同盟運動諸国との間に橋を築き上げなければならず、ヨルダンのようなより合理的な締結国と協力する必要があった。イランが遵守していないことはあらゆる検討会議のコンセンサスを示した文書の中に言及されるべきであるが、もしそのような文書が採択されず、私たちが「あらゆる犠牲を払ってでも成功を求める」べきでないことを付け加えるならば、「世界の終わり」にはならないだろう。

18. (C) フランス人はエジプトのNPTに対する姿勢について特に厳しかった。Araudはその態度を「受け入れがたい」と呼び、Briensはエジプト人を中東と核軍縮に関して「イデオロギーの信奉者」と呼んでいた。Briensは、エジプトは追加議定書に反対するアラブ諸国の中でキャンペーンを行っていると断言しており、エジプトが検討会議の後まで中東の安全保障におけるセミナーといった欧州連合の提案を拒絶したことに対し不快感を表明していた。彼は「彼らがやっかいになればなるほど、彼らはその対処からより多くのものを得るようになる」と結論づけていた。Michel Miraillet(国防次官)はエジプトの濃縮活動について言及し、エジプトがリビアの核プログラムやA.Q.Khanのネットワークについて多くのことを知っていることに対する疑念を述べ、エジプトは1995年の検討会議で被ったと考えている「屈辱」に対し反応していることを示唆していた。Burkは、エジプトは中東問題におけるあらゆる検討会議の合意を妨げることが可能であると認めていたが、私たちは、あらゆる地域(例えば、イスラエルを含む)に対して受け入れられる、該当地域における1995年のNPT決議の目標においてある種の進展を育て上げることによってそれを防ごうとするべきであると述べていた。Briensは、フランスは「高いレベルで」これらの問題のいくつかを提起するだろうと述べていた。

19. (C) 原子力エネルギーの平和利用に関し、Briensは、少なくとも濃縮や再処理は「普通の技術」ではないとの考え方に基づき、私たちは合意を得ようとするべきであることを示唆していた。IAEAの予算に対し提案された増額を支持するようフランスに対しなされたBurkの要請に対して、IAEAは加盟国がそれに与えているタスクを達成するために十分な資源を有しているので、Briensは費やしてもいない資金をIAEAが有していると主張していた。彼はフランスの新聞に、核の供給国と消費国双方によって採用されるために提案された(元々2008年にUSGに対し提示されていた)、原子力エネルギーにおける「原則の宣言における細部」について言及し、アメリカのコメントを求めていた。もう1つの案は7月末に公布されるだろう。

20. (C) 議論はその後NPT外交に移った。双方は、緊密なP5の協調や核拡散防止と核軍縮の双方における進展の必要性において他のNPT締結国を説得する作業が不可欠であることに合意していた。BriensはP3が核軍縮においてそれぞれできないことを議論すべきであると述べ、Burkは私たちがP3が意見を異にする点をどのように取り扱うかについて対処する必要があることに合意していた。Burkは私たちが平和的な核協調の恩恵を受ける非同盟運動に関わる諸国に関与していることを示唆していた。Briensは特にフランスの欧州連合側のパートナーに対しフラストレーションを表明し、他のすべてがイランへの言及のない準備委員会の勧告案を受け入れたことを指摘していた。彼は、欧州連合は活動的である国々(おそらくオランダやスウェーデンを含むだろう)や中道主義の国々(欧州中部にある諸国)から構成されており、後者のカテゴリーは核軍縮や中東問題において役に立つかもしれないと述べていた。

ドイツ

21. (C) Peter Gottwald(軍備管理・軍縮における連邦政府の局長)は、ドイツはBurkによって説明されたアメリカの検討会議の目標について合意しているが、彼はそれらを達成することがどれほど困難であるかについて「いかなる幻想も」もっておらず、私たちは非常に野心的になることはないといったことを認めていた。1年前に彼は、多くの人が核拡散防止体制は崩壊するだろうと考えている背景として、主にそれが不公正であることが挙げられ、アメリカのイニシアチブはその環境を変えたことを示唆していた。私たちは核兵器の廃絶に関わっているので、体制の不平等はいつの日か終わる可能性があると現在考えられている。Burkは、アメリカは検討会議において積極的になりたいと願っており、私たちはそうする機会を手にしていると答えていた。

22. (C) Gottwaldは、機密施設への権利を放棄する方法を条件付けることなく、平等な扱いを受ける立場にあるけれども、非同盟運動に関わる諸国は同様に、多国間核燃料サイクルの扱いに対する提案が公平でないかもしれないとの疑念を抱いていると続けていた。Burkは、この問題はNPTにとって重要であり、私たちは体制を強化し、原子力発電を含む原子力エネルギーの平和利用に対するアクセスを容易にするために、集団的取り組みとしての提案に対し枠組みを構築すべきであることに合意していた。

23. (C) 彼の疑問に応えて、BurkはGottwaldに、アメリカが提案した核安全保障サミットはNPTの検討会議と競合しないことを保証していた。Gottwaldは、核安全保障や核テロリズムに対抗することはNPT締結国に投げかけられるべき問題であり、そのために条約を強化することを支持するべきであると答えていた。Burkは同意した。このことは彼に、核安全保障は核拡散防止のより広い背景の中に位置づけられるべきであり、サミットはNPTに関連されるべきであることを示唆させていた。Burkは、核安全保障の対象は私たちが検討会議で役立つものとして取り上げたものであると述べ、NPT締結国の一部が何らかの形で核安全保障サミットを通じて検討会議の結果を「事前に調整」しているといった認識を生じさせないよう注意深くなることをアメリカは願っていると述べていた。それは本当ではなかった。

24. (C) Burkは検討会議が追加議定書に対し肯定的なアプローチをとることが重要であると述べたが、Gottwaldは同じような考えをもつ締結国の間でさえその問題について合意に達することは困難になるだろうと述べていた。彼は、条約の違反者が脱退することを説得して止めさせる問題において、会議は「これが問題であるといった常識」を進展させることによって少なくとも「意識を高める」ことができると述べていた。

25. (C) Stefan Kordasch(核軍備管理・核拡散防止局の局長代理)は、エジプトが攻撃的になり、検討会議で「取引の壊し屋」を扇動する可能性があったことに懸念を表明していた。Andreas Michaelis大使(中近東問題担当局長)は中東での、特にアラブ連盟の中での指導的な多くの役割を失ったことに対する過剰な埋め合わせとしてエジプトの振る舞いを説明していた。エジプトの地位は今では、アラブ諸国の「核心的利益」でない問題にのみ指導力を発揮しているようなものである(彼はそれが中東やNPT問題におけるケースになると考えていたように思われる)。彼は、エジプトが検討会議における「現状維持」の言葉に加えてある種の「イスラエルの声明」つまり「あなたはイスラエル人から何かを引き出すことができますか?彼らは既に何かを述べましたか?」といった問いに対する回答に満足するかもしれないことを示唆していた。Michaelisは高いレベル(例えば、Mubarak)でエジプト人を関わらせる必要があることを強調していたが、同時にエジプトの情報局長であるUmar Suleimanを非常に影響力があり潜在的に有益な対話の相手として認めていた。彼は、ドイツがNPTにおける中東の問題を明るみに出すために用いられることが可能なエジプトとの閣僚レベルの運営委員会を設置することを指摘していた。その最初の会合は2010年2月に予定されており、その時にNPTが議題に挙がる可能性があった。

26. (C) Burkは同様に外交政策副顧問のRolf Nikel(大使館員)と会合し、彼はオバマ大統領のプラハでの演説をほとんどすべて支持することができると述べていた。唯一の問題はその目標を達成するのにどのように取り掛かるのかといったことになる。彼はアメリカのNPTの優先順位について詳細な疑問を呈しており、どの問題をアメリカは「最も緊急である」と考えているかや、どれが他の分野における進展のための方法を用意するために最初に取り組まれるべきかを尋ねていた。Burkは、私たちはまだ私たちの政策を築き上げている最中であるが、その試みの一部は政府に核拡散防止を強化するために政治的意思を行使することを納得させていると答えていた。

27. (C) 多国間核燃料サイクルの取り組みに対する提案についてのNikelの疑問に対し、Burkは、事実ではないが、供給国が原子力エネルギーの平和利用に対する権利を否定することを望んでいるといった非同盟運動に関連した議論に対抗するために、私たちはその提案を説明するといったより良い仕事に取り組む必要があることを指摘していた。Nikelは、もしイランが年末までに欧州連合の提案に対し有意味な回答をせず、その後より強い制裁が課せられるならば、私たちは「危機的状況」に直面するだろうことを示唆していた。彼は、そのシナリオは検討会議の雰囲気に影響を与えるだろうと指摘していたが、それに対しBurkは、会議においてイランによる妨害を阻止するために私たちは締結国間における結束を築き上げるべきであると答えていた。

28. (C) 最後の会議はChristian Democratic BundestagのメンバーであるEckart von Klaedenとすべての主要なドイツの政党の職員とともに行われた。Von KlaedenはアメリカはNPTを修正することによって条約の遵守を強制することを望んでいるかと尋ね、Burkは彼に私たちが追求しているオプションは何もないことを保証していた。他の疑問は、P5と非同盟運動に関わる諸国との論争、イラン、CTBT、IAEAの核燃料バンク、アメリカが提案した安全保障サミット、ミャンマーの核の意図に対する懸念に関連していた。

http://www.thepressproject.gr/cablegate/details.php?id=32357

準備段階における核問題に対するフランスの立場

¶1. (S/NF) 要旨:フランスの関係者は、核問題が、Sarkozy大統領の継続した関心の的になっており、主要な外交政策の優先課題、特に核拡散防止条約(NPT)の2010年春の検討会議(RevCon)の準備段階における優先課題になっていることを明らかにした。フランスの懸念は会議から離れるものの、核拡散防止同様、核軍縮と抑止力の関係といったより大きな問題を含んでいる。様々な会合においてフランスの関係者は、アメリカとイギリス両国の核軍縮政策の表明における厄介なトレンドとして彼らが見ているものについて繰り返し言及していた。彼らが私たちに対してもしくは私たち抜きで闘いに勝利することができないといった想定に基づき、そして彼ら自身を核軍縮のリーダーとして位置づける社会の戦略に沿うと、フランスは彼ら自身の懸念を緩和し、これらの問題において統一された立場を呈するためにアメリカと協力することに大きな痛みを抱えていた。GOFがこれらの問題から受け取る深刻さは、もし私たちが核軍縮における私たちの立場に対する彼らの不安を静めることができ、私たちの政策目標と不可能なことを明らかにすることができるならば、フランスは核問題においてアメリカを貴重なパートナーにすることができるということを意味している。

核軍縮におけるリーダーシップを公式に宣言すること

¶2. (S/NF) フランスは、核拡散防止に対するフランスの営みを強調する公式のキャンペーンとともにプラハにおける4月5日の発言にしたがい、オバマ大統領の核政策に対しすぐに反応を示し、彼らの業績をアメリカ大統領によって概説された目標と好意的に比較していた。4月9日に公式に立場を表明する傾向にある中道のフィガロ紙は、オバマ大統領の声明は主にフランスによって長く支持された立場を思い出させると述べるエリゼ宮からの匿名のレポートを公表した(Cを参照のこと)。さらにフランスのリーダーシップを強調するために、同紙は、オバマ大統領のモスクワへの訪問の直前に、FMCT交渉の前に核分裂性物質の製造を止めることに対するフランスのコミットメントの証明として、フランスはジャーナリストのグループ(Bを参照のこと)をPierrelatteにある核分裂性物質の製造立地に招いていることを伝えていた。

¶3. (C/NF) フランスの外務省は同様に7月7日と10日に、オバマ大統領のモスクワへの訪問にしたがいすぐに声明を公表し、フランスの歩みを核軍縮の方向へ進め、核保有国の間における独自のリーダーシップの役割を主張していた。声明は、フランスの300発までの核弾頭の削減、核分裂性物質の製造施設の解体、核分裂性物質におけるモラトリアムに言及しており、「世界の備蓄の95%を占めていた」アメリカとロシアの核弾頭の削減を歓迎していた。

精力的な取り組みに対する願い

¶4. (S/NF) 突如生じた公表は、7月に行われた大使館やワシントンからの主要な関係者との核問題におけるGOFによる一連の高いレベルの省庁間の関わりによってなされていた。政治局長のGerard Araudは「もし必要なら毎日」フランスはこれらの問題についてアメリカと協力する用意ができている述べていた(注:Araudは8月下旬に準備委員会としての新しい立場に就くためにニューヨークに向かっていた)。戦略担当と同等のA/Sであり、政治局長としてのAraudの交代要員であるJacques Audibertは2009年に私たちに、核拡散防止や核軍縮問題に関して「彼の時間の大半」を費やすことを期待していると述べていた。彼は、継続した取り組みと早期の協力を求め、9月にロンドンでのP5の信頼醸成のための会合の合間に再度会合することを望んでいた。エリゼ宮の軍事顧問であるEdouard Guillaudは、フランスはアメリカが包括的核実験禁止条約を批准することを支持することを望んでいると付け加え、例えばフランスの専門家をアメリカに派遣し、パリでCodelsに対しブリーフィングを行っていた。

フランスの懸念

¶5. (S/NF) 核問題に関しアメリカとさらに緊密に作業するフランスの願いは大部分においてアメリカの政策に対する新しい懸念を反映しており、オバマ大統領による最近の声明、特に以下のコメントの分析に基づいていた。「核兵器を保有することが国家の威信を生じさせ、私たちがどの国々が核兵器を保有することができるかを決定することにより私たちを守ることができるといった考えは幻想である」(モスクワ)そして「いかなる国もどの国々が核兵器を保有するかを決定すべきではなく、そういう理由で私はいかなる国々も核兵器を保有しない世界を希求するためのアメリカのコミットメントを強く再確認していた」(カイロ)。フランスは、差別が内在しているNPTの精神に対する対抗措置としてこの発言を解釈していた。アメリカの発言者はこれらの演説はNPTの原則を強化する意図があったと指摘していたけれども、Araudやアメリカの戦略局と同等の役割を有する国防省のMichel Mirailletは、彼らは非同盟諸国やNPTの違反者がこれらの発言を彼らの有利になるように解釈することが可能になることを恐れていると述べていた。Mirailletは「驚き」を含む可能性がある核問題に関する演説に対し事前の警告を求めさえしていた。フランスの発言者の何人かは、これらの声明が核拡散防止より核軍縮に焦点を当てているとの懸念を表明していた。Araud、Audibert、核軍縮と核拡散防止においてDASと同様のMFAのMartin Briensは、アメリカとロシアの交渉を進め、大統領の演説における全体に及ぶ核軍縮に対する長期のビジョンを練り上げることにおいて、アメリカは非同盟諸国が核軍縮における実際の展開に関し2010年の検討会議で焦点を当て、核拡散防止の議論を避けることをさらに容易にするだろうと述べていた。

イラン

¶6. (S/NF) GOFは、イランを名指しせず、準備委員会で追加議定書の遵守の必要性に言及しないアメリカの決定に落胆していることを表明していた。フランスは、NPTの最も緊急を要するミッションは核兵器を開発するイランの潜在力を抑制することであることを示していた。真正面からイランに対処するために、Briensはイランの大規模な関与を促す雰囲気を混乱させるかもしれないことに対する懸念をパートナーは放棄せねばならないだろうことを強調していた。フランスは同様に、サウジアラビアやエジプトにおける核の能力を支持せず、それを彼らが核武装したイランを許容することと同様であると述べたことにおけるアメリカの支持を歓迎していた。NPTに関するイランに対するフランスの焦点は、イランに対する強いレトリックと行動を一般的にフランスが好んでいる背景の中で生じており、イランの核はフランスの利益にとって許容できない危険なものであるとのはっきりとした幅広いGOFにおけるコンセンサスに基づいていた。多くのフランスの関係者が欧州連合や国際連合のパートナーとともにイランに対して制裁を強化することを促す労力を強調する一方、彼らはこれらの労力が実を結ぶことに対してほとんど楽観していなかった。彼らは現在、アメリカとの緊密な連携やイランの体制に対する圧力を増すために個別のパートナーによる個別の二国間措置に注力している。

FMCT

¶7. (S/NF) フランスは現在FMCTにおける政策を再検討しており、その作業をGOFは9月末までに終えることを期待していた。フランスは核分裂性物質の自身による製造を停止して、多国間のFMCTに賛成しており、それを彼らは、法的な体制の中で将来の製造の問題に取り組むことによって、中国、インド、イスラエル、ブラジルにおける核備蓄の上限を設定するための重要な措置として眺めていた。しかしBriensは合意の範囲内にある既存のストックの問題に取り組むいかなる努力もフランスの手に負えないものであることを明らかにしていた。核兵器のすべての数を認めるフランスの透明性に関し、Briensは核分裂性物質に関する小規模なストックを制限することはフランスの長期における抑止力を蝕むだろうと述べていた。フランスはP5における核備蓄の透明性を議論する意思がある一方、フランスの関係者は繰り返し彼らはジュネーブでこの問題を議論することを容認しないだろうと述べていた。フランスがその政策を再検討するにつれ、フランスの関係者は条約を遵守しないことに対する検証と制裁に関するアメリカの見解の中にある関心を表明していた。

¶8. (S/NF) FMCTの前後関係で、フランスの関係者は繰り返し現実の進歩に対する予期されうる中国の抵抗に言及しており、一方フランスやアメリカと異なり中国は肯定的な行動の欠如を公式に問題にしようとしなかった。中国による動きを促すための努力の一部として、MFAの核軍縮・核不拡散局のCeline Jurgensenは私たちに、フランスはFMCTの交渉の進展として核分裂性物質の製造における世界的なモラトリアムを求める意思があると述べていた(Dを参照のこと)。これらの交渉を始めることに関しジュネーブでの潜在的な進展を振り返ると、Jurgensenは、フランスには可能な限り素早く物事を進める意思があり、今年の秋に行われる国連総会第一委員会でモラトリアムを申し立てる可能性があると述べていた。

アメリカのレトリックに影響を及ぼす可能性

¶9. (S/NF) GOFのオバマ大統領の演説に対する注目が示すように、フランスは現在アメリカのレトリックに関心があり、彼らは現在のアメリカの政策における再検討の間に彼らに有利なように私たちの見解を形成することを望んでいた。Briensが私たちに述べたように、フランスは、非同盟諸国が、核拡散防止の義務を果たし、もしくは追加議定書のような新しいものを選択することを妨げるために、核軍縮におけるP5の進展に関する全体投票の場として検討会議を利用しようとするだろうことを懸念していた。たとえアメリカが核軍縮に完全な形で関わったとしても、結果は、長期にわたるものになるだろうし、P5の偽善の証として検討会議が開催される頃に進展の欠如を非同盟諸国が訴えることを許容することになるだろう。

フランスにとって触れてはならない難題:歴史的に正しいと評価されていない抑止力

¶10. (S/NF) しかしアメリカのレトリックに対するフランスの懸念は検討会議の戦術から離れ、フランスの核神話の確信に達していた。Araudは、核の抑止力の考えを歴史的に正しいとの評価することを認めないすべての声明が直接的にフランスの戦略的利益を脅かすものになり、それは基本的にそして「心理的に」フランスの抑止力に結びついていると述べていた。核の抑止力に対するフランスの政策は政治的派閥を超えた集団によって支持されており、フランスの戦略におけるアイデンティティの不可欠な一部となっていた。NATOの統合軍事指揮下にフランスが戻ることにおいて先立つ交渉の中で、Sarkozy大統領は独立したフランスの核政策は「触れてはならない」ことになると明言していた。フランスはアメリカとの協力を好意的に眺めているとの公式の見解から著しく逸脱しているものの、もしフランスが敏感になっていることが無視されたと感じるならば、フランスは「大きな障害」となるだろうとAraudは明示的に脅していた。この状況の中でフランスの関係者は、どのようにアメリカは私たちの核軍縮の努力に加えて抑止力を維持することによって「リスクから保護する」ことを計画しているのか、そしてどのようにアメリカの核軍縮の目標は中国そして潜在的にイランによる核の増強を治めていくのかに対して特に敏感になっていた。

フランスのイギリスに対する懸念

¶11. (S/NF) アメリカの核政策を進展させることに対するフランスの懸念は同様の状況になるが、イギリスに対する懸念はさらにより大きいものになる。Audibertは7月10日に私たちに、7月6日のフランスとイギリスにおける国防首脳会談はさまざまな問題において困難が存在しており、見解の食い違いが存在する主な分野として核兵器を廃絶することに対するイギリス側の支持を挙げていた(Aを参照のこと)。Araudとエリゼ宮のGuillaudはイギリスの核政策が国内の政治事情を反映した労働党の「デマゴーグ」によって当面導かれることを恐れていた。Briensは、ゴードン・ブラウンは核軍縮が彼の遺産になるだろうと考えていると思われ、イギリスはトライデントの軍事力を更新する目的で議会の支持を得るための政治的譲歩として核軍縮について語ることから、その核自体を終わりにするために核軍縮を採用することに移行していると付け加えていた。Briensによればいくつかのフォーラムにおいて、イギリスは「核兵器を禁止する」ことを求める条項を許容する意思を示していた。批判的に眺めると、イギリスのレトリックは、核兵器が本質的に悪いものであり、これゆえ抑止力を維持することは道徳に反することを暗示していることを示唆していた。フランスにとって「核兵器は悪いものではなく良いものであり、それらはまさにそうであった」。このようにフランスは「核兵器のない世界」といった言葉に反対しており、それはAraudの見解によると道徳的判断を意味していた。しかしフランスは、GOFが道徳的により中立的であると考えるなら、「核兵器のない世界」を許容する可能性があった。

¶12. (S/NF) イギリスの関係者であるBen Fenderは7月21日に私たちに、フランスはイギリスの核軍縮政策について懸念を表明しており、特に3月17日のゴードン・ブラウン首相の演説が示すようにイギリスが核兵器をさらに削減する用意が調っていることについてそうであったと述べていた。一方的な核軍縮に対する1980年代の労働党の支持に関しブラウンが最初の政治的経験を積んでいた一方、Fenderは検討会議の背景でイギリスとフランスがほとんど議論していないことをGOFに納得させるために苦心していた。イギリスは同様に3本の柱すべてにおいてバランスの取れた焦点を当てることを望んでおり、非同盟諸国に援助の手を差し伸べ、妨害を防ぐために、P3との作業の必要性について同意していた。Fenderによれば、フランスとイギリスの見解の不一致は基本的にはレトリックによるものになる。フランスは、核軍縮のための対話は結局のところP3を外交的に弱体化させると感じているが、イギリスは、公式に核軍縮を擁護するスタンスが、核保有国が彼らの役割を果たしているとの主張を強化し、核拡散防止に対する議論をシフトさせるための外交的な影響力をP3に与えることになると感じている。

¶13. (S/NF) Fenderは、イギリスの見解において、フランスの抑止力を歴史的に正しいと評価することを脅かすと思われるいかなる動きも容認できないものとして把握されるだろうが、「フランスは大騒ぎするだろうが、結局のところ一緒に歩み始めるだろう」といった他の問題も存在していると付け加えた。後者のカテゴリーにおいて、Fenderは特にFMCTにおける透明性の対策に言及していた。彼の見解によれば危険とは、抑止力がなくなることが同盟国によって尊重されず、窮地に追い込まれ、他の問題における進展を阻害することをフランスが感じていることである。アメリカとイギリスの双方における真剣な取り組みが、フランスを安心させ、このシナリオを避けるために必要になるだろう。

¶14. (S/NF) コメント:GOFは来年核軍縮と核拡散防止を公表することにおけるP3の統一性とアメリカとの緊密な協力を懸念している。そのためフランスは、核軍縮におけるアメリカの立場がフランスからさらに離れ、私たちが既存の核備蓄における非同盟諸国の懸念を一層解消することに対して神経質になっている。アメリカの高官に対するGOFの積極的な関与は、彼らの見解では自身の核抑止力による外交的実行可能性を保護する目的で苦心しているため、アメリカの政策に影響を及ぼす戦略を維持していることを示唆している。これらの懸念に対する潜在的な落とし穴は、もしアメリカが核の抑止力を「歴史的に正しいと評価されていない」と理解しているとGOFが感じ続けるならば、これゆえ古典的なフランスの妨害行為を生じさせ(Araudによる脅迫やイギリスに対する懸念)、それは貴重なパートナーを制度的な敵対者に変える可能性があることになる。この政策の優先順位に随ってGOFと協力するためのコミットメントを同時に表明し、ワシントンの高官とフランスの相手とのコミュニケーションを継続することは、彼らがエスカレートする前に、私たちの立場における誤解を避けることに役立つだろう。この状況で、Susan Burk大使、Robert Einhorn特別顧問、国防副次官であるJames Miller博士による最近の訪問はフランス側によって高く評価されていた。

次のステップとして当該部署は省による考慮を示した以下を提示する。
- パリ、ワシントン、ジュネーブ、ニューヨーク、その他至る所で核の問題についてGOFと定期的な上級レベルの関与を維持し、コミュニケーションにおいて直接的であり明確な線引きを確認し、私たちの立場と不可能なことを明示する。
- 検討会議に関する私たちの立場は主に一致しているとフランス側に繰り返す。
- これらのトピックの技術的および政治的レベルの双方において活発な議論を継続し、そこには見解の不一致が残るかもしれないが、私たちは共通の基盤を見出すかもしれない、例えばFMCTの性質や検討会議においてどのようにイランを取り扱うかなどが挙げられる。
- 核軍縮における私たちの立場に関するフランスの疑念が妨害行為者としての振る舞いを促し、それがそうでなければ合意が可能な分野での進展を妨げることに対する早期の警告の徴候を探る機会としてこれに取り組む。

http://www.telegraph.co.uk/news/wikileaks-files/london-wikileaks/8305299/SBU-DOUBTS-AND-REASSURANCES-ABOUT-REPLACING-BRITAINS-TRIDENT-NUCLEAR-DETERRENT.html

(SBU) イギリスのトライデントにおける核抑止力を交換することについての疑念と再確認

1. (C) 要旨

首相官邸は7月17日に「トライデントにおける政府の立場に変更はなく、政策は2006年の白書で示されたままであり、タイムテーブルに変更はない」ことを確認する声明を発表していた。この声明は、イギリスのトライデントにおける核抑止力のためのイギリスの既存のVanguard艦隊や潜水艦のプラットフォームを交換する4隻の新規の潜水艦に対する設計計画を実施するために2009年9月に予定された決定を延期することをHMGが予定しているといったメディアのレポートに対する反応だった。最近の世論調査は、イギリスの有権者の大多数はトライデントのシステムを交換することに反対していることを示していた。HMGや保守党の指導者はイギリスのトライデントの抑止力を交換することを支持しているけれども、次期政権の課題はイギリスのトライデント核兵器システムを交換するかどうかではなく、厳しい財政制約の観点からどのようにこれを行うのかといったことになる。

交換するか交換しないか

2. (SBU/NF) イギリスのメディアは7月17日に、イギリスのトライデントにおける核抑止力のためのイギリスの既存のVanguard艦隊や潜水艦のプラットフォームを交換する4隻の新規の潜水艦に対する設計計画を実施するために2009年9月に予定された決定を延期することHMGが決定したと報じていた。メディアは7月16日に、2010年5月に締結される核拡散防止条約(NPT)検討会議の後まで、いかなる支出もなされず、トライデントの交換に関していかなる決定もなされていないと述べている匿名のイギリス関係者に言及していた。プレスのレポートは、「検討会議のために、私たちは2010年まで相当の支出を含む決定を遅らせるだろう」と述べている関係者の発言を引用していた。メディアのアナリストは、このタイムラインは実質的に遅くとも2010年の6月3日までに行われる次のイギリスの総選挙の後までトライデントの交換に関していかなる決定もなされないだろうことを意味していたと指摘していた。関係者は伝えられるところでは、核のない世界という目標は「希望」として眺められるべきであるので、「私たちのすべての抑止力は現在手の届く範囲にある」が、多国間交渉の状況の中にも存在していると述べていた(注:イギリスのトライデントシステムは、弾道ミサイルを搭載できるVanguard級の原子力潜水艦に搭載されたトライデントII(D5)弾道ミサイルによって運ばれる160発の核弾頭から構成されている。弾頭と潜水艦はイギリスで建造されたが、実質的にはアメリカによってその設計に対し援助がなされていた)。

3. (SBU) プレスのレポートが公表された後すぐに、首相官邸は以下のような声明を発表した。「トライデントにおける政府の立場に変更はなく、政策は2006年の白書で示されたままであり、タイムテーブルに変更はない。」国防省の広報官は同様にイギリスの政策に変更はないと主張していた。自由民主党のリーダーであるNick Cleggはトライデントの交換における政府の「混沌と混乱」を批判していた。Cleggはブラウン首相に、「誤りを認めて引き下がり」、アフガニスタンのイギリス軍に対する装備の不足を考慮すると、ミサイルシステムが正当化されないことを認めるよう呼びかけていた。

4. (C/NF) 外務英連邦省(FCO)の安全保障政策グループ長代理はPoloffに7月21日に、プレスに概要を伝えた匿名の関係者は内閣府の外交防衛政策における長官であるSimon McDonaldであると述べていた。彼女は、トライデントの交換の設計作業を延期するHMGの計画についてのプレスのレポートは以下のトライデントに責任があるFCOやMODの関係者によって「初耳」だったと述べていた。彼女は首相官邸の発言に言及し、HMGはトライデントにコミットしたままであり、「タイムテーブルに変更はない」ことを強調していた。声明にもかかわらず、Goughは、来年までそして総選挙後もトライデントのような厳しい財政上の決定を「棚上げする」決定のままにするかもしれないと付け加えた(注:次の10年にわたるトライデントの推定されたコストは200億ポンドになる)。内閣府の外交防衛政策の関係者はPoloffに7月23日に、McDonaldが概要を伝えていたときに「わずかな誤解」があったと述べていた。彼女は「トライデントはタイムテーブルの上になく、私たちは一方的に核軍縮を行う意思はない」と強調していた。

弱い社会全体の支持

5. (SBU) 7月13日に中道左派のガーディアン紙で公表されたICMの世論調査によれば、イギリスの有権者の54%が「トライデントの核弾頭において新しい世代に資金を注入するよりむしろ核兵器を廃絶することを好んでいた」。世論調査は42%が交換を支持することを示していた。しかし別に最近行われたICMの世論調査は、回答者の大多数が交換に支出するよりむしろ既存のシステムの寿命を延長することを望んでいることを示していた。2006年7月の世論調査では、回答者の51%が交換を支持しており、一方39%がそれに反対していた。

コメント

6. (C/NF) MODの高官は私たちに個人的に、HMGがトライデントのプログラムにコミットしたままであることを再確認しており、私たちはブラウン首相がイギリスの独立した核抑止力を廃棄する首相として記憶に残ることを望むことが非常に可能性が低いものであるとみなしている。事実、労働党政権(トニー・ブレアの下で)は2006年12月にイギリスのトライデント核兵器システムを交換する作業を公式に公開する白書を公表しており、そのため今世紀半ばまでイギリスは十分に核兵器を保有することが可能になっていた。保守党の指導力はトライデントにコミットされており、それは影の外務大臣であるWilliam Hagueが4月にインタビューの中で発言したように、彼はトライデントの抑止力を更新することを彼の党に対して約束していたことに見受けられる。次期政権の課題はトライデントを更新するか否かではなく、どのように厳しい財政上の制約を背景にしてそうすることができるのかにある。事実、今月初めの主要な外交政策に関する演説において、Hagueは「私たち自身の防衛予算における極度の圧力が明白に国防戦略の再検討を必要としており、それを時期保守党政権が確かに引き受けるだろう」といったことを認めていた。

September 11, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
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August 16, 2011

福島の事故における日本のメディア、行政の担当者、専門家の対応について世界から何を学ぶことが妥当であるのかーフランスとアメリカのWikipediaの「国家のエネルギー政策に対する福島の事故の影響」等の項目を読んで考えたこと

フランスの記述は、百科全書的と表現すると語弊があるかもしれないが、細かな各論点を網羅的に抑え、まとめとして思想的背景を加える傾向にあり、記述自体は淡泊だが、アメリカの記述は論理の展開に躍動感が感じられ、その分人によっては大事に感じられる論点に漏れがあるケースがあると言うとやはり語弊があるかもしれないが、ここら辺は個人的な訳後感として聞き流して戴ければと考えるときがある。

日本国内の情報に囲まれていると世界全体の様々な流れが伝わってこないので、少々無理をしてみたが、これらの訳を始める前の感覚と訳を終えた後の感覚を比較したところ、意外と変化が少なかったことを振り返ると、普段からどのような情報を取りに行っているのかといったこととやはり普段から周りから完全に独立して健全な懐疑的精神といったものを育んでいることがプラスに作用したのだろうかいったことを考えることがあった。

ドイツ銀行のアナリストが指摘している「福島の事故によるグローバルな衝撃は、現在及び将来のエネルギーの方向性を決定するときに、どのように国家はその住民の健康、安全、安心、自然環境に優先順位を与え、価値を置くかに関する国民の認識における根本的なシフトを与えている」といった部分に関し、前々回の「チョムスキー」に関する記事を参考にすれば「国家とは大企業の利益を映す影のような存在である」といった現状認識からその後の在り様を考え始めたことを「シフト」と表現しているのだろうかと考えることがあったが、それは世界的な現象であったことを指摘されたようなものであり、勇気づけられたことに対し感謝を申し添えるべきだろう。

またHSBC銀行が指摘している「スリーマイル島と福島によってアメリカの国民は大きな原子力発電所の新規建設が困難であることに気付いているかもしれず...」といった部分に関し、メディアのフィルターにも限界があり、実際今回フランスでは原子力発電所での事故に関する情報発信についてオープンで透明性の高いものにしようとの行動があったとの話をどこかで見受けたこともあったのだが、それで現在に至ってもなおメディアがフィルターを掛け続けているといった現状はあまり好ましいものではないだろう(しかし向こうも商売だからか...)との考えに変わりはなく、行き過ぎた商業主義に対し欧米なら外的に規制、アジアなら内的に抑制する点が異なるのかといった話は例外を多数含む話であり、考え方の枠組み自体がずれているかもしれないが、これはがめつければ良いといったことにはならないといった考え方を背景に存在させているからかもしれない。

UBSの研究によれば、福島の影響として世界において約30の原子力発電所が閉鎖されるかもしれず、その理由の1つに地震帯に位置していることが挙げられており、他方でNancy Folbreは「福島第一原子力発電所の大災害における最大の肯定的な影響は再生可能エネルギー技術の商業化に対する国民の支持を取り戻したことになる」と述べており、実際のところアメリカではテキサス州における2つの原子力発電所の新規建設を廃止したNRG,Inc.による決定があり、他方フランスではRTEが原子力発電の割合を75%から50%に低下させるシナリオを模索しており、福島直後は人口の55%が原子力に賛成していたが、3月末までには57%が反対していることを示す世論調査に関し、6月6日に行われたIfopの調査ではフランス人の77%が遅かれ早かれ原子力から抜け出したいと願っていることを示していることを考慮するとまだまだ議論は始まったばかりであるとの印象を受けているが、それでもヨーロッパが進んでいる点はチェルノブイリの教訓を忘れていないことにあり、それを活かしていることにあるのだろう。

いずれにせよ世界各国において政府と住民の姿勢の乖離が白日のものに晒されている問題でもあり、類するものは他にも色々あろうがそれはそれとして、国境を越えて協力する例も見受けられ、それは「フランスで一番古いFessenheim原子力発電所を永久に閉鎖することを求める圧力がフランスや隣国のスイスやドイツにおいて大きくなってきている」といった部分によっても示されており、世界におけるビジネスの側でのコンセンサスが受け入れられていない訳だから、やはり十分に議論を重ねて(この段階でコンセンサスをでっち上げようとするのも世界的な現象だろう)独立した個々の投票による解決を選択肢に含めることが妥当であろうとの考えに変わりはない。

前回同様これが全てであるとは言及しないが、フランスとアメリカのWikipediaの「国家のエネルギー政策に対する福島の事故の影響」等の一部を訳すことにより上記の知見をサポートすることにする。URLは以下に示されるとおりになる。

http://fr.wikipedia.org/wiki/Accident_nucléaire_de_Fukushima

福島原発事故

7 経済的影響

原子力発電所の所有者であり事業者であるTEPCOは、影響を受ける各自治体に180,000ユーロを支払い、20km圏内に居住する80,000の各家庭に8,000ユーロを支払うと発表した。同社は地方自治体とともに影響を受けた企業、農家、漁師に対する補償を選択していく予定である(漁はプラントの半径20マイル以内では禁止されている)。補償は原発事故以後数ヶ月以内に支払われるはずになる[321]。

7.1 保険

必要とされる補償範囲の程度は日本における地域ごとに異なり、事業者の経済的責任に関する上限は存在していない[322]。ルモンドによれば「福島のプラントはもはや2010年8月以来補償の対象になっておらず、利潤に対する民事責任の対象となるリスクが存在していた」[323]。さらに日本のプラントの保険は地震や津波による損害を除外している[324][325]。

国際的に原子力事故の保険は「1960年7月29日のパリ条約」の対象となる[326]。原子力事業者は保険業者であるAssuratomeのプールを確認すべきであるが、これを共有することは大事故の際それらの事業者に不十分な基金しか供与しないことになる。例えばフランスの原子力事業者は541,000,000ユーロに及ぶAssuratomeによる介入の能力を備えている(それは700,000,000ユーロまで増加することが期待されているが、INESの尺度におけるレベル6や7の原子力大事故による損害のコストよりはるかに少ないものである)。福島においては補償はAssuratomeが供与できるものより数桁大きいものになるはずである[322]。

原子力事故の保険はそれゆえ特異であり、事業がプラントの事業者と対象となる国家の間で共有されており、言い換えれば市民と納税者の間で共有されていることにもなる[327][328]。

3月23日、時事通信は、損傷を受けたプラントを修復し、福島のプラントを解体することを助けるために、日本の金融機関が2,000,000,000,000円(17,400,000,000ユーロ)を事業者であるTEPCOに融資することを発表した[329]。

7.2 輸入品検査の措置

3月17日(木)、欧州連合の食品・飼料のための緊急警告システム(RASFF)は、加盟国に日本からの食品について放射能汚染の検査を行うことを勧告した[330]。

3月21日から多くの国々がそれらの検査を強化し、日本からの食料の輸入をブロックしていた。台湾の行政院衛生署は、日本列島からの生や冷凍の果実、野菜、海産物、乳製品、ミネラルウォーター、インスタント麺、チョコレートやビスケットにおける放射性物質の検査を強化することを決定した[331]。アメリカは、製品が健康的であると宣言されない限り、福島、茨城、栃木、群馬からの日常品である果実や野菜の日本からの輸入を禁止した[332]。さらにFDAは日本からのすべての輸入食品を検査した。ヨーロッパは日本国内からの動物向け飼料を含む特定の輸入食品に対して検査の措置を課した[333]。

すこし前の週に魚や貝の検査を課していたフランスは3月23日に欧州委員会の一部に欧州連合の周辺における日本からの新鮮な食材の輸入に関する「システマティックな検査」[334]を要求していた。Xavier Bertrandによれば政府は「エコロジー・持続可能開発・国土整備省、農務省、経済・財政・産業省、消費者庁の税関サービスにおいて食品総局長に」日本からの新鮮な食材における検査の実施を求めていた[335]。

2011年3月25日、欧州委員会は、例えば牛乳やほうれん草のような日本からの特定の食料品における放射性物質の割合が日本における食料品の汚染における閾値を超えたことを知らされていた[333]。

欧州委員会はそれゆえ輸入品に対し衛生管理の予防措置を適用することを決定した。輸出前の義務的検査が影響を受けた都道府県や緩衝地帯からの食料や飼料に課され、ランダムテストを日本からのすべての輸入品に課すことが勧告された。汚染の最大許容レベルは1987年12月22日の規制No.3954/87(ユーラトム)で規定された[333]。ドイツの消費者団体によれば、このことは日本から輸入された食料品に含まれる放射性物質の限界を引き上げ、その限界はチェルノブイリ事故になされたユーラトムの規制No.733/2008を暗黙の対象にしていた[336]。

フランスではOnnaingにあるトヨタの自動車工場の労働者が日本からの特定の部品の放射性物質のリスクについて懸念を表明した。現場管理者によれば、いかなる部品も5週間前には十分には供給されておらず、輸送は船舶によって行われていた。その間東日本大震災後製造された日本の部品が工場の中で認められていた。抗議に直面して、現場管理者は輸入された部品の検査を実施した[337]。

8 国家のエネルギー政策や世論の反応における影響

この状況は明確にそのようなシナリオを用意していなかった日本の原子力の脆弱性に注目しているが、国内のエネルギー生産における原子力の割合と同時に規模の大きなシナリオにおける特定の施設の信頼性を再考することを求めている多くの国々のエネルギー政策に対して影響を与えている。

IAEAの事務総長である天野之弥は「原子力プラントの安全性における社会全体の信頼は世界全体において深く揺らいでいる。そのため私たちはこれらのプラントの安全性を高め、放射線のリスクに関して透明性を確保するために懸命に作業を継続しなければならない。この方法でのみ福島第一により投げかけられた疑問に答えることが可能になる」と述べていた[338]。

欧州連合は、2011年以内に安全基準の強化とリスクの再評価のために全てのヨーロッパのプラントに対する耐性検査のための組織を立ち上げることを公表した。フランスでは原子力安全局が原子力の監査に対する責任を有している。ドイツは2011年4月中頃、9年以内に原子力を段階的に廃止することを決定し、原子力エネルギーの利用におけるディベートがベルギー、フランス、イタリアを含む欧州連合の多くの国々において行われている(それは結局のところ原子力発電の再開を拒否している)。

事故の収束を待たずに、日本は2011年5月により高い安全性を求める政策や再生可能エネルギーを開発する努力へのシフトを公表した。そして日本は浜岡の原子力プラントの稼働を停止させた。

アメリカは同様に原子力の安全性に対して懸念を示しているのだが、他方でロシアはその安全性に対し自信を示している。

http://fr.wikipedia.org/wiki/Conséquences_de_l’accident_de_Fukushima_sur_les_politiques_énergétiques_nationales

国家のエネルギー政策に対する福島の事故の影響

2011年3月11日、マグニチュード9の地震が津波を引き起こし、日本の東北の太平洋側を荒廃させ、福島の原発事故の原因となった。原子力プラントは損傷を受け、冷却システムが稼働せず、多くのリアクターにおける炉心の溶融が格納容器を破損させ、放射性物質を放出させた。

この事故は多くの国々のエネルギー政策に対し影響を与え、各国は国内のエネルギー生産における原子力の存在や事故時の施設に対する信頼性を再考することを求められた。

原子力エネルギーの利用におけるディベートが欧州連合の多くの国々で行われた。フランス、イギリス、スウェーデンを含むいくつかの国々が原子力のオプションを保有し続けることを示しており、ドイツ、オーストリア、スイスを含む他の国々は原子力発電を段階的に廃止するか、事業を継続しないことを確認している。平行して欧州連合は、安全基準を強化しリスクを再評価するため、2011年以内にヨーロッパの全てのプラントに対しヨーロッパの耐性検査(監査)を行う組織を立ち上げることを発表した。

日本は2011年5月にプラントの安全性を高め、原子力発電の割合を低下させるために再生可能エネルギーを促進する政策にシフトすることを公表した。そして日本は浜岡原子力発電所の稼働を停止させ、新規プラントの建設を凍結した。

アメリカは原子力の安全性に対して懸念を示しているのだが、ロシアは彼らの施設に対し大きな自信を示しており、イランの国民は当局によって維持された原子力プログラムに疑問を投げかけている。

1 国家間において

福島の事故の前後における原子力発電に対する国際的な世論の展開がBVA研究所やWin-Gallup Internationalネットワークによって47ヶ国において行われたサーベイの中で研究されている[1]。

2 IAEA

IAEAの事務総長である天野之弥は「原子力プラントの安全性における社会全体の信頼は世界全体において深く揺らいでいる。そのため私たちはこれらのプラントの安全性を高め、放射線のリスクに関して透明性を確保するために懸命に作業を継続しなければならない。この方法でのみ福島第一により投げかけられた疑問に答えることが可能になる」と述べていた[2]。

福島の事故に関するIAEAの専門部会は2011年6月16日にレポートを報告した[3]。このレポートは特に、不十分な津波対策や事故時に用意されていた援助協定における実施の欠如(特に援助と安全性における国家とIAEAの間の協力)を批判している。原子力機関は日本に対して根本的に原子力セクターを変更するよう促している[4]。

3 ヨーロッパ

原子力災害のリスクとメディアによる激しい報道はドイツ、ベルギー、フランス、イタリアを含む多くの国々における原子力エネルギーの利用に関するディベートを再燃させている。

3月15日(火)、国民議会において連帯を求めるフランス首相の発表を受けて、エネルギーに関する欧州委員であるGünther Oettingerは、欧州連合はヨーロッパのすべてのプラントに対して年末までに耐性検査を行うことに同意したと述べている。この作業は希望に基づき行われ、5年間を通じ社会全体に開かれ独立した専門家によって行われなければならない。この考え方はオーストリアの農林環境相であるNikolaus Berlakovichによって着手され、オーストリアは原子力発電に対し反対している[6]。

さらに欧州委員会はヨーロッパの市民に対し安全性を確保するためのより良い情報を確保することを希望している。2011年には143の原子力プラントが欧州連合の27ヶ国の内13ヶ国において稼働していた[5]。

3.1 ドイツ

3月中頃アンゲラ・メルケルの一声によって、ドイツは、首相によって委託された監査の結果がでるまで、7機の最も古いリアクター(17機の稼働中のリアクターの内)を停止することを決定した[7][8]。その後ドイツ政府は2011年4月中頃に、リアクターを稼働せず、2020年までに原子力発電を段階的に廃止することを決定し、現在原子力によって担われている22%の電力需要を相殺するために、代替エネルギーや維持可能なエネルギーの開発・普及に数十億ユーロを投資する計画を採用した[9][10]。

3.2 オーストリア

年間電力消費量の6%を原子力エネルギーの形で輸入しているが、オーストリアは、欧州連合における150機の原子力プラントの解体と再生可能エネルギーを導入し原子力エネルギーを段階的に廃止することを求めている[11][12]。

3.3 ベルギー

2011年3月15日、ベルギーは閣僚会議を通じて、7機のベルギーの原子炉の安全性において強化検査[13]を実施することを公表した。1年のモラトリアム[14]はそのためいくつかのプラントの寿命を延ばす決定であり、2015年に採用されることが期待されている。ベルギー政府による1999年の決定は40年の稼働の後DoelやTihangeにあるいくつかのリアクターを閉鎖することを規定しており、新たな原子力プラントの建設を除外していた。以来2009年を含めてベルギーのプラントの寿命を延ばす法律を検討することは繰り返し問題になった[15]。

3.4 フランス

福島の後、いかなる国民的なディベートも国民投票もフランス政府によって公表されておらず、フランス政府は同様にあらゆるモラトリアムの考えを拒絶した。反対にNicolas Sarkozyは2011年3月24日に原子力エネルギーの選択は問題でないと発表した[17]。首相であるFrançois Fillonは、フランスの原子力施設における監査を行うための国民議会における3月15日の声明の後、2011年3月23日付けの手紙の中でフランス原子力安全局におけるその監査の実現を述べていた[18]。この監査は、洪水、地震、電源喪失、冷却系の喪失のリスクや、同様に事故時のオペレーションの管理に焦点をあてていた。なされた診断結果における改善の提案は2011年末までになされることが期待されている[19]。

フランスの原子力における衝撃

2011年4月にフランス電力公社は事故時にさらに適切に対応するための国家の応急措置である「タスクフォース」を設立することを提案し、「敷地において24〜48時間以内に移動可能な輸送手段と人員とともに電力と水といった支援のための補充物資」のストックを確保することを含めている。フランス電力公社は同様にその発電所の設計、例えば原子炉や燃料貯蔵プールを再評価した(内部監査により)[20]。首相によって要望された監査にしたがって、フランス原子力安全局による改善の要求は2011年末までにおこなわれることが期待されている。平行して、送電系統管理部門であるRTEは2030年までに原子力発電の割合を75%から50%に低下させるシナリオを模索している[21]。

デモ / 世論

3月20日(日)、Chalampé(Haut-Rhin)で10,000人規模のデモが地震地帯の断層の上にあるFessenheimの原子力プラントの閉鎖を求めた[22]。ドイツではFribourg地区のCDUの2人の代表を含む地域情報監視委員会(CLIS)のメンバーは3月21日にFessenheimにおけるモラトリアムのための要求を提出した[23]。フランスはプラント稼働の凍結に関するこの要求に回答しなかった。

多くの反原発デモの内、大規模なものは同様に2011年3月から5月に組織され、特に2011年4月24,25,26日にチェルノブイリの25回忌に重ねてフランス全土で行われた[24]。

アクションの日は6月11日に組織され、パリでの宣言を含むフランスにおける核オプションに反対し本当の意味でのエネルギーシフトを肯定する方向性をもつ55のアクションが行われ、祝われた[25]。

6月6日に行われたIfopの世論調査はフランス人の77%が遅かれ早かれ原子力から抜け出したいと願っていることを示していた[26]。

3.5 イタリア

チェルノブイリの大災害から生じた1987年の国民投票にしたがって、イタリアは原子力発電所を廃棄し、原子力プラントを保有しない決定をした。しかしシルヴィオ・ベルルスコーニの政府は2010年にイタリアで原子力プログラムを再開することを決めていた。フランス電力公社とイタリアのEnelは特に4機の加圧式のリアクター(EPR)を建設するために2009年に手を組んだ。日本での事故は、ベルルスコーニがそれを2年に延長することを考える前に、イタリアの政府に1年のモラトリアムを宣言するように導いていた[27][28]。第二段階で、4月19日にイタリア議会は、疑問を抱きながら6月に行われる国民投票を待つことなく、イタリア半島での原子力発電の再開に反対する投票の準備として政令34の修正を位置づけている[29]。2011年の6月12日と13日に行われた国民投票の結果は明白である。イタリア人は圧倒的に(56%の投票者のうち約95%)原子力を廃棄することを選択し、原子力エネルギー政策を再開する意図をもつ2009年7月の法律にノーといった[30]。

3.6 イギリス

福島の後、イギリスはその31のプラントを交換する意思を維持している[31]。事実、5月中頃に公表された、原子力規制局(イギリスの規制機関)から委託されたレポートの暫定的な結論は、日本に起こったそれと類似した津波はイギリスで起こりうるものではないことを確認している[32]。それゆえスイス、ドイツ、イタリア...といった政府と異なり、環境・食糧・農家相であるChris Huhneは、「暫定的なレポートの中の安全規制当局によって定められた26の勧告を考慮した準備により、現在の政策を継続しない理由はないと理解している(11〜14ページ)」[34]。2011年7月18日、イギリス議会は14対267票[35]によって「原子力政策における国家の宣言」を承認し、同様にイギリスにおいて新規原子力プラントの建設のプログラムを確認し、また議会は新規プラントを受け入れることを付与した立地のリストを確認している[36]。

3.7 スウェーデン

CO2の排出の削減で最先端でありたいスウェーデンは原子力を再開する計画とともにその頂点を維持している[37]。2009年の計画は1980年に国に課されたモラトリアムを除き、稼働中の10のリアクターの最新化と交換をもたらした[38]。

2011年5月に、スウェーデンの環境相であるAndreas Carlgrenは2022年の後には原子力発電を段階的に廃止しているだろうドイツの決定を批判していた。スウェーデン国内の電力事業者であるVattenfallグループは、2007年以来停止していたBrunsbüttelやKrümmelといったドイツのプラントにおける投資を通じ、ドイツの原子力発電容量の7.2%を管理しており、Brokdorfも同様である[38]。

3.8 スイス

福島の事故の後、スイスは稼働中の5機のリアクター(4つの原子力プラントに分散されている)を保有しており、1969年から1984年の間に建設されており、新規の原子力プラント建設のプロジェクトが進行中であった[39][40]。

事故後、環境・交通・エネルギー・通信相であるドリス・ロイトハルトはプロジェクトの即時凍結と既存のプラントの安全性における検査の実施を求めた[41]。それから連邦参事会は2011年5月25日に原子力エネルギーの段階的廃止を公表し[42]、原子力プラントを更新しないことを決定し、50年に1回、言い換えると2019年から2034年の間に、稼働停止の措置を行うことを選択した[43]。

稼働中の5機のリアクターが国の電力消費の40%を生産しているが、原子力の廃止の結果は次の3本の主要な軸(水力はすでに飽和している)、省エネルギー、再生可能エネルギーの開発(風力、太陽光、バイオガス、バイオマス)、輸入に関わっている。このことはGDPの0.4%から0.7%に相当する推定されたコストと15%から60%の間の電気料金の上昇をもたらす(ソースに依存する)[44]。

4 アメリカ大陸

4.1 カナダ

福島の大惨事の後、カナダの原子力産業は、国の原子力発電所の全体を構成しているCANDUといったリアクターが日本の発電所を構成している沸騰水型原子炉(BWR)と根本的に異なる概念であるといった事実を支持するコミュニケーション戦略を実施していた[45][46][47]。

稼働中の18機のリアクターの内16機が存在し、原子力エネルギーが発電量の約半分を占めているオンタリオ州では、当局は安心を求められていた。安全性の評価の後、公共事業者であるOntario Power Generationは、開発したプラントは「安全で、頑健で、緊急事態に対処できる」と結論づけた[49]。しかしながら反原発の活動家は、事業者が自己満足しており、緊急事態に一致している優先事項を削っている結果を肯定していると非難した[45]。

その発言はニューブランズウィック州に似ており、それは発電量の3分の1を原子力に頼っていた[48]。州の原子力プラントであるPoint Lepreauのみが2008年4月から大規模なメンテナンスを停止しており、3年後の2012年には稼働を再開するはずである[50]。2011年7月、リアクターであるCANDUにおいて380本の管の再架設が成功したので、2012年再稼働の見込みが想定通りに高まった[51][52]。

状況はケベックでは異なっており、そこでは原子力エネルギーは電力のわずか2%しか占めていなかった[48]。環境と経済的な動機を引き合いにして、ケベック党は2009年以来その改修よりむしろGentilly-2の閉鎖を提唱していた[53][54]。日本の事故の2週間後、ハイドロケベック社はプラントを永久に閉鎖する可能性を排除せず、「知らされ考慮された決定を実施することを可能にするために州政府にすべての情報を」提供することを約束した[55]。2011年6月に、カナダの原子力安全委員会はプラント操業のためのライセンスを更新しており、ケベック州がプロジェクトを前に進めるので、2012年に始めなければならない改修を認可していた[56]。

4.2 アメリカ

アメリカにおける原子力の再開を考慮し、バラク・オバマは当初沈黙を保っていた。新規建設が進まなかった30年間を経て、2009年12月31日に稼働中の104機のリアクターを抱えていたアメリカは実際2011年に基金、貸し付け、$10,000,000,000におよぶ予算を設けており、老朽化したプラントを更新するために数千億ドルの投資を狙っていた[57]。Joseph Liebermanを含む連邦議会議員は3月13日(日)にモラトリアムを求めており、一方アメリカ商工会議所のエネルギー委員会はSteven Chuと共に水曜日に問題についての公聴会を計画していた[58]。

3月16日(水)、バラク・オバマは日本を支援することに対する関心と保証を表明する一方、アメリカにおける原子力プラントの安全性と性能を改善することを強調し、問題を再検討することも59機の新規プラントを建設するプログラムに言及することもなかった[59]。また地震が頻発する地帯にあるカリフォルニアは稼働中のいくつかのリアクターを抱えていた。

5 アジア

5.1 アブダビ(首長国)

福島の事故にもかかわらず、UAEは原子力のオプションを維持している[60]。

5.2 中国

福島の事故後、中国の当局は61機のプラントにおける監査を行うことを決定した。国務院は同様に新規プラントの承認を凍結する決定を行った(2011年5月時点、26機のリアクターが建設中であり、34機がすでに承認されていた)[62]。

5.3 インド

インドの首相は3月14日に20機のプラントの監査に言及した。しかしながら平和と発展のためのインド医師の会(LEAD)を含め、原子力に対する反対勢力(6機のプラントが建設中で、14機が計画されている)が活動を行っている。批判は特にTarapurプラント(4つの施設)に焦点をあて、それは福島のプラントと同じタイプの技術を用いていた[63]。風力エネルギーにおける会議が2011年4月7日から9日にかけてChennaiのビジネスセンターで開催された。3月中頃における原子力擁護の委員会やTarapurプラントの所長による相対主義の求めにもかかわらず、JaitapurにおけるEPRプロジェクトの反対勢力は、原子力施設の安全性における解決はJaitapurにおける2機のEPRの建設におけるフランスとの契約のキャンセルを促す可能性があると主張していた[64]。

5.4 イラン

建設が1974年に始まり1979年のイラン革命によって遅れたBouchehrの原子力プラントは2011年に運転を開始する予定である[65][66]。イランは地震を受けやすい地域であり、原子力プラントはクウェート、バーレーン、カタール、サウジアラビアとの国境の近くにある。非常に暑く砂が多い地域の気候はプラントの稼働を困難にしている[67][68]。

福島の原子力事故はイランの市民の間にイランの原子力プログラムにおける長く継続するディベートをもたらした。ディベートの創始者であるHassan Yousefi Eshkevariはドイツに亡命中のイランの知識人である。彼によればイランにおいて原子力をテーマにしたディベートは、世界における残りの国々と同様にイランにおいても、核不拡散条約と核兵器にまつわる議論に時間が割かれ、ごくわずかであるが地域住民に対する施設の安全性に触れられる程度であった。彼によればいつも国内に蔓延している抑圧と検閲といった社会事情がそのようなディベートを許さず、それは常に国外で行われるのだが、知識人は出版する自由に対する権利を獲得しなければならないといったことになる[69]。福島の事故以来、イランの原子力プログラムは健康、福祉、地域経済を脅かしていると主張する読者からの手紙、インタビュー、ブログの数が増加している[68]。

隣国はBouchehrにおける事故由来のフォールアウトに対し懸念を表明しており、クウェートは原子力事故に備えるための措置を採用した[67]。マフムード・アフマディネジャード大統領は原子力プログラムは「ブレーキのない列車」であり、Bouchehrのプラントは「全て最高の安全性と基準」に準拠していると述べ、日本のプラントを「時代遅れの技術」として再度問題にしていた[68]。

5.5 日本

日本のカトリック司教に代わって、3月下旬に大阪の補佐司教は、日本と世界における原子力プラントの新規建設のプロジェクトと闘うキャンペーンを行うため、世界にいるキリスト教徒の団結を求めた[70]。2011年4月日本政府は、事故の完全な分析を終え、さらなる措置を考慮する前に、すべての原子力プラントの新規建設を凍結することを決定した[71]。

2011年5月6日、日本の首相である菅直人は事業者である中部電力に対し浜岡原子力発電所のすべてのリアクターの稼働を停止するよう要請した。それは30年以内に東海地方を襲うマグニチュード8の地震が発生する確率が87%であることを理由にしていた。そしてさらなる措置がそのような地震から生じる津波からの被害を食い止めるために取られなければならなかった[72]。

対応として、事業者である中部電力は2011年7月22日に、2011年3月11日のそれと類似した地震に対処するため18mの高さで1.6kmの長さになる防潮堤を建設することを発表したが、プラントは現在10〜15mの高さの砂丘によってしか保護されていない。このインフラのためのコストは100,000,000,000円(885,000,000ユーロ)になるだろう[73]。

首相は同様に、生産されるエネルギーのシェアが全エネルギーの30%〜50%を占める日本の原子力プログラムにおける新しい方向性と安全性の強化を発表した。他に日本は「再生可能エネルギーを促進する努力」をするつもりである[74]。安全対策を強化し、国内の原子力に纏わる基準を厳しくするために、日本は原子力行政の再編を行い、経産省から独立した原子力の安全を取り扱う新しい組織を特に立ち上げる予定である[75][76]。

2011年7月、日本において54機のリアクターの内16機が稼働中である[77]。

5.6 ロシア

ロシアの原子力における現状と1ヶ月前の見通しを検証した後、ウラジーミル・プーチンは3月15日に、極東における炭化水素鉱床を開発するプロジェクト、特にサハリン-378プロジェクトの実現を加速する意思を表明した。迅速に実施された検査結果の公表同様、大災害に対するロシアのプラントにおける非常に高い耐性能力に関する副首相による安心感を誘う談話はロシア連邦による原子力に関したプロパガンダの疑いを存在させている。

http://en.wikipedia.org/wiki/International_reaction_to_Fukushima_I_nuclear_accidents

福島第一原子力発電所への国際的な反応

6 抗議と政治

6.1 フランス

フランスでは約1,000人の人々が3月20日にパリで原子力に対する抗議を行い[66]、3,000人のフランス人とドイツ人が4月8日にFessenheim原子力発電所の閉鎖を求めてデモを行い、さらに大きなデモが4月25日に期待されていた[67]。このトピックにおける世論調査は、福島直後は人口の55%が原子力に賛成していたが、3月末までには57%が反対していることを示していた[68]。

6.2 ドイツ

2011年3月、200,000人以上の人々が国政選挙の前夜に4つのドイツの大都市で反核抗議運動に参加していた。主催者はそれを史上最大の反核デモと呼んでおり、警察は100,000人に及ぶ人々がベルリンだけで確認されたと推定していた。ハンブルク、ミュンヘン、ケルンでも大規模なデモがあった[69]。ニューヨークタイムズは「ほとんどのドイツ人は原子力への根深い反感をもっており、日本の福島第一発電所での損傷は反対派を刺激した」と伝えていた[70]。

日本の原子力災害後の2011年3月27日、バーデンヴュルテンベルク州でドイツにおいて反核を主張している緑の党に対する国政選挙の結果が史上最高に歓迎されるものになっていた[71]。しかし世論調査で2010年10月から始まった緑の党の台頭はまたStuttgart21プロジェクトに対する満場一致の反対によるものとされている[72]。

6.3 インド

インドでは、エネルギー使用量が急速に増大しており、Jaitapurに世界最大の原子力発電所を建設する計画があったが、反核抗議が福島危機直後から激化している[73]。4月18日に計画予定のJaitapur原子力発電プロジェクトに対する抗議が暴力に向かった後、1人の男が警官によって射殺され、8人が負傷する事態になった[74]。抗議行動は数年間継続していたけれども、彼らは福島以後さらに著名になり大きな支持を獲得していった[75][76]。

6.4 イタリア

シルヴィオ・ベルルスコーニ首相は2009年に、1987年の国民投票に随い4つの原子力発電所が閉鎖された後再びイタリアは原子力に進むだろうと発表した。しかし福島危機に目覚め、数千人規模の反核集会がイタリアで噴出しており、イタリア政府は「原子力を再開させる計画における1年間のモラトリアムを決定した」[73]。

さらにイタリア原子力発電の国民投票が2011年6月13日に行われ、ノーと投票した方が勝利し、以前の年に計画された将来の原子力発電所の廃止を促すものであり、イタリアの原子力発電の国民投票によればイタリア人口の50%+1以上であることが将来の発電所の廃止を法的に拘束することを導いていた。

6.5 スペイン

日本の原子力事故後の2011年3月に、数百人の人々が国内の6つの原子力発電所の閉鎖を求めて、スペイン全土で開催された抗議行動に参加した。「原子力発電はいらない、ここにも日本にもいらない」と示したマークをもつデモ参加者の多くは、マドリード、バルセロナ、セビリア、バレンシアを含む30以上の都市で小規模に集まった[77]。

6.6 スウェーデン

2011年の世論調査は原子力に対する懐疑主義が日本の原子力危機以後成長していることを示唆している。回答者の36%が原子力発電を段階的に廃止することを願っており、2年前の同様の調査における15%から上昇している[78]。

6.7 スイス

日本の福島第一原子力発電所の大災害は「スイスにおけるエネルギーに関するディベートをすっかり変えてしまった」。2011年5月に約20,000人の人々が過去25年間におけるスイス最大の反原発デモを行ったことが判明した。デモは平和裡に40年前に稼働を始めたスイスで最も古いBeznau原子力発電所の近くを行進していた[79][80]。反核集会の後、内閣は新規の原子炉の建設を禁止することを決定した。国内の5つの現存する原子炉は稼働を継続することを認可されているが、「寿命まで交換されることはないだろう」[81]。

6.8 台湾

2011年3月に約2,000人の反核抗議者たちが、台湾島の4番目の原子力発電所の建設を即時停止することを求め台湾でデモを行った。抗議者たちはまた3つの既存の原子力発電所の寿命を延ばす計画に反対していた[82]。

日本の危機が継続する中、野党のリーダーである蔡英文がもし選ばれるなら2025年までに原子力発電所を廃棄するつもりであることを表明したので、原子力エネルギーが来年の台湾における大統領選挙の争点として浮上した。台湾は日本のように環太平洋地震帯西部の上にある[83]。

台湾の中央にある国立中興大学で応用経済学を担当している教授であるジョージ・スーは、地震多発地域の原子力発電所はさらに耐性を増すよう再設計される必要があり、その投資は元々のコストにおける優位性を低下させると述べている[84]。

2011年5月に5,000人の人々が台北市で反核抗議に参加し、それはカーニバルのような雰囲気を特徴としており、抗議者たちは黄色いバナーとヒマワリを手にしていた。これは全国的な「反原発活動」の抗議の一部であり、政府に4番目の原子力発電所の建設を停止を促し、さらに維持可能なエネルギー政策を追求するものである[85]。

2011年6月の世界環境デーの前夜に、環境団体が台湾の原子力政策に対してデモを行った。台湾環境保護連合は13の環境団体、議員とともに台北でバナーをもって集まり、「私は台湾が好きであり原子力災害は嫌いである」と読み上げた[86]。彼らは国内の3つの稼働中の原子力発電所と4番目の発電所の建設に対して抗議をしていた。彼らはまた「全ての原子力発電所が徹底的に再検査され、もしそれが安全検査をパスしない場合、即座に閉鎖すること」を求めた。国立台北大学の経済学教授である王塗發は「もしレベル7の原子力発電所事故が台湾で起こったならば、それは国を破壊するだろう」と述べていた[86]。

6.10 アメリカ

CBSニュースの世論調査によれば、アメリカにおける原子力発電を許容する下地は2011年の日本の原子力事故にしたがって急速に崩れ、アメリカにおける原子力発電所建設に対する世論の支持は、1979年のスリーマイル島の事故直後より僅かに低い落ち込みを示している。福島の原子力事故後の回答者のうち僅か43%がアメリカにおける新規発電所の建設を肯定すると回答している[87]。

アメリカにおける反核運動の登場に関わる活動家(例えばGraham NashやPaul Gunter)は、日本の原子力危機はアメリカにおける運動を再燃させるかもしれないことを示唆している。彼らは「目的は、オバマ政権が原子力発電所の新規建設を推し進めることを単に封じ込めることにあるのではなく、アメリカ人に既存の発電所は危険をもたらすことを納得してもらうことにある」と述べている[88]。

2011年3月に600人の人々がバーモントヤンキー原子力発電所の外に週末の抗議行動として集まった。デモは、福島原子力発電所事故からの放射線の危険性に晒されている数千人の日本人を支援するために開催された[89]。

ニューイングランド地方は反核運動の長い歴史をもち、2011年4月6日に75人の人々が州下院の集会を開催し、「地域の老朽化が進んでいる発電所や放射能をもつ使用済み燃料棒の備蓄の増加に対して抗議した」[90]。地域の3つの原子力発電所-プリマスにあるピルグリム、ヴァーノンにあるバーモントヤンキー、ニューハンプシャーにあるシーブルックの代表者たちが日本の原子力危機に照らしてリアクターの安全性について話をするのを聞くために議員が予定を入れた州の公聴会の前に、抗議が短く行われた。バーモントヤンキーとピルグリムは損傷を受けた日本の原子力発電所と同様に設計されていた[90]。

億万長者の投資家Warren Buffettによれば、日本の原子力災害はアメリカのエネルギー政策に大きな影響を与える可能性がある。Buffettは「アメリカは原子力のプランを前に進める構えだったが、日本での事故がそれを頓挫させてしまった」と述べていた[91]。

2011年4月に、Alliance for Nuclear Responsibilityの常任理事であるRochelle Beckerは、福島原子力大災害の経済的影響に照らして、アメリカはその原子力事故の責任における制限を再検討すべきであると述べていた[92]。

7 既存の原子力エネルギープログラムの再評価

7.1 トレンド

世界全体において4月12日に報告されたUBSによる研究は、約30の原子力発電所が福島の影響として閉鎖されるかもしれないことを示しており、それは地震帯に位置していることと最も閉鎖される可能性が高い国境付近に位置しているからである。分析は「フランスのような原子力擁護の国々でさえ政治的アクションを示し、原子力に対する国民からの容認を回復するために、少なくとも2つのリアクターを閉鎖することを強いられるだろう」と考えており、福島の事故は先進国の経済ならば原子力の安全性を担保できるとの考えに疑いの目を投げかけていると述べている[93]。

2011年ドイツ銀行のアナリストは「福島の事故によるグローバルな衝撃は、現在及び将来のエネルギーの方向性を決定するときに、どのように国家はその住民の健康、安全、安心、自然環境に優先順位を与え、価値を置くかに関する国民の認識における根本的なシフトを与えている」と結論づけている。結果として「再生可能エネルギーは大半のエネルギーシステムの中で明白に長期間にわたる勝者となるだろうし、その結論は過去数週間において行われた多くの有権者のサーベイによって支持されている。同時に私たちは天然ガスが少なくとも重要な移行措置としての資源になり、特にそれが安全であると考慮している地域においてはそうであると考えている」[94]。

2011年ロンドンに本拠を置くHSBC銀行は「スリーマイル島と福島によってアメリカの国民は大きな原子力発電所の新規建設が困難であることに気付いているかもしれず、私たちは新規の発電所の拡大はいずれにしても不適切であるとみなしている。したがって私たちは、立法府での議論を通じクリーンエネルギーを基準にすることが効率性に加えて天然ガスや再生可能エネルギーに相当大きな力点を据えるように思われることだろうと期待している」と述べていた[95]。

7.2 アメリカ大陸

カナダ

福島原子力発電所事故が起こって5日後の2011年3月16日、トロントの東、オンタリオ州PickeringにあるPickering原子力発電所が脱塩水をリークしていたことが発見された[97]。カナダの原子力安全委員会はポンプの封印における故障によるリークはいかなる人体の健康における脅威ともならないことを宣言したが、多くのカナダ人はカナダの原子力発電所の安全性に疑問を呈した。カナダの物理学者でありCanadian Coalition for Nuclear Responsibilityの創設者であるGordon Edwardsは、リークは「(日本の大災害と比較して)オンタリオ湖におけるさらに重要な意味をもつ放射能汚染の可能性を示している」と主張していた。彼はPickering発電所のリークのソースは福島第一の事故のそれと同じであり、リークは軽視されてはならないと付け加えた[98]。ケベック州のBécancour付近にあるGentilly原子力発電所は断層の近くにあるカナダの唯一の原子力発電所である。ケベックの州知事であるJean CharestはGentilly-2のリアクターは安全であるとの声明をだし、カナダの原子力安全委員会はそれは地震に耐えられるものであると宣言した[99]。

チリ

チリではEmolが3月16日に、原子力エネルギーに関してアメリカとの協力協定に署名する準備をしていたチリ政府の報告により、原子力発電所の設置におけるかなりの論争があったと伝えていた。反対派は鉱業・エネルギー相であるLaurence Golborneとの計画に関する会議の開催を促した[100]。

アメリカ

アメリカのオバマ大統領と元上院議員Domeniciの側近たちはアメリカの原子力発電施設の継続的な開発を公然と支持していた[101]。影響力のあるニューヨークタイムズは3月14日の社説の中で「徐々に明らかになる日本の悲劇は同様にアメリカ人に、原子力発電施設が事実十分に強いことを確認するために自然災害や原子力発電所の事故の可能性に対処するための私たち自身の計画を綿密に研究することを促すはずである」と述べていた[102]。アメリカにおける福島の事故のさらに決定的な影響は、テキサス州において既に始められていた2つの原子力発電所の新規建設を廃止したNRG,Inc.による決定であった[103]。アナリストたちは、プロジェクトの廃止の原因を発電所のパートナーであるTEPCOの財務状況に、他の発電所を建設するための資金調達を増やすことができない原因をテキサスにおける現在の低い電気料金に求め、追加的ではあるがプロジェクトを延期することを認可することを期待していた[103]。

ベネズエラ

ベネズエラの大統領であるウゴ・チャベスは平和利用を目的としたすべての原子力発電所開発プロジェクトを凍結するための停止を発表し、それは契約がロシアとの間でなされた原子力発電所の設計を含むものであった[104]。

7.3 アジア太平洋

オーストラリア

オーストラリアの首相であるジュリア・ギラードは2011年3月22日にメルボルンでロイターの記者に対して「私は原子力エネルギーを私たちの将来の一部として見ていない。私たちは再生可能エネルギー、クリーンエネルギー、太陽光、風力、潮力、高温岩石といった豊富な資源に恵まれている。それらは私たちの将来に存在しているだろうが、原子力は違う...」と述べていた[105]。オーストラリアには原子力発電所は存在していない。

中国

ZSRは3月14日に中国の全国人民代表大会の年次総会の記者会見で中国の環境保護部次長である李軍張が述べたことを報告した。「私たちは日本の原子力施設の損傷について関心があり、この問題のさらなる展開に関心があり、その事故から学び取り、そして将来における原子力エネルギーの開発のための戦略的な計画をつくるときにその事故を考慮に入れるだろう。しかしながらさらなる原子力発電所の開発と現在における原子力エネルギーの開発に関する準備における私たちの決定は変わらないだろう」[106]。3月16日に、中国は原子力発電所の承認を凍結した[107]。3月28日に中国政府は原子力発電の目標を変更し、そのことは「2020年までに建設されると以前に期待された90ギガワットから原子力発電の容量を約10ギガワット縮小すること」に至る可能性を導くだろう[108]。

インド

インドの首相であるマンモハン・シンは3月15日にすべての原子力発電所のリアクターの安全システムと設計を再検討するようインドの原子力発電公社に指示した。インドの政府は3月15日に、新しく提案されたリアクターの安全性を確認するために同様に追加的な環境保護を行う意図があると伝えた[109]。インドの原子力発電公社は3月14日に、インドの原子力発電所は2001年のBhuj地震や2004年のアジアの津波に耐えることができると述べたが、「自己満足以外の何物でも」なかった[110]。

イスラエル

ベンヤミン・ネタニヤフ首相は2011年3月17日に、イスラエルは現在原子力エネルギーを追求する可能性はないと述べた[111][112][113]。

北朝鮮

朝鮮中央通信は3月31日に、日本の事故対応に関し菅直人政権に対する不満が増していると伝えた。同様に労働新聞は「原子力発電所の事故の状況は日を追って悪くなり、国際社会を非常に心配させている」と伝えた[114]。

パキスタン

パキスタンの政府はパキスタン原子力委員会(PAEC)に原子力発電所の安全性、システム、国内のすべてのリアクターの設計をチェックし再評価をするよう指示を出した[115]。Pakistan Todayは2011年3月16日に、パキスタン原子力規制庁(PNRA)が発電所における安全ガイドラインを発表し、Chashman市にあるKANUPP-IIやChashman原子力複合体における設計の再評価をするように指示を出したことを伝えた[116]。APPは2011年3月16日に、PAECが継続的に最近の地震と津波から影響を受けた日本における原子力発電所の事故の進展をモニターしていることを結びに添えた[117]。Jang Newsによれば、パキスタンは放射性物質をコントロールするための技術的支援を提供することを日本に提案していた。2011年3月20日にJang Newsは、IAEAが承認を与えるとすぐに、PNRAやPAECの科学者たちが日本に向けて出発する準備が整っていることを伝えた[118]。日本の政府関係者はパキスタンの申し出を受け入れたが、IAEAの規則により、双方の国はそのような協力のためIAEAから承認を受ける必要があった[118]。パキスタンの外務省によれば、IAEAがそのような技術的支援に承認を与えるやいなや、日本に向けて出発する用意が整っていた[118]。

台湾

完全な安全審査が終了するまで、台湾は原子力発電を拡大する計画を停止することを命じた[119]。

トルコ

トルコの首相であるレジェップ・タイイップ・エルドアンはメルシン県のAkkuyuにトルコ初の原子力発電所を建設する公約を再確認した[120]。

7.4 ヨーロッパ

欧州連合

ORF2のインタビューの中でオーストリアの農林環境相であるNikolaus Berlakovichは、リアクターの安全性の見直しを2011年3月14日のブリュッセルでの環境会議で求めるだろうと述べていた。彼は冷却と封じ込めの双方を強調し、これらの措置を2008年の金融危機後の金融システムの再検討と比較していた[121]。

気候行動のための欧州委員であるConnie Hedegaardは3月17日に、海上で風力タービンからエネルギーを生むことは原子力発電所の新規建設より安価になるだろうと述べていた[122]。

3月23日、エネルギー相による欧州理事会の緊急会合後に欧州全体におけるストレステストが発表された。欧州連合内のすべての143の原子力発電所が評価を受けることを計画され、近隣の国々における発電所も考慮されることが望まれた。この評価は「地震、洪水、同様に人災(例えば停電やテロ)に対する脆弱性を含んでおり、特別な注意が冷却やバックアップシステムに払われた」[123]。

フランス

3月23日付けの手紙の中でフランソワ・フィヨン首相は原子力安全局に、福島から得られる教訓に照らしてなされるべきあらゆる改善点を確認するために、洪水、地震、電源や冷却システムの喪失、事故管理のプロセスがもつリスクのそれぞれに対し「開かれ透明な」監査を実施することを求めていた。最初の結論は2011年末までになされることが期待されている[124]。フランスは1999年にBlayais原子力発電所での洪水にしたがい限定された再評価を行っていた。大統領であるNicolas Sarkozyは対話の必要性を強調したが、フランスはエネルギー安全保障を理由にして原子力を選択しており、それは温室効果ガスの排出対策でもあると述べていた[125]。しかしフランスで一番古いFessenheim原子力発電所を永久に閉鎖することを求める圧力がフランスや隣国のスイスやドイツにおいて大きくなってきている[126][127][128]。

ドイツ

ゲアハルト・シュレーダー首相の時代に社会民主党と緑の党との政府が2022年までに原子力を用いることからのドイツの最終的な撤退を命じていたが、段階的廃止の計画は2010年後半まで遅れており、それはアンゲラ・メルケルの首相時代に保守党と自由民主党との政府がスケジュールの12年間の延期を命じていたからだった[129]。この延期は抗議を引き起こし、StuttgartからNeckarwestheimにある原子力発電所付近までの50,000人に及ぶ人間の鎖を含むものだった。この抗議は3月12日に予定されていたが、福島の1号機のリアクターにおける爆発の日とたまたま重なっていた[130]。3月12日の反核デモはドイツ全土で100,000人を集めていた[131]。2011年3月14日、福島の事故がドイツの世論に提起した原子力エネルギーの利用に関する新たな懸念に関する対応と3つのドイツの州に関し近づいていた選挙を考慮し、メルケルは2010年に議会を通過したリアクターの寿命の延長に対し3ヶ月のモラトリアムを宣言した[132]。3月15日にドイツ政府は、一時的に17機のリアクターの内7機を停止するであろうことを発表し、他方1981年以前にはすべてのリアクターが稼働していた[133]。Angela Merkel、Guido Westerwelle、Stefan Mappusのような原子力エネルギーの元支持者は彼らの立場を変えたが、国民の71%がその立場の変更を近づいている選挙に関連した戦術であると考えていた[135]。ドイツで行われた最大の反核デモにおいて、約250,000人の人々が3月26日に「福島の声を聞け - 全ての原子力発電所を閉鎖しろ」といったスローガンの下抗議を行った[136]。

イタリア

原子力発電所の建設におけるモラトリアムは3月24日にイタリアの閣僚会議によって1年間に限って承認された[137]。さらに原子力発電所に関するイタリアの国民投票が2011年6月13日に行われ、ノーと投票する方が勝利し、前年に計画されていた将来の原子力発電所を廃止することを導き、イタリアの原子力発電所に関する国民投票によれば、イタリア国民の50%+1以上の得票になったことが将来の原子力発電所の廃止を法的に拘束することを判明させていた。

オランダ

経済・農業・イノベーション相であるMaxime Verhagenは下院宛の手紙の中で、日本の経験は2015年に建設される新規の原子力発電所に対する必要条件を定義する作業の中で考慮されるだろうと述べていた[138]。首相であるMark Rutteは3月18日に、Borssele原子力発電所の稼働に変更がないことを示唆し、ドイツのモラトリアムを「奇妙だ」(オランダ語:merkwaardig)と呼んでいた[139]。

スロバキア

スロバキア共和国は事故の後の週に、Mochovce原子力発電所での2つの新規のリアクターであるVVER 440/V-213(PWR)の建設を継続することを表明した。既存のそして建設中のMochovce原子力発電所におけるすべての障害は現在の限界より大きい地震に耐えられるようにリニューアルされ近代化される予定である[140][141]。

ロシア

3月15日に首相であるウラジーミル・プーチンは当局者に、ロシアの原子力施設を検査し、日本の原子力危機の間に原子力エネルギーを発展させる国家の大規模な計画を再検討するよう指示した[142]。

スペイン

スペインの首相であるホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロは3月16日に自国の原子力発電所を再評価するよう指示していた[143]。

スイス

スイスの連邦参事であるDoris Leuthardは3月14日に3つの新規の原子力発電所に対する認可手続きの凍結を発表し、同国の原子力発電所の安全性の見直しを指示した[144]。

イギリス

3月12日にイギリスのエネルギー・気候変動相であるChris Huhneは、状況の影響とイギリスの原子力産業にとって学ぶべき教訓におけるレポートを求め、HSEの原子力局長であるMike Weightman博士に手紙を書いた[145]。レポートは「国際的な原子力産業や原子力安全規制当局との緊密な協力の中準備され」、5月中頃までには中間報告をまとめ、6ヶ月以内に提出される予定である[145]。3月15日にHuhneは無念さを述べ、それは一部のヨーロッパの政治家たちが評価が実施される前に政治判断することを急いでいるためであるが、新規の原子力発電所に投資する民間部門の意思が影響を受けるかどうかを決定するには早すぎるとも述べていた[146][147]。Weightman博士は5月にIAEAのチームとともに日本を訪問していた。

8 再生可能エネルギー

経済学の教授であるNancy Folbreは、福島第一原子力発電所の大災害における最大の肯定的な影響は再生可能エネルギー技術の商業化に対する国民の支持を取り戻したことになるだろうと述べていた[148]。

2011年にロンドンに本拠を置くHSBC銀行は「スリーマイル島と福島を背景にして、アメリカ国民は主要な原子力発電所を新規に建設することが困難であることに気付くかもしれず、私たちはいずれにせよいかなる新規の原子力発電所においても拡大を期待していない。したがって私たちは、立法府での議論を通じクリーンエネルギーを基準にすることが効率性に加えて天然ガスや再生可能エネルギーに相当大きな力点を据えるように思われることだろうと期待している」と述べていた[95]。

2011年にドイツ銀行のアナリストは「福島の事故におけるグローバルな衝撃は、現在と将来のエネルギーの方向性を決定するときに、どのように国家はその住民の健康、安全、安心、自然環境の間に優先順位を与え、価値を置くかに関する国民の認識における根本的なシフトになる」と結論づた。結果として「再生可能エネルギーは大半のエネルギーシステムにおいて明白な長期にわたる勝者となるだろうし、その結論は過去数週間において行われた多くの有権者のサーベイによって支持されている。同時に私たちは、天然ガスが少なくとも重要なエネルギーの移行のための資源になり、特にそれが安全であると考慮される地域ではそうなるだろうと考えている」[94]。

August 16, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
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August 13, 2011

何故、メディア、行政の担当者、専門家は福島の事故を過小評価し続けたのか、そしてそこから何を学ぶことが妥当であるのかーフランスのWikipediaの「ノーム・チョムスキー」等の項目を読んで考えたこと

TMI、チェルノブイリ、福島、全ての事故においてその時代のアメリカ、ソ連、日本の行政の担当者、専門家、メディアは事故の規模を過小評価してきたが、前回の記事では各国のエリートの物の見方が全体として悪い方向に作用してしまう構造的問題といった論点について検討を加えていた。

そしてアメリカは特筆すべきことが多岐にわたるものの全能ではないといった視点からの原子力行政、報道、研究への対応の仕方といったものを取り上げる機会が少なかったので、今回その記事の続編を書くことにした。

偽りの自由に満足できるならば、国内の報道に囲まれていても問題は少ないのだろうが、こういった考え方を日本に限らず既得権益が許容することに慣れ切っている中で、偽物の絵画に本物の色を加えていく作業は貴重な行為になるだろう。悪貨が良貨を駆逐するとは、悪貨が現実において役立つときに成り立つ経済における現象であり、今回の事故では住民にとっては良貨が役に立つのだが、その問題となっている既得権益にとっては仕事を円滑に進める意味で悪貨が役に立っているといった相反する利害関係が問題の背景に存在しているからかもしれない。

福島を完全に除染するには国家予算の規模では賄いきれないとの報道があるが、それならば住民を避難させることや公平に眺めて個々の住民にとって安全な生活が確保されること(当然住民ごとに基準は異なる)が優先されて然るべきだろう。何故現実を直視することができないか、予防原則の立場に立つことができないのかといったことを考慮すると、疾病の発症率が統計上の誤差の範囲に含まれることは事故の対処に対する道義的責任、政治的責任を回避するための言い訳にはならないのだが、ここでも問題となっている既得権益と地域の住民の間における相反する利害関係を見受けることができる。

福島の事故を巡るメディアにおけるディベートや国会における論争の空虚さは、民主主義を維持するために必要であったのだが、ただ現在たまたま存在していたということを理由にした既得権益を保護するための通過儀礼であることが広く知れ渡るようになったからであるかもしれない。世間で支配的な言説とはそのようなものも含んでいて当然であろろうが、責任をとるのは彼らではなく地域の住民であり私たち1人1人である。

何かの折りに原子力行政と核兵器の開発プロセスが比較されるが、機密を保ち確かな情報を伝える相手を慎重に使い分けるその背景を歴史を含めて考察し、その利益を比較考量するのみならず、歴史の中で個の特質と全体との関係を把握し直す必要もあるだろう。

つまり規模の議論をさておき核兵器開発の技術を保有することが欧米から近代化に成功した国家として認識されるための条件になりうるのかといった問題に対して、核兵器とは武力の排除を目的としたものではなく無差別に一般市民の健康と生命を脅かす放射性物質の拡散を設計されている非人道的な特徴を有していることを考慮しながら、ニュークリア・クラブやIAEAが核兵器保有のための技術を独占し続けようとどれほど労力を費やしても自由と民主主義といった価値観を共有していない国々に対して核兵器保有の技術が拡散し続けている1950年代以降の数十年に及ぶ歴史の流れを否定する材料はない現状を鑑みると、それは核保有国が核兵器をその根底において第三世界との差別化の道具として用いれば用いるほど、第三世界は非人道的な兵器である核兵器の保有を望むようになり、現実はニュークリア・クラブの戦略が裏目に出ている方向に進んでいる徴候が見受けられるといったことになろうが、時代の進歩に随いあらゆる技術は陳腐化していくものであるから現在そうであるようにいずれは陳腐化した小型の核兵器開発の技術が第三世界の各国へ拡散することが進みニュークリア・クラブがそれを独占的に管理することが難しくなる将来が訪れることも想定できるが、お互いに相当の犠牲を払った上での経過であろうから、引くことはなく、過去においてはそれが冷戦であったとも言えるのだが、実際の所、問題の所在は競争に勝つためには何でもするといった考え方が存在し、実際に何でもしたほうが勝ち残ったのだが、それを維持する方にも限界があったといったことだろうか。

繰り返しになるが前述の核兵器開発の技術を保有することが近代化に成功した国家として認識されるための条件となるかと言うとそれは大戦後の体裁を整えるための後付の言い回しに過ぎず、実際はドイツを眺めても理解できるように、国力とは1つの側面で決定されるものではないから、その国の実情に合わせて要素を適切に考慮していけば良いといったことになり、わざわざターゲットにされるリスクをとる必要はないのだが、リスクに慣れるというのは嫌なものだと考えるときがある。そもそも誰がどの時点でどのような変化が加えられたときにどのようなリスクに対して、愛好的か、中立的か、回避的かに関する議論が少ない現状で、でっちあげでないコンセンサスといったものがあるかもしれないとの仮定の上でそれが個々にとって納得のいく形で具体化されることもないだろうから、誰がデータや言葉に基づいて冷徹な判断をするのかといった問題も残ることになるだろう。ここで誰とは私たち1人1人を指しているのだが、それは結局の所責任の所在が私たち1人1人であるからだといった考え方を考慮している。

前回の記事でグラス・ルーツによる意思決定の意義を強調した背景は、結局の所、責任をとるのは私たち1人1人であるといった現実が明確になり、その事実に対し理解が深まりつつある現状を考慮した上での話になるが、まだまだ本当の議論は始まってすらいないとの考えを抱くことがある。

前回同様これが全てであるとは言及しないが、フランスのWikipediaの「ノーム・チョムスキー」の一部を訳すことにより上記の知見をサポートすることにする。URLは以下に示されるとおりになる。

http://fr.wikipedia.org/wiki/Noam_Chomsky

ノーム・チョムスキー

3 反体制派知識人

3.1 エリートと主流派の考え方に反対して

LSEにおいて社会学の教員であるStanley Cohenは、チョムスキーは「世界のキッシンジャー」のような何であるかを非常によく知っている権力者に話しかけようとせず、振る舞いをよく知らされる必要がある一般の人々に対し話しかけようしていると述べている。彼は、「知識人は彼らが知っていることについて沈黙を保ち、共通の道徳に反する犯罪に関心がなく、彼らが生活する社会が自由で開かれているときにはさらに犯罪的でさえあり、彼らは自由に語ることができるが、なすべきことを選択していない」と考えている[54]。チョムスキーは表現の自由に関して高い基準を有する国での生活にあることを認識しており、より公正な世界のために抵抗する防護任務のようなものに就き、Jean Bricmontが「支配的な言説に対し知的に自己防衛するためのツール」と呼ぶものを提案し、「知的評論家」として活動している[56]。チョムスキーに捧げられた「レルヌのノート」を共に導いた後者にとって「躾けられた知識人の集団と卑屈なメディアが強力な世俗の司祭職に仕えている世界においてチョムスキーの著作を読むことは自己防衛になり、そのことは間違った事実や支配的な言説に対し淘汰された憤りを回避することになる」[57]。国際戦略の雑誌は、アメリカの外交政策の一環にある戦争をタイトルにして公表された彼のエッセイのコレクションの説明において、「チョムスキーは読者が公式の談話を批判的に眺め、支配的な言説に服従しないこと」を勧めている[58]。

3.2 「でっちあげられたコンセンサス」に対する批判

ノーム・チョムスキーは研究者のエドワード・ハーマンと協力して、マスメディアの「政治経済学」における作品の誕生に貢献している。このアプローチは批判的な観点から経済と政治上の権力と癒着しているメディア産業の機能に注目している。民主主義においてエリートは、国民における多数派の利益がエリートのそれと異なるため彼らの支配と原則を主張するために単純に権力を用いることができないといった前提から始め、チョムスキーとハーマンは彼らの著作である「Manufacturing Consent」(1988)の中で、主流メディアがどのように既成の秩序の維持に貢献しているかを経験的に実証しようとしていた。彼らの視点によればメディアは、支配者や支配される側のでっちあげられたコンセンサスを確かなものにするために疑問を呈されることのない仮定や目的に基づくイデオロギー上のフレームワークにおける問題に関する公のディベートやプレゼンを維持する傾向にある。これは、彼らが1922年に広報の創立者の1人であるウォルター・リップマンによって造られた表現をかりるならば「コンセンサスのでっちあげ」(Manufacturing Consent)と呼んでいるものである。それらは彼らが「プロパガンダ・モデル」と呼んでいるものにおける彼らの分析に基づいている。このモデルによれば5枚のフィルターが主にメディアを通じて報道される情報を決定している。すなわち、考慮されるメディアにおける経済学(規模、オーナーシップ、利益の方向性)、広告に関する規制、情報ソースの性質、(広報係の)抵抗と圧力における戦術、反共的イデオロギー(支配的であり、いかなるイデオロギー上の要素にも拡張されることができる[61])が挙げられる。彼らはたとえば様々な政策の表明における「経済とアメリカ軍の利益や「ソビエトの脅威」といった概念の間の緊密な関係を述べており」[62]、メディア、政府、アメリカにおける企業の世界の間における多くの繋がりや共有される利益について述べている[63]。彼らの研究は、アメリカにおける敵性国家に関するメディアの取り扱いがシステマティックに同盟国に用意されているものと異なり[64]、前者は否定的に取り扱われるが後者は肯定的に取り扱われるといったことを指摘していた。

チョムスキーは同様に、民主主義社会において例えば守られている政治的な線引きは決して口に出されることはないが、ほのめかされたものであることを論じている。したがってその存在が自由による支配を維持し続けるために必要であるディベートや争い[65]は「主に内面化されたコンセンサス」の一部になる[66]。

激しく議論され争われた[67]チョムスキーとハーマンによって提案されたモデルは、それが世論の抵抗する力[68]や実際の世論における影響[69]を考慮していない点で、ときとして静学的であり単一次元的であると考えられている。それは同様にあまりにも機能主義者的であるとして社会学の観点から批判されている[70]。しかし「プロパガンダ・モデル」[71]について2005年に著作を出した大学教員のKlaehn Jefferyにとって、それは、世界の大多数の間で増加している無力感に直面して、経済と権力のグローバル化と多国籍企業の増大する影響力を眺めると、その兆しが現れた頃より今日のほうがさらに関連性が深いとしている[72]。

3.3 政治的抵抗

ベトナム戦争に反対する公式の声明を出して以来、チョムスキーは公共のディベートの場から姿を消し去った。彼は、特に数多くの本、記事、これらの問題に関するフォーラムにおいて政治や外交問題における分析を行った。広く引用されリストされた彼の分析は激しく論じられ多くの議論を含むものだった。

1969年の「アメリカン・パワーと新官僚」の出版以来、チョムスキーはアメリカの外交政策に対する根本的な批判に彼のパブリックな時間をほとんど割いてきた。彼は、それはアメリカ帝国のあらゆるコストと維持費用を拡大することを促進する欲望によって導かれ、それゆえ第三世界が住民のニーズを満たし、アメリカの投資家の利益を促進することを止めなければならないだろうことを理由にして、これらの国々のナショナリズム、民主主義、社会改革をアメリカは許容することができないと述べている[73]。Robin Blackburnにとってチョムスキーはアメリカ政府に対する幅広くよく周知された批判を展開しており[74]、Gendzier Ireneは、彼の無数の著作はアメリカ政治が民主主義の名の下に第三世界において民主主義の転覆、独立した発展と正当な力に対する障害の中に巻き込まれていると示していると指摘している[75]。さらに一般的にはそのことは反戦の立場を発展させ、アメリカ軍が従事している紛争の大半に対して生じている[74]。時として平和主義者として分類されるが、そのことはしかしながら暴力を予め非合法な行為として考慮していない[76]。

例えばチョムスキーは、「テロリスト」というラベルは自身のテロ行為を認識することができない政府によって用いられたイデオロギー上の兵器であると考えている[77]。彼は主にパレスチナ人に対するイスラエルの政策とその政策を後押しするアメリカを批判している[78]。彼にとっては平和を導くプロセスから程遠い中東における同盟国であるイスラエルに対するアメリカの決議文242によって与えられた外交的軍事的支援はこの平和に対する具体的ないかなるイニシアチブに対しても障害となるだろう[79]。イスラエルにおいて新聞Haaretzによれば、「チョムスキーは右派として見られており、それだけでなく脱走兵、反逆者、人々の敵として見られている」[80]。

9・11攻撃の2ヶ月後チョムスキーは独立系の出版社から9.11とタイトルされた小さなインタビュー集を出版した。彼は特に、ニューヨークタイムズがそれを繰り返したときに、これらの攻撃は「ひどい残虐行為」であるが、もし私たちが自身をこの国と同盟国がなした全てのことを無視するという都合のよい展望の中に据えるならば、私たちはアメリカを犠牲者として考えることができないと説明している[81]。その本は数週間の内に300,000部売れるベストセラーになった[82]。23の言語に翻訳され26の国で出版され[83]、彼は「アメリカと海外で販売された数百万部を考慮すると、現存する他のあらゆる政治をテーマにした作家の内においてベストセラー作家の1人になった[84]。このテーマにおける彼の2番目の著作はPower and Terrorになる。同じ出版社によって2003年に出版された9・11後の談話とインタビューは同様にベストセラーになった。

2002年にアンカラの政府によるクルドの少数民族に対するテロ行為であると彼が呼んだものを非難した文章を出版したために起訴されたトルコの出版社であるFatih Tasの審理にチョムスキーは自身を招いている。また被告席の場に置かれることを主張し、そのことは出版社の無罪判決を勝ち取るのに役立っている。

2006年に彼は、セルビアの知識人であるDobrica Ćosić[86]のように「憎悪のルーツ」を絶つためにセルビア人とアルバニア人の間でコソボを分割することや、アルバニアや旧ユーゴスラビアの全ての国において社会革命党を設立することを通じアルバニアとユーゴスラビアを全面的に統合することの再検討に賛成していた[87]。

2007年9月7日、彼はアメリカ人が学ぶべきことの中においてオサマ・ビン・ラディンによって引用される知識人の1人になった[88]。2010年1月にアルカイダのリーダーはアルジャジーラによる音声テープの放送の中で「アメリカの政策とマフィアのそれを比較している点でノーム・チョムスキーは正しいことをしている」と述べていた[89]。

2010年5月16日にイスラエルは彼を4時間拘留し、その地域の講演旅行のためBeir Zeitの大学で講義することを理由にしてヨルダン川西岸への入国を拒否した[90]。

2011年5月6日にノーム・チョムスキーは、オサマ・ビン・ラディンやアルカイダが9・11の背後にいたという確かな証拠は不明であり、これゆえバラク・オバマは嘘をついていると繰り返していた。彼にとって「自白」は意味がないことだった。彼は、ビン・ラディンを殺害するために行われたアメリカの作戦は国際法の明白な違反を助長する暗殺を計画したものだったと論じている。彼は最後に、G.W.Bushの犯罪はビン・ラディンのそれを上回っており、もし私たちがブッシュのドクトリンに随うならば、アメリカの侵略と破壊に相当するものはブッシュ自身になると付け加えている[91]。

4 批評と論争

4.1 フォーリソン事件

チョムスキーにとって最も論争の多い姿勢の1つは「フォーリソン事件」に関わるものになる。リヨン大学文学部の前教授であるロバート・フォーリソンは1970年代後半に彼の職務を解かれ、彼が別の話題の中で第二次世界大戦中のガス室の存在を否定したことを理由にして起訴されていた。表現の自由を守るための嘆願書はチョムスキーを含む500人以上の人々によって署名されていた[92]。彼の活動に対する反応に答えるためチョムスキーは当時短い文章を書き下ろし[93]、その中で彼は人が意見を表明する権利を保護することは意見を共有することとは異なると説明している。表現の自由に関するこの古典的な姿勢は啓蒙主義と合衆国憲法修正第一条に見受けられる。

彼は当時彼の文章を友人であるSerge Thionに渡しており、それを自由に活用することを許容していた。ところがThionは1980年にフォーリソンによって出版されMémoire en défenseとタイトルされた本の前書きに「意見」としてそれを公表した。チョムスキーは繰り返し、彼は決して人目に触れる文章としてそれを公表するつもりはなく、公表しないようにしていたが、それを防ぐには遅すぎたと記していた[57]。この点でチョムスキーは、「私の声明がフォーリソンが審理において彼に対しすぐにもたらされる責任を否定する著作の中に見受けられるといったことを遅きに失したが理解した。これは私の意図ではないけれども、それは私の教育と正反対ではない。私は作家であり反ファシストとしてよく知られているJean-Pierre Fayeからの手紙を受け取り、彼は、フランスの世論はフォーリソンの表現する権利の擁護はフォーリソンの意見に対する支持と解釈されるだろうから、私の意見には同意するが声明を撤回するよう勧めていた。私は彼に、私が彼の判断を受け容れ私の声明が表面化しないよう頼んだが、その公表を止めさせるには遅すぎていた」と説明している[94]。彼の声明を表面化させないよう彼が求めていたことに関して、チョムスキーは「後になって私は、私がおそらくそうするべきでなかったと考えていた。私は「オーケー、文章はそのままにしておいてほしい、というのは公表されるのに違いないのだから」と言うべきだった。しかしそれを除くと私は、このケースにおける私の姿勢を私が表現の自由においてとってきた他の姿勢と比較しても無害であるのみならずおよそ無意味であると考えていた」と述べた[95]。

フランスの歴史家であり、否認主義の専門家であるPierre Vidal-Naquetはしかしながら、チョムスキーによって署名された嘆願書が単に表現の自由を擁護し、自身で署名したそれを擁護するよりはるか遠いところに行ってしまったと考えていた。嘆願書はフォーリソンの研究をかなりのもの(「ホロコースト」問題における徹底した歴史的そして独立した研究)として示していた。加えてVidal-Naquetは、後者のテキストが明白な反ユダヤ主義を示していたので、フォーリソンを「比較的政治的でない類」のリベラルとしてフォーリソンを呼んでいたことを理由にしてチョムスキーを批判していた。「あなたが発言する権利をもっているとすると、私や私の兄弟の死を求められることがない状況で、私の手強い敵は自由になる権利を有している。あなたが発言する権利を有していないとすると、私の手強い敵は友であり、もしくは「比較的政治的でないリベラル」になり、あなたは偽物を手に取り、それを真実の色で塗り直す権利を有していない」[96]。

チョムスキーにとって例えばJustin Wintleを分析すると、「表現の自由は、実際の真実が何であれ、既存の秩序によって支持された出来事の解釈以上に重要なものになる」[97]。

4.2 反論に直面して

アメリカには非常に異なった多くの2つのタイプの批判が存在している。

1番目のものは量的に2番目のものを圧倒しているのだが、アメリカ政治の問題と軍事力の利用におけるチョムスキーの著作と公式見解に関連している。

2番目のものは広く基本的であると認識されていても、科学的な論争の対象である言語における研究に関連している[100][101]。言語学者であるTimothy Masonは例えば「もしあなたがウェブを眺めるならば、第一言語であれ第二言語であれ言語の獲得に関する大多数の文書は強く生得的であり、チョムスキーやフォーダーが共に採用したような正反対の可能性を打ち消す研究を過ぎ去った事実としてしばしば考慮していることに気付くかもしれない。英語を話す人々の世界では例えばフランス語はさらに疑いの眼差しを向けられることになり、普遍的な文法や言語の構成要素は変わることのないまま幅をきかせてきた」と説明している[100]。フランス人のSylvain Auroux[102]は例えばチョムスキーの仕事の歴史的意義を認識しつつ、「チョムスキアンの認識論的モデルのすべてが間違っているか、曖昧であるか、非合理である」と考えている[103]。

アメリカのジャーナリストであるPaul Bogdanorは2007年に彼のサイト上で「The Top 200 Chomsky Lies」(チョムスキーにおける200の欺瞞)とタイトルされた文書を公開した[104]。この点で広く認められた動物行動学者であるRichard Dawkinsは文書におけるBogdanorの間違い、そのバイアス、低い信頼性を批評した。政治アナリストであるPhilippe Moreau Defargesは1980年代初頭に「Washington Connection」においてチョムスキーやエドワード・ハーマンの著作について「マニ教の怒り」に関することを述べていた[105]。同様の精神で言えば、Richard Posnerはチョムスキアンの批評の一方的な性質を批判し、彼の「アナルコ・パシフィズム」の中に政治と個人の倫理に混乱をもたらす数多くの大学の知識人によりなされる古典的な間違いの例を眺めていた[106]。

アメリカの右派はノーム・チョムスキーを予め決められたようにターゲットにしていた。Daniel Pipesは2002年に「私はヒトラーやスターリンの著作から教わりたくないように、ノーム・チョムスキーから大学で教わりたくない。彼らは大学の場に相応しくない過激で極端な考えを抱いていている」と述べていた[107]。彼はDavid Horowitzの「The Professors: The 101 Most Dangerous Academics in America」とBernard Goldbergの「100 People Who Are Screwing Up America」といった2006年に出版された2冊の小冊子の中で大きく取り上げられていた。2005年にはAlan Dershowitzはイスラエルとパレスチナ人の紛争について彼と激しく論争していた[108]。彼の経済と政治における考えは同様にLudwig von Mises Instituteによって批判されており、それはチョムスキーがマルクス主義を拒絶しているにもかかわらず、彼の考え方はマルクスのそれによって導かれていると信じていた。さらにそれは果実を得ることを考える一方[110]資本主義を拒絶している[109]といった矛盾として彼の考え方を考えていた。

ノーム・チョムスキーは同様にアメリカの反戦運動に対し一部から批判を受けていた。ジャーナリストであるJeffrey Blankfortは一方で彼を2001年9月11日の攻撃についての質問をかわされたことから非難し、他方で資本回収運動におけるMITに反対していることから非難し、結局アメリカ政府における「シオニスト会議」の意義を過小評価したことから非難していた(特にアメリカ・イスラエル公共問題委員会からの影響を通じて)[111][112][113]。

現代のアナーキストの運動においてチョムスキーの政治的見解は「国家統制主義者」の性質であることを理由にしてしばしば批判されている。例えばアメリカの活動家であるMurray Bookchinは1996年のインタビューの中で、自身をアナーキストと呼んでいるチョムスキーのような誰かが、「結局はいつも助けるだけだが!まるで中央政府が企業に対して活用されることが可能であるかのように、州政府に対し「権限委譲する」ために強くなり、少なくとも中央集権を支持するといった相当の愚かさを推し進めた」「アメリカの左派」を強く批判していた[114]。アナルコ・サンディカリストの革命的な伝統の一部であることから離れて、彼は単なる民主的改革者であるとして批判されていた[115]。同じ精神でCuba Libertaria運動の活動家は、2009年8月末ベネズエラの大統領と会合した後、彼を「チャベスの道化師」と表現していた[117]。

極左トロツキストにおいて第4インターナショナルの国際委員会は同様に2004年のアメリカ大統領選挙の間候補者であるJohn Kerryに賛同する立場をとったときに彼を批判し、「2人の悪のうちより害が少ないほうを選ばなければならない」という行動原理とともに既得権やブルジョワの「リベラル」と戯れているとして彼を非難した[118]。

フランスでは、アメリカはもはや全能ではないとの議論をAprès l'empireといったエッセイの中で擁護しているEmmanuel Toddが世界の発展そしてそのために「ソビエトの脅威の崩壊の前後にアメリカも同様の道をたどり、軍国主義的、抑圧的で、偽りの自由があり、4半世紀前のベトナム戦争のように今日のイラクを抱えていること」[119]に気付いていない「構造的反米主義」としてチョムスキーを把握していた。Pierre Guerlainは、チョムスキーにとって「世界は複雑で、相互作用の複雑なネットワークの中にあり、その中でアメリカは全ての役割を占めており」、彼はこれらの複雑な相互作用の中でアメリカが演じる役割を単純に理解しようとしているといったことを考慮しながら、言葉に含みをもたせていた[120]。

メディアに対する彼の批評は、チョムスキー自身はそれを否定するけれども、彼の批評の一部によって「謀略」と呼ばれている。彼は単一の「制度的分析」を生み出すことしか主張しておらず、話を進めると、「私の意見では「謀略の理論」は5文字の単語と同等の知的対象になった。彼らがあなたに本当は何が起こっているかについて考えて欲しくないときに人々が述べている何かが存在している」[121]。この問題について新左翼の中でこの観点はフランスでは反対されている[122]。

August 13, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
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July 06, 2011

何故、メディア、行政の担当者、専門家は福島の事故を過小評価し続けたのか、そしてそこから人として何を学ぶことが妥当であるのかーアメリカのWikipediaの「ノーム・チョムスキー」等の項目を読んで考えたこと

チョムスキー自身がアナーキズムとの距離とその関係を考えるようになったのは、アナーキズムが有する特徴の1つである、政治家、官僚、大企業の幹部といった高等教育を受け、特権を有するエリートの利害をその利害が反する一般人の意思とすり替える一種の刷り込みが日常茶飯事となっているアメリカのメディアや外交に危機感を覚えたからでなかろうかと考えることがあったことを始めに断っておく。

デューイによる「政治は大企業によって社会に映しだされた影である」との言葉を念頭に置くと、アメリカと日本の専門家やメディアに共通していることは、全てとは言わないが、企業と政府の利益を最大限尊重するように取り計らう一種のシステムが確立していることにある。そしてアメリカの外交政策の全体のフレームワークはアメリカビジネスの利益における国内の支配構造や国家資本主義を保護するための推進力によって説明されることが可能であり、経済的要因(ワシントン・コンセンサスと言い換えてもよいだろう)を念頭に大統領選挙を含めてメディアがその地均し(つまり世論調整)をしていることを考慮すると、日本の内政および外交政策の全体のフレームワークはビジネスに限定された話ではないのだが国内の支配構造を保護するための推進力によって説明されることが可能であるかもしれず、アメリカ同様にメディアがその地均し(つまり世論調整)を行っている視点に繋がることに関しては問題は少ないかもしれないと考えるときがある。

つまり民衆の意思、グラス・ルーツに介入してもらいたくないのが政策担当者や大企業の幹部の本音であるが、国政選挙のときにはしぶしぶその意思を認めざるを得ないといった説明も可能であろう。そしてティーパーティー運動の背景にはこのようなアメリカ人が抱えている現状もあるだろうと考えるときがある。

チョムスキーによれば何故教育を施された特権を有するエリートがこうなったのかというと、ハーバードやスタンフォードでは根源的な批判的思考を放棄し、制限付きの多様な規範(制限付きの多様なコンセンサスと言い換えてもよいだろう)に順応する学生が評価される傾向にあり、そういった学生を優先的に入学させて教育を行っている現状があるからなのだろう。

日本国内を振り返れば、東大や早稲田といった大学群と類似していることが相当数に及ぶと考えることがあったが、それは上記のような日本の大学群が手本の或る部分をアメリカに求めていれば同じような結果がでるのも自明であろうと考えることもあった。深く考える力が足りないという現状は幅広く社会のコンセンサスに慣れさせる教育の弊害でもあり、その背景を海外に求めるつもりはないが、今一度その国に根差した教育法の在り方といったものを考慮する必要があるだろうと考え直すこともあった。

そして福島原発の事故の過小評価に話を移すが、圧力団体の1つである経団連からの事故の過小評価にまつわる発言に違和感を覚えた方も多数おられるかと考えるときがあるが、彼らにとってその発言は都合がよいことであり、広く世界の原発ビジネスを眺めても、その発言は世界の彼ら(例えば多国籍企業群等)にとっても都合がよいことなのだろう。しかし、民衆の意思、グラス・ルーツにおいてドイツ、イタリアを見るまでもなくその発言と反対のことを考えている現状は日本だけの話ではなく、現在世界においてその波及に関しせめぎ合いが続いている。

日本国内の四大公害を念頭に置いているが、個々の民衆の意思を排除してビジネスに都合がよいことを進めるシステムの背景については先のデューイの言葉が説明したような話になるが、それは所謂将来特権を有するだろうエリートの教育段階からして間違っているからだといった説明と、第二次大戦後の経済体制の背景に存在していた西欧のコンセンサス社会から強く影響を受け、未だに根本的な所で現状が改善されていないからだ、つまり弱者は強く在らねばならないといった視点を付け加えることは社会的に許容範囲の内だろうか(ここで私は、強く在らねばならないといったものの、弱者に対する援助と許容の心は忘れていないつもりであることを追記する)。

決定的なことをまだ書いていないのだが、この事故は複合的な問題を内包しており、既存の権力構造におけるコンセンサスによる解決は民意から離れているといったことをアメリカにおける現状と日本のこれまでの歩みが示唆しており、民主主義に根差した投票による解決を目指すためには、まずその広報である伝統的なメディアに民意を反映させることから始めなければならないだろうと考えるときがあるのだが、現実的なことを考慮すると日常利用するメディアをシフトするといった発想から始めても構わないだろう。

また日本国内の知識人について言及すると、チョムスキーによれば、アメリカを眺めてみても知識人とはやや辛辣な見解かもしれないが「彼らは実際には世俗的な司祭職のようなものであり、彼らの仕事は社会における教義に関する真理を支えることである。」といった現実を冷静に評価する必要があり、そこに権威を与えるのは既存の権益構造やビジネスの立場にとって有益であるからであり、実際、市井の人にとってはその関連で知識人の発言とその意図を個々に評価していかないことには話がかみ合いませんよといった常識に沿った結論になる。日本の大学を中心にした専門家が事故を過小評価した背景には上記のようなことが含まれ、一々権威を気にしていても仕方がないでしょうといった見方に立つことがお互いにとって健全な関係を構築できるだろうと考えるときがあった。つまり被災された行政機関がよく記者会見で話す、「国がこう言ったから〜」や「専門家がこう言ったから〜」といった旧来のメンタリティ(縦割りと横並び意識)を利用して施策を実施する背景には先に取り上げた既存の権益構造からの懐柔や縛りが相当厳しいものであった過去が存在しており、その中央と地方との葛藤とその関係が企業にとって都合がよかった過去が存在していたのだろうが、見方を変えれば国や有力者と喧嘩する人には一票を投じないといった地方の文化から1つ1つ時間を掛けて変えていかないことには健全な復興と社会の発展には繋がらないのではないかと危惧するときがあったことを追記したい。

昨年来から重ねて言っていることだが、個々の文化が地域と時代の流れに適合しない可能性を念頭に置くと、何がどの点でどう変化すれば個々にとって最善なものになるのかといったことは個々の問題であり、そうであるならば個々が今以上に解放される必要があるといった見解に変更はなく、そのためにも今後の見通しといったものが影響を及ぼすなら、深く幅広い見識を陶冶するためにもやらねばならないことは多岐に亘るであろうと考えるときがある。

前回同様これが全てであるとは言及しないが、アメリカのWikipediaの「ノーム・チョムスキー」と「ノーム・チョムスキーの政治的見解」の一部を訳すことにより上記の知見をサポートすることにする。URLは以下に示されるとおりになる。

http://en.wikipedia.org/wiki/Noam_Chomsky

ノーム・チョムスキー

6 政治上の見解

チョムスキーは「私の個人的見解は、啓蒙運動と古典的自由主義に基づくかなり伝統的な無政府主義者のものになる」と述べており[12]、リバタリアンの社会主義を賞賛している[73]。チョムスキーは彼自身をアナルコ・サンディカリストとして説明しているけれども、レッテルの曖昧さを回避しようとしている[11]。彼は、平和と民主主義のためのキャンペーンと世界の国際的な労働組合の産業従事者のメンバーである[74]。彼は、2006年にアナーキスト向けの叢書を出しているAK Pressによって出版されたChomsky on Anarchismと題された本を出版した。

チョムスキーは成年後の全ての人生において政治活動に携わっており、政治や世界の出来事における意見を表明しており、それは広く引用され、公表され、議論されてきた。チョムスキーは同様に、彼がアメリカ政治における反体制派であると考えられていることを理由にして、彼の見解は権力者が聞きたくないものであると主張していた。

チョムスキーは、正当化されなければ、権力は本質的に非合法であり、その証明の責任は権力側にあると断言している。もしこの責任が果たされないならば、問題になっている権力は解体されるべきである。それ自身の存在を目的とした権力は本質的に正当化されることはない。チョムスキーによって示される合法的な権力の例は、幼い子供が交通の往来を彷徨うことを防止する両親の行為になる[75]。彼は、家内奴隷と自身の労働時間を経営者に売ること言い換えるならば「賃金奴隷」との間にほとんど違いはないと主張している。彼は、その賃金労働は個人の自由を損なう個人の規範に対する攻撃であると感じている。彼は、労働者が彼らの職場を所有し、コントロールすべきであることを支持しており、この見解は(彼が記すように)Lowell Mill Girlsによって支持されている[76]。

チョムスキーはアメリカの外交政策を強く批判していた。彼は、民主主義と自由を説く一方チリのAugusto Pinochetのような非民主的で抑圧的な組織や国家と同盟する外交政策におけるダブルスタンダードを指摘しており、これが大規模な人権侵害をもたらしていることを議論している。彼はしばしば、彼が非常に批判的であった出来事、ニカラグアにおけるコントラに与えられていた秘密の援助を含むアメリカの外国に対する介入は「1980年代初頭の合衆国法典や陸軍操典の中の公式の定義」を含むテロリズム[77]におけるいかなる標準的な記述とも適合していると議論していた[78][79]。その崩壊の前にチョムスキーは同様にソビエト帝国主義を非難していた。例えば1986年のニカラグアの中央アメリカ大学で行われた講義に続くQ&Aの間、同じ場で北米の帝国主義とロシアの帝国主義について彼がどのように話すのかについて課題があったのだが、チョムスキーは「世界における真実の1つは、2つの超大国があり、1つの巨大な大国はたまたまあなた方の首にロープを巻き付けており、もう一方のより小さな大国はたまたま他の人々の首にロープを巻き付けているということである。そして私は、もしこれらの問題における幻想に敗北するならば、第三世界のいかなる人々も重大な誤りをなすことになるだろうと考えている。」と答えていた[80]。

オサマビンラディンの殺害に関して、チョムスキーは不適切な行動をとったと信じており、「私たちは、もしイラクの部隊がブッシュの邸宅を訪れ、彼を殺害し、彼の遺体を大西洋に投げ捨てたら、どう反応するだろうかと私たち自身に尋ねてもよいだろう。議論の対象にならないが彼の罪はビンラディンの罪を超えており、彼は容疑者ではなく、議論の対象にならないが高度の国際犯罪を犯す指示を与えた決定者であり、それは、それ自身の内に全体にわたって累積された悪を含んでいるという点で他の戦争犯罪と異なり(ニュルンベルグ裁判を引用)、そのためにナチスの犯罪者は絞首刑にされ、数十万の死亡者、数百万の避難民、かなりの程度による国の破壊、今や残りの地域に広がっている苦い宗派間の対立が存在していた。」と述べている[81]。

彼は、アメリカにおけるマスメディアはプロパガンダの道具そして共通の利益を通じ絡み合った第三者とともにアメリカ政府やアメリカ企業における「買収された聖職者」[82]としてとして主に仕えていると主張していた。Walter Lippmannに対する有名な言及では、Edward S. Hermanとともにチョムスキーはアメリカのメディアは大衆の間に同意をでっち上げていると記していた。チョムスキーは、「民主主義の企業買収」と呼び、選挙資金の制限を取り消した2010年の最高裁判決を非難してきた[83]。

チョムスキーはその言葉が不適切として、アメリカのグローバルな「麻薬との戦争」に反対しており、「特定の麻薬との戦争」として言及している。彼は、麻薬の使用を減少させる手段としての軍や警察のアクションよりむしろ教育や予防における麻薬対策の改革に賛成している[84]。1999年のインタビューではチョムスキーは、タバコのような作物が政府の説明において言及されない一方、マリファナのような他の非営利的作物が貧困層を迫害することによって達成される結果のために攻撃されていると主張していた[85]。彼は以下のように述べていた。

アメリカ国内の薬物政策はその明言されたゴールを実行しておらず、政策立案者はそのことをよく知っている。それが薬物乱用を減少させることについてでないならば、それは何についてのものなのか。いわゆる危険な階層と関連づけられるとき薬物は犯罪化される傾向にあり、特定の薬物の犯罪化は社会統制の技術であるということは現在の措置と歴史的記録の双方から合理的に明白である[86]。

チョムスキーはアメリカの国家資本主義システムや大企業に対し批判的であり、彼は彼自身を社会主義者、特にアナルコ・サンディカリストとして記しており、そのため「権威主義的な」マルクス主義者やレーニン主義者または社会主義における毛沢東主義者に対し強く批判的である。彼は同様に、社会主義者の価値観は独自に再構築された古典的に自由なそしてラディカルな人道主義者の考えを産業の文脈に合理的そして道徳的に一致した拡張を示していると信じている。彼は、社会は高度に組織化され、地域社会や職場の民主的なコントロールに基づくべきであると考えている。彼は、Bertrand RussellやJohn Deweyという2人の主要な影響におけるラディカルな人道主義者の考えは「啓蒙運動や古典的自由主義に根ざしており、それらの革命的な特徴を有している」と考えている[87]。

チョムスキーは、彼はアメリカが世界で最大の国のままでいると考えており、彼は以下のように言うことによって後に明らかにしたコメントを述べていた。「国々を評価することは意味がないことであり、私はこれらの点で物事を把握したことがないだろう、しかし特に言論の自由といった分野において、数世紀にわたる国民の苦労によって達成されたアメリカの有利な条件のいくつかは賞賛されるべきである。」[89] 彼は同様に「多くの点においてアメリカは世界で最も自由な国である。私は国家の強制力の限界の点を単に意味している訳ではなく、それはまた事実であるけれども、同様に個人の関係の点を意味している。アメリカは実質的にいかなる社会よりも個人間の関係において階級が存在しないことにより近くなる」と述べている[90]。

チョムスキーはアナーキズムが政府の福祉に対する支援と一致していないという批判に反対しており、部分的には以下のように述べている。

もちろん人は、私たちが今日人々が直面している問題について注意を払わず、明日の可能性について考えたいとの立場をとることができる。オーケー、しかしそのときに人間や彼らの運命に関心があるふりをしないでください、そして他の特権階級の人々とともにセミナールームや知的なカフェの中に留まっていてください。そうでなければ人はかなり人道的な立場をとることができ、つまり私は明日の社会をよくしたいために今日働くといった、問題の中のスローガンとはかなり異なる古典的なアナーキストの立場をとることができる。そのことはまったく正しいものであり、それは直接、健康や安全に対する規制の実施や国民健康保険の用意を目的として今日問題に直面している人々を支援し、それらを必要としている人々を支援すること等を促している。それは異なったそしてより良い将来のために組織することの十分条件ではないが必要条件になる。他のいかなることも、生活し、生き残ろうとする状況を無視する余裕をもたない人々から十分に値する軽蔑を受け取ることになるだろう[91]。

チョムスキーは反戦だが厳密な平和主義者でないものとして要約される見解を支持している。彼は生涯を通じて顕著にベトナム戦争や大半の他の戦争に反対している。彼は納税に関する抵抗と平和行進をともなうこれらの見解を表明した。1968年に彼は、ベトナム戦争に対する抗議として税の支払いを拒絶することを誓う「作家と編集者による戦争に纏わる税に対する抗議」といった誓約書に署名した[92]。彼は「知識人の責任」を含むベトナム戦争についての多くの記事を公表した。彼は、枢軸国を敗北させるために第二次世界大戦にアメリカが関与したことが、好ましい結果がそれ以前の外交を通じて戦争を終わらせることか防ぐことになるだろうといった警告とともにおそらく正当化されることを主張している。彼は、広島と長崎における原爆投下は「史上最も口にすることが許されない犯罪の中に」あると考えている[93]。

チョムスキーは、イスラエル政府、その支持者、アメリカによるその政府の支持、パレスチナ人の取り扱いに対し多くの批判を行ってきた、そして「イスラエルの支持者は現実に道徳の退廃の支持者であり、イスラエルの安全保障における非常に明確な拡張政策がその結果を導くのも当然である」と議論している[94]。チョムスキーはユダヤ人国家としてのイスラエルの設立に同意しておらず、「私はユダヤ人、キリスト教徒、イスラム人の国家が適切な概念であるとは考えておらず、私はキリスト教徒の国家としてのアメリカに反対するだろう」と述べている[95]。チョムスキーは彼の両親が生きている間、イスラエルの政策を批判する研究を公表する前に躊躇があった、つまり彼が言うに「私の仕事の中で表明されたもののような見解にヒステリックに反応する彼らの友人のために大部分、彼はそれが彼らを傷つけるだろうということを知っていた」からであった[96]。2010年5月16日に、イスラエル当局はチョムスキーを拘留し、最終的にはヨルダン経由で西岸に彼が入国することを拒否した[97]。イスラエルの首相のスポークスマンは、入国の拒否はたんに権限を越えた国境警備隊によるものであり、二度目の入国の試みは許容されるかもしれないだろうことを示唆していた[98]。チョムスキーは、彼を尋問した内務省当局の担当者が彼の上官からの指示を得ていたと言って反論した[98]。チョムスキーは、数時間の尋問に基づき、彼は、彼が言ったことや、彼がイスラエルの大学でない西岸にある大学を訪問する予定だったことを理由にして入国を拒否されたと主張した[98]。

チョムスキーは特にマスメディアにおける言論の自由といった権利における幅広い見解を有しており、検閲に反対している。彼は、「言論の自由に関し基本的な2つの立場が存在しており、あなたはあなたが嫌う見解のために積極的にそれを守るか、もしくはあなたはそれを拒絶し、スターリン主義者やファシストの基準を好むかになる」と述べている[99]。アメリカ公電のリークに関してチョムスキーは、「おそらく最も印象的な暴露はアメリカ政府、Hillary Clinton他と外交官の双方によって民主主義が激しく嫌われていたことである」といったことを示唆した[100]。チョムスキーは彼を中傷する人々に対し法的措置をとることを拒否し、新聞紙上で公開された手紙を通じて中傷に反論することを好んでいる。このアプローチの顕著な例は、彼がスレブレニツァの虐殺の存在を否定したと伝えたガーディアンのEmma Brockesによる記事に対する彼の対応になる[101][102][103]。チョムスキーの不満は、謝罪訂正の公表と新聞のウェブサイトからの記事の撤回をガーディアンに促した[104]。

チョムスキーはしばしば言語学における彼の仕事と政治上の見解との間に繋がりはないと述べており、政治的トピックにおける優れた議論がアカデミズムの分野における専門的な知識を必要としているとの考えを一般的に批判している。1969年のインタビューにおいて彼は彼の政治学と言語学における仕事との関連について以下のように述べている。

私はまだある種の微妙な関連が存在していると自身に対して感じている。私はそのことを誇張したくないが少なくともそれが何かを意味していると考えている。

アメリカやヨーロッパの軍事帝国主義に対する彼の政治的批判にもかかわらず、彼が言語の研究を行った研究所(MIT)での初期の研究はアメリカ軍によって実質的に資金を供給されていたことにより、一部の批評家はチョムスキーを偽善的であるとして非難している[106]。チョムスキーは、彼がアメリカ軍から資金を供給されていたため、その非道徳的な行動を批評し、抵抗するさらに大きな責任を有することになったと議論している。

http://en.wikipedia.org/wiki/Noam_Chomsky%27s_political_views

ノーム・チョムスキーの政治的見解

1 政治的見解

1.3 アメリカ政府に対する批判

「もしニュルンベルグの法が適用されているならば、全ての大戦後のアメリカ大統領は絞首刑にされているだろう。」ーノーム・チョムスキー(1990年頃)[7]

チョムスキーはアメリカ政府に対する一貫性のある率直な批評家であり、アメリカの外交政策に対する批評は彼の政治に関する執筆のかなりの基礎を形成している。チョムスキーは、彼が市民である国家に対する彼の活動家としての努力を導く理由を与えている。彼は、彼の仕事が彼自身の政府に向けられたとき多くのインパクトをもつことができ、彼はその国が犯罪を犯すことを止めさせるための仕事をするための原因となっている特定の国のメンバーとしての責任を有していると信じている。彼は、全ての国が好まれていない国々による犯罪を処理する柔軟性を有しているが、いつもその国自身の犯罪を処理しようとしないことを支持している他の国々との比較においてしばしばこの考えを表明している。1986年のニカラグアで述べたことだが、チョムスキーは「私たちはあなたが話し書いたものを通じてあなたが友人であると感じていると同時に、あなたは北米の帝国主義とロシアの帝国主義について同じ話の中で言及している。私はあなたにあなたが反動主義者と同じ議論をどのように用いているのか尋ねたい」と尋ねられ、これに対しチョムスキーは以下のように答えている。

私はあらゆるものやそれゆえ反動主義者であることを含むもののために非難されてきた。私の個人的経験から私の政治的著作が基本的に公表されない2つの国が存在している。非常にまれな例外をともなう本流のなかにある1つはアメリカである。残りはソ連になる。私は私たちがすべきことは世界についての真実を理解しようとすることであると考えている。そして世界についての真実は通常非常に不快なものになる。私自身の関心は本質的に2つの理由で私自身の国によって行われている恐怖と暴力になる。1つにはそれがたまたま国際的な暴力のより大きな部分であることによる。しかし同様にそれよりかなり重要な理由として、すなわち私がそれについて何かをすることができることが挙げられる。だから例えアメリカがその多数の代わりに世界における暴力の2%に対し責任があったとしても、私が本質的に責任があるのはその2%になるだろう。そしてそれは単純に倫理的な判断である。それは、人の行為の倫理的意味がそれらの予期され予測された結果に依存していることを指している。誰か他の残虐行為を非難することは非常に簡単である。それは18世紀において行われた残虐行為を非難するのとかなり同じくらいの倫理的意味を有している。

要は役に立ち意義のある政治的行為は人間に対する結果を有するものであるということである。そしてそれらのことは圧倒的にあなたが影響を及ぼしコントロールするいくつかの方法を有している行為になり、それは私にとってアメリカの行為を意味している。しかし私は同様にソビエト帝国主義に抗議することに関与しており、同様にソビエト社会のその根源を説明することになる。そして私は、これらの問題についての幻想に敗北するならば第三世界にいる人々は誤りをなすだろうと考えている[8]。

彼は同様に、世界に現存する超大国としてアメリカが全ての超大国と同じような攻撃的な方法で振る舞っているのではないかと主張している。チョムスキーは、超大国がなす鍵になることの1つは軍事的経済的手段を用いて支配階級の利益にしたがって世界を組織しようとすることであると主張している。チョムスキーは繰り返し、アメリカの外交政策の全体のフレームワークはアメリカビジネスの利益における国内の支配構造や国家資本主義を保護するための推進力によって説明されることが可能であることを強調している。これらの利益は本質的にアメリカ経済の優位性を目的とした政治的課題と経済上の目標を設定している。

彼の結論は、アメリカの外交政策における一貫した部分は良い例に対する脅威を抑えることに基づいている。この脅威はある国がアメリカに管理されたグローバルシステムの外でうまく発展する可能性に言及しており、これゆえアメリカが強い経済的利益を有している国々を含む他の国々のためのモデルを示している。チョムスキーによればこれは、ほとんどアメリカが経済上もしくは安全上の利益を有していない世界の地域における「イデオロギーに関わらず」、「独立した発展」を鎮めるために繰り返しアメリカが介入することを促してきた。彼の著作の1つ、What Uncle Sam Really Wantsの中で、チョムスキーは、この特定の解釈はグアテマラ、ラオス、ニカラグア、グレナダといったアメリカに対し軍事的脅威を呈していないそしてアメリカの支配階級にとって重要でない経済的資源を有する国々におけるアメリカの介入を部分的に説明している[9]。

チョムスキーは、アメリカ政府の冷戦における政策は本質的に反ソ連の妄想によって形成されている訳ではなく、世界におけるアメリカのイデオロギー上のそして経済上の優位性を保つために形成されてきたと主張している。彼の著作であるDeterring Democracyの中で彼は、2つの超大国の対立のような冷戦に対する月並みな理解はイデオロギー的構造になると主張している。彼は、本当に冷戦を理解するために人は大国の根底にある動機を検証しなければならないと述べている。これらの根底にある動機は、国内の政治、特に各々の国における国内のエリートの目標を分析することによって発見されることができるのみである。

「副次的複雑さを脇に置くと、ソ連にとって冷戦は本質的にその衛星国に対するものであった、そしてアメリカにとって冷戦は第三世界に対するものであった。各々にとってそれは、国内の特権と弾圧政治という特定のシステムを定着させるために用いられた。冷戦のフレームワークの中で追求された政策は一般の民衆にとって魅力的なものでなく、彼らはそれらを強制の下でのみ受け容れた。歴史を通じて、その気のない民衆をその気にさせる一般的な考え方は邪悪な敵に対する恐怖であり、その破壊を導くものになった。超大国の対立は、私たちがNSC68のような最重要計画書や公共のプロパガンダにおける不自然なレトリックの中に見受けるように、双方の内部の必要性のため見事に目的にかなっていた。冷戦は超大国にとって機能における有用性を有しており、それはそれが存続していた理由でもあった。」[10]

チョムスキーは、本質的に国家資本主義としてアメリカ経済のシステムを描いており、そこで公的資金は主に防衛費の形態で技術(コンピューター、インターネット、レーダー、ジェット機等)を牽引する研究開発に対し用いられ、一旦発展し熟すと、これらの技術は民間の用途が私的コントロールと利益のために発展する企業部門に引き継がれる[11]。

チョムスキーはしばしばアメリカ市民によって享受される市民の自由に対し賞賛を表明している。チョムスキーによればフランスやカナダのような他の西欧民主主義諸国はアメリカほど論争のある論陣の保護においてリベラルでない。しかし彼はこれらの自由に対するアメリカ政府を信用しておらず、むしろそれらの自由のために闘うアメリカの大衆社会運動を信用している。彼が最もよく信用している運動は奴隷廃止運動、労働者の権利や労働組合の組織化のための運動そしてアフリカ系アメリカ人の公民権に対する闘いになる。チョムスキーはしばしば、最も論争の多いフォーリソン事件における、言論の自由を抑圧していた他の政府や同様にトルコにおける言論の自由の抑圧を激しく批判している。

2009年12月に人文科学におけるヘイマンセンターによって主催された第5回年次Edward W. Said記念講演において、チョムスキーはアメリカの「帝国主義の文化」に注意を促すためにEdward Saidを喝采することによって「単一極の時代と帝国主義の文化」をテーマにした講演を行った。

2009年11月にアメリカがベルリンの壁崩壊の20周年をちょうど祝ったときに、チョムスキーはこの祝賀はその出来事のわずか1週間後に発生し忘れ去られた人権侵害を無視していると指摘した。1989年11月16日にエルサルバドルでアメリカの武装したAtlacatl大隊が6人の主要なラテンアメリカのイエズス会の司祭を暗殺したと彼は説明していた。彼は、アメリカのベルリンの壁崩壊におけるアメリカの「自画自賛」をこれらの司祭の暗殺を取り巻く「知れ渡る沈黙」と対比している。アメリカはそれ自身の自己の利益のために民主主義の原則を犠牲にしており、いかなる自己批判もなくアメリカは「敵の犯罪にレーザーの光をフォーカスさせる傾向があるが、決定的に私たちは私たち自身を振り返ったことがないことを確認している」[12]。

1.4 アメリカの民主主義における批判

チョムスキーは、政府の政策が公開された世論を反映している程度においてのみ民主的であると主張している。彼はアメリカが形式的な民主的構造を有していると述べているがそれらは機能不全に陥っている。彼は、大統領選挙は私的権力の集中によって資金を供給されており、そして問題においてよりむしろ候補者の資質や人物像において本質的に議論をフォーカスさせており、広報業界によって周到に準備されていると主張している[13]。チョムスキーは、ギャラップやゾグビーのような世論調査やメリーランド大学における国際政策の意識に関するプログラム(PIPA)のような学術的ソースによって世論に関するいくつかの研究に言及している。2004年近辺の投票を引用すると、チョムスキーは、投票者のうちごく少数のみが候補者の「政策課題/考え方/基盤/目標」を理由にして投票したと述べていたことを指摘している[13]。さらに研究は、アメリカ人の大多数が主要な政党のいずれによっても代弁されることのない健康保険のような国内の問題において意見を有していることを示している[14]。チョムスキーはアメリカの選挙を、彼が人々が重要な問題についてはるかによく知らされていると主張している、スペイン、ボリビア、ブラジルのような国々における選挙と対比している[15]。

2000、2004、2008年の大統領選挙においてチョムスキーは、「もし結果を左右する状況なら最悪の候補者に投票しないように」とアドバイスしていた。2008年の選挙において彼が投票するか尋ねられたとき、彼は以下のように答えていた。

「私は環境政策をみて投票した。もし私が結果を左右する状況ならーここ「マサチューセッツ」は結果が決まった状況であるけれどもーもし私が結果を左右する状況なら、私はしぶしぶ受け容れながらもオバマに投票するだろう。それはまさにさらに悪い代わりの候補者に投票しないためでもある。私は彼について何も期待していなかった、そして私は期待している訳でもない。事実、私は予備選挙の前に彼について記事を書いた。私は彼がひどいと考えていた。」[16]

1.5 グローバリゼーションについての見解

チョムスキーはグローバリゼーションを批判的に分析するために早くから努力をしていた。彼は「古いワインは新しいボトルの中に」といったフレーズにともなうプロセスはエリートの動機がいつも同じになることを維持していると要約している。彼らエリートは一般の大衆を重要な意思決定のプロセスから隔離することを望んでおり、権力の中心が今や多国籍企業や超国家的金融機関にあることから区別している。チョムスキーは多国籍企業は彼らのグローバルな影響範囲を反映した「統治機構を発展させている」と主張している[17]。

チョムスキーによれば、主な計画は国際通貨基金(IMF)や世界銀行のような第二次世界大戦後に設立されたグローバルな経済制度の採択にあり、それはますます「ワシントン・コンセンサス」を固守するものであり、発展途上国が支出を制限し、しばしば社会福祉プログラムの削減を含む構造調整を行うことを遵守することを要求するものであった。IMFの援助とローンは通常そのような改革を条件とするものである。チョムスキーは世界貿易機関(WTO)、関税および貿易に関する一般協定(GATT)、北米自由貿易協定(NAFTA)、多国間投資協定といったグローバルな制度や協定の設立はエリートの特権を守る新しい方法を確立し、民主主義を損なうものであったと主張している[18]。チョムスキーは、これらの厳格であり新自由主義的な政策はより貧困な国々が先進国に対し安価な労働、原材料、投資機会を与えることによってたんにサービスを提供する役割を果たすのみであることを確実にしていると考えている。さらにこのことは企業がさらに貧困な国々に移転することを脅しの材料にしていることを意味しており、チョムスキーはこのことをさらに豊かな国々の労働者を工場ラインに留まらせるための強力な武器になるものとして理解している。

チョムスキーはグローバル化における話の中で用いられる用語を問題として取り上げており、それは「グローバル化」それ自体の語から始まるのだが、彼はそれが国際的になることのための一般的な用語であることよりむしろ企業に援助を受けた経済統合を指していると主張している。彼は、社会や環境における正当性に関するグローバル化の動きとして彼がみなしているものを記述するために用いられている反グローバル化の語を好んでいない。チョムスキーは、「特定の期間において何であれたまたま存在している利益のために政策の主要な設計者によってデザインされた自由と保護の混合」として「自由貿易」とよく呼ばれるものを理解している[17]。彼の著作の中でチョムスキーはグローバル化に対する抵抗運動に注目している。彼は、彼のエッセイである「The Zapatista Uprising」の中でNAFTAに対するサパティスタの抵抗を描いている。彼は同様に多国間投資協定を批判しており、その敗北を導いた活動家の取り組みを報告している。チョムスキーの声は批評家にとって重要な部分になり、1999年11月、シアトルにおける世界貿易機関(WTO)に対するデモのために団結する異なるグループにとって理論的なバックボーンを与えていた[19]。

1.9 マスメディア分析

チョムスキーの政治的仕事のもう1つの焦点は主流マスメディア(特にアメリカにおける)の分析になり、それを彼は企業と政府の利益を促進するよう対話における制約を維持することに関し非難している。

Edward S. Herman and Chomskyの著作、Manufacturing Consent: The Political Economy of the Mass Mediaはこのトピックを深く調べており、それを支持するいくつかの詳細な事例研究により報道メディアの「プロパガンダ・モデル」を示している。このプロパガンダ・モデルによって、アメリカのようなさらに民主的な社会はコントロールのために微妙な、非暴力的な手段を用いており、物理的な力が容易に一般の民衆に強制を及ぼすために用いられることがある全体主義のシステムと異なっている。しばしば引用される発言の中でチョムスキーは、「プロパガンダと民主主義との関係は棍棒と全体主義との関係と同じである」(メディアコントロール)と述べている。

モデルは人々の駆け引きよりむしろ構造における経済的理由の点でそのようなシステムにおけるバイアスを説明しようとしている。そのことはバイアスが全ての公開されたニュースが通り抜けなければならない5枚のフィルターから派生しており、それはニュースの報道範囲をシステマティックに歪めることに繋がっていると主張している。

1. 1枚目のフィルター、所有権は大半の主要メディアが大企業によって所有されているということを記している。

2. 2枚目、資金調達はメディアが彼らの資金の大半を読者でなく広告から調達していることを記している。これゆえそれらは読者や視聴者といった製品を他のビジネス(広告主)に売る営利を目的としたビジネスであるため、モデルはそれらのビジネスにおける欲望や価値観を反映しているだろうニュースを彼らが報道することを期待しているだろう。

3. さらにニュースメディアはそれらの情報のかなりにとって情報源として強いバイアス(3枚目のフィルター)をもつ政府機関や大企業に依存している。

4. 広報担当といった4枚目のフィルターはさまざまな圧力団体から影響を受けており、それはそれらの報道が許容範囲の外にあるとき想定されるバイアス等を目的としてメディアを追い回している。

5. 規範といった5枚目のフィルターはジャーナリズムの職にある人々によって共有される共通の概念から影響を受けている[26]。

モデルはそのためどのようにメディアが分散的であり陰謀的でないがそれにもかかわらず非常に強力なプロパガンダのシステムを形成しているかを記述しようとしており、このシステムはエリートのコンセンサスを準備し、エリートの見通しの中に収まる公開討論の枠組みを決定し、同時に民主的なコンセンサスの振りを与えることが可能である。

チョムスキーとハーマンは「対になる例」を選ぶことによって経験的に彼らのモデルを検証している、そしてその対になる出来事は特定の利益に関連した場合を除いて客観的に類似していた。例えば彼らは、「公然の敵」が何かをする(宗教的な職にある公的人々を殺害するような)場合において報道機関は徹底的に調査し、その問題に対し相当量の報道の大きさをもって取り扱うが、国内の政府や同盟国が同じこと(もしくはそれよりひどいこと)をするとき、報道機関はその話を軽視することを示そうとした。彼らは同様にモデルを、自由で積極的な独立系報道機関における最もよい例としてしばしば取り上げられる場合、例えばベトナム戦争中のテト攻勢におけるメディアの取り扱いの大きさに対して彼らのモデルを検証した。このケースにおいてさえも彼らは、報道機関がエリートの利益に対して従属的に振る舞っていたことを主張していた。

1.14 知的社会に対する批判

チョムスキーはときとして学者や他の公的な知識人に対し並はずれた批判を行うことがある。彼の見解はときとしてある論点における個々とともに彼を奇妙な立場に置くことがある一方、彼は同様に彼がシステム上の欠陥として理解しているものを理由にして知的サブコミュニティーを非難している。チョムスキーは一般的にアカデミズムの世界に携わる知識人にともなう2つの大きな問題を理解している。

1. 彼らは主に異なった階級として機能しており、それゆえ多かれ少なかれ意図的に排他的な結果をともなうアカデミズムの外にいる人々にとって理解できない言葉を用いることによって彼ら自身を区別している。チョムスキーによれば、研究者が社会の他のメンバーより深い思考に従事することに促されており、「知識人」といった名称が労働における知的境界という真実を不明確にするといったことを信じるに十分な根拠はほとんどないといったことになる。「これらは実際に奇妙な言葉であり、私は「知的」であることがあなたの頭脳を用いて労働することとほとんど関係がないことを意味しており、これらは2つの異なったものである。私の疑いに基づいた考えとは工芸や自動車整備工等に従事する人々の多くがおそらく大学にいる人々と同じくらいかそれ以上に知的作業を行っているということになる。「知識人」の仕事と呼ばれるものがたんに事務作業であるアカデミズムの世界における多くの分野が存在しており、私は事務作業が自動車のエンジンを修理することよりやりがいがあるとは思っていないー事実私は反対のことを考えている...だからもし「知識人」といった言葉によってあなたが頭脳を用いる人々を意味するならば、それは社会全体の話になる。」

2. この議論からの推論は、知識人によって享受される特権はかれらを社会の残りの人々よりさらにイデオロギーの影響を受け従順な存在にするということである。「もし「知識人」という言葉によってあなたが、思考を与え、権力を有する人々に考え方の枠組みを与え、彼らが信じるべき全てのことを語る等の仕事に就いている特権階級にある人々を意味しているならば、ええと、それは違う。これらの人々は「知識人」と呼ばれているが、彼らは実際には世俗的な司祭職のようなものであり、彼らの仕事は社会における教義に関する真理を支えることである。そして大衆はその点で反知識人になるべきであり、私はそれが健全な反応であると考えている。」

チョムスキーはどこかで、どんな「理論的」ツールが覇権的権力に対抗するために強い知的基盤を与えることを目的として生み出されることが可能であると彼が感じているかと尋ねられたとき、以下のように答えている。「もし外交上の振る舞いや国内もしくは国際的紛争に対して適用されるよく試され検証された理論体系が存在するなら、その存在は「えせ科学の姿勢と同じであるにもかかわらず」よく保護された秘密のまま保たれていることだろう。」チョムスキーの一般的な傾向はそのためエリートでない聴衆と話す際平易な言葉を用いることになる。

アメリカにおける知識人の風土は「The Responsibility of Intellectuals」に注目し、そのエッセイはチョムスキーを20世紀後半における指導的な政治哲学者の1人として確立した。チョムスキーによる彼がアメリカで生じていると理解している新しいタイプの戦後の知識人に対する広範な批判は彼の著作であるAmerican Power and the New Mandarinsに焦点を当てた。そこで彼は、広く受け止められた見解に挑戦し、知識人が抱える義務における裏切りとして彼が理解したものを描いていた。ベトナム戦争に対し部分的に責任があると彼が理解している「新しい官僚」は帝国における権力のようなアメリカに対する擁護者だった。彼は彼らのイデオロギーが以下のことを示していると記していた。

「植民地の官吏のメンタリティは、母国と世界秩序におけるそのビジョンの正しさに対する恩義について確信させられ、彼が管理するべき福祉の対象である後方の人々の真の利益を理解していると納得していた。」

チョムスキーはポストモダニズムとポスト構造主義の信頼性に対して皮肉な態度を示していた。特に彼はパリの知的社会を批判していた。次の否認が示唆として受け取られるかもしれない。「もし私が明示的に私の意見を求められていなければ私はこのことを言うつもりはなかっただろうーそしてもしそれを説明するよう求められているならば、私はそうする時間にメリットがあると考えていないと答えるつもりである。」チョムスキーの関心の欠如は特にパリのアカデミズムにおける難しい言葉と限定された知的もしくは「現実世界」での価値の組合せとして彼が理解したものから生じている。「ときおりそれはポストモダンの言葉で言えばこっけいの類になる。特にパリ周辺では、それは漫画になっており、私はそれがすべてちんぷんかんぷんだということを意味している...彼らはそれを解析し、その背後にある実際の意味が何であるかを理解しようとしているが、それはあなたが8才の子供に対して説明できることである。そこには何もない。」彼の見解ではこのことはフランスの新聞を通じアカデミズムに注意を払うと苛立ちに繋がる。「フランスでは、もしあなたが知的エリートの一部であり、咳をするなら、ルモンドにおける一面の話になる。そのことはフランスの知的文化がそのように茶番である理由の1つを示しているーそれはハリウッドのようである。」

チョムスキーはミシェル・フーコーとオランダのテレビに1971年に登場し、その全文はフーコーと彼の対話者であるアーノルドソン(編)、1997年(ISBN 0-226-13714-7)の中に見受けることが可能である。フーコーについてチョムスキーは以下のように記している。

...十分な努力とともに人は彼の著作からいくつかの興味深い洞察や観察を得ることができ、知識人の奇妙な世界で世間体のために必要とされている難読性といったフレームワークを離れると、それは戦後のパリの奇妙な文化における極端な形式を取っている。フーコーは、人がこのことから離れるとき少なくとも何かが残っているという点でパリの知識人の中では珍しい[35]。

2 政治活動家としてのチョムスキーの影響

2.4 主流メディアの周辺化

チョムスキーはCNN、Time誌、Foreign Policy他のようなアメリカにおいて人気のあるメディアにめったに表れないが、彼の録画された講義は定期的にAlternative Radioつまり進歩的な講義の配信社の放送を伝えるアメリカのNPR局によって再生されている。チョムスキーの批評家は、彼の主流メディアの報道が適切であることや一般の研究者がしばしばアメリカのメディアにおいて低い優先順位を受けている事実を考慮することが普通のことであることを議論している。

CNNのプレゼンターであるJeff Greenfieldが何故チョムスキーが彼のショーに一度も表れたことがないか尋ねられたとき、彼はチョムスキーは「テレビで話すことができない進歩的な知識人の1人であるかもしれない」と主張していた。「もしあなたが22分間ショーを見て、1人の男がウォームアップをするのに5分かかるなら、彼はショーに登場するには不適切かもしれない。」Greenfieldは、メディアの報道に関して理解に要する「簡潔さ」に対する要求として、「2つのコマーシャルの間に複数の気の利いたことを発言する必要がある」と説明していた。「簡潔さのもたらす便益とはあなたがたんに従来の考えを繰り返すことにすぎない」と述べ、チョムスキーはこのことを詳しく説明していた。もしあなたが従来の考えを繰り返すならば、あなたはオサマビンラディンが悪い男であると言うように証拠を一切必要としていない、証拠は必要とされていない。しかしもしあなたが、アメリカが南ベトナムを攻撃したというような従来の真実でないにもかかわらず、本当である何かを述べるならば、人々は当然証拠を求めるようになり、彼らがそうするべきであるなら、全体が多くの証拠に囲まれねばならないだろう。ショーの形式はこのタイプの証拠を許容しないだろう、それは簡潔さが決定的であるからだといった理由を含むものになろう。彼は、もしメディアがより良い宣伝者であるならば彼らは反体制派を多くの点で邪魔することになるだろう、それは時間の制約が彼らのラディカルな見解を適切に説明することを止めさせるからだろうし、視聴者にとって彼らが海王星からきたように聞こえるからだろうと続けていた。この理由のため、チョムスキーはテレビに登場する多くのオファーを断っており、活字メディアを好んでいた。

彼の著書9-11が2001年9月11日の攻撃の余波でベストセラーになったので、チョムスキーは主流のアメリカメディアからさらなる注意をひくことになった。例えば、ニューヨークタイムズは9-11の人気を記述する記事を2002年5月に掲載した[66]。2004年1月、ニューヨークタイムズはSamantha PowerによるチョムスキーのHegemony or Survivalに対する高度に批判的なレビューを掲載し[67]、2月にニューヨークタイムズはパレスチナ人の土地を奪うイスラエルによるヨルダン川西岸地区を批判するチョムスキー自身による反対記事を掲載した[68]。

July 6, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
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June 19, 2011

何故日本の行政の担当者や専門家は低線量の外部被曝および内部被曝を安全であると言い続けたのかーアメリカのWikipediaの「劣化ウラン」の項目を読んで考えたこと

アメリカ国防総省、NATO、IAEA等は劣化ウランにおける低線量の被曝による医学的危険性や疫学的リスクを積極的に認めてきておらず、その危険性を評価するのは科学的合理性ではなく政治的判断に基づくものであるかもしれないとの立場に立っている。

その判断は、核兵器保有国におけるウラン濃縮の際に生じる劣化ウランを効率的に利用することを考慮した経済的合理性に基づくものになるが、とくにオバマ政権のアメリカにおける、核兵器削減に伴う余剰ウランを利用する経済的合理性に基づく、原子力発電所の積極的推進を考慮した政治的コンセンサスを重ね合わせると、放射線医学においては科学的合理性が政治的判断に敗北しているのだが未だに一応の科学的合理性の衣を纏っている例として把握され直す可能性が存在している。

アメリカ政府による「戦争を早く終結させるために原爆を投下する決断を下した」との言説は、ジョセフ・ナイによれば「日本本土上陸をする際の米軍の損失が多大になることを考慮し、原爆を投下する決断を下した」といったある種の経済的合理性が背景に存在することを示唆するものであり、経済的合理性を達成するためには非人道的方法を採択しても構わないといったアメリカ国内においては許容されることができない基準を外国に対し適用していた国内と国外の情報格差を利用したダブル・スタンダードの例として把握され直すことができるかもしれない。そしてアメリカ政府が各国に対し民主主義や人権の保障を長期に亘り擁護し続けている長所と比較しながら公平に論じる必要があるのだが、そのダブル・スタンダードと外交政策に関し短期的視点に偏ることにおいて、チュニジアやエジプトを挙げるまでもなくアフガニスタンやパキスタンを含めた国際社会がアメリカ政府に対しストレスを感じている現状が挙げられ、それはABCやCNNで報道されることは少なく、一般のアメリカ人は政府や国内のメディアに対して違和感を感じている現状になり、それゆえアメリカの学生は海外に旅に出て現実を把握しているといったことが説明されるかもしれない。同じことは日本にも当てはまる。

一方日本の行政に携わっている官庁の役職者には東大出身が多いが、彼らは世間的に東大出身の肩書きが好まれていないことを十分認識しており(世間的に好まれていない点は早稲田でも同様だが)、その弱い立場を認識しているがゆえに同窓のネットワークを密にすると同時に海外の有識者とのネットワークを構築することによって彼らの見識の基盤を強化していると把握する視点を許容することについて問題は少ないのかもしれない。つまりアメリカ等の海外の担当部局との交渉においてささいな問題については議論が成立するかもしれないが、外交や防衛といった大きな問題について内外から始終プレッシャーを与えられながら交渉することが難しいと思われるのは、その根底において省庁の内部や国民の視点における個々の行政官僚の支持基盤といったものが脆弱なものであるがゆえに、国内に対し海外の見解を伝える立場として立ち回ることでしか自らの立場を保持することができないといった弱さがあるからではなかろうかと考えるときがあった。それゆえ外部被曝や内部被曝の危険性に関してアメリカ国防総省やIAEAの担当者の見解をできる限り尊重した外交および内政を行うことを慣例とし、過小評価されたリスクを採用したのは、結果として科学的合理性の下での議論でなく核兵器保有国が自国の政策を正当化するために用いた政治的判断に対するコンセンサスを核兵器保有国でない日本の担当者が欺瞞と知りながらも科学的合理性の下での議論として受け容れたことによるものであり、日本に居住する人々とくに福島の人々の安全性を担保する行政がうまく機能しなかったといった状況を生み出すことになったのは、その欺瞞が1つ1つ明らかにされつつある現状によって説明されることが可能であるかもしれない。

そして本題に戻ることにする。行政担当者が低線量の外部被曝および内部被曝を安全であると言い続ける理由は、アメリカ国防総省、NATO、IAEA等による、科学的合理性と異なる政治的コンセンサスを科学的見解として共有することを維持することが、海外とのネットワークを維持する際に先方からのプレッシャーを受けることを回避し、日々の仕事を進める上で妥当であるかもしれないとの担当者による判断が作用しているからであろう。したがって安全を語りながらも本質において日本国民の安全を科学的に担保するといった視点が欠落しており、さらにアメリカ同様国内と海外の情報格差を利用しているがゆえに、現在新たな社会問題が生じていることに繋がっているのだろう。

他方、放影研、放医研、放射線医学の専門家が低線量の外部被曝および内部被曝を安全であると言い続ける理由は、低線量の外部被曝および内部被曝を安全であると言い続ける政治的コンセンサスを受け容れた者が専門家として地位を確立することができる現状が背景にあり、それは海外においても類似した例を見受けることができるだろう。つまり原水爆が非人道的な兵器であることや劣化ウランの危険性を積極的に認める姿勢をアカデミズムの世界から排除する枠組みを肯定しなければアカデミズムの世界で生き残れないといった不自由さを常に抱えながら研究に従事する世界の難しさを眺めることができるかもしれないが、それゆえに福島の事故に直面した地域住民がリスクを意図的に過小評価されていたことを肯定するための科学的および道義的正当な理由が存在するとはならないだろう。

一歩踏み込んで話を続けるならば、私は、日本の行政の担当者や放射線医学の専門家が付き合ったほうがよいアメリカの行政の担当者や放射線医学の専門家が間違っているといったミスマッチが背景に存在しているからこの問題は生じているかもしれないと考えるときがあり、また同時に彼らアメリカの行政の担当者や放射線医学の専門家が付き合った方がよい日本の行政の担当者や放射線医学の専門家が間違っているかもしれないといったミスマッチも背景に存在していることも考慮に加えたほうが妥当かもしれないが、アメリカに限らず世界は多様であり、世界の人々の共通認識といったものがあり、ミスマッチが解消されているならば、上記の安全ドグマの押しつけとは異なったものになるだろうと考えることがある。

しかし一方でこれは行政の担当者や放射線医学の専門家といった確信犯との対峙であるといった見方に立つことがある。どれほど科学的に妥当な結論を見出そうとも、政治的判断に対するコンセンサスと異なった結果であれば、それがメインストリームに登場する機会は少ないであろうといった現実が長らく続いている。私は個人的には国民投票を通じて是か非かを決めていくことが妥当であろうと考えるときがあるが、その投票のタイミングに関し既得権益の構造が一番不利にならない時期が選ばれる傾向にあることを考慮すると、個々の国民が既得権益の構造に対し積極的に国民投票の実施を働きかけ続け、変革のメスを入れるぐらいのことをやらないことには何も始まらないだろうと考えることがある。

前回同様これが全てであるとは言及しないが、アメリカのWikipediaの「劣化ウラン」の一部を訳すことにより上記の知見をサポートすることにする。URLは以下に示されるとおりになる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Depleted_uranium_ammunition

劣化ウラン

4 健康上の考慮事項

弱い放射性を有していることに加え、ウランが有毒な金属であるため、腎臓、脳、肝臓、そして多数の他のシステムにおける正常な機能はウランの被曝によって影響を受けている可能性がある[7]。劣化ウランはヒ素や水銀のような他の重金属より毒性が低いものである。それは弱い放射性を有しているが、その長い半減期のため放射性を有したままである。有害物質と疾病登録のための機関は「ウランから被曝するには、あなたがたがそれを食べ、飲み、呼吸し、皮膚の表面で接触することによる必要がある」と述べている。

しかしギリシャのアッティキにある原子力技術放射線防護研究所は「劣化ウラン弾の衝撃と燃焼の間生み出されるエアロゾルは、衝撃を与えられた敷地周辺の広い地域を潜在的に汚染する可能性があり、民間人や軍人によって吸入される可能性がある」と指摘している[9]。アメリカ国防総省は、人間におけるいかなるタイプの癌も天然ウランや劣化ウランのいずれかによる被曝の結果として見受けられないと主張している[66]。

早くも1997年にイギリスの医師はイギリスのMoD(国防省)に、劣化ウランは肺、リンパ、脳における癌の発症のリスクを増加させると警告し、一連の安全上の注意を勧告している[67]。医師の助言をまとめたレポートによると、「不溶性の二酸化ウランの粉塵を吸入すると、もし存在しているならば、ゆっくりとした除去のためそれは肺に蓄積するだろう、そして化学的毒性は低いけれども、癌を導く肺における局所的な放射線による損傷が存在するかもしれないだろう」といったことになる。レポートは、「全ての民間人や軍人がウランの粉塵の吸入が長期のリスクをもたらすものであることに気付くべきであり、[粉塵は]肺、リンパ、脳における癌の発症のリスクを増加させることが示されている」と警告している[67]。

培養された細胞や実験におけるげっ歯類を用いた研究は、慢性的な被曝からの白血病、遺伝、生殖、神経系への影響の可能性を示し続けている[5]。さらに2004年初頭にイギリス年金控訴審は、1991年の湾岸戦争における戦闘による先天障害の主張の原因を劣化ウラン中毒に帰している[68][69]。また2005年の疫学におけるレビューは、「全体として人間における疫学上の証拠は劣化ウランに被曝した人の子孫における出生時における障害のリスクにおける増加と一致している」と結論づけている[10]。

潜在的な健康への悪影響とその環境中への放出のため焼夷弾の使用は物議を醸している[70][71][72][73][74][75]。その残留放射能に加え、U238は、その化合物が実験室における研究から哺乳類に対して有害であると知られている重金属である。

金属ウランはゆっくりと腐食する傾向があり、小さな断片は空気中室温で自然発火する[26]。劣化ウラン弾が装甲を貫き、燃焼するとき、それらは、吸入され、傷を汚染する可能性があり、劣化ウラン酸化物を生じる。また弾や装甲の破片が体内に取り込まれる可能性がある。

4.1 化学毒性

劣化ウランの化学毒性はその放射線の危険より試験官の中で約100倍大きいものになる[76]。劣化ウランの健康への影響は例えば被曝の程度や内部か外部かといった要因によって決定される。ウランの内在化が発生する主要な3つの経路が存在しており、それは吸入、経口摂取、取り込まれた断片もしくは榴散弾による汚染になる。例えば相(粒子状または気体)、酸化状態(金属またはセラミック)、ウランやその化合物の可溶性といった特性は、それらの吸収、分布、移動、除去、結果としての毒性に影響している。例えば金属ウランは六価ウラン(VI)や三酸化ウランのようなウラニル化合物と比較して相対的に毒性が低いものになる[77][78]。

ウランは微細に分割されたときに自然発火する[26]。それは不溶性のウラン(IV)や可溶性のウラン(VI)塩を生じる空気や水の影響下において腐食していくだろう。可溶性ウラン塩は有毒である。ウランはゆっくりといくつかの器官、例えば肝臓、脾臓、腎臓に蓄積していく。世界保健機関(WHO)は、体重1kgあたり0.5μgもしくは70kgの成人に対して35μgといった一般公衆に対する可溶性のウラン塩の日々の許容摂取量を定めている。

実験に関する動物における疫学上の研究や毒性試験はウラン塩が発癌性や白血病誘発性をもち[83]、免疫毒性[79]、肢体に不自由を生じさせる性質[80][81]、神経毒性[82]を有するものとして示している。疫学者による2005年のレポートは、「人間における疫学上の証拠は劣化ウランに被曝した人の子孫における出生時における障害のリスクにおける増加と一致している」と結論づけている[10]。

劣化ウランのエアロゾルの被曝における初期の研究は、ウラン燃焼生成物の粒子はすぐに大気中において沈着し[84]、これゆえ対象地域から数km以上離れた人口に影響を与える可能性はなく[85]、もし吸入されるならそのような粒子は長期において肺の中で溶解しないままであるかもしれず、これゆえ尿中に検出される可能性があることを想定していた[86]。燃焼したウランの飛沫は激しく、それらの元の質量の約半分のウランからなるガス状の蒸気を生じさせる[87]。ウラン酸化物におけるウラニルイオンの汚染は劣化ウラン弾の火災における残留物の中において検出されている[88][89]。

4.2 放射線の危険性

その同位体により放射されるα粒子はわずか数cmしか移動せず、1枚の紙によって止めることが可能であるため、純粋な劣化ウランからの放射線による外部被曝は低い関心を集めるのみだった。また劣化ウランに残る低濃度のウラン235は少量の低エネルギーのγ線のみを放射していた。

しかし、隣接する組織が繰り返し照射されるかもしれないので、組織に留まった粒子からの内部α線被曝はさらに深刻な問題になる。

世界保険機関(WHO)によると、それからの放射線量は同量の精製された天然ウランの約60%になるだろう。天然ウランの約90μgは概して水、食料、空気の正常な摂取の結果として人体の中に存在している。この大半は骨格に見受けられ、残りはさまざまな器官や組織に見受けられる。

しかし一ヶ月かそこらの内に劣化ウランは、ウラン238からのα粒子とほとんど同じ割合でβ粒子を放射するある量のトリウム234とプロトアクチニウム234を生じる。β粒子は各々のα粒子に対して放射される(ラジウムのシリーズを参照せよ)。

その長い半減期(44億6000万年)同様、さらに多くの放射性同位体の除去により、純粋な劣化ウランにおける放射線の危険性は自然に発生するウランより(60%)低いものになる。劣化ウランはその同位体組成において天然ウランと異なるが、その生化学は全ての実用的な目的に対し同じである。さらなる詳細においては、環境中のアクチニドを参照せよ。

4.3 湾岸戦争症候群と兵士の不満

免疫系疾患と慢性的な痛み、疲労、記憶喪失を含む他の幅広い症状の増加する割合が1991年の湾岸戦争における戦闘の兵役経験者における4分の1以上において報告されている[91]。劣化ウランは湾岸戦争において初めて大規模に30mm以下の口径の機関銃の弾において用いられたので、湾岸戦争の兵役経験者の病気に関する研究諮問委員会によって、劣化ウラン弾からの燃焼生成物は潜在的な原因の1つとして考えられている。ペルシャ湾、ボスニアやコソボにおける紛争の兵役経験者において彼らの遺伝子における通常のレベルの14倍までの染色体異常が見受けられていた[92][93]。血清可溶性の遺伝毒性をもつ肢体に不自由を生じさせる性質は先天性の障害を生じさせ、白血球において免疫システムの損傷を引き起こしている[94]。

人間における疫学上の証拠は劣化ウランに被曝した人の子孫における出生時における障害のリスクにおける増加と一致している[10]。1991年2月湾岸戦争の戦闘における15,000人の兵役経験者と15,000人のコントロール群の兵役経験者における2001年の研究は、湾岸戦争の兵役経験者において先天的障害を有する子供をもつ確率が1.8倍(父)から2.8倍(母)以上になることを見出した[95]。2年後の子供の医療記録における検査の後、先天的障害の割合が20%以上まで増加していた。

「Kang博士は、男性の湾岸戦争の兵役経験者は湾岸戦争の兵役を経験していない者の2倍先天的障害をもつ子供を有することを報告していることを見出した。さらに女性の湾岸戦争の兵役経験者は湾岸戦争の兵役を経験していない者のほとんど3倍以上先天的障害をもつ子供を有する可能性があった。数字は医療記録の検証とともに若干変更されている。しかしKang博士と彼の同僚は、動員された男性の兵役経験者の子供における先天的障害のリスクはそれでも動員されていない兵役経験者の約2.2倍になると結論づけた[96]。」

2004年初頭、イギリスの年金控訴審は1991年2月の湾岸戦争の戦闘の兵役経験者からの先天的障害の主張の原因を劣化ウラン中毒に帰した[97][98]。劣化ウラン弾が用いられる戦争で闘ったイギリスの兵士の子供は、父親から伝えられる遺伝的疾患、例えば先天的に肢体が不自由な性質、一般的には「先天的障害」と呼ばれているものを被るさらに大きなリスクを抱えている。イギリス軍の研究において、「全体的に男性によって報告された妊娠中における先天的に肢体が不自由になることのリスクは湾岸戦争の兵役を経験していない者に比べて、湾岸戦争の兵役経験者において50%高いものになっていた[99]。」

アメリカ陸軍は、劣化ウランと1993年以来劣化ウランの代わりにアメリカ海軍が用いているタングステンのような他の弾丸兵器の物質の潜在的リスクに対する継続的研究を委託した。アメリカ軍放射線生物学研究所による研究は、劣化ウランやウランのいずれかによる普通の被曝は有意な毒性学的恐れを示していると結論づけている[100]。

さらに高いリスクに直面しているかもしれない兵役経験者のある特定の一部のグループは、榴散弾の傷から劣化ウランの破片を体内に有している人々を含んでいる。軍放射線生物学研究所により実験室において行われたラットの研究は、6ヶ月の研究期間の後、劣化ウランの破片を体内に有していた砂漠の嵐作戦における兵役経験者の尿における平均レベルと比較し、注入されたペレットから生じる劣化ウランで扱われたラットは、コントロール群に関して体重を減少させる有意な傾向を明らかにしていることを示していた[101]。

ウランのかなりの量はかれらの脳や中枢神経系に蓄積しており、外部の刺激に対する海馬の神経活動における有意な減少を示していた。研究の結論は、慢性的なウラン中毒から生じる脳の損傷は以前に考えられていたより低線量においてありうることであることを示している。1997年に行われたコンピューターベースの認知神経科学的なテストからの結果は、尿におけるウランと「パフォーマンスの効率や正確さを評価する自動テストにおける問題のあるパフォーマンス」との関係を示していた[102]。

2003年に劣化ウランにおける王立協会のワーキンググループの議長であるフェローのBrian Spratt教授は、「誰が最初のモニタリングと除染をするのかといった疑問は科学的疑問というよりは政治的なものあり、政治提携は、劣化ウランが潜在的に危険であることを認識し、どこでどの程度劣化ウランが展開されているかについてオープンにすることによってそれに取り組むことに迫る必要がある」と述べていた[37]。

4.4 イラクの人口

2001年以来、イラク南部のバスラの病院において医療スタッフは、湾岸戦争に続く10年間に生まれた乳児において小児白血病や遺伝的に肢体が不自由になる状況の発症における急激な増加を報告していた。イラク人の医師はこれらの肢体が遺伝的に不自由になる状況の原因を劣化ウランの潜在的長期的影響、そしていくつかの新聞によって繰り返されている意見に帰していた[74][103][104][105]。2004年にイラクは全ての国の白血病において最も高い死亡率を有していた[106]。イラク人の医師によって求められているように[107]、ウラン兵器を禁止する国際連合(ICBUW)はバスラの地域における疫学的研究を支持することを求めているが、何の査読研究もまだバスラで行われていない。

医学的調査であり、2010年7月に公表された「2005年から2009年までのファルージャにおける癌、乳児死亡率、出生性比」は、癌と先天的障害における増加が驚くほど高く、2009年から2010年までの乳児死亡率が13.6%に達していることを示している。そのグループは、2004年における実際の戦争や被曝の後の5年間における急激な増加を、バルカン戦争の後展開されたイタリアの平和維持軍のリンパ腫[108]やチェルノブイリのフォールアウトによるスウェーデンのある地域における発癌リスクの増加と比較している。遺伝的ストレスの原因となる発癌作用を引き起こす原因と時期について、そのグループは別のレポートの中で述べるだろう[109]。

4.5 1999年におけるNATOのユーゴスラビア爆撃

2001年にKosovska Mitrovicaにあるセルビア人経営の病院の医師は、悪性疾患を被る患者の数が1998年以来200%増加したと述べている[110]。同じ年に世界保健機関(WHO)はコソボからのデータは結論のでないものであり、さらなる研究が求められると報告した[111]。

ボスニアヘルツェゴビナにおける国連環境計画(UNEP)による2003年の研究は、低レベルの汚染が劣化ウランの貫通衝撃点における飲料水と大気中の粒子において見受けられると述べていた。そのレベルは警告のための原因にならないものとして述べられていた。しかしUNEPの劣化ウランプロジェクトの議長であるPekka Haavistoは、「この研究の知見は紛争後の状況において適切な除染と市民防護の措置の意義を再度強調するものである」と述べていた[112]。

4.6 影響がほとんどないことを示す研究

2005年とそれ以前の研究は、劣化ウラン弾は測定できる決定的な健康への影響を有していないと結論づけていた。

1999年の文献であるランドコーポレーションによって行われたレビューは、「吸入されたか、経口摂取されたか否か、もしくは非常に高い線量でさえ、癌や劣化ウランや天然ウランにおける被曝から受ける放射線に関連した全ての他の健康上の悪影響に関し文献の中に記録された証拠はない」[113]と結論づけ、劣化ウランの危険性を評価することにおいて責任を負っているアメリカ国防総省次官によって著されたランドレポートは、議論を科学に基づくものというより政治的なものであると考えていた[114]。

2001年における腫瘍学の研究は、「現在の科学におけるコンセンサスは、劣化ウラン弾が展開された場所における人間に対する劣化ウランによる被曝は癌を誘発させる可能性が非常に少ない」と結論づけていた[115]。元NATO事務総長であるRobertson卿は2001年に、「存在している医学的コンセンサスは明確である。劣化ウランからの危険性は非常に限定的であり、非常に特定の状況に対して限定的である。」[116]と述べている。

オーストラリアの防衛省による2002年の研究は、「ウラン処理産業においてウランにより被曝した労働者における死亡率や罹患率において確立された増加は存在していない、そして湾岸戦争の兵役経験者における研究は、傷に関連した戦闘により劣化ウランの破片を体内に有する人々において、尿中の増加したウランレベルを検出することは可能であるが、追跡調査の10年後において劣化ウランに関連した腎臓における毒性や他の健康上の悪影響を検出することは不可能だった」[117]と結論づけた。Pier Roberto Danesi、当時の国際原子力機関(IAEA)のSeibersdorf研究所の所長は2002年に、「現在劣化ウランは健康上の脅威としてみなされていないといったコンセンサスが存在している」と述べている[118]。

IAEAは2003年に、「他の重金属と同じように劣化ウランは潜在的に有毒であるものの、劣化ウランと人間における癌や他の有意な健康上もしくは環境上の影響における増加との証明された関連は存在していない。十分な量において、もし劣化ウランが経口摂取され、吸入されるならば、その化学的有毒性のため、それは有害である可能性がある。その高い濃度は腎臓の損傷の原因となる可能性がある。」と報告していた。IAEAは、劣化ウランは潜在的に発癌性を有する一方、それが人間に対し発癌性を有している証拠は存在していないと結論づけた[119]。

Sandia国立研究所のAl Marshallによる2005年の研究は、1991年の湾岸戦争の間、劣化ウランによる偶然の被曝と関連した潜在的な健康への影響を分析するために数学的モデルを用いていた。Marshallの研究は、劣化ウランからの発癌リスクのレポートは兵役経験者の医学統計によって支持されていないと結論づけたが、Marshallは生殖における健康への影響を考慮していなかった[120]。

4.7 アフガン戦争の結果としての汚染

カナダのウラン医学研究センターは、5ng/L以下というイギリス人口における基準となる濃度よりはるかに高い、劣化ウランの80〜400ng/Lという濃度を示したジャララバードにおける爆撃を受けた民間人の地域からの尿のサンプルを手に入れた。

4.8 2006年のレバノン戦争の結果としての汚染

土壌と水のサンプルは2006年のレバノン戦争の結果においてKhiamから採取された。15のサンプルのうち、2つが高レベルの劣化ウランを含み、4つのサンプルが低濃縮のウランを含んでいた[122]。さらにベイルートからの15の尿のサンプルが検証された。2つは低濃縮のウランを含んでいることが検出され、1つは高レベルの劣化ウランを含んでいることが検出された[123]。

4.9 軍事行動の結果としての大気汚染

非常に低レベルの劣化ウラン汚染と一致する増加した放射線レベルはイギリスのいくつかのモニタリングサイトにおいてイギリス核兵器公社によって採取された大気中のサンプルの中に検出されていた。これらの増加した記録は、アフガニスタンにおけるアナコンダ作戦や第二次湾岸戦争の開始時における「衝撃と畏怖の爆撃作戦」と一致しているように思われる[31][124]。

4.10 他の汚染事例

1992年10月4日にエル・アルボーイング747-F貨物航空機の1862便はアムステルダムのアパートの建物に墜落した。地元住民と救助隊員は、墜落とその後の火災の間に有害物質の放出したことに起因しているさまざまな予期せぬ健康問題に不満を訴えていた。当局は、事故によって影響を受けていると信じられているこれらの人々において2000年における疫学的研究を行った。研究は、劣化ウラン(航空機のエレベーターにおいて均衡を取る重みとして用いられている)と報告されたいかなる健康上の不満とも関連性があると示す証拠が存在しないと結論づけた。

June 19, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
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June 12, 2011

1975年にBithellとStewartがOxford Survey(OSCC)を再検討した論文に対して一考察

福島に関し、疫学上100mSv以下の被曝において人体に対する健康上の被害は確認されていないといった専門家、メディア、行政側の言説を耳にすることが多かったが、この記事はそれに対する反証になり、Oxford Survey(OSCC)が示している10〜20mSvの被曝において"15才までの子供たちの間における発癌率が40%増加する"とは具体的にどういったことかを示すものになる。

始めにこの記事に対するありうる反証は、1. 本論文における分析は十分な標本のサイズを有していない、2. 母親の記憶に基づく回想的調査のためバイアスを含む可能性がある、3. 広島と長崎における807人のケースと比較するとリスクの推定値が10倍異なっている、4. スウェーデンにおける子宮内で照射の後白血病を発症する症例の増加が見られなかったといったことになり、2.については本論文中に言及があるものの、10〜20mSvの被曝における子供や大人に対する外挿においては注意を要するとの見方がフランス科学アカデミーによって示されていることが追記される現状になる。

本論文によれば、1953年から1967年までのオックスフォード調査からのデータを用いているが、フィルムあたりの平均した胎児の被曝線量は1945年の460mradから1965年の約200mradに減少しており、それは4.6mGyから2mGyといった吸収線量に換算することができるが、X線の放射線荷重係数を1とすると4.6mSvから2mSvに収まり、5枚X線撮影をしたとすると、23mSvから10mSvに収まることになる。

BithellとStewartの表11によれば、1181人のケースにおいてリスクの推定値1.47の95%信頼区間は1.34から1.62になり、これは2mSvから23mSvの間に収まる被曝をしたときに子宮内における被曝による15歳までの小児癌における全体としてのリスクが95%の確率で被曝していない状態に対する34%の増加から62%の増加の間にある推定値に収まることを示している。そして妊娠時に3枚X線撮影をしたときの胎児の被曝線量が6mSvから13.8mSvの間に収まるときに96人のケースにおいてリスクの推定値1.54の95%信頼区間は1.13から2.11になり、これは子宮内における被曝による15歳までの小児癌におけるリスクが95%の確率で被曝していない状態に対する13%の増加から111%増加の間にある推定値に収まることを示している。

またBithellとStewartの図1によれば、2mSvから4.6mSvの間に収まる被曝から10mSvから23mSvの間に収まる被曝へと線量が5倍増加したとき、小児癌におけるリスクが増加することを示している。

専門家、メディア、行政側がこういったことを既知として「ただちに健康に影響はない」といったことを発言することは既得権益における構造の保護を考慮した不適当なものであり、本論文は外部被曝に関するものであるが、胎児における低線量の内部被曝の暫定規制値の妥当性に対し疑問が投げかけられることにも変わりはない。

前回同様これが全てであるとは言及しないが、BithellとStewartによる『胎児照射と小児悪性腫瘍:オックスフォード調査からのイギリスのデータの再検討』の一部を訳すことにより上記の知見をサポートすることにする。URLは以下に示されるとおりになる。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2009418/pdf/brjcancer00324-0002.pdf

Bithell, J.F., and A.M. Stewart、1975年、胎児照射と小児悪性腫瘍:オックスフォード調査からのイギリスのデータの再検討、Brit J Cancer 31:271-287

要旨

この論文は小児癌におけるオックスフォード調査からの産科撮影に関するデータ、つまり1953年から1967年までの死亡例を再検討している。8513の症例が同数の該当する対照例とともに分析の中で追跡され、用いられている。相対的なリスクの推定値(全体で1.47)は、異なった死亡時の年齢に対する異なった腫瘍グループの間や性別間において有意に変化していない。母親の年齢、社会階級、住居のある地域、母体罹病率といったその他の疫学的要因が分析され、関連性において幅のある程度を示しているが、選択された影響に関し、観察されたリスクを説明できるほど十分ではない。リスクの被曝をともなうX線撮影に対する依存は十分に有意であり、線形関係によってよく記述されている。被曝のタイミングと理由が同様に検証されている。生年によるリスクの分析は固形および造血腫瘍の双方に対しリスクの一定の減少のパターンを示しており、このことは部分的には被曝をともなうX線撮影あたりのさらに低い線量に起因しているかもしれないが、同様に用いられたX線撮影におけるさらに少ない回数によるものである。その結果、小さな臨床的意義を常に有するリスクが将来の調査において実質的に検出できない可能性がある。

小児癌のオックスフォード調査(O.S.C.C.)は1953年以来イギリスにおける悪性疾患で死亡するすべての子供における継続的な回想的研究になる。もともとは10歳以下の死亡例のみをカバーしていたのだが、それ以来生存している症例や15歳までの子供を含めるために拡張されてきたものになる。

最初にStewart他(1956)によってレポートされるように、この調査の主な発見は子供における胎児期の照射の影響になる。最初の結果はすぐに確認され(Stewart,Webb,Hewitt,1958)、そのときのデータは10歳以前に悪性疾患を発症する照射された子供のリスクが2倍になることを示している。

当然のことながら、この重要な発見はかなりの関心と論争を呼んだ。オックスフォードのデータは綿密に調査され、多くの批評がなされた。特に母親の記憶を部分的に信頼するオックスフォード調査の回想的性質はあきらかにある程度のバイアスを含んでいる可能性があった。

このため多くの予見的研究が行われた。これらの研究の内最大のものはアメリカ北東部で行われ、放射線の記録において妥当であるとして選ばれた37の大きな産婦人科医院において生まれた100万人の子供のほぼ4分の3における癌と白血病の数を追跡していた(MacMahon,1962)。(情報は回想的な方法で得られていたが、技術的な期待を伴うものであり、確かに症例管理におけるバイアスの可能性を除外していたので、MacMahonの調査は公平であるとみなせる)この研究はオックスフォード調査により最初に生じた科学上の問題に決着をつけるものであると言うことはおそらく正しいだろう。

MacMahonは1.42というリスクを推定し、それは一見するとオックスフォード調査で得られるよりかなり低いものになった。このことはおそらく、後者におけるさまざまな小さなバイアス、予見的研究においてさまざまな付随する要因を標準化することがさらに簡単になったという事実、同様にこの期間を超えたリスクは放射線技術の改善によりほぼ確かに減少していたという事実によるだろう。

したがって2つの調査の結果は最初に公表されたものより矛盾が少ないものになる。しかし一方で他にいくつかのさらに小規模な予見的研究がなされているものの、不十分なサンプルのサイズのため主に決定的な結果をともなっていないと思われる。Court Brown,Doll,Hill(1960)の研究は例えば、真のリスクにおける2倍の増加に気付く良い機会を有するに十分なほど大きいものであるけれども、オックスフォード調査の初期の知見から予期されるように、観察される白血病の割合における5000の増加を統計的に有意であるとみなしていない。実際には期待される数より少ない(10.5に対する9)照射された子供において観察された症例が存在しており、回想的にはこれは偶然によるものであるとの十分な可能性があるが、オックスフォードの主張に対しいくつかの疑問を投げかけるものであると思われている。MacMahon(1962)は見事に状況を検討し、こう書き記している。「要約すると・・・現在の研究に観察されるように、これらの研究(7)の1つとしてリスクの増加が示されない仮説と40%のリスクの増加が示される仮説(1.4という相対的リスク)との間を区別するための十分な標本のサイズを有していない。」問題はもちろん、予見的研究は子供における悪性疾患のようなまれな疾患に対する病原因子を検出する十分な機会を有するために非常に大規模になされる必要があるということになる。

最も最近に行われた予見的研究(Diamond,Schmerler,Lilienfeld,1973)は同様にややあいまいな結果を得ており、現代のX線検査における線量の減少の観点から、MacMahonの調査は決定的な予見的研究のままであろうといったことは非常にありうることになる。一方、オックスフォード調査は異なった要因の間におけるさらに複雑な関係を調査するためにユニークな立場にある。

科学の世界の大部分は低レベルの照射における発癌性に対し証拠を有しているけれども(Mole,1974)、今なお長引いた論争が存在しており、それは主に一方でオックスフォード調査から得られるラドあたりのリスクの推定値と他方で日本の原爆生存者におけるABCCデータからの推定値が一致していないことに基づいている。主な議論は現在、以下で検証されるX線を照射された母親とX線を照射されていない母親の比較可能性に依存している。

しかし本論文の主な目的は低レベル放射線リスクの存在の有無に対する批判的な検討ではなく、むしろ私たちはそのことを前提として受け容れ、他の利用できる情報に関してO.S.C.C.を検証したいと願っている。

一旦この前提を受け容れると生じる興味深い可能性の1つは、別個のグループとしての放射線を原因とする症例やそれらの特性の区別における識別になる。このことにおける困難は、1.5という相対的リスクや10%というX線を照射された人口における頻度をともなってさえ、全ての症例のわずか約5%が放射線を原因とするものであるといったことにある。このことは、いくつかのかなり高度な技術が含まれる確率や分布を推定するために求められていることを意味している(Kneale,197 1)。ここでこれらの議論や分析を繰り返すよりむしろ、私たちはデータにおける比較的簡単な記述に限定されるべきであろう。唯一のなされるべき技術的試みは、出生コホートに対する死亡時の異なった年齢やその逆におけるリスクの推定値を標準化するための分析になる(同様にBithell,1975を参照せよ)。

結果

(4) 線量反応関係

観察されたX線の影響の妥当性に対する補完的な証拠の内最も説得力のある要素の1つは、それが推定された被曝とともに増加することになる。表11は病院の記録と一致した相対的リスクや何枚のフィルムが被曝されたかを示しており、これはケース群とコントロール群の双方の約60%に対し利用できる。関連している妊娠期間中いくつかの腹部のX線検査が影響を受けていることを示す最初の調査における詳細がここや次のセクションにおいて分析されている。リスクの一様性に対する簡単な検定は(未知のカテゴリーを除外する)χ2=11.3、自由度4を与え、それは5%水準で有意になる。しかしトレンドはフィルムの枚数にともない強く増加する傾向にあり、トレンドに対するχ2を除外することは線量反応関係に対するかなり強い証拠を与えており、χ2=10.5、自由度1になる。

フィルムの枚数や被曝あたりの線量における変化に対し近似の考えを用いることに対する相当の困難さを考慮すると、時期と異なった病院における双方に関し、影響がその考慮と同じくらい明白になることは驚くべきことである。

定量的関係を得るために被曝データを分析することにおいて多くの方法が存在している。例えば図1はフィルムの枚数に対するリスクの増分をプロットした結果を、そして線形荷重回帰をあてはめた結果を示している。(ケース群とコントロール群の双方がX線照射されたペアを除去することによるマッチングを利用し、この分析におけるリスクは独立した推定値として計算されている。)回帰直線が事実上原点を通り(切片は0.066±0.12になる)、0.180±0.06といった傾きをもつことが理解されるだろう。もし私たちが曲線に原点を通り、logをとる制約をおくならば、私たちは、時間にともなう被曝の変化を許容するさらに広い分析においてStewart and Kneale(1970)によって得られる0.915±0.329と甚だしく異なっている訳ではない結果になる、1.06±0.27といった関係を有する次数とべき乗則の指標を推定することが可能である。そのため証拠はリスクとフィルムの枚数との間の関係が線形になる点で非常に説得力のあるものである。

他の著者は異なるアプローチを採用している。例えば実際Newcombe and McGregor(1971)は、リスクの推定値における信頼区間の幅のため、線形以外の関係を除外することができないと議論している。しかしHolford(1974)は仮説に対する支持という統計的概念に基づいた分析によりこの観点に反対しており、図1から期待されるかもしれないものは線形の仮定がかなり最も蓋然性が高いことになると結論づけている。有意性検定のさらに古典的な理論は本質的に同じ結果を与えており、例えば二次の曲線をあてはめることは有意に改善されていないあてはめを与えている。

フィルムあたりの線量を推定する試みは、本当の線量反応曲線が信頼できる情報の欠如と産婦人科における技術が研究の期間におけるフィルムあたりの線量における注目される減少をおそらく導いた事実によって得にくいことを考慮している。Stewart and Kneale(1970)の計算は、フィルムあたりの平均した胎児の線量は1945年の460mradから1965年の約200mradに減少しているといった仮定に基づいている。このことは100万人の胎児とラドあたりの572±133という推定されたリスクを導いていた。かなりの論争が、この推定値と広島と長崎の原爆生存者からの研究から得られる推定値との明白な不一致によって生じている(Jablon and Kato,1970)。10歳までの追跡調査は被爆時の子宮内の子供における悪性疾患の唯一のケースを明らかにしており、これは線形線量反応直線におけるオックスフォード調査の推定値を外挿することによって予測されるだろう値より何倍も小さいものになる。

しかし後者の推定値における統計上の誤差は出産前のX線診断における実際の線量についての不確実性とともに重要でないといったことが明らかである。Mole(1974)は状況を再検討しており、もし計算における全ての仮定がその意図で選ばれているならばそのときのみ、原爆照射に対する日本のデータから得られるリスクはX線診断に対する推定値と一致するとみなされることができると結論づけている。さらに彼はそのとき、細胞の滅菌における放射線生物学上の知識や線量反応曲線の非線形性の結果に照らしてこれらの仮定に疑問を投げかけている。

ディスカッション

上記から示唆されるように、疫学的観察から特定の関係が特定の方向で因果関係を説明されることをはっきりと結論づけることは論理的に不可能である。同様に回想的研究が必然的に予見的調査によって共有されない困難さを含むことも事実である。情報の点で大きな可能性を有しているため、それは回想的研究の価値がないことを示していない。

私たちが本論文でしようとしたことは、オックスフォードのデータは公正で、体系化されているので、そのデータをユニークなものとして示すことである。リスクがさまざまな疫学的要因に対し標準化されるとき、推定値において小さな減少が生じることは事実であるが、しかしこのことは放射線の関係を完全に説明するには非常に不十分である。またMole(1974)によって指摘されているように、非常に異なる照射率にもかかわらず双生児における死亡率の増分が単生児における割合と非常に類似している事実はX線照射の影響を受けやすい症例の選択におけるX線増加の可能性に対し強く作用している。

もし照射された症例が特に年齢と腫瘍のタイプに関して照射されていない症例とのさらなる違いを示しているならば、本物の因果関係はさらに説得力を増し、おそらくさらに事前の期待に沿ったものになるだろう。しかし特にもし私たちがまだ病原面で原因不明であるが小児腫瘍の大部分が低レベル放射線の分子における影響に類似したプロセスにより子宮内で始まっていると推測するならば、そのような違いが存在していないことは本質的に放射線リスクの仮説に対し不利に作用しないだろう。

また産婦人科におけるX線撮影の発癌性への影響についての疑念に対し、リスクとX線撮影の回数における極度にもっともらしい関係が決定されるかもしれない。事実、予測と一致してとてもうまくいっているようであるが、照射プロセスの全ての属性、推定された線量同様、理由、タイミング、年は、かなり説得力のある補完としての支持を放射線リスクの仮説に対し与えている。確かに他の点においてオックスフォードのデータにおける完全な説明は最も精巧で独創的な仮定の集合を必要としているだろう。

最後に、放射性発癌の最も単純なモデル、離散的な細胞における出来事を表現するポワソン過程のモデルは明確に照射による低レベルの影響を予測するだろうといったことを述べてもよいかもしれない。閾値の存在は、複数のヒット過程のみならず修復能力における考えと一致していないさらなる広範な仮定を必要としている。1つはそのため、最も単純で最も明白な含意ほど決定的な証拠を受け容れていない通常のOccamの剃刀の状況にあり、いかなる照射も潜在的に発癌性を有し、子宮内における被曝のラドあたりのリスクは大雑把にオックスフォード調査で示唆されるものに沿ったものになる。

June 12, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
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May 29, 2011

CERRIEによる報告をICRPの勧告と比較して考えたこと

セラフィールド近郊のシースケールにおけるCOMAREの誤りに関し、内部被曝の不確実性に対し十分な考慮がなされていなかったことが指摘されており、その点で現在の福島における内部被曝の現状に対し十分な考慮がなされているだろうかといった問題意識が、厚生労働省や食品安全委員会に対して投げかけられることになる。

ICRPの勧告は、微量線量測定法、誘発されたゲノムの不安定性、バイスタンダー効果、癌のメカニズム、生殖細胞系のミニサテライト変異といった現時点における生物学的知見といったものを十分に取り込んでいないといった指摘が同様になされており、福島の事故を受けて、食品安全委員会はICRPの考え方に立脚した施策を立案することで十分としているが、その暫定規制値の考え方の前提と細部に対し疑問が投げかけられることになる。

具体的にはICRPがリスクを算定する際に用いている放射線荷重係数(wR)や組織荷重係数(wT)に関し、wRは観察されたRBEを考慮しているが主観的な値であり、他に適切なRBEがあるならば利用できる最善のデータを用いるべきであるといったICRPの指摘と、粒子の化学形により摂取の状況が異なるといった理由から計算される組織線量係数に関しかなり大きな信頼区間を有する可能性がある推定値を放射線防護のために用いているといった指摘を考慮する必要があるだろう。

分かりやすく言えば、分散が大きい推定値をリスク算定の前提として考慮し、安全性の根拠に用いている食品安全委員会の姿勢はいわゆる風評被害を拡大させる方向に作用させるだけではなかろうかと考えることがあった。つまり推定値の分散が大きいならば予防措置としてはさらに大きな値を用いることが必要とされているのだが、そのような説明はなされていない現状がある。さらに申し添えるならば、暫定値なのだから現状と前提に関わる知見が纏まっているならば逐次修正していくことが求められてしかるべきだろうと考えることがある。

そして疫学に関わるレポートを読み込めば読み込むほど理解されることだが、彼らは基本的に治療に携わる訳ではないから、被験者は多ければ多いほどよいといった考えを有しており、予防措置をとり予め被験者になりうる立場にある人々の数を減らすといったことを考慮していないのは、行政やメディアのパブリケーションを含めて考慮しても、改めるまでもなく、被害が現在進行中であるといった認識を避ける意図があるからであろう。個人的に私は事実は事実として向かい合わなければならないといった見方に立っている。

これまでチェルノブイリ事故による、大気核実験のフォールアウトによる知見に触れることなく、放射線は目に見えない、そして放射線に纏わる文献は外国語で記されており一般には知られることがないといった知識の間隙を縫って行政側からそしてメディアにおいて安全性を謳う声が多方面に亘り流布していたのだが、正しい知識を身に付けるとはどういったことかを示してみたいと考えるときがある。そしてこれが全てであるとは言及しないが、CERRIEのレポートの一部を訳すことにより上記の知見をサポートすることにする。URLは以下に示されるとおりになる。
http://www.cerrie.org/pdfs/cerrie_report_e-book.pdf

内部放射体の放射線リスクを検証する委員会の報告(CERRIE)

1 イントロダクション

1.1 バックグラウンド

3 放射線リスクは放射線防護委員会(ICRP)によって推定されている。それらは欧州連合によって認められ、国立放射線防護委員会(NRPB)からの助言とともに英国に適用されている。これらのリスクは主に、広島と長崎の原爆投下からの非常に短時間の外照射による健康への影響から得られている。重大な関心は、これらのリスクが内部放射体からの慢性的な照射の健康への影響を予測することに対し適切に適用されることにおいて、それが妥当であるかどうかにある。また多くの疫学的研究は内部放射体により被曝した集団を用いて行われている。これらは、地下で活動する鉱夫とラドンやその崩壊生成物により公共の場で被曝した一員、ラジウムの放射性同位元素を摂取した個人、放射性造影剤トロトラスト(Th232を含む)を注入された患者、高レベルのプルトニウムにより被曝した旧ソ連の労働者を含むものである(UNSCEAR,2000,IARC,2001)。これらの研究は、日本の原爆生存者から得られたリスクと内部放射体からのリスクにおいていくらか直接の比較を可能にした(Harrison and Muirhead,2003)。

4 当時世界最大の商業核燃料再処理施設があったセラフィールド付近のシースケールの村において子供の白血病と他の癌の増加が発見されたことに随い(2)、放射線リスクに対するICRPのアプローチにおける議論が1983年に高まった。Black Advisory Groupによるその後の調査のレポート(1984)に随い、政府はさらに問題を調査するために環境における放射線の医学的側面に関する委員会(COMARE)を1985年に設立した。COMAREの最初のレポート(1986)は、セラフィールドの記録された放出や測定された放射性核種濃度から計算される推定された放射線線量は約400の要因によるものになり、非常に小さく、シースケールの子供における白血病の発症率の増加を説明することができないと結論づけた。COMARE(第4報,1996)の現在の見解は以下のようになる。「…シースケールの人口に対する放射線線量の現段階における最良の推定値ははるかに非常に小さいものになり、研究された時期における村の若い人々において発症した白血病や非ホジキンリンパ腫の症例に関する観察された数を説明することができない」

2 1983年11月1日に放送された「Windscale –The Nuclear Laundry」といったヨークシャーのテレビ番組により報告される。

5 放射性物質の世界最大級の放出源の1つに隣接した明確な白血病群の発生は偶然か、いくつかの他の不確定要因によるといった見方を、ほとんどの環境団体や一部の科学者は受け容れなかった。彼らの見解によれば、より単純な説明は、ICRPのリスクモデルが不正確であり、これらのモデルの再評価が指摘されているといったことだった。この見解は特定の他の原子力施設付近の白血病群の観察によって補強されている。第2章で議論されるように、多くの最近の科学的レポートは、いくらかの内部放射体に対するICRPの線量係数が相対的に大きな不確実性に関連していることを示している。その結果、何人かのCERRIEのメンバーは、(第3章の41、第4章の45〜49を参照せよ)シースケールにおける内部被曝の推定値に関する不確実性は十分に大きく(特定の放射性核種や組織に対して2ケタ以上のオーダーの大きさになる)シースケールにおける影響の要因として放射線を除外するのは妥当ではないだろうと結論づけた。一方、一部の科学者は原子力施設から離れた地域における子供の白血病群の存在を指摘している。彼らの見解では、農村と都市の人口の混合は原子力施設に隣接しているか離れているかといったことがこれらの群の全てではないにせよ大半を説明するための重要な要因になるかもしれなかった。また、現在の放射線リスクの推定値における本質的な誤りは他の疫学的研究の知見に対する含意を付随しており、全体の誤りを示唆することを支持するこれらの研究からの証拠がほとんど存在していないことによる(例えば、Stevens他,1990,Darby他,1992を参照せよ)。また一部のメンバーによりなされた視点は、セラフィールドに起因する内部被曝(そして他の原子力施設付近においてさらに低く推定された被曝)は自然に発生する放射性核種から受ける被曝よりかなり低いといったことだった。

6 一部のメンバーにより呈されたもう1つの懸念は、1986年4月におけるチェルノブイリ原子炉事故において放出された放射性核種によるヨーロッパ中に対する影響の程度になる。これらのメンバーは、事故後多くの国で発生した乳児白血病や事故の結果として照射された個々の子供におけるミニサテライト変異に対するデータを引き合いにだしている。彼らは、これらの研究が内部放射体からのリスクを大幅に過小評価している強い証拠を与えていると示唆している。環境団体や一部の科学者の関心の原因となるもう1つの要因は、どの刊行物が研究によって資金を与えられていたかといった問題になる。これらの要因と見解の違いは、科学的根拠に基づく政策に対する公衆の信頼における低下が報告される事実とともに(例えば、Beck,1992を参照せよ)、内部放射体からの放射線による被曝の放射線リスクの緊密な検証を政府が必要としていると認知することをもたらした。

1.2 フォーマット

14 2003年6月に委員会は、さらに広い人々に情報を与え、コメントを受け取るためにその研究の調査レポートを公表した。2003年7月に委員会は、調査レポートや当時の委員会の知見を議論するためにオックスフォードにあるセントキャサリンズカレッジで3日間のワークショップを開催した。ワークショップには世界中から招かれた約80人の代表が参加し、それはICRP、UNSCEAR、NRPB、国際保健機関、政府部門や規制当局、グリーンピース、フレンズ・オブ・ジ・アース、低レベル放射線の問題に関心がある地域にある英国のグループからの代表や、幅のある見解を有する国際的な科学者を含むものである。ワークショップは、参加者によって低レベル放射線のリスクにおける議論に役立つ貢献がなされることを考慮している。ワークショップでなされたプレゼンテーションは委員会のウェブサイトで発表されており、その参加者のリストとともにワークショップにおけるレポートは付録Bに含まれている。ワークショップで述べられ、提出された見解の多くは委員会によってその後考慮されている。

2 内部放射体からのリスク

パート1

イントロダクション

どのように我々は放射線を定量化するのか。

12 これらの理由から、内部の放射線核種からの放射線線量の推定は必然的に複雑になる。そのプロセスは、しばしば多くの科学者によってそして全てではないが公衆の普通のメンバーによってぼんやりとだが理解されている。それゆえ癌や遺伝的影響に対するリスク要因は外部や内部といった全てのタイプの放射線に適用されることが可能であり、ICRPは、異なった放射源からの線量の追加を許容するスキームを展開した。簡単な用語で言えば、これは順に行われる以下の4つのステップを必要としている。

a 各々の組織における放射性核種濃度の推定(代謝モデルを用いて)

b これらの濃度の吸収線量への変換(線量モデルを用いて)

c 吸収線量の第2の概念-等価線量への変換(異なったタイプの放射線を考慮した放射線荷重係数、wRと呼ばれる変換係数を用いて)

d 等価線量の第3の概念-実効線量への変換(各々の組織の異なった放射性感受性を考慮した組織荷重係数、wTと呼ばれるもう1つの変換係数を用いて)

13 結果として得られる実効線量は、癌や遺伝的影響のリスクを基礎にした線量限界(そして制限)と比較される(4)。ICRPは、実効線量は疫学的研究や人体被曝に対する他の研究ではなく放射線防護上用いられることを意図した量であることを明らかにしている。これらについて、器官や組織における吸収線量や問題になっている放射線のタイプに関連した特定のデータが用いられるべきである。

4 ICRPは致死的な癌のリスクを挙げており、致死的でない癌や遺伝的影響に対する付随的な要素を含めている。放射線からの致死的でない癌の影響、例えば心血管系への影響は含まれておらず、それはリスクのもとになる疫学的、機械的データの不足による。

現在のリスク推定における不確実性

17 上記のモデルによって計算された線量は単一の値にはならないが、幅をもった可能な値になり、しばしばベル型もしくは類似した形状の分布曲線によって示されている。現在のICRPの線量係数(5)は単一の値として示されている(通常最も確からしい値つまり分布曲線の高い点)。多くの場合、値の範囲は広くなりうる。これらのモデルの不確実性はしばしば曲線における5パーセンタイル値に対する95パーセンタイル値の割合として定義され、これはこのレポートで用いられる定義になる。最近の研究は確率的手法を用いて不確実性を定量化しようとしており、いくつかの研究(Goossens他,1997,NCRP,1997)は、いくつかの放射線核種の組織線量係数における不確実性は非常に大きくなる可能性があると推論している(パート2のセクション2.7を参照せよ)。

5 器官/組織に対する等価線量や特定の放射線核種における1Bqの経口摂取や吸入からの体に対する実効線量として定義される

パート2

2.1 イントロダクション

8 原爆のリスク要因(外部γ線から)を外部と内部の双方といったあらゆるタイプの放射線に適用するために、共通の線量単位がICRPによって考案されてきた(1991)。このスキームでは、被害の放射線単位は等価線量として定義され、シーベルト(Sv)で測定されている。任意のタイプの放射線にとって、異なった放射線のタイプのRBEにおける違いを考慮するために、この生物学的等価線量は、吸収線量(グレイによって測定された物理的線量)に倍率や放射線荷重係数(wR)を掛けることによって計算される(上記のセクション2.2を参照せよ)。実際に、内部放射体のためにICRPによって定義されたwR値はα粒子に対しては20であり、他の全ての共通の体内放射線のタイプに対しては1である。

9 等価線量が特定の器官や組織における特定の癌のタイプにおけるリスクを推定するために使われているのは、全身放射線被曝に関連した線量限界や癌の誘発と遺伝的影響の全体のリスクを特定することが一般的な放射線防護の目的にとって都合がよいからである(ICRP,1991,Dunster,2003)。この目的のために、放射線に誘発された癌、遺伝的影響、関連した健康被害の全体のリスクに対するその組織の寄与を考慮した組織荷重係数(wT)、乗数(9)を用いて、全ての放射源(外部と内部)からの組織に対する等価線量はいっしょにされている。この計算の結果はシーベルト(Sv)で測定された実効線量と呼ばれている。実効線量は放射線被曝の全ての放射源を説明し、線量限界と制限との比較を許容している。

9 体に対する全ての組織荷重係数の合計において定義によって統一性が存在している。

10 個々の器官や組織に等価線量と実効線量の双方を与え、ICRPは個々の放射線核種の摂取(セクション2.6を参照せよ)に対する線量係数(1BqあたりのSv)を公表している(ICRP,1989,1993,1994b,1995a,1995b,1996)。モデルを用い、線量は一般的に70歳まで(子供にとっては50歳まで)加算され、預託線量と呼ばれている。線量限界や制限は預託実効線量に関連しており、放射線に誘発された癌や遺伝的影響に対するリスクの推定値に基づいて設定されている(ICRP,1991)。等価線量と実効線量の双方は異なった放射線核種と外部放射線からの寄与の合計を許容している。

11 ICRPは線量係数における不確実性に関する情報を公表していないが、派生した線量とリスクの信頼性が目的とされる適用に関して重要な要因となることは明白である。(セクション2.7を参照せよ)。不確実性は線量計算の各段階で生じるだろう、そしてその段階とは、体内動態や線量モデルの使用、異なったタイプの放射線を同一視しようとなされる仮定(RBEを通じて)、全身線量を与える異なった組織の照射からの寄与の合計(組織荷重係数を用いて)、そして全てのリスクを導出することを示している。放射線の放射のタイプやエネルギー、その化学形、体における振る舞いの複雑性と知識、モデルパラメーターが基づいているデータの有用性に応じて、線量推定値における不確実性は放射線核種の間でかなり変化している。短いレンジの荷電粒子の放射による組織や細胞内における線量伝達の不均一性に関して重要な問題があり、その程度に関し、現在のモデルは十分に生物学的対象とのそのような相互作用やリスクのある対象となる細胞の特定を示している。事実、細胞や分子のレベルでの相互作用を考慮すると、吸収線量の実際の考え方は疑問であり、ときとして意味がないものになることになる。

2.2 相対的な生物学上の効果

14 様々なタイプの放射線は癌や遺伝的影響の原因となるその影響力において異なることが知られている。これらの違いは、染色体DNAを含んでいる対象となる感受性のある細胞を含め、関与している組織の空間を横切る荷電粒子によって生じた電離の軌跡の3次元構造に関連している。生物学的影響と電離の軌跡の構造とのリンクは微量線量測定法の分野での中心的な調査目標の1つになる。生物学的影響における判断を示すために過去一般的に用いられたものの多くは、電離の軌跡の構造における非常に単純な1次元の指標、つまり線形エネルギー移動もしくはLETになる。これは放射線の性質を示すためにICRPによってよく用いられる量になる(ICRP,1991)。しかし最近の計算とシミュレーションは、電離の軌跡の構造における複雑性の問題やどのようにそれが細部において生物学的影響に関連しているのかに対するアプローチをし始めている(Cucinotta他,2000,UNSCEAR,2000)。そのような考慮はまだ一般的に普通の線量測定やリスク評価に対するあらゆる単純な方法で適用されることができないと思われる一方、委員会は、微量線量測定法における理解の進歩が放射線リスク評価に対する科学的基礎を改善する可能性があり、このことが有益な発展になるだろうことに全般的に同意した。この分野における研究は推進されるべきである。

18 相対的な生物学的影響は参照放射線における吸収線量のテスト放射線における吸収線量に対する比として定義され、それは特定の動物や試験管内の細胞の研究における同一レベルの生物学的反応をもたらすために類似した実験状態の下にあることを必要としている(ICRP,1986,ICRP,2003)。RBEはそのため経験的な量になり、それは生物学的システムや実験の状態に依存している。RBEは通常、線量や線量率とともに変化することが知られており、参照低LET放射線のさらに高い急性の線量に対する曲線の反応のため、高いLET放射線に対し、低線量や線量率における最大値までしばしば増加していた。この値はICRPによってリスクの推定に用いられるものであり(2003)、それは、線量反応の関係において線形の領域があり、ICRPの方法論によって参照低LET放射線とさらに高いLET放射線との比較のための不可欠の前提条件であることが仮定されているからである。

19 これらは位置とエネルギーの違いによるかもしれないが、RBEは、同様に比較のためにとられた到達点やある事例においてはα線核種に依存している。α粒子のRBE値の推定を許容する限られた人間のデータは以下に示される(セクション2.3)。これらは、RBEの特定到達点に関し肺や肝臓癌に対して10〜20周辺を、骨癌や白血病に対してさらに低い値を示唆している。癌が関連した影響に関して、外部低LET放射線と比較して10周辺もしくはさらに大きいα線に対するRBE値に関し動物や試験管内の研究からの十分な証拠が存在している。犬における骨癌誘発の研究は、Pu239に対して高い値をそしてラジウム同位体に対して低い値をもつ異なった骨親和性をもつα線核種に対するこの到達点に対して異なったRBE値を示唆している(UNSCEAR,2000)。しかしこれらの比較は平均的な骨格の線量に基づいており、その違いは、Ra226/228からよりPu239からのほうが骨の表面に近い対象となる細胞に対しさらに大きい線量を伴い骨における放射線核種の異なった位置にさらに起因している可能性がある。したがってPu239や関連したアクチノイド同位体は骨の表面に集中し、一方ラジウムやストロンチウムの同位体は、カルシウムに化学的に類似したアルカリ土類のように、石灰化骨基質を通じさらに均一に分布する傾向がある(ICRP,1993,Harrison and Muirhead,2003)。人間や動物のデータは、骨に蓄積されたα線からの白血病のリスクはICRPモデルを基礎にして計算されるより低いことを示唆している。この不一致はこの病気に対するα粒子の20という放射線荷重係数(wR)の使用により白血病のリスクを過剰推定していることに部分的に起因しているかもしれないが、データは同様に、体内動態や線量測定の仮定が赤色骨髄内の対象となる細胞に対する吸収線量の過剰推定を導くかもしれないことを示唆している(IARC,2001,Harrison and Muirhead,2003)。自然に発生するPo210のα線にとって、研究は、骨格内に保たれる活動が赤色骨髄を通じて非常に均一に分布しており、そのため例えそれらが主に骨の表面から離れたところに位置していても、対象となる細胞に対するいくらかの照射に帰する可能性があることを示唆している(Naylor他,1991)。α線は付録2Dでさらに詳細に考慮される。

21 ICRPは一般的な放射線荷重係数(wR)の使用によってRBEにおける多くの実験上の違いを解決するため広い評価を用いており、そして係数に関し、全ての高LETα粒子照射に対し20の値が割り当てられ、全ての低LET放射線に対し1の値が割り当てられている(ICRP,1991)。このことが放射線防護のため大雑把に触れられた単純化であることは明らかである。厳密な科学的意味において、この行為は許容できるものとみなされないだろう。しかし放射線防護の行為として、もちろん運用上の結果が単純化によって過度の影響を受けていないと示されるならば、このアプローチは簡易性、実用性、透明性を基礎にして擁護されることが可能である。例えばもし、線量の推定の目的が規制値との比較のためにあり、一般的な放射性荷重係数が介入の必要性をはるかに下回る推定された実効線量を導くならば、科学的にさらに厳格な(そしておそらく費用がかさむ)計算方法を用いることは結果に影響を及ぼさないだろうといったことが許容されることが可能になる。

23 α粒子に対するさらに大きいかさらに小さい荷重係数に対する議論や異なる低LET放射線の影響における違いの認識から、委員会のメンバーは、wR値を用いRBE値における範囲を示しているICRPのスキームの容認に関し意見が異なっていた(例えばトリチウムのベータ放射やオージェ放射体、以下と付録2Cを参照せよ)。これらの違いにもかかわらず、委員会は一般的な合意に達し、それは重要な状況、例えば特定のタイプの癌のありうる原因の調査において、最も適切なRBEの取り扱いを含めて、特定の情報と利用できる最善のデータが用いられるべきであるといったICRPの勧告に随うことが重要だろうといった合意を示している。この勧告が全てにおいて観察されるといったことは明らかではない。

2.3 リスクの推定値

29 原爆の死亡率のデータに基づき、固形癌に対する線量反応関係は、約100mGyまで下がった線量に対する反応における統計的に有意な増加とともに、3Gyまでの線量のレンジにおける線形性と一致している(UNSCEAR,2000,Preston他,2003)。固形癌の発症における対応したデータは、いかなる線量の閾値(それ以下ではリスクが増加しない)も60mGyを超えることはないだろうことを示している(Pierce and Preston,2000)。大きな不確実性が存在するけれども(Wakeford and Little,2003)、診断における放射線撮影の間子宮内でX線に被曝した子供における癌の個別の研究、例えば子供の癌におけるOxford Survey(Bithell and Stewart,1975)は、原爆生存者の研究から得られる結果と一致していると推定された単位線量あたりのリスクとともに、10mGyのオーダーの線量において子供の白血病や(より不確実であるが)固形癌における統計的に有意な増加を示している。低い線量と線量率における癌リスクに対する原爆生存者のデータから得られるリスクの推定値を適用することにおいて、ICRP(1991)は2という線量と線量率効果係数(DDREF)を適用している。さらに低い線量と線量率において単位線量あたりのリスクがさらに低くなる仮定は、2から10までのレンジにおけるDDREF値をもつ急性低LET放射線の被曝による曲線の線量反応関係を示している(同様に前述のパラグラフ18以下におけるRBEの議論を参照せよ)。高LET放射線からのリスクを考慮するとき、いかなるDDREFも適用されない。原爆生存者のデータは2というDDREFと一致しておらず、事実白血病における線量反応の形状はそのような値を支持している(UNSCEAR,2000)。しかし原爆生存者における固形癌のデータは同様にDDREFのない線形の線量反応関係と一致している(UNSCEAR,2000,Preston他,2003)。一部の委員会のメンバーが低LET放射線において2というDDREFの使用は最も適切な利用できるデータの解釈になると考えている一方、他の意見は、2というDDREFが低線量におけるリスクの過剰推定になるだろうといった見解にいかなるDDREFも適用されるべきではないといった見解になる。

30 2というDDREFを適用する際に、ICRPは低線量における線量とリスクにおいて線形の関係を想定している。放射線防護の科学者において、このことが現在の証拠における最良のアプローチになることがコンセンサスになっている(Preston,2003)。しかし委員会のメンバーは、放射線防護のためにこの仮定を容認することにおいて意見が異なっている。1つの議論は関係が2つのフェーズを有しているかもしれないといったことになり、非常に低い線量において、リスクは単純な線形関係において期待されるより急に増加するかもしれず、その後中間の線量において一定の増加を示す前に減少するかもしれない。もう1つの見解は、数十mGyやそれ以下の線量において、影響を受ける全ての細胞が実際に損傷されるわけではないので、平均線量の考え方は徐々に意味のないものになり、リスクとの関係における展開は行われるべきではないといったものになる。3番目の見解は、低線量において癌に関する線形の線量とリスクの関係に対する直接の証拠はなく、回復や適応が閾値の影響を導くかもしれないといったことになる。さまざまなありうる線量と反応の関係は以下の図2.1に示されている。線形非閾値の反応における仮定は確かに都合がよいものであり、現在の観察データと一致していないが、重要な結果がその仮定から導かれるように、この問題がさらなる研究によって解決されることが重要である。

31 α粒子照射による内部被曝に対する外部リスク係数の適用に関して、多くの人間に対する研究(UNSCEAR,2000,IARC,2001)はICRP(1991)により用いられる情報を与え、他は肝臓、骨、肺における癌のリスクを推定している。

a 肝臓癌-放射線診断用造影剤としてコロイド状の二酸化トリウム(Th232、α放射体)を与えられた患者

b 骨癌-ラジウムで文字盤を描く人のRa226やRa228による職業上の被曝や医療のためRa224を投与される患者

c 肺癌-ウラン鉱山労働者のRn222による職業上の被曝や居住地における被曝の研究と矛盾しないデータを有する女性

32 白血病における増加はトロトラストを扱った患者(14)において報告されてきており、Pu239に誘発される肺癌における量的推定値はマヤーク原子力施設におけるロシアの労働者から得られている(IARC,2001,Harrison and Muirhead,2003)。比較は、これらの放射線核種による被曝から得られる放射線に誘発された癌におけるリスクの推定値と日本の原爆生存者から得られる推定値の間でなされている(Harrison and Muirhead,2003)。20というαRBEの仮定において、トロトラストの患者における肝臓癌の発症は固有のレンジをもつ不確実性の中にあり、原爆生存者のレンジと一致している。しかし2つの人口集団における白血病の発症の比較は、適用されたTh232のαRBEを約1〜2に減らすことになされるのみである可能性がある。したがって骨髄におけるα照射は、標準的なICRPの仮定に基づいて予測されるより白血病を引き起こす影響がさらに少ないだろうと思われ、動物データは白血病の誘発において低いαRBEに対していくらかの支持を与えるものになる。Rn222に被曝した鉱山労働者とその短いα放射の結果におけるデータに直接基づいた肺癌リスクの推定値は、ICRPの呼吸器モデルを用いて得られる推定値、20というαRBE、原爆生存者の研究に基づいたリスクの推定値より低い約3という係数の中に収まるものになる。同様におおよそのリスクの推定値はPu239に誘発された肺癌から得られている(付録2Dを参照せよ)。

14 トロトラストは1930年代や1940年代に臨床的に用いられる二酸化トリウムを含む造影剤である。それは比較的大きな粒子からなる不溶性の物質である。トリウムの中身は自然トリウム、α放射体であるTh232になり、その崩壊系列は6つの追加的α放射体を含んでいる。

34 上記の人間に関する研究に加えて、異なった放射線核種や外部放射線の影響を比較するデータは動物や試験管内の細胞を用いたさまざまな研究から利用できる。このような研究は放射線の影響のメカニズム同様RBEや線量反応関係における情報を与えている。照射された原爆生存者の子供における観察できる遺伝的影響が存在しないことは広く有益であるが、動物データは放射線に誘発された遺伝的影響の直接の推定値のみを与えている。組織における局所的に活動的な粒子のα照射からのリスクにおける特定の問題において、活動的な粒子の照射の後染色体異常や肝臓における癌に関する動物の研究は、影響が平均的な組織の線量に関連している可能性があることを示唆している(Brooks他,1974,1983,Barcellos-Hoff and Brooks,2001、付録2Dを参照せよ)。

2.4 体内動態モデル

35 ICRPの体内動態モデル(15)は大人や子供における摂取や吸入による取り込みを考慮している(ICRP,1989,1993,1994b,1995a,1995b,1996)。母体の摂取量から導かれる胎児における線量も同様に計算されている(ICRP,2001)。消化管、気道のモデルは、血液中に吸収されるもしくは体から失われるといったこれらのシステムにおける放射性核種の振る舞いを定義するために用いられている(ICRP,1979,1994a)。消化管から摂取された放射性核種の振る舞いは、小腸で生じる血液における吸収とともに、胃、小腸、大腸の部分を通過した時間によって定量化されている。血液に吸収されると仮定されている割合は元素の化学特性やあるケースでは摂取された化学形に依存している。その比率はヨウ素やセシウムに対して完全に吸収される程度からプルトニウムに対する0.1%より小さいものまでをレンジとしている(ICRP,1989)。プルトニウムのケースでは、問題となる化合物の溶解度のレベルに応じて、いくつかの吸収係数が用いられるかもしれない。放射性核種を含む吸入された粒子は鼻、肺の気管支や細気管支気道に蓄積すると考えられ、異なった部位における蓄積は粒子のサイズに依存している(ICRP,1994a)。肺からの除去は血液中への溶解や吸収により生じ、肺から喉にかけての粒子の拡散における反対のプロセスは消化管へのそれらの吸収によるものになる。血液に吸収されるまたは増加する比率は物質の溶解度や放射性核種の放射性半減期に依存している。

15 このレポートでは、モデルは物理学的もしくは生物学的システムにおける定量的な数学的表現として解釈され、このようなモデルは人間における放射性物質の取り込みと分布およびその後の組織における内部照射との関係における結果を予測するために用いられる。このようなモデルにおける数学的関数は数値パラメータによって制約され、それはモデルの一部になり、モデルを用いて計算を行うために特定の値を割り当てられている。体内動態モデルは、問題となるシステムの基本的な生理機能を表現するための1つもしくはそれ以上の部分からなるシステムにおける定義された元素やそれらの放射性同位体の振る舞いを表すことを考慮している。このようなモデルの信頼性は、それらの考え方(物理的構造と数学的関数)とパラメータに割り当てられた数値の双方における適切さに依存している。

36 血液中に吸収された放射性核種の振る舞いは特定の元素の全身モデルによって表れる(ICRP,1989,1993,1994b,1995a,1995b,1996)。複雑性におけるこれらの範囲は、均一の全身分布を仮定する非常に単純なモデル(水素やセシウム)から体の器官や組織の間や内部における振る舞いを考慮するマルチコンパートメントモデル(ストロンチウム、鉛、ウラン、プルトニウム)までになる。水素(トリチウム、H3)の簡単な例として、トリチウム水(HTO)や有機的に結合したトリチウム(OBT)としての摂取がICRPによって考えられており、均一にHTOやOBTで示される物質を全身に亘って保持していることが考慮されている(保持の半減期はそれぞれ大人において10日間と40日間になり、子供にいてはさらに短くなる)(付録2Bを参照せよ)。最も複雑なモデルは骨親和性のあるアルカリ土類やアクチニド元素に対して展開されたものである(ストロンチウム、ラジウム、トリウム、プルトニウムを含む)。これらのモデルは骨における元素の振る舞いを示しており、骨の表面における初期の蓄積、骨ミネラルとの交換やその埋没、骨髄への移動を考慮している。これらのモデルの生理学的現実性は循環を介して器官や組織の間における移動を含むものになる。またリサイクルモデルは排泄データに合わせて設計されており、生物検定の解釈のために用いられることができる。他の元素のためにさらに単純なモデルはこの目的のためさらに不適切になる。

37 体内動態モデルの信頼性はそれが基礎としているデータの質に依存し、それは人間に関するデータの利用可能性を含むものになる(セクション2.6を参照せよ)。多くの元素やそれらの放射性同位元素にとって、モデルの展開や妥当性の判断のために用いられる人間に関するデータはほとんどないか全く存在しておらず、信頼性は動物における実験や化学上の類推の結果の上に委ねられるものである。動物におけるデータの人間に対する外挿により課された限界から離れて、通常の健康な大人と子供、異なった人種的、民族的グループ間に発生するまたはある人口集団の類似した個々のメンバーの間における健康状態の違いから生じる生物学的多様性の知識には潜在的に重要な欠陥が存在している。

38 気道におけるICRPモデルは肺からの粒子の拡散や部位におけるリンパ節への粒子の緩やかな動きを考慮しているが、循環内における影響を受けていない粒子の侵入を考慮していない(ICRP,1994a)。直接気道からもしくは間接的に消化管を介して血液に達する放射性核種は全体に亘って粒子の溶解に随い可溶性の形態で侵入することが仮定されている。委員会は、吸入された粒子が血液に直接取り込まれることが被曝の重要なルートを示しているかもしれないという可能性を考慮しており、特に胎児への粒子の移動の可能性における文脈の中で、そのことはICRPによって否定されていない。証拠は、血液中への高度に可溶性な粒子のある程度の侵入が長期に亘って発生するかもしれないことを示しており、それらのリンパ節からの放出やリンパ管にそった動きを含めている。しかしこのような粒子の予想されうる経過は、肝臓、脾臓、骨髄において特殊化した細胞によって血液から除去されるものになるだろう。胎盤は、胎児への移動に対する追加的な障壁になることを示している。しかし少数のメンバーは、胎児への放射性核種を含む粒子の移動が子宮内における白血病の発症に関し重要になるかもしれないとの見解を維持している。

2.5 線量測定モデル

39 個々の元素やそれらの放射性同位体に対する体内動態モデルは、所与の期間(通常70歳まで、セクション2.6を参照せよ)、特定の組織、器官、体における部位(原因となる部位)で発生する放射性崩壊(変化)のトータルの数を計算するために用いられる。線量測定モデルは個々の原因となる部位から全ての重要な器官/組織(対象)におけるエネルギーの堆積を計算するために用いられている(Eckerman,1994)。このことは、異なった組織や器官の間の幾何学的関係を示している数学的幻想を用いてなされている。この幻想は、大人、異なった年齢の子供、妊娠の各々のトリメスターにおける妊婦と胎児に対して展開されてきた(ICRP,2001)。その時、原因となる部位で発生する崩壊の数と対象となる部位におけるエネルギーの蓄積を知ることにより、グレイで測定される吸収線量は計算されることが可能になる。

42 委員会のメンバーはICRPの線量測定モデルに対する不満の多様な度合いを表明した。さらに長いレンジの放射線にとって、コンセンサスは、線量測定モデルが一般的に満足のいくものであるといったことだった。しかし、対象となる細胞や細胞内部の構造に関連して非常に短いレンジを有する荷電粒子放射(α放射体、低エネルギーのβ放射体、例えばトリチウム、そしてオージェ放射体)の不均一分布や細胞核やそのDNAに特に影響を及ぼすかもしれない最も重要なこれらの電離現象を考慮に入れるほど十分に、体内動態や線量測定モデルの空間的分割は高くないかもしれない。この問題は、特定の事例に関し、内部放射体のための線量計算において不確実性は横たわる主要な原因であり、間違いの可能性に繋がるかもしれない。メンバーは問題の認識の程度において意見が異なっているが、この分野はさらなる研究のための努力が必要とされるものの1つとして認識されるべきであることに同意している。微量線量測定法の徹底的な理解が不可欠の前提条件なるだろうと思われている。委員会は、それらのステップが資金を提供され、適切な研究を支えていくことを勧めている。

2.6 ICRPの線量係数

43 癌や遺伝的影響のリスクの点で異なった組織における吸収線量の解釈を可能にするために、ICRP(1991)は等価線量の考え方を使用している。悪性腫瘍や遺伝的損傷の原因となる異なった放射線のタイプのRBEを考慮するために、等価線量の導出過程において放射線荷重係数(wR)が用いられている(16)。したがって先に記されたような体内動態や線量測定モデルを用い得られる様々な器官/組織に対する吸収線量(1kgあたりのジュールで測られるGy)は等価線量を与えるために(単位線量ははシーベルト(Sv)(17))、α照射に対しては20というwRを、電子やγ照射に対しては1を乗じられることになる。組織線量は一般的に大人に対して50年間以上、子供に対しては70歳まで加算され、結果の値は預託等価線量と呼ばれている。

16 一見すると、放射線荷重係数とRBEは同じ量になるように思われるが、重要な違いが存在している。RBEは実験から引き出され、一般的に粒子の放射線のタイプや異なる測定点に対する値のレンジをカバーしており、これゆえそれらの測定状況に関連した経験的正当性を有している。放射線荷重係数は主観的に導出された一般的な値であり、それはICRPの判断において、RBEの観察されたレンジを考慮する所与の放射線のタイプのための最も適切な一般的な値になる。

17 明らかに異なる量であり、同じ意味で用いられるべきでないけれども、公式には、グレイとシーベルトの双方は同じ次元、1kgあたりのJ、を有していると思われる。シーベルトは物理単位ではない。

44 ICRP(1991)は、内部放射体の影響で全身線量の考え方を事実上採用している実効線量といった考え方を追加的に用いている。全身実効線量を推定するために、組織荷重係数(wT)がさまざまな組織や器官に割り当てられている。非致死性の癌の発症率や失われた人生の歳月に関し調整し、これらは、放射線に誘発された致死的な癌や遺伝的影響のトータルの発症率に対するそれぞれの寄与に重みを与えている。例えば、肝臓や肺に対するwT値はそれぞれ0.05と0.12になる。預託実効線量は適切な組織荷重係数を乗じた全ての預託等価線量の合計になる。

45 経口摂取や吸入による特定の放射性核種の単位摂取あたりの預託等価線量と預託実効線量の値(単位:1BqあたりのSv)を与え、線量推定の単純化のために、ICRPは線量係数の表を公表している。被曝人口に対する現在のICRPのリスクの推定値は致死的な癌に対して1Svあたり0.05であり、遺伝的影響や非致死性の癌を含むトータルに集約された被害に対して1Svあたり0.07になる。ICRPは、異なる年齢の大人や子供による放射性核種の摂取や母胎の放射性核種の摂取による胎児の照射に対する線量係数を公表している(ICRP,1989,1993,1994b,1995a,1995b,1996,2001)。

46 ICRPのwRやwTの値はそれぞれ等価線量や実効線量を計算するために定義されており、RBEや組織の放射性感受性における既知の違いを完全に説明していない。このように、先に議論されたように、単なる2つのwRの値の使用は、α粒子のRBEの値や異なった低LET放射線の間における観察された違いを反映していない。同様に、特定のリスクの推定値はwT値を与えられた個々の組織にとって利用可能であるが、これらの値の割り当てにおいて、それらは、0.01、0.05、0.12、0.2といった値をもつ4つのカテゴリーに単純にグループされている。実効線量(単位摂取あたりの預託実効線量)に対する線量係数は2倍に重み付けされており(18)、線量が実質的に線量限界より低い状況における計画立案の目的のために主に意図されている。ICRP(1991)は、「既知の人口の被曝において可能性が高い結果の推定のために、吸収線量と関連している放射線の相対的な生物学的影響や被曝人口に関する確率係数に関連している特定のデータを用いることがときとして好ましいことになるだろう」ということを述べている。

18 それは2つの係数、wRとwTを乗じられ計算された線量(Gy)であり、その双方は問題となる結果(癌)に対するリスクの要素を組み込んでいる。等価線量と実効線量と呼ばれる量は物理的放射線量ではない。

50 欧州放射線リスク委員会2003年勧告(ECRR,2003)の中で与えられた代替の方法論を公式化することに従事した2人の委員会のメンバーが彼らのアプローチを概説している。目的は、生物物理学的危険係数、wJと同位体生化学危険係数、wKといった追加の荷重係数を導入することにより単純で実用的な方法で、ICRPの方法論における認識されうる欠陥を是正することになる。ECRRのレポートで与えられる例は、Sr90が染色体に結びついており、同様にSr90やその後のY90の崩壊からの連続したβ放射を有し、10というwJと30というwK、トータルで300の増加を得ることになる。しかし他のメンバーは、期待されるより大きいオーダーの大きさであるSr90からのリスクに対する証拠の欠如を指摘している。また彼らは、あるレンジの放射性核種に対するECRRのレポート(ECRR,2003)で与えられたwJとwKの値はいかなる証拠や典拠にも付随されるものではないと指摘している。メンバーの大半は、この問題におけるECRR(2003)のアプローチに関する科学的長所や妥当性について説得されることはなかった。

2.7 不確実性

55 体内動態モデルの仮定における不確実性は主に、その量やそれらが基づく放射性核種の振る舞いの複雑性に基づく実験データの不確実な適用可能性から生じている(Leggett,2001,2003)。いくつかのケースでは、十分な人間に関するデータが利用可能であり、不確実性は小さいものになる(大人におけるHTOとしてのトリチウム)。他のケースでは、仮定は、動物データや元素間の化学的類似性に依存しており、不確実性は実質的にさらに大きくなる可能性がある(Pu239からの子供の骨髄や胎児に対する線量)。知識のレベルは、栄養や不可欠な元素(炭素、水素、硫黄、リン、鉄、ヨウ素、銅、亜鉛)、主要な有害な元素(鉛、カドミウム、ヒ素)、主要な放射性核種(Sr90,Cs137,U238,Pu239)における十分かつ詳細な情報に関して広範囲に亘っているが、情報は、多くの微量元素(コバルト、マンガン、セレン)や放射性核種(Co60,Tc99)においてあまり詳細でない。いくつかのさらに重要な放射性核種元素に関連した特徴は、それらは天然には発生しないことになり、それらの化学に関する知識は、生物学的に不可欠な、微量な、有害な元素より限定されているかもしれない。このことは放射線の放射の性質に関して人工核種を除外しない一方、それらの個々の化学に関する理解の現在のレベルを理由にしてそれらのいくつかを除外するかもしれない。

56 不確実性の主な原因は経口摂取され吸入された放射性核種の化学形になる(Harrison他,2001)。ICRPの線量係数は吸入された粒子のサイズや気道と消化管中の放射性核種の溶解度に関する一般的な仮定に基づいている。特定の情報は摂取における化学形に基づいて利用可能になるかもしれない。もし摂取が不溶性の粒子形にあると知られているならば、例えば、摂取されたCs137に対し一般的なモデルを用いることは不適切になるだろう。摂取が既知の化学形であるとき、気道における溶解度に関するデフォルトの仮定は特定の情報によって代替されることが可能であり、すべきである。さらなる研究がこの分野において利用できる情報基盤を広げるために必要とされている。

62 全体的にみて、線量係数における不確実性はいくつかの放射性核種(Cs137,I131)に対して小さいとみなすことが可能であるが、特に子供による摂取や胎児に対する線量を考慮すると(Pb210,Po210,Pu239,Am241)、他の放射性核種に対して実質的にさらに大きくなるとみなすことが可能になる。あるレンジの放射性核種に対する線量推定値における不確実性の信頼できる定量的推定値はまだ利用可能でない。しかし公表されたデータ(Harrison他,1998,Leggett他,1998,Apostoaei and Miller,2004)は、個々の組織/器官に対する線量のいくつかの推定値にとって、不確実性は、中央の推定値の上下にある大きいもしくはさらに大きい、ときとしてかなり大きいオーダーの90%信頼区間をもつ推定値に伴い、不確実性は非常に大きいことを示唆している(20)。これらの不確実性は放射線に誘発された疾患に対するリスクの推定値における不確実性に加わっている。

20 I131、Cs137、Sr90の摂取からの線量係数における不確実性の最近の詳細な分析は、Cs137(全ての組織)に対する約3〜6という、I131からの甲状腺線量に対する7〜8という、Sr90からの骨の表面や赤色骨髄に対する20〜40という大人(男性と女性)に対する組織線量係数における95%信頼区間になる(Apostoaei and Miller,2004)。不確実性についての大規模な研究では(Goossens他,1997)、委員会の専門家により得られる不確実性のレンジにおける関連した集計は、Harrison他(1998)によって引用された大人の経口摂取と吸入線量係数における90%信頼区間を組み合わせると、Cs137とI131の甲状腺線量に対する10以下の係数から吸入後のSr90の肺線量や経口摂取後のPu239の骨髄線量に対する数千の係数までさまざまになる。これらのさらに大きなレンジは部分的には経口摂取され、吸入されるかもしれない化学形における不確実性によるものである(Harrison他,1998)。推定される不確実性のレンジは実際研究における専門家の間において異なっている。

64 ICRPはその公表において特別に線量係数における不確実性を主張しないことを選択した。限界を大きく下回る線量における実効線量係数の適用において、不確実性を含めることでさえそのような限界が損なわれることはないだろうとの見方から、不確実性の範囲を含めることは不必要な複雑性を加えるだろうといったことが議論されるかもしれない。しかしこれはこれらの不確実性の考慮によってのみ正当化されうる仮定になる。組織や器官に対する等価線量を推定するために線量係数を用いること、そしてそのことはもしさらに詳細な情報が特定の目的のために求められるならばなされるだろうといったことを背景にして、不確実性における知見は結果を適用することにおいて重要になるかもしれない。内部放射体に対する線量の推定値における不確実性を定量化する認識と試みの意義は、このテーマにおける最近の公表によって示されるように、ICRPでの研究に寄与する人々や他の人々によって認められている(Harrison他,2001,Leggett,2001,2003)。

69 ICRPは、経口摂取や吸入から生じる推定された放射線線量における包括的な情報を与えている。ICRPは、体内動態と線量測定モデルや、等価、実効線量と呼ばれる量を計算するために用いた荷重係数の値を公表している。モデルは対象となる器官、組織、組織内の部位に対する吸収線量(Gy)の推定値を与えるために用いられる一方、等価、実効線量(Sv)は、RBE(wR)や癌と遺伝的影響(wT)からのトータルのリスクや被害に対する個々の組織の寄与を考慮する影響に関連した重みを導入している。個々の組織に対する等価線量の計算は、特定の癌(もしくは遺伝的影響)における全体のリスクを評価するために異なった放射線のタイプからの線量をいっしょにする単純で都合のよい方法であると思われる。全体的な全身もしくは実効線量を与えるために合同することや荷重等価線量のさらなるステップは、全身被曝に対する限界と比較し、内部と外部の全ての放射線被曝を合計することに対し都合がよいものである。しかし実効線量の限られた使用は、特定の組織における照射や線量の移動の経時変化の双方において、異なった放射線核種からの線量の移動における非常に異なったパターンを隠す可能性がある。実効線量は特定のタイプの癌の可能性の高い発症率における情報を与えず、誘発された癌の全体的な確率における情報を与えるのみである(タイプの区別はない)。委員会は、ICRPが線量限界以下の線量における放射線防護の目的のために実効線量の使用を担保することを勧告していることをさらに強く強調すべきであることを指摘し、また感じている。特定の評価にとって、ICRPは、吸収線量と関連した放射線とリスク係数におけるRBEに関した特定のデータを用いることがときとしてさらに妥当であるだろうといったことを勧告している。委員会は、線量が遡及的線量評価のためまたは疫学的データの解釈のためにかなりの割合の線量限界になるもしくはなるかもしれないときに、そのような特定の情報の使用が適用されるべきであると考えている。委員会はさらに、ICRPの方法論の科学的基礎は妥当性を問題にされ続けるべきであり、微量線量測定法と放射線生物学はその判断にそれらの信頼性を加えるべきであるといったことが重要であると結論づける。

付録2A
微量線量測定法における考慮

イントロダクション

(1) 物質における放射線の相互作用はそれらの確率的性質によるものであり、そのため原子や分子レベルでみたときにそれらの相互作用はエネルギーの蓄積における無限に多様なパターンを導くものである。このレベルの分割においてパターンは、荷電放射線粒子の経路に沿った分子における電離と励起からなる個々の放射線の軌跡の詳細な構造によって影響を受けている。内部放射体のケースでは荷電粒子は主に、放射されたβ粒子やα粒子そしてそれらが双方のケースで生じさせる二次電子になる。放射線の軌跡の内側や間における全ての不均一性は、細胞の次元における組織や器官にまで分割のレベルを低下させることを考慮すると、低下した程度に関して反映されたものになる。吸収線量は定義された質量における平均された巨視的量になり、その質量におけるエネルギー蓄積の空間的分布を考慮していない。したがって組織における吸収線量の使用や、同様に組織(等価線量)や体(実効線量)に対してそれから導かれたICRPのリスクに関した量に対するその拡張は、平均が実用的な適用のための十分な情報を与えるという考慮の下の暗黙の仮定を形成している。この仮定における不備はよく認識されており、著しく異なったタイプの軌跡の構造における放射線の生物学的影響における平均の違いをいくらか考慮するために放射線荷重係数、wR(以前は質係数、Q)の導入によって、部分的にICRPによって補われた。

「比例計数管」微量線量測定法

(4) ICRU/ICRPのタスクグループの1983年レポートは比例計数管アプローチに特に焦点を当て、放射線防護におけるその適用に対して提案を行った。これらの提案は、放射線質係数や放射線荷重係数を定義するICRPによって慣例的に用いられたLETの量が示すより良い放射線の質に対する説明を与えられる1μm以下のレベルで測定された量を意味する仮定に基づいてなされている(ICRU,1983)。直径1μm以下〜10μmの組織の量をシミュレートすることができるロッシ比例計数管として知られる初期の測定装置からの情報に基づき、ICRUレポート19(1971)は以下の微量線量測定法に関するこの派生を使用することにおける量を定義している。

付録2B
トリチウムにおける線量とリスク

イントロダクション

(1) 委員会は、トリチウムに対するICRPの線量係数の妥当性や内部放射体としてのトリチウムの影響における評価に対する考慮に特別な注意を払っている。これはHarrison他(2002)による最近の論文に対する考慮を含むものであり、トリチウム水(HTO)と有機的に結合したトリチウム(OBT)による被曝に対する線量係数における不確実性を検証しており、また多くの委員会からの内部文書、2点がHarrison他と同じトピックを扱っており、1点がトリチウム化合物や細胞や細胞内のスケールにおけるトリチウムの放射線の特性を検証しているが、それらを含むものになる。この見直しの一環として、別の観点が考慮され、大人におけるHTOの摂取に対するICRPの線量係数は10倍過小評価されていることを含むもになる。トリチウム標識されたDNA前駆物質の特別なケースも同様に考慮されている。

ICRPの線量係数

(6) ICRPはモデルを与え、HTOやOBTのようなトリチウムの摂取に対する線量係数を計算している。モデルは、母胎による摂取に随う胎児に対する線量同様、大人や子供による経口摂取や吸入によるHTOやOBTの取り込みを考慮している。モデルは多くの単純化された仮定を前提にしている。まず、血液における吸収が全てであり、トリチウムはその後体の組織全体に均一に分布すると仮定されている。次に、その体組織における滞留は2つの要素によって示され、1つ目は体水分の交代時間と一致しており、2つ目は炭素の交代時間に一致しており、さらに幼い子供において双方の要素の滞留時間はさらに短いものになる。最初の要素は、有機分子に対し交換可能な状態で結びついており、基本的に体水分と均衡状態にあるHTOやトリチウムに一致しており、2番目の要素は交換不可能な状態でOBTと結びついているものと一致している。ICRPはOBTの特定形に対する線量係数を与えていない(H3-DNA前駆物質)。OBTの摂取のための線量係数は例えば特定されない食事摂取量に対して適用される一般的な値である。

ICRPの線量係数の妥当性

(7) Harrison他(2002)は、HTOやOBTに対する現在のICRPの線量係数が基づいている実験や人間に関するデータを見直し、人口集団に対し代表する推定値における不確実性の点で線量係数の信頼性を評価した。分析は、血液に対するOBTの吸収、体組織に対するOBT中のトリチウムの取り込み、組織における滞留時間、γ線と比較されたトリチウムのβ放射の相対的、生物学的影響における不確実性を含んでいる。組織や細胞における線量の不均一性も同様に論文の中で考慮されている。この分析の結果は、HTOに対し約3という係数、OBTに対し約5という係数をもつ大人に対し単位摂取量あたりの線量の中央値において5%から95%までの不確実性のレンジを示しており、子供や胎児に対する線量においてさらに大きな不確実性を示している。これらの分析における中央(50%)値は対応するICRPの値の約2倍であり、主にトリチウムのRBEに対し1から2.5までのレンジを含むことが理由として挙げられる。この分析においてOBTを考慮することは一般的な食事摂取量に対し適用され、DNA前駆物質を含む特定の有機形が個々を基礎にして考慮されるべきであることが明らかにされている。

(8) 委員会で考慮されたトリチウムにおける2番目の論文は、生物圏における水素原子と交換されるその傾向、代謝反応を経由して有機分子と結びつくその能力、環境中の水のような急速な分布、1より大きいRBE値に関する実際の証拠、関連した微量線量測定法の考慮を含むトリチウムの多くのユニークな特性に注目している。この論文の以後のバージョンは、トリチウムに対する単位摂取量値あたりの現在のICRPの線量が、Harrison他によって示唆されるような2という数値よりむしろ、約10倍低すぎることを示唆している。このことは1から2と3の間までのトリチウムの放射線荷重係数が増加していることから生じており、HTOの摂取から生じるOBTの体内における滞留時間を認めるものであり、トリチウムの崩壊の軌跡からの高レベルの密度の電離を含む、微量線量測定法の考慮を認めるものである。

(10) 委員会は、RBE値に関するICRP(2003)による最新のレビューがトリチウムにおけるRBEの証拠を考慮しておらず、ICRPはwRがトリチウムのβ放射を含む全ての光子や電子に対して1になるべきであるといった以前の見解を維持していることを知らされている。この問題は以下のパラグラフ13でさらに考慮される。

トリチウム標識されたDNAの前駆物質

(11) OBTに対するICRPの線量係数はトリチウムの特定の有機形の摂取に適用されない。トリチウム標識されたDNA前駆物質が実質的にトリチウムの他の形よりさらに高い線量と影響の原因となる可能性は長く認識されてきており、実験における研究と理論的な考察の点でかなり注意を払われてきた(ICRP,1979,NCRP,1979)。委員会はこのテーマにおける証拠を考慮しており、それらの大半はトリチウム標識されたチミジン(H3TdR)を用いた試験管内や生体内の研究に関連している。例えば培養マウス細胞におけるHPRT突然変異の研究では、Ueno他(1989)はH3TdRとHTOに対するRBEの値の間における2という係数の違いを報告しているが、H3アミノ酸とHTOは有意に異なっていなかった。この比較は、細胞核に対する線量の推定値と平均細胞線量に基づいた6という係数への転換に基づいている。細胞核の線量に基づいた実際の2という係数の違いは、変異の影響(H3からHe3への変化の化学的影響)や細胞核内における線量の局部的な分布に起因しているかもしれない。変異の影響における期待された違いにもかかわらず、チミジンの[6-3H]と[METHYL-3H]の間に違いは観察されなかったことが認められている。

結論

(13) 委員会は、放射線生物学の理論とトリチウムのRBEが1より大きいといったRBEの実験から多くの証拠が存在することを認めている。全ての観察されたHTO被曝の影響を考慮すると、RBEの値は1〜3.5のレンジの中に存在する。γ線との比較において、大半の値が1〜3になる一方、X線にとって大半が1〜2になり、1〜1.5の値が顕著であった。トリチウムのβ照射に対するこれらの測定されたRBEは微量線量測定法の考慮に基づいた推定値とかなり一致している。人間における癌誘発に対するトリチウムRBEの推定値に最も関連しているので、何人かの委員会のメンバーは動物における発癌の研究に言及している。マウスにおける乳腺腫瘍および急性骨髄性白血病の研究は、X線と比べて約1の値になった(Gragtams他,1984,Johnson他,1995)。メンバーは、トリチウムからの等価線量におけるICRPの計算におけるwRの使用のためのトリチウムRBEのデータの含意における見解について意見が異なっている。何人かは、一般的な放射線防護のために全ての低LET放射線に対し1という単一のwRの値をICRPが使用することを支持したが一方、他は、ICRPが普通にトリチウムのβ放射に対し2以上のwRを適用するべきであると考えていた。

(14) 何人かの委員会のメンバーは、RBEに追加される係数はトリチウムに対するICRPモデルで否定されており、現在の線量係数は約10倍過小評価されているかもしれないと考えている。ECRR(2003)レポートに貢献しているこれらのメンバーはトリチウムに対して10〜30のwR値を指摘している(第2章のテキストを参照せよ)。他のメンバーはHTOに対するICRPの線量係数は事実過小推定値ではないと結論づけており、特定の物質に適用しないほうがよいことを理由に、OBTに対する値は注意をもって用いられなければならないと指摘している。

付録2C
オージェ放射体における線量とリスク

(1) 委員会は、オージェ放射体により示される問題を考慮しており、現在のICRPの方法論がDNAに結びついたオージェ放射体の増加したRBEを考慮していないことを指摘している。

(3) オージェ放射体は、核種や器官と細胞におけるそれらのエネルギーの均一分布の仮定を含むICRPの線量モデルで用いられている現存の線量測定法上の慣例について難しい問題を投げかけている。多くの著者が代替の線量測定システムを議論している(Hofer,1998を参照せよ)。Bingham他(2000)は特に、DNAに結びつけられた割合に対し、確率的影響に対する全てのオージェ放射体を理由にして、20というwRを勧告している米国医学物理学会(AAPM)(Howell,1992,Sastry,1992)によって用いられているスキームに言及している。このスキームを用い、DNAに100%結びついていると仮定すると、Goddu他(1996)は、線量の例がGa67、Tc99m、I125から精巣の中に移動すると考えており、通常の線量測定法はそれぞれ約4.2倍と8倍過小推定するだろうと示している。他の組織から貫通している放射線による高い線量はこの分析で考慮されないので、等価線量における実際の増加はGoddu他(1996)によって計算されるより低くなるだろう。AAPMの方法は、DNAに結びついている割合がそれぞれ0.5と0.2であると仮定して、Cr51やZn65から前立腺に対する等価線量を推定するためにBingham他(1997)によって適用されている。線量はCr51に対して1.5倍、Zn65に対して3倍普通に計算された値より大きくなる。

結論

(7) 委員会のメンバーは、組織内の細胞の間における細胞の位置と不均一分布を基にしたオージェ放射体からの増加したリスクの可能性は個々の放射性核種と懸念される化学形に対して検証されるべきであることに同意している。細胞核に有意に存在することを示すこれらの放射性核種/化学形に対する生物学的影響の研究とともに、このことは分布の実験的な研究を伴うだろう。ICRPはオージェ放射体に対するこれらの不確実性を認めており、ICRP(Pub.92)(2003)において、それらは特別なケースを示しており、特別な注意を払われ続ける必要があるだろうと述べている。

付録2D
α放射体における線量とリスク

(3) しかしSimmonsにより達せられた結論は他の研究からの示唆と対照をなすと思われる。Harrison and Muirhead(2003)によって議論されているように、人間における放射線に誘発された肺癌に対する同様のリスクの推定値は、ラドン(職業上、生活上)やプルトニウム粒子(マヤークの労働者)からと外部低LET放射線(原爆生存者)からの非常に異なったα粒子被曝から得られている。α粒子のRBEを考慮すると、線量移動の経時変化やPu239の酸化粒子からのエネルギーの蓄積の不均一性にもかかわらず、得られたリスクの推定値は同様である。組織における局所的に激しい粒子のα照射からのリスクにおける特定の問題において、異なったサイズのPu239酸化物粒子やPu239クエン酸塩の投与の後染色体異常や肝臓における癌の動物における研究は、影響は平均組織線量に関連していると示唆している(Brooks他,1974,1983,Barcellos-Hoff and Brooks,2001)。著者は、最大の粒子に対する1%以下の細胞と比べて、最も小さい粒子に対するPu239クエン酸塩を投与した後、全ての細胞がα放射の軌跡の横断を被っていると推定している。同様に、トロトラストからのα放射に対する不均一な組織被曝や一様な低LET放射線被曝の後、人間における放射線に誘発された肝臓癌や白血病に対するリスクの推定値の比較は激しい粒子の照射による影響の予期せぬ増大の証拠を示していない。Charles他(2003)による評価の全体的な結論は、ICRPによる平均組織線量の使用は3という係数の範囲におけるいずれかの方法で癌のリスクにおける合理的な推定値を与える可能性があるということだった。しかし一部の委員会のメンバーは、影響が観察されうるそしてさらに低いやや活動的な粒子からのさらに低い線量における影響を潜在的に増大するかもしれない可能性を除外しない線量と、必然的に利用できるデータが関連していることを指摘している。

胎児への吸入された粒子の移動

(4) 吸入された粒子の振る舞いはICRP(1994)によって広範囲に評価されている。肺胞上皮細胞は約0.1μmの直径の細胞内小胞を含んでいる。血液からのそして細胞間における特定の高分子の通過に対し責任が存在するが、直接血液へではなく間質組織の中やそこからリンパ管にさらに小さい粒子(0.1μm以下の直径)の取り込みのルートを与えるかもしれない(Lehnart他,1986)。しかし大半の粒子は肺胞マクロファージによる食作用性の取り込みによって除去されている(例えば、Brain,1988を参照せよ)。粘膜毛様体の流れにおいて肺から除去される気管支までにおいて大半は行われている。他のマクロファージは肺胞上皮を介して移動し、リンパ管に達している。吸入後非常に小さな粒子が血液中に入るかもしれないといった証拠が存在している。Stradling他(1978a,1978b)は、Pu239O2やPu238O2といった1nmの粒子は急速に血液中に移動する一方、25nmの粒子の移動はほとんどなく、毛細血管内皮細胞中の膜細孔(最大4nmの直径)を通じた受動拡散により1nmの粒子の通過と一致している。血液に達したプルトニウムの組織おける分布は粒子の溶解と一致しており、それは主に骨格や肝臓における滞留といったことになる。

結論

(10) 委員会のメンバーは、体内における放射性粒子の振る舞いにおける利用可能なデータが、それらの粒子が容易に胎児に移動し、子宮内における高い白血病のリスクをもたらすといった提案を支持しないことに同意している。しかし可能なリスクの程度に関し同意はなく、個々のメンバーは追加的なデータを与えるかもしれない研究の進展を指摘している。また気道のICRPモデルは一般的な循環に対し粒子において認識されているリンパ液上の動きを説明していない欠陥を抱えていることが指摘されている。

3 生物学的証拠

3.4 ミニサテライト変異

9 以前のソビエト連邦(FSU)における照射された人々の子孫における変異率に関する一連のレポートにより、委員会の関心はミニサテライトと関連したDNA配列にあった。マウスに関する遺伝的研究からの追加的データもまた考慮されていた。委員会はこれらのデータと、低線量によるこれらのDNA配列の不安定性の証拠は低線量を照射された人々の子孫における遺伝性疾患のリスクの、特に体内放射線の点で、現在の推定値(ICRP,1991,UNSCEAR,2000)に対して大きな課題を提起しているといった主張を考慮している。人間やマウスにおける研究の双方において、報告された変異は非常に高い頻度で発生し、通常の直接被害を及ぼす放射線の変異に対するメカニズムによって説明されており、おそらく放射線被曝による生殖細胞系に誘発されるゲノムの不安定性を含む、多少の予期されないプロセスからそれらは生じることが示唆されている。委員会の研究や見解における主な要素は付録3Bで概説されている。

3.5 放射線防護のための含意

14 それにもかかわらず、これらの現象が高いか低い線量において放射線リスクに関しいかなる役割を有しているかを理解するために試みがなされることは重要である。放射線に誘発されたゲノムの不安定性やバイスタンダー効果における現在の大半のデータは試験管内の研究からのものになるが、その現象は齧歯類の生体内において同様に例証されている(Pampfer and Streffer,1989,Pils他,1999,Watson他,2000,2001,Xue他,2002)。ミニサテライトの不安定性はカザフスタンでの核実験からの放射線に被曝された人々、彼らの被曝していない子供や孫(Dubrova他,2002a)、そして全てではないがチェルノブイリ事故後のいくつかの研究において報告されている(Livshits他,2001,Kiuru他,2003)。ミニサテライトの不安定性は原爆生存者(Kodaira他,1995)や放射線療法の患者(May他,2000)において観察されていない。このことは、低レベル被曝、慢性的な体内放射線は急性の大きな放射線量に対する被曝とは異なった結果を有している可能性があるといった証拠を与えている。このような証拠は以前に想定されたDNAのメカニズムに基づいた期待に反しているだろうが、これらは放射線に誘発されたゲノムの不安定性の存在によって現在疑問視されている。しかしこの章や付録3Bにおいて、かなりの不確実性はこれらの現象の誘発に関する一貫性を記載している。このため何人かのメンバーは内部と外部の放射線に対する異なった反応があるとの議論をかなり弱いものとみなしている。

3.10 人工と自然放射線核種の比較

38 委員会は、自然によるそして人工による放射性核種の非常に広い種類の間においていくつかは他より危険であるといったことを認識している。しかし危険の程度はそれらの起源でなく、個々の物理学的、化学的、放射線学的特性に依存している。もちろん、これらの個々の特性は個々の放射性核種の摂取からリスクを評価することをしっかりと考慮に入れるべきである。大部分、このことはICRPの体内動態や線量測定モデルにおいてすでになされているが、メンバーは、それらの特定の特性やミクロ分布のため、さらなる詳細な評価がいくつかの放射性核種(例えば、トリチウムやオージェ放射体)や化学形に対して求められるといった程度において意見が異なっている。委員会は全会一致で、放射性核種はそれらが人工によるもしくは自然に発生しているものかどうかに応じたそれらの差を本質的に認めていないことに同意している。

3.11 結論

40 セカンドイベント理論、激しい粒子の理論、2つのフェーズをもつ反応、人工的な放射性核種と自然の核種との比較において、2人のメンバーはともに、これらの理論は、現在のICRPのリスクモデルが非常に不正確であり、2ケタ、3ケタもしくはそれ以上のオーダーの大きさで放射線リスクの正しいレベルを過小評価する可能性があることを意味していることを考慮している。委員会の約3分の1はこれらの理論やICRPのリスクの推定値がかなり不正確であるといった見解と意見を異にしている。他の3分の1は同様に上記の理論に同意していないが、ある場合には異なった理由であるけれども、現在の放射線リスクはまだひどく過小評価されているかもしれないと考えている。以下や第2章を参照してほしい。

41 委員会のほとんど半分のメンバーは、これらのメカニズムにおける生物学的証拠(パラグラフ39を参照せよ)は十分に現在のICRPのモデルに反映されていないといった見解を有している。現在のリスクはそれゆえ、少なくともある程度、そしておそらくいくつかの核種においては大幅に、過小評価されている可能性がある。これらの過小評価はいくつかの疫学的知見を説明することができ、特にCOMAREが観察された白血病の発症率がNRPBによって推定されるリスクより約200〜300倍大きくすることを求めるだろうと結論づけたシースケールにおいて説明することができるといったことは可能性があるとこれらのメンバーは考えている(COMARE,1996)。これらのメンバーは、これらの生物学的メカニズムが別々にというより(つまり加算的)ともに(つまり乗算的)作用する可能性があり、リスクにおける観察された増分を説明するために求められるレベルにまでリスクを高めることを指摘している。

44 放射線の生物学的影響における新しい知見が低線量における健康上のリスクやそれらの定量的な不確実性の考慮の中に含められることを継続するべきであるといった一般的な合意があった。この点で委員会は、1990年に定式化されたICRPの現在の勧告がこの章で議論されている生物学的情報の多くより古いことを認識している。委員会は、特に微量線量測定法、誘発されたゲノムの不安定性、バイスタンダー効果、癌のメカニズム、生殖細胞系におけるミニサテライト変異の点で、継続的な国内および国際的な放射線生物学の研究を承認した。

付録3A
セカンドイベント理論における生物物理学や生物学的側面

(3) Busby(1996)による計算は、細胞充填、3本以上の軌跡の分布、細胞あたりのイベントの数の推定値、イベントの独立したオーダーに関連した計算/統計学上の問題のために、疑問が残っている。Busbyのモデルに基づきSr90における上昇した値はEdwardsとCoxにより1.3以下として与えられている。モデルは2つがヒットするプロセスに基づいているため、細胞の線量反応は低線量の単一の減衰同位体に対しかなり曲線的になり、DDREFに対する現在のICRPの判断がわずかに2である一方、腫瘍形成に対し非常に高い線量と線量率効果係数(DDREF)を予測するであろう。

付録3B
生殖細胞におけるミニサテライトDNAの変異

(3) 委員会は、以前のソビエト連邦(FSU)における放射線に被曝した個人やかれらの子供における一連の研究や、これらが放射線による生殖細胞突然変異の新しいメカニズムを示しているかもしれないといった提案を考慮している。低線量により被曝した子孫と対照グループとしての両親における不安定なミニサテライトの変異の頻度の比較に基づいたこれらのレポートのいくつかは、照射後の非常に高い誘発された変異の頻度を示唆している。これらと他のデータは、放射線に誘発されたミニサテライト変異からのありうる健康への影響に疑問を呈している(Bridges,2001を参照せよ)。またかれらは、照射後の人間における遺伝的リスクに対する現在の判断は総じて過小推定値になるとの主張を求めている(ICRP,1991,UNSCEAR,2000)。

(9) チェルノブイリ事故後放射性核種によってひどく汚染されたウクライナの地域における住民の間のミニサテライトにおける生殖細胞系の突然変異の研究が報告されている(Dubrova他,2002b)。対照グループは、チェルノブイリ事故後、1976〜1986年の間に生まれた98人の子供になる。被曝されたグループは、チェルノブイリ事故後、1987〜1996年の間に生まれた240人の子供になる。家族は民族、母親の年齢、両親の職業、喫煙習慣の点で一致していた。統計的に有意な1.6倍におよぶ突然変異率における増加が被曝された父親の子供において見受けられた。突然変異率における増加は1986〜1995年の子供の生まれた年にかかわらずこの地域において見受けられ、蓄積した両親の線量はミニサテライト変異の誘発に関係がないことが示唆されている。著者は、初期の急性被曝がこの増加を説明し、人間における自発的なミニサテライト変異が主に減数分裂における組み換えにより発生するので、影響は、事故時から1995年まで続いている減数分裂期におけるその後のミニサテライトの不安定性を生じる誘発された不安定性に起因していることを考慮している。しかし別のFSUの研究において、ミニサテライトの遺伝子座における突然変異率は照射後の誕生年とともに減少しており、これらの遺伝子座における世代を超えた不安定性は一貫して説明される影響にならないことを示唆している。

放射線からの人間の遺伝的リスクにおける現在の推定値

(10) 一般的に委員会は、ミニサテライト/ESTRにおける生殖細胞系の突然変異率とその根本的なメカニズムにおいてかなりの科学的関心が存在しているが、競合する知見、線量測定における不確実性、方法論的問題のため、データにおける定量的解釈が困難になっていると認識している。それにもかかわらず、これらのデータが原則として、人間の遺伝的リスクにおける推定値を与えるために、国際的に用いられる方法(ICRP,1991,UNSCEAR,1994,2000)にどのように影響を与えているかに対し注意が向けられている。簡単に言えばこれらの方法は、放射線に対するその人口における遺伝的疾患の頻度の反応を推定するために、人間の遺伝性疾患におけるデータと遺伝子/染色体の突然変異率における人間/マウスのデータの組合せを用いている。定義からこのことは、DNAの反復配列における機能と関連しない変異、例えばミニサテライト/ESTRの遺伝子座がわずか1週間しか遺伝的疾患に関連していないことよりむしろ機能における遺伝子/染色体変異に対する考慮をもとめている。この基礎付けのみにより、委員会により考慮されるミニサテライト/ESTRの研究は人間の遺伝的リスクにおける推定に限定的に関連していると多くの人々によって判断されている。

4 疫学的証拠

4.2 ありうる線量反応関係

10 低い統計的検出力の問題は特に低線量における線量反応曲線の形状に関連している。線量反応は、放射線からの被曝によって誘発された特定の影響(例えば、癌)の大きさは組織によって吸収された放射線の量、つまり線量とともに変化するように近似されている。確率的影響(癌や遺伝性疾患)にとって線量反応曲線は高線量に対して適切に合理的に良く定義されており、高線量における細胞死によりリスクが減少する前に、線量とともにしっかりとリスクが上昇することを示している。低線量における線量反応関係における形状はさまざまな臨床的結果に対し異なった方法で解釈されることができ、確率的影響に対し最も広く許容された曲線は線形閾値なし(LNT)の形状になる。このことは名前が示すように、反応の発生率が低線領域を超えた線量に対し直線的比例関係で増加することを意味しており、それ以下で影響が生じない閾値は存在しない。低線量におけるLNTの定式化はICRPによって好まれているが、委員会の何人かのメンバーによって議論されている。さまざまな可能な線量反応関係は第2章の図2.1において例示されている。

11 委員会は、低レベルの被曝に関連した疫学的データは被曝のレベルとともに内在するリスクの変化を示している幅をもつ曲線と一致しており、LNTの関係より険しい曲線(超線形曲線)、あるレベル以下においてリスクが存在せず(閾値)、危険予防効果(放射線ホルミシス)さえも含むものであることを考慮している。委員会は、どのタイプの線量反応が最も説得力のある利用可能な科学的証拠の記述になると考えられているのかに関し意見が分かれている。最も強く閾値やホルミシスの存在を信じている委員会のメンバーは彼の結論を機械的議論やいくつかの研究から得られている結果の彼における解釈に基づかせている(Rowland,1994,Thomas,1994,Voelz他,1997,Ghiassi-nejad,2002,Calabrese and Baldwin,2003,Cameron,2003)。しかし委員会の大半は、好ましいリスクモデルとして放射線ホルミシスや閾値に対する疫学的証拠は説得力がないものであると考えている。

4.4 放射性降下物に対する被曝

4.4.1 チェルノブイリ後

小児白血病

27 ウクライナのひどく汚染された地域において1986年には生まれている10歳以下の子供における白血病の発症率の有意な増加が、わずかに汚染された地域に生まれた子供における発症率と比較された上で、Noshchenko他(2001)によって報告されている。ウクライナの2つの最も汚染された地域におけるチェルノブイリ事故時に0〜20歳だった居住者における白血病のその後の症例対照研究(Noshchenko他,2002)は、評価された線量との有意な関連を見出しており、その関連は幼い子供のときに被曝した人々における急性白血病について最も強いものであることを示している。しかし、確認された白血病の症例の3分の1以上のみ(98)がこの研究に含まれており、著者は彼らの知見の解釈に対し注意を促している。汚染のレベルにともなう子供の白血病の発症率の変化はベラルーシにおける異なった地域において見受けられなかった(Gapanovich他,2001)。同様に子供の白血病の発症における有意な増加は中程度に汚染されたスウェーデン(Hjalmars他,1994,Tondel他,1996)やフィンランド(Auvinen他,1994)においても発見されなかった。

29 1986年7月〜1987年12月に誕生した子供の白血病の発症率のレベルの増加(前述のパラグラフ19において議論されたように)に関し、ギリシャ(Petridou他,1996)、西ドイツ(Steiner他,1998)、ベラルーシ(Ivanov他,1998)で行われた出生コホート研究の結果と対照的に、これらの研究はこの期間に生まれた1〜3もしくは1〜4歳の幼い子供の間における白血病の発症率における増加に関しほとんど示唆を与えなかった。したがってチェルノブイリ事故後すぐに生まれた子供に関する白血病のリスクの増加の過小推定は子供の後年に関して保持されるとは思われていない。

子供の甲状腺癌

31 委員会は、チェルノブイリ事故時のFSUにおけるひどく汚染された地域に居住する子供における甲状腺癌のリスクの実質的な増加に対する証拠が大量に存在することを受け容れている(UNSCEAR,2000)。また委員会は、例えば甲状腺線量を正確に評価することが困難であるため、これらのデータからのリスク係数の導出に影響しているかなりの不確実性を認識している。それにもかかわらずチェルノブイリのデータから導かれる小児甲状腺癌のリスクの推定値は、治療目的のための外部放射線源により被曝した子供のグループから得られる推定値と大幅に相違するものではない(Ron他,1995)。

アメリカ合衆国

34 Archer(1987)は1949〜1979年におけるアメリカの子供や青少年(5〜19歳)の白血病死を検証しており、核実験からの被曝がより高い期間と場所においてさらに高い割合になることを見出している。彼の研究から導かれる放射線リスクは現在のリスクモデルにより予測されたものと類似している。白血病における地域の違いは、食料、牛乳、人間の骨にSr90が濃縮することを用いた複合被曝指標に一致している。何人かのメンバーは、この研究が標準的なリスクの推定値から予測されるより大きいSr90による内部被曝からの増加したリスクを暗に意味していると結論づけている。Archerの研究の1つの主要な問題は、それが死亡率の研究ということであり、それゆえフォールアウトによる被曝に関連しているかもしれないパターンは、全ての地域で一定の割合で変化していないかもしれない変化している背景にある割合に対して見出されなければならないということになる。このことはArcherの研究結果を解釈することを困難にしている。

北欧諸国

36 北欧諸国は、大気核実験のピークの期間において国家的な癌記載の高い質を維持している。Darby他(1992)は、核実験フォールアウトからの放射線被曝に関連した合計北欧5カ国における小児白血病発症率における一時的な傾向を検証しており、(a) 生後の子供、(b) 子宮内の胎児、(c) 父方の精巣を含むものになる。付近の中間的な被曝期間と比較して高い被曝期間において白血病の発症率は有意に上昇しており、15歳以下の子供に対し相対的なリスクの増分は0.07(95%信頼区間は0.00、0.14)になり、5歳以下の幼児に対し相対的なリスクの増分は0.11(95%信頼区間は0.00、0.24)になる。これらの相対的なリスクの増分は統計的に有意であるけれども、増分の大きさは小さいものになる。それらは同様にやや大きなリスクと一致しているけれども、標準的な放射線リスクモデルによって予測されるリスクとも一致している。

イギリス

39 2つの主要な研究は、核実験にともないイギリスにおける小児白血病に対し行われている。DarbyとDoll(1987)は、核実験のピーク後における小児白血病による死亡率と発症率を検証し、リスクにおける深刻な過小評価の証拠を見出さなかった。しかし小児白血病による死亡率は1960年代にピークに達しており、その後治療の改善により減少し、この研究時に利用できる期間の英国の小児白血病におけるデータの質には疑問が残り、結果を解釈することを困難にしていた。HaynesとBentham(1995)は、小児白血病の死亡率と記載率がフォールアウトの影響から期待されるものと反対に、さらに高い降雨の地域よりさらに低い降雨の地域において一般的にさらに大きくなることを見出している。しかし最も高いフォールアウトの期間においてこのパターンは0〜4歳のグループにおける死亡率について逆転しており(発症率に対してではない)、それは乾燥した地域における死亡率の増加とともに組み合わさって、降雨の多い地域における死亡率の減少によるものである。割合におけるこの複雑なパターンはフォールアウトに関する解釈を困難にしている。著者は、結果が生存や記載における変化もしくは記載のケースにおける偶然の機会によって説明されるかもしれないと結論づけているが、かれらはフォールアウトからの放射線による低線量がイギリスにおける幼児の白血病のリスクの増加を説明している可能性を除外していない。HaynesとBentham(1995)はこの仮の結論を掘り下げようとせず、フォールアウトの影響を定量化しようともしなかった。

41 また委員会はそのメンバーの1人からの論文の内容を考慮しており、それは北欧諸国やイギリスに対し利用できる加工されていないデータから得られる5歳以下の幼児における白血病の発症率をコネチカット州、サスカチュワン州、ニュージーランドにおけるこの年代の公表された白血病の記載率と比較している。これらの国、州、地方は核実験のフォールアウトのピーク時をカバーしている信頼できる小児白血病の記載データを有する主体になる。分析は8つの記載主体(さらにかなり低いフォールアウトを経験した南半球にあるニュージーランドを含む)から導かれる割合に対して一貫性を示しており、放射性核種のフォールアウトによる被曝のリスクがかなり過小推定されているならば予測されるだろう1960年代半ばと後半における小児白血病の顕著な増加の証拠は存在していない。

4.5 原子力施設付近または沿岸や河口地域における発癌率

4.5.1 原子力施設付近の地域における発癌率

セラフィールドとダウンレイ

48 2人のメンバーは海への放出から生じる放射性物質の粒子からの放射線と小児白血病の増加が結びついている高い可能性が存在していると信じている。彼らは、放射性核種の海から陸への移動の事実とさまざまな地域における沿岸や河口付近の癌発症率と死亡率の増加の疫学的研究に対して注目していた(以下と付録4Cを参照せよ)。再処理からのさらにかなり高い放射性核種の放出により。リスクは原子炉よりむしろ核燃料が再処理される施設付近で最も高くなるだろう。彼らは、フランスのノルマンディーにあるラアーグ再処理工場周辺で行われた小児白血病に関する症例対照研究において、PobelとViel(1997)が妊婦と子供による地元の海岸の利用と子供による地元の海産物の消費における統計的関連性を見出していると指摘している。Urquhart他(1991)はダウンレイ周辺における同様の研究における子供による地元の海岸の利用との関連性を見出している。しかしこれらの関連は自己申告の習慣における情報に基づいており、Gardner他(1990)はさらに高い海洋放出を行っているセラフィールド付近における関連性を見出しておらず、これらの著者はこのように得られる潜在的に低い質のデータに対し警告を行っている。

49 またこれらの2人のメンバーは、O’Donnell他(1997)の研究がセラフィールドから遠く離れたところに居住しているイギリスやアイルランドにおける若い人々から矯正目的のために抽出された歯におけるプルトニウム濃縮の有意な減少を見出していると指摘しており、彼らは、そのことがセラフィールドからのプルトニウムにより人々が広く汚染されている証拠になると信じている。他のメンバーは、この結果はセラフィールド付近で集められた歯におけるデータによってかなり影響されており、このトレンドは過大に解釈されるべきではないと指摘している。部検調査は施設に近い地域に長く居住している住民の肺にセラフィールドからごく初期に大気放出された痕跡を示す同位体組成を有するプルトニウムを見出しているが、他の生物検定における情報は海に放出された放射性物質の体内における顕著な存在を支持していない(Stather他,1988,Popplewell他,1989)。ダウンレイ付近やグラスゴーで生活している白血病の影響を受けている子供やこれらの地域における健康な子供や大人の尿におけるプルトニウムに関し微妙な部分を示す研究は、プルトニウムの濃縮において核実験のフォールアウトを背景に有する人々からの逸脱を見出していない(Watson and Sumner,1996)。

4.5.2 イギリスの沿岸や河口部における発癌率

55 委員会の何人かのメンバーはグリーン・オーディットにより用いられる方法論やデータを強く批判しており、そのメンバーは多くの未公表のレポートを生み出しており、これらの研究における結果の妥当性を受け容れていない。グリーン・オーディットの研究における方法論はかなり疑わしく、信頼できない結果になる。またこれらの研究はCOMAREによって厳しく批評されている(2001,2003a,2004)。委員会のメンバーはいくつかのグリーン・オーディットの研究に対し詳細に批評された評価を用意しており、そのレポートにおいて重大な欠陥を見出しているが、グリーン・オーディットの研究における著者は一般的にこれらの批評を受け容れていない。しかしグリーン・オーディットは、ブラッドウェル地方における初期の研究で用いられた癌死亡率のデータが間違いを含むものであることを受け容れていないが、これらは訂正されている。また重大な矛盾が、ウェールズの沿岸地域で生活している幼児における白血病のリスクの顕著な増加を示していると思われる研究においてグリーン・オーディットによって用いられているウェールズの小児白血病における記載データに見出されている。またCOMAREは、これらのウェールズのデータ(元来、以前のウェールズにおける癌の記載によってグリーン・オーディットに与えられている)は明らかに間違いであると結論づけている(COMARE,2001)。削除された元のデータにおける矛盾を抱えている2番目のデータセットはウェールズの沿岸地域におけるグループの有意に増加されたリスクを示していない。グリーン・オーディットの研究に依存している2人の委員会のメンバーは、かれらはこれらのデータが必然的に間違っていることを受け容れていないけれども、1番目のウェールズの小児白血病のデータセットはCERRIEの目的のために除外されるべきであることに同意している。しかし同時期のレポートはウェールズにおける小児白血病の高い割合が元の記載されたデータにより暗に示されるものであることを確認しておらず、これらのデータは正常でない状態で切り離されたままである。2番目の(同意されている)ウェールズのデータセットに基づくと、ウェールズの沿岸付近における小児白血病の増加されたリスクに関し、初期のグリーン・オーディットの主張のための証拠はほとんど存在していない。

4.6 原子力産業の労働者とその子供たち

62 Gardner他(1990)による、子供をもうける前のセラフィールドの労働者によって被曝される外部放射線の線量と彼らの子供における白血病の発症率の間における相関の結果は当初、内部放射体による精巣の照射が役割を演じていると示唆されていた。しかしセラフィールドの労働者におけるその後の研究は、外部線量の関連性を確認する一方、内部放射性物質に対する被曝との同様の関連性を見出していない(HSE,1993,1994,Hodgson他,1994,Dickinson and Parker,2002)。さらに外部線量の関連性は子をもうける前の照射に関する仮説を生み出した研究から独立したデータを用いた研究によって確認されておらず、これらの地域における影響を及ぼされた子供の大多数が子をもうける前に被曝していない父親を有しているため、ダウンレイとラアーグ周辺小児白血病の症例の増加を説明することができていない(COMARE,2002)。COMAREはその第7レポート(2002)で、「我々は男性放射線業務従事者が被曝する線量における電離放射線のみが小児癌の発症の増加を導くとする説得力のある証拠を見出していない」と結論づけている。

4.7 癌以外の影響

63 現在のICRPリスク係数に組み込まれている低線量の癌以外の唯一の影響は遺伝子異常になる。しかしICRPの放射線防護体制は、閾値によって特徴づけられる一般的に認められた確定的影響(例えば眼のレンズにおける白内障)を考慮している。さらにこの体制は子宮内における照射によって誘発される影響(例えば肢体の不自由さや深刻な知的障害)を考慮に入れている。癌以外の影響に求められる線量の大半は比較的高いものになるが(しばしば1Gy以上)、Hall他(2004)による最近の論文は、100mSvまで下げられた線量により乳児において外部照射された後、成人になってから認知機能への悪影響を示す線量反応を示唆している。委員会は、もし感受性の高い細胞が十分に被曝されたならば、癌以外の影響は内部放射体からの放射線によって誘発される可能性があることを受け容れている。

64 委員会は、例えば心血管疾患、脳卒中、呼吸器、消化器系疾患といった特定の身体における癌以外の影響に対する線量反応における疫学的証拠を考慮している。この証拠は主に内部放射線よりむしろ例えば日本の原爆生存者といった外部放射線に対する被曝の研究(Preston他,2003)から導かれている。原爆生存者のデータに基づき、委員会は、子供の時における放射線に対する急性被曝に随い、生涯に亘った絶対的なリスクは1Svあたり約10%になるかもしれない、つまり固形癌の死亡率に対し大雑把に約半分の対応した値になるかもしれないと推定している。50歳で被曝した人々にとって、生涯に亘るリスクは癌以外と固形癌の死亡率に関し同様になるかもしれない(1Svあたり約3〜4%)(Preston他,2003)。これらの癌以外の影響のリスクが低線量において存在しているかどうかは放射線によるそれらの誘発の生物学的メカニズムに依存しており、それはまだ確定されたものではない。

4.9 今後の疫学的研究に関する勧告

76 一般の人々の多くのグループは、人工による放射線核種によって被曝されている。特に、大多数の人々が幅をもった被曝を経験しているため、FSUで被曝したグループは特別な関心の対象になる。チェルノブイリのフォールアウトにより被曝した人々、特に子供のときにひどく被曝した人々は治療はもとより(訳注、この「治療」に関する文言は本文中には記載されていない)研究の対象であることが望まれている。他の特定の例はカザフスタンのセミパラチンスク核実験場からのフォールアウトを被った地域における住民とテチャ川近隣地域の住民である。テチャ川は1940年代後半から1950年代前半においてマヤーク施設から大量の放射性廃棄物を投棄されており、地元住民に対し高い被曝を被らせている。委員会はこれらのグループを研究する努力を継続することを支持している。

付録4A
チェルノブイリ後の疫学

ヨーロッパやアメリカ大陸

(2) ギリシャで行われた研究において、Petridou他(1996)は、1986年4月のチェルノブイリ原子力発電所事故の結果として子宮内で放射線被曝した、1986年7月1日から1987年12月31日までの18ヶ月の期間に生まれた子供における小児白血病の割合を検証した。この被曝したコホートにおける発症率は1980〜1985年か1988〜1990年のどちらか一方において生まれた被曝していないコホートにおける発症率と比較されている。続いて西ドイツ(Steiner他,1998)、ベラルーシ(Ivanov他,1998)、アメリカの一部(Mangano,1997)において行われた研究は同様の方法でデータを分析している。これらの研究からの結果は表4A.1に纏められている。

(3) 小児白血病に対する上記の結果と対照的に、ギリシャ、西ドイツ、ベラルーシで行われた出生コホート研究は1〜3歳もしくは1〜4歳の幼児における白血病のリスクの上昇を示していない。表4A.2を参照せよ。

付録4B
核実験フォールアウトの疫学

アメリカ

(7) Archer(1987)は、アメリカにおける小児白血病の死亡率は大気核実験後数年間増加し、その後急速に減少したことを報告している。その後の治療の改善がこの疾患に対する治癒率における上昇を導いていることが指摘されるべきである。図4B.2で示されるように、コネチカット州(Heston他,1986,コネチカット癌登録,2001,Polednak,2001,2003)やカナダにあるサスカチュワン州(Wang and Haines,1995)における長期に亘る癌の記載は、Archerによって報告される死亡率のデータと同じタイプの1970年代の白血病発症率における減少を示していない。しかしそれらがさらに小さい人口と関連しているため、癌記載データはまばらである。またArcher(1987)は、アメリカの小児白血病の死亡率における州の違いは食料、牛乳、人間の骨に濃縮するSr90に基づく複合被曝指標と相関していることを指摘している。Sr90とCs137から4.05mGyという推定された子供に対する赤色骨髄線量とフォールアウトのピークの間5〜19歳の白血病の死亡率における9.5%の推定された増加に基づき、Archerは白血病の死亡率は1Gyと1年において10,000人あたり6.46人増加すると推定していた。この値は、日本の原爆データに基づいたBEIR V委員会により予測された値と類似していた(NRC,1990)。しかし、フォールアウト線量の過大推定により、おそらくSimon他(1995)によれば2という係数によって、Archerの値は過小推定されているかもしれない。

5 結論

内部放射体のリスクをテーマにした第2章から

5 ICRPは、経口摂取や吸入による放射性核種の摂取から生じると推定される放射線量における包括的な情報を与えている。ICRPは体内動態や線量測定モデルそして等価線量や実効線量と呼ばれる量を計算するために用いられる荷重係数の値を公表している。モデルが対象となる器官、組織、組織における部位に対する吸収線量(Gy)の推定値を与えるために用いられる一方、等価線量と実効線量は、RBE(wR)やトータルリスクもしくは癌や遺伝的影響からの被害に対する個々の組織の寄与(wT)を説明するために影響に関連した重み付けを導入している。個々の組織に対する等価線量の計算は、特定の癌(もしくは遺伝的影響)の全体のリスクを評価するために異なった放射線のタイプからの線量を合計する単純で都合のよい方法になると思われる。全ての全身もしくは実効線量を与えるために等価線量を重み付けし合計するさらなるステップは、全身被曝の限界と比較するために内部や外部といった全ての放射線被曝の合計を許容することにおいて都合がよいとされている。しかし実効線量のみの使用は、特定の組織の照射や線量移動の経時変化の双方において異なった放射線核種からの線量の移動における非常に異なったパターンを隠す可能性がある。実効線量は特定のタイプの癌のありうる発症率における情報を与えず、癌の誘発における全体的な確率のみを与えるものである(タイプの区別はない)。委員会は、ICRPが線量限界以下の線量において放射線防護の目的から実効線量の使用を留保することを勧告していることを強く強調することを指摘し、また感じるものである。特定の評価にとって、ICRPは吸収線量と関連した放射線及びリスク係数に対するRBEに関連した特定のデータを用いることが時として好ましくなるだろうことを勧告している。委員会は、線量が遡及的線量評価や疫学データの解釈のためかなりの割合の線量限界になり、またなるかもしれないとき、そのような特定の情報が適用されるべきであることを考慮している。委員会はさらに、ICRPの方法論の科学的基礎は問題にされ続けるべきであり、微量線量測定法や放射線生物学における展開がそれらの信頼性に対する判断を促すべきであることが重要であると結論づけている。

トリチウムをテーマにした付録2Bから

9 委員会は、放射線生物学やトリチウムのRBEが1以上になるといったRBEの実験からのかなりの証拠が存在していることを許容している。HTO被曝の全ての観察される影響を考慮すると、RBE値は1〜3.5のレンジに存在する。γ線にとって、ほとんどの値は1〜3になり、一方X線との比較において、ほとんどの値は1〜2になり、1〜1.5の値が優勢になる。トリチウムのβ照射に対しこれらの測定されたRBEは微量線量測定法的考慮に基づく推定値と合理的に一致している。一部の委員会のメンバーは、人間における癌の誘発に対するトリチウムのRBEの推定値に最も関連しているため、動物における発癌性の研究に言及している。マウスにおける乳腺腫瘍や急性骨髄性白血病の研究はX線と比較し約1といった値を示していた(Gragtams他,1984,Johnson他,1995)。メンバーは、トリチウムからのICRPの等価線量の計算におけるwRの使用に対するトリチウムのRBEのデータの含意において異なった見解を有していた。何人かは一般的な放射線防護の目的のために全ての低LET放射線に対し1という唯一のWR値をICRPが用いることを支持し、一方他はICRPが規程通りにトリチウムのβ放射に対し2以上のwRを適用するべきであると考えていた。

10 一部の委員会のメンバーは、RBEに追加される係数はトリチウムに対してはICRPモデルにおいて否定されており、現在の線量係数は約10倍ほど過小評価されているかもしれないと考えていた。ECRR(2003)レポートに貢献しているこれらのメンバーはトリチウムに対して10〜30のwR値を指摘していた(第2章のテキストを参照せよ)。他のメンバーはHTOに対するICRPの線量係数実質的に過小推定値になると結論づけ、OBTに対する値は、特定の物質に適用しないほうがよいかもしれないので、注意を払って用いられなければならないと指摘していた。

オージェ放射体をテーマにした付録2Cから

12 委員会のメンバーは、細胞の位置と組織における細胞の不均一分布に基づいたオージェ放射体からのリスクの増大の可能性は個々の放射線核種と関心となる化学形に対して検証されるべきであることに同意している。このことは、細胞核に有意に存在を示しているこれらの放射性核種/化学形に対する生物学的影響の研究とともに、分布に関する実験的な研究を含むだろう。ICRPはオージェ放射体に対するこれらの不確実性を認識しており、それらは特別なケースを示しており、特別な注意が払われ続けるべきであるだろうことを述べている(ICRP,2003)。

α放射体をテーマにした付録2Dから

14 委員会のメンバーは、体内における放射性粒子の振る舞いにおける利用可能なデータがそれらが容易に胎児に移動し、子宮内において白血病の高いリスクを呈する提案を支持しないことに同意している。しかしありうるリスクの程度は同意されていない。また気道のICRPモデルは一般的な循環に対し粒子のリンパ液上の動きを考慮しておらず欠陥が存在していると述べている。

生物学的証拠をテーマにした第3章から

16 セカンドイベント理論、激しい粒子の理論、2つのフェーズをもつ反応、人工と自然における放射線核種の比較において、2人のメンバーが、これらの理論は現在のICRPモデルが非常に不正確であり、2〜3ケタのオーダーの大きさ以上に放射線のリスクの真のレベルを過小評価する可能性があることを意味していると考えていた。委員会の約3分の1がこれらの理論とICRPのリスクがかなり不正確であることに同意しなかった。また他の3分の1は上記の理論に同意しなかったが、ある場合には異なる理由になるけれども、現在の放射線リスクがまだかなり過小評価されているかもしれないと考えていた。以下と第2章を参照せよ。

17 ほとんど半分のメンバーはこれらのメカニズムにおける生物学的証拠が現在のICRPのリスクモデルに十分に反映されていないとの見解を抱いていた。現在のリスクはそのため、少なくともある程度、そしておそらくいくつかの核種に対しはかなり、過小評価されている可能性があった。これらのメンバーはこれらの過小推定値はいくつかの疫学的結果を説明する可能性があり、特にCOMAREが観察される白血病の発症率がNRPBによって推定されるリスクより約200〜300倍大きい放射線のリスクを求めるものになるだろうとされるシースケールにおいてそうなるだろうと考えていた。これらのメンバーは、これらの生物学的メカニズムは別々に(加算的に)というよりむしろ、ともに(乗算的に)作用する可能性があり、リスクにおける観察される増加を説明するために求められるレベルまでリスクを増加させるだろうといったことを指摘していた。

20 放射線に誘発されるバイスタンダー効果や放射線に誘発されるゲノムの不安定性における新しい知見は低線量における健康上のリスクやそれらの定量的不確実性の考慮の中に含まれ続けるべきであるといった一般的な合意が存在していた。この点で、委員会は1990年に定式化された現在のICRPの勧告が第3章において議論されたかなりの生物学的情報に関し遅れていると認識していた。委員会は、特に微量線量測定法、誘発されたゲノムの不安定性、バイスタンダー効果、癌のメカニズム、生殖細胞系におけるミニサテライト変異に関し、継続する国内と国外の放射線生物学における研究プログラムを承認した。

6 勧告

1 委員会は、線量と内部放射体からのリスクを考慮するとき、ICRPは等価線量と実効線量の意図された使用とそれらの限界に対しもっと説明を与えるべきであると勧告する。ICRP(1991)は以下のように述べている。

「既知の人口における被曝のありうる結果に対する推定値にとって、吸収線量と関連する放射線の相対的生物学的影響と被曝人口に関する確率係数に関連している特定のデータを使用することがときとして好ましいとされるだろう。」

委員会のメンバーはこのアドバイスは精緻化されるべきであると考えていた。特に、内部放射体による被曝における特定の情報の使用は、線量が遡及的線量評価や疫学的データの解釈において限界や制約に達しているかもしれない状況で、必要になるだろうといったことが明らかにされるべきである。

4 放射線の生物学的影響における新しい知見は低線量における健康上のリスクやそれらの定量的不確実性を考慮の中に含められ続けるべきであるといった一般的な合意があった。この点で委員会は、1990年に定式化された現在のICRP勧告は第3章で議論されたかなりの生物学的情報に遅れていることを認識していた。委員会は、特に微量線量測定法、誘発されたゲノムの不安定性、バイスタンダー効果、癌のメカニズム、生殖細胞系のミニサテライト変異に関して、継続的な国内と国外の放射線生物学における研究プログラムを承認した。重要な側面は、低線量における影響に対する線形閾値なしの線量反応における仮定に対する信頼だった。

May 29, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
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May 09, 2011

フランス科学アカデミーとフランス国立医科大学、Académie des Sciences - Académie nationale de Médecineによるレポート(2005)をICRP2007年勧告と比較して考えたことー放射線によるDNAの傷にともなうゲノムの不安定性に対するリスクを細胞の自己修復機能や防御メカニズムの範囲内におさめることが求められている

低線量被曝に関して二次もしくは超線形の関数によって説明することやホルミシス効果の存在を肯定していることはECRRと同様であり、線型モデルを採用しているBEIR VIIと異なっている。そして放射線防護の観点からホルミシス効果を取り入れるべきではないといったECRRの立場と類似しているように見受けられる場面があったが直接の言及はなかったように記憶している。生物学的、医学的説明に関して比較的易しい事例が採用されるケースが多く、その点でECRR、BEIR VIIと異なっている。

いずれにせよ低線量被曝における影響は疫学上の観点から、線量、線量率、被曝時の年齢、被曝された組織、影響の種類によって異なるモデルを採用する必要があり、全てをLNTで説明するには無理があるといった立場に立っていることが、ICRPの勧告から類推される背景と異なる点であろうか。そしてECRRも同様の観点から、類似した議論を展開していた。

1つの電子が細胞を通過する線量を1mSvで説明するならば、物理的には10個の電子が細胞を通過する線量を10mSvで説明することが可能になろうが、吸収線量つまりmGyやGyによってその影響は異なるのだが、生物学的には非常に大雑把に言えばDNAにおける傷がどのような分布で存在するのかと細胞の自己修復のメカニズムとの関係の中でその影響が説明されることになり、疫学的にその影響をデータで補足するといった学際的な研究がこの分野においてなされている現状がある。

疫学的データを考慮していることに変わりはないが、ICRPやBEIR VIIはモデルドリブンの傾向があり、ECRRやこのレポートはデータドリブンの傾向があると把握する視点があろうかと考えることがあるが、いずれにおいてもモデルとデータの双方が検討されていることに大きな違いはない。

結論として空間線量を低くする努力が求められていることに変わりはないが、長期に亘る低線量の被曝をモニタリングする立場にとどまるならば、疫学的研究、調査の立場から一歩踏み込んで、被災地の方々を疫学的研究、調査の被験者における立場にさせることを避けるために被曝線量を減らす努力が求められると考えることがあり、同時にこれまでの知見を詳細に検討する必要があるだろう。

以上のような見解をフランス科学アカデミーとフランス国立医科大学によるレポートを理解する中で考えることがあったが、レポート自体はフランス語で記されている訳ではなく平易な英語による記述になり、同時にこれまでの論拠のサポートとして、レポートの一部を訳すことを試みてみたい。URLと訳は以下に示される。
http://citeseerx.ist.psu.edu/viewdoc/download?doi=10.1.1.126.1681&rep=rep1&type=pdf

フランス科学アカデミーとフランス国立医科大学

線量と影響の関係および低線量の電離放射線の発癌性に対する影響の推定

2005年3月30日

専門家向け概要

疫学的研究は100mSvより低い線量の潜在的な発癌性へのリスクを決定するために行われてきており、それらは大規模な群や集団においてさえ統計的に有意なリスクを検出することができていない。したがって信頼区間の一番高い限界が相対的に低いことから、これらのリスクは悪く見積もっても低いものになる。一般的に発癌性へのリスクとされているものは統計的に推定されるものであり、症例管理における研究や集団の追跡調査を通じそのような線量を確立することはあまり現実的ではない。数十万の被験者にとってさえ、そのような疫学的研究の説明する力は、非照射群においてすでにかなり高くライフスタイルによって変動する自然癌の発生に加えて、癌の発生や致死率における非常に小さな増分の存在を示すには十分なものにはならないだろう。高い自然照射や低い自然照射が存在し、そして類似した生活状況を抱えている地球上の地域の間における比較のみが、このレンジの線量や線量率に対し有益な情報を提供することができるだろう。ケララ(インド)や中国で進行中の研究における結果は注意深く分析される必要がある。

これらの疫学的限界のため、低線量(<100mSv)のありうるリスクを推定するための唯一の方法は0.2Sv〜3Svの間で観察される発癌性に対する影響からの外挿になる。

LNTモデルは、線量と検証されうるこの線量のレンジにおける発癌性に対する影響の間の関係をよく説明している。しかし、外挿により低線量および非常に低い線量のリスクを評価するためにこの関係を使用することは細心の注意を要する。最新の放射線生物学のデータは、数十mSvより低い線量のレンジにおいてLNTに基づき推定することに対する妥当性をそこない、それはLNTが暗黙の基礎としている仮定に対する問題に繋がり、1)線量および線量率がなんであれ単位線量あたりの突然変異の確率における安定性の問題、2)隣接する細胞や組織に存在する傷の数がなんであれ細胞の発生が同様に展開した後の発癌プロセスにおける独立性の問題が挙げられる。

実際、1)数mSv(<10mSv)の線量において傷は細胞の消失により除去され、多数の細胞を傷つけるわずかにより高い線量(そのため組織に傷を与えることがある)においては修復システムが促進される。それらは細胞を助けるかもしれないが、間違った修復や修復できない傷を生じさせるかもしれない。低線量(<100mSv)において、変異した遺伝子の修復の程度は小さくなるが、単位線量あたりの相対的重要性は線量や線量率とともに増大する。修復の期間は損傷とその量の複雑性にともない変化する。幾つかの酵素におけるシステムも含まれ、DNA損傷の高い局所的密度はそれらの有効性を低下させるかもしれない。低線量率において間違った修復の確率はさらに小さくなる。線量、線量率、傷のタイプや数、細胞の生理学的状態、そして影響を受けた細胞の数による細胞の防御メカニズムにおける変化は、観察される線量や線量率に依存している放射線感受性における大きな変化(細胞死亡率や単位線量あたりの突然変異の確率における変化)を説明する。細胞の防御メカニズムにおける変化は同様にいくつかの現象によって示され、照射中における当初の細胞の過剰な過敏さ、非常に高い線量率における短く強烈な照射の後における放射線感受性の急速な変化、当初事前に準備された放射線による低線量に随い数時間もしくは数日間における細胞の放射線感受性の減少の原因となる適応性における反応等が挙げられる。

2)またランダムにいくつかのターゲット(原癌遺伝子、抑制遺伝子など)に影響するゲノムの傷によって放射線発癌現象が発生されると想定される。LNTの使用における理論的なフレームワークを与える比較的単純なモデルは、遺伝的なもしくは後成的な傷を含むさらに複雑なモデルによって置き換えられ、その中において発生した細胞とそれらのミクロな環境の間の関係が必要な役割を果たすことになる。発癌プロセスは細胞、組織、そして器官における有効な防御メカニズムによって相殺される。組織について、傷を受けた後、胚発生や直接の細胞修復を支配するメカニズムは細胞増殖のコントロールに重要な役割を果たすように思われる。このことは特に、形質転換細胞が正常な細胞に囲まれているときに重要である。これらのメカニズムは、少量のα線放射性核種により影響を及ぼされた人間や実験における動物の発癌性への影響がないこと同様、異種の照射、例えばグリッドを通じた局所的な照射における有効性の低下を説明することができる。後者のデータは閾値の存在を示している。多数の細胞の死が組織を壊し、組織から発生した細胞の流出のコントロールを促すので、細胞間の相互作用は同様に組織と線量に随った発癌性の確率における違いを説明するのに役立つことがある。

3)腫瘍細胞を移動させることにより示されるように、免疫監視システムは形質転換細胞のクローンを除去することができる。免疫監視の妥当性は、免疫抑制の対象の間のいくつかのタイプの癌の発生の大幅な増加によって示される(関連の理由はDNA修復(NHEJ)と免疫不全における欠陥の間に存在しているように思われる)。すべてのこれらのデータは、低線量のさらに低下した有効性や、細胞のシグナル伝達とその後のDNA修復メカニズムを十分に有効にする非常に低い線量の機能低下や細胞死に関する間違いない修復と免疫監視の間の関連のいずれか一方に関して、実用的な閾値の存在が示唆される。しかし現在の知識に基づくと、閾値(5〜50mSv)を定義することやそのための事実を与えることは不可能である。特に細胞防御のメカニズムに対する刺激は活性酸素の種に対応する。実際、実験における動物データのメタ分析は、これらの研究の40%において、低線量被曝後、動物における任意の癌の発生について減少がみられるということを示唆している。今まで現象を説明することが難しかったため、この観察は見逃されてきた。これらのデータは、同じ線量の増加に対し生物学的有効性が全ての線量と線量率の関数として変化するので0.2〜5Svの線量のためになされた低線量の発癌リスクの観察を評価するための線形閾値なしの仮定を用いることは正当化されないということを示している。このレポートの結論は実際以下の議論によるLNTの使用を正当化する他の著者[43,118]の結論と矛盾している。

1. 10mGyより低い線量において、DNAや細胞に関し電子の軌跡に沿って発生した異なる物理現象の間の相互作用はない。

2. 原因となる傷と間違いがあるケースやないケースの可能性の性質そして細胞死による損傷した細胞の除去は線量や線量率により影響を受けない。

3. 癌は分裂しがちな細胞におけるDNAの傷の直接的なそしてランダムな結果であり、癌を増加させる発生した細胞の確率は隣接した細胞や組織における損傷により影響されることはない。

4. LNTモデルは広島と長崎の集団における固形腫瘍を誘発する線量と影響の関係に当てはまる。

5. 10mGyのオーダーの線量の発癌性への影響は子宮内の照射研究からの結果により人間のために示されている。1番目の議論は線量に比例する初めの物理化学的結果に関連している。しかし細胞の活性化された防御反応に対する性質と妥当性は線量と線量率に伴って変化している。2番目の議論はこのレポートで考慮されている放射線生物学上の研究によって否定されている。3番目の議論は発癌プロセスの複雑性と細胞間の関係や基質に対する特別な役割における最近の知見を考慮していない。4番目の議論に関し、LNTに加えて、他のタイプの線量と影響の関係は原爆生存者における固形腫瘍に関するデータとも適合し、十分にLNTの概念と適合しない疫学的データ、特にこれらの原爆生存者における白血病の発生とも適合しうる。さらに入手可能な最新のデータを考慮すると、広島と長崎の生存者における固形腫瘍における線量と影響の関係は0〜2Svの間において線形でなく、曲線になる。また、たとえ線量と影響の関係が例えば50mSv〜3Svの間における固形腫瘍に対し線形であると示されていても、線量と影響の関係が腫瘍のタイプや被爆時の個人の年齢によりかなり変化することを示している実験上のそして臨床上のデータを理由にすると一般化は不可能であろう。固形腫瘍に対し観察される大きなそして経験上の関係は、癌のタイプによって、例えば線形か二次式か、閾値をもつかもたないかなど、かなり異なる可能性があるすべての関係と一致している。

結論として、このレポートは低線量(<100mSv)そしてさらに非常に低い線量(<10mSv)の発癌リスクを評価するためにLNTを用いることの妥当性に対し問題を提起している。LNTの概念は10mSv以上の線量に対する放射線防護におけるルールを評価することに対し実用的なツールになりうる。しかし我々の現在の知識における生物学上の概念に基づいていないので、外挿によって低線量やさらに低い線量(<10mSv)に関連するリスクを評価すること、特に欧州指令97-43によって放射線科医に課されるリスク便益評価にとって特別な注意なしに用いられるべきではない。生物学的メカニズムは数十mSvより低い線量やそれより高い線量に対し異なっている。放射線検査(0.1〜5mSv、いくつかの検査では20mSvまで)の線量のレンジにおける最終的なリスクは放射線生物学上のそして実験上のデータを考慮に入れ推定されなければならない。200mSv以上の線量で検証されている経験上の関係はリスク(100倍以上低い線量に関連づけられた)の過剰評価に結びつくかもしれない、そしてこの患者が役に立つ検査を受けることを思いとどまらせる可能性があり、非常に低い線量(<10mSv)に対する放射線防護の手段におけるバイアスを誘発する可能性があるかもいしれない。

用語集

低線量。低線量や非常に低い線量とされる線量についてコンセンサスはない。著者によっては、低線量は200mSv以下もしくは100mSv以下になるかもしれず、非常に低い線量は20mSvもしくは10mSv以下になるかもしれない。このレポートの文脈では、我々は低線量を100mSv以下、そして非常に低い線量を10mSv以下にする。

1 イントロダクション

1.1 低線量の電離放射線によるリスクは直接評価されることができない。そのためそれらを評価する唯一の方法は高線量の影響から外挿することによる。この外挿に対し用いられる線量と影響の関係に応じて、低線量によるリスクはゼロ(もしくはホルミシス効果により負の値でさえあるかもしれない)から線量に比例した値(もしくは超線形でさえあるかもしれない)までのレンジになるかもしれない。低線量における発癌性のリスクの評価は、3つの例によって示されるように、医学において非常に重要である。

1.3 低線量の影響は通常、線形で閾値がない線量と影響の関係(LNT)を用いた外挿により推定される。低線量の発癌性のリスクを評価するこの方法は国際放射線防護委員会(データの収集と解釈を単純化するためのICRP[117])により1960年代に導入されている。LNTにおける関係は、作業期間中、線量率、被曝、放射線の種類に関係なく作業者が被曝する様々な線量を追加することができる。妥当なことだが、このことは、意思決定するために外挿によって低線量の影響を推定する実用的な目的のためにLNTの使用を促すものである[133]。線量が常に蓄積し、それらがどれ程低かろうとも、細胞やその核を横切る各々直接的にまたは間接的に電離した粒子は独立にふるまい、同じ影響を有するので、それらの線量は単位線量あたり同じ発癌性の可能性を有しているといったことを仮定することによって、この使用は後に正当化されている。この仮定は、1970年代にDNAの損傷と発癌性の間の関係が確立されたとき支持され、発癌性が確率的メカニズムによって引き起こされることが認められた。このことは、全ての照射でありながら低い線量が発癌性を導く修復不能なDNAの損傷を引き起こす可能性があり、LNTモデルが最も低い測定可能な線量であっても妥当であると想定することを論理的にした。LNTはそれゆえ、非常に低い線量のリスクを推定することに対する妥当性におけるあらゆる詳細な議論なしに、科学的なモデルの地位を獲得した[133]。

特にゲノムを保護するメカニズム(本質的にはDNA修復[10,15,56,192,251,298,302]を含めている)の存在やDNAが死により損傷された細胞を除去することにおける最近の証拠に照らして、この妥当性は現在問題にされている[1,84,272,273]。実際は、仮に単位線量あたりの影響が線量や線量率に関係なく一定であるならば、これらの防御メカニズムはLNTの妥当性を問題とするのに十分ではないだろう。しかし、このように一定であることを想定することは間違っているといったことが現在明らかになっている。我々は修復の影響は低線量率においてさらに大きいといったことを認めてるが、最近の研究[60,73,241]は、これらの違いを示すことにより、高い線量から低い線量への外挿に対するあらゆる科学的正当化を退けた。このレポートの目的はそのため学際的なデータ(生物学的な、生物物理学的な、疫学的な)を更新することになり、それによりさらに明らかに低線量と高線量の間における定量的、定性的違いやそれらの発癌性への影響を定めることが可能になる。

1.4 哺乳類の細胞における線量率に随った単位線量あたりの遺伝毒性の影響の確率における変動を考慮に入れるため、調整がICRPにより導入され、それは暗黙にLNTが臨床的、生物学的データを無視していることを認めている。線量、線量率、影響への要因(DDREF)はそのため低線量率における低線量の光子に対する被曝から生じる影響を示すために導入された。リスクを評価することに責任があるUNSCEAR、またはICRP委員会1のいずれかにおいて、この考え方の妥当性についてのコンセンサスはなかった。UNSCEARは、実験データを考慮に入れるため2から10までのDDREFのレンジを示唆した[281,282]。やや独断的にそして保守的に、ICRP[117]は2というDDREFを採用し、この選択の妥当性は問題とされた[118]。

1.6 我々は後に、放射線発癌現象、電離放射線による細胞、組織、器官の被曝により生じる物理学的、生物学的現象、放射線発癌現象における実験データや、疫学的データを検証しなければならない。これらのトピックは付録においてさらに詳細に説明される。最後に、データに照らして、我々はLNTの関係の妥当性を議論し、これらの議論の実用上の含意を考察しなければならない。

3 電離放射線により生じる物理学的、生物学的現象

3.4 線量と照射の時期に依存する突然変異と致死率の変化

等しい線量では、突然変異の影響は線量率に伴って著しく変動している[160,241,289,290]。線量率が増加すると、最低量を過ぎた後(ホルミシス)の突然変異の頻度は大幅に増加する[289]。もし同時に存在する傷の数が小さいならば、修復は一般的にさらに効果的になり、これからそれは高線量率より低線量率でさらに効果的になる。限られた数の傷は修復を高める細胞周期の進行を可逆的に止めることを誘発している。多量の傷は細胞死を導きうる細胞周期の停止を先へと追いやる[82,205]。修復にかかる時間は傷と修復が作用するシステムの複雑性に依存している。傷の高い局所的密度は修復の効率性をそこなうものである[303]。

3.4.6 概略として、4つの線量のレンジの間で区別されることができる。

- 約100mGy以下の線量や低線量率における線量において、損傷された細胞は除去され、可能であるときはいつでも、高い信頼性をもったメカニズムによって修復される。この除去/修復メカニズムが照射によって誘発されるとき、それはまた酸化による代謝により損傷された細胞上に作用する。酸化によるストレスにより誘発される解毒メカニズムと組み合わされ、これらの防御メカニズムは同様に実験上の動物において観察されるホルミシス効果を説明することができる[11,25,50,79,84,87,174,233,244]。しかし低LET放射線によって誘発される細胞の損傷は細胞代謝によって誘発される損傷とは異なり、それは、ⅰ)二重の鎖が損傷するさらに高い比率によるものと、ⅱ)纏まった傷(水酸基により損傷を受ける)の存在によるものと、ⅲ)細胞レベルにおける影響のさらなる不均一分布(区画されていない)によるものが考えられる。

ホルミシス効果を説明しうる他のメカニズムは試験管における実験において例証され、細胞の選択的死は悪性の形質転換を受けやすかった。これは関連した線量であると思われる[235,236]。

3.5 隣接する細胞、傍観者(標的部位から離れた所の)効果と、遺伝的不安定性の役割

これらの研究によって示されるように、癌細胞は遺伝的不安定性を含むかもしれない[Fouladi 2000] 。理論的には、不安定性は親の生殖細胞を通じて子供に伝わるかもしれない。そのことは被曝した親の子供における癌の増加を導くだろう。しかし、このことは人間では観察されておらず、これゆえ除外されることができるだろう[123]。

3.6 このレポートの主題は電離放射線である。しかし、その結論の大半が他の物理的(紫外線)や化学的(遺伝毒性)発癌媒体に同様に適用されることができ、そのためしばしば、管理上の理由で同様に、LNTの関係を適用する傾向がある。この傾向を問題とする時代が来ていると思われるが、その科学的基礎には問題があり[1,6]、それは不当な恐怖心や犠牲を引き起こす可能性がある。問題は物理的媒介以上に化学的媒介にとってさらに複雑であり、その理由として研究成果の2つの側面が考慮されなければならず、それは遺伝毒性と解毒作用を含むかもしれない代謝になる。

あらゆる毒性作用は多数の生化学的反応の結果である。X線と同様に、いくつかの媒介は高反応性化学物質(遊離基、影響力のある求電子試薬、酸素の反応性物質)の生成物の結果として直接的に、間接的にDNAの傷を誘発することによる遺伝毒性になり、一方他は防御反応を誘発する。それぞれの毒性作用にとっては、特定の防御メカニズムがある。例えば、金属チオネインが重金属をとらえる方法と同様に、グルタチオンが遊離基や求電子試薬をとらえる一方、スーパーオキサイドディスムターゼがスーパーオキシドアニオンを分解することがある。結果はこれらの2つのタイプの反応の間のバランスに依存している。もし線量が低く、防御が十分ならば、有害な影響はないだろう。もし線量が高く、防御反応がpHを超えるときの緩衝剤のように押さえ込まれるなら、有害な影響が生じ、それは線量に比例するだろう。

閾値やホルミシス効果さえ存在する可能性があるが、ここ10年における多くの議論は、これが化学的媒介におけるケースであることを示唆してきた[125,148, 238]。実際には、閾値における結果の分布はランダムではなく(もし存在するなら、正と負の効果の同じ頻度が存在するだろう)、負の効果はさらに頻繁に生じ、それはホルミシスの仮説を肯定している[49]。このことは近似の中に観察される。
毒性研究[50]の40%、つまりそれに類似した比率が実験における放射線発癌現象に関したDuportのメタ分析[79]の中に観察される。

4 実験における動物のデータ

対照動物において発癌性が十分に高いことを示す実験的な研究の中で、この発癌性の減少はそれらの動物の40%において低線量の照射に随い観察され、その観察はホルミシスの考え方と一致している。この知見はこの考え方の一般化を正当化しないが[286]、その存在を確認している[79,174,244]。

5 疫学的データ

5.2 低線量の分野では、利用できるデータは3つのグループに分類されることができ、被爆の間低いレベルの放射線を被爆した原爆生存者(高線量率)、住環境や労働環境において得られたデータ(低線量率の照射)、診断や治療の手続きの後得られたデータ(高線量率で細分化された照射)になる。

5.2.1 広島と長崎の原爆(HN)の生存者における発癌性の分析において、白血病と固形癌は区別されていた。放射線に誘発された白血病に関して、線量と影響の関係は統計的にLNTの関係と両立せず、近似において閾値の存在を示している。そして150mSvや100mSvより低い線量において自然に生じるリスクの低下(ホルミシス)がある[155,156]。固形腫瘍に対して線量と影響の関係についてかなりの議論があった。最近の分析は、線量と影響の関係は線形でなく曲線であり、おそらくパラメータにとってかなり類似した値をもつ線形二次であるかもしれない[224]。この新しいデータはさらに長い追跡調査と2002年における薬量測定の修正から便益を受けた[132]。低線量ではSvあたりの固形癌による死の過度なリスク(ERR/Sv)は現在0.19(95%CI: 0.03-0.37)[224]であり、以前の推定の半分以下であると推定されている[223]。Preston達は、最低線量における過度の相対リスクの分布における例外を支持することによって、リスクを評価することに対するこの関係の範囲を制限しているが、この理由付けを受け容れることは難しいことであり、その理由として、非常に低い線量において中性子のRBEが10や約30、それ以上よりかなり大きい値をもつことが挙げられる[291]。このような高いRBEは、現在これらの問題となっている非常に低い線量のレンジにおける高い過度の相対的なリスク(ERR)のいくつかを修正することを促すだろう。曲線の最初の部分の線形性(線形二次の関係の線形部分)は再考されるべきであり、低線量のレンジを超える低LET照射の固形腫瘍に対する影響は再評価されるべきである。

発生率のデータはまだ修正されておらず、ERRは5〜50、50〜150、50〜500、50〜4000mSvのレンジにおいて類似していると思われ、線量と影響の関係はLNTモデルと一致するが、同様に60mSvまでになりうる閾値や2次の関係をもつモデルとも一致している[213]。中性子に対するRBEの補正は光子の影響に対する閾値の存在を肯定する仮説を補強するはずである。爆撃の間被害を被った負傷者の癌のリスクにおける起こりうる影響が同様に報告されている[260]。

5.2.3 数十mSvの放射線に対し職業的に被曝した数百や数千の人々を含む疫学上の研究は100mSv以下の線量に対する統計的に有意なリスクを発見し除外するのに十分なほど役に立つものではないので、異なった自然レベルの放射線によって被曝された人間集団の比較のみが非常に低い線量率で管理された低線量(<20mSv/年)の影響についての量的情報を与えることができると考えられるが、それらの比較は十分に大きな集団において行わなければならない。現在、自然放射線が明らかにフランスより高い地域で行われる研究は自然放射のレベルと癌死亡率との相関はないと示されている一方、循環しているリンパ球における染色体異常は高いレベルの照射を裏付けており[268]、インドのケララ州(最大70mSv/年[194])、中国の地域で陽江市(10年間地域の住民100,000人をかなりモニタリングしており、6、4、2mSv/年[262,264,293,294])、日本(ラドンによる照射[169,202,256])が挙げられる。すべてのケースにおいて線量率は非常に低い。研究はこれらの当初の知見、それらの更新が興味深い情報をもたらすはずであるといったことを確認することが現在進行中である。医療診断における照射(高い線量率)のフレームワークの中で、医療記録や他の信頼できる線量に基づいた被曝からの類推を含む研究は、100mSvより低い線量において例え繰り返されても放射線検査後の白血病のリスクにおける増加を示していない[32,35,67,258]。過度のリスクを示す唯一の研究は検証できないケーススタディに基づいており、証人のインタビューによるため、バイアスが含まれている可能性がある[228]。甲状腺癌に関して、それらが子供や大人における頻繁な放射線検査によって生じる可能性があると示しているデータは存在しない[90.120]。3つの集団における研究は、100mSv以上からの線形の線量と影響の関係により放射線診断検査を繰り返した後、乳癌のリスクにおける増加を示し、相対的なリスクは被曝時の年齢によって明らかに減少していることが示されている[32,77,109,114,170,222]。これらの研究は100mSv以下においてリスクの増加を示さなかった。100mSv以下、特に50〜100mSvの間の線量におけるメタ分析は非常に役に立つものであり、付録4はこの分析がなされていることを示している。この文脈において、10mGyのオーダーの小分けにされた線量は乳癌のリスクにおける増加に影響を及ぼすけれども、1Gyのオーダーの累積的な線量にとって(胸部はこのことが示される唯一の器官である)、10mGyの単一の線量が、ICRPの最近のレポート案[118]で示されたように発癌性があると結論づけることは正当化されないと思われるといったことを指摘することは重要である。実際には、気胸のために追跡された女性の研究は500mGy以上の線量にとってのみ有益であり、この線量以下では、過度のリスクは実質的に0であり、9%と言うこともできるが、有意ではない。結核を患っていたこれらの女性は特に最初の妊娠における年齢と子供の数に関して一般的なカナダの人口集団と同じ他の乳癌のリスク要因をもっていることを確認することは同様に興味深くなるだろう。

放射線療法では、線量はさらにかなり高く、高い線量率で管理されている。対象となる部位に位置していない組織は数mGyから数Gyに至るまでのレンジの線量を被曝している。このリスクは数千から数十万人に至る患者を含むいくつかの研究で評価され、それは線量と放射された対象の年齢によってかなり変化する。例えば、癌のリスクの増大は子宮頸癌を治癒し放射線治療を受けた160,000人の女性に見受けられたが、50mGy以下の線量を被曝した組織における発癌性への影響はなかった[34]。同じ線量を被曝した子供において、誘発された癌の超過はさらに大きくなり、誘発された癌のタイプは異なっている。

ヨウ素131を用いる代謝における放射線療法は外部放射線療法よりかなり低い線量率になる。ヨウ素131による線量の管理は大人(甲状腺機能亢進症[110]のために治療を受けた10,000人の患者とシンチグラフィー[72]を受けた36,800人の被験者)において甲状腺癌のリスクを増大させなかった。子供において影響は観察されなかったが研究された子供の数は限られており(20才以下が1900人になり、18人以下が800人になる[99])、彼らの平均年齢はチェルノブイリによって甲状腺癌を患った旧ソ連の子供の年齢よりも高かった。チェルノブイリの後観察された甲状腺癌を患った2000人の関して、80%の患者が事故の当時5才以下だった。一般的にヨウ素が欠乏していたこれらの子供は、高線量率を招いていたヨウ素131やさらに短い半減期(特にヨウ素132)をもつヨウ素に被曝していた。チェルノブイリの結果として被曝した甲状腺をもつ2百万人に子供の間においていくらかは1Gyより高い線量を被曝していたことに注意してほしい。甲状腺癌の超過は旧ソ連の外ではポーランドでさえ観察されなかった。研究はIARCによって、ロシアやベラルーシにおける甲状腺癌を患った子供が被曝した線量の評価において行われてきた。

5.3 子宮における医学照射は"Oxford Study"[75]として知られている大規模な集団の研究の対象になってきた。この研究は癌のリスクが約10mSvの線量で増加すると結論づけた。厳密に行われているが、この研究は弱点がない訳ではなく、いくつかの他のデータと一致していなかった。

5.3.1 広島と長崎において子宮内で被曝し、1992年までモニタリングされた807人の子供において、超過した相対的なリスクの上限は1mGyに対して0.6%[68]になり、それはOxford Studyにおいて得られる値[30]の十分の一であった(5.1%、信頼区間は2.8〜7.6になる)。また、一方でOxford Studyが、他方でMonsonとMcMahonによる研究[185]が、広島、長崎の研究がさらに長い追跡を行ったことに比べて、10才より以前に亡くなった子供に関しいかなるリスクの増加も見出さなかった。子宮内における照射の後様々なタイプの白血病の発生における増加はスウェーデンの研究(再掲198)において見られなかった。これらの研究における非常に限られた数のケースはリスクに値を与えることを困難にしており、何人かの著者[33,208,269]は、Oxford Studyに対する肯定的な見方はバイアスを伴った記憶に関連づけられているかもしれず、照射自体というよりはむしろ妊娠中にX線を求めた母体疾患によるものかもしれないという感じを受けている。

したがって子宮内における照射の発癌性への影響におけるデータは、子供や大人における低線量のリスクを評価するための基礎になる十分な堅牢性をもっていないと思われる。

5.4 全体として、子宮内の照射の結果において例外を伴うこともあるが、正確に行われた疫学的な集団の研究や症例対照研究は、大人の100mSvにおける近似より低い電離放射線の線量に対するいかなる発癌性への影響も見受けられなかった。いくつかのこれらの調査は大規模な集団を研究しており、その規模は広島と長崎の生存者の人口よりかなり大きいものになる。いくつかの情報のソースは欠点を抱えており、その例として放射線科医に対する個々の線量測定の除外(それは研究の説得力を減少させる)が挙げられるが、他はそうではない。これらの研究のいくつかにおいて、線量測定は高い質を伴い、広島と長崎の生存者に対する仮定よりもほとんど少ない数の信頼できない仮定に基づいている。それゆえ疫学的データは200mSvより低い線量におけるLNTの関係を肯定する説得力のある議論を与えていないものの、それらはこの線量のレンジにおける発癌性の影響が存在する可能性を除外していない。利用できるデータと最も密接に一致する関係に対する研究は継続されるべきである。しかし、線量と影響の関係はおそらく顕著に、組織、照射時における年齢、そしてとりわけ線量率とともに変化することを強調されるべきである。唯一のタイプの関係が存在するといった仮定に対する科学的正当性は存在しない。

5.5 長い半減期をもつα線放射性核種による発癌性

現在の知識に基づくと、これらの仮説の間において選択を行うことは困難であるが、これらのデータによると、このタイプの照射において、損傷した細胞の数が少ないとき傍観者効果と放射線によって誘発されるゲノムの不安定性は癌の原因とならないことが示される。またこれらの仮説はLNTの関係が基礎としている条件と一致していない。

6 LNTの関係の妥当性

1956年にRussellによってマウスの生殖細胞系において放射線によって誘発された突然変異を評価するために用いられたLNTモデルは、1960〜1980年の間に人間における全ての変異原性と発癌性に関して放射線防護の規制の目的のために導入された。当時、これは便利な実用的な関係だったが、データに基づいたモデルではなかった[133]。その後人々が発癌性の複雑性や照射に対する細胞の反応の多様性や有効性に気付いていなかった当時、予測値はこの線形性により求められていた。ここ10年間における急速な知識の展開は、低線量(<100mSv)やさらに非常に低い線量(<10mSv)における発癌性への影響を0.2〜3Svの線量のレンジにおいて観察される影響を基礎にして評価するためにLNTの使用が基礎にしている仮説の妥当性を再考することを我々に促すべきである。

6.1 LNTモデルは細胞が線量率や線量にかかわらず同じように反応すると仮定しており、それは死と突然変異の確率(単位線量あたり)そして各々の物理現象の発癌現象に対する影響は細胞や隣接する細胞における傷と関係なく一定のままであると示唆している。この一定である性質は暗黙にいくつかの仮定を認めている。

1. 考慮されている線量や線量率のレンジにおいて細胞における電離放射線の様々な軌跡により引き起こされる影響の間の物理的、化学的、生物的相互作用は存在しない。

2. 細胞の核におけるエネルギーのあらゆる吸収された線量は突然変異に関し比例する確率を示している。正しい修復や間違った修復(単位線量あたり)の確率は常に同じになる。同様に細胞死の確率は線量とともに変化しない。

3. あらゆる傷は癌を生じさせる同じ確率を有し、同じ細胞や隣接する細胞における他の傷の数に関係しない。

6.2 これらの仮定は暫定的に以下のように纏められた現在の放射線生物学の知識と一致しない(§3を参照せよ):

6.2.2 線量率はDNA修復と突然変異の効果に影響している(§3を参照せよ)。シグナル系は5mGy/分以下の線量率では活動せず、細胞死は5mGy以上の線量によって引き起こされ、修復システム(そしてそのための誤った修復の確率)は約10mSvから引き起こされる。

6.2.5 未修復のDNAの傷をもつ大半の細胞は、これらの傷が修復されないときの死によってか、細胞死を引き起こすことによってかのいずれか一方によって除去される。試験管内で損傷を受けた細胞は非常に低い線量で消滅するが、これは10mSv以上の線量のケースではない(§3.3.4 と 3.4.6を参照せよ)。潜在的な変異細胞における除去の効果は線量、細胞系、組織とともに変化する(206、§3.4.5を参照せよ)。Hendryの研究では[104,105]、γ放射の後腸腺窩細胞の細胞死に関して、細胞死は200〜400mGyの線量において安定期に達する。Rothkammの実験[241]は、低線量の照射の24時間後、DSBをもつ細胞が検出されなかったことを示しており、これは、修復が行われないことによる細胞の死か、間違いのない修復と細胞死の組合せかいずれか一方によるものでありうる。線量や線量率が低ければ低いほど[60]、傷はさらに効率的に除去される(§3.4.5を参照せよ)。

6.2.7 実証の試みにもかかわらず、染色体異常の超過は低LET照射による20mSv以下の線量に対し報告されなかった。したがってこの効果に対し閾値が存在するかもしれない。染色体異常による線量と影響の関係における一般的に許容される形式は線形二次になる。このことは長期に亘る照射による線量を信頼できるように決定することを可能にし、事故後の線量に対し再考させるものになる。しかし、線形二次の関係は小さなレベルの異常を予想しているが、低い線量および線量率において効果は20mSv以下において検出されず、それは、線形部分の最初の傾きが100mSv以上の線量から計算される傾きより緩やかなことからか、現実的な閾値(§3.2を参照せよ)に加えおそらくホルミシス効果さえ存在することからかのいずれか一方になる。これは重要な問題になり、染色体転座や染色体欠失が発癌現象において基本的な役割を果たしているからになる。同じ染色体や隣接する染色体における2つ以上のDNAの二重鎖の損傷があるとき染色体異常の発生が観察され、断片の再結合はその初期状態に分子を復元させないか(同じ染色体における反転や転移があるため)、同じ染色体に属しない断片を再結合させることさえあるため、低線量の低LET放射線による染色体異常のためLNTの関係の妥当性が失われてしまうことは驚くべきことではない[62]。したがってこのような間違うことがある結合の確率は限られた量において同時に存在している損傷の数に依存しており、それゆえ線量率とともに顕著に減少し、線量に比例的でなく線量の2乗に比例的になる。LNTは非常に低い線量において染色体異常を予想するために用いられるべきではない(§6.5.3を参照せよ)。

6.3 発癌のプロセス(§2を参照せよ)

前述のように、メカニズムは、組織内の細胞増殖をコントロールするシステムから外れた細胞に対し多細胞生物を保護するために存在する。これらのメカニズムの影響は、克服されることができるか、高線量によって(p53のように原因となる遺伝子の変異が挙げられる)損なわれるかといったことになる。

6.3.1 動物において、種(そしてマウスの系統)、組織、癌のタイプに依存しながら、発癌性における線量と影響の関係は極端に変化するものであり、めったに線形にならない。動物において、閾値が存在しているように思えるのみならず、実験の40%においてホルミシスさえ存在している[79]。線量率は大きな影響要因になる。

6.3.7 癌が非常に低い線量によって誘発されるということについて除外することができない可能性があるが、全ての利用できる生物学的データは非常に低い線量では、細胞死を導くDNAの損傷[60,241]を修復することに失敗することと間違いのないDNA修復との組合せがこのリスクを最小にもしくは存在しないもの[143]にするはずであるといったことを示唆している。これらの現象と活性酸素種の効力をなくす営みはホルミシス効果を説明するかもしれない[49,50,79,86,87,125,130]。ホルミシスは同様に免疫のメカニズムの刺激によって部分的に説明されることができる[157,286]。いくつかの予備的データは、ホルミシス効果が人間において観察されうることを示唆している[55,131,155,285]。

6.3.8 傍観者効果(§3.5.1を参照せよ)とゲノムの不安定性の誘発が低線量において有意な数の癌の原因になる可能性があり、それらは低線量において超線形の線量と影響の関係を導きさえするといった仮説がなされてきた。しかしこの仮説は妥当であるとは思われていない(§3.5を参照せよ)。人間において(§5.5を参照せよ)そして動物において(§4を参照せよ)、α線放射性核種によって被曝した後の閾値の存在は、わずかな細胞が損傷を受けていない組織において影響があるときの傍観者効果の有意な影響を除外することを可能にする。動物のデータ(§4を参照せよ)は、この仮説が妥当でないことを強調し、ホルミシス効果の存在を示している。

6.3.9 疫学(§5を参照せよ)は以下の2つの仮定のいずれかを除外することができない:ⅰ)100mSv以下の線量において検出可能な発癌性への影響が存在しないことは不十分な統計的検出力によるものである、ⅱ)それは、閾値の存在によりあらゆる発癌性への影響が存在しないことに起因している。動物や人間におけるα線放射性核種(ラジウム、トリウム)による被曝に関連したデータは確実に、ある状況において閾値が存在することを示している。科学の厳密性は、普遍的なモデルを調べるとき、我々は最初に50〜100mSvの間の線量に対する全ての疫学的データを分析すべきであり、それから全ての放射線生物学と疫学上の利用可能なデータと一致するモデルを探すべきであるということを求めている。線形性を仮定することは科学的態度でなく、単に用心した姿勢になる。それは、広島と長崎における生存者の固形腫瘍に関する最近のデータと一致していない[224, 291]。20mSv以下の線量における発癌性への影響を推定するためにLNTを用いることは現在の放射線生物学に照らして正当化されるものではない。

6.4 2003年にはBrenner他、数名の放射線科医と疫学者は、LNTの関係を肯定する議論を進める記事を公表した。彼らの結論はこのレポートにおける結論と異なっている。

6.4.1 - 生物学的議論 この記事は、10mSvの線量をともなう急性照射の後、発癌性への影響が人間に生じることを考慮している。この線量において、約10の電子が核を通過し、著者達は適切に、各々の電子による物理現象の間に相互作用がないことを述べている。彼らはこのことから、1つの電子(1mSv)は10個の電子による影響の10分の1に等しい発癌性への影響の原因となっていることを推論する。この推論は細胞に引き起こされた防御反応を無視しており、それは物理現象を考慮するのみであり、最初の細胞の損傷による防御反応を見逃している。各々の電子による物理現象は同一であるが、数mSv(核が数個の電子によって通過されるとき)の線量によって誘発される細胞防御は、活性酸素種の酵素システムやシグナルメカニズムによって解毒作用が活性化される(§3を参照せよ)。

6.4.2 約10mSvの線量で胎児が照射された後の発癌現象の誘発についてはまだ疑義をさしはさむ余地がある(§5.3を参照せよ)。さらに胎児から子供、大人に対して外挿することは議論の最中にある。50〜500mSvの間の線量のレンジで多くの腫瘍部位において、発癌性への影響は年齢にともない顕著に変化している。違いが胎児と子供、幼い子供の間においてさらに大きくなるかもしれないと考えるための理由が存在している。

6.4.3 原爆の生存者において行われた研究

6.4.3.1 全ての著者達は、100mSv以下において癌の発生(全ての年代と両性にとって)における有意な増加は見られないことに同意している。しかし、低線量において有意でない増加があるが、同様の相対リスクの超過(ERR)をともなうため、Brenner他は[43]このことから、人は被験者が均一の集団を構成しているときに5〜125mSvの間の線量をともに被曝する全ての被験者を考慮することが可能であることやこの全体の集団に対して有意な増加が存在することを推論している。この結論は方法論的観点から問題がある。この全体の集団に対して観察された有意な超過は実際、著者達が仮定するように、5〜100msVの集団より5〜125mSvの集団におけるさらに大きい数の被験者による検出力の単純な増加によるものである可能性がある。しかし、それは同様に数十mSvにおける閾値の存在や非線形の関係と一致している。したがって、この超過はLNTを肯定する議論として用いられることができない。

6.4.4 100mSv以下の線量における発癌性への影響を支持するためにこの公表で用いられる他の研究は任意に選択されたと思われる。小児白癬の治療のため頭皮に照射した後の甲状腺癌の研究は線量測定においてバイアスがあり、それはこの低い線量においてリスクが増加することを結論づける唯一の研究になり、一方同じトピックにおけるいくつかの同様の研究は同じ結果を見出していない。ロシアとアメリカの核実験からのフォールアウトにより汚染された地域における子供の白血病について引用される他の2つの調査[65.259]は地理的相関に基づいており、それはこのタイプの研究の限界を示している。彼らの研究は、チェルノブイリ事故[211]の結果に対して行われた同じタイプの他の研究の結果や、広島と長崎の生存者における研究を含む、子供の頃に照射された後白血病において行われた全ての集団もしくは症例管理の結果と一致していない。

6.5 2004年12月にICRPのタスクグループのレポート案がウェブ上に投稿された[118]。それは関連する線量と影響の関係の選択によって生じる問題を議論している。高い科学的質を有するこの文書は最近の放射線生物学のデータを分析している。しかし時として意外にも、閾値の仮説を除外することができず、それはかなり妥当なこととして記されているのだが、様々なセクションと一般的なセクションの結論は、少なくとも暫定的な基礎として、LNTの使用を支持している。主な議論は以下の立場を肯定して進められている。

6.5.1 疫学的レベルでは、子宮内における胎児への影響や気胸をモニタリングするために蛍光透視検査を繰り返した後観察される乳癌を考慮すると、著者達は、10mSvの線量で人間における発癌性への影響が存在するという感じを受けている。彼らは同様に、統計的に有意でないにもかかわらず、他の研究における知見が10〜100mSvの間において発癌性への影響が存在すると示唆していることを考慮している。返事として我々は以下のように言うことができる。

1. 子宮内における照射におけるOxford Studyからのデータは信頼できないものであり、LNTに対する科学的妥当性を与えることができず(§5.3や§6.4.2を参照せよ)、さらに彼らの関心は胎児にある。子供や大人に対する外挿は注意を必要とするものになる。最後に、仮にこの効果が確認されたとしても、我々は約10mGyの線量が間違った修復の原因となる可能性がある修復システムを有効にする一方、これらのシステムはさらに低い線量によって有効にされないことを知っているので、それは10mSv以下の線量に対する外挿を正当化しないだろう[60,241]。

2. 繰り返されたX線検査の発癌性への影響は、蓄積線量が0.5Gyをこえるときのみ観察される。事実、ICRPのタスクグループ[113]によって引用された文書の中で調査された集団におけるごく少数の女性は500mSv以下の線量を被曝していた。この文書はこれらの線量におけるいかなる情報も与えていない。そのためこの研究は、もし累積線量が500mSvかそれ以上に達するならば、10や20、30mSvのオーダーの線量が追加的な影響を及ぼす可能性があるが、10mSvが発癌性を示す訳ではないことを明らかにしている[113]。

6.5.2 放射線生物学のレベルでは、著者達は、電離放射線により誘発された高い比率の傷は修復するには複雑で難しく、それゆえ内的原因の傷と比較することができないと示唆している。加えて、彼らは同様に、細胞死は効率的なメカニズムであるが、全体としてそれが効果的であると示唆するものは何もなく、それゆえいくつかの損傷を受けた細胞が生き残り、コントロールを避け、最初の細胞のクローンを生じさせることができるということを強調している。

これらのコメントは適切であるが、返答として我々は以下のような指摘をすることができる。

1. 修復することが難しい複雑な傷をもつ細胞は死(分裂死や細胞死)によって除去されることを避けるだろうといったことはありそうもない。

2. 実際には、LNTに関する問題はここには存在しておらず、それは、ゲノムの傷の数が低いか高いかによって間違った修復の確率が同じになるかどうかを発見することになる。LNTモデルは、損傷が切り離されているかもしくは同じ細胞や隣接した細胞における他の損傷と関連しているかどうかに関係なく、各々のDNAの損傷が正常な細胞を腫瘍細胞に変える確率やこの腫瘍細胞が浸潤癌を生じさせる確率が一定であるといった仮定に基づいている。むしろ驚くべきことに、この重要な問題はそのレポートにおいて取り扱われていない。しかし、全ての利用できるデータは、この確率が実際線量にともなって変化していることを示している(§3を参照せよ)。同様に、細胞死の効果は一定でなく、線量にともない変化している。もしp53のように関連した遺伝子が損傷されているならば、細胞死は起こらない。

調整のコントロールから逃れるケースは常にありうるが、もし組織がその損傷を受けていない組織を保持しているならば、それは起こりそうもないだろう(§5.5を参照せよ)。さらにいくつかの組織、例えば小腸、骨、皮膚、そして胸や大人の被験者における甲状腺でさえ、数百mSvの線量における発癌性への影響がないとの議論は、ゲノムは細胞において同じであるので、組織構造や防御メカニズムの重要性を強調している。甲状腺や胸にとって、小さい子供に見られる放射線発癌性の間の違いは組織の系統や細胞間の関係を例証している。後者は強く発癌性に影響している(§2を参照せよ)。

6.5.5 著者達は動物におけるデータがLNTモデルを支持しているとの感じを受けている。我々の結論はこの点に同意していない(§4を参照せよ)。我々はホルミシスの重要性を見落とすべきではないとの感じを受けている。ホルミシスは動物の実験[79]の40%において報告されており、さらにホルミシスの生物学的基礎は現在理解されていると思われており[87]、その存在は確かなものである[50]。またTanookaのメタ分析[262]は、実際、全ての実験における腫瘍に対する実用的な閾値が存在すると示している。単純にDDREFを導入することがこれらの事実を考慮に入れることを許容するだろうという観点は正当化されるように思われない。線量率や動物における発癌性における分割の影響は、現象が複雑すぎてLNTモデルによって考慮されることができないといったことを示している。

6.5.7 結論:この高い質のレポートは、我々が10mGyのオーダーの線量で発癌性への影響の可能性を除外することができないと示している。しかし、発表された議論を分析すると、この影響が、もし存在するならば、このような線量にとって非常に低くならなければならないと明らかにしている。著者達は、線量と線量率に関連した防御メカニズムの影響における違いを分析している。彼らのレポートは、防御反応の影響は一定であり、現在のデータと一致していないのだが、それを仮定している。それは10〜100mSvにおけるLNTモデルの妥当性を確立していない。たとえ完全に除外されることができないとしても、5mGy以下の線量に対する発癌性への影響の仮説はありそうもない。しかし、一方で、X線検査における便益と費用をバランスさせるときに非常に仮想的なリスクを重視することは有害になるだろう[274]。大半のX線検査は5mGy以下の線量を被曝するが、それらのリスクの評価は妥当な科学的データに基づかなければならず、このリスクの過大評価は集団における健康に有害な影響を与えるだろう。特にLNTモデルは全ての固形腫瘍を纏めて考慮するので、それを非常に低い線量の影響を評価するために使われることはできない。この蓄積された研究において、関連した各々の癌にとって線量と影響との関係が異なっていることを唯一の理由として、その関係は線形であると思われてもよい。

準備段階のICRPのレポート[118]の冒頭で、LNTモデルの直接の結果である集団線量の考え方は、多数の被験者に対して管理された非常に低い線量は少数の被験者に対して管理されたさらに高い線量と同じ発癌性への影響を有することを仮定しており、利用できるデータはこの仮定を支持することが述べられている。現在のレポートは逆の結論になり、それは、所与の集団線量にとって、リスクは線量が20mGy以下であるときよりも0.2Gy以上の線量を被曝したときのほうがかなり大きくなることを考慮に加えている。

7 線量と影響の関係の含意

7.3 線量と影響の関係の選択は放射線防護の観点から公衆衛生の優先順位に影響を及ぼす。もしLNTモデルを採用するならば、効率性に対する追求はさらに大きい数によって被曝される低線量を減少させることを促す傾向になるだろう。一方、もし低線量が非常に少量存在するかもしくは危険性がないと考えられているならば、この費用がかさむ削減は不必要であり、取り組みはその代わりにさらに高い線量を減らすためになされるべきである。この例はいかなる予防戦略であれ潜在的にリスクの量的評価に基づいていることを示している[295]。

7.4 医療において同様に、最も脆弱な被験者に最も高い線量を被曝させる検査(子供におけるCTスキャン)に焦点をあてるよりむしろ最も一般的な検査(胸部X線)における取り組みに集中することが促される可能性がある。我々は以前の戦略が生産的でないことを危惧している。医療では、電離放射線を用いる診断上もしくは治療上の処置はあらゆる医療処置のように正当性の原則を条件としなければならない。法律は明示的に、照射のリスクが患者に期待される便益に対し比較考量される措置に含まれることを要求しており、2つの潜在的な健康上のリスクを比較する必要がある。LNTといった線量と影響の関係に基づいたリスク評価[24]は、X線検査のリスクを過剰に評価することを導くことがあり、そのためこれらの検査における便益とリスクの比較を歪める形になるだろう[274]。

- したがってLNTの関係は架空のリスクを理由にして役に立つ検査を阻むことを促す可能性がある。逆にもし我々が、リスク(単位線量あたり)が線量とともに増加していると考えているならば、そのときの取り組みは、検査(例えば子供にとってのCTスキャン)やそれらの頻繁な繰り返しが20、30mSvより多い線量を促している状況に焦点をあてるべきである。この戦略は、さらに費用がかさみおそらく効果的でない全ての検査に対する線量を減らす試みより適切であると思われる。

7.5 最後に、このLNTの関係がしばしば多数の人々にとって不正確に適用され、LNTモデルの基礎における大きな集団によるわずかな線量の影響を増加させている。この誤った使用の一例は、数百万人の人々が数μSvに被曝したときに誘発される死亡者数を計算することになる。UNSCEARやICRPが指摘しているように、集団線量に基づくこれらの計算はいかなる意味も有していない。それにもかかわらず、いくらかの人々はまだそれらを適用しており、そのことが不適切な結論を導いている(実際、チェルノブイリ事故の後における大集団の避難が挙げられる)。あらゆる科学的に正当な理由なしに、これらの計算は、放射線の非常に小さな線量でさえ危険であるといった考えを広めている。放射性廃棄物における議論やLNTモデルに基づいたリスクの計算は、この関係やLNTに基づいた計算が生物学的、医学的問題の理解に寄与せず、逆に、それらをさらにあいまいにする可能性があることを示している。

8 提案

8.1 分子生物学の新しい技術のおかげで、細胞小器官や細胞のレベルで放射線の作用のメカニズムや電離放射線の発癌性への影響に対する細胞、組織、そして生物全体の防御反応を理解することにおいてかなりの進歩が過去10年間においてなされてきた。攻撃から身を守るために生きている生物の能力は驚くべきことではなく、19世紀には確立されていた(Claude Bernard)。それなくして、生きている種は生き残ることができないだろう。生物学における進歩はこれらのメカニズムのより良い理解を可能にしてきた。それにもかかわらずさらに詳細な調査が可能であり、行われるべきである。

防御メカニズムの効果、細胞によって用いられる戦略の多様性、発癌性のリスクを減らし、除去する組織や生物全体が現在より良く理解されている。それらは強く、閾値や実用的な閾値が存在し、動物においてと同様に、いくつかの癌の部位において、ホルミシス効果さえ存在していることを示唆している。電離放射線や紫外線のある海の中で進化してきた30億年の間、生命は、自然放射線(1〜20mSv/年)により被曝したのと同じオーダーの大きさの線量による有害な影響を妨げることが可能である防御や修復のシステムを発達させてきた。これらの防御はさらに高い線量において損なわれ、中間のゾーンの線量の影響が、特に高い線量率における20〜100mSvの線量や低線量率における適度な照射(500mSv)に対して決定されるべきである。これらの分野において、取り組みが疫学(メタ分析、異なったタイプの癌の頻度や影響を及ぼされる被験者の年齢における分析)や細胞生物学においてなされるべきである。

May 9, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
May 9, 2011 12:59  Comment (0)  | May 9, 2011 12:59  Trackback (0)   

May 04, 2011

ECRR2010年勧告をICRP2007年勧告と比較して考えたこと

 ICRPの防護措置が内部被曝を十分に考慮していないと
いった見解をECRRが認めているといったことに関し、
ECRR2010年勧告の一部を訳すことから始めたい。これ
は昨日の記事の続編になり、URLは以下の通りになる。
http://www.euradcom.org/2011/ecrr2010.pdf

欧州放射線リスク委員会2010年勧告
低線量の電離放射線による被曝の健康への影響

1 ECRR

1.2 2003年以降の展開

2003年以降の期間においてCERRIE委員会では、放射線
リスクの分野は完全に変わった。ECRRが始まったとき、
内部被曝や細胞にとって重要なDNAにおける効果におけ
る異なる反応についての問題は大体において新しいもの
であり、少なくともICRPによって避けられていた。当時
のリスクモデルの疫学的基礎は一貫して高線量における
外部被曝に対するものであり、ICRP1990における日本の
原爆生存者の研究とその解釈がある。これらのデータは
'放射線恐怖症'のような警告的な報告をしっかりと整理し
ていたICRPやUNSCEARによって無視されてきたように
思われるが、当時からチェルノブイリ事故の健康への影
響は非常に明確であった。それにもかかわらず放射線恐
怖症は遺伝子の発展がECRR2006やECRR2009に貢献し
ている著名な自然科学の研究者によって記されているヨ
ーロッパヤチネズミ、小麦や他の生命体の数世代に影響
することはなかった。複数の地域(旧ソ連諸国やヨーロ
ッパ諸国の双方)に影響したチェルノブイリにおける実
際のデータの結果はECRR2003モデルの予測を証明した。
当時からウラン兵器いわゆる劣化ウランのフォールアウ
トにあるように、分子や粒子の形態においてウランとい
った元素による被曝の異常な影響に関する報告が同様に
あった。これはウランに対する内部被曝の影響に関する
研究への多大な努力に繋がっていた。この研究により提
起された問題は1997年におけるECRRによってもたらさ
れ、それはECRR2003モデルやDNAに対する化学的親和
性や崩壊の状態に基づいたある同位体に対する内部被曝
のための重み係数の展開の基礎を形成した。

2009年初めにICRPの科学局長であり、その1990年と20
07年報告の双方の編者であるJack Valentinが辞任した。
2009年4月21日にストックホルムで彼とECRRのChris
Busbyの間で開かれた議論で、彼はICRPリスクモデル
が人間の集団に対する被曝の健康への影響を予測したり
説明したりするために用いられることがかなわなかった
ことを述べた。彼が続けたことに、これは内部被曝に対
する不確実性が非常に大きく、いくつかのケースでは2
ケタのサイズの問題になるからであった。これは設立
以来ECRRの議論になり、ECRR2003に記されている。
Valentinは同様に(このビデオインタビューの中で)彼
はもはやICRPによって雇われていないので、ICRPや
UNSCEARが研究報告によって提起されているチェルノ
ブイリや他の影響を無視していることは間違ったことで
あると考えているといったことを話すことができると述
べていた。

9 低線量での健康への影響を確立すること:メカニズム
とモデル

9.6 線量と影響の関係

放射線量と影響の間の関係が盛んに研究されている。
ICRPのリスクモデルは、低線量でその関係がLNTとして
知られる影響が現れるためには閾値がなく線形で表され
ることを仮定している。初めにこれは、安全な線量がな
く、最低の線量でさえ健康被害を及ぼす有限の蓋然性を
有することを示している。二番目に、線量を2倍にする
ことは影響を2倍にする原因となり、この仮定には基本
的に2つの理由が挙げられる。

第1にそれは前述のセクション9.2で説明されている放射
線作用について知られていることへの配慮から判断され
る。明らかにもし健康上の障害が細胞のDNAに関連して
いるならば、そしてそれは順に起こる打撃の結果である
が、また他方でもしこれらの打撃が時間と空間で離れた
距離により独立に行われるならば、その影響は線量に線
形で比例的にならねばならない。細胞は打撃されるか、
打撃されないかいずれか一方なので、1回の打撃より低い
状態はなく、安全な線量は存在しない。

線量と影響の関係が線形であると信じるための第2の理由
は、実験における細胞培養や動物そして外部放射線に対
し被曝した人々からのデータが線量に対し線形で比例的
である影響を示すと解されるからである。ただしこれは、
低線量においてより小さい(もしくは有益でさえある)
と主張する人々とデータは低線量でより高い影響を示す
と主張する人々によって議論されている。外部照射の研
究のケースでは、検討された小さな集団は広い信頼区間
を有するといった結果になり、多くの様々な曲線がデー
タを通じ描かれている。

線量と影響の関係における仮定は放射線被曝の疫学的研
究の理解にとって重要であるため、委員会はたいへん慎
重にこの分野を研究した。委員会は、外部放射線の近似
を除いて、線量と影響の関係は低線量の領域において線
形になりそうもないと信じるに十分な証拠があると結論
づけ、低線量でかなり高い影響を示す関係を肯定し、
LNT近似を却下した。この理由は以下の通りである。

9.6.6 ホルミシス効果

たくさんの動物と試験管内での研究は、少ない線量の放
射線が'ホルミシス'と名付けられた保護上の効果(ギリシ
ャ語のhormein,'to excite'由来)を有する証拠として引用
されている。この線量と影響の関係では、初めに放射線
の線量が増加するので曲線は落ち込むことになる。線量
が増加するとき曲線は再び上昇し、影響も増加するけれ
ども、最低線量の制御はこのようにまだ低線量であるけ
れどもわずかにより大きい線量より大きい健康上の障害
を示している。曲線は図9.4に示されている。

この影響に対し与えられる説明は、最低線量で細胞修復
の増加された効果が放射線被曝により誘発されていると
いうことである。したがって線量が増加すると、初め放
射線は発癌の減少に伴い、保護効果を有することになる。
委員会は慎重にホルミシス効果とそれを支持する証拠を
考慮しており、そのようなプロセスはありうると結論づ
ける。効果は中程度の線量のレンジ(例えば20mSv以上)
で起こるとみられ、多くの説明を有する可能性がある。

しかしながら、それはホルミシス効果のいくつかの証拠
が人工的に発生したものからの結果になるといったこと
かもしれない。もし低いレンジにおける線量と影響の関
係が2つのフェーズをもつ曲線に随うならば、明白にホ
ルミシス効果を示すために必要とされる全てのことはゼ
ロ線量/ゼロ効果点を除外することになる。それは、高線
量における実験からの演繹的結論がこの低線量の領域で
そのような変化の可能性と乗じ合わせることができなか
ったため、点がばらつきとして解釈されたかそれらが外
れ値として最低線量と影響の関係を除外することによっ
てホルミシス効果の落ち込みを強いられたかのいずれか
といったことになるかもしれない。

委員会は条件付きで、ホルミシス効果は存在するかもし
れないが、もしそれが存在するなら、その長期の影響は
前段に記された理由から有害であるかもしれないと結論
づける。委員会は、放射線防護の点でホルミシス効果を
考慮に入れるべきではないと推奨する。

9.6.7 線量と影響の関係における委員会の結論

委員会はICRPのLNTの仮定を小さなレンジで成立するか
もしれない近似を除いて無効であるとの主張に同意し、
事実、委員会はプラグマティズムの問題として低線量の
領域においてそのような関係を採用している。あらゆる
タイプの被曝やあらゆる目的のために普遍的な線量と影
響の関係が存在すると示すための、そしてそのような関
数が致命的な過度の単純化であると仮定するための十分
な証拠はない。ただし、0から約10mSv(ICRP)までの低
線量のレンジにおける影響がある種の超線形関数や分数
指数関数に随う可能性があると仮定するための十分な理
由は存在する。2つのフェーズをもつ線量と影響の関係
が存在するための十分な理論的、経験的証拠があるので、
委員会は強くいかなる疫学的見解もあらゆる形式の連続
的に増加する線量と影響の関係に一致しないといった基
礎の下に捨て去られるべきでないといったことを推奨し
ている。

 ここからは私見になるが、ICRP, BEIR, ECRRいずれ
にせよLNTモデルを採用しているが、低線量の扱いに関
して、BEIRが線形モデルを採用し、ECRRが非線形モデ
ルを採用しているといった違いがあり、両者共に低線量
被曝の問題について詳細にかつ慎重に議論を行っている。
そしてECRRは内部被曝の問題に言及している。

 何故メディアで風評被害が問題になるかと言うと、
「爆発事故」と言えば良いものを「爆発的事象」と言い
換えたり、「長期に亘ると晩発性障害の可能性がありま
すが、」と一言ことわれば良いものを「ただちに影響が
ない」と言い換えたり、「10mSv〜20mSvについてこの
ような議論が行われておりますが、」と問題点を公表す
れば良いものを「緊急事態だから20mSvで安全である」
と言い換え、未だに基準となる数値が改善されていない
ことに加え、「ICRP以外に安全を考慮するための考え方
は複数あり、このような議論を行った、」と問題点を公
表すれば良いものを「ICRPではこう、原子力安全委員会
ではこう、」では賛同を得ることは難しいと考えられ、
メディア自体も既存の権益構造を体現しており、一連の
プレーヤーにおける科学的思考といったものがすっぽり
欠落している点が今後に向けての課題になるだろうと考
えることがある。

 事実に目を向け、緊急事態は継続しているが、これは
長期化する様相を呈しており、早く除染を行うなど、や
ることに手をつけていない状況は、おそらく関西圏にと
ってこの東日本の状況がまだ理解されていないことも背
景にあるのだろうかと考えることがあった。

 問題の本質は単純で、権威を有り難がり、事実を考慮
しないことにあると考えられ、公的立場にあると認識し
ているならば、理論的背景と事実の両面から説明できる
ようにならないことには当面の間現在の問題は続くもの
と思われるときがある。またこの続きは機会があるとき
に行うこととする。

 明日もがんばろう。

 では。

May 4, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
May 4, 2011 15:14  Comment (2)  | May 4, 2011 15:14  Trackback (0)   

BEIR VII報告をICRP2007年勧告と比較して考えたこと

 ICRPの防護措置は内部被曝の影響を十分に考慮に入れて
いないといった見解をECRR2010年勧告の中に認めること
ができるといった議論があるが、ここでは2005年における
BEIR VII – Phase2の一部を訳すことから始めたい。以下に
URLを記す。
http://www.nap.edu/openbook.php?isbn=030909156X

低レベルの電離放射線の被曝による健康リスク

BEIR VII フェーズ2

一般向け概要

低線量の電離放射線の意味は何か

このレポートでは、委員会は低線量を低LET放射線における
ほぼゼロから約100mSv(0.1Sv)までの範囲における線量とし
て定義する。委員会は関連するデータが利用可能である最も
低い線量を重視した。世界における低LET放射線の年間自然
被曝量は約1mSvになる。

委員会により審査された研究

委員会が審査した論文のいくつかは、低線量被曝がLNTモデ
ルの結論が示唆するより有害であるといった議論を含んでい
た。BEIR VII委員会は、放射線の健康への影響の研究は全体
としてこの見解を支持しないと結論づけた。本質的には、委
員会は、線量が高ければリスクは大きく、線量が低ければ、
人間の健康に対し害を及ぼす可能性は低くなると結論づける。
この結論の理由について考えるための幾つかの直感的な方法
がある。まず、電離放射線の一回の放射は細胞にダメージを
与える可能性がある。しかし、もし1つだけの電離粒子が細胞
のDNAを通過するならば、細胞のDNAに対するダメージの可
能性は仮に10、100、1000に及ぶ電離粒子が通過する場合より
比例的に低くなっている。放射線と細胞のDNAとの物理的相
互作用から低線量でより大きな影響を期待する理由はない。

つまり放射線の健康への影響の評価に関連した研究の全体像
は、低線量の低LET放射線に関連したリスクはLNTモデルに
基づいて予想される以上に大きくないことを信じるための説
得力のある理由を提供している。

なぜ委員会は、低線量がLNTモデルによって推定されるより
実質的に有害でないといった見解を受け容れないか。

前段のセクションのテーマと対照的に、委員会に提供される
いくつかの論文は、LNTモデルは低レベルの電離放射線の健
康への影響を誇張していると示唆している。それらは、リス
クがLNTで予測されるより低く、そのリスクは存在しないか
もしくは放射線の低線量は有益でさえあるかもしれないと述
べている。委員会は同様にこの仮説を許容しない。代わりに
委員会は、大半の情報が低線量でさえいくらかのリスクがあ
ることを示していると結論づける。この一般向け概要におけ
る簡単なリスク計算が示すように、低線量でのリスクは小さ
いながらも存在するだろう。それにもかかわらず固形腫瘍に
対する委員会の主なリスクモデルは、線量の減少に伴い、癌
発生率において線形に減少することを予測している。

疫学データと生物学的データの双方は、関連が測定されうる
線量での線形モデルと一致している。電離放射線の健康への
影響を示す主な研究は、1945年の広島と長崎における原爆の
生存者を分析したものになる。これらの生存者の65%が低線
量の放射線を被曝し、それはこのレポートで用いられる定義
によると低いものになる(100mSvと同等もしくはそれ以下)。
閾値や有益な健康への影響を肯定する議論はこれらのデータ
によって示唆されていない。疫学における他の研究もまた電
離放射線の有害性は線量の関数であるといった見解を支持し
ている。さらに子宮内でもしくは早期の段階で被曝した子供
における癌の研究は、低線量で放射線により誘発された癌が
発生しうるといったことを示唆している。例えば小児癌のオ
ックスフォード調査は"15才までの子供たちの間における発
癌率が40%増加する"ことを見出し、この増加は10〜20mSv
のレンジにおける線量で発見されたものである。

 一般向け概要の抜粋のみから意見を引き出すことはフェア
ではないと感じることがあるが、メディアを眺める限り、こ
れと異なった見解が大手をふるっているようだと考えること
があったのは、現在議論を重ねている問題だからだといった
見方に加えて、既存の権益構造が果たした役割も無視できな
いだろうと考えることがある。

 ここでの委員会とは、Committee to Assess Health Risks
from Exposure to low Levels of Ionizing Radiation, National
Research Councilになり、あえて訳さなかったが、いずれに
せよ、求められるものは被曝線量を低下させる措置であり、
そのために除染が必要とされているのだろうと考えることが
あった。

 実際の所、内部被曝の影響と低線量被曝の影響を十分に考
慮するために必要とされるものがまだ多く残されているのだ
ろうと考えることがあり、通常の緊急事態はこのように長期
化することを想定されていないだろうから、それに応じた施
策といったものが求められるのだろうと考えることがあった。
この続きはまた機会が許すときに記すことにする。

 明日もがんばろう。

 では。

May 4, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
May 4, 2011 0:41  Comment (0)  | May 4, 2011 0:41  Trackback (0)   

May 02, 2011

被曝線量について理解を深めるためにICRP2007年勧告(Pub.103)を眺めながら考えたこと

 インターネット上でICRP2007年勧告(Pub.103)を手に入
れようとすると英語版はExtractのみになり、フリーである
程度の情報量を確保するためにはフランス語版等他の言語
を選択する必要があるようだ。そしてURLを以下に示す。
http://www.icrp.org/docs/P103_French.pdf

 これをロベール、仏英やGoogleを用いて読み込んでいく
ことになるが、その抜粋の一部の訳を以下に示すことにす
る。

ICRP2007年勧告(Pub.103)

5 人間における放射線防護のシステム

5.9. 被曝線量の制限と基準レベル

5.9.3. 被曝線量の制限と放射線源に関連した基準レベル
の選択における影響要因

 制限のイン 
ターバル/
基準レベル
a (mSv)

 被曝状況の特徴  放射線防護の観点 
からの要件   
        例        
20〜100
b, c  
制御できない放
射線源または非
常に不安定な被
曝線量を減少さ
せるための行動
により被曝した
個人。被曝プロ
セス上の措置に
より一般的に制
御された被曝。
被曝線量の減少を
考慮しなければな
らない。被曝線量
が100mSvに近い
とき、被曝線量を
減少させるためさ
らなる努力が採用
されなければなら
ない。個人は放射
線リスクと被曝線
量を減らすために
取られる措置にお
ける情報を受け取
らなければならな
い。      
放射線緊急事態
の場合に最も高
く見積もられた
被曝線量のため
に定められた基
準レベル   
1〜20一般的に個人は
被曝の状況から
生活上の便益を
受けるかもしれ
ないが、被曝自
体の必要性はな
い。被曝は放射
線源においても
しくは被曝プロ
セス上の措置に
より制御される
ことができる。
もし可能であるな
らば、個人がその
被曝線量を減少さ
せることを許容す
るために一般的な
情報を利用可能に
しなければならな
い。計画された被
曝状況にとって被
曝の個々の評価と
助言が行われなけ
ればならない。 
計画的な被曝状
況における職業
上の被曝のため
に定義された制
限。放射性医薬
品の対象となる
患者の看護士や
付添人のために
定義された制限
。居住地におけ
るラドンによる
最も高く見積も
られる被曝線量
のための基準レ
ベル。    
1以下生活上の便益の
対象とならない
または一般的に
社会に便益を対
照的に与える状
況からほとんど
生活上の便益を
受けることのな
い放射線源から
被曝する個人。
直接あるレベル
の放射線源に関
連する措置によ
り一般的に制御
された被曝、そ
のために放射線
防護の観点から
要件が前もって
計画されること
ができる。  
被曝レベルにおけ
る一般的な情報は
利用可能であらね
ばならない。定期
的なチェックは被
曝レベル上のよう
に被曝プロセス上
において実現され
ねばならない。 
計画された被曝
状況における一
般公衆の被曝の
ための制限  

a: 急性被曝線量もしくは年間被曝線量
b: 例外的な状況で、よく知らされた志願者は、人命救助
 のため、放射線により誘発された健康上の深刻な被害
 を避けるため、もしくは壊滅的な状況の進行を避ける
 ために100mSv以上の被曝線量を受けることができる。
c: 関連する器官や組織における確定的影響の被曝線量の
 閾値を超える状況は対策の実施を常に必要とする。

(239) 最初のインターバル、1mSv以下は個人が一般的に計
画された被曝線量を受ける被曝状況にあてはまり、そのこ
とは直接そのための生活上の便益を示すことにはならない
が、社会のために役立つことがあり得る。実際の計画され
た枠組みにおける一般公衆からなる構成員の被曝はこのタ
イプの状況の例として妥当である。制限や基準レベルは、
一般的な情報、環境に対するモニタリング、測定、評価が
存在する状況においてこのインターバルの中に選択される
だろう、そしてその状況下、個人は情報を受けることはで
きるが、助言を受けることはない。対応する被曝線量はさ
らなる自然放射線の追加的増加を示すことがあり、それは
高い防護基準を所与とすると、基準レベルより2ケタ小さ
い大きさになる。

(240) 2番目のインターバル、1〜20mSvは、個人が被曝の
状況から直接生活上の便益を受ける状況にあてはまる。こ
のインターバルにおける制限や基準レベルは、しばしば個
々のモニタリング、被曝線量の測定や評価が存在する状況
において設けられ、その中において、個人は助言や情報を
与えられる。計画された被曝状況における職業上の被曝の
ために設けられる制限がその例になる。異常に高い自然放
射線量を含む被曝状況や事故後の復興段階は同様にこのイ
ンターバルの中にある。

(241) 3番目のインターバル、20〜100mSvは、普通でなく
そしてしばしば非常に厳しい状況にあてはまり、そこで被
曝を減らすためにとられる措置はトラブルを伴うかもしれ
ない。基準レベルやとりわけ50mSvより低い例外的な被曝
にとっての制限は、受ける生活上の便益が比較的高い状況
であるこのインターバルの中に定義されるものと同等であ
る。放射線緊急事態における被曝線量を減少させるために
とられる措置はこのタイプの状況における主要な例になる。
委員会は、ほぼ100mSvに達している被曝線量がほとんど
常に防護措置の妥当性を示すと考えている。さらに関連す
る器官や組織に誘発される確定的影響における被曝線量の
閾値を上回る状況は常に防護の実施を要求する(またICRP
1999aのパラグラフ83を参照のこと)。

 確定的影響と確率的影響の区別、急性障害と晩発性障害
の区別を行う必要があるが、前者にフォーカスした結論と
後者にフォーカスした結論は異なるだろうが、基準レベル
の意味ついてはこの103が具体的に示しており、依然とし
て被曝線量を下げる必要性があることに変わりはない。

 例えがよくないかもしれないが、太平洋戦争における特
攻隊の発想を避ける必要があり、できる限り被害を少なく
するための処方箋としてICRPの勧告が存在し、そのために
は何よりも被曝線量を下げる努力、つまり除染の必要があ
り、一方で事故が終息していないのだが、長期化している
ことを考慮すると、例え二度手間であろうとも被曝線量を
下げる努力を継続していかなければならないだろう。

 楽観も悲観もできないなか、地産地消では福島の人々の
リスクが増加することになり、高い防護基準を前提にする
と一般人にとっては1mSv以下が望ましいと示されている
のだが、緊急事態は現在なお継続中であるといったことを
鑑みると、あらゆる方策でもって被曝線量を下げる努力が
何よりも必要とされているのだろう。この続きは機会があ
ればそのときに記すことにする。

 乱筆失礼、明日もがんばろう。

 では。

May 2, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
May 2, 2011 15:26  Comment (0)  | May 2, 2011 15:26  Trackback (0)   

April 30, 2011

原発報道と福島の子供たちについて

 科学的思考が既存の権益構造に対し敗北することはない
といったことを考えることがあった。その背景について、
ICRPの2007年勧告の抜粋の一部を訳した後に申し添える
ことにする。

ICRP2007年勧告(Pub.111)

原子力事故や緊急被曝の後、長期に亘り汚染された地域に
生活する人々を防護することに対する委員会の勧告の適用

実施要領

(o) 汚染された地域に生活する人々の防護を最も適切にする
ための基準レベルは、被曝状況というこのカテゴリーの管
理のためにICRP2007年勧告(Pub.103)の中で推奨される
1-20mSv/年のうち、より低いバンドの中に選択されるべき
である。長期の事故状況を最も適切にするプロセスを規制
するために用いられる基準となる値は1mSv/年になる。国
家当局は一般的な状況を考慮しても良く、また徐々に状況
を改善する中間点となる基準レベルを採用する全般的に考
慮された復興プログラムを適切な時期を見ながら採用する
ことを念頭においてもよい。

3. 汚染された地域に生活する人々の防護に対する委員会の
システムの適用

3.3. 個々の被曝を制限するための基準レベル

(45) 委員会は、個々の年実効線量(mSv/年)の観点から設
定された基準レベルが既存の被曝状況における被曝を最も
適切にするプロセスの計画と実施を組み合わせ用いられる
べきであるということを推奨する。その目的は、最も適切
な防護戦略や緩やかな幅をもつ基準レベルより低い個人線
量を低下させる目的をもつ戦略を実施することである。計
画段階では、最適化プロセスは基準レベル以下の推定線量
になるべきである。最適化プロセス実施の間、基準レベル
以上になることが懸念される個々の被曝線量を減らすため、
特別の注意が払われるべきである。また子供や妊婦などの
特定のグループにおいて特別の注意が払われるべきである。
しかし基準レベル以下の被曝が蔑ろにされるべきではなく、
それらの被曝は防護が最も適切にされているかどうか、も
しくはさらなる防護措置が必要とされるかどうかを確かめ
るために同様に評価されるべきである(ICRP, 2007, Para.
286)。

 ここで問題があり「福島の子供たちにとって20mSv/年は
安全ですか」といった問いは適切でなく、被曝線量は小さ
ければ小さい程危険性が少なく、これは閾値が存在しない
仮説を採用していることに基づくものだが、「・・・基準
レベルは・・・1-20mSv/年のうち、より低いバンドの中に
選択されるべきである・・・」と記した通り、基準は低け
れば低い程妥当であり、「・・・基準レベル以下の被曝が
蔑ろにされるべきではなく・・・」と記されている通り、
どこにも安全性を保証する話にはなっていないことを理解
して戴けるだろうか。

 科学的思考が語りかけることは何かというと、被曝線量
の大小が危険性の大小を説明することになるのだが、危険
性が小さいことは安全と同値であるといったことでなく(
つまり個々によって経過が異なるといった問題を内包して
おり、放射線のプロが考えることとは許容される範囲内で
できる限り被曝線量を低くするにはどういった備えが必要
かといったことになるのだろうと僭越ながら想像している
...)、その危険性を許容できるかといった個々の考え
方の問題と低線量被曝と晩発性障害の関係をどう考えるか
といった問題であろうと考えることがあるが、メディアの
説明の背景には以下の様なことが含まれるのだろう。

 つまりメディアに登場する放射線医学の専門家が語るこ
との背景には、メディアに登場することに関して彼ら自身
の経済的な問題とパブリシティをどう考えるかといった問
題があり、彼らの関心の対象である彼ら自身の被曝線量が
増加する問題ではないから、福島の空間線量の高い地域に
おいて子供たちが活動することに対して、被曝線量を低く
することが危険性を小さくすることに繋がるのだが、ICRP
の勧告で保証されている訳ではない安全といった言葉を強
調することになっている現状は、危険性が小さいといった
ことを安全と言い換えていることで説明され得るのだろう
(通常被曝し得る線量のレベルを安全と置き換えることも
考えられ得るが、こういった緊急事態においては意識して
避けることができるならば被曝線量を小さくすれば小さく
する程妥当であると考えるのが賢明だろうと考えることが
あり、それは原子力安全委員会のコメントが示す通りだが、
安全とは実際に個々が被害に遭わなければ安全だと言える
ものであり、個々の状況によってはどうなるか分からない
ときに使える言葉ではない、つまり確率的に安全であると
いった考え方を採用して構わない場合とそうでない場合が
ある、言い換えるならば徹底して確率的危険性を0に近づ
ける努力をし続けなければ賛同が得られない場合があると
いったことを考えることがあった、さらに言い換えると今
回の福島の子供に対する20mSv/年といった基準レベルは
科学的演繹の下での安全性でなく行政的判断の下での安全
性の担保になるであろうから、相応の賛同を得るための努
力が必要とされる問題になるだろうと考えることがある)。

 専門的知見を外部に求めるときその問いかけが間違って
いたら、見合った成果が得られないといったことはあり得
る問題であり、長期においては1mSv/年といった基準レベ
ルが求められているが、緊急時においてはどうなるのかと
いった問題とその緊急時にこういったリスクを考慮すれば
これだけのことができますよといったことと、半ば強制的
にリスクに晒される問題とはその本質が異なるのだろうと
いったことを考えることがあった。

 こういったことを全て理解して、校庭で1時間程度運動
をし、入念にうがいをするというのは、個々によっては可
能かもしれないが、自主的に行動する裁量の余地といった
ものを積極的に認めていき、リスク回避的な行動を認める
社会的バックグラウンドの整備といったものが求められる
ものに含まれるだろうとの考えを抱くことがある。この続
きはまた機会があればそのときに書き記すことにする。

 乱筆失礼、明日もがんばろう。

 では。

April 30, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Apr 30, 2011 2:41  Comment (0)  | Apr 30, 2011 2:41  Trackback (0)   

April 27, 2011

欧米において原発はどのような論点で語られ、WHOのFAQを通じて現在の日本はどう把握されているかについて一考察

以下の論点はPROS and CONSの原子力エネルギーの項目からの
抜粋の一部を日本語に置き換えたものである。

チェルノブイリ原発事故の背景として生産性の追求によって安全
基準が犠牲にされたことによる安全基準の杜撰さといったことが
挙げられ、安全管理と手続きが厳格であればそうはならないとの
議論があった。

また原子力利用に付随してお役所主義と秘密主義に起因する様々
な問題が挙げられ、それは軍事技術に転用されることを恐れての
話になるが、これらは過去の問題であるとも言われていた(実際
は違っていたのだが..)。

しかしチェルノブイリ原発事故の12年後においてもスコットラン
ドの原野は危険な程度において汚染されており、また英国の管理
下にあるとはいえ、セラフィールド等の発電所や再処理施設周辺
では白血病の危険性が問題視されていた。

そして1950年代において原子力は安価であると約束されてきたが、
今日依然として原子力は納税者による補助を必要としている状況
であり、古い発電所は解体に100年と数十億のコストが必要であ
ると言われている。

他方、過去代替エネルギーの利用は非効率であると言われてきた
が、政府が代替エネルギーの研究開発に対し大規模に着手すれば、
それらの効率性と安全性は著しく改善するとも言われてきた。

ここに現在の福島の問題が加わることになるのだろう。どう現在
の福島が把握されているのか、WHOの水質ガイドラインに対す
るFAQを通じて眺めてみたい。以下の文章はその抜粋の一部の訳
文になり、URLは以下に示される。
http://www.who.int/hac/crises/jpn/faqs/en/index8.html

日本で水道水を飲むことは可能か。

・日本当局は入念に状況をモニタリングし、必要とされるとき、
 水道水の消費に対し助言しており、これは幼児に対する特定の
 勧告を含むものである。幼児に不可欠な水の摂取は放射性核種
 汚染に対する被曝量を減らすことを意図してそこなわれるべき
 ではない。

・この緊急事態に対し日本の当局によって採用された基準は注意
 を要するものである。現在、放射性ヨウ素は最もよく見受けら
 れる汚染物質である。成人に対する基準は飲料水1リットルあ
 たり300ベクレルである。このレベルで1年中飲料水が汚染され、
 消費されるといった起こりそうもないシナリオを採用すると、
 この水からの追加的な放射線被曝量は1年間における自然環境
 から受ける被曝線量と同等になるだろう。

何故飲料水中の放射性ヨウ素131に対する指標レベルが異なるのか。

 勧告の異なったセットの中で見受けられる指標レベルはそれぞ
 れ異なり、幾つかは通常の状況にあてはまり、他方は緊急の状
 況にあてはまるからである。以下の表は飲料水中の放射性ヨウ
 素131における指標を纏めており、通常の活動における同等量
 の被曝に関する示唆を与えるものである。(以下、示唆を省略)

 ガイドラインの名前 
 水における放射能に対し助言される最大レベル(Bq/L)

 飲料水の品質に対するWHOのガイドライン(1)   10
 成人に対する日本の暫定的な(緊急の)基準(2) 300
 幼児に対する日本の暫定的な(緊急の)基準(3) 100

 (1) 飲料水の品質に対するWHOのガイドラインは原子力緊急時
 に対する基準点としてとられるべきではなく、設定されたレベ
 ルは甚だしく慎重なものであり、生涯に亘る通常の被曝量にあ
 てはまるようにデザインされている。

 (2) 食べ物や飲み物の摂取における制限に関連した暫定基準
 値は日本の食品衛生法によって設けられており、日本の原子力
 安全委員会によって示されるとおりである。これらの基準は注
 意を要するものであり、国際的なガイダンスを考慮に入れてお
 り、IAEAや国際放射線防護委員会の勧告を含めたものである。

 (3) 上記の(2)と同様であるが離乳食を用意するために使われ
 る飲料水に適用できる。このレベルは離乳食のために国際食品
 規格委員会によって定められた国際的なガイドラインと同等で
 ある。

以上に述べた話は原子力利用とは異なり、放射性物質の拡散に纏
わる話だが、概ね国内の議論と海外の議論が類似していることは
同意して戴けるだろうかと考えている(ただ国内の議論ではある
程度のバイアスが掛かっていることは否めない)。

つまり現状を説明するならば、緊急事態としては仕方がない状況
だが、これが永続することは問題であり、その可能性は低いと見
積もられているが、その保証はないといったことになろうか(こ
れが分かりにくさを誘因している背景になろうか..)。これま
で下手な訳文が続いたが何らかの意味で役立つことがあるならば
幸いである。

明日もがんばろう。

では。

April 27, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Apr 27, 2011 1:08  Comment (0)  | Apr 27, 2011 1:08  Trackback (0)   

April 25, 2011

日本人のメンタリティとしては許容され難い話だろうが、あらゆるものを変えるために。

 随分大それたテーマだなと感じることはあるが、何が
必要とされているのかといったことを考慮すると、早い
か遅いか程度の違いしかないだろうと考えることがある。

 1977年、ICRP勧告第26号で採用されたLNTモデルには
色々と議論があり、例えば、2004年にNational Academy
of Sciencesに含まれるthe United States National
Research Councilは、ホルミシス効果が有害な影響を上
回る有意な健康上の便益をもたらすといった仮説を保証し
ないことを示しており、そのことがアメリカのwikipedia
に記述されている(こんなことを言うと孫引きは良くない
とお叱りを受ける気がすることもあるが..)。

 他方、2005年にAcadémie des SciencesとAcadémie
nationale de Médecineが公表すると同時にBEIR VII
reportが示したことだが、LNT仮説は10mSv以下の被曝に
対する放射線防護における評価基準にとって実用的なツー
ルになりうるが、生物学的概念に基づいていないため、
10mSv以下の被曝に関連したリスクを外挿によって評価す
ることやthe European directive 97-43を通じ放射線科医
に課される便益リスク評価に対して注意なしに用いられる
べきではないといった議論も前述のwikipediaに記述され
ている。

 そして低線量被曝が問題になっているが、晩発性障害の
危険性を広島で被爆者治療にあたられた肥田さんが指摘し
ており、慢性疲労症候群、ぶらぶら病に対して為す術がな
かった現状を様々なところで語っており、放射線医学が原
子力工学同様、国策の影響を多分に受けている危険性を抱
えていることを示している(福島の子供は大丈夫だろうか
といった問題意識は前述のような低線量被曝における議論
と学界が抱える闇が問題になっているからだろうと考える
ことがある)。

 毎日新聞によれば東電の損害賠償スキーム案は原発賠償
機構に対して電力会社の負担金、金融機関の融資、国の交
付国債が組み合わさった形で示されており、電気料金の値
上げを含むものであるとの報道がなされているが、国の在
り方といった構造そのものが変わらない限りは今後も問題
は続いていくだろうと考えることがあり、それ故の失われ
た20年ならぬ30年といった状況を経験することにも繋がる
ことがあろうかと考えることがあった。

 そしてObamaはCBSの60 Minutesの中で、I did not run
for office to be helping out a bunch of fat cat bankers
on Wall Streetと言ったが、「財務、経産、メディア、電
力会社を含む企業群、そして御用学者を含む学界といった
太ったどら猫を助けるために立候補した訳ではない」ぐら
いのことを語る候補者を許容する民意といったものが現在
求められているのだろうと考えることがあった。

 健全な社会の発展を阻害しているものが1つ1つ明白にな
りつつあるが、それを克服するためには全てを変えるしか
ないだろうといったややラディカルな見方に立つことの背
景は上記のようなことになろうか、いずれにせよ求められ
るものは幅広く徹底した議論であろうとの考えに変わりは
ない。

 乱筆失礼、明日もがんばろう。

 では。

April 25, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Apr 25, 2011 16:41  Comment (0)  | Apr 25, 2011 16:41  Trackback (0)   

April 19, 2011

原発報道と日本人のメンタリティについて

 3〜4ヶ月前に、日本の会社員ではメディアの役割は務まら
ないといった内容の記事を書いた記憶があるが、同様に日本
の会社員では原子力関連の施設の管理は務まらないといった
ことに加え(つまりシビアアクシデントに対処できない)、
日本の役所では原子力政策をしっかりと管理する役割は務ま
らない(つまり頻繁に人事異動があることにより専門性と責
任感が希薄になる)のではないかといったことを考えること
があったが、これは学界を除外した話ではない。

 お互い会社員ですから仕方がないですねといった会話がメ
ディアと電力会社の間で交わされ、メディアと役所の間で組
織に属する者としてはお互い仕方ないですねといった会話が
交わされている可能性を否定することはできず、それならば
何故責任がとれないものに手を出したのかといった問題意識
が残ることになろうか。

 原発がどのような経緯で導入されたかについては色々論が
あるが、エネルギー事情が変化したこと、原発労働者の問題、
電力会社や電事連と大手メディアとの関係(熊取六人衆の見
解についてガス抜き程度に触れる一方、御用学者の見解を大
手をふるって取り上げることはまだ良い方で、様々な構造的
癒着があるように把握できるのはメディアの体質が旧いから
だろう)、事故のリスク等を考慮すると原子力事業から撤退
するのが妥当に思われることがあるが、推進派である経産省
や吉井議員の国会質疑に対し回答した保安院の寺坂氏および
それを支え続ける人々とその構造の今回の事故に対する責任
を適切に求めていくことぐらいのことはいの一番にやってい
かないと話が始まらないだろうと考えることがあった。

 さらに付け加えるならば緊急災害の予防に関して、例えば
大量にクジラが打ち上げられた時に大地震が起こるといった
現象に対し、ここで原発を停止する等の措置を取ることは、
オカルトの世界の話なのか科学技術の敗北といった話なのか
それともそれは今後予知技術が発達する上で解決される問題
なのか詰めておく必要があるように感じられることがある(
実際に茨城の海岸に大量にクジラが打ち上げられていてこれ
は大地震がくるといった噂がたっていたが、これはニュージ
ーランドの地震の2日前にも生じた現象だからやや普遍性が
ある問題かと考えることがあり、実際に大地震がきた..)。

 言いたいことはなあなあにしてはいけないといったことに
なる。どうでもいいことを報道し続け、肝心なことを報道し
ないメディアは廃れていくだろうし、それが市場というもの
だが、今はその過渡期にあると認識するのが妥当かもしれな
い(どうでもいいことに大事な問題が含まれることはあるが、
現状における選別は妥当性を欠いていると考えることがある)。

 乱筆失礼、明日もがんばろう。

 では。

April 19, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Apr 19, 2011 15:15  Comment (0)  | Apr 19, 2011 15:15  Trackback (0)   

April 15, 2011

東北地方太平洋沖地震とスマトラ島沖地震を比較して

 2010年チリ地震は太平洋側のナスカプレートが大陸側の
南アメリカプレートの下に沈み込んで起きた海溝型地震の
例であり(Mw8.8)、2004年スマトラ島沖地震はインド・
オーストラリアプレートがユーラシアプレートの下に沈み
込んで生じた海溝型地震の例であるが(Mw9.1)、東北地
方太平洋沖地震は太平洋プレートが北アメリカプレートの
下に沈み込んで起きた海溝型地震の例になり(Mw9.0)、
全ての数値はUSGSの公表値になるが、これらを同時に俯
瞰する必要があるだろうと考えることがあった。

 アスペリティ仮説に基づけば、プレート境界部の摩擦抵
抗の大きい部分(凸の部分つまりアスペリティ)が滑った
ときに大地震となり、大地震はどこでも発生し得るという
より予め決まった場所で発生し得るといった立場になり、
それ故、宮城県沖地震が懸念されていたことを松澤さんが
以下のURLにて解説している。
http://www.disaster.archi.tohoku.ac.jp
/symposium/forum3/matsuzawa.pdf

 そしてアスペリティ周辺のスロースリップの活動状況に
ついては地震予知連絡会が第189回の予知連の議事概要にお
いて報告しており、URLは以下に示される。
http://cais.gsi.go.jp/YOCHIREN/activity/189/189.html

 2004年スマトラ島沖地震の3ヶ月後に2005年スマトラ島
沖地震が発生しており(Mw8.6)、その後複数回に及ぶ本
震を経て2010年10月スマトラ島沖地震が発生していること
を鑑みると(Mw7.7)、東北地方太平洋沖地震に関して、
数ヶ月から10年のスパンで物事を眺める必要があるだろう
と考えることがあった。

 USGSの公表値については以下のURLで確認することが
できる。
http://earthquake.usgs.gov/earthquakes/eqinthenews/

 なまずが暴れる、イルカやクジラが打ち上げられるとい
った経験的予測(これを風評とは呼ばないだろう)に加え、
科学的姿勢をどこまで堅持できるかが問われる場面も今後
多々あろうかと考えている。

 2004年スマトラ島沖地震では震源域が長さ1200kmから
1300kmに及び、東北地方太平洋沖地震では震源域が南北約
500km、東西約200kmに及ぶことを考慮すると単なる類似
と考えることは妥当でないといった立場に立つことがある
が、詳細かつ迅速にデータを眺めた上で結論を出し続ける
ことが求められているのだろうと考えることがあった。

 乱筆失礼、明日もがんばろう。

 では。

April 15, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Apr 15, 2011 17:09  Comment (0)  | Apr 15, 2011 17:09  Trackback (0)   

April 14, 2011

閑話休題、子供が喜ぶだろう缶コーヒーのおまけをPC周辺の飾りとすることについてー趣味は社会的にどこまで許容されるのか

 今から3〜4週間前だろうか、WONDAのおまけとして
スカイラインのミニカーが付いていたことが呼び水にな
った訳ではないだろうが、おまけ付き缶コーヒーが続い
ているなと感じている。

 無料で付いてくるものだから子供向けの遊び道具とし
て十二分に活用することはもとよりPC周辺の飾りとして
用いることが視野に入ってきてもおかしくはないという
ことに関し、別段問題はないだろうと考えることがある
(人によって見方は様々だが..)。

 偏った業界を例に挙げる意図はないがSEが職場のPC
の飾りとしてキャラクターグッズを置いていることが示
すことは何かというと、それが機械的な仕事にさらされ
ている職場環境に一服の清涼感を与えるとともに人間的
な癒しを求める心境がその背景にあるのだろうといった
ことを考えることがあったが、理工系の研究室のPCにつ
いて言及する意図はない(実際私自身キャラクターグッ
ズを飾っている研究室を見たことがない..当然か..)。

 BOSS RAINBOW MOUNTAIN BLENDが今から1〜2週
間前にシボレーのミニカーをおまけに付けていた。これ
はゼンマイで走る機能を有しているのだが、PC周辺の
飾りとすることについて然程問題はないかと考えている。
以下にその例の一部を示す。

110414-13555411

 そして昨日気付いたことだが、Roots Aroma Impact
微糖SPECIALに漫画のコナンのキャラクターグッズが
おまけとして付いていた。高さ3cm程だが、以下にその
例の一部を示す(可愛げがあり、つい2缶買ってしまっ
たと言うと、いいようにメーカーの営業部に利用されて
いる様な感が残り、反省すべきかもしれないが..)。

110414-13591611

 ここまでは趣味として許容範囲でしょうと考えている
が、ミニカーはともかくキャラクターグッズはグレーゾ
ーンでしょうといった見方があることを否定する意図は
ない。しかし以下の例は明らかにレッドカードでしょう
と考えるときがある(私はこの世代にあたるようだ..)。

110414-14002111

 上記の例は雑貨屋さんで180円ぐらいで売られている
ものだが、思い出深いといった視点は置いておいて、役
に立たないものに対して金銭を支払うといったことは社
会的に許容できるものではないといった見方に説得力が
あるかもしれないと考えることがあった。ただ言い訳め
いたことを述べさせてもらうならば、懐古の情といった
ものにも何某か存在意義といったものがあるのではない
かといった視点と成熟した見識を保有するとはどういう
ことかといった視点とのバランスを適切にとり続ける問
題でもあるように感じることがある。

 今日は久しぶりに何気ないことをつらつらと書き記し
てしまったが、こういった日常の一時といったものに価
値を見出す視点が何某かに貢献することがあるとするな
らば、幸いであると考えることがある。

 明日もがんばろう。

 では。

April 14, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Apr 14, 2011 16:22  Comment (0)  | Apr 14, 2011 16:22  Trackback (0)   

April 10, 2011

桜人としてぶらり。

 「またや見む交野のみ野の桜狩り花の雪散る春の
あけぼの」新古今・春下、がどの様な状況で詠われ
たかは想像するしかないが、これじゃあ場所が全然
違うじゃんと言った話はさておき、例年のように私
が眺めている街角の一角は以下に示す通りになる。

Ts2702051

 帰りがてらに投票を済ませてきたが、地元の選挙
公報を見る限り全く目を引くところがなかったため、
これは何とかしなければいけないかなと考えること
があった。

 こんなことをしている場合ではないといった見方
があるものの、まあ好きにさせてもらうさといった
考えに随い、ぶらりとしている。

 また以前の様に取り留めのない日常を書き連ねる
日々に戻っても構わないかなと考える時があるが、
少々時期が悪いかなと考えることもある。

 明日もがんばろう。

 それでは。

April 10, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Apr 10, 2011 13:46  Comment (0)  | Apr 10, 2011 13:46  Trackback (0)   

April 03, 2011

4/5〜4/6、ドイツ気象庁(DWD)の日本における放射性物質の拡散に対する予測について一考察

 地域によっては全体的に空間線量が低下しているといっ
たことを測定値から確認することができるが、他方、ドイ
ツ気象庁(DWD)の図がやや誇張された印象を与えてしま
うかなと考えることがあり、独文全てを訳し下してみた(
量的には多くない)。URLと4/3時点の記事に対する日本語
対照訳は以下の通りになる(うまい訳文ではないと考える
こともある..)。
http://www.dwd.de/

日本における天候と拡散状況

2011/4/3

上の図:拡散状況 2011/4/3 UTC 時点でのモデルによる日本
の火曜日の朝の相対濃度の予測
寒冷前線の後退の後、高気圧が韓国と日本海から日本列島
の本州にまで広がる。さらにそれは北や北東からの風になる
だろう、そしてそれによって福島からの放射性物質の拡散は
南部へ向かうかもしれない。これらは太平洋上において放射
性物質の相対濃度を減少させる可能性があるが、一部は日本
列島の上に拡散するかもしれない。

真ん中の図:拡散状況 2011/4/3 UTC 時点でのモデルによる
日本の水曜日の朝の相対濃度の予測
水曜日には高気圧が日本の大部分を覆うだろう。その際に
それは乾燥した状態でとどまり、そして北日本を除いて弱い
風が吹く状況が生じるだろう。これが意味するところは、
限定的だが固有の風向きが与えられることとそれが局地的な
状況の影響を受ける可能性があることである。しかし現在の
シミュレーションが示唆することは、南西部の方向に運ばれ
る前に、汚染物質のほとんどが当面太平洋の東へ運ばれるだ
ろうということである。このことから日本の海域同様本州の
一部が影響を受けることが示される。

6時間毎のアニメーション(下の図をクリックして下さい)
が示すことは、放射性物質を含む大気の拡散が、期間は3日、
高さ250mに及ぶ福島原子力発電所の大気の固まりに由来し
ていることである。放出された放射性物質の量が未知のた
め、単に相対的分布と未知の濃度を源とする値が想定され
ている。現地における実際の放射性物質の拡散に対する帰納
的結論はそれゆえ現実的な情報でなく、BMU(www.bmu.de)
のサイトを訪れて欲しい。

 朝日新聞によると日本気象学会の理事長である新野先生
が「学会の関係者が不確実性を伴う情報を提供することは、
徒に国の防災対策に関する情報を混乱させる」「研究は大
切だが、放射性物質の拡散に特化して作った予測方法では
ない。社会的影響もあるので、政府が出すべきだと思う」
と3/18(金)に指示を出していたことが確認できるものの、
上記の通りドイツ気象庁に限らず欧州各国がシミュレーシ
ョンの結果を公表しており、その誤った解釈を避ける意味
でも最初からこれまでの研究内容の開示に積極的に動くこ
とは妥当かなと考えることがある(ただ当事者にしてみれ
ば何を言っているかと考えることもあるのだろう..私と
は立場が異なるが..)。

 いずれにしても確かにドイツ気象庁(DWD)の4/6の図
は関西から九州までを含んでいるものの、訳文にも記した
通り、「期間は3日、高さ250mに及ぶ福島原子力発電所の
大気の固まり」にどれだけの放射性物質が含まれているか
が分からない以上、その空気の拡散だけを眺めてあれこれ
言ってもどうしようもないことだけはお分かりいただける
かと考えている。

 ただ私はこういったシミュレーションは有益だと考えて
おり、それが一人歩きする危険性を憂慮するより、その先
の見通しをよくすることの利便性が優るなら、どんどん公
開されてしかるべきだとの考えを抱くことが多い。

 それでは。

April 3, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Apr 3, 2011 20:22  Comment (0)  | Apr 3, 2011 20:22  Trackback (0)   

April 01, 2011

暫定基準値を超える農作物と風評被害について一考察

 「影響は僅かなものである」といったコメントを
専門家や解説者から聞くことがあるが、ここで1つ
提案がある。

 医学的に眺めて問題が少ない農作物であるならば、
十分理解しているであろう医学部の食堂で優先的に
その農作物を食べ続けることが妥当に感じられるこ
とがあり(量的に少ないといった問題があるが..)、
他方で1年間食べ続けても問題が少ないと述べるなら
ば、その媒体である企業の社食やその根拠を支える
大学の学食で優先的にその農作物を食べ続けること
が妥当ではなかろうかと考えることがあるが(やは
りこれでは量的に少ないのだが..)、それは他の
食堂を除外した話ではない..そして外部被曝に加
えて複数の様々な食品や水道水を摂取し続けた上で
計算される数値であるにもかかわらず、暫定基準値
を超える単一の農産物や水道水のみを摂取し続けた
上で計算される数値を安全性の根拠に用いる一部の
専門家や大学教員(東大や東工大に所属する一部の
教員の話を聞いて考えさせられたことだが..)の
現状に対する説明に批判的な考慮を加えないメディ
アの報道姿勢(予め結論が決まっているのだから変
えようがないと言われそうな気配もあるが..)が
現状に対するさらなる不満を増大させていることに
繋がっているかもしれないと考えることがあった(
ただおそらくそのあたりは先方も折込済みだろう..
今更の話だ..)。

 風評被害を少なく抑えたいということは合理的な
思考の表れであろうと考えることがあるが、差し当
たりまず安全だと考える人が優先的にその農産物を
食べ続け(1回限りのパフォーマンスではいけない)
安全性を示す問題でもあり、今私は調べている最中
だから安全か否かについては留保するといった立場
の人間に対し「しっかりと勉強したなら結論は異な
る!」とだけ言うのは今食べたくない人に対しその
農産物を食べることを強要する言葉でもあるから、
些か問題があるだろうと考えるときがある(普通、
同じ研究者に対しそんなことを言わないでしょう?
私の知る限りそんな例はない..)。

 安全か否か(つまり安全性のリスクに対する評価)
は個々が決める側面があろうから、風評被害を避ける
ための説明がうまくいってない事例に繋がる蓋然性が
あると把握することも可能であるが、納得のいく説明
のみならず、納得のいく態度といったものが伴わなけ
れば、これはうまくいく問題ではないだろうと思われ、
結果もそれに随ったものになるだろう。

 私は個人的には食べたくなければ食べなくても構わ
ないといった立場で、むしろそれが当然であろうと考
えている。それは風評被害とは呼ばず、個人の意思の
表れになろうから、求められることは説明責任を果た
す言葉のみならず実際の態度であろうと考えることが
ある。

 おそらくこういった提案は批判が多いことと思われ
るが、実際の所何をどこまで理解しているかといった
問題になると、考えられていることをどこまで底上げ
することができるかも課題に加わると考えている(つ
まり結論ありきではなく、多様な根拠と理論の中から
妥当だと思われるものを選択するための、言い換える
ならば、専門家に結論を委ねるのでなく、個々が結論
を導き出すための環境の構築が求められていると考え
るときがあり、専門家に丸投げしない立場を保持しな
がら、個々が現状を正確に理解し判断することが求め
られていると考えることがある..)。

 そして危険性を確認しながらも安全性を許容する、
安全性を確認しながらも危険性を許容するといった問
題の本質をもう少し前面に出すべきではなかろうかと
考えることがある。

 さらに言うならリスクを負いたくない人に対し否応
なしにリスクを広範囲に負わせてしまった今回の事故
の影響に対し早い段階での今後の見通しをメディアや
専門家から聞く機会が少なかったのみならず、何故、
他分野の専門家が新たに当該分野を勉強しなければな
らないのかといったことを考慮すると、今更であるが
肩書きで判断する時代はとうに過ぎ去っているとはっ
きりと認識するべき時に来ており(当然の話であるが
人を見かけや肩書きで判断してはいけない..研究者
や専門家があらかじめある結論を前提に理論的背景を
説明することは在り得ることであり、前提を変えると
常識から乖離してしまうことが在り得るかもしれない
といったこと、単に話し慣れていないだけで不適切な
例えや説明を用いてしまうことなどは我々が大学等の
研究・教育機関で学ぶ通りであり、専門家や大学の教
員自身も認識していると思われるが、一般にその人物
を知らない教員のある学生に対する評価を鵜呑みにす
る教員の話をあまり聞かないことからも理解できる様
にそこに個人差があることは否めないだろう、それ故
どこで誰が何を語り、事実どうなったかをしっかりと
検証する必要があるだろうし、それに対する適切なフ
ィード・バックも求められるだろう..これは犯人捜
しではない、つまり安全性を語り人から信用を求める
ならそこに責任も伴いますよといった話になる、そし
て責任が取れないなら安全性を語る資格がないといっ
たことになる..)、しかしメディアの報道姿勢はそ
の旧態依然とした体質からか張り子の虎である権威を
利用することがあるため、個々の判断を尊重する環境
形成の促進を通じた問題の解決よりむしろ慎重に言葉
を選ぶことによる責任回避を十分に考慮した上、問題
をすり替えていることを常態化させていないだろうか
といったことを考慮することがあり、問題を解決する
ために議論を徹底して突き詰める世論の喚起が求めら
れて然るべきではないかと考えるときがある。

 それでは。

April 1, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Apr 1, 2011 21:34  Comment (0)  | Apr 1, 2011 21:34  Trackback (0)   

March 30, 2011

一見すると無関係な、TOEIC900不要論と福島原発報道との関連性について一考察

TOEIC900〜が外国語を教える仕事に就く際にプラスに
作用するかというと、そうではないケースがあるとい
ったことを考えることがあった。それは、試験で計測
されていない能動的能力に問題があるからだといった
理由からではなく(実際には語彙が足りないことに加
え、能力的問題も多々あるのだが..)、周囲の人間
にアレルギーを引き起こすことにより(正当な根拠の
ないやっかみや対抗心を引き起こすと言い換えても構
わないだろう..)、うまく仕事を進めることを難し
くする恐れがあるからだと言うとどこかで聞いた話と
類似していないだろうか。これはインフォーマルな会
話に失敗している例として取り上げている訳ではなく、
より深刻な社会問題の例として取り上げている。

周囲に十分目配りして物事を進めることが肝要である
といったことは様々な人事的案件を解決する際に考え
られ得ることだが、既得権益の保護に加えて、正当な
根拠のないやっかみや対抗心を引き起こすことを暗黙
の理由として、門前払いにするとしたら、それでは組
織や社会の進歩も停滞してしまうでしょうと言いたく
なることがあり、それ故現在の日本は失われた20年の
真っ直中にあると説明する視点に繋がるかもしれない。

そしてその例に、今回の福島の原発に対するメディア
と大学教員による一連の発言が含まれるだろうと私は
個人的に理解している。

原子力工学に関連する講座は原発が稼働しないことに
は始まらない、そして電力会社から寄付金を募り寄付
講座を開講する。ここまでは良くある産学共同の例に
なろうか。

他方大手メディアの大部分はスポンサーとしての電力
会社の意向を考慮せざるをえない立場にある。日本企
業は海外の番組のスポンサーになることもあるのだが
(例えば、PBSの番組にTOYOTAのCMが流れるなど..)、
相手がアメリカの場合は都合の悪い報道がなされても
スポンサーを降りたりしないが、国内の場合には都合
の悪い報道がなされるとスポンサーを降りることがあ
るといったダブルスタンダードを目にすることがある。

原子力工学の専門家と大手メディアの利害関係は一致
しており、そこに地元住民の不安を考慮するといった
視点はない、それ故「〜安全である」といった言葉が
一人歩きすることになるが、これは電力会社に限った
問題ではない。

当然少数の例外はあるが、何故多数派が道を誤ったの
かといったことに説明を加えるならば、先程の採用の
話が参考になるかと思われるが、所謂「切れ者」が、
根拠のないやっかみや対抗心を引き起こすことを暗黙
の理由として、多数派の組織から除外されてしまうか
らだといったことが背景にあるだろうと考えることが
ある、繰り返すがインフォーマルな会話の失敗例とし
て取り上げている訳ではなく、日本の村社会の失敗例
として取り上げている。

アカデミズムに自由が保障されてしかるべきなら、国
内のジャーナリズムにも自由が保障されてしかるべき
だが、WikiLeaksへの対応を見る限り、自力で構造的
問題を克服する力はないと見なすのが(例外は多々あ
ろうが..)、自然に思われることがある。

これらの組織の内側にいると、「私は皆さんとは違う
!」といった意識が増大することに繋がるのだろうが、
それならば根拠のないやっかみや対抗心を引き起こす
ことを暗黙の理由として、何故「切れ者」を組織から
除外し続けているのか説明する必要があるのかもしれ
ないが、私なりに考えたことは、所謂「切れ者」を組
織の内部に置くとその組織が自己崩壊してしまう恐れ
があるからだといった保身に対する意識がその背景に
あるからだろうと纏めると、この問題の解決にはまだ
時間が掛かるかもしれない。

この話の続きは機会があればその時に改めて行うこと
にする。

乱筆失礼!

March 30, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Mar 30, 2011 14:54  Comment (0)  | Mar 30, 2011 14:54  Trackback (0)   

March 23, 2011

The nuclear crisis in Fukushima and some of the Japanese problems

Taking a less optimistic view, it probably seems the like
of it often happens in Japan. Let me say frankly, I think
the problems are the results of the culture of the bureau-
crats and the large corporations and of something like
hamartophobia, which means an irrational fear of error
or failure.

In fact the government's or the power company's responses
from the first didn't pertinently seem to help them to cope
with the situations because they presumably seemed to
avoid making a wrong forecast and didn't seem timely and
appropriately to make a useful forecast with a margin of error.

I don't think it was better to deal with the situations in
accordance with unnecessarily careful consideration when
one crisis followed another although I can provisionally
understand what they feared was the propagation of a
number of mistakes and they didn't actually and officially
announce that SPEEDI, the Japanese computer system
to predict the spread of radioactive particles, was available
and that the data and the prediction were available before
March 22, unlike Deutscher Wetterdienst and so on.

At this stage, it can't be too late to say anything and
I am in a position to request the candid disclosure of
more findings.

Please excuse this scribbled note.

March 23, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Mar 23, 2011 18:58  Comment (0)  | Mar 23, 2011 18:58  Trackback (0)   

March 21, 2011

3/21〜3/22、ドイツ気象庁(DWD)の日本における放射性物質の拡散に対する予測について一考察

 インターネット上には様々な情報が偏在しているため、
実際に、DWDの独文を読み下した上で考えたことを記す
ことにする。URLは以下の通りになる。
http://www.dwd.de/bvbw/appmanager/bvbw/dwdwwwDesktop?
_nfpb=true&_pageLabel=dwdwww_start&_nfls=false

 Wetterlage und Ausbreitungsbedingungen in Japan
の左にある2枚の図についての解説だが、最後のパラグラフ
に書かれてある様に、図が実際の放射性物質の濃度を示す
と結論づけることは意図されるものではなく、また危険性
を評価できる訳でもないと断りがあることからも示される
様にあくまでも例として挙げられているにすぎないといっ
たことを理解しておく必要があるように考えている。

 その理由として、理論的に色々あろうが、放射性物質は
向きが変化する風に乗っかっており、予測することが難し
いからだといったことが第1パラグラフに書かれてあった。

 ただし3/20(日)時点の記事を基にして内容を把握したこ
とだが、第1パラグラフと第2パラグラフを通じて書かれて
あったことは、気圧の谷が移動するにつれ、西からの風が
北西からの風に変わることと、放射性物質の拡散は首都圏
を含むこと、及び太平洋上に放射性物質の拡散が移った後
はその拡散の速さが増大することだった。

 図をクリックすると分かることだが、これは若干矛盾を
孕む考え方であるものの、hochと記載された紫から赤のゾ
ーンについて注意を払うことに関しては問題が少ないだろ
うと考えることがあり、その他にも色々考えることがある
が、何度も繰り返すがあくまでも例に過ぎず、詳細な検討
を加えるには色々問題があることは断りに示されている通
りであり、同時に政府公報を参考にしていく必要があるだ
ろう。URLは以下の通りになる。
屋内待避エリア内
http://www.kantei.go.jp.cache.yimg.jp/saigai/20110320taihi_seikatsu.html
その他東北、関東地方
http://www.kantei.go.jp.cache.yimg.jp/saigai/20110321ame.html

 専門外の人間が口を挟むと問題も多い様に感じられる
ことがあるから、差し当たりこのあたりに止めておくと
それはそれで十分に説明をしていないとお叱りを受ける
ことに繋がろうか。

 それでは。

March 21, 2011
Mar 21, 2011 0:21  Comment (0)  | Mar 21, 2011 0:21  Trackback (0)   

March 19, 2011

福島の原発について一考察、現状認識と対応

 放射能をもつ物質(放射性物質)の空間的分布の経時
的変化については、非常に単純化した近似を用いるなら
ば、時間と地点によって変化するドリフトをもつ3次元
の拡散方程式で記述でき、有限差分法、有限要素法等で
弱解を求めることが可能であるかもしれないと考えるこ
とがあり(専門家がこの近似を眺めると考慮していない
考え方が多数あるだろうとのお叱りを受けるかもしれな
い、そしてどうドリフト項を定式化し近似として妥当な
値にするのかといった問題が内在されているだろうとい
ったことを考えることがある..私はまだまだ勉強しな
ければならない立場か..)、その分布の推移は1986年
のチェルノブイリ原子力発電所事故を例に引くと、同心
円で説明できるものではなく、楕円に類似した(正確に
計算した上で話をしている訳ではなく、感覚的に把握し
たことに対して話をしていると言ったら、何のための数
理的厳密性の担保だとお叱りを受けることになり、恐縮
することもあるのだが、分布の形状が正確な楕円である
と表現している訳ではなく、風の方向に拡大された形状
が相当数組合わさった)形状と下降気流によるホットス
ポットの組合せによる形状で示されると言ったら、どん
な例があるかといった話になるかと考えられるが、例え
ば以下の記事が挙げられるかもしれない。
http://www.spiegel.de/wissenschaft/natur/
0,1518,750835,00.html

 そして放射線従事者でない一般人が1年あたりに浴び
て問題があるだろうが許容しなければならない被曝線量
限度を50mSvとするならば、5.7μSv/hが1時間あたりの
値になり24時間外出している訳ではないものの、恒常的
にこの値を超える地域は自主的に避難した方が妥当では
なかろうかと考えることがある(3/18時点、福島第一原
発北西部30kmを念頭に置いている)。

 但しアメリカ人は恒常的に1年あたり6.2mSv浴びてい
ることを考慮すると(アメリカのwikipediaによる)、
0.70μSv/hが1時間あたりの値になるが、どう判断するか
は個々に任されているといった現状になり、被災した東
北地方はそれどころではないと仰られる方が多いと思わ
れるが、被災した地域に物流を復旧するためには、何が
根拠になるかを明示し続ける必要があるのではなかろう
かとの考えを抱くことが多い。

 現在復旧活動が進む中で、被曝した放射線従事者に対
する偏見をなくすことが求められていることは当然であ
るが(これは広島・長崎の教訓が教えることであろう)、
福島はもちろん、仙台を含めた東北地方を復興するため
の障害となっている要因の1つに日本社会の在り様がある
のではなかろうかと考えることがある。

 計画停電等の問題を孕むものの今関東が東北地方を支
えなければ、東北地方の被災地が救われる術がないだろ
うと考えることがあり、そのためには正確な情報を常に
発信し続ける姿勢が求められているのではなかろうかと
考えることがある。

 それでは。

March 19, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Mar 19, 2011 11:17  Comment (0)  | Mar 19, 2011 11:17  Trackback (0)   

March 15, 2011

福島の原発について一考察

 現状に対する理解を深めるため、サイエンス・メディア・
センターのウェブサイトを利用していた。URLは以下の通り。
http://smc-japan.sakura.ne.jp/

 また早野先生のtwitterのコメントを参考にして、現状を
把握し直すことが有益に感じられることがあった。URLは
以下の通り。
http://twitter.com/hayano

 IAEAの国際原子力事象評価尺度のレベル7に該当する
1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故とは異なり、
他方でレベル5に該当する1979年のスリーマイル島原子
力発電所事故とレベル4(現時点でレベル7)に該当する
今回の事故を比較する向きがあるが、崩壊熱を適切に減
少させることに関し、自然界には非定常な現象が数多い
ものの、適切に制御することが可能であるのかといった
ことを含め、現在多数問題を抱えているのであろうとい
ったことを考えることがあった(放射性物質がどの程度
外部流失したかが事故の深刻さを示す訳だが、問題は如
何にコントロールできるかにあると理解しているが..)。

 実際の所、10日間〜1ヶ月くらい様子を見る必要が
あると同時に適時対策を打ち続け、さらに健康への影
響が少ない程度といった意味で(長期的影響を考慮す
る時期ではない、つまり短期的影響を防ぐので精一杯
の時期だろうが..)、少量の拡散に慣れる必要があ
ると言うと不安に感じられるかもしれないが、福島は
もちろん仙台を含めて東北地方はそれどころではない
といった現状を考えると(関東もそうなのだが..)、
色々言わなければならないこと及びやらなければなら
ないことは数多いだろう。

 それでは。

March 15, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Mar 15, 2011 13:33  Comment (0)  | Mar 15, 2011 13:33  Trackback (0)   

March 11, 2011

Google Person Finder: 2011 日本地震に関して。

 現在予断を許さない状況だが、アクセスポイントを
増やすことは好ましいことではないかと考えることが
あり、一筆する次第。

 AFN(米軍放送)で流されていたことだが、横田
基地では犠牲者が0だったといったことに関し、地域
によって差が大きい問題であるが、横の絆を増やす
ことが求められていると考えるときがある。

# 補足

 3/12(土)現在、千葉県北西部郊外では、小規模の書店
(オークスブックセンター白井駅前店)が休業中、また
ホームセンター(ホーマック、白井店)が休業中だった
が、ケーズデンキ白井駅前店は営業中だったことを追記
する(営業時間の変更については未確認)。

 そしてIIBCからのアナウンスにより、第161回TOEICは
中止になったが、他方高校生・浪人生向けの試験として、
東大が後期試験を実施することを選択したことに対して、
他に妥当な選択肢が存在しないだろうかと考えることが
あり、外野から一々口を挟まれたくないとの立場を理解
してはいるものの、それでも少々周囲から振り返るべき
ことはないだろうかと考えることがある。

# 補足-2

 3/13(日)現在、オークスブックセンター白井駅前店、
ホーマック白井店、共に営業していたが、天井にある
空調機が落下した痕跡、全ブロックが照明で照らされ
ている訳ではなく電気の明かりのない売り場ブロック
から示される通り、現在復旧中との印象を受けた。又、
2000円以下の携帯ラジオが売り切れで、やはりなとの
思いを抱くことがあった。

# 補足-3

 3/14(月)現在、地元のホームセンターの開店時間前に
100人規模の行列ができていた。そして開店と共に、
乾電池売り場に人が殺到していたが、「乾電池は全て
売り切れです」との店員からのアナウンスがあった。
阪神・淡路大震災の教訓を思い起こせば、売り切れの
商品に関し1週間もすれば在庫分が入荷されるだろうと
考えることがあり、関西及び中京地区の生産流通能力
を信頼し待つしかないだろう。仕事は計画停電のために
休みとなったが、今後次第であることに変わりはない。

 それでは。

March 11, 2011 in パソコン・インターネット , 学問・資格 , 雑記 , 
Mar 11, 2011 20:07  Comment (0)  | Mar 11, 2011 20:07  Trackback (0)   

March 08, 2011

BackTrack 4 Final R2でインターネット接続を有効にする方法

 # update-rc.d networking defaults は有線LANのケースに
なり、そして # update-rc.d wicd defaults は無線LANのケース
になるものの、今更ながらの話だがそれだけではうまくいかな
いケースの参考になれば良しとしたいとの思いがある。

 # /etc/init.d/wicd start
 # /usr/bin/start-network
 # /usr/bin/wicd-client on

 上記のコマンドにより問題が解決されたが、海外サイトの手
引きに色々書かれてあることとその情報量の多さを鑑み、ここ
ではこれぐらいの紹介に止めるが、ネットワークマネージャー
を起動させることができれば後は自力で何とかなるだろう。

 ここからが今日の課題。

 TOEIC対策は模試。正答率は、パート3が21/20、パート4が
6/12、パート6が10/12で、パート7が22/28。Rの時間は累計45
分で、ダブルパッセージに30分かけることができる。

 伊検対策は作文と聞き取り。作文は伊文筆写を40本ほど。
こんなペースだが伊文と格闘するといった段階ではなく、
徐々に親しみをおぼえるよう慣らしている状況か。

 明日もがんばろう。

 では。

March 8, 2011 in パソコン・インターネット , 学問・資格 , 雑記 , 
Mar 8, 2011 17:01  Comment (0)  | Mar 8, 2011 17:01  Trackback (0)   

February 28, 2011

近現代の民主主義についてー考察。

共同体を維持するためであろうか国連は内政干渉に
対し否定的な態度を示しているが、各国の政府が、
その市民に対し説明責任を果たし、汚職に対する防
波堤を築き、その個人の自由を保障し、不適切な政
策を訂正し、開かれ繁栄した経済を構築するために、
民主主義を求める姿勢を維持するとするならば、そ
の態度はラディカルだとお叱りを受けることに繋が
るのだろうかと考えるときがある(私はそれでも後
者の指摘を重ねることの積み重ねが肝要だとの考え
を抱いている)。

例えとして適切でないかもしれないが、ナポレオン
は権力を握るために投票を利用したが、その部分的
な民主主義の在り様は、ミャンマーに見られる軍事
独裁政権が選挙を利用したことと適切に比較した上
で考慮される必要がある訳だが、他国にとって攻撃
的な政策が採用される蓋然性を高める方向に作用し
ていないだろうかと考えるときがあり、やはり完全
な民主主義の徹底を求める姿勢が必要とされている
訳だが、その民主主義の体現には複数のタイプがあ
り、例えばアメリカ、イギリス、そして他のEU諸国
におけるタイプの違いや、ウガンダが政党を禁止し
た民主主義を採用していることから理解されるよう
に完全なる民主主義の実現と言ってもその形態につ
いては寛容になる必要があるだろうか。

1982年、アルゼンチンの軍事政権がフォークランド
に侵攻し、他方でサダム・フセインがクウェートに
侵攻したことから理解されるように、平和を希求す
ることと民主主義は重なる一面があるのだが、1980
年代前半、アメリカがニカラグアに対しテロ行為を
行ったこと、西側諸国によりフィリピンのマルコス
が支持されていたことや、インドとパキスタン及び
エジプトとイスラエルの関係から類推されることは
民主主義を採用していれば必然的に平和が訪れると
いった結論には至らないのだが、それでも民主主義
を求め、独裁者に対してはルーマニアのチャウシェ
スクのように法廷で審判を求める姿勢が妥当であろ
うかと考えるときがある。

天安門事件、ポルポトによるカンボジアの中産階級
に対する大虐殺、中国の大躍進政策の失敗、エチオ
ピアの飢餓、スハルトによる東ティモール侵攻とそ
れを容認した西側諸国の対応等から理解されること
は、独裁制に問題があるのではないかといった認識
になり、それと経済問題が組み合わさり現在のチュ
ニジア革命やエジプト革命が説明されるとしたら、
何を後押しすべきかは自明の問題に思われることが
ある。

 ここからが今日の課題。

 英検対策はWSGREとエッセイ。reverent, 敬虔な、
belie, 〜を誤って伝える、hackneyed, 陳腐な、repine,
不満を抱く、list, 傾くこと、bane, 破滅のもと、impassive,
冷静な、indefatigable, 不屈の、salubrious, 健康によい、等
を周回する必要があるだろう。

 伊検対策は作文と聞き取り。作文は伊文筆写30本ほど。
久しぶりに始めたので若干不安があったが、徐々に調子
を戻していけば良いだろう。

 明日もがんばろう。

 では。

February 28, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Feb 28, 2011 12:38  Comment (0)  | Feb 28, 2011 12:38  Trackback (0)   

February 27, 2011

GeForce210をOracle Solaris 11 Express及びFedora 14と共に使用し、Xを起動する方法。

 先日、GeForce8400GSが故障し、グラフィックボードを
GeForce210に交換したのだが、国内のサイトでの動作報告
を見る限り、GeForce210とOracle Solaris 11 Expressとの
相性が悪く、バグを内包しているため、通常の方法ではXが
起動しないとの記事が散見された。

 しかし、以下のBugzillaを見る限り、ドライバの更新に
より不具合を克服する対処法があることに気が付いた。
https://defect.opensolaris.org/bz/show_bug.cgi?id=15751

 具体的には、nvidia.comのサイトから、DOWNLOAD
DRIVERS→Beta and Archived Driversを選択し、GeForce
210の代わりにGeForceG210を選択すると、NVIDIA-Solaris-
x86-270.26.runがダウンロードできる状態になる。

 後は、# sh ./NVIDIA-Solaris-x86-270.26.run 及び、
# nvidia-xconfigで、無事にXを立ち上げることができる
様になったことを追記する。

 Fedora14の場合も同様だが、270.26のバージョンに
より、Emerald及びScreenletsの不具合が解消されたの
は朗報に聞こえるかもしれない。

 実際の所、シングルユーザーモードでの起動から調査
を進めていたため(-sをカーネルパラメーターに加える
だけだが..)、まだやるべきことは沢山あるかなとの
感想を抱いたのだが、この程度ならば無事に事が運んで
良かったと言っても構わないだろう。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
4/17。impassive, imperturbable, 冷静な、implacable,
宥めにくい、arrest, 妨害、forestall, 妨害する、slake,
〜を満たす、whet, 〜を刺激する、fetter, 拘束、table,
審議延期にする、exact, 要求する、travesty, パロディー、
pervade, permeate, 広がる、pine, 切望、plangent,
押し寄せる、equanimity, self-possession, 落ち着き、
toady, sycophant, おべっか使い、epitome, 縮図、
cozen, 〜を騙す、等で失点しており、周回が必要か。

 伊検対策はお休み。明日から再開する計画を
立てるが、こんなちょっとした息抜きがあっても
構わないだろうと考えることがある。

 明日もがんばろう。

 では。

February 27, 2011 in パソコン・インターネット , 学問・資格 , 雑記 , 
Feb 27, 2011 16:46  Comment (0)  | Feb 27, 2011 16:46  Trackback (0)   

February 22, 2011

第160回TOEIC、経過報告。

 895と900の違いを強調することより、コンスタントに
860を超えるのかと900を超えるのかを比較する方が有益
かと考えることがあるが、まだまだこれからだとの思いを
抱くこともあり、900を超えてからがスタート地点になる
のかといった問いに対しては、最初のスコアが300ならば
300がスタート地点になり、500ならば500がスタート地点
になり、何れにしても土俵はいっしょじゃないかとの考え
を抱くことがある。

 そして書いて話す能力が問われている現状を考慮すると、
総合的な対策が求められているといった認識に変わりはな
く、一回ぐらい大台に乗ったからといって、一喜一憂する
姿勢は生産的な行為とは見なせないのではないかといった
見方がある一方で、自己ベストを更新することができたの
だから、一言、「うれしい」と言うぐらいは許容範囲かな
と考え直すこともある。

  Listening    Reading     percentile       Total    
460440 L 93  R 96 900
×××

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
3/10。vaunt, brag, 自慢する、pied, variegated, まだらの、
officious, meddlesome, おせっかいな、pique, provoke,
〜を怒らせる、prodigal, profligate, 乱費する、filigree,
金線細工の、limn, delineate, 〜を描く、等で失点してお
り、周回が必要か。

 伊検対策はお休み。今年は変則的な進度になって
いるが、こんな時期があっても構わないと考えること
があり、今後次第か。

 次回の投稿は2/24(木)前後です。

 では。

February 22, 2011 in 学問・資格 , 英語 , 雑記 , 
Feb 22, 2011 14:13  Comment (0)  | Feb 22, 2011 14:13  Trackback (0)   

February 21, 2011

のんびりと、パート43。

 闘いはどうしたと仰られる方もおられるかと考える
ときがあるが、暫し休息が必要だとの見方に立つこと
もあり、ゆとり重視の方針を再度掲げることになる。

 マイナーチェンジを幾つか試みてみたが、大筋に
変更はないため、ぱっと見では分かりにくいのだが、
着実に進歩していればそれはそれで良しだろう。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
4/9。stymie, 〜を妨害する、stygian, 暗い、solvent,
支払い能力のある、destitute, 極貧の、sophomoric,
未熟な、succinct, 簡潔な、verbose, 言葉数が多い、
等で失点しており、周回が必要か。

 伊検対策は休み。それでいいのかと言われれば、
そういうときもあるだろうといった考えになり、
焦燥感の中進める性質のもでもないだろうと考えて
いることも背景にある。

 明日もがんばろう。

 では。

February 21, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Feb 21, 2011 13:04  Comment (0)  | Feb 21, 2011 13:04  Trackback (0)   

February 13, 2011

現代中国に対する欧米の見方について一考察。

 テーマとして政治体制、軍事力、及び経済発展の在り様
が議論の遡上に載せられており、中国国内の視点に依れば、
その各々が共産党支配の強化を目的としていることに問題
があるのではないかといった見方が広がっている現状に対
する認識を付け加えることになる。

 1990年代の共産主義体制の崩壊を前提にすると、他国が
現代中国の支配体制を模倣することはないだろうといった
見方に加え、例えば、中東のサウジアラビアも人権擁護の
意識が低い国家体制に属するのだが、英国の良き同盟国と
しての役割を果たしていることを考慮すると、様々な体制
を許容している国際社会を眺めた上で結論を導き出す必要
があるのだが、現在共産主義を採用している国家がほとん
ど存在していないことに加え、人権を軽んじ、チベット、
ムスリム、キリスト教徒に対し害を加えている現状を眺め
ると、様々な自由を背景にする民主主義を尊重することに
対する価値観を妨げる方向に作用している国家体制の例と
して取り上げることに関しては然程異論はないであろうと
考えるときがある。

 そして軍事力だが、仮に中国が台湾を侵略しようとして
も周辺国の援助なしで自力で台湾がそれを跳ね返すだけの
力を有していることを考慮すると、中国の軍事力とは過大
評価され過ぎている傾向にあり、核の使用の可能性を考慮
したとしても、ロシア、パキスタン、インドと同様に途方
もない臆測でしかないとの見方がある一方で、ほぼ全ての
隣国と領土紛争を抱えており、具体的には、台湾海峡や南
シナ海での採掘権及び漁業権の問題に対抗するために軍事
力を増強しており、軍事力の強さ自体に関し特に目を引く
所がないものの、危機的状況で核の使用を否定することが
できないかもしれない現状を考慮することがあり、他方、
一見すると表面上の共産党支配がもたらしている、地方や
軍に対する充分なコントロールを説明し得ないときがある
不安定な体制の現状が、中国国内向けの人気取りを意図す
ると同時に侵略的な政策を採用する方向へと作用し、平和
を希求する実力者がいたとしても独断的な軍の行動を阻止
するだけの力がないといった経緯を考慮すると、充分にそ
の言動を注視し、問題があればその都度指摘していく必要
があるだろうぐらいのことは言っても構わないだろうと考
えることがある(これまでの様に内政干渉と言われようと
も中国国内では平和のための反対勢力の意見表明の機会が
奪われているのだから、むしろそうしなければ事態はどん
どん悪化する一方だろうと危惧するときがある)。

 経済発展の在り様に関しては、グローバルな市場に中国
経済を取り込むのに充分な程ゆっくりとした発展の在り様
が続いているといった見方がある一方で、近年急速に安価
な輸出品をあふれさせ、その浸透の早さが他国の産業を損
なう方向に作用する面のみならず、環境問題と資源の枯渇
に作用することを考慮すると、確かにWTOに加盟している
のだが、レアアースの禁輸等に見られる様に経済が中国国
内の政治上の権力闘争の道具として認識されていることを
眺めると、その為替政策を含め、考え直すべき項目は多岐
に亘るだろうとの見方に立つことがあるのは皆様と同様か。

 最後に、実務家としての視点を強調すると、それは悪し
き伝統の呪縛から抜け出す機会を奪うことに繋がることが
あり、結果として大きな変化に対応できないといった弱点
を露呈するに過ぎないと言ったら、それはどこの国に対す
る話だろうかといった見方になろうか。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙の強化になり、WSGREを使用すること
になる。ここのところ書き記す機会が少なかったが、毎日
日々のメニューを続けており、周回する頻度を増やすこと
を考える必要があるだろう。

 明日もがんばろう。

 では。

February 13, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Feb 13, 2011 15:01  Comment (0)  | Feb 13, 2011 15:01  Trackback (0)   

February 06, 2011

How to draw up a slightly more complicated table with LaTeX

I have recently and unfortunately run into the problems
while making a slightly more complicated table with
considerably varied vertical lines and horizontal lines
using LaTeX. It may be presumptuous of me to comment
on these debatable matters, but I intend to write down in
this article how to solve some of them in the service of
your society.

I compiled the table as is given below and the source
code is also given below.

table0206

      source code: table0206.tex

\documentclass[11pt]{article}
\usepackage{hangcaption,array,multirow,hhline}
\parindent=0pt
\begin{document}
\begin{table}[h]
\begin{center}
\begin{sffamily}
\begin{large}
\captionwidth=0.9\textwidth
\newcommand{\captionfonts}{\large\bfseries}
\makeatletter
\long\def\@makecaption#1#2{%
\vskip\abovecaptionskip
\sbox\@tempboxa{{\captionfonts #1: #2}}%
\ifdim \wd\@tempboxa >\hsize
{\captionfonts #1: #2\par}
\else
\hbox to\hsize{\hfil\box\@tempboxa\hfil}%
\fi
\vskip\belowcaptionskip}
\makeatother
\hangcaption{\large\sffamily
\mdseries A Slightly More Complicated Example}\medskip
\newlength{\hheight}
\setlength{\hheight}{32pt}
\newlength{\gheight}
\setlength{\gheight}{20pt}
\newcommand{\bhline}[1]{\noalign{\hrule height #1}}
\newcommand{\bvline}[1]{\vrule width #1}
\renewcommand{\multirowsetup}{\centering}
\renewcommand{\arraystretch}{0.8}
\extrarowheight=15pt
\arraycolsep=0pt
$\hspace{7pt}\overbrace{\hspace{38pt}}^{\mbox{\normalsize65pt}}
\hspace{2pt}\overbrace{\hspace{10pt}}^{\mbox{\normalsize1.6pt}}
\hspace{2pt}
\overbrace{\hspace{38pt}}^{\mbox{\normalsize65pt}}\hspace{2pt}
\overbrace{\hspace{10pt}}^{\mbox{\normalsize1.6pt}}\hspace{2pt}
\overbrace{\hspace{38pt}}^{\mbox{\normalsize65pt}}\hspace{2pt}
\overbrace{\hspace{8pt}}\hspace{2pt}
\overbrace{\hspace{80pt}}^{\mbox{\normalsize100pt}}$\\
$\begin{array}{p{65pt}!{\bvline{1.6pt}}p{65pt}!{\bvline{1.6pt}}
p{65pt}||b{100pt}} \bhline{1.6pt}
\multicolumn{3}{p{198.2pt}||}{\mbox{\centerline{$\backslash
$multicolumn\{3\}\{p\{198.2pt\}\}\{\}}}} &
\multirow{3}{100pt}{\rule{0pt}{\hheight} \mbox{\centerline{$
\backslash$multirow}}}\\[11pt] \hhline{=:=:=#~}
\multicolumn{1}{c!{\bvline{1.6pt}}}{\multirow{2}{65pt}
{\rule{0pt}{\gheight} \mbox{\centerline{$\backslash
$multirow}}}} & \multicolumn{1}{p{65pt}!{\bvline{1.6pt}}}
{\mbox{\centerline{$\backslash$vrule}}} &
\multicolumn{1}{p{65pt}||}{\mbox{\centerline
{$\backslash$vrule}}} & \\[11pt] \cline{2-3}
& \mbox{\centerline{$\backslash$vrule}} &
\mbox{\centerline{$\backslash$vrule}} &
\\[11pt] \hhline{=::=::=#=}
\multicolumn{1}{p{65pt}||}{\mbox{\centerline{
$\backslash$hrule}}} & \multicolumn{1}{p{65pt}||}
{\mbox{\centerline{$\backslash$hrule}}} &
\multicolumn{1}{p{65pt}||}{\mbox{\centerline{
$\backslash$hrule}}} & \multicolumn{1}{p{100pt}}
{\mbox{\centerline{$\backslash$hhline}}}\\[11pt]
\bhline{1.6pt}
\end{array}$ \\
\end{large}
\end{sffamily}
\end{center}
\end{table}
\end{document}

At first, you could draw the vertical lines with varied
thickness when you might use \vrule and you could
draw the horizontal lines with varied thickness when
you might use \hrule. The command lines are given
below.

   \documentclass[11pt]{article}
   \usepackage{array}
   \begin{document}
   \newcommand{\bhline}[1]{\noalign{\hrule height #1}}
   \newcommand{\bvline}[1]{\vrule width #1}
   $\begin{array}{p{20pt}!{\bvline{1pt}}p{20pt}} \bhline{1pt}
   01 & 02 \\ \bhline{1pt}
   \end{array}$
   \end{document}

Secondly, you could put the double bottom lines
on some cells when you might use \hhline. The
command lines are given below.

   \documentclass[11pt]{article}
   \usepackage{array,hhline}
   \begin{document}
   $\begin{array}{p{20pt}||p{20pt}} \hhline{=#=}
   01 & 02 \\ \hhline{=#=}
   \end{array}$
   \end{document}

Thirdly, you could merge some cells in the same row
when you might use \multicolumn and you could merge
some cells in the same column when you might use
\multirow. The command lines are given below.

   \documentclass[11pt]{article}
   \usepackage{array,multirow}
   \begin{document}
   $\begin{array}{p{20pt}|p{20pt}} \hline
   \multicolumn{2}{p{40.4pt}}{text} \\ \hline
   \multirow{2}{20pt}{\mbox{text}} &
   \multirow{2}{20pt}{\mbox{text}} \\
   & \\ \hline
   \end{array}$
   \end{document}

Finally I am happy to assist you in drawing up a slightly
more complicated table with the varied lines using LaTeX.

February 6, 2011 in パソコン・インターネット , 学問・資格 , 雑記 , 
Feb 6, 2011 21:25  Comment (0)  | Feb 6, 2011 21:25  Trackback (0)   

February 05, 2011

本調子ではない。

 色々と別口の用事が入っているからかもしれない
が、溜まりつつある疲労を解消する必要に迫られて
おり、置かれている状況を1つ1つ見直していく必要
があるかもしれない。

 暫くの間報道外語から離れる日々が続いたが、
調子を取り戻すことが優先されるため、ゆとり
重視の方針を再度掲げることになる。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。エッセイも使い出の
ある表現を書き散らしていく必要があり、物量作戦
に変更はない。

 他方イタリア語を何とかする必要がある訳だが、
時間を見つけて今年の計画を練り直す必要がある
かもしれない。

 明日もがんばろう。

 では。

February 5, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Feb 5, 2011 21:04  Comment (0)  | Feb 5, 2011 21:04  Trackback (0)   

January 29, 2011

近年の経済における風説を眺め考えていること、パート4(全然専門的な話ではなく経済学とは全く関係がない..)。

 国債の格付けが下がったから消費税を増税するといった
議論には二重の落とし穴が存在している様に見受けられる
ことがあり、何故家計から企業への所得移転を進める必要
があるのかと言ったら、多方面からご批判を戴くことに繋
がるだろうことが容易に想像がつくのだが、以下、話が続
くことになる(それにしても、個人的見解を述べることに
一苦労する居心地の悪さは伝統の為せる業かと一言二言言
いたくなるのは何とかならないものか..)。

 これは、格付け機関が寡占状態にあり、その他の条件を
考慮しながらも、適切な格付けとは何かそしてその解釈及
び運用は適切かといった問題を内包していることを参照し
ている類書に言及されているのみならず、実際には多様な
見解を有しているだろうアメリカ側の姿勢を巧妙に日本国
内のペッキング・オーダーの上位に位置づけ、暗黙の価値
観に対する批判を避けようとする、所謂ドメスティックな
伝統的懐柔策が意味する処、隷従された個の振る舞いを肯
定する在り様のどこに健全なる社会の発展の経路を見出す
ことができようかといった問題意識になるのだが、そうは
言いながらも具体的な対案は何かといった問題を残すこと
を起点にした反証はありうるだろうなと感じることはあり、
簡単に収まる話ではないが、適切な資本の再分配の在り様
を含めた総合対策が悉く不首尾な経過に終わっている現状
を眺めると、まだ議論は始まってすらいないのだといった
視点で物事を眺めることが妥当に感じられる節がときとし
てある(こう言うとラディカルだとお叱りを受けることに
繋がるのだろう..)。

 つまり、新しい葡萄酒は古い皮袋に入れてはならないと
するならば、何が古い皮袋かを考慮する必要があるのだが、
新しい葡萄酒を草の根における幅広く徹底した議論とする
ならば、それがもたらす解放された個の振る舞いを考慮す
ると、まだ将来に亘り問題が続いていくほんの経過の問題
にすぎないのだといったことになろうか。

 ここからが今日の課題。

 TOEIC対策は模試。正答率は、パート3が5/9、
パート4が24/30で、パート7が33/38。総合で、
Lが76/100で、Rが91/100。

 独検対策は語彙と聞き取り。のんびりと進める
方針に変更はなく、このペースで進めるのみだが、
来週からは伊検対策に移行することになる。

 次回の投稿は1/31(月)です。

 では。

January 29, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Jan 29, 2011 0:52  Comment (0)  | Jan 29, 2011 0:52  Trackback (0)   

January 27, 2011

振り返って新卒の就職活動と離職活動について考えていること。

 建前として、科学の進歩に随い、大学で学ぶ内容が増加傾向
にあることを背景にして、大学4年の前期まで充分専攻分野の
研究に従事できる時間が確保できるとしたら朗報に聞こえるか
もしれないが、実際の処、表裏の論理を使い分けながら裏の論
理を表の論理に巧妙にすり替えることに長けているエージェン
トを相手にしていることを考慮すると、どうだろうかと考えた
くなるときがある。

 このエージェントなるものは圧力団体としての性質を有して
いるため、そう簡単な話ではないのだが、苦労して採用された
としても報われない労働環境に直面することを知ったならば、
離職率を高める方向に作用してもそれは仕方がないだろうと考
えるときがあり、それは失業率の上昇をもたらす訳だが、以前
は程々の付き合いといったものが多方面で見受けられた様に思
える訳だが、最近はそれ程のものでもないにもかかわらず、相
当量の適性といったものを求めるエージェントが多く、それは
つまり割に合わないといった結論を導く以外の何物でもないの
だが、そこで新卒がそれを柔軟にも受け入れてしまうといった
経緯が語ることは、それでは長続きしないでしょうといった結
論になり、やはり離職率を高める方向に作用する先程の話に戻
ることになる。

 つまり構造に問題が在る訳だが、いつから暮らしにくくなっ
たのかといった問いと対応関係に在る様なこの問題を解決する
ためには、情報の偏在性といったものを解消する努力が必要で
あり、その上で無理難題を振られることがあっても、それは割
に合わないから断るといった姿勢を新卒側が打ち出すことに相
手が寛容になる社会環境の整備といったものが仮に求められて
いるとしたら(しかし、このような話は受け容れがたいとする
立場の方も多々おられることだろう..)、エージェント側が
優位な立場を利用した論理といったものを振り回すことが暗に
想定される訳だが、それでも断固として断り続ける姿勢といっ
たものが求められているとしたら(仕事とはそんなときもある
だろう..)、失業率の上昇に貢献してしまうことに繋がるも
のの、そこでの労働市場から退出させるべきエージェントとの
拮抗が次の世代に対する贈り物として残ることに繋がることに
なり、(こんな話ばかりしているから甘いと言われる訳だが、
社会貢献を体現する姿は人それぞれだろう..)、それを指し
て、健全なる社会の発展の経路と捉えるならば、それは違うと
いった指摘に繋がることになろうか(要は双方に誤解がある状
況で得をしようといったエージェント側の下心が現在の停滞を
招いているといった見方に立つことがあるが..それ以上は場
合に依りけりか..)。

 ここからが今日の課題。

 TOEIC対策は模試。正答率は、パート2が15/20、
パート3が14/21、パート5が18/20、パート6が12/12
で、パート7が9/10。Rの時間は累計29分で、残り40
題に対し、46分あることになる。

 独検対策は語彙と聞き取り。のんびりと進めており、
このペースに変更はなく、それでも物量作戦を進めて
いるつもりだが、精進あるのみだろう。

 明日もがんばろう。

 では。

January 27, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Jan 27, 2011 23:54  Comment (0)  | Jan 27, 2011 23:54  Trackback (0)   

January 26, 2011

そろそろ次に読み込む本の候補を決める必要がある訳だが。

 いい加減書く側としての矜恃を抱けと仰られる方も
いらっしゃるだろうかと考える時もあるが、色々下調
べをした上でのことでもあり、じっくりと取り組む必
要もあるだろう。

 私自身、のんびりしたタイプではないのだが、遅攻
により達せられる課題といったものもあるだろうと考
える時があり、こんな具合になっている現状がある。

 ここからが今日の課題。

 TOEIC対策は模試。正答率は、パート4が14/18、
パート7が19/20で、Lが66/100、Rが87/100、パート1
が9/10、パート2が9/10、パート5が19/20で、Rの時間
は6分といった処。

 仏検対策は語彙とディクテ。物量作戦に変更はなく、
このペースで進めるのみだが、来週からは伊検対策に
移行する。

 明日もがんばろう。

 では。

January 26, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Jan 26, 2011 12:22  Comment (0)  | Jan 26, 2011 12:22  Trackback (0)   

January 24, 2011

それで話は続くことになる、パート2。

 劉が参照する1776年アメリカにおけるトーマス・ジェファ
ーソンの言葉を眺めると「新聞なき政府か、あるいは政府な
き新聞か、そのいずれかを選ぶならば、私は躊躇せずに後者
を選ぶ」なる文言があり、それは思想および言論の自由を抑
圧することは「精神の奴隷化」をもたらすのみであるといっ
た考え方を背景に据えているものだが、日本国内における現
在の状況に照らしてみると、やや過激な表現を許容して戴け
れば「新聞」の代わりに「WikiLeaks」等を据えた方がぴった
りとくるのではないかと考えたくなることが暫しあり、それ
は矛盾を孕む考え方であることを重々承知しているものの、
現在の伝統的なメディアを利用すること(例えそれが賢い利
用であっても..)がある意味でそれに隷属した精神の在り
様を説明する知的活動を放棄した堕落した姿勢以外の何物で
もないと考える人々が多ければ、所謂、新聞・テレビ離れの
現象は当面の間は続くであろうし、そうでなければそれはま
た違った展開も考慮されようが、しかし現在既に前述の様に
伝統的なメディアを利用する以上に自由な精神の在り様を追
求する手段がこの僅か10数年の歴史しかないインターネット
を平和的な武器として利用することにより可能なら使めてい
ることに気付かされてしまった現状を踏まえると、この傾向
が今後とも続くことを否定することは難しいだろうとの見方
に立つ時があることを否定できない。

 そして彼の著作からの引用を続ければ、ソルジェニーツィ
ンがソ連の大衆に「嘘によらず生きよ」と呼びかけ、ハヴェ
ルがチェコ人に「真実に生きる」様に呼びかけたことは何ら
権限をもたない民衆にとって「真実を語る」ことが「権利を
もたない者の権利」であることを確認するものであり、それ
が何を示すかだが、日本国内の事情と重ね合わせてみると、
「真実を語る」ことに対し「ラディカルだ」との評価を与え
ることにより生き延びてきた悪しき伝統の数々が思い出され
る訳だが、私はそれでも現実を直視する姿勢が健全な社会の
発展に何らかの貢献をなし得るだろうと考えることがあり、
実際の処一直線に進む発展の在り様とはこの多様化した社会
では存在することが難しいだろうといった状況を考慮する事
もあるが、それでも社会は前に進むといった立場に立つなら
ばそこに求められるものは状況を周知なら使める幅広く徹底
した議論ではなかろうかと考える時がある。

 ここからが今日の課題。

 TOEIC対策は模試。正答率は、パート3が19/30、
パート4が7/12、パート6が10/12で、パート7が24/28。
Rの時間は累計36分で、ダブル・パッセージに39分
掛けることができる様子。

 仏検対策は語彙とディクテ。のんびりと進めているが、
このペースに変更はなく、ひとまずの区切りが近づくこ
とになるが、精進あるのみだろう。

 明日もがんばろう。

 では。

January 24, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Jan 24, 2011 23:54  Comment (0)  | Jan 24, 2011 23:54  Trackback (0)   

January 23, 2011

劉暁波の著作を読んで、パート2。

 『天安門事件から「08憲章」へ』といったタイトルになり、
「中国民主化のための闘いと希望」といった副題が付いた著作
になるが、前作同様、日本国内の事情に反芻を迫られる印象を
抱いたことに変わりはない。

 つまり転換期の正義を主張する筆者に対し、妥協を許さない
現実離れした議論をする中国の知識人の姿勢が、日本国内の各
政治家や評論家(そしてジャーナリズムの関係者であれ..)
の姿勢と重なってみえることに対し、然程違和感を感じなかっ
たのは現在の在り様を説明する妥当な切り口だからだろうか。

 転換期の正義にとって道徳的な純潔化を避けることは、平和
的転換と社会の和解を促すよう社会の公益を最大化するために
避けられないことだとする筆者の主張は、1989・11のチェコス
ロバキアにおけるビロード革命に影響されてのことだろうか、
平和裡に物事を進めたいがための願いが込められた表現と行動
になると纏めたらそれは誤解を内包することになろうか。

 2009・2のメキシコにおいて習近平が「腹がいっぱいになって
やることのない外国人が、われわれの欠点をあれこれあげつら
っている」と諸外国への批判を語ったことから示される様に、
現在見識なるものが問われているとしたら、これは誰を支持す
るべきかを明白に語らしめるものであろうと考える時があった
事を追記する。

 他方、伝統的なメディアが競争力を有しているかのメルクマ
ールとしてそれがインターネットの歩みに追いつくことができ
ているか否かが挙げられるとの主張は、インターネットに民意
が集中し、それを伝統的なメディアがフォローアップし、国内
外の世論が圧力となり、行政的な関心を集め、さらに世論によ
る圧力が高まり、行政により問題が解決されるといった世論の
形成過程およびその役割を通じて説明されており、国内の事情
を振り返りながら、反芻する機会があった。

 問題の平和裡な解決を希望するのは各国同様だが、人権とは
生存権であると標榜している従属する豚を求める姿勢を有する
組織には理解され難いものであろうことが想像されてならない。

 ここからが今日の課題。

 TOEIC対策は模試。正答率は、パート1が7/10、
パート2が19/30で、パート5が34/40。Rの時間は
14分とやや掛かった経過となる。

 仏検対策は語彙とディクテ。のんびりと進めており、
このペースに変更はなく、こんな時期もあるかと思わ
れるが、精進あるのみだろう。

 明日もがんばろう。

 では。

January 23, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Jan 23, 2011 21:24  Comment (0)  | Jan 23, 2011 21:24  Trackback (0)   

January 22, 2011

のんびりと、パート42。

 結局、年末年始に読み込む本が積ん読状態になりつつある
が、それ以外に見識を広げることができたのだから良いでは
ないかとの見方に援軍を求めたくなる心境だ。

 重層的に物事を進めるというのはこんな感じになることを
充分想定していることだろうが、言い訳ばかりしていても始
まらず、やるしかない、か(乗り気でない訳ではない、が、
物事には手順があるといったことだろうか..何の話だ?)。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREは例文筆写。
canon, 教会法、forestall, 〜を駄目にする、succor,
〜を援助する、peruse, 〜を丹念に読み通す、exhort,
〜を促す、inherent, 固有の、ingrain, 根付かせる、
broach, 〜を初めて話題に出す、innocuous, 無害な、
convention, 協定、picaresque, 悪漢小説、rogue, 悪漢、
superfluous, 過分の、effrontery, 厚かましさ、recalcitrant,
反抗的な人、rebus, 判じ物、implacable, なだめにくい、
等で失点しており、周回が必要か。

 独検対策は語彙と聞き取り。のんびりと進めており、
このペースに変更はなく、何度となく周回させることが
必要とされており、精進あるのみか。

 明日もがんばろう。

 では。

January 22, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Jan 22, 2011 22:40  Comment (0)  | Jan 22, 2011 22:40  Trackback (0)   

January 21, 2011

さて通常モードに戻るか、パート4。

 食事の〆にエスプレッソがいいといった話を聞いていた
が、今更ながらであることを否めないものの通い慣れた喫
茶店で試飲することになる。写真を撮ってきても良かった
のだが、想像される通り、小さなカップに深みのあるコー
ヒーが注がれており、苦みも程良く、たまに飲む分には胃
にも悪くなく妥当かなと考えるときがあった。

 ただ普段はブレンドでいいやといった考えがあり、そう、
こういった思考が分かりにくさを誘因する要素かもしれない
のだが、できる限り丁寧に説明する癖といったものを付けて
いく必要があるのかもしれない。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
4/9。chicanery, 詭弁、guilelessness, 正直、derision,
嘲笑、hubris, 傲慢、apprise, 知らされる、mollify,
〜を宥める、等で失点しており、周回が必要か。

 独検対策は語彙と聞き取り。のんびりと進めており、
このペースで暫く進むことになるが、この方針に変更
はなく、精進あるのみだろう。

 明日もがんばろう。

 では。

January 21, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Jan 21, 2011 18:08  Comment (0)  | Jan 21, 2011 18:08  Trackback (0)   

January 20, 2011

チョコレートの美味しい食し方について考えていること。

 再掲、たまにはどうでも良い話題を提供しても構わない
だろう。それでチョコ・オン・チョコといった表現が許容
されているのか否か定かではないが、ココアを飲みながら
チョコレートを食べると意外においしいことに最近気が付
いた。

 この場合、やや薄いココアを飲んだ後にやや甘みのある
チョコレートを食べると甘さが倍増する傾向にあり、どこ
のメーカーであっても構わないのだが、コーヒー党の私に
とってもホットココアがおいしく感じられる一時となった。

 今回の試食の際には一口チョコレートを用いたが、別に
板チョコレートでも同様の効果が得られるだろうと考える
ことがあり、今更ながらお試しあれといったことになろう
か。

 私は甘党ではないのだが、つまり煎餅やチップス系を
間食の材料にすることも多いのだが、チョコレートは別
枠であり、そうであるならば甘食であれ鯛焼きであれ、
何でも食べる時もあるが、コーヒーの後にチョコレート
といったシンプルな組合せをも試した後で、感想を述べ
るなら説得力が増したかもしれないと考えることがある。

 またどうでも良い話をつらつらと書き連ねてしまった
かなと考える時があるが、こういったささやかな喜びを
認める姿勢が日々の充実した生活に繋がることもあろう
かと考える時もある。

 バンホーテンで試した訳ではないので、こうと言い切
ることは難しいのだが、組合せの妙といったものを追求
する姿勢は後々役立つ時がくるかもしれないが、あまり
甘い話ばかりしていると、しっかりしてくれ!とお叱り
を受けることに繋がるかもしれない。

 誤解を避ける意味で申し添えるならば、私はそれ程間
食をする方ではなく、そういった意味では健全にチョコ
レートを楽しんでいる部類に属する方だといったことに
なろうかと考える時がある。末筆ながら、食べ過ぎ飲み
過ぎには注意されたしと余計な一言を付け加えることに
する。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
1/13。distrait, 放心した、attentive, 注意深い、audacious,
大胆不敵な、craven, 臆病な、fallow, 休閑、demur, 異議を
唱える、contentious, 喧嘩好きの、accolade, 賞賛、
castigation, 懲戒、grouse, 不平、inveterate, 慢性の、
harrow, 〜を苦しめる、fatuous, 愚かな、supplant,
〜に取って代わる、forswear, 誓って〜をやめる、renounce,
〜を断念する、等で失点しており、周回が必要か。

 独検対策は語彙と聞き取り。のんびりと進めており、
このペースに変更はなく、ゆとり重視で物事を進めても
構わないだろうが、精進も必要だろう。

 明日もがんばろう。

 では。

January 20, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Jan 20, 2011 15:04  Comment (0)  | Jan 20, 2011 15:04  Trackback (0)   

January 19, 2011

これまでの記事総数が1548件か。

 ArchivesのDecember 2010に含まれている記事を参照
すれば新しい切り口もあるかと考えることがあるが、問題
はそういった性質ではないのかもしれない。

 やや社会批判が多い時期になってしまったかなと眺める
ことがあり、それでもまだ序の口の方だろうと考えている
のは、この視点による物の見方が等閑にされていないだろ
うかといった観点からのみならず、それが故に長きに亘る
停滞が説明されるのだといった憤りが後押しさせている面
を否定することは難しい話になるだろうか(日本社会の特
徴として、特定のグループ内の憤りは社会的に肯定される
ことがあるが、特定のグループ間における憤りについては
それを日本社会における階層社会のルールに照らし合わせ
た上で是非の価値判断が行われることがあり、それは閉塞
感を生む以外の何物でもなく、依然として村人意識が強い
方々が多いからだと説明すると、その暗黙の階層社会のル
ールが悪しき伝統として残ってしまったからだと解する視
点になり、それは明文化されている訳でもないから都合の
良い様に解釈が行われ現状に至っているならば、問題の所
在はその暗黙知を明文化することから始めようといったこ
とになろうか..これは結構大変な作業だ..)。

 このあたりの事情を引っくるめて、薄々何が必要とされ
ているかについて感じておられる方もいらっしゃるかと考
えることがあるが、それを一言で言えば、思考の枠組みや
行動様式といった枠組みを考慮するならば、それを作り直
すことではなかろうかと考えることがあり、そのためにも
幅広い分野において徹底的に話し合う姿勢が必要とされて
いるのではなかろうか。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
4/13。insipid, jejune, 退屈な、tawdry, 派手で安っぽい、
obsequious, 従順な、reverent, 敬虔な、soporific, 眠気
を催させる、perspicacity, 明敏さ、paean, 感謝の歌、
tirade, 激しい非難、aver, 〜を断言する、assuage,
〜を静める、blithe, 陽気な、insouciant, 無関心な、
pluck, 勇気、supine, 怠惰な、intractable, 手に負えない、
obdurate, 頑固な、等で失点しており、周回が必要か。

 仏検対策は語彙とディクテ。のんびりと進めており、
このペースでいいのかと言えば、何れはペースアップ
する必要もあるだろうが、まずは精進あるのみだろう。

 明日もがんばろう。

 では。

January 19, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Jan 19, 2011 12:06  Comment (0)  | Jan 19, 2011 12:06  Trackback (0)   

January 17, 2011

最近やや押しの強い投稿が続いたので、閑話休題、パート4。

 今年は去年に較べてインフルエンザのニュースを聞く
機会が少なく有り難いかなと思う反面、十二分に注意し
ないといけないなと考えることがある。

 話変わってJAVAのコーディングに関して、そろそろ
新しいテーマを取り入れる必要がある訳だが、その気
になったときに一気に進むこともあろうか。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
2/5。waver, 変動する、welter, 転がり回る、volatile,
変わりやすい、等で失点しており、周回が必要か。

 仏検対策は語彙とディクテ。語彙増強の効果と
いったものがすぐには現れるものではないことを
充分理解しているつもりだが、こんな時期もある
だろう。

 明日もがんばろう。

 では。

January 17, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Jan 17, 2011 23:19  Comment (0)  | Jan 17, 2011 23:19  Trackback (0)   

January 16, 2011

ここ数年の慣例と言うことでセンター試験を解いてみた。

 大学受験に関心はないのだが(これを言っておかないと
勘違いされて結構大変なことになる..)、解き進めると
意外なことに気が付いた(それは今更ながらの話ではない)。

 英独仏に関しては、大体どれも60分ぐらいで解き遂せる
ことができようか、数字もまずまずだが、仏独に関しては
聞き取り試験がない分、旧形式の試験を受けている気がし
なくもないが、印象として大学教養課程の内容をそのまま
降ろしてきたといった感がなくもない。

 政治経済はミクロ経済学のオンパレードといった印象を
抱き、二国間モデルにせよ、リカードの比較優位説にせよ、
囚人のジレンマにせよ、学部生レベルの内容をしっかりと
把握しておかないと難しいかなと感じることがあった。

 ただ、いい年した大人がやるものではないなと感じる時が
あり(出題内容に関し批評を加えている訳ではない、つまり
元来試験の在り様が、深い思考力を問う性質のものではない
といった点に着目してのことだが..)、頭の体操としては
適切ではないでしょうかと言ったら、色々ご批判を戴くこと
もあるかと考えることもあるが、20年前に較べればそれ相応
の経過があるのかもしれない(良い悪いは別にして..)。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
4/10。veritable, 真の、vigilant, 絶えず警戒している、
verisimilitude, 事実らしさ、vitiate, 〜を無効にする、
vilify, 中傷する、vexation, 悩ますこと、等で失点して
おり、周回が必要か。

 仏検対策は語彙とディクテ。のんびりと進めて
おり、このペースに変更はなく、徐々にだが底力
といったものも養われているのだろう。

 明日もがんばろう。

 では。

January 16, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Jan 16, 2011 23:19  Comment (0)  | Jan 16, 2011 23:19  Trackback (0)   

January 15, 2011

近年の経済を眺めて考えていること、パート3(話していることは昨日と同じだが..だったら繰り返すなと言われそうだが..)。

 昨日の記事を纏めれば、異時点間の資本移動に関し、その
資本の利用に関する効率性を高め最適化を図ろうとするなら
ば、将来の資源配分を現時点で利用できる情報を基にして十
分近似することができている時代ならば問題は少ないのだが、
つまりソフトランディングの在り様を選択することが可能で
あろうが、現時点の資源配分からは将来像を十分に近似する
ことができない時代においてはハードランディング以外の選
択肢がないといった状況に置かれることになるかもしれない
といったことが、バブル経済後の不況の後処理として考えら
れることであり、これまでにも語られてきたことに含まれる
だろう(つまり、個々の事業の在り様を充分に吟味した上で、
完全雇用を目標に掲げることについて疑義が生じないかとい
った議論が行われてきたことはこれまでの例に随う通りにな
るが..)。

 他方、金融機関における審査が有効に機能するための環境
整備の一環として、現段階で不評を聞くことがあるものの改
正貸金業法等を考慮に入れる向きもあるかと思われるが、優
良な借り手を探しているのだが優良でない借り手が集まって
しまうといった逆選択の問題の前提に存在する貸し手と借り
手の間にある非対称情報の関係を改善する手立てが一つ一つ
打たれていくならば、雨の日には〜といった議論が減ってい
くものと期することに繋がるのだが、現実とは常に一歩も二
歩も先に進むものであり、そう簡単な話ではないと仰られる
方も多岐に亘るかと考えている(実はこの議論は優良な借り
手の属性を絞り込み過ぎてしまったがために生じたものでは
なかろうかといった批判もあるのだが、そして不況時に資金
を貸し出しにくい環境が整っているからだといった指摘もあ
るだろうが、問題はそれだけではないだろう..つまり健全
な経済活動の発展とは何かといった問題を内包しているから
だと考えるときがある..)。

 そしてアメリカ国債のバブルと私はオーバーに表現したが、
アメリカが集めた資本を効率的に利用していれば良いのだが、
国内における衰退の兆候を示している産業の保護に資本を利
用することを例に引いて、経済合理性を政治が歪めている一
例として取り上げる視点があっても構わないかなと考えると
きがあり、何が大国として責任を果たす役割に包含されてい
るのかといったことを考えるならば、我が国の在り様に言及
することも幾つかあるだろうと考えることがあるのは杞憂に
過ぎないだろうか(私は産業の保護を否定する意図はなく、
程度問題だろうと考えるときがあり、それはまだまだ熟慮が
足りないからだろうか..)。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
1/14。transient, 一時的な、trenchant, 痛烈な、
travesty, パロディー、torrid, 熱烈な、turbid, 濁った、
tractable, 従順な、tout, 褒めちぎる、tumid, 腫れ上がった、
truculent, 喧嘩早い、upbraid, 〜をひどく叱る、tyro, 初心者、
untoward, 思いもよらぬ、unfeigned, 本物の、等で失点して
おり、周回が必要か。

 独検対策は語彙と聞き取り。のんびりと進めており、
このペースに変更はなく、そろそろやらねばならないの
だが、じっくりと進める方針に変更はない。

 明日もがんばろう。

 では。

January 15, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Jan 15, 2011 17:19  Comment (0)  | Jan 15, 2011 17:19  Trackback (0)   

January 14, 2011

近年の経済を眺めて考えていること、パート2。

 前段の記事でバブル経済とは、異時点間の資本移動と
いった枠組みを用いて考えるならば、将来の資源を現時
点で活用する経済活動を指しており、現時点での産業間
の資源配分の枠組みを基礎にして考えているため、将来
の時点ではその資源配分の枠組みの在り様が効率的でな
いといった問題に直面する可能性があり、やや大袈裟な
例を用いるなら、将来の豊田市や日立市がこう言っては
語弊があるかもしれないがアメリカのデトロイトが直面
しているだろうと伝えられている現状克服の苦しみの中
にあるであろう可能性を十分に考慮した上で資源配分を
行う必要がある訳だが(適切な例でないかもしれないが
炭鉱都市として発展した夕張市の在り様を考えると分か
りやすいと言ったら、それは不適切な例だろうか..)、
現時点では将来の産業構造の変遷について技術の革新が
いつどの分野で行われるのかが未知のため、誤った資源
配分を行う可能性を打ち消すことが難しい問題になり、
結果として誤った資源配分が技術の革新に必要とされる
土壌を失わせる方向に作用していないかといったことが、
現在約20年続いたと言われている経済的停滞の背景に存
在していないだろうかといったことを考えるときがあっ
た(つまり、大概バブルの当事者は短期の視点で活動し
ているため、長期の視点で活動する姿勢は陰に隠れるこ
とになり、将来における資源配分の効率性が保証されな
い現状を今更ながら指摘している..)。

 それで金融だが、雨の日には傘を貸さず晴れの日に傘
を貸すと言われる金融機関の行動の背景にある考え方の
1つに優良な借り手を探しているのだが探し出すのが難
しいマッチングの問題の背景にある情報の非対称性から
なる逆選択の問題が含まれるだろうと考えることがあり、
それは金融機関のジレンマとして昔から言われてきたこ
とであるが、これを顕在化したのが昨今言われている金
融機関の問題に内在されていないだろうかと考えること
があり、それ故に長期化する不況が説明されるとしたら、
そう簡単な話ではないだろうとの考えを抱くことがある。

 それでバブルに戻るがアメリカの双子の赤字が指して
いる財政赤字は、言い換えればアメリカ国債のバブルが
アメリカの政治的影響力を背景にして人為的に継続され
てきた結果でもあり、これは他国が模倣しようにも模倣
し難い側面があるから、ギリシアであれアイスランドで
あれ、そういった財政破綻をバブルの帰結として把握す
るなら、それはそういった悲劇が在り得ることが十二分
に在り得ることだと周知ならしめた経緯でもあり、そう
いうこともあるかと我が国の現状と重ねて眺めることが
ある。

 17世紀のオランダのチューリップ恐慌にせよ18世紀の
南海泡沫事件にせよ昔から言い表されてきたことが現在
行われている訳だが、新たに生み出さねば何も始まらな
いことは事実であり、それには暫し時間を必要としてい
るといった事実もあり、それを嘆いても何も始まらない
ではないかといった立場に立つことがある。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
6/14。suppliant, 拝む様に、supplicant, 嘆願する人、
surfeit, 過度の、sycophant, おべっか使い、tenuous,
内容のない、tawdry, 派手で安っぽい、toady, おべっか
使い、torpid, 不活発な、sluggish, 怠惰な、等で失点
しており、周回が必要か。

 独検対策は語彙と聞き取り。のんびりと進めており、
このペースに変更はなく、そろそろギアを入れ替える
必要もあるのだが、精進あるのみだろう。

 明日もがんばろう。

 では。

January 14, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Jan 14, 2011 14:05  Comment (0)  | Jan 14, 2011 14:05  Trackback (0)   

January 13, 2011

近年の経済を眺めて考えること(学問的な話は一切していない..)。

 データを吟味した後で斯様なテーマを議論する事が妥当
な経過に含まれるだろうと考えることはあるが、同時に受
け売りは良くないと考えることがあり、他方で、どの程度
の理解かを記しておくことは今後のためになるだろうとの
見通しを抱くことがあり、一筆する次第。

 金融市場におけるプログラム売買の進展が一般投資家を
裁定機会から除外する方向に働き、健全な個人投資家を市
場から遠ざけているとの指摘は、保険会社等の機関投資家
の売買高を考慮すると今に始まったことではない話かもし
れないが、そういった側面もあろうかと考え直す次第だが、
どうりでチックデータの分析が簡単に進まない訳だと思い
直すこともあった..。

 そして貪欲な投機を良しとする金融機関を肯定すると、
健全な投資を活かすための資源が制約を受け、その環境
を活かす機会が損なわれてしまい、健全な経済の発展に資
することが適わなくなるといった指摘に対し、そういった
側面もあろうかと考え込むことがあった(学生時代、外資
の金融機関の人気が高かったが、あれは若さ故の過ちだと
いったことに最近気が付いた..それ以外にも言いたい事
はあるがこれぐらいにしておく..)。

 流動性の罠との指摘を受けている現在の不況も、実際の
ところ過剰流動性が債券マネーに向かっており、市中の資
金需要を満たす信用枠を金融機関が支えるシステムを構築
できていないからだとの指摘に対し、思えば今から20年前
のバブル経済の頃、「借りれば借りる程得をする!」とい
ったキャンペーンを国内では所謂マスメディアと金融機関
が共同して行っており、借りる必要がない経済主体に対し
ても資金を提供してきたのは貸し出し金利が高かったせい
もあろうが、資産価値が上昇していた時期でもあり、その
影響からか過剰な生産設備が蓄積されることになり(その
後は貸し剥がしでしょう、生き残るためには手段を選ばな
いといったある種の倫理観の欠如は衆目の知る通りになっ
たが..それが今問題になっているのか..)、その後を
迎える事を考慮すると、そもそも必要な時に資金を提供す
る金融機関(現在は国債の購入を引き受けているから、必
要資金を提供しているではないかとの指摘もあろうが、他
の条件を考慮しなければ、それでは債券バブルではないか
との見方に立つこともあるが..)の社会的公器としての
役割といったものに光を照らしている現在の議論の在り様
はそもそも適切な経済活動とは何かを問い直す意味も在ろ
うが、この問題はここに止まる性質ではないのだろう..。

 規制のない市場経済に任せて資源の配分に失敗した例と
眺めるのが適切か否かは、立場により異なるかもしれない
が、バブルとは現在に重きを置いた物の見方であるが故に、
当時ではその生産設備に資源を配分することが妥当であっ
ても、後世に妥当とは言い難い状況になることは十分在り
得ることであり、現在価値を最大限に高める思考方法その
ものが、効率性を高める利点はさておき、後世にとって足
枷となってしまうといったことは1つの教訓になるかなと
考えるときがある..(このあたりの考え方は経済学とは
全然関係ないので、聞き流すことが1つの対処法かと考える
ことがある..)。

 だからと言って数十年前の日本の様に何でも規制せよ
といった立場ではないのだが、規制に関する原理原則と
いったものを受け売りとは別に十分に議論する必要がある
のではないかと考えることがあり、外国語の研究者が枝葉
末節に拘る傾向(それが悪いとは言っていない、ただそれ
以外にも大事な問題が山積みでしょうといった見地から眺
めているに過ぎない..)と重ねて見てしまう面が否めな
いのだが、テクニカルな問題と同時に原理原則についても
しっかりと話し合っておく必要があるのではないかといっ
たことを申し添えたい。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
2/13。stint, 〜に切り詰める、spare, 〜を使わない、
steep, 浸かっている、stolid, 鈍感な、impassive,
無感動の、stupefy, 驚愕する、stun, 茫然とする、
stentorian, 大きくて力強い、sundry, 雑多な、subpoena,
召喚状、supplant, supersede, 〜に取って代わる、
succor, 援助、supercilious, 尊大な、disdainful, 尊大に、
superfluous, 過分の、等で失点しており、周回が必要か。

 独検対策は語彙と聞き取り。のんびり進める方針に
変更はなく、このペースで暫く続くことと思われるが、
やらねばならない状況に変わりはない。

 明日もがんばろう。

 では。

January 13, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Jan 13, 2011 15:11  Comment (0)  | Jan 13, 2011 15:11  Trackback (0)   

January 11, 2011

我が身を振り返って、パート3(我が周辺を振り返ってといったタイトルが妥当かもしれない)。

 躾けや礼儀の面でリクルーターよりしっかりした対応
を示していると知らぬ所であらぬ事を吹聴され苦労する
かもしれないといったことを記した訳だが、それはイン
フォーマルな会話に苦労しているからだと解釈するので
なく、相性の問題だから無理することはないといった見
方がある一方で、どこも似たり寄ったりといった見方が
あり、解決策としては知らぬ存ぜぬで通す道もあるよと
いったことが挙げられようか(ただこの程度なら名刺一
枚で解決するのだが、食い込む力といったものが要求さ
れているのならば他にも色々方法はあるだろう)。

 後は圧迫面接か、原則使える人間を上に上げるのだが、
俺はこいつの弱いところを知っており、こうコントロー
ルすれば使えるといった確信を握ったときに、そうなる
ケースがあるのだが、そんな事情を踏まえた上で、上の
人間はじゃあこいつはどこに弱い点があるのかといった
ことを確認する意味での圧迫はあり得るかもしれない、
そして端っから上に上げる意図がない圧迫もあり得るが、
どちらにせよ何でこんな馬鹿らしいことをやらなければ
ならないのかといったことはお互いが考えていることで
もあり、私だったら多様な雑談の中で探りを入れながら
用件を済ますことを考えるのだが、短期的な視野に囚わ
れていると、感情的な場面を招いてしまうことも十分考
えられ、難しい話になるのだが、これだけ多くの人間が
経験を共有していながら改善の歩みが鈍いのは、個人の
経験が十分に共有されていないことの弊害かもしれない。

 躾けといったものに言及した訳だが、表向きにはこう
コントロールされます、裏面ではこうコントロールされ
ます(私自身はこういった発想に違和感を感じる部類で、
何故生活をお題目にして縛られることに拘るのかといっ
たことを問い掛けたい立場になるが..)といったこと
を国内で仕事を求める人(学生に限らず人事異動した際
もそうであろうが..)が暗に陽に示しながら話を進め
る場面があるかもしれないことと共存することが可能な
のかといったことを考えることがあるが、元来自立した
生き方のツールとして躾けといったものが存在している
であろうことを踏まえると、それは無い物ねだりであり、
仮に共存しているなら、それはどこかに誤魔化しの要素
が含まれているだろうとの見方に傾くことがあり、同時
に、昔は俺はこういう人間はこう使うといった大風呂敷
を広げる者がこのような問題を顕在化させなかったのだ
が、現在はこういう人間をこう使うといった自信といっ
たものが欠落してしまったせいだろうか、使われる人間
にどう使われるのかを尋ねている状態で、それでは良く
はならないでしょうとの見通しを抱くことがあり、現在、
隷属されている人々がいつから縛りを感じる様になった
のかといったことを考えるならば、人事であり管理職の
立場にある人間の見識が矮小化した頃からそうなったと
の考えを抱くことがあり、求められているのは問題を精
緻化する努力ではなく(だから窮屈な生き方を強いるこ
とになり自殺率が高い社会になるのだ..)、憚ること
のない鷹揚さといったものではなかろうかといったこと
が差し当たりの考えになる(色々書いたが、私は縛られ
る生き方に共感を示すことができず、ただどうすれば解
放されるかといったことに関心があると言ったら、お好
きにどうぞ、といったことになるのだろうか)。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
2/10。specious, 見せかけだけの、solicitous, 心配して、
soporific, 眠気を催させる、sophomoric, 未熟な、
splenetic, 気難しい、squander, 浪費する、spurious,
にせの、等で失点しており、周回が必要か。

 仏検対策は語彙とディクテ。のんびりと進めており、
このペースに変更はなく、もう少し根詰めて取り組む
必要もあるのだが、精進あるのみか。

 次回の投稿は1/13(木)です。

 では。

January 11, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Jan 11, 2011 15:43  Comment (0)  | Jan 11, 2011 15:43  Trackback (0)   

January 10, 2011

我が身を振り返って、パート2(我が周辺を振り返ってといったタイトルが妥当かもしれない)。

 最近の子育てを眺めるときちんと躾がなされていないお
子さんが多い様に見受けられ、それは大学卒業時の就職活
動に関連しているかもしれないと考える時がある。

 躾がなされているということは隙がないことの裏返しで
もあるが、リクルーター制をとっている企業を念頭に置け
ば、きちんと躾がなされている学生の物腰がリクルーター
に要らぬ警戒心を与えてしまい、思う様なマッチングに至
らないといった話を聞き受けることがある。話す能力が問
題になるとするならば、ウチにはそんな畏まった人間は必
要ないよといった企業側の姿勢が、使い勝手の良い人材、
つまりそこそこ欠点があり使い易い人材へのオファーを集
中させる傾向にあり、それが故にきちんと躾がなされてい
ない人間が社会的に活躍する土壌が生まれることになり、
この話は、裏と表の双方で納得させれば良いのだろうとい
ったインフォーマルな話し方の失敗例として取り上げてい
る訳ではなく、「会社員としての属性」が要求する文化と
異なる文化の中で生活してきた者が直面する問題が、結果
として日本の伝統的な躾の文化を次の世代に継承する際に、
きちんと躾がなされていない者がいち早く躾を担当する側
になり、躾けられてきた者が除外されてしまったといった
捻れの構造を生むことを導くことになり、現在の様な状況
が生まれてしまったのだろうと解釈している(ここは納得
する場面ではなくどうするかを考えるときであり、背伸び
した体面を取り繕うのではなく、背伸びした内面を取り繕
う様に努力されたら如何ですかといった提案が該当するか
もしれないが、勘違いに慣れてしまった現状では中々うま
くいかない事情も想像され、やるかたなしか..ああ..)。

 これは人付き合いにも言えることだが、私より一つ上の
バブル経済を経験した世代はお手軽さといったものを優先
的に考えている様に見受けられるが、その影響を受けてか、
きちんと躾を受けた者に対するアプローチが稚拙であり、
その隆盛の在り様を眺めてきた周囲は冷静に批評する姿勢
を避けてきたせいだろうか、深みが感じられる情の在り様
といったものを忌避する傾向にあり(相手に負担を掛けた
くないなら、後々問題になりそうなことを最初にきちんと
話し合っておくことが肝要だと考えているのだが..当た
り前か..)、こんなものならこんなものだろうとの考え
に落ち着くことを良しとし、結果としてうまくいかないと
したら、それは人は変わるといったことを差し引いても雰
囲気を優先させるお手軽文化の弊害以外の何物でもないと
考えているのだが、ここで好きにされるのが宜しいのでは
ないでしょうかと第三者的に眺めてしまうことが現在の離
婚率の増加に拍車を掛けているとしたら、迷惑なのはその
子供のみならず、躾を継承する文化自体にとっても少なか
らず問題を生じさせているのだと考えるとすると、それは
偏った物の見方であり余計なお世話になるのだろうか..。

 選ぶ側と選ばれる側、使う側と使われる側が逆転してい
る現象がここに挙げたミスマッチの例になるのだが、そも
そもこの状態でこのまま進むことになると、お互いに対し
尊重する姿勢といったものが崩壊するのも時間の問題にな
り、躾の乱れとはその一例にすぎないのだと纏めたらやや
強引な締め括り方になろうか、つまり教育の問題ではなく
社会の在り様の問題といったことを申し添えたい..さら
に申し添えれば、「いっしょに働きたい人」が指す言葉の
中身とは「私を中心にした内的及び外的世界を乱すことの
ない人」でもある訳だから、そりゃあちこちでコネや2世
(能力的に劣っていれば、関係者の内的及び外的世界は乱
されることがなく安泰だといった意味合いで..)が跋扈
する訳で、それでは健全な社会の発展とは言い難く駄目で
しょうといったことが論旨に含まれる..。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
2/15。scurvy, despicable, 卑しい、sap, 弱める、
sanguine, 快活な、satire, 風刺、salutary, 健康回復に
良い、sanctimony, 信心家ぶること、seine, 引き網で
取る、sanction, 是認、shard, 破片、simper, にたにた
笑う、sinecure, 閑職、sere, 干からびた、slake, 〜を
満たす、等で失点しており、周回が必要か。

 仏検対策は語彙とディクテ。のんびりと進めているが、
このペースに変更はなく、こんな時期があっても構わない
と考えており、これからか。

 明日もがんばろう。

 では。

January 10, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Jan 10, 2011 12:42  Comment (0)  | Jan 10, 2011 12:42  Trackback (0)   

January 09, 2011

我が身を振り返って(我を眺めて何があるのか、言い訳しか残らなかったとしても価値がないとはならないことを祈るばかりだが..)。

 私の問題意識を評論の対象に挙げるならば、経済学研究科に
在籍していた頃、「○○君は全然経済に関心がありませんね。」
といった言葉を戴いたこと(それは取り上げる対象とその扱い
方に依存するだろうといった見方に傾いていた時期だったが..
素朴な考え方を放置する研究事情でやれることと言えば限られ
てしまうのは当然の帰結だろう..「一体何を指導しているん
だ。」との批評を避けるために、個々の学生が求めている理論
に対する完全な理解を棚上げして、差し当たり体裁を整えよう
といったご都合主義にも問題は存在しているのではなかろうか
といった考えを抱く時もあるが、これは限られた時間で成果を
出さねばならないこと(普通の学生を指導し、2年で学位論文
に纏め上げることを指しているが..)に対する危機感を共有
した上での話になると多方面からウチもそうだといった話にな
るのだろうか..現在の学問における、やや急速な発展の在り
様がこの傾向を加速させているかもしれないが..)や、その
後、数物科学研究科に在籍していた頃、「今後の方向性として
は数学じゃない、経済でいい。」といった言葉を戴いたこと
(それは役に立つといったことをどう把握するかにも依存する
が、所謂文科系の院生に対し研究に必要な数理科学の方法論
を丁寧に説明する余裕はどこも持ち合わせていないといった
現実が語らせる言葉でもあるだろう..しかし今となっては
1人で苦労しながら両方やったことが財産に変わりつつある訳
だが..)を重ね合わせながら考慮する必要があり、一見する
と多数派の中に存在しながら少数派としての立場で物事を眺め
る役割を果たしていた我が身に対し「何故、そう人と違った
立場を固持し続けるのか。」といった一般社会に対する同化の
圧力に抗い続けた主張の在り様が続いていた状況を振り返ると、
そう悪い物でもないからだといった感覚があり、それは、こん
な私が幸せになることがあるとしたら、何らかの社会集団から
束縛を感じる個の振る舞いの解放に何らかの形で資することが
あるのではなかろうかと考えるときがあるからであるが、自己
礼賛を意図している訳ではないことを付け加えておく..。

 それで何故外国語の習得に労力を割いているのかといった
疑問に答えるなら、面白いからだという答えが念頭にあり、
それは旧来の日本の知識階層が他者との差別化のために外国
語の習得を挙げていたことと異なり、素朴にできることが
広がる楽しみがあるからだと言い表すなら、国外との同質化
に言及される方もいらっしゃるかもしれないが、一言で同質
化と言い表すことはできない混在した現在を理解するための
経路が増えるからであり、それは草の根の市民間の繋がりに
発展し、健全な社会の発展に資するだろうとの見通しを抱い
ているからだと表現すると、まだ私に足りないことが幾つも
でてくるのだが、議論の余地を残すことも妥当な経過に含ま
れるだろうと考える時がある。

 では現在、何故学術機関の外で活動しているのかと言うと、
私にとってのアカデミズムとは大学のためだけに在る訳でも
なく、何らかの研究機関等のためだけに在る訳でもなく、
個人の考え方に根付いていれば、それはどこにでも存在する
のではないかと考えており(もちろん大学や研究機関の役割
を否定する意図は全くないが..)、何れにせよその普遍性
に助けられて今に至ることを否定できず、同時にそれに対し
具体的に貢献することを考える必要があることも事実である
が、暫し時間を必要としており、忍耐強さが求められている
時期なのかもしれず(歯切れの悪さは今に始まった事では
ないが..)、やることはやっているので良しとしたいが、
今後次第であることも否めない事実が残っている..。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
3/23。redoubtable, 尊敬すべき、refulgent, 燦然と輝く、
repudiate, 否認する、disown, 〜の正当性を否定する、
recondite, 難解な、rent, 破れ、refute, 〜を論破する、
regale, 〜を楽しませる、relegate, 格下げされる、
recumbent, 横になった、renege, (約束などを)破る、
recapitulate, 〜を要約する、redolent, 匂いがする、
reticent, 無口な、salient, 目立った、rescind, 〜を無効
にする、sagacious, 利口な、rue, 〜を悔やむ、rubric,
規程、risible, 笑える、hilarious, 陽気な、salacious,
好色な、等で失点しており、周回が必要か。

 仏検対策は語彙とディクテ。のんびり進めており、
こんな時があっても構わないのだが、メリハリも必要
であり、そろそろやらねばならない。

 明日もがんばろう。

 では。

January 9, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Jan 9, 2011 20:34  Comment (0)  | Jan 9, 2011 20:34  Trackback (0)   

January 08, 2011

小さな話が続くが昨日の附属校に関する記事の何が問題か(教員側の視点でなく学生側の視点で記事を書いたつもりだが、それがさらなる問題に繋がるのだろうか..)。

 国立の附属校に関して言及する意図はなく、近年乱立する
様相(こう表現するとややオーバーな感が残るが..)を
示している私立の附属校に関し話を進めていたのだが、その
根底には教員の人事の問題があり、所謂文科系の教科に関し
文学研究科出身の教員が高校と大学双方の講義を兼任している
現状が何を語るかと言うと、現代史を扱わない歴史(アメリカ
での情報公開に随い漸く現代史の研究が始まったのではないか
とお叱りを受けるかもしれないが..)および各国の地誌や
統計を扱わない地理が暗示する様に、大学で扱うであろうと
思われる内容をすっかり除外した形の講義(あえて授業と言及
しなかった背景にその方法論が大学の悪い面を引き継いでいる
ことが挙げられる)が高校で行われる様になり(しかし大学で
はその内容を既知として、講義を進めている事情はその教員に
依存しているのだが..)それは知的刺激を与えるものとは程
遠く、しかし在学生は知識の欠落を自らの怠慢ゆえにそうなっ
たと解釈される立場にあり、問題の所在は教える内容にあると
いった考え方とともに考える力を養うことに主眼を置かず盲目
的に記憶することをその大学からの短期的要請に随い在学生に
求める教員側の怠慢(つまり考える力を養成する教育は手間暇
がかかるが、記憶させるだけなら然程手間が掛からないといっ
た側面に胡座をかいたものが多数に及ぶ現状を指しているが、
同時に基礎教育を軽視しておられるであろう方々とも一度話を
する必要があるのだが..)にあるだろうといったことが数十
年来言われ続けてきたのだが一向に改善の気配を示すことが
なく(実際の所教えるだけの力量を欠いている者が担当して
いるからだとはっきり指摘した方が良い場面もあるだろう)、
同様の議論は、教員が大学と大学院の講義を兼任している現状
が、大学院で講義するであろう内容を除外した形で大学での
講義が行われている状況を導き、その学生の好奇心を失わせる
方向に作用しているのではなかろうかといった現状の中に眺め
ることができ、それはその教員に依存する側面があるが、話は
まだ続くことになる。

 つまり、外国語教育といった観点でこれまでに受けた教育を
眺めてみると、教員の恣意的な裁量で評価が決まっていくと
いった側面を否定することは難しく、教員から生意気だと思わ
れただけで単位がこない学生が早稲田に限らず大学には数多く
存在している現状を振り返ると、必修科目の様に学生が教員を
選ぶことができないのならば、適切な再評価のシステムを確立
することが必要ではないかと考える時があり、それが大学なら
ば再履修すれば良いだけのことだが、大学の附属校で同様の事
が行われているとなると、訳読と自習だけで語学が身に付いた
といった話は聞いたことがないのだが、附属校に通う者が語学
を苦手している理由や赤点の理由を怠惰な側面にのみ求めるの
は論点が異なる話ではなかろうかと考えることがあり(試行
錯誤しながら語学を身に付けている過程の者に対し、一律に
一定の成果のみを求める姿勢は、教育を通じ成果を出すといっ
た考え方の根底にある原体験に何か問題を抱えているのでは
なかろうかと推察することがある..少なくとも私の立場とは
異なっている..)、現状留年者を許容している校風を鑑みる
と(じゃあ、退学で構わないのかといった話をしている訳では
ないのだが..)、それでは何も良くならないでしょうと諭す
以外打つ手立てはないのかもしれないが、それでも語りかけて
いかねば何も変わらないのだろう。

 理工学部でドイツ語を履修した者の話を聞いたことがあるが、
何で現在のドイツ人も読んでない様なカフカをやる必要があっ
たのか未だに分からず、もっと実践的なことをやって欲しかっ
たとのことだが、私も政経学部でフランス語を履修した者とし
て、何で子供向けの小説を輪読しなければならなかったのかと
いった問題意識を未だに抱えており、結局現在、現地の新聞を
読み進め、それで漸くフランス語に関連する好奇心を刺激し始
めている状況を重ねて眺めるならば、誰が担当するかによって
違いがあるのは仕方がないことだが、それを選ぶ権利といった
ものを与える必要があるのではないかと考える時があり、しか
し学生は教員間の教員に対する評価といったものに触れる経験
が少ないだろうからミスマッチに陥りやすいといった側面を否
定できず、お互いがお互いともっと話し合う場を増やした方が
妥当な解決に近づくかもしれないと考えることもあるが、問題
はやはり人ではなかろうかといったことに落ち着くことになる。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
1/15。pusillanimous, 臆病な、qualify, 〜を限定する、
putrefy, 腐敗させる、quail, 怖じける、pugnacious,
喧嘩早い、pundit, 賢者、qualm, reservation, 不安、
quaff, がぶ飲みする、rancorous, 憎い、quiescence,
静止、rail, 罵る、ramify, 枝状に分れる、recalcitrant,
反抗的な、rebus, 判じ物、等で失点しており、周回
が必要か。

 独検対策は語彙と聞き取り。いつもの様にのんびりと
進めており、あくせくしながらやっても然程変わりはない
だろうとの見通しを抱いているが、精進あるのみだろう。

 明日もがんばろう。

 では。

January 8, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Jan 8, 2011 22:48  Comment (0)  | Jan 8, 2011 22:48  Trackback (0)   

January 07, 2011

かなり小さな話題になるが大学に併設される附属校について考えていること。

 年末年始に旧友と語り合う機会があったことについては
以前述べた通りだが、「そもそも早稲田ってのは厳しいと
評することが可能な(この表現に幾つかの問題が内包され
ていることは重々承知しているが..)一般入試の洗礼を
経るから世間的に話題になることがあるのであって、内部
の推薦を受けて上がってきたところでそれは違う話になる
でしょ」と話を振ったら、暗に不満を抱かせる様な印象を
与えた様子になり、冷静に考えてもどうでも良いことに思
われるのだが、ちょっとした紛糾の場に居合わせることに
なってしまったことは恐らく彼らなりの言い分があるから
なのだろう(それでもそんな小さな話をするのは止めよう
かといった流れになったことは妥当な経過に含まれるかも
しれないだろうが..)。

 過去を語ることの意義は切り口によるのだろうが、旧友
達と私との関係は共に3年間都内にある早稲田の付属校に
通っていた間柄になり、彼らはエスカレーターを利用して
大学に進学、他方私はエスカレーターを断って一般入試で
進学といった経緯になるが、彼らに言わせれば、エスカレ
ーターを使わないなら始めからそこを選ぶ必要はなかった
ということになるらしいのだが、人にはその門を選ぶ自由
といったものがあるだろうし、何でも滑り込めればそれで
問題が解決する訳ではなく、それが故に昔から推薦入学者
及びAO入学者の語学の運用力が基準に達していないことを
背景にした補習教育の存在を肯定する大学側の危機感であれ、
何であれ、問題は山積みであり、人参につられる姿勢は組織
に属する者としては価値観を共有するために必要かもしれない
が、それが全てであっては、束縛から解放された個としての
存立意義を失わせる方向に社会が向かうことになり、方向性
として妥当なものとは言い難いのではないかといったことを
申し添えた様に記憶している。

 私の認識の根底には学術機関としての大学の役割を評価
したいとの思いがあるが、新入生を集めることに労力を費や
している大学側の姿勢に対して本業を疎かにしていないだろ
うかといった見方に立つことがあり、それが故に多様な入試
形態を肯定している現状があるならば、あなたは誰ですかと
尋ねたくなる心境を抑えつつ、もう少し他にやることがある
だろうと言いたくなるのは世間一般の見方と然程変わりはな
いのではなかろうか。

 組織に属する人としての素養を養う機関として大学に併設
される各種学校の存立意義があるとするならば、自由に学問
に従事する姿勢とは程遠い現状を肯定することになり、現実
としてどこも結果が出ていないことを眺めれば(これを言う
と次から次へと例外を持ち出される方がいらっしゃるのだが、
教育機関としては失敗の部類に属するでしょうといった認識
が大勢であることに理解を示して戴きたい..)、大学側が
本質的なことを希求する姿勢を打ち出さないことには改善の
目処は立たない様に感じられることが時としてある(結果と
してどうなるかだが、卒業後しばらくして、卒業生が苦労し
ながら全てをやり直すといった現状が続いているのではない
かと考える時がある..それでもやり直すだけましと言える
環境はやはり相性もあるだろう..しかし大学院への推薦
制度及びその先まであることを考慮すると、相当の根深さを
感じる時がある..)。結論として推薦制度で推薦される者
の全体像を思い描くと、それは常識がこれまでに語る通りと
いったことになろうか、つまり私も若者に対して思うことは
(こういうと年寄り染みて聞こえるだろうことを重々認識し
ているが..)、大学入試の難関を突破してこないことには
何も始まらないといった立場になり(実際問題、難関と評さ
れる試験を突破すると、世間の風当たりが強くなり、それが
所謂「始まった」ということに繋がるのだろう..)、さら
に高見を志向することに繋がると言い切ると、そこに高低を
もたらす価値観は普遍的かといった問題が纏わることになる
のだが..(縛られることのない考える自由なるものがある
とすれば、まだまだこれからなのだが..)。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
0/14。久しぶりにやってしまった感が残るが、preen, 羽繕い
をする、prodigious, 巨大な、prevaricate, 言葉を濁す、
predilection, 特別の好み、prize, pry, こじあける、probity,
正直、presumptuous, 生意気な、prodigal, 放蕩する、
prolix, くどい、long-winded, 長たらしい、proscribe,
outlaw, 追放する、profligate, 乱費する、profuse, 豊富な、
propitious, 都合の良い、propitiate, 〜の怒りを静める、
等で失点しており、周回が必要か。

 独検対策は語彙と聞き取り。のんびり進めており、
いつも同じ事を言っている様だが、このペースに変更は
なく、精進あるのみだろう。

 明日もがんばろう。

 では。

January 7, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Jan 7, 2011 14:28  Comment (0)  | Jan 7, 2011 14:28  Trackback (0)   

January 05, 2011

最近やや押しの強い投稿が続いたので、閑話休題、パート3。

 色々言いたいことはあるが、批判的に物事を眺めると
いうのは結構疲れることであり、そうでありながらも、
何故に議論を重ねるかと言うと、それは理想主義に傾い
ているからではなく、現実とは斯様に一筋縄では説明し
難い歩みを示すことがあるとの認識に多様な角度から光
を当てることにより提示される姿と現実との拮抗がさら
なる光を増幅させることになるであろうといった願いが
駒を一歩進めていると考えるときがあるからだ。

 私はフランス人ではないが、チョコレートをくわえて
いるときに、ちょっとした安らぎを抱くこともあるのだ
が、年がら年中議論を進めることを意識している訳では
なく、そこはメリハリといったことになろうか。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
2/4。prattle, ぺちゃくちゃ喋る、babble, 無駄口を叩く、
precipitate, 〜を真っ逆さまに落とす、等で失点しており、
周回が必要か。

 今日は仏独休みの日になったが、報道外語で補う
メニューはいつもと同様続くことになる。

 明日もがんばろう。

 では。

January 5, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Jan 5, 2011 15:44  Comment (0)  | Jan 5, 2011 15:44  Trackback (0)   

January 03, 2011

該当する組織の内部にいなければ適切な批評を行えないといった幻想について、一考察。

 新年早々高校時代の仲間と一杯引っ掛ける機会があった
のだが、内部の立場で行うからこそ具体的な提言に繋がる
のであって、外部の立場で行う具体的な提言はその正当性
に疑義が伴うのではないかといったことが話題になった。

 例は何でも構わないのだが、例えば大学を例に取れば、
早稲田は叩かれることが多い、それは事実そうであるから
だといった視点に加え、早稲田を叩くことが都合がよいと
考える人々が多いことを背景にしている点が挙げられる。

 しかし一年間に10万人近く不合格者を出す大学が一切陰口
を叩かれないことの方が不思議であるといった視点と共に、
その批判が人間の有する陰の側面に起因しているものならば、
それを排除する方向で物事を進めることが健全な議論の在り
様ではないかといった視点には一応の説得力がある様に思わ
れる。

 議論を起こす以上健全な内容を志向するのは当然なこと
であると思われるが、その人間が有する陰の側面に起因
しているか否かを、一律的にその人間の経歴に求め、該当
するならば一律的に排除していくといった姿勢は、その
批評の対象の背景にある暗黙の戒律やペッキングオーダー
といったものを無意識に肯定させることに繋がり、所謂、
悪しき伝統といったものが生き残るだけではないのかと
いった問題意識になるのだが、この正月の仲間内での議論
では平行線に終わったことを追記する。

 日本語には主導権を左右する人々にとって都合の良い言葉
が存在しており、その一つに「理屈っぽい!」といった評価
の言葉があるかと考えており、理を詰めて否が存在するなら
それを変えていく姿勢が求められてしかるべきだが、その理
を拒否する自由を与えてしまったがために、健全な社会の
発展が停滞してしまう例が何と多いことかと嘆きたくなる
ことが暫しあり、これからやらねばならないことが随分と
増えてしまったかなと理解するしかない現状だ。
 
 機会があればこの続きはそのときに書き記すことにして、
ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
5/22。parsimonious, 極度にけちな、pedestrian, 平凡な、
perfunctory, cursory, おざなりの、penurious, けちな、
ungenerous, しみったれな、penury, 貧乏、peremptory,
有無を言わせぬ、pernicious, ひどく有害な、petulant,
いらいらした、pied, まだらの、picaresque, 悪漢小説、
petrous, 岩の様な、philistine, 俗物、plethora, 過多、
pithy, 簡潔な、pith, 要点、pique, 立腹、pluck, 勇気、
等で失点しており、周回が必要か。

 仏検対策は語彙とディクテ。のんびり進めている
ことに変わりはなく、それは怠惰ではないかとの問い
があるなら、こういった時期もあろうかといった答え
になろうか。

 次回の投稿は1/5(水)です。

 では。

January 3, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Jan 3, 2011 17:10  Comment (0)  | Jan 3, 2011 17:10  Trackback (0)   

January 01, 2011

それで話は続くことになる(今日は元旦にあたるが..)。

 控え目な姿勢を取りながら現状を批判する姿勢を良しと
し、他方で後世に認めてもらうことを意識して現状と一歩
離れた見地に身を置くことは、控え目な態度や認めて貰う
行為が、絶対的な存在を暗黙知の内に仮定していることに
随いその存在を中心にしたヒエラルキーの維持に貢献して
いることになり、それは社会の健全な発展に貢献しないの
ではないかといった問題意識が、昨日の記事で取り上げた
筆者の考え方に内包されているといったことを追記する。

 では絶対的な存在とは何なのかについて本稿では取り
上げていなかったが、それは「手本」に対する意識の持ち
様だと私は考えるところがあり、和の美学なるものが存在
するなら、それを過去の風物と眺める姿勢を貫くことで
漸く考える自由を手にする環境が整い始めることになり、
相対的な権威の有り様を一元的に体系化することに力を
注ぐのではなく、お互いがお互いを尊重するといった、
つまり相対的な権威の在り様の内部において異論を唱える
存在の役割を肯定的に把握し、綱引きがあろうとも異論
自体に否を求めない姿勢を保つことが随所に求められて
いると言ったら、まだそれは弱い主張になり、権威に
対する柳腰ではやはり暗黙知に存在するヒエラルキーを
肯定することになり、解放され自立した個の振る舞いこそ
が、短期的にはそうとは言い難いものの、長期的には健全
な社会の発展を導くことに繋がるであろうといった現在の
世界の在り様を説明することになろうか。

 要は、絶対神なき心に内在する「寄らば大樹の陰」と
いった発想に対し挑戦し勝利することが求められており
(何が大樹かは人によって異なろう、学生であれば、法
学部、経済学部、工学部が就職に有利だよといった漠然と
した幻想であれ(つまり有利不利とその人が仕事に就くか
否かは別問題だといったことが挙げられる..)、こう
言っては在校生に不愉快な思いをさせるかもしれないが、
国内において中心的役割を果たしている大学群に対する
漠然とした幻想であれ(どこであれ教育の質に関しては
あまり期待できない現状がある..)、就職時における、
官庁での仕事に対する漠然とした幻想であれ(何故官庁
と訝しく思う向きもあるかと思われるが、ヒエラルキー
といった観点で物事を眺めると、他に言及すべきことが
多々あるものの、看過することは難しいだろうと考えて
いることが背景にある..)、大手企業や財閥系企業群
の待遇に対する漠然とした幻想であれ(実際の仕事や
待遇は誰が上司になるかでかなりの程度変わってくる、
そして椅子取りゲームである状況はどこも似たりだろう、
このラットレースが暗黙知における不合理な階層社会を
肯定する役割を果たしている..)、そんなものは疾うに
崩壊したと笑い飛ばされそうな気もしているが、これまで
に囚われてきた価値観の1つ1つを指している..)、誰が
吹聴したかは定かではないが、「懐柔されることを肯定的
に捉えることが成熟した人間の物の見方である」といった
考え方は、プラグマティズムの体現ではなく、一般常識の
範囲内で精神的安堵感を抱きたいがために易きについた
ものと解するのが妥当かもしれない(楽をして易きにつく
タイプが社会的に重宝される背景とし、不完全であること
を隠して絶対的な存在の振りをする存在を肯定する階層
社会を補強しているからだといった理由付けが説明できる
ことは少なくないだろうが、それが現在の様々な問題の
遠因となっているのではないかと解釈したいときがある)。

 何が絶対かは人それぞれが創り出していけば良いこと
だが、経験で補う方法もあるだろうし、自然科学の方法
論で補うこともあるだろうが、その空白に入り込む伝統
の衣を纏った思考の類が与えてくれる物は一時の安堵感
と同時に隷属された魂の在り様ではないかと考えること
がある(こう言うとラディカルだとお叱りを受けるの
だろう..)。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
3/13。ostentatious, 人目を引く、officious, meddlesome,
お節介な、ossified, 硬直化した、ostensible, 見せかけの、
occult, 秘密の、occlude, 〜を塞ぐ、obviate, 〜を未然に
防ぐ、opaque, 通さない、overweening, overbearing,
傲慢な、onerous, 煩わしい、等で失点しており、周回が
必要か。

 独検対策は語彙と聞き取り。のんびり進めているが、
こんな時期はあっても構わないだろうとの考えに随い、
精進あるのみか。

 明日もがんばろう。

 では。

January 1, 2011 in 学問・資格 , 雑記 , 
Jan 1, 2011 17:37  Comment (0)  | Jan 1, 2011 17:37  Trackback (0)   

December 31, 2010

劉暁波の著作を読んで(闘うということがテーマになる..)。

 『現代中国知識人批判』といったタイトルになり、檄文
との帯が付いていることから察せられる様に強い語調を含む
文が続くが、不思議と日本国内の事情に対し反芻を迫られる
様な印象を受けたことを記憶している(外交問題を指して
いる訳ではなく、その文化の在り様を示しているといったら
適切だろうか)。

 儒教思想及び孔子の思想に対する対立命題として、間
違った意志決定や汚職が蔓延する環境に対する批判のみで
は、強く正しい意志決定者による専制主義を良しとする
文化的風土を生むことを助長することになり、それは人は
過ちを犯す生き物であるといった側面をベールに包む物で
あり、知識人を権力の道具にするのみならず、蔓延する
腐敗と自己崩壊を導く物以外の何物でもないのだといった
ことが挙げられており、それを避けるべく、知識人は、
隷従される立場から己を解放するために闘うことが肝要で
あると私は理解したが、手に取った人によって受け取り方
は様々かもしれない。

 これは中国をテーマにした著作だが、広く日本にも
当て嵌まることが多岐に亘るだろうと解したのは、現在の
日本における、社会、組織、集団的強者が弱者を支配する
際に自発的及び非自発的を問わず忠誠といった概念を強要
していることを挙げるならば、それは広く考えると専制主義
に対する忠誠でしかなく、強者と弱者の不平等な関係を強化
するだけでしかないと喝破している点にあり、確かに、
愛と自由に対し忠誠を尽くす日本社会とはこれまで見聞
したことがなく、組織に対し忠誠を求める姿勢は様々な所
で見聞きしているのだが、それは、二枚舌の意志決定者を
時にはやや大袈裟な表現を用いることが許されるならば
神格化し、また暗黙の内にその専制主義を肯定するもので
あり、それを成熟した大人の発想とみなす慣例は、様々な
曰くがついて回る中国社会が由来だったのかと考えると、
早晩廃れることも時間の問題だろうと考えたくもなるのだ
が、日本の組織社会の文化のしぶとさと言うか根深さは皆
さんご承知の通りであり、反抗することを肯定する文化に
慣れるまでは暫く時間が掛かるかもしれないが、政治の名
の下に体系化する行為が、中国人が官吏に登用されること
を私欲の観点で肯定している現状を導いているならば、
それは日本人が我が子を東大に進学させ公務員に採用され
ることを私欲の観点で肯定している現状と重なる面がある
のだが(いや一応表向きは私欲の観点を否定させ公僕と
しての観点を強調させていると当事者は語るかもしれない
が)、それでは残された問題も相当なものになるかなと
考えることがある。

 このような纏め方では著者に叱られる気がしなくもない
が、民主化した中国が到来する時代がくるとしたら、それ
は中国が孔子を何らかの形で否定する時代の到来でもあり、
日本の国語の教科書で「子曰く..」等と教えていたら、
日本が時代の趨勢に取り残されていることに繋がるであろ
うといったことを考えるときがあったことを記しておく。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
0/9。久しぶりにやってしまった感がある数字だが、
obsequious, こびる、nonplus, 当惑する、baffle,
当惑させる、obtain, 通用する、noisome, 臭い、
obeisance, お辞儀、deferential, うやうやしい、
obtuse, 鈍感な、obstreperous, 騒がしい、obdurate,
頑固な、obfuscate, 〜を分かりにくくする、等で
失点しており、周回が必要か。

 独検対策は語彙と聞き取り。報道独語を適切に
取り入れる必要があり、のんびり進める現在の方針
で問題はないだろうが、精進あるのみ。

 明日もがんばろう。

 では。

December 31, 2010 in 学問・資格 , 雑記 , 
Dec 31, 2010 23:01  Comment (0)  | Dec 31, 2010 23:01  Trackback (0)   

December 30, 2010

何を書くかな。

 それで、2011年を迎えようとしている訳だが、来年に
向けての抱負といったものをそれ程強く考えている訳で
はない中、バーチャルとリアルの差といったものがある
ならば、それを詰めてみるのも面白いかなぐらいのこと
を考えている状況になる。

 いや実はリアルをどこに設定するかも問題に含まれる
のだが、全部纏めてといった発想に落ち着くのは、何も
考えていないからではなく、偏りが生じるのは良くない
ことだろうとのある種の危惧がそうさせることが背景に
ある。

 そう、最近でもないが、どうやら私の理解の水準と
世間が世間に期待する理解の水準とは相当違いが在る
様で、溝は埋まりそうになく、独立独歩の道を歩んで
いることになる様だが、お互いがお互いを尊重する事
が適切な在り様の1つに含まれようか(こんなことを
言っていると甘いと言われることになるのだが..)。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
5/23。lassitude, だるさ、listless, 元気のない、jibe,
同意する、lucid, 分かりやすい、malleable, 従順な、
pliable, 柔順な、list, 傾くこと、malinger, 仮病を使う、
limpid, 明快な、limn, 〜を描く、lumber, ゴトゴト進む、
meretricious, けばけばしい、mendicant, こじき、
martinet, 厳格な人、mendacity, 不正直なこと、maunder,
ぶらぶら歩き回る、mince, 〜を気取って話す、mettlesome,
元気のいい、militate, (不利に)作用する、minatory,
威嚇的な、等で失点しており、周回が必要か。

 仏検対策は語彙とディクテ。年末年始と言うことも
あってか、Marie Druckerのニュースが続くことになるが、
いい加減語彙を増やさないことには聞き取れる語句が少な
過ぎて、BGM化してしまい、役に立つフランス語とは程
遠い現状を迎えることになるため、精進あるのみだろう。

 明日もがんばろう。

 では。

December 30, 2010 in 学問・資格 , 雑記 , 
Dec 30, 2010 22:02  Comment (0)  | Dec 30, 2010 22:02  Trackback (0)   

December 28, 2010

今日は号外だからざっくばらんに思うことを語るか。

 それで高木の解析概論を年末年始に読み込む本として
発注した訳だが、通読するといった使い方でなく、部分
部分を拾い読みするといった形になるかなと想像している。
連続性の議論、ヒルベルト空間の把握及びルベーグ積分の
応用例について、今まで気付かなかった発見があれば良いか
と願うときがあるが、まだそんなことも理解していなかった
のかとのお叱りを受けることもあるかなと考えるときが
あり、他方、語り合う友が少ないといった事情が、何分
読み込むスピードを減じる方向へ働きかけることを否定
できない状況にあり、それでも本来一人でやらねばならない
事とは斯様なものとしてあり得べきものなのだから嘆くこと
もあるまいと考え直している現状になる。寺沢先生が書かれ
た数学概論も暫く積ん読状態が続いていたが、解きたい問題
が現れた時に一気に読み進めることができた例を参考にする
と、それでは怠慢以外の何物でもないではないかと批判され
ることもあろうが、積ん読にも一定の効用が存在していよう
かといった立場を取ることはあながち間違いではないなと
言ったら、やっぱり、ぐうたらの薦め以外の何物でもないの
だろうか(そう責めても何も生まれないさといった考え方に
軸足を置いていることも事実なのだが..)。

 それで政治か、あくまで一般論の立場で物を申すなら、
野党の立場では気付かなかった慣例、約束事の類に与党に
なったときに気付くとして、それを語らずして新たな野党
に政権が移るなら、同じ問題が引き継がれることになり、
つまり慣例、約束事の類を選挙民が知らない以上、その
視点で次から次へと新たな与党が誕生するとしたら、それ
は民主主義の誤謬ではなく、草の根の間で幅広く徹底的に
議論する民主主義の土台が日本社会に根付いていないから
だとの見方に説得力が増すのではないだろうかと考える時
があり、何を言いたいのかと言うと、都合が悪いから隠す
といった文化的風土を見直す時期にきているのではないか
といったことになり、それを言うと化粧も駄目かと言われ
そうな雰囲気の中、告白する矜恃といったものを肯定的に
捉える風土といったものを養っていく必要があろうかと
考えることがあり、一院制が独裁を招きやすいといった
特徴(クネセトを指している訳ではない)さえも語ること
がないのは、これはこれまで語る者が語る資格を有して
いなかったからだとの見方に傾きたい雰囲気の中、短期
的に眺めて議論とは良いものではないのだが、長期的に
眺めることで始めてその良さに気付くといった原点に立ち
帰ると同時に、様々なところで問題が生じていることを
肯定的に捉えることを是とすると、それはラディカルだ
とお叱りを受けることになるのだが、私が言いたいことは、
議論する文化を根付かせる以上その土台をしっかりと構築
しておきましょうといったことになり、ここまではそう
いった見方もあるかなと肯定的に評価して戴くことがある
ならば幸いと言えることになる。

 それで効率性の追求といった視点のみで物事を考えて
いると視野が狭くなることは言うまでもないことだが、
視野の狭い人々を厚遇する方々が多い現状と一歩離れた
ところに立っている人間として物事を眺めるならば、
現在の学生の就職状況の悪化の理由は簡単に説明でき
(ここでは民間就職を念頭に置いている、そして公務員、
自営業、起業を除外する意図はなく、ここでの趣旨と
異なるが故、テーマを絞ったといった意味に解釈され
たい)、採用される学生に共通して見られる特徴として
「会社員としての属性」といったものがあり、当然それは
大学で教育できる内容ではないから、数あるヒエラルキー
の頂点に位置する大学群の学生であれ、学生時代しっかりと
学問を修得してきた学生であれ、「会社員としての属性」に
欠ける者は、就職難に直面することになる、しかし、それは
良いことではないかと私は見ており、まともな教育を受けて
きているなら「会社員としての属性」は身に付かないから
(敢えて縛られることが好きだといった人は念頭に置いて
いない..)、自由に好きな人生を謳歌して下さいといった
パスポートを社会的に手にしたと解釈するのがお互いのため
ではなかろうか。問題はそこから先で、縛られることが好き
な人々と縛られることが嫌いな人々との綱引きにおいて、
既得権者として前者が有利な位置に立っていることを否定
しないが、後者にも生活があり、そうは言っても後者は自由
に触れてしまっている以上縛られる立場になることはない、
つまり一人で生きていくための試行錯誤にある者が多量に
生まれた現状は長い目で見れば悪い方向に向かっている訳
ではないといったことを申し添えると多方面からご批判を
戴くことになり、当人にすれば大変な問題であることを重々
認識するならば、仮にセーフティーネットを整備すれば、
前者を含め続々と自由を手にすることを求める風潮になる
ことも考えられるが(但し雇用者にとって従業員不足に陥る
可能性を内在する政策が採用される可能性は低いと見るのが
妥当だろう)、つまりそのセーフティーネットとなる経済的
根拠に対し、「会社員としての属性」が身に付いていない
から彼もしくは彼女には仕事がなかったといった論理に説得
力があると考える人々が多ければ(別に会社に限らず仕事は
色々あるのだが..)、その政策は支持されないだろうが
(つまり社会への同化に向けた圧力は暗に無視できない
大きさであろうから..)、それは旧態依然たる物の考え方
であり、摩擦的失業に対し受け皿がなければリスクを取る
ことを避ける社会が生まれ、社会的停滞を招くことになる
(現在の不況と少子化を念頭に置いているが..)と考える
人々が多ければ、別の展開を想像すること(言い換えれば
その政策は支持されるかもしれないがその実現は程遠いこと
だろう..といったやや悲観的な見方に立っている..)も
可能になろうかといったことを考えている。

 何かを批判したいがために文章を書き連ねた訳ではなく、
これでは..と思っていたことに対し漠然と考えを言葉に
置き換えていったのだが、テーマが大きくなるとこれっ!
と言い切ることが難しい問題が数多く並んでおり、その中
でも私なりに理解した範囲で纏めてみた訳だが、忌憚なく
意見を語ることの難しさを今更ながらに再認識した次第で
ある。

 次回の投稿は12/30(木)前後です。

 では。

December 28, 2010 in 学問・資格 , 雑記 , 
Dec 28, 2010 18:14  Comment (0)  | Dec 28, 2010 18:14  Trackback (0)   

December 26, 2010

学生時代はジーニスト..と呼ばれていた私..が6000円のジーンズについて考えること。

 たまにはどうでも良い話題を提供しても構わないだろう。
で、結論だが不思議と安物が似合う私にとって、一着6000
円は少し高いかなとの価値観を抱く様、バイアスが働き始め
ている現状にあることを否定できず(完全に肯定している訳
ではないが)、貧乏染みて聞こえるであろうことを重々承知
した上で、2000円前後で手堅く纏めても十分自己表現できる
んだよ!といったことも結論に含まれようか(もちろん答え
は人それぞれだが、そもそも他人と較べる性質のものでは
ないだろう、しかし2000円で得られる自己表現と解釈される
なら、それは私の意図するところではない..)。

 いやこんなことを言っていると嫌みを聞く機会が増える
のだが、バブル期の価値観が崩壊している現状にあって、
「ブランド?、何が有り難いんだよ?、勝手にするぜ!」
といった価値観で行動する方が自由に感じられ、やはり
「何でこんなものがこんなに売れているのか?」と疑問に
思うことが多々あり、周りはみんな似たような格好をして
いる現状を見ると(たまたま結果としてそうなら言うこと
はないが、考え方が似通っているからそうなったという
ことであれば、それは違うだろうと言いたくなるときが
ある)、「好きにすりゃいいじゃねーか!」と一言二言
いいたくなるのは、世の中のお坊っちゃま及び予備軍に
対する当てこすりでも何でもなく、私が変わっているから
なのだろう(だから早稲田、慶応の連中とは話が合わな
かったと言ったら、一言余計だとお叱りを受けるのだろう、
こんなことを言っていると学生時代の馬鹿らしさが次から
次へと思い出され、それでも母校なんだよな..と考え直し
ても、埋め尽くすことができないくらいの馬鹿らしさが
蘇ってくるのは人それぞれか..そんなものさ..)。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
3/17。insouciant, 無関心な、carefree, 無責任な、
iniquity, 邪悪、inimitable, 独特な、inimical, 敵意のある、
inveigh, 痛烈に非難する、intransigent, 妥協しない、
inveterate, ingrained, 根深い、inveigle, 〜をそそのかして
〜させる、insinuate, 〜を巧みに植え付ける、intimate,
ほのめかす、inundate, 殺到する、inure, 慣れる、intrepid,
大胆な、invidious, 他人の妬みを買うような、intractable,
手に負えない、等で失点しており、周回が必要か。

 独検対策は語彙と聞き取り。学生時代のお浚いと
いうこともないだろうが、最近のんびり進めており、
こんな時もあるだろうと考えている。

 次回の投稿は12/30(木)前後です。

 では。

December 26, 2010 in 学問・資格 , 雑記 , 
Dec 26, 2010 20:12  Comment (0)  | Dec 26, 2010 20:12  Trackback (0)   

December 25, 2010

やっぱり、ほのぼの路線になるでしょ。

 研究ネタにしても仕事ネタにしても、一定水準以上の
ものを書こうとすると、どこかで書きにくさを感じる時
があり(いや、そうじゃねえと言いたくなるかもしれ
ないが..)、結局は原点回帰するときが来るだろうと
は考えていた(勝手に言いたいことを言うなとお叱りを
受けるかもしれないが..)。

 久しぶりにMarie Druckerのニュースを見たが、
大抵David Pujadasが夏休みを取っていたり年末年始
の時期だったりと、色々苦労することがあるのだろう
と考えるときがあるものの、当人にすれば余計なお世話
かもしれない(このテーマを文章にすることに対し多少
慎重になっていた面が否めないが、この程度の記述なら
許容範囲だろう..それよりフランス語をある程度使える
水準にもっていくことが当面の課題であり、それは暫し
時間がかかるのだが、現実は一歩も二歩も進んでいくと
いった状況のため、やることが山積みだ..)。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
3/10。importune, 〜にうるさくせがむ、impugn,
(議論などで)(人)を攻撃する、imperturbable,
冷静な、inert, 自力で運動できない、inchoate,
未完成の、indefatigable, 疲れを知らない、ineluctable,
避けられない、等で失点しており、周回が必要か。

 独検対策は語彙と聞き取り。時間に追われている
せいか、やや雑に進めているかなと感じることはある
が、このペースで精進あるのみ。

 明日もがんばろう。

 では。

December 25, 2010 in 学問・資格 , 雑記 , 
Dec 25, 2010 20:24  Comment (0)  | Dec 25, 2010 20:24  Trackback (0)   

December 21, 2010

最近やや押しの強い投稿が続いたので、閑話休題、パート2。

 今年は、年末年始にかけて読み込む本をこれと
決めていないのだが、手計算を続けていないと勘が
鈍るといったことが懸念され、まあ好きに読みたい
本を読むかなといったことを考えている。

 そう年賀状の印刷を遅ればせながら始め、ドライバ
を更新したことにより連続印刷に伴う問題を解決して
いれば良いなと思うことはあれど、やってみなければ
分からないことが依然として存在している現状を嘆く
といったことはない模様。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
5/15。hermetic, 密閉した、hackneyed, 使い古された、
hubris, 傲慢、idyll, 牧歌、idolatrous, 偶像崇拝の、
carefree, 楽しい、hirsute, shaggy, 毛深い、impassive,
無感動の、imbroglio, 紛糾、ignominious, 不名誉な、
homily, 説教、等で失点しており、周回が必要か。

 仏検対策は語彙とディクテ。語彙は何度も周回する
必要があるのだが、それには暫し時間が必要であり、
精進あるのみだろう。

 次回の投稿は12/25(土)になります。

 では。

December 21, 2010 in 学問・資格 , 雑記 , 
Dec 21, 2010 22:29  Comment (0)  | Dec 21, 2010 22:29  Trackback (0)   

December 20, 2010

第159回TOEIC、経過報告。

 私的な感想を申し添えれば、私は人参など欲していない
といったことを先日の記事に付け加えるべきであったが、
それは自力で丹誠込めて栽培すれば良いだけのことだと
いったことに加え、好きにすれば良いといった考えを否定
するものでもない、そして破れかぶれとは違うといった点
を付け加えておくことにする。

  Listening    Reading     percentile       Total    
420405 L 83  R 90 825
×××××

 基本的に物量作戦とは持てる者が強いことを否定でき
ないが(それはネイティブが有利でしょう、但、誰しも
何らかの言語においてネイティブであることに変わりは
なく、それを多寡こそあれ適切に活用することを放棄し、
楽に考えるために弱点とみる考え方は冷静に振り返ると
何か誤解がある気がしてならない..確かに別物と割り
切るのが賢明だが、それを捨てない強さが現代には必要
ではなかろうか..)、外国語として英語に触れる者の
強みがあるとすれば、それは他の外国語に触れる機会を
増やした時に発揮される適用力を含め、総合力で表現
できる舞台を増やしていくといった挑戦する力といった
ものが挙げられると考えているが、勘違いかもしれない
が外国語として英語に触れる者だから語れる視点が十分
あることを肯定する場が少ない気がしてならないのは
付き合いに偏りがあるせいだろうか。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
7/14。forestall, 〜をだめにする、gambol, frolic,
はしゃぐ、froward, 御しにくい、fulminate, 聲高に
非難する、fractious, 手に負えない、unruly, 言うこと
をきかない、glib, 口の達者な、gossamer, 薄く繊細
なもの、等で失点しており、周回が必要か。

 仏検対策は語彙とディクテ。のんびりと進めて
いるが、このペースを変えるつもりは当面なく、
じっくり構える姿勢にも変化はない。

 明日もがんばろう。

 では。

December 20, 2010 in 学問・資格 , 英語 , 雑記 , 
Dec 20, 2010 23:11  Comment (0)  | Dec 20, 2010 23:11  Trackback (0)   

と或る新書を購入して(多分問題発言として扱われるのだろうか)、パート1。

 文春、新潮系統には関心がないのだが、学生時代によく
聞いたことのあるJoseph Nyeの名に惹かれてやや過激だな
と感じることはあれど、読み始めてしまった(実際の
ところWikiLeaksの影響はどの程度あるのだろうか)。

 国益及び世界的規模の利益として、日本が核非保有の道を
歩むことがイラン、トルコ、サウジアラビア、エジプトと
いった国々の非核化、つまり核の不拡散に繋がることになる
との提言だが(私はここまで異論を述べないで読み進めて
いたが)、そもそも核保有の利益(この言葉は経済的な
価値観を連想させ適切ではないが、そもそも兵器保有に利益
などといった言葉を安易に用いて良いのか、競争優位条件
といった意味で解釈するのが妥当ではなかろうか、いや競争
といった概念を持ち込める領域なのか、それでは何と表現
したら良いのだ、安全保障優位条件か、といった問題を内包
しているのだがここでは仮に利益といった語を用いることに
する)を上回る利益を核非保有が肯定することを、誇りを
持ちながらか否かは個人に依存するものの、提示し続ける
意義を示す必要があるのだが、大事な問題は自由に議論する
ことが肝要だとの考え方に随うことがあり(本書では当然の
話だが肯定の立場で説明がなされているが)、つまり利益に
対し、それを言うなら、安全保障領域に絞って考えるのか、
一国家群の健全な発展といった領域で説明するのか、それ
とも今後数十年といったスパンの地球規模で考えるのかに
よって、やや多様な見方があるだろうと考えることはあるが、
責任あるステークホルダーといった考え方に対して異論を
唱えている訳ではなく、しかし少々難しい議論が続くことに
なるかなと考える節がある(私自身は平和主義者の1人である
と考えており、物事を重層的に把握したいとの考えをもって
いるぐらいは述べても問題は少ないだろうと考えているが、
しかしこの発言は暗に言論の自由といったものをどの程度
尊重しているのだといった見方に繋がるのだが、もちろん
同時に日本固有の歴史事情について触れる必要があること
も重々承知している..)。

 平和と安全保障に関する話では言葉を注意して選ぶ必要
があることをしっかりと理解しているつもりだが、身の
回りに語り合う仲間が少ないといった現状がマイナスに
影響しているかもしれないといったことに、今回の記事の
執筆を通じて、気付いたところだが、そんなことを言って
も現実は進んでいるといったことを重く受け止める必要が
あるだろう。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
3/17。fawn, こびる、fallow, 休閑、fetid, 臭い、stinking,
くさい、facetious, こっけいな、felicitous, 適切な、
apropos, 適切に、fatuous, 愚かな、fell, 伐採される、
florid, 赤らんだ、ford, 浅瀬、wade, (水の中を)歩く、
foment, 〜を助長する、flip, 軽薄な、filibuster, (長い
演説による)議事妨害、filigree, 金線細工、flout,
あざけり、等で失点しており、周回が必要か。

 仏検対策は語彙とディクテ。引き続きのんびりと
進めており、勝負する気があるのかと問われれば、
折を見てといったあたりになろうか。

 明日もがんばろう。

 では。

December 20, 2010 in 学問・資格 , 雑記 , 
Dec 20, 2010 1:05  Comment (0)  | Dec 20, 2010 1:05  Trackback (0)   

December 18, 2010

昔話ばかりしていても仕方がないのだが、所謂文科系の専門課程に所属して考えていたこと(今回は全く専門的な話ではない)、パート3。

 学部教育を軽視する意図は決してないのだが、大学時代
に習得していた方が好ましいとされる幾つかの分野を卒業
後にお浚いしていた状況を鑑みると、専門性を獲得する
ために意図されたカリキュラムに雁字搦めにされていた
ことは、私のスタイルと異なっていたかなと感じることが
あり、それはどこの大学であれ良くあることだろうと考え
ている。

 ただ300〜500人クラスの大教室で一年間講義を聴講せよ
と言われても、何かの講演会を一年間聴講しているような
もので、講義とは関係なしに己の課題を進める姿勢が身に
付いてもそれは仕方がないことと思われ、弁解している訳
ではないが知的好奇心を満たすためには大学の外へ出て
行かざるを得ないといった状況にあったことは(例えば
国際法の講義をされる著名な方の話を聞く機会があったが、
恐らく20年変わらず同じノートを読み上げるだけといった
講義が続いていると言ったら、文科系の学生の専門性を
問う前にやることが幾つもあるだろうと言いたくなるのは
自然と生じる考え方の一つになるだろうと言ったら、それ
はそれでまた多方面から色々耳の痛い話を聞かされること
に繋がるのだろう)、マスプロ教育を経験したものなら
幾分理解してもらえるだろうかと言ったら、それは甘え
だとの答えしか返ってこないことも重々承知している
(ただこの問題は昔から批判されてきたにも関わらず未だ
に続いている、そして本稿の意図は批判にある訳ではなく
現状認識を共有するところから始めようといったことに
ある..)。

 大学時代の友人は大学院進学に対し「こんなところの
大学院に進むなんて見栄以外の何物でもない!」と言い
切っていた、他方で大学院時代の後輩から「なんでそんな
ところに行ったのですか?」と詰問されることもあった
ことは事実であるが、研究とは元来一人でやる物だから、
環境の問題を嘆いても何も始まらないといった類のことを
話していた様に記憶している。

 ただこういった環境に置かれている文科系の学生に
対し、私が人を選ぶ立場であるならば、「あなたは学生
時代に何に打ち込みましたか」、「あなたが学生時代に
得た成果とは何ですか」といった質問はしないだろうな
と考えることはあり、「打ち込める物を探すのに精一杯
だった」、「精一杯やったが成果には繋がらなかった」
といった回答で「十分社会性がある」といった評価を
下すだろうと考えている(それは1000人単位で面接を
するなら、こういった回答が撥ねられることは重々承知
しているが、それは見方を変えれば「あなたは恵まれた
環境にありましたか?」と尋ねているのと同義であり、
それでは今では死語に等しいガッツやハングリー精神と
いったものを評価する余地がないではないかと考える
ことがあるからだ(ただ私は体育会系の人間とは話が
合わないタイプで、自由なハングリー精神がもたらす
可能性に一定の評価をしているにすぎないと言ったら、
「お前は何様だよ!」と突っ込みを入れられるのだ
ろう..)。

 それで本題に戻るが、学生時代に「アメリカ人はそれ程
政治家やメディアを信用している訳ではない」といった
話を聞く機会があり、それはアメリカと日本の投票行動
の違いについてレポートを纏めているときに耳にしたこと
だが、何を言いたいかというと、アメリカ人の政治意識を
二峰分布で表現し、その投票行動が一つの政党の政策群に
対するリスクを分散させる形でなされているといった理由
付けがなされていたことを今でも記憶しているのだが、
つまり先程は昔から言い表されてきたマスプロ教育の弊害
をやや強調する形になったが、20人規模のゼミナールが
機能することにより(それでも結構な人数だが..)、
補完していると申し添えてもそれは全体の不満を吸収する
には充分な量ではないのだが、システムとして一応の体裁
を整えていたといっても構わない状況にはあった、しかし
学部時代、分析に用いるアプリケーションとして、理学系
ならMATLAB、経済系ならTSP、政治系ならSPSS、等を
薦められることが多かったが、実際のところFortran, C,
Javaでコードを書いてみないことには分かったと言い切る
ことはできず、実際そうしようとすると「そんなことは
やらなくても良い」と言い切られ、しかしドクターコース
の学生は自力でコードを書いているといった現状を見ると、
元来研究とは一人で進める性質が強いのだから、そうなる
ことも自然な流れであろうといったことになろうか(しかし
それは意見交換することの意義を否定している訳ではなく、
寧ろ積極的にそうしなければ取り残されてしまうといった
現状もあるが、取り残されたとしてもどうと言うことはない
ことも事実である..開き直っている訳ではない..)。

 纏まりのないおよそ専門性とは縁の薄い話が続いたが、
この続きはまた機会があればそのときにすることにする
(誰も期待してないよといった反応が返ってきたとして
も、そんなものさで先に進むのみだが..)。ここから
が今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
2/14。esoteric, 難解な、exact, 要求する、exculpate,
〜を免れさせる、evince, 〜を明らかに示す、excoriate,
〜を激しく非難する、scathingly, 痛烈に、exonerate,
免除する、expiate, 〜を償う、extent, 現存している、
extirpate, 〜を根絶する、exhort, incite, 〜を促す、
exigent, 差し迫った、expatiate, 〜について長々と話す、
expurgate, 削除する、等で失点しており、周回が必要か。

 独検対策は語彙と聞き取り。のんびり進めていること
に変わりはなく、それで勝負になるのかと問われれば、
まあこんな時期もあるさといったところ。

 明日もがんばろう。

 では。

December 18, 2010 in 学問・資格 , 雑記 , 
Dec 18, 2010 20:14  Comment (0)  | Dec 18, 2010 20:14  Trackback (0)   

December 17, 2010

これを語るには時期が早いのだが、所謂文科系の専門課程に所属して考えていたこと、パート2。

 文科系の専門課程といった言葉に違和感を感じるのは、
私自身の履修した専門科目がコース・ワークに沿っていた
からか、偏りがあることを認識していると同時に、そも
そも一括りにできるのかといった問題意識を内在させて
いるからでもある。

 例えば、経済学は数理的思考を活用することはあっても
数理的思考に支配されている訳ではなく(それは敢えて
数値として認識しない考え方の枠組みが内在していること
を指しており)、つまりよく言い古された例をとれば序数
的効用等が該当すると考えられるが、丁寧に説明すると、
リンゴ、梨、苺の選好を考える場合、リンゴ>梨、梨>苺の
関係が成立していたとすると、推移律が働くならば、
リンゴ>苺といった関係が成立しそうだが、経験上人間の
選好には推移律が働かないことがあり、苺>リンゴといった
関係が成立がしてしまうことがあり、それは人間が合理的
な選好をしていないからだといった面を強調するのでは
なく、数理的思考より自由に好き嫌いを選んでいるからだ
といった説明がなされる場合があることはミクロ経済学の
テキストが記している通りである。

 つまり形式論理学が説明する世界とは異なった世界が
展開されている訳で、一見すると非合理な人間の行動を
合理的に説明しようとしている姿勢を肯定的に眺めよう
とすることに問題が内在していないかと言えば、否と
答えることも一つの考え方だと思われる節がある(矛盾
を矛盾として取り扱う立場を否定している訳ではない)。

 ところで私が学生時代に聞かされたことに「最近の
新聞記者はよく勉強していない」といったことがあり、
それは選挙に関する世論調査の報道を指しているのだが、
つまり、政党の獲得議席を50±2と表記する場合、±2
は信頼区間を示しているのだなと理解することができる
のだが、50+2〜+4といった表記になると2人増〜4人増
といったことは理解できるが、信頼区間として表記する
なら、53±1と表記し直すべきではないかといった問題
提起になり、実際のところ新聞記者やテレビ局の報道部
の人間は会社員であるから、出口調査の予想を臨場感を
もって伝えることを第一義にし(そうでなければニュー
スや記事が売れないといった現状があるのだろう)、
本来信頼区間をもって算出された数字でありながら、
それを考慮しないといった土壌があるのは、アカデミ
ズムを活用することはあっても支配されている訳では
ないといった、前段の件と類似した例に思われるかも
しれないが、根本的に異なる点はそれが関係者の都合を
優先させているだけに過ぎず、何ら一般性を伴う物では
ないといったことになり、それが故に昨今問題になって
いる事情、つまり会社員にジャーナリズムの役割は
務まらないのではないかといった見解からくる新聞、
テレビ離れの現象が説明されるとしたら(もっともそれ
以前から問題点の指摘は続いていたが..)、この傾向
は今後とも続くことだろうとの見方を否定することは
難しいだろうと思われてならない。

 それで本題に戻るが、一括りにすることが難しい
文科系の専門課程を纏めることに意義があるのかと
言えば、纏めれば纏める程専門性が薄れ「役に立つ」
とは言い難い状況が続く中、例えばマルコフ行列を労働
市場に適用して、ある政策の前後における世代別の推移
行列を分析して、異業種間の人の移動が世代を超えて
減少しているといった結論が得られたならば、その政策
は社会のダイナミズムを削ぐものであるといった提言に
繋がるかもしれないが、この視点は計量経済学を修めた
ものの見方になり、専門性を薄らげれば薄らげる程、
何の「役に立つ」のか不明確になりがちであることも
事実である。言い換えれば、内測度を当て嵌めることが
できない面積が0の領域に外測度のみで内測度を定義し
直すことができれば可測となるといったルベーグ積分も
それ自体では何の「役に立つ」のか不明確になりがちだが、
確率等(縁起の悪い話だが、企業の倒産確率であれ何で
あれ..私は保険数理を専攻している訳ではないが..)
を計算しているときに面積が0の領域も含めて積分したい
ときに「役に立つ」と言えることはできるだろう、しかし
一般論を議論しているときに何の「役に立つか」を透徹
することは難しい話になるであろうことが予想され、先
にも述べた、文科系の専門課程で行われている議論は
一般論としての性質を有するものが数多く存在し、そこに
専門性を求め「役に立つ」ことを追求する姿勢は、少し
先走ったものの考え方ではないかと考えるときがあり
(実用化の見通しがあって研究・開発が可能になるのは
当たり前のことだろうといった見方を否定するものでは
ないが..)、医学の基礎研究に従事している方々、他方
理学の立場で研究に従事されている方々から応援を仰ぎ
たい心境であることも事実である。

 漠然と思いを書き散らしているように見受けられるかも
しれないが、大学院時代の研究室から学んだことであるが、
「広く一般的に役に立つといったことは実は全然役に立っ
ていないことの裏返しでもある」といった言葉が文科系の
専門課程を説明する言葉として適当か否かは読者の皆様の
ご判断を仰ぐしかないが、専門性が高まることと抽象性が
高まることが相互に関係している様な分野では、役に立つ
といった考え方を取り入れるのが言葉の定義にもよるが、
やや難しいのではないかと考えるときがある。

 この続きは機会があればその時に記すことにする。
ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
6/13。episodic, 時たまの、ephemeral, fleeting,
束の間の、equivocate, 曖昧なことを言う、equable,
変化のない、epicure, 美食家、equanimity, self-
possession, 落着き、erratic, 一定しない、等で失点
しており、周回が必要か。

 独検対策は語彙と聞き取り。のんびりと進める
方針に変更はないが、物量作戦を変更するつもり
はなく、精進あるのみ。

 明日もがんばろう。

 では。

December 17, 2010 in 学問・資格 , 雑記 , 
Dec 17, 2010 12:49  Comment (0)  | Dec 17, 2010 12:49  Trackback (0)   

December 16, 2010

これを語るには時期が非常に早いのだが、所謂文科系の専門課程に所属して考えていたこと、パート1。

 教養課程と専門課程の区別に関してそう厳密になるべき
ではないといった見方がある一方で(つまり楔形のカリ
キュラムが普及している現状を鑑みてといった意味だが)、
要求される高度な専門性に対し一般的な定義を与えている、
つまり仕事で要求される水準に達しているか否か等の事情
を抱えている分野が多いことは重々承知している(主に
工学系を念頭に言及しているつもりではあるが..)。

 アカデミズムをどう把握するかによって、専門の意味
に違いがでてくると思われるが、「役に立つ」といった
ことをどう把握するかにも依存する問題と考えており、
私自身は定義そのものを幅広く捉えたいといった立場に
いることを最初に申し添えたい(こう話すと理学系の
立場をもう少し考慮しろといった声が出てくるのだが)。

 私は、それでは教養課程と変わりないではないかと指摘
を受けそうな雰囲気の中、マジョリティの特性やマイノリ
ティの特性と相互関係、過去及び現在の民族的特性とその
影響、ある事象が与えるある層の特性の内的及び外的変化
の認識に対する新しい枠組み等、色々あるが、主に人々の
考え方に理論的背景を与え、それに対する理解を共有する
ことが幾つかの文科系の学問の中に包含されているのでは
ないかと考えており(それでは衒学ではないかとお叱りを
受けそうな中、そういった趣旨ではないといった立場に
立っている)、つまり端的に言えば、社会常識の背景に
ある考え方を説明する役割があり、それは人間社会の健全
な発展に寄与するだろうといった見方に時として立つこと
があることを否定できない。

 「役に立つ」と言っても、広範囲においてそうである
といった意味合いのため、限られた分野でそうである工学
と比較すると、技術の利益は技術者に還元されるが、文科
系の専門課程に所属して得られる知識及び考え方とは、
その利益を皆に還元する性質を有するため(もちろん工学
の普遍性を否定している訳ではないが)、慈善家とは異な
るが、短期の視点で成果を出す必要に迫られている企業人
とは接点が少ないことも事実である。

 例えば学部3〜4年のレベルで話をさせて戴くと、「
何故、産業の保護、育成が必要とされながらも、自由貿易
が全体として好ましいとされているのか」といった問いや、
「どの程度寡占市場や独占市場は完全競争市場に対して
経済厚生を損ねているか」といった問いに対して、ある物
の見方(立場によって多様な見方があってしかるべきだが、
この国は他国を見倣うことが多いため、立場固有の多様性
が見方に反映されていない..)を提示することができる
様にはなるかもしれないが(しかしこの程度なら義務教育
の子供でも理解できるロジックだが..)、それは選挙の
ときには役に立つ知識かもしれないものの、実生活を豊か
にするかと問われれば、それは実生活が要求する知識を
別枠で獲得する努力を続けなければならないといった知恵
を身に付ける必要があるといった結論になることが、工学
と違うとも言えるところである、つまり、常識を支える
バランス感覚を理論的に説明する能力を養成している特性
のため、専門性の獲得が意味するところを健全な社会性の
獲得ぐらいの意味合いに押し止めるベクトルが働いている
一方、健全な社会の発展のダイナミズムを多様な方法で
支持するぐらいのことはやっても構わないだろうと考え
たくなるときがあるのも事実だ。

 但し現実を忘れなければ、といった条件は常に付き
まとうだろう。文科系の専門課程に対する社会からの
要請が多々あることを耳にする機会が多いが、それは
大学院の方に上がっている声であり、学部に対してそう
した声があるとの話を聞く機会がないのは、工学とも
同様ではないかと考え直すときがある。

 この記事はやや書きにくかった、つまり「所謂
理科系の専門課程に所属して考えていたこと」と
タイトルを打ったとしても、やはり物理ならこう、
機械ならこう、といった具合で理科系の全体像を
イメージしながら記事を書くのは結構大変なこと
ではないかと考えることがあるからだ。私も専門
外の事柄を包含させながら話を進めるのに苦労した
が、また機会があればそのときに纏めてみたい。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
2/13。dissolution, 溶解、dissemble, 真実を隠す、
dross, 不純物、dupe, だまされやすい人、disparage,
〜を見くびる、dissonance, 不協和、distrait, うわの空、
eclectic, 多方面に亘る、ebullience, 元気のいい、
egress, 出口、edifying, 啓発、等で失点しており、
周回が必要か。

 独検対策は語彙と聞き取り。これを周回したら
次に移る予定だが、じっくり取り組む必要があり、
まあのんびり進めても問題は少ないだろう。

 明日もがんばろう。

 では。

December 16, 2010 in 学問・資格 , 雑記 , 
Dec 16, 2010 20:12  Comment (0)  | Dec 16, 2010 20:12  Trackback (0)   

問題の多い発言が続くが、専門課程での外国語教育を振り返って。

 教養課程が終わると専門課程に移り、研究室で外国語で
書かれた論文を読み込む時期に移るのだが、確かにこの
時期に沢山の文章に触れることは事実だが、テーマが専門
に限定されるため外国語の運用力が高まるのかというと、
外国語を苦手にしていた僕自身の経験を語ると、その気に
はなるのだが実際のところ運用力に向上はなく、運用力が
専門課程で要求されるテーマに適応した程度だったかも
しれないなと考えることがある(それを向上と言うのだと
いった突っ込みは暫し抑えて戴きたい..)。

 つまり専門課程の論文は表面上読み込めるのだが、
多岐に亘る生活外語の知識が欠落しており(実際のところ
それだけではないが..)、新聞、雑誌を読み込むレベル
には達していないといった状況になりがちで、さらに言う
と外国語の運用力を問われるような文章の解釈に難を抱えて
いる状態でもあるから論文を隅々まで理解したとは言い難い
状況にもなる。

 言い換えれば、例えばTOEIC, TOEFLで一定以上の成果
を上げているなら(別に他の指標でも構わないが..)、
最低限生活外語についてこれこれのことはできるだろうと
いった類推に繋がるのだが、専門課程の論文の読み込み
のみで外国語力をつけたとすると、論文しか読めない外国
語力の養成に繋がり、それをもって外国語の運用力の向上
と解すると、論文を読み込んだと言っても数式と数式の
行間、専門用語と専門用語の行間を読み込むことはできて
も、一般の例え話の寓意の解釈等に難を抱えた状態となり、
マイナーポイントを含むが真の理解に達していないにも
関わらず先へ進むといった状況になり、外国語の洪水に
慣れることはあっても整理されていないといった状況を
招きやすい事実に繋がることになる。

 これはリーディングに限定して話しているのだが、
聞いて、書いて、話すを含めると、元来専門課程で
外国語に触れる経験は外国語の運用力を高める場
ではなく、外国語の運用力を披露する場であると
解釈することが自然で、実態はそれとはかけ離れた
方向にないだろうかとの懸念が存在している(そんな
当たり前の話を今更蒸し返すなと突っ込みを入れられ
そうな気もしている)。

 学生時代によく「研究室で沢山のテキスト、論文を
読み込み外国語を鍛えました」といった話を耳にした
のだが、それは誤解ではなかろうかといったことが
現在の私の見解で、論文とは別にメニューを用意しない
と外国語の運用力の向上はもとより維持すら難しい
だろうと言ったら「揚げ足をとるな!」とお叱りを
受けるだろうか。

 別に何かに対し批判をしている訳ではなく、何か
一つのことを突き詰めたいときに他分野の知識が必要
になることが往々にしてあり、それは別メニューとして
組み込まないと、結局のところ中途半端な理解で終わっ
てしまうのではないか、つまり専門は入り口であり、
出口は複数の専門の集合体であるといった認識を現在
抱いているがために、色々やることが増えている現状
に対し、ご理解を戴ければ幸いである。

 いや、昔を振り返ると恥ずかしい話が次から次へと
出てくるが、進歩しているならばそれで良いではないか
と寛大な心を示してくれることを期待している我がいる
が、「そう甘くはないよ!」と語る我がいることも事実
である。

 纏まりがない文章になったがこんなときもあるだろう。

 明日もがんばろう。

 では。

December 16, 2010 in 学問・資格 , 雑記 , 
Dec 16, 2010 0:27  Comment (0)  | Dec 16, 2010 0:27  Trackback (0)   

December 14, 2010

最近やや押しの強い投稿が続いたので、閑話休題。

 もともとあまり語るつもりはなかったのだが、ここは
強く出ねばならないといった場面で自然と引かなくなる
のは生まれついての性格かもしれない(それでもいつでも
引ける体勢にあるのは評論家としての目を育ててきている
からかもしれないが、偉そうなことは言うまい)。

 で、悪い癖だが、ここらで再度のんびりさせてもらう
ことにする。元来、趣味で始めたブログだ!何を遠慮する
ことがあろうかといった思いを大切にしたいからだ。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
5/15。desultory, 取り留めのない、derision, 嘲笑、
detraction, 非難、desuetude, 不使用、discomfit,
〜を挫く、din, 騒音、dilate, 〜を大きく広げる、
diffident, 自信のない、die, 鋳型、diatribe, 痛烈な
非難, denunciation, 公然の非難、等で失点しており、
周回が必要か。

 仏検対策は語彙とディクテ。ここは重点的に
周回する必要があるのだが、色々試したいこと
がある中で、のんびりとした詰めを選んでいる。

 次回の投稿は12/16(木)です。

 では。

December 14, 2010 in 学問・資格 , 雑記 , 
Dec 14, 2010 23:55  Comment (0)  | Dec 14, 2010 23:55  Trackback (0)   

December 13, 2010

TOEIC800〜860が示すことについて、一考察、パート2。

 新聞、雑誌を読み込むためには、英検の対策をした方
が効率が良く、ニュースも同様だが、TOEICはその合間
に受けるものといった感覚があることを前回の記事で記し
忘れたのでここに追記する(そんなの分かってるよ、と
いった突っ込みも当然あるだろうが、言わないより言った
方が数倍ましといった価値観のため、ご託を並べている)。

 TOEIC対策で身に付く語彙では新聞、雑誌は読める
ようにならないので、英語に触れる生活に慣れること
を念頭に置いた絶対量の確保といった意味合い程度しか
ないだろうなと考えることはあるが、それにしても語彙
が簡単すぎるといった批判はノンネイティブ向けの試験
のため仕方がないことかもしれない。

 纏まりのない展開が続くが、それでもTOEICが後押し
されている背景としてその量とスピードを通じた切れ目
のない集中力の養成といった役割はTOEFLでも構わない
のだが、独特のものだろうと感じるときがある。

 ただ普通の外国語学習者は色々と試行錯誤しながら
トレーニングを進めることが多いと思うので、TOEIC
のスコアだけは高いが実生活での外国語の活用がてんで
だめだといった話は私の身の回りではあまり聞いていな
いことを好意的に解釈して戴ければ幸いである。

 それでも何度も繰り返すが、他の試験の合間に受ける
性質の試験といった位置づけに変わりはなく、もちろん
試験特有のこつがない訳ではないが、メインはその他の
メニューにするのが総合的な外国語の運用力を高める
ためには有益ではないだろうかと考える節があり、実際
そうしているのが現状だ。

 現実を語ると、外国語の運用力を高めるために色々と
足掻いてみて、その中で800〜860といったスコアがあり、
それをもとにさらに足掻いてみるといった状況で、つまり
20才の外国語学習者も30才の外国語学習者も辞書を引く
ことには変わりないのだが、その調べる語彙群が年を経て
変遷していくといったイメージが一番分かりやすいと言っ
たら独善的な説明になるだろうか。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
3/6。craven, 臆病な、cozen, だまし取る、demur,
異議を唱える、等で失点しており、周回が必要か。

 仏検対策は語彙とディクテ。まあのんびりと進めて
いるが、今年の敗因はこのゆったりとしたペースにあり、
徐々に追い込んでいければ妥当な経過に含まれるかも
しれない。

 明日もがんばろう。

 では。

December 13, 2010 in 学問・資格 , 雑記 , 
Dec 13, 2010 23:40  Comment (0)  | Dec 13, 2010 23:40  Trackback (0)   

December 12, 2010

TOEIC800〜860が示すことについて、一考察。

 まだTOEICについて語るには早いのだが、現段階で
僕なりの考えを纏めておくことは後日見直したときに
有益となり得るかもしれないと考えることがあり一筆
する次第(たぶん異論続出なのだろうが..)。

 Can-Do Guideが示していることとは別に、TOEICに
対する日々のトレーニングのメニューの蓄積が何を
変えたのかについて振り返ってみたい。TOEICのスコア
とはTOEFL(PBT)に見られるように偏差値を連想させ
がちなのであまり一喜一憂したくないのだが、何が
できるかに絞って話をするならば然程問題視する必要
はないだろうと考えていることが背景にある。

 国内ではTOEICと英検を併用して外国語の勉強を進めて
いる人が多いと思われる中、800を超えた段階で何か英文
を書いてみようかなといった欲が出始めたことは事実で
あり、まだまだ批判に耐えうる水準に達していないのが
現状であるが、細かいニュアンスを伝えることができない
ものの、大筋について一通り外国語でドラフトを記述する
ことに対して億劫さを感じることが少なくなり始めるのが、
この時期だったかなと考えることがある。

 その意味では800も860も然程変わりないのだが、
何か文法書を一冊精読したか否かがR400と430〜の
違いかなと考える時があり(誤差の範疇であることは
重々承知しているが..)、又、新聞、雑誌を読み
込む際、構文を完全に把握できる様になることに
ついては800も860も変わりないのだが、何分スコア
がその回ごとに上下する試験であるため、当たり
外れがあることは否定できない。

 L400と450〜の違いは単純に聞いた量の違いだろう
と考えるときがあるが(これまた誤差の範疇であること
は否めないが..)、以前と発音が違うなと感じるのが
この時期だったのは、メニューに何を加えているかに
依存しているのかもしれない。

 外国語で書かれた新聞、雑誌を読んで、ニュースを
聞くといった生活には慣れているが、細部に亘る知識を
やや犠牲にしている面があり、それは量を確保する以上
仕方がないと割り切っているのが800台の特徴の一つ
かもしれない。またその点が900〜と異なるのだろうと
推測している。

 話すことについては、よく問題にされているようだが、
単に話さないだけで、追い込まれたら皆さんの周りによく
いるように間違った表現を多々使いながらも何とか用件を
こなすだけなので、これは場数を踏めば解消されていく
ものと考えている(はた迷惑な存在だと言われそうな気も
しているが..)。

 全体としてできないことが数多いが、それでも確実に
できることも幾つかあり、努力を続けるならその調子で
進めば良いといった結論を導くことはあながち間違って
いないかなと考えるときがある(これは決して現状に満足
していることを示している訳ではない..)。従って、
採用、昇進の基準に用いる例を耳にすることもあるが、
そういった性質のものではないとの理解を共有できれば
幸いである(つまり職場ではビジネス日本語の使用が
大きなウェイトを占めているだろうと考えているため)。

 TOEICで用いられる語彙は、時折難しい語句を目に
することがあっても基本的には簡単な語句が大部分で
あり、知的刺激を受けるかと言われれば、そういった
ものではないといった回答が妥当に思われるのが大半
ではないかと考えている、つまり800にせよ860にせよ、
基本的な語句の基本的な用法は確実に理解していると
言い切ると、基本の定義に異議を唱える方々と再度お話
をしなくてはならないのだが、そう神経質になる必要は
ないことだろうと考えたい。

 この続きはまた機会があったときにするとして、
ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
4/14。chicanery, ごまかし、coda, 終章、chary, wary,
用心深い、chauvinist, 排外主義者、chimera, 幻想、
coalesce, 合同する、convention, 協定、consequential,
もったいぶった、commensurate, 〜と等しい、confound,
〜と混同する、等で失点しており、周回が必要か。

 仏検対策は語彙とディクテ。のんびりとした雰囲気
で進めているが、勝負するためには覇気といったもの
も要求されるだろうが、今はじっくりと進めたい。

 明日もがんばろう。

 では。

December 12, 2010 in 学問・資格 , 雑記 , 
Dec 12, 2010 21:00  Comment (0)  | Dec 12, 2010 21:00  Trackback (0)   

December 11, 2010

問題の多い発言が続くが、OBにとって早稲田とは何だったのか、パート2。

 前回の記事で、大学は就職予備校ではないが各種スキル
の養成を支援しないと学力の低下のみならず学生の不満を
増大させるかもしれない(事実、相当数の不満が溜まって
いることだろうが、学生は4年で卒業するといったサイクル
に助けられ、問題は今に至っても解決されていない)と
いったことで締めくくった訳だが、話には続きがある。

 そんなことは一人でやれば良いといったことの中に
大事なことが相当数含まれていることをこれまでの経験
が語るのだが、世の中には教えなくても良いことが沢山
あるといった立場を優先させる方々が本当に多いことに
困惑している。

 例えば、地方には私学蔑視の風潮がある。当人の問題
だから立ち入ることはしないが、東京の感覚で話をして
いるといつの間にか暗に攻められているといったことも
こんな地方の文化を尊重しなかったがために起こる悲劇
である。

 東京に優秀な子供が多いとは思わないが、地方に多い
かと言えばそんなことはなく、何を言いたいかというと、
お互いの地域を尊重し合えば良いといったごく普通の結論
なのだが、それができていない人は数多い。

 それで本題に戻るが、一つのヒエラルキーで物事を
語るのを止めにしようといった趣旨があり、世界には
沢山の中心がありそれで物事が進んでいる、だから日本
にも沢山の中心があることを前提にして議論を進めるの
が今まで気づかなかった日本の良さの再発見に繋がって
良いのではないかといったこと、つまり一つのヒエラル
キーとその対極といった二項対立ではなく、複数の中心
が互いに影響を及ぼしながら、前に進んでいくといった
モデルが説明できることが大きいのではないか、さらに
言うなら、軍隊教育を持ち上げる風潮にそろそろ止めを
さしてあげた方がハラスメントの減少に繋がり精神衛生
上好ましいのではないか、ボス、つまり教員や上司を
中心にしたヒエラルキーで物事を考えるからこの手の
ハラスメントが横行する温床が生まれる訳で、複数の
ヒエラルキーを許容できれば、常に他者の目を意識する
ため、間違いは減少するのではないかと漠然とだが考えて
いる。

 それで本題に戻り早稲田とは何かだが、日本に数ある
大学の中心群の一つにすぎないといった見方に落ち着く
までに暫く時間がかかった、それでもこの学校の欠点は
数多くあり、その他の中心群に欠点がないかと言えば
それは通う者が語り合えば良いことと思われるが、ない
訳ないだろうといった当たり前の結論に帰着される。

 過不足なく説明できたかは読者の皆様に委ねるしか
ないが、少々デリケートな話題を取り扱ったため、うまく
バランスをとることができたかは、これまでにも色々横
やりを入れられる中で眺め考えてきたことなので、まあ
機会を改めて説明するときに任せるかもしれない。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
2/11。cadge, mooch, ねだる、brook, 〜に耐える、
boor, 不作法な、broach, 浮上する、calumniate,
slander, 中傷する、castigation, 酷評、caustic,
痛烈な、cajole, だまして〜させる、等で失点して
おり、周回が必要か。

 独検対策は語彙と聞き取り。やや雑に語彙に
取り組んでいる気がしなくもないが、2冊目に
向けて、精進あるのみだろう。

 明日もがんばろう。

 では。

December 11, 2010 in 学問・資格 , 雑記 , 
Dec 11, 2010 21:54  Comment (0)  | Dec 11, 2010 21:54  Trackback (0)   

問題の多い発言だが、OBにとって早稲田とは何だったのか、パート1。

 今から15年以上前の政経学部の講義には強制的に不可を
与えるシステムはなく、興味があれば出席するが、基本的
には日々の講義に出席しないものの試験前だけ出題範囲を
確認しに講義に出席し、自力で一夜漬けながらも勉強して
単位をとっていくといった風潮が一部には存在した(僕は
このタイプだった..)。

 他方では、出題範囲に対する先輩の模範解答を集め、それ
を一夜漬けながらも丸暗記し、単位をとっていくといった
風潮も一部には存在した(要領の良さを売り物にする学生は
このタイプだった)。

 そして当たり前のことだが日々の講義に欠かさず出席し、
模範解答を参考にすることはあっても依存することはなく、
単位をとっていくといった風潮も存在した(大部分はこの
タイプだったと信じたい..)。

 答案だけ見てどのタイプかを判別することは大教室での
講義の試験になると難しい問題になり、それでも教員は
講義に出席したもののみが知っているであろう記述を頼り
に答案を分類することもあったと聞いている。

 他学部出身者から政経は勉強しないな〜と揶揄されること
が多かったのはこの様な事情が背景にあったからだろうと
想像することがあるが、一番の問題である講義の内容に不満
をもつ学生の数があまりにも多いといった現状はどこの大学
とも変わりないのではないかと考えている。

 語学は基本的に訳読のみで、会話の講義と言えば
ネイティブが一方的に外国語で90分間自説(その意義を
否定している訳ではない)を話すのみで、コミュニケー
ション能力の養成とはかけ離れた状況だったとの認識を
抱いている。高校・大学を通じてライティングの講義を
聴く機会は一回もなく、留学経験者を除く教員は人前に
自分が書いた英文を晒すことは非常に勇気がいることだ
との立場を堅持し、況や学生に英文を書かせる教員は少数
派だったと記憶している。

 理論からの逸脱を嫌う学部の雰囲気のため、理論を、
外国語を、ツールとしてどんどん使う教員や学生はそれ
となく嫌みを聞く機会が増えるのは僕の偏った付き合い
のせいだろうか。

 問題の所在はシステムではなく人であるとの認識が
学生の間には共有されていた。但し当時のカリキュラム
は褒められたものではなく、現在に至るまで改訂に次ぐ
改訂が続いているといった認識も存在していた。

 早稲田に限らず学生が卒業後成長することが多いと
言われる所以はだいたい理解して戴けたかと願っている
が、その根底にアカデミズムを理想として掲げること
とスキルとして把握することとの乖離が一部に存在して
いることが原因ではなかろうかと考えたくなるときが
あり、大学とは何かとの問いが生まれることになる。

 この続きは機会があればその時に書くことにする。
ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
3/11。baleful, 不吉な、auspicious, めでたい、beatify,
列福する, れつふくする、austere, 質素な、bare,
飾りのない、bane, 破滅の元、blandish, こびへつらう、
boisterous, 騒々しい、bedizen, 〜をけばけばしく飾り
たてる、等で失点しており、周回が必要か。

 独検対策は語彙と聞き取り。これ一冊で全てが
うまくいくとの期待は一切しておらず、組み合わせ
てどうなるかが、勝負を左右するだろう。

 明日もがんばろう。

 では。

December 11, 2010 in 学問・資格 , 雑記 , 
Dec 11, 2010 1:31  Comment (0)  | Dec 11, 2010 1:31  Trackback (0)   

December 09, 2010

問題が溜まっているようだが。

 年末年始に読み込む本の候補はあるが、それはこれまで
に読み切っていなかった本の消化に該当しており、今回で
〆に至れば良いが..とその先の展望に至るまで一山二山
ある模様。

 最近は作業の量が増加したことも相重なり、のんびり
する時間をなかなか取れなくなっているが、ゆとり重視
の方針に変更はない。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
1/12。arcane, 分かりにくい、arduous, strenuous,
努力を要する、ascetic, austere, 厳しい、articulate,
はっきり発音する、auspice, 保護、augury, 前兆、
assuage, 〜を和らげる、astringent, 辛辣な、
aspersion, 聖水散布、attenuate, 〜を細くする、
assiduous, 勤勉な、等で失点しており、周回が
必要か。

 独検対策は語彙と聞き取り。ドイツ語を使う
場面を増やすことにより、基本語句の定着を図り
たいところだが、そう一筋縄にはいかない模様。

 明日もがんばろう。

 では。

December 9, 2010 in 学問・資格 , 雑記 , 
Dec 9, 2010 11:06  Comment (0)  | Dec 9, 2010 11:06  Trackback (0)   

December 08, 2010

How to start Oracle Solaris 11 Express build 151a installed on the secondary HDD with the Windows Boot Manager

The quintessence is to make a few modifications on the
first 512 bytes of the boot record copied with dd, which
is a common Unix program. For example, therefore,
something like a binary editor such as bvi may be
necessary. I also referred to the helpful website,
Nobusan's Square, which was written in Japanese, so
I'd like to translate and introduce a part of the main
points. The URL is given below.
http://www37.tok2.com/home/nobusan/

1. After starting Oracle Solaris 11 installed on the
   secondary HDD, the first 512 bytes of the boot
   record need copying. The command lines to
   confirm the partition table and copy the blocks
   are given below.

   # prtpart /dev/rdsk/c7d0p0 -ldevs

Screenshot201001
        Figure 1  /dev/rdsk/c7d0p0

   # prtpart /dev/rdsk/c9d0p0 -ldevs

Screenshot201002
        Figure 2  /dev/rdsk/c9d0p0

   # dd if=/dev/dsk/c9d0p3 of=osol.bin bs=512 count=1

2. According to the above website, we modify osol.bin,
   which is the first 512 bytes of the boot record
   copied with dd. We substantially make alterations
   in the first 6 bytes of the file, osol.bin. I specifically
   say I needed to change the 1st byte EB into B2,
   the 2nd byte 48 into 81, the 3rd byte 90 into EB,
   the 4th byte 00 into 46, which was the number
   we could obtain when subtracting 2 from the 2nd
   byte 48, the 5th byte 00 into 90, and the 6th byte
   00 into 90. The example to make an amendment
   is given below.

Screenshot201003
      Figure 3 Before Alteration of osol.bin

Screenshot201004
      Figure 4 After Alteration of osol.bin

3. We need to rewrite menu.lst in grub not to request
   the secondary loader on the primary HDD but
   on the secondary HDD. To put it concretely,
   I needed to change the line findroot(pool_rpool,1,a)
   into root (hd1,2,a), which was the partition where
   I installed Oracle Solaris 11. The example is given
   below.

Screenshot201005
          Figure 5  menu.lst

4. We copy osol.bin in the FAT32 partition, and then
   in the root directory on Windows C drive. Next
   we use Windows console which requires
   administrative privilege. The command lines are
   given below.

   > bcdedit /copy {ntldr} /d "OracleSolaris"
   > bcdedit /set {GUID} device partition=C:
   > bcdedit /set {GUID} path \osol.bin
   > bcdedit /displayorder {GUID} /addlast

5. Now we can start Oracle Solaris 11 with the windows
   boot manager.

Finally I am happy to assist you in starting Oracle Solaris
11 Express build 151a installed on the secondary HDD with
the windows boot manager.

December 8, 2010 in パソコン・インターネット , 学問・資格 , 雑記 , 
Dec 8, 2010 17:05  Comment (0)  | Dec 8, 2010 17:05  Trackback (0)   

December 07, 2010

設定を継続中、パート15。

 Blastwaveを用いてeclipseをインストールする際、
半年前の問題が解決されているだろうかと考える時が
あり、他の選択肢を模索する必要があるかもしれない。

 それでも前半部分については大筋が描けており、
それを元にファイルを作成すれば、何某か成果に
繋がるかもしれないといった見通しを抱いている。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
3/13。anathema, 呪い、anodyne, 鎮痛剤、antagonize,
〜に反感を持たせる、appropriate, 〜を収容する、
confiscate, 〜を没収する、apostate, 背教者、
apogee, 絶頂、antithetical, 相反する、approbation,
賞賛、apposite, 適切な、apprise, 知らされる、
apocryphal, でっちあげられた、spurious, 偽造の、
等で失点しており、周回が必要か。

 仏検対策は語彙とディクテ。chaque jour, 毎日、
charger A de B, AにBを積む、mi-chemin, 中途で、
chercher à inf, 〜しようと努める、en chœur,
声をそろえて、au choix, より取りで、de tout
cœur, よろこんで、等の基本語句を押さえていく。

 明日もがんばろう。

 では。

December 7, 2010 in 学問・資格 , 雑記 , 
Dec 7, 2010 22:40  Comment (0)  | Dec 7, 2010 22:40  Trackback (0)   

設定を継続中、パート14。

 Firefox4.0b7になってステータスバーの表示や言語
パックの扱いに若干変更があり、じりじりとした歩み
を示しているが、まだまだ調査を進めるべき項目が
多岐に亘っている。

 ある程度纏まった段階で何某か報告できることがあるか
と思われるが、まだ目処が立っていない状況のため、何が
加わるかについて成り行きを見守る時期が暫し続くかも
しれない。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
3/10。abscond, 逃亡する、abscission, 切断、
accretion, 増大、abjure, renounce, 破棄する、
adumbrate, foreshadow, 〜の前兆を示す, 〜の前兆
となる、adulation, お世辞、admonish, 忠告する、
等で失点しており、周回が必要か。

 仏検対策は語彙とディクテ。jusqu'au bout, 徹底的に、
un brin de qc, わずかの、brûler de inf, 〜を熱望する、
établir le budget, 予算を立てる、en tout cas, とにかく、
en ce cas, それなら、au cas où cond, もし〜なら、
sans cesse, たえず、等の連語を押さえる必要がある。

 明日もがんばろう。

 では。

December 7, 2010 in 学問・資格 , 雑記 , 
Dec 7, 2010 0:21  Comment (0)  | Dec 7, 2010 0:21  Trackback (0)   

December 05, 2010

ETS英語リーディング能力リサーチに参加して。

 Lexile measureが1270Lと判定され、スコアの説明に関し、
職場で用いる語彙は水準に達しているが、新聞・雑誌を読み
込むにはまだ語彙が足りていないと大雑把に解釈したが、
実際の所まだまだなんだよなと感じることが多い。

 試験の形式はiBTで、制限時間は75分になり、普通に
解いて20分ぐらい余る分量だったことを記憶している。
またWinかMacの使用が推奨されており、Solarisでは.asp
が正しく表示されなかったことを追記する。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。reverent, 敬虔な、belie,
〜を誤って伝える、hackneyed, 使い古された、avarice,
貪欲、repine, 不満を抱く、list, 傾く、bane, 破滅のもと、
impassive, 冷静な、indefatigable, 疲れを知らない、
salubrious, 健康によい、等で失点しており、周回が
必要か。

 仏検対策は語彙とディクテ。aussitôt que ind, 〜する
や否や、d'autant plus que ind, 〜であるだけいっそう、
d'avance, 前もって、en avance, 時間前に、en avion,
飛行機で、par avion, 航空便で、en bateau, 船で、
au besoin, 必要ならば、bien que subj, たとえ〜でも、
等の基本的な連語を押さえていく。

 明日もがんばろう。

 では。

December 5, 2010 in 学問・資格 , 雑記 , 
Dec 5, 2010 20:40  Comment (0)  | Dec 5, 2010 20:40  Trackback (0)   

December 04, 2010

配送された商品が届いた様子。

 今年のカレンダーに、Eugen Strossを選んだが、まあ
例年通りのほのぼのした雰囲気を保つことができて妥当な
選択に含まれるかなと感じるときがある。

 暖かみといったものを重視したいがために色々と
考えることはあるが、やはり維持する力が問われる
場面でもあり、物事は重層的に進んでいく様子。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
intransigent, 頑固な、recalcitrant, 手に負えない、
amenable, 従順な、inimical, deleterious, 有害な、
impassive, imperturbable, 冷静な、implacable,
執念深い、forestall, 〜を妨害する、slake, 〜を
満たす、whet, 〜を刺激する、fetter, 拘束、renege,
放棄する、abrogate, 廃止、waft, 漂わせる、exact,
要求する、travesty, 戯画化、pervade, 全体に普及
する、permeate, 全体に行き渡る、pine, 思い焦がれる、
plangent, 鳴り響く、equanimity, 平静な、self-possession,
平静、sycophant, toady, おべっか使い、epitome, 要約、
quintessence, 典型、episodic, 時たまの、cozen, 騙して
〜させる、等で失点しており、周回が必要か。

 独検対策は語彙と聞き取り。der Biber, 海狸, うみ
たぬき、blitzen, 閃く, ひらめく、bohren, 孔を穿つ,
あなをうがつ、等の漢字の読み方を調べる必要があり、
まだまだこれから。

 明日もがんばろう。

 では。

December 4, 2010 in 学問・資格 , 雑記 , 
Dec 4, 2010 22:12  Comment (0)  | Dec 4, 2010 22:12  Trackback (0)   

December 03, 2010

久しぶりにのんびりした週末を謳歌するか。

 視野を狭めて成果を出す分野があることに異論を唱える
つもりはないが、違和感が増し始めたことも事実である。
まあそんな訳で距離を置いても問題は少なくないだろう。

 改めるまでもなく、好きにすればいいといった方針に
変わりはなく、よく放置と誤解されることがあり困惑する
こともあるが、然程気にすることはないかもしれない。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
2/10。apostate, 背信者、untenable, 防御できない、
recant, retract, 撤回する、rue, 悔やむ、prolix, 冗長な、
tawdry, 派手で安っぽい、pompous, 勿体ぶった、
bombastic, 大袈裟な言葉、natty, 洒落た、pusillanimous,
臆病な、veritable, 本当の、qualms, hesitancy, 良心の
呵責, 躊躇、pious, devout, 敬虔な、penchant, predilection,
強い好み, 特別の好み、sundry, 種々雑多の、peripatetic,
itinerant, 巡回する、trenchant, penetrating, 鋭い、
venerate, revere, 敬う、あがめる、等で失点しており、
周回が必要か。

 独検対策は語彙と聞き取り。die Begegnung, 邂逅,
かいこう、die Bequemlichkeit, 安楽, あんらく、
besinnen, 沈思する, ちんしする、bestehen, 存立する,
そんりつする、bestürmen, 懇請する, こんせいする、
betören, 瞞着する, まんちゃくする、等の漢字の読み方
を調べる必要があり、まだまだこれからか。

 明日もがんばろう。

 では。

December 3, 2010 in 学問・資格 , 雑記 , 
Dec 3, 2010 23:56  Comment (0)  | Dec 3, 2010 23:56  Trackback (0)   

December 02, 2010

ヨーロッパは豪雪か。

 それと無縁の生活をしているためとやかく言う立場では
ないのだが、こんな時期のため仏独の情報は欠かせないと
いった認識を抱いている。

 言語を情報と割り切ることができるかと言えば、それは
感情を伴うものだから、そうは言い切れない見方をする時
があるが、まずは使えないことには始まらない。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
3/10。esoteric, recondite, 深遠な、specious, spurious,
見せ掛けだけの, 偽の、cajole, coax, 騙して〜させる,
なだめすかして〜させる、pugnacious, truculent,
喧嘩っ早い、quail, 怖じける、occlude, obstruct, 〜を
塞ぐ、bedizen, festoon, けばけばしく飾り立てる,
〜を入念に飾る、tirade, 〜に関する激しい非難、
exigent, 差し迫った、exorbitant, 法外な、usury,
高利貸し、proscribe, 法律で禁止する、subpoena,
召喚状、provident, 将来に備えた、等で失点しており、
周回が必要か。

 独検対策は語彙と聞き取り。ausgleichen, 均す,
ならす、ausschließlich, 専ら, もっぱら、ausschweifen,
正路を離れる、せいろ、der Balsam, 香油, こうゆ、等
の漢字を調べる必要があり、まだまだこれからだろう。

 明日もがんばろう。

 では。

December 2, 2010 in 学問・資格 , 雑記 , 
Dec 2, 2010 23:34  Comment (0)  | Dec 2, 2010 23:34  Trackback (0)   

November 30, 2010

Oracle Solarisを試してみて。

 遅ればせながらのレポートになる。再起動のメニューで
「ブートメニューを省略する」にチェックの入った状態が
デフォルトのため、再起動をかけてもGRUBが立ち上がら
ないのはすぐに気付いたが、良くあることか。

Screenshot

 写真はインストール直後にインターネットに繋いだ様子
だが、NICを自動で認識してくれることにささやかな喜びを
感じている。Solaris 11 ExpressはSolaris 10より、Open
Solarisに似ているとの印象を抱くが、基調となる色がブルー
からグレーに変更されていることがまず目につく。

Screenshot1

 写真を見て分かる様に、もう151aなのか、随分時間が
経ったなとの感想を平凡ながらも抱いている。まだ一切
設定を行っていないので、詳細なレビューはこれからと
いったことになろうか。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
10/20。unfeigned, 偽らない、veracity, 誠実さ、
minatory, 威嚇的な、cadge, mooch, 物乞いする,
たかり屋、pedantic, unimaginative, 知ったかぶりの,
独創性のない、steep, saturate, 満ちている, 満たす、
auspice, 保護、tractable, 従順な、countenance,
〜を支持する、engender, 〜を生じる、等で失点して
おり、周回が必要か。

 仏検対策は語彙とディクテ。une carte d'abonnement,
定期券、à l'abri de qc, 〜を避けて、un film d'actualités,
ニュース映画、ainsi que n, 〜と同様に、à l'aise, 気楽な、
un sifflet d'alarme, 警笛、une boîte d'allumers, マッチ箱、
après tout, 要するに、等の連語を押さえる必要がある。

 明日もがんばろう。

 では。

November 30, 2010 in 学問・資格 , 雑記 , 
Nov 30, 2010 22:24  Comment (0)  | Nov 30, 2010 22:24  Trackback (0)   

November 29, 2010

JAVAについて基本書を購入する、パート1。

 過去、峯村さんが書かれた『Javaによるコンピュータ
グラフィックス』を購入していたものの、基礎概念を把握
し切っていなかったこともあって、サンプル・コード集と
しての位置づけが続いており、どうにかせねばと考えて
いた。

 生活圏内の書店に立ち寄り、いいなと思ったのが、山本
さんが書かれた『やさしく学ぶSun認定Javaプログラマ
(SJC-P)』になり、資格自体を取得するつもりはないのだが、
豊富なイラストが挫折感から解放してくれるだろうとの期待
を胸に年末に向けて読み込む本のリストに加える準備を進め
ている。

 それだったらまだこんなに良い本が一杯あると仰られる
方は多いと思われるが、この手の本は評判を参考にすること
もあるが、実際に目で見て決めることが多いため(決して
見た目で判断している訳でなく、分かり易さが決め手に
なっていると信じたいところだが)、選び取っていくのに
時間が掛かるのは仕方がないことだろうか。

 ここからが今日の課題。

 英検対策は語彙とエッセイ。WSGREの正答率は、
10/20。poignant, 感動的な、vaunt, brag, 自慢する、
meretricious, tawdry, けばけばしい, 派手で安っぽい、
pied, variegated, まだらの、officious, meddlesome,
おせっかいな、wend, 進む、pique, provoke, 〜を
怒らせる、prodigal, profligate, 放蕩する、filigree,
金線細工、limn, delineate, 〜を描く、等で失点して
おり、周回が必要か。

 明日もがんばろう。

 では。

November 29, 2010 in 学問・資格 , 雑記 , 
Nov 29, 2010 22:41  Comment (0)  | Nov 29, 2010 22:41  Trackback (0)   

November 28, 2010

新小岩の東京聖栄大学にて、パート2。

 試験会場に早目に着いても待合室がありそこで最後の
詰めの作業ができるのは良いことだなと感じている。今年
最後の試験になるが、まだまだ始まったばかりとの印象に
変わりはなく、これからも勝負は続くことになろう。

101128152317

 写真は帰り道に見つけたたこ焼きさんだが、お勧めの
メニューを頼むと、葱で味付けした6個入り250円の箱を
勧められることになる。だしが効いていてちょっとした
幸せを感じ取ることになる。

 それで試験の中身だが、ダブル・パッセージに17分しか
残せなかった展開が響き(最近スピード優先から、やや
ゆっくりとしかし確実に取る方針に変えていた)、2問解き
残す経過となるのは、次回で取り戻すしかないだろう。

 作業の量が増えているのでどこかで調整する必要がある
のだが、この傾向は今後とも続くと睨み、改めてパート5で
時間を稼ぐ戦略に戻す必要があろうか。

 調子を崩したのはパート2からであり、3,4で取り戻せた
としても、遅きに失した感があり、対策として物量作戦の
継続が挙げられるかと考えている。

 明日もがんばろう。

 では。

November 28, 2010 in 学問・資格 , 雑記 , 
Nov 28, 2010 19:38  Comment (0)  | Nov 28, 2010 19:38  Trackback (0)   

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