June 2012アーカイブ

コヘインによれば、ネオリアリズムの理論と対照的に、国際システムがアナーキーであるにもかかわらず、ハイポリティックスの外で国家が協調することは可能であった。そしてネオリアリズムの理論と反対に、絶対利得への関心から、相互依存が必然的にシステムの不安定性を示さないのみならず、協調や安定性に貢献するだろうとされていた。

ネオリベラリズムの主張は、分散したシステムにおけるさまざまな協調的な振る舞いの可能性をネオリアリストたちが過小評価していることに対してフォーカスしていた。ネオリアリズムやネオリベラリズムの理論は国家やその利益を分析の主題として認識していたが、ネオリベラリズムはそれらの利益をより広い考え方の中に位置づけており、双方の理論が実証主義的であり、分析の主要な単位として国家システムに焦点を当てていたため、あるパラダイム内部の問題と認識される側面も有していた。

コヘインやナイによれば、国際政治においてリアリストによって想定される経路を含む国家による従来のウェストファリアシステムを超えた社会をつなぐ複数の経路が存在するといったことが非公式な政府との関係、多国籍企業、多国間組織の存在によって指摘されており、国家が単位として合理的に振る舞うといったリアリストによる仮定を緩めたときに、政府を超えた相互の関係が生じ、国家が唯一の単位であるといった仮定を除いたときに、国家を超えた相互の関係が生じ、それはリアリストによって擁護される限定的な国家間のつながりとは異なっているとの指摘が存在していた。

そして彼らによれば、外交政策において軍事力が唯一のものではなく、その軍事力は国家のアジェンダを実行する最高のツールである訳でもなく、最前線に異なるアジェンダが併存していることを意味していた。

また、ライバル陣営との関係で軍の役割は重要であるが、複雑な相互依存が浸透しているときに、軍事力の行使はないものとされ、複雑な相互依存が存在する各国において、紛争解決における軍の役割は否定されているとの議論が展開されていた。

他方リチャード・ネッド・ルボウによれば、ネオリアリズムの失敗はインスティチューショナリストの存在論の中にあり、ネオリアリストであるケネス・ウォルツが「(システム)の創造者たちは彼らの活動を生じさせる市場の創造物になっている」と述べていたことが論拠にされていた。これはアナーキーの苦境から抜け出すことができなかったリアリストによるものであり、国家が状況に適応せず、類似の制約や機会に対して類似の対応をするだろうといった仮定を問題にしていた。

コヘインやマーティンによれば、ネオリアリズムが「国際機関はわずかな影響力しか有していない」と主張し、そのことはEU、NATO、GATT、地域の貿易機関のような国際機関で国家がなす投資に対してもっともらしい説明を与えていないことが問題であった。さらに彼らによれば、どのように潜在的な状況による影響と国際機関自体の影響を区別できるのかが問題とされていた。

しかしミアシャイマーによれば、マーティンによるECに関する研究、特に、ECを背景にした諸問題とイギリスとの関連から影響を受けていたフォークランド紛争におけるイギリスによるアルゼンチンに対する制裁に関する議論は批判の対象であり、アメリカはECの加盟国ではないが、アメリカとイギリスが制裁に対して協調しており、結果として効果的に、加盟国に変更をもたらすアドホックな同盟を生じさせていたと主張していたが、コヘインやマーティンに対して、NATOは同盟であるので特別な関心を集めているといった点を認めていた。

ネオリアリズムは構造主義者による理論であり、それは国家のような分析の単位の振る舞いを決定する唯一の要因は国際システムにおけるアナーキーであると考えており、アナーキーを深く利己的な人間の性質によって説明するモーゲンソーやカーによる古典的なリアリズムの背景にある悲観的な人類学を拒否して、反対に国際秩序の構造による国際的な結果であるアナーキーは国家の下にあるすべての主権をなくすものであると主張していた。

そのため古典的なリアリストたちが国家の第一の関心を人間の性質が要求するパワーの追求の中に眺めることに対し、ネオリアリズムは国家の第一の関心を彼らの安全の中に眺めていると考えていた。このことは、軍事力を増大させることや同盟を築き上げることといった2つのオプションによって達成される可能性を存在させていた。しかしながらネオリアリストたちは国際関係はゼロサムゲームであると考える傾向にあり、そこでは勝利するものは誰でもその相手に敗北をもたらし、安全保障のジレンマやパワーのバランスに対する理論を導いていた。さらにネオリアリストたちは平和と民主主義を連携させる民主的平和論に対して非常に懐疑的であった。

古典的なリアリズムからネオリアリズムへのパラダイムシフトは1960年代に始まるアメリカの地位の相対的な衰退、つまり世界におけるアメリカのリーダーシップの弱体化を恐れたがゆえのことだった。第二次世界大戦後、アメリカは明確な覇権国家であり続け、石油へのアクセス権同様に、核兵器による安全保障とブレトンウッズ体制を通じた経済的安定を保障してきた。これらの経済的優位性のため、古典的リアリズムという広く普及した政治理論における政治的そして軍事的パワーを支える経済的基礎は論じられてこなかった。

しかし1960年代から世界総生産、世界総輸出におけるアメリカのシェアが落ち込む一方、貿易赤字やソ連との軍事的競争による予算の規模は増大し続けていた。1973年のブレトンウッズ体制の終焉は円、ドイツマルクや他の通貨に対するドルの価値の低下をもたらし、第四次中東戦争は第一次オイルショックをもたらし、初めてOPECがそのパワーを行使していた。さらに1973年のベトナムでの軍事的敗北、軍事分野や宇宙開発分野におけるソ連との拮抗、1979年のイラン革命が生じていた。アメリカに対するこれらの危機は古典的なリアリズムに対する危機をもたらし、経済を考慮した新しい理論としてのネオリアリズムを展開していた。そのためネオリアリストたちの目標はアメリカの衰退を押し止めるための政治学を構築することだった。

ウォルツによる「あなたは自身でそれをしなければならない。あなたは他の誰かを当てにすることはできない。彼はあなたを助けるかもしれないし、助けないかもしれない...」との不確実性を示す言葉があり、相互に対する信頼の欠如が重要な仮定とされており、そのことが国際的な国家システムの構造を特徴づけていた。

ネオリアリストによれば、実際に行われている協調の可能性は除外されており、それらは国家の利益のみを反映しているとされており、国際システムの構造として、多極、二極、一極構造が示されていたが、冷戦は二極システムであり、今日の私たちはアメリカを中心とした一極システムについて論じているとされているが、ウォルツによれば、ヨーロッパやアジアの発展とアメリカのヘゲモニーの過剰拡大によるリスクを背景にして世界は新しい多極システムに進化するだろうと結論づけられていた。

パワーが希少であるため、パワーを巡る闘争は一種の競争であると認識していたのは攻撃的ネオリアリストであるジョン・ミアシャイマーであり、パワーは十分に利用可能な状況にあると認識しており、そのため国家は現状を守ることでよいとしていたのは防御的ネオリアリストであるケネス・ウォルツであった。

ネオリアリズムに対する批判は特にソ連の崩壊や冷戦の終結から生じていた。なぜならこの理論は東西の対立のような二極システムは非常に安定であり、事実ほとんど半世紀にわたってそれは当てはまっていたと述べていたからであった。

つまりネオリアリストたちは、同盟を形成する外的に大きなパワーが存在しないので内部における均衡を通じて唯一均衡が生じる可能性があるといったことを理由にして、二極システムは多極システムよりも安定しており、大きなパワーによる戦争やシステマティックな変化が生じにくいと結論づけていた。そして外部における均衡よりむしろ、二極システムの内部における均衡が唯一存在していることを理由にすると、誤算の機会はより少なく、そのため大きなパワーによる戦争の機会もより少ないものとされていた。

他方でアナーキーから論理的なシステムが生じるのかどうかが疑問であり、構成主義者であるウェントは「アナーキーは国家が作り出すものである」と述べており、軍拡競争は国際システムの構造から必然的にもたらされるものではないと主張していた。政府が正しいシグナルを与え、信頼を形成していたならば、国家間の関係は全く異なった様相を示していただろうし、国家がすでに不信や疑念のサイクルにあったとしても、国家が再びこの構造を打ち破る可能性が存在していた。

ウィリアム・ウォルフォースやグレン・スナイダーによるネオクラシカルリアリズムが問題とされることがあるが、ネオリアリストの研究にはいくつかの矛盾を含む仮定が存在しており、例えば国家は勢力均衡(ウォルツ)の中にあると同時にバンドワゴン・プロセス(スティーヴン・ウォルト、ランドール・シュウェラー)の中にも存在していることが挙げられていた。短期のバンドワゴン効果はリソースの再構築を促すかもしれなかったが、長期においては勢力均衡を崩す振る舞いに至ると考えられていた。またアクターのリソースの定量化にも問題が生じており、このことは潜在的な同盟を予測するために必要なことであるとされていた。

前回同様これが全てであるとは言及しないが、ドイツ、フランス、アメリカのWikipediaの「ネオリベラル・インスティチューショナリズム」、「国際関係論におけるネオリベラリズム」、「ネオリアリズム」の項目を訳すことにより上記の知見をサポートすることにする。URLは以下に示されるとおりになる。

http://de.wikipedia.org/wiki/Neoliberaler_Institutionalismus

ネオリベラル・インスティチューショナリズム

ネオリベラル・インスティチューショナリズムもしくは単に新自由主義や制度学派は国際機関の創設や機能を模索する国際関係論になる。国際政治における協調を新しく説明するものとして、それは1970年代から1980年代に展開されていた。その創始者と長い間最も重要な代表者であったのは、ロバート・O・コヘイン、ジョセフ・ナイ、スティーヴン・D・クラズナーだった。ネオリベラル・インスティチューショナリズムは国際制度学派における唯一の注目すべき理論であったが[1]、機能主義、イギリスの学派、国際カルテルに関する理論の支持者たちによって異議を唱えられていた。

1 歴史的展開

1980年代までにその方向性を明らかにした後、国際機関の登場や機能に関する研究は実質的にすべてのものに論拠を据えていた。理論的な上部構造を有していないが、スティーヴン・クラズナーが1983年に発表した『国際レジーム』やロバート・コヘインが1984年に発表した『覇権後の国際政治経済学』は国際機関の特徴に関する科学的議論を刺激していた[2]。

しかし批評家たちはこれらの科学者たちを批判しており、それは独特でない、つまり1980年代に実証されることなく、国際機能主義の理論を用いていることにあった。この剽窃に対する批判はアメリカの政治学者であるフィリップ・C・シュミッターによってなされていた。これは「国際レジーム分析」で最も有名なコヘインやクラズナーを含む国際関係論におけるオリジナリティに対して行われており、それらは新機能主義からの借用を表現しているとして、「いくつかの理論的な核心部分が存在していたが、私には非常によく知っているもののように聞こえていた。[...]たとえ異なった生き物として通常名称を変更されていたにせよ、新機能主義の思想は現在でも生きていることに気がついた」との発言があった[3]。

2 基本的な仮定

国際政治のアクターとして各国における国家と社会的グループの双方が重要であった。たしかに内部の状況や国家の外交政策における利害関係に影響を受けるかもしれないが、国際舞台における国家の振る舞いは社会的グループの影響力にまで落ち込むことはないとされていた。

最終的には彼らの利益に一致する行動を選択するよう、アクターは彼らの利益に照らして合理的に異なった政策のオプションを評価するといった仮定に基づく合理的決定の理論の仮定に、さまざまなネオリベラル・インスティチューショナリズムの理論は基づいていた。

アナーキーな国際システムは各国と社会の間の相互依存からますます影響を受けるようになっていた。

国境を超えた相互依存はステークホルダー間の協調に対する関心を増加させ、国際機関の形成を導いていた。国際機関は固有の力学を展開し、それを通じて国家の振る舞いや時には規制の中身にも影響を与えていた[4]。

ネオリベラル・インスティチューショナリズムにおける中心的な仮定は、国際政治が国際機関によるルールや規範に支配されるといったことであった。 その結果ネオリベラル・インスティチューショナリズムは、どういった状況で国際機関は発展し、どのように対外的もしくは国内における政策は関連する国家に影響を及ぼし、どのようにそれらは効率性を高めるために構築されねばならないかといった問題に特に関心を寄せていた。

ネオリアリズムの理論と対照的に、国際システムがアナーキーであるにもかかわらず、ハイポリティックスの外で国家が協調することは可能であると、コヘインは主張していた。そしてネオリアリズムの理論と反対に、国家は相対利得だけでなく絶対利得にも関心があり、この理論によれば、相互依存は不安定性を導かないのみならず、協調や安定性にも貢献するだろうとされていた。

このことによりコヘインはシステムに統合される大きさが異なるのでコンベンション、レジーム、インスティチュートを明確に区別していた。コンベンションを彼はインフォーマルなルールと呼んでいたが、それらは修正されることなく、それらの妥当性を展開していた(例えば赤絨毯のコンベンション)。レジームは規範や価値を示し、それは契約の形式で目に見えるようになっており(例えば、気候協定)、「秩序に対する議論」を示していた。組織は「適切な単位であり、効果をもたらし、課題を克服し、対処するために活動することが可能であった」(コヘイン)。

これらの議論は異なった理論的アプローチを通じて行われ、異なったレベルの説明から始まっていた。紛争理論は個々の紛争の対象のタイプによって国際機関の形成の可能性を導いていた。紛争が当事者によってどのように評価されているのかに依存しているが、容易もしくは困難な状況における紛争を管理する国際機関の形成によって紛争は解決されるとされていた。紛争の評価では、協調的な紛争の管理が実現しそうになくとも、紛争の手段で、共通の目標を達成するのに十分な手段によって、国際機関に支持された協調的な紛争の解決が実現する可能性が存在していた。利害関係を巡る紛争において、絶対的に評価される富(当事者が同じ権利を望んでおり、それが皆に対して十分でない)を巡る紛争と、相対的に評価される富(紛争の当事者にとって、まず他より多く与えられるかが重要である)を巡る紛争は区別されていた。紛争理論によれば、前者における協調的な紛争管理は容易に達成可能であった。利害関係を巡る理論は利害のまとまりごとに異なっており、関連するアクターの状況に対する国際機関による紛争解決の可能性は条件づきのものであった。さらに分析の中で、単なる国際レベルでの利害関係(状況を構造化するアプローチ)と社会レベルでの利害関係(外交と国内政治といった2つのレベルのアプローチ)における区別が加えられていた。ゲーム理論によって、相互依存の中での意思決定は定式化され(4つの分野におけるパターン)、その結果、どのように個々のアクターが利益を実現するかはどのように他のアクターが彼らの利益を実現するかに依存していることが明らかになっていた。

制度の影響に関する理論は人為的組織の形成に関心はなく、国際的な制度の影響に関心があった。さまざまな国際機関の効果は国際機関の設計によって説明されることを前提としていた。ここで国際機関の設計は十分に個々の利害関係を代表しているのかといった問題が中心となっていた。利害関係に依存する中、さまざまな国際機関の設計が妥当であると考えられていた。

3 「国際機関」という用語

国際機関は規範を目標にした行動をとると考えられていたので、個々のアクターの相互の振る舞いは調和に向かうと考えられていた。特にここでは国際体制や国際組織の役割が重要になっていた。

http://en.wikipedia.org/wiki/Neoliberalism_in_international_relations

国際関係論におけるネオリベラリズム

国際関係論において、国民国家は他の国民国家に対する相対利得よりむしろ絶対利得に対して少なくとも最初に関心を抱くべきであると考えている学派に対して、ネオリベラリズムは言及を行なっていた。ゲーム論のような共通の方法論を用いていたけれども、この理論はしばしば経済上のイデオロギーである新自由主義と混同されていた。

1 国際システムにおける活動

なぜ国家が協調したり、しなかったりするのかを説明するために、ネオリベラル的国際関係論の思想家たちはしばしばゲーム論を用いていた。彼らのアプローチは相互の成功の可能性を強調していたので、彼らは有益な調整や妥協を生む可能性がある国際機関に関心を抱いていた。

ネオリベラリズムはネオリアリズムに対する反応であり、国際システムのアナーキーな特徴を否定しない一方、その意義や影響が誇張されすぎていると、ネオリベラリストたちは主張していた。ネオリベラリズムの主張は、「分散したシステムにおけるさまざまな協調的な振る舞いの可能性」をネオリアリストたちが過小評価していることにフォーカスされていた[2]。双方の理論はしかしながら国家やその利益を分析の主題として認識しており、ネオリベラリズムはそれらの利益をより広い考え方の中に位置づけていた。

自律的であり合理的な国家によるアナーキーなシステムにおいてさえ、規範、制度、国際機関の創設を通じて協調が生じる可能性があると、ネオリベラリズムは主張していた。

国際関係論や外国介入主義における意味で、双方の理論が実証主義的であり、分析の主要な単位として国家システムに焦点を当てていたため、ネオリベラリズムとネオリアリズムとの間における論争はあるパラダイム内部の問題であった。

2 展開

ロバート・コヘインとジョセフ・ナイはネオリベラル的な思想の創始者とみなされていた。コヘインの著作である『覇権後の国際政治経済学』はこのジャンルの古典になっていた。もう1つの主な影響はスティーヴン・クラズナー、チャールズ・P・キンドルバーガー、他による覇権安定論であった。

3 内容

3.1 コヘインとナイ

ネオリアリズムに対して、ロバート・O・コヘインやジョセフ・S・ナイは、「複雑な相互依存」を示す反論を展開していた。ロバート・コヘインやジョセフ・ナイは「複雑な相互依存は時としてリアリズム以上に現実に近づいていた」と説明していた[3]。この説明の中でコヘインとナイは現実的な3つの仮定を内包していた。最初に、国家は合理的な単位であり、国際関係における主要なアクターであった。次に、パワーは政策における使用可能で、効果的なツールであった。最後に、国際政治においてハイアラーキーが存在しているとの仮定を置いていた[4]。

コヘインやナイの主張の核心は、事実国際政治において国家による従来のウェストファリアシステムを超えた社会をつなぐ複数の経路が存在するといったことであった。非公式な政府のつながりから多国籍企業、多国間組織に至るまで多くの形で、このことは示されていた。ここに彼らは彼らの用語を定義していた。国家間の関係はリアリストによって想定される経路を含み、国家が単位として合理的に振る舞うといったリアリストによる仮定を緩めたときに、政府を超えた相互の関係が生じ、国家が唯一の単位であるといった仮定を除いたときに、国家を超えた相互の関係が適用されていた。それは、リアリストによって擁護される限定的な国家間のつながりを通じてではない、政治的な交流が生じる経路を通じていた。

そしてコヘインやナイは事実諸問題におけるハイアラーキーは存在していなかったと主張し、外交政策において軍事力が唯一のものではなく、そしてその軍事力は国家のアジェンダを実行する最高のツールである訳でもなく、最前線に異なるアジェンダが併存していることを意味していた。国内政策と外交政策の間の境界線はこの場合不明確になり、現実として、国家間の関係における明確なアジェンダは存在していなかった。

最後に、複雑な相互依存が浸透しているときに、軍事力の行使はないものとされていた。この考え方は、複雑な相互依存が存在する各国において、紛争解決における軍の役割は否定されているとの議論を展開していた。しかしながらコヘインやナイは「ライバル陣営と同盟が有する政治的、軍事的関係」の意味で、軍の役割は事実として重要であると述べていた。

3.2 ルボウ

リチャード・ネッド・ルボウは、ネオリアリズムの失敗は「インスティチューショナリスト」の存在論の中にあると述べ、ネオリアリストの思想家であるケネス・ウォルツが「(システム)の創造者たちは彼らの活動を生じさせる市場の創造物になっている」と述べていたことを論拠にしていた。この重大な失敗はルボウによれば、「アナーキーの苦境から抜け出すこと」ができなかったリアリストによるものであった。むしろ国家は状況に適応せず、類似の制約や機会に対して類似の対応をするだろうといった仮定が問題になっていた。

3.3 ミアシャイマー

LSEの古典的な経済自由主義者であるノーマン・エンジェルは「私たちは、私たちの国における政治的軍事的優越によって現在のシステムの安定性を、他方でライバルにその意思を強制することによる同盟の安定性を確信することができない」と述べていた。

コヘインやリサ・L・マーティンは1990年代中頃にこれらの考え方をジョン・J・ミアシャイマーの『国際機関による嘘の約束』に対応させて詳しく説明しており、そこでミアシャイマーは「国際機関は国がその短期的なパワーを最大化させることを止めさせることができない」と主張していた[7]。実際、ミアシャイマーの論文はネオリアリズムに対して生じたリベラル・インスティチューショナリストの運動に対する直接的な反応を示していた。コヘインやマーティンの考え方の主要な点は、ネオリアリズムが「国際機関はわずかな影響力しか有していない」と主張し、そのことはEU、NATO、GATT、地域の貿易機関のような国際機関で国家がなす投資に対してもっともらしい説明を与えていないということだった[8]。この考え方は複雑な相互依存の概念に沿うものであった。さらにコヘインやマーティンは、国際機関は国家の利益に沿って創設されており、現実に生じている課題は「どのように潜在的な状況による影響と国際機関自体の影響を区別するのかを知ることである」といった事実を論じていた[9]。

しかしながらミアシャイマーは「自己の価値基準で目的を決定する」国際機関に関心があり、その自己の価値基準で目的を決定する国際機関は加盟国の行動に影響を与えることによって平和をもたらすことを目指している」と述べていた。そうすることで、彼はコヘインやマーティンによる欧州共同体(EC)や国際エネルギー機関といった例を肯定する中でのNATOに関する議論を退けていた。ミアシャイマーによれば、NATOの議論は同盟に関するものであり、「同盟が抑止し、強制し、戦争において敗北に導くことを意図している国家の外部や国家の連合」に対してその関心が向けられていた。しかしミアシャイマーは、NATOは同盟であるので、特別な関心を集めているといった理由付けを行なっており、コヘインやマーティンに対してこの点を認めていた[10]。

ミアシャイマーはマーティンによるECに関する研究、特に、ECを背景にした諸問題とイギリスとの関連から影響を受けていたフォークランド紛争におけるイギリスによるアルゼンチンに対する制裁に関する彼女の議論を批判していた。ミアシャイマーは、アメリカはECの加盟国ではないが、アメリカとイギリスが制裁に対して協調しており、結果として効果的に、加盟国に変更をもたらすアドホックな同盟を生じさせていたと主張していた。

http://fr.wikipedia.org/wiki/Néoréalisme_(relations_internationales)

ネオリアリズム(国際関係論)

ネオリアリズム(構造的現実主義とも呼ばれる)は国際関係論における理論的な学派である。それはケネス・ウォルツによって彼の著作である『国際政治の理論』(1979)の中で創り上げられていた。ロバート・ギルピン、ジョゼフ・グリエコ、ロバート・ジャーヴィス、ジョン・ミアシャイマー、ジャック・スナイダー、スティーヴン・ウォルトのような著者たちはこの学派に分類されていた。

ネオリアリズムはアメリカ政治学を中心にして展開されていた。厳格な実証主義に基づいて(当時アメリカの社会科学は行動科学革命によって特徴付けられていた)、「古典的な」リアリズム(エドワード・ハレット・カー、ハンス・モーゲンソー、ラインホルド・ニーバーによる)を定式化する試みが行われていた。

1 基本的な諸原則

ネオリアリズムは構造主義者による理論であり、それは国家のような分析の単位の振る舞いを決定する唯一の要因は「国際システム」におけるアナーキーであると考えていた(彼らはシステマティックな考え方の対極にあるアナーキーを特に懸念していた)。言い換えれば、それは外交政策に対する国内政治(政府、紛争、内部分裂の推移)の意味を過小評価する危険を冒しながら、国家間の関係を強調する国際関係に関する分析を主張していた。

アナーキーを深く利己的な人間の性質によって説明する古典的なリアリズム(モーゲンソーやカー)の背景にある悲観的な人類学を拒否して、ネオリアリストたちは反対に、国際秩序の構造による国際的な結果であるアナーキーは国家の下にあるすべての主権をなくすものであると主張していた。アクターの動機に対する分析を反映するというよりもむしろ、彼らは国際秩序の構造的制約を強調していた。彼らは「正当な暴力の独占」を要求する主権国家と国家の概念の中心的な特徴を欠いている国際秩序との区別を強調していた。

そのため古典的なリアリストたちが国家の第一の関心をパワーの追求の中に眺めること(人間の性質が要求している)に対し、ネオリアリズムは国家の第一の関心を彼らの安全の中に眺めていると考えていた。このことは、軍事力を増大させることや同盟を築き上げることといった2つのオプションによって達成される可能性が存在していた。しかしながらネオリアリストたちは国際関係はゼロサムゲームであると考える傾向にあり、そこでは勝利するものは誰でも必然的にその相手に敗北をもたらし、「安全保障のジレンマ」やパワーのバランスに対する理論を導いていた。さらにネオリアリストたちは平和と民主主義を連携させる「民主的平和論」に対して非常に懐疑的であった。

http://de.wikipedia.org/wiki/Neorealismus_(Internationale_Beziehungen)

ネオリアリズム(国際関係論)

ネオリアリズム(構造的現実主義とも呼ばれる)は国際関係論におけるパラダイムであり、その古典的リアリズムの仮説はエドワード・ハレット・カー(『危機の二十年―國際關係研究序説』、1939年、1946年)やハンス・モーゲンソー(『理知的人間対パワー・ポリティクス』、1947年、『国際政治学――力と平和のための闘争』、1948年)に由来していた。

ネオリアリズムは、一方で1960年代のアメリカの社会科学に対する行動科学革命における、他方で経済学の新自由主義におけるそこまでの人文科学の反応を示していた。さらにそれはネオリベラル・インスティチューショナリズムにおける国家間の経済的協力を取り上げて、国家の安全保障まで議論を戻していた。そのため論争(ネオ・ネオ論争)はパラダイムの由来に関する原理的な論争を繰り返し、拡大基調で認識論的に不安定な様相を示していた。

ネオリアリズムの重要な先駆けとして、1979年におけるケネス・ウォルツの代表作である『国際政治の理論』の出版が挙げられていた。ネオリアリズムの重要な派生概念として攻撃的リアリズム、防御的リアリズム、覇権サイクル論が挙げられていた。

安全保障を強調し、ネオリアリストを頻繁に取り上げることを通じて、そのパラダイムは核戦略の研究に重大な影響を及ぼしていた。

1 歴史的背景

古典的なリアリズムからネオリアリズムへのパラダイムシフトは1960年代に始まるアメリカの地位の相対的な衰退、つまり世界におけるアメリカのリーダーシップの弱体化を恐れたがゆえのことだった。第二次世界大戦後、アメリカは明確な覇権国家であり続け、石油へのアクセス権同様に、安全保障(核兵器による)と経済的安定(ブレトンウッズ体制を通じて)を保障してきた。これらの経済的優位性のため、古典的リアリズムという広く普及した政治理論における政治的そして軍事的パワーを支える経済的基礎は論じられてこなかった。

しかし1960年代から世界総生産、世界総輸出におけるアメリカのシェアが落ち込む一方、貿易赤字や予算の規模(ソ連との軍事的競争による)は増大し続けていた。ブレトンウッズ体制の終焉(1973年)は円、ドイツマルクや他の通貨に対するドルの価値の低下をもたらし、第四次中東戦争は第一次オイルショックをもたらし、初めてOPECがそのパワーを行使していた。さらにベトナムでの軍事的敗北(1973年)、軍事分野や宇宙開発分野におけるソ連との拮抗、イラン革命(1979年)が生じていた。アメリカに対するこれらの危機は古典的なリアリズムに対する危機をもたらし、経済を考慮した新しい理論としてのネオリアリズムを展開していた。そのためネオリアリストたちの目標はアメリカの衰退を押し止めるための政治学を構築することだった。

2 ウォルツによる「構造的現実主義」

まず第一にケネス・ウォルツによるネオリアリズムは国家や国際システムに対していくつかの基本的な仮定を置いていた。

国家は一貫性を有し、均一で均質なそして合理的なアクターである。このことは、民主制か独裁制かはネオリアリズムにとって意味をなしていないことを示していた。これらの下位システム上の要因は意識的にネオリアリストの論理から除外されていた。

国家間の唯一の違いは潜在的パワーであった。

国家は秩序における明確な選好を有しており、まず国家はいわゆるハイポリティックス(安全保障、独立、生存)に従い、つぎにローポリティックス(他のすべて)に従っていた。

国際システムはアナーキーであり、包括的な規制および監督の主体(世界政府といった意味で)を有していなかった。

システムは力の原理によって動いており、その原理は国家にその利益を追求させる唯一のものであった。モーゲンソーによる古典的であり人類学的なリアリズムと対照的に、国家自身の安全の維持は国家の最優先事項であった(パワー自身といった意味ではない)。

上記の事項からネオリアリストたちは国家の自己支援戦略や他者の意図に対する永続的な不確実性を導いていた。ウォルツの言葉を借りれば以下のように示される。

あなたは自身でそれをしなければならない。あなたは他の誰かを当てにすることはできない。彼はあなたを助けるかもしれないし、助けないかもしれない...。

そのため相互に対する信頼の欠如が重要な仮定になり、そのことは国際的な国家システムの構造を特徴づけていた。古典的なリアリズムと対照的にまずウォルツはシステマティックなネオリアリズムの理論を展開しようとしていた。ウォルツはそこから強制力の研究を行い、その強制力は国家のために国際的な国家システムの構造から生じており、そこから演繹的に展開されていた。

事実に基づけば、パワーが利益を追求するための唯一の効果的な手段であることは常に相対利得にのみ依存していた。そのことは、他の国家がより多くのパワーに関する利得をそれ自体としてもたらすことはないことを意味していた。したがってネオリアリストたちは実際に行われている協調の可能性を除外していた。国際機関は協調的な構造として認識されていなかった。なぜならそれらは国家の利益のみを反映していた(このことはNATOの例で明確に説明することが可能であった)。ヘゲモニーの影響下や上位のパワーに対抗する同盟の形成においてのみ、協調は成功するとされていた。後者から推論されることは、ネオリアリストたちは特に勢力均衡戦略を示唆していることであった(一方で例えば、テロの均衡、利益の均衡、脅威の均衡戦略が予想されていた)。

これを背景にしてネオリアリストたちは国際システムの構造を示していた。そのアナーキーな特徴に加えて、それはさまざまな対立点を示していた。利用できるパワーに依存しながらも、それは多極、二極、一極構造を示す可能性が存在していた。冷戦は二極システムといった歴史的状況を示していた。今日私たちは一極システム(アメリカ)について論じることが可能になった。しかしウォルツはこのことから世界は新しい多極システムに進化するだろうと結論づけていた。彼は根拠としてヨーロッパやアジアの発展やアメリカのヘゲモニーの過剰拡大によるリスクに言及していた。

ネオリアリストたちの内部における最も重要な結果は攻撃的ネオリアリストと防御的ネオリアリストを区別したことにあった。前者には例えばジョン・ミアシャイマーが挙げられ、後者では例えばケネス・ウォルツが挙げられた。パワーは希少であるため、攻撃的リアリストたちはパワーを巡る闘争を一種の競争として認識していた。対照的に防御的リアリストたちは、パワーは十分に利用可能な状況にあると認識しており、そのため国家は現状を守ることでよしとされていた(勢力均衡)。

3 ネオリアリズムに対する批判

ネオリアリズムに対する批判は特にソ連の崩壊や冷戦の終結から生じていた。なぜならこの理論は二極システム(東西の対立のような)は非常に安定である(事実ほとんど半世紀にわたってそれは当てはまっていた)と述べていたからであった。ネオリアリズムの論者たちはこの周知されることになった反論に対して、これらの異常な状況は国際関係論が扱う一般的な事柄に含まれないと反論していた。世界で連続的に生じていることは、過剰で稀に生じる根本的な変化よりはるかに重要であった。しかしながらこれらを説明するために、ネオリアリズムは良かれと思われる回答を用意していた。

さらにアナーキーから実際に論理的に自己支援システムが生じるのかどうかが疑問であった。その上で構成主義者であるウェントは「アナーキーは国家が作り出すものである」と述べていた。ウェントは、自己支援システムや軍拡競争は国際システムの構造から必然的にもたらされるものではないと主張していた。なぜなら他の国家のリスクに対する評価はこの国家の活動の可能性に依存していたからであった。ウォルツが想定したように、政府が正しいシグナルを与え、信頼を形成していたならば、国家間の関係は全く異なった様相を示していただろう。国家がすでに不信や疑念のサイクルにあったとしても、自己支援システムが確立しているならば、国家が再びこの構造を打ち破る可能性が存在していた。

最後に、国家の内部における体制が実際に副次的意義を有するかどうかについては疑義が存在していた。この異論はインスティチューショナリズムやリベラリズムといった競合する理論の論者たちからとりわけ示されていた(アンドリュー・モラフチークは民主的平和に関する原理におけるさまざまな著者たちと同様に価値の高い貢献を行なってきた)。現在ネオリアリズムは再び解釈上の要素を拡大してきていた。またウィリアム・ウォルフォースやグレン・スナイダーによってネオクラシカルリアリズムが問題とされていた。

ドイツ語圏では、ゴットフリート・カール・キンダーマン、ヴェルナー・リンク、アレクサンダー・ジートシュラーク、ベンジャミン・フォン・トワルドーフスキー、カルロ・マサラ、クリストフ・ローデがこのアプローチを代表していた。キンダーマンの情勢分析は1970年代にすでに重要な方法論的イノベーションを展開していた。

科学的観点から、ネオリアリストの研究にはいくつかの矛盾を含む仮定が存在しており、例えば国家は勢力均衡(ウォルツ)の中にあると同時にバンドワゴン・プロセス(スティーヴン・ウォルト、ランドール・シュウェラー)の中にも存在していることが挙げられていた。この振る舞いは時間軸上の経路に依存していると考えられていた。短期のバンドワゴン効果はリソースの再構築を促すかもしれなかったが、長期においては勢力均衡を崩す振る舞いに至ると考えられていた。批評家によって指摘された理論内部の矛盾はそのような説明によって課題にされている可能性が存在していた。大きな問題はアクターのリソースの定量化にも存在していた。このことは潜在的な同盟を予測するために必要なことであった。

この理論が応用可能な潜在的分野はエネルギー政策といった分野が対象とされており、それは外国との経済的同盟を生じさせる可能性が存在していた。

http://en.wikipedia.org/wiki/Neorealism_(international_relations)

国際関係論におけるネオリアリズム

ネオリアリズムや構造的現実主義はケネス・ウォルツによって1979年の著作である『国際政治の理論』の中で示された国際関係における1つの理論であった。ウォルツはシステマティックなアプローチに賛同しており、国際的な構造は国家の振る舞いにおける制約として作用し、結果が想定された範囲内におさまるように国家のみが生存戦略を実行すると主張していた。このシステムは、市場に基づいた価格と取引量を企業が設定するミクロ経済学と類似していた。

アメリカの政治科学の伝統の中で主に展開されてきたネオリアリズムは、E・H・カー、ハンス・モーゲンソー、ラインホルド・ニーバーといった古典的なリアリストの伝統を厳格な実証主義的社会科学の中に再定式化することを望んでいた。

1 理論

ネオリアリズムは国際政治を説明するために「人間性」のような本質的な概念を扱う古典的なリアリズムの採用を避けていた。その代わりにネオリアリストたちは、エージェントたちの戦略や動機に対して構造的な制約を与える理論を展開していた。

ネオリアリズムは、国際的な構造がアナーキーであるといったその秩序原則によって、また潜在能力の状態によって定義され、国際システム内のパワーの数によって測定されるといった見解を支持していた。国際的な構造におけるアナーキーな秩序原則は分権化され、公式に中央に存在する権威を有しておらず、公式には平等な主権国家から構成されていた。これらの国家は自己支援の論理に従って振る舞い、彼ら自身の利益を追求し、他の利益に従属する意思は存在していなかった。

他の目標を追求するための前提条件として、国家は最低でも自身の生存を確かめることを望んでいることが想定されていた。生存の推進力は国家の振る舞いに影響を及ぼす第一の要因であり、同様に外国介入主義を目的に手段として国家の相対的パワーを増大させるために、攻撃的軍事力を国家が開発していることを確認していた。国家は他の国家の将来の意図を確かめることができないので、パワーの相対的損失に対して用心することを要求する国家間の信頼の欠如が存在しており、その相対的損失は他の国家が彼らの生存を脅かすことを可能にしていた。不確実性に基づいた信頼の欠如は安全保障のジレンマと呼ばれていた。

国家は必要性の点では類似しているが、それらを達成する能力の点では類似していなかった。能力の点での国家の地位の位置づけは潜在能力の分布を決定していた。そこで潜在能力の構造的分布は、他の国家によってなされる相対利得に対する恐れや他の国家に従属する可能性を通じて、国家間の協調を制限していた。相対的パワーを最大化するための個々の国家の欲望や相対的能力はお互いを牽制しており、「勢力均衡」が生じ、国際関係を形成することになっていた。そのことは同様に全ての国々が直面する「安全保障のジレンマ」を生じさせていた。国家がパワーを均衡させるには2つの方法があり、1つは内部における均衡であり、他方は外部における均衡であった。内部における均衡は経済成長を増大させたり、軍事支出を増加させることによって、自身の潜在能力を国家が成長させるときに生じていた。外部における均衡はより力のある国家や同盟のパワーを抑制するために国家が同盟に加わるときに生じていた。

ネオリアリストたちは、潜在能力の分布の変化に従って、基本的に3つの可能なシステムが存在し、それは国際システムにおける大きなパワーの数によって定義されていると論じていた。一極システムは唯一の大きなパワーを含み、二極システムは2つの大きなパワーを含み、多極システムは2つ以上の大きなパワーを含んでいた。ネオリアリストたちは、同盟を形成する外的に大きなパワーが存在しないので内部における均衡を通じて唯一均衡が生じる可能性があるといったことを理由にして、二極システムは多極システムよりも安定している(大きなパワーによる戦争やシステマティックな変化が生じにくい)と結論づけていた[1]。外部における均衡よりむしろ、二極システムの内部における均衡が唯一存在していることを理由にすると、誤算の機会はより少なく、そのため大きなパワーによる戦争の機会もより少ないものとされていた[2]。

ネオリアリストたちは、戦争は国際システムのアナーキーな構造の影響であるので、今後とも継続する可能性があると結論づけていた。事実ネオリアリストたちはしばしば、トゥキディデスの時代から核戦争の端緒に至る時代まで、国際システムの秩序原則は基本的に変化していないと主張していた。長期的な平和が達成されそうにないとの見方は国際関係論における主に悲観的な見方として他の論者によって示されていた。ネオリアリストたちの理論に対する主な反論の1つは民主的平和論や『ネバー・アット・ウォー』といった著作のような研究であった。望ましい経験的事実によって民主的平和論の論者たちは民主主義の定義を選び取る傾向にあると主張することによって、ネオリアリストたちはこの反論に答えていた。例えばドイツ皇帝ヴィルヘルム2世、ドミニカ共和国のフアン・ボッシュ、チリのサルバドール・アジェンデは民主的であると考慮されておらず、これらの論者たちによれば紛争は戦争として認められていなかった。さらに彼らは民主的平和論が説明する以外の要因のみによって、民主主義国家間のいくつかの戦争は回避されたと主張していた[3]。

My Photo
プロフィール!
2016・11・15 改訂
spacer01
rssspacer01foaf
spacer01
atom.xml
spacer01

このアーカイブ

このページには、June 2012に書かれた記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブはMay 2012です。

次のアーカイブはJuly 2012です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

August 2023

Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

Recent Comments

月別 アーカイブ

Workbooks

  • Basic Word List
  • Basic Word List 3rd Edition
  • Samuel C. Brownstein (著), Mitchel Weiner (著), Sharon Weiner Green (著)
  • SAT、GRE用の語彙が2000語以上収録され、2009年4月に4th Editionが出版される。又、Synonym Testが750題、Comprehensive Testが75題付記されている。2005年8月に国内向けの訳本として『最強の英語ボキャブラリー1700語』が出版され、Synonym Testが500題、Comprehensive Testが50題付記されている。
  • 1100 Words You Need to Know
  • 1100 Words You Need to Know 4th Edition
  • Murray Bromberg (著), Melvin Gordon (著)
  • SAT用の語彙が920語、熟語が184語収録され、2008年6月に5th Editionが出版される。Review, 24題で1週分の知識の確認を、Analogy Review, 15~20題で10週分の確認を、Final Review Test, 150題で46週分の確認を行うことになる。1周しただけで定着する程簡単なものではなく、繰り返しが重要なことは他のボキャビル本と同様。音声教材として Wordplay: 550+ Words You Need to Know 2nd Edition が出されており、The Rambling Panthersから始まる7つのドラマに新出語句を散りばめている。
  • Kaplan Word Power
  • Kaplan Word Power 3rd Edition
  • Kaplan (著)
  • SAT、GRE用の語彙が750語収録され、Plug Inの10~15題で1課分の知識の確認を行うことになる。収録語彙の水準は類書よりやや高めで、Plug Inでの設問の尋ね方もやや高度なものになっている。具体的には Fill in the blanks. や Match the word closest to the word that means the opposite. といった形式に苦労した。又、音声教材として Kaplan Word Power (CD) があり、CD2枚の構成になっている。
  • Word Smart
  • Word Smart for the GRE, 2nd Edition
  • Princeton Review (著)
  • GRE用の語彙が678語収録され、Quick Quizは65課あり、6~15題で1課分の知識の確認を、Final Exam Drillの570題で57課分の確認を行うことになる。類書にSAT用のWord Smart、Word Smart Ⅱ等があり、それらを含めて繰り返し訓練するとなると、結構時間が掛かるのは当然だろう。又、音声教材としてSAT用だが The Princeton Review Word Smart CD があり、All or Nothingから始まる14のドラマに228語が散りばめられている。
spacer01

Banner


Bookmark

  • Valid XHTML 1.0 Transitionalspacer01
  • Valid CSS!spacer01
OpenID 対応しています OpenIDについて