何故、メディア、行政の担当者、専門家は福島の事故を過小評価し続けたのか、そしてそこから何を学ぶことが妥当であるのかーフランスのWikipediaの「ノーム・チョムスキー」等の項目を読んで考えたこと

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TMI、チェルノブイリ、福島、全ての事故においてその時代のアメリカ、ソ連、日本の行政の担当者、専門家、メディアは事故の規模を過小評価してきたが、前回の記事では各国のエリートの物の見方が全体として悪い方向に作用してしまう構造的問題といった論点について検討を加えていた。

そしてアメリカは特筆すべきことが多岐にわたるものの全能ではないといった視点からの原子力行政、報道、研究への対応の仕方といったものを取り上げる機会が少なかったので、今回その記事の続編を書くことにした。

偽りの自由に満足できるならば、国内の報道に囲まれていても問題は少ないのだろうが、こういった考え方を日本に限らず既得権益が許容することに慣れ切っている中で、偽物の絵画に本物の色を加えていく作業は貴重な行為になるだろう。悪貨が良貨を駆逐するとは、悪貨が現実において役立つときに成り立つ経済における現象であり、今回の事故では住民にとっては良貨が役に立つのだが、その問題となっている既得権益にとっては仕事を円滑に進める意味で悪貨が役に立っているといった相反する利害関係が問題の背景に存在しているからかもしれない。

福島を完全に除染するには国家予算の規模では賄いきれないとの報道があるが、それならば住民を避難させることや公平に眺めて個々の住民にとって安全な生活が確保されること(当然住民ごとに基準は異なる)が優先されて然るべきだろう。何故現実を直視することができないか、予防原則の立場に立つことができないのかといったことを考慮すると、疾病の発症率が統計上の誤差の範囲に含まれることは事故の対処に対する道義的責任、政治的責任を回避するための言い訳にはならないのだが、ここでも問題となっている既得権益と地域の住民の間における相反する利害関係を見受けることができる。

福島の事故を巡るメディアにおけるディベートや国会における論争の空虚さは、民主主義を維持するために必要であったのだが、ただ現在たまたま存在していたということを理由にした既得権益を保護するための通過儀礼であることが広く知れ渡るようになったからであるかもしれない。世間で支配的な言説とはそのようなものも含んでいて当然であろろうが、責任をとるのは彼らではなく地域の住民であり私たち1人1人である。

何かの折りに原子力行政と核兵器の開発プロセスが比較されるが、機密を保ち確かな情報を伝える相手を慎重に使い分けるその背景を歴史を含めて考察し、その利益を比較考量するのみならず、歴史の中で個の特質と全体との関係を把握し直す必要もあるだろう。

つまり規模の議論をさておき核兵器開発の技術を保有することが欧米から近代化に成功した国家として認識されるための条件になりうるのかといった問題に対して、核兵器とは武力の排除を目的としたものではなく無差別に一般市民の健康と生命を脅かす放射性物質の拡散を設計されている非人道的な特徴を有していることを考慮しながら、ニュークリア・クラブやIAEAが核兵器保有のための技術を独占し続けようとどれほど労力を費やしても自由と民主主義といった価値観を共有していない国々に対して核兵器保有の技術が拡散し続けている1950年代以降の数十年に及ぶ歴史の流れを否定する材料はない現状を鑑みると、それは核保有国が核兵器をその根底において第三世界との差別化の道具として用いれば用いるほど、第三世界は非人道的な兵器である核兵器の保有を望むようになり、現実はニュークリア・クラブの戦略が裏目に出ている方向に進んでいる徴候が見受けられるといったことになろうが、時代の進歩に随いあらゆる技術は陳腐化していくものであるから現在そうであるようにいずれは陳腐化した小型の核兵器開発の技術が第三世界の各国へ拡散することが進みニュークリア・クラブがそれを独占的に管理することが難しくなる将来が訪れることも想定できるが、お互いに相当の犠牲を払った上での経過であろうから、引くことはなく、過去においてはそれが冷戦であったとも言えるのだが、実際の所、問題の所在は競争に勝つためには何でもするといった考え方が存在し、実際に何でもしたほうが勝ち残ったのだが、それを維持する方にも限界があったといったことだろうか。

繰り返しになるが前述の核兵器開発の技術を保有することが近代化に成功した国家として認識されるための条件となるかと言うとそれは大戦後の体裁を整えるための後付の言い回しに過ぎず、実際はドイツを眺めても理解できるように、国力とは1つの側面で決定されるものではないから、その国の実情に合わせて要素を適切に考慮していけば良いといったことになり、わざわざターゲットにされるリスクをとる必要はないのだが、リスクに慣れるというのは嫌なものだと考えるときがある。そもそも誰がどの時点でどのような変化が加えられたときにどのようなリスクに対して、愛好的か、中立的か、回避的かに関する議論が少ない現状で、でっちあげでないコンセンサスといったものがあるかもしれないとの仮定の上でそれが個々にとって納得のいく形で具体化されることもないだろうから、誰がデータや言葉に基づいて冷徹な判断をするのかといった問題も残ることになるだろう。ここで誰とは私たち1人1人を指しているのだが、それは結局の所責任の所在が私たち1人1人であるからだといった考え方を考慮している。

前回の記事でグラス・ルーツによる意思決定の意義を強調した背景は、結局の所、責任をとるのは私たち1人1人であるといった現実が明確になり、その事実に対し理解が深まりつつある現状を考慮した上での話になるが、まだまだ本当の議論は始まってすらいないとの考えを抱くことがある。

前回同様これが全てであるとは言及しないが、フランスのWikipediaの「ノーム・チョムスキー」の一部を訳すことにより上記の知見をサポートすることにする。URLは以下に示されるとおりになる。

http://fr.wikipedia.org/wiki/Noam_Chomsky

ノーム・チョムスキー

3 反体制派知識人

3.1 エリートと主流派の考え方に反対して

LSEにおいて社会学の教員であるStanley Cohenは、チョムスキーは「世界のキッシンジャー」のような何であるかを非常によく知っている権力者に話しかけようとせず、振る舞いをよく知らされる必要がある一般の人々に対し話しかけようしていると述べている。彼は、「知識人は彼らが知っていることについて沈黙を保ち、共通の道徳に反する犯罪に関心がなく、彼らが生活する社会が自由で開かれているときにはさらに犯罪的でさえあり、彼らは自由に語ることができるが、なすべきことを選択していない」と考えている[54]。チョムスキーは表現の自由に関して高い基準を有する国での生活にあることを認識しており、より公正な世界のために抵抗する防護任務のようなものに就き、Jean Bricmontが「支配的な言説に対し知的に自己防衛するためのツール」と呼ぶものを提案し、「知的評論家」として活動している[56]。チョムスキーに捧げられた「レルヌのノート」を共に導いた後者にとって「躾けられた知識人の集団と卑屈なメディアが強力な世俗の司祭職に仕えている世界においてチョムスキーの著作を読むことは自己防衛になり、そのことは間違った事実や支配的な言説に対し淘汰された憤りを回避することになる」[57]。国際戦略の雑誌は、アメリカの外交政策の一環にある戦争をタイトルにして公表された彼のエッセイのコレクションの説明において、「チョムスキーは読者が公式の談話を批判的に眺め、支配的な言説に服従しないこと」を勧めている[58]。

3.2 「でっちあげられたコンセンサス」に対する批判

ノーム・チョムスキーは研究者のエドワード・ハーマンと協力して、マスメディアの「政治経済学」における作品の誕生に貢献している。このアプローチは批判的な観点から経済と政治上の権力と癒着しているメディア産業の機能に注目している。民主主義においてエリートは、国民における多数派の利益がエリートのそれと異なるため彼らの支配と原則を主張するために単純に権力を用いることができないといった前提から始め、チョムスキーとハーマンは彼らの著作である「Manufacturing Consent」(1988)の中で、主流メディアがどのように既成の秩序の維持に貢献しているかを経験的に実証しようとしていた。彼らの視点によればメディアは、支配者や支配される側のでっちあげられたコンセンサスを確かなものにするために疑問を呈されることのない仮定や目的に基づくイデオロギー上のフレームワークにおける問題に関する公のディベートやプレゼンを維持する傾向にある。これは、彼らが1922年に広報の創立者の1人であるウォルター・リップマンによって造られた表現をかりるならば「コンセンサスのでっちあげ」(Manufacturing Consent)と呼んでいるものである。それらは彼らが「プロパガンダ・モデル」と呼んでいるものにおける彼らの分析に基づいている。このモデルによれば5枚のフィルターが主にメディアを通じて報道される情報を決定している。すなわち、考慮されるメディアにおける経済学(規模、オーナーシップ、利益の方向性)、広告に関する規制、情報ソースの性質、(広報係の)抵抗と圧力における戦術、反共的イデオロギー(支配的であり、いかなるイデオロギー上の要素にも拡張されることができる[61])が挙げられる。彼らはたとえば様々な政策の表明における「経済とアメリカ軍の利益や「ソビエトの脅威」といった概念の間の緊密な関係を述べており」[62]、メディア、政府、アメリカにおける企業の世界の間における多くの繋がりや共有される利益について述べている[63]。彼らの研究は、アメリカにおける敵性国家に関するメディアの取り扱いがシステマティックに同盟国に用意されているものと異なり[64]、前者は否定的に取り扱われるが後者は肯定的に取り扱われるといったことを指摘していた。

チョムスキーは同様に、民主主義社会において例えば守られている政治的な線引きは決して口に出されることはないが、ほのめかされたものであることを論じている。したがってその存在が自由による支配を維持し続けるために必要であるディベートや争い[65]は「主に内面化されたコンセンサス」の一部になる[66]。

激しく議論され争われた[67]チョムスキーとハーマンによって提案されたモデルは、それが世論の抵抗する力[68]や実際の世論における影響[69]を考慮していない点で、ときとして静学的であり単一次元的であると考えられている。それは同様にあまりにも機能主義者的であるとして社会学の観点から批判されている[70]。しかし「プロパガンダ・モデル」[71]について2005年に著作を出した大学教員のKlaehn Jefferyにとって、それは、世界の大多数の間で増加している無力感に直面して、経済と権力のグローバル化と多国籍企業の増大する影響力を眺めると、その兆しが現れた頃より今日のほうがさらに関連性が深いとしている[72]。

3.3 政治的抵抗

ベトナム戦争に反対する公式の声明を出して以来、チョムスキーは公共のディベートの場から姿を消し去った。彼は、特に数多くの本、記事、これらの問題に関するフォーラムにおいて政治や外交問題における分析を行った。広く引用されリストされた彼の分析は激しく論じられ多くの議論を含むものだった。

1969年の「アメリカン・パワーと新官僚」の出版以来、チョムスキーはアメリカの外交政策に対する根本的な批判に彼のパブリックな時間をほとんど割いてきた。彼は、それはアメリカ帝国のあらゆるコストと維持費用を拡大することを促進する欲望によって導かれ、それゆえ第三世界が住民のニーズを満たし、アメリカの投資家の利益を促進することを止めなければならないだろうことを理由にして、これらの国々のナショナリズム、民主主義、社会改革をアメリカは許容することができないと述べている[73]。Robin Blackburnにとってチョムスキーはアメリカ政府に対する幅広くよく周知された批判を展開しており[74]、Gendzier Ireneは、彼の無数の著作はアメリカ政治が民主主義の名の下に第三世界において民主主義の転覆、独立した発展と正当な力に対する障害の中に巻き込まれていると示していると指摘している[75]。さらに一般的にはそのことは反戦の立場を発展させ、アメリカ軍が従事している紛争の大半に対して生じている[74]。時として平和主義者として分類されるが、そのことはしかしながら暴力を予め非合法な行為として考慮していない[76]。

例えばチョムスキーは、「テロリスト」というラベルは自身のテロ行為を認識することができない政府によって用いられたイデオロギー上の兵器であると考えている[77]。彼は主にパレスチナ人に対するイスラエルの政策とその政策を後押しするアメリカを批判している[78]。彼にとっては平和を導くプロセスから程遠い中東における同盟国であるイスラエルに対するアメリカの決議文242によって与えられた外交的軍事的支援はこの平和に対する具体的ないかなるイニシアチブに対しても障害となるだろう[79]。イスラエルにおいて新聞Haaretzによれば、「チョムスキーは右派として見られており、それだけでなく脱走兵、反逆者、人々の敵として見られている」[80]。

9・11攻撃の2ヶ月後チョムスキーは独立系の出版社から9.11とタイトルされた小さなインタビュー集を出版した。彼は特に、ニューヨークタイムズがそれを繰り返したときに、これらの攻撃は「ひどい残虐行為」であるが、もし私たちが自身をこの国と同盟国がなした全てのことを無視するという都合のよい展望の中に据えるならば、私たちはアメリカを犠牲者として考えることができないと説明している[81]。その本は数週間の内に300,000部売れるベストセラーになった[82]。23の言語に翻訳され26の国で出版され[83]、彼は「アメリカと海外で販売された数百万部を考慮すると、現存する他のあらゆる政治をテーマにした作家の内においてベストセラー作家の1人になった[84]。このテーマにおける彼の2番目の著作はPower and Terrorになる。同じ出版社によって2003年に出版された9・11後の談話とインタビューは同様にベストセラーになった。

2002年にアンカラの政府によるクルドの少数民族に対するテロ行為であると彼が呼んだものを非難した文章を出版したために起訴されたトルコの出版社であるFatih Tasの審理にチョムスキーは自身を招いている。また被告席の場に置かれることを主張し、そのことは出版社の無罪判決を勝ち取るのに役立っている。

2006年に彼は、セルビアの知識人であるDobrica Ćosić[86]のように「憎悪のルーツ」を絶つためにセルビア人とアルバニア人の間でコソボを分割することや、アルバニアや旧ユーゴスラビアの全ての国において社会革命党を設立することを通じアルバニアとユーゴスラビアを全面的に統合することの再検討に賛成していた[87]。

2007年9月7日、彼はアメリカ人が学ぶべきことの中においてオサマ・ビン・ラディンによって引用される知識人の1人になった[88]。2010年1月にアルカイダのリーダーはアルジャジーラによる音声テープの放送の中で「アメリカの政策とマフィアのそれを比較している点でノーム・チョムスキーは正しいことをしている」と述べていた[89]。

2010年5月16日にイスラエルは彼を4時間拘留し、その地域の講演旅行のためBeir Zeitの大学で講義することを理由にしてヨルダン川西岸への入国を拒否した[90]。

2011年5月6日にノーム・チョムスキーは、オサマ・ビン・ラディンやアルカイダが9・11の背後にいたという確かな証拠は不明であり、これゆえバラク・オバマは嘘をついていると繰り返していた。彼にとって「自白」は意味がないことだった。彼は、ビン・ラディンを殺害するために行われたアメリカの作戦は国際法の明白な違反を助長する暗殺を計画したものだったと論じている。彼は最後に、G.W.Bushの犯罪はビン・ラディンのそれを上回っており、もし私たちがブッシュのドクトリンに随うならば、アメリカの侵略と破壊に相当するものはブッシュ自身になると付け加えている[91]。

4 批評と論争

4.1 フォーリソン事件

チョムスキーにとって最も論争の多い姿勢の1つは「フォーリソン事件」に関わるものになる。リヨン大学文学部の前教授であるロバート・フォーリソンは1970年代後半に彼の職務を解かれ、彼が別の話題の中で第二次世界大戦中のガス室の存在を否定したことを理由にして起訴されていた。表現の自由を守るための嘆願書はチョムスキーを含む500人以上の人々によって署名されていた[92]。彼の活動に対する反応に答えるためチョムスキーは当時短い文章を書き下ろし[93]、その中で彼は人が意見を表明する権利を保護することは意見を共有することとは異なると説明している。表現の自由に関するこの古典的な姿勢は啓蒙主義と合衆国憲法修正第一条に見受けられる。

彼は当時彼の文章を友人であるSerge Thionに渡しており、それを自由に活用することを許容していた。ところがThionは1980年にフォーリソンによって出版されMémoire en défenseとタイトルされた本の前書きに「意見」としてそれを公表した。チョムスキーは繰り返し、彼は決して人目に触れる文章としてそれを公表するつもりはなく、公表しないようにしていたが、それを防ぐには遅すぎたと記していた[57]。この点でチョムスキーは、「私の声明がフォーリソンが審理において彼に対しすぐにもたらされる責任を否定する著作の中に見受けられるといったことを遅きに失したが理解した。これは私の意図ではないけれども、それは私の教育と正反対ではない。私は作家であり反ファシストとしてよく知られているJean-Pierre Fayeからの手紙を受け取り、彼は、フランスの世論はフォーリソンの表現する権利の擁護はフォーリソンの意見に対する支持と解釈されるだろうから、私の意見には同意するが声明を撤回するよう勧めていた。私は彼に、私が彼の判断を受け容れ私の声明が表面化しないよう頼んだが、その公表を止めさせるには遅すぎていた」と説明している[94]。彼の声明を表面化させないよう彼が求めていたことに関して、チョムスキーは「後になって私は、私がおそらくそうするべきでなかったと考えていた。私は「オーケー、文章はそのままにしておいてほしい、というのは公表されるのに違いないのだから」と言うべきだった。しかしそれを除くと私は、このケースにおける私の姿勢を私が表現の自由においてとってきた他の姿勢と比較しても無害であるのみならずおよそ無意味であると考えていた」と述べた[95]。

フランスの歴史家であり、否認主義の専門家であるPierre Vidal-Naquetはしかしながら、チョムスキーによって署名された嘆願書が単に表現の自由を擁護し、自身で署名したそれを擁護するよりはるか遠いところに行ってしまったと考えていた。嘆願書はフォーリソンの研究をかなりのもの(「ホロコースト」問題における徹底した歴史的そして独立した研究)として示していた。加えてVidal-Naquetは、後者のテキストが明白な反ユダヤ主義を示していたので、フォーリソンを「比較的政治的でない類」のリベラルとしてフォーリソンを呼んでいたことを理由にしてチョムスキーを批判していた。「あなたが発言する権利をもっているとすると、私や私の兄弟の死を求められることがない状況で、私の手強い敵は自由になる権利を有している。あなたが発言する権利を有していないとすると、私の手強い敵は友であり、もしくは「比較的政治的でないリベラル」になり、あなたは偽物を手に取り、それを真実の色で塗り直す権利を有していない」[96]。

チョムスキーにとって例えばJustin Wintleを分析すると、「表現の自由は、実際の真実が何であれ、既存の秩序によって支持された出来事の解釈以上に重要なものになる」[97]。

4.2 反論に直面して

アメリカには非常に異なった多くの2つのタイプの批判が存在している。

1番目のものは量的に2番目のものを圧倒しているのだが、アメリカ政治の問題と軍事力の利用におけるチョムスキーの著作と公式見解に関連している。

2番目のものは広く基本的であると認識されていても、科学的な論争の対象である言語における研究に関連している[100][101]。言語学者であるTimothy Masonは例えば「もしあなたがウェブを眺めるならば、第一言語であれ第二言語であれ言語の獲得に関する大多数の文書は強く生得的であり、チョムスキーやフォーダーが共に採用したような正反対の可能性を打ち消す研究を過ぎ去った事実としてしばしば考慮していることに気付くかもしれない。英語を話す人々の世界では例えばフランス語はさらに疑いの眼差しを向けられることになり、普遍的な文法や言語の構成要素は変わることのないまま幅をきかせてきた」と説明している[100]。フランス人のSylvain Auroux[102]は例えばチョムスキーの仕事の歴史的意義を認識しつつ、「チョムスキアンの認識論的モデルのすべてが間違っているか、曖昧であるか、非合理である」と考えている[103]。

アメリカのジャーナリストであるPaul Bogdanorは2007年に彼のサイト上で「The Top 200 Chomsky Lies」(チョムスキーにおける200の欺瞞)とタイトルされた文書を公開した[104]。この点で広く認められた動物行動学者であるRichard Dawkinsは文書におけるBogdanorの間違い、そのバイアス、低い信頼性を批評した。政治アナリストであるPhilippe Moreau Defargesは1980年代初頭に「Washington Connection」においてチョムスキーやエドワード・ハーマンの著作について「マニ教の怒り」に関することを述べていた[105]。同様の精神で言えば、Richard Posnerはチョムスキアンの批評の一方的な性質を批判し、彼の「アナルコ・パシフィズム」の中に政治と個人の倫理に混乱をもたらす数多くの大学の知識人によりなされる古典的な間違いの例を眺めていた[106]。

アメリカの右派はノーム・チョムスキーを予め決められたようにターゲットにしていた。Daniel Pipesは2002年に「私はヒトラーやスターリンの著作から教わりたくないように、ノーム・チョムスキーから大学で教わりたくない。彼らは大学の場に相応しくない過激で極端な考えを抱いていている」と述べていた[107]。彼はDavid Horowitzの「The Professors: The 101 Most Dangerous Academics in America」とBernard Goldbergの「100 People Who Are Screwing Up America」といった2006年に出版された2冊の小冊子の中で大きく取り上げられていた。2005年にはAlan Dershowitzはイスラエルとパレスチナ人の紛争について彼と激しく論争していた[108]。彼の経済と政治における考えは同様にLudwig von Mises Instituteによって批判されており、それはチョムスキーがマルクス主義を拒絶しているにもかかわらず、彼の考え方はマルクスのそれによって導かれていると信じていた。さらにそれは果実を得ることを考える一方[110]資本主義を拒絶している[109]といった矛盾として彼の考え方を考えていた。

ノーム・チョムスキーは同様にアメリカの反戦運動に対し一部から批判を受けていた。ジャーナリストであるJeffrey Blankfortは一方で彼を2001年9月11日の攻撃についての質問をかわされたことから非難し、他方で資本回収運動におけるMITに反対していることから非難し、結局アメリカ政府における「シオニスト会議」の意義を過小評価したことから非難していた(特にアメリカ・イスラエル公共問題委員会からの影響を通じて)[111][112][113]。

現代のアナーキストの運動においてチョムスキーの政治的見解は「国家統制主義者」の性質であることを理由にしてしばしば批判されている。例えばアメリカの活動家であるMurray Bookchinは1996年のインタビューの中で、自身をアナーキストと呼んでいるチョムスキーのような誰かが、「結局はいつも助けるだけだが!まるで中央政府が企業に対して活用されることが可能であるかのように、州政府に対し「権限委譲する」ために強くなり、少なくとも中央集権を支持するといった相当の愚かさを推し進めた」「アメリカの左派」を強く批判していた[114]。アナルコ・サンディカリストの革命的な伝統の一部であることから離れて、彼は単なる民主的改革者であるとして批判されていた[115]。同じ精神でCuba Libertaria運動の活動家は、2009年8月末ベネズエラの大統領と会合した後、彼を「チャベスの道化師」と表現していた[117]。

極左トロツキストにおいて第4インターナショナルの国際委員会は同様に2004年のアメリカ大統領選挙の間候補者であるJohn Kerryに賛同する立場をとったときに彼を批判し、「2人の悪のうちより害が少ないほうを選ばなければならない」という行動原理とともに既得権やブルジョワの「リベラル」と戯れているとして彼を非難した[118]。

フランスでは、アメリカはもはや全能ではないとの議論をAprès l'empireといったエッセイの中で擁護しているEmmanuel Toddが世界の発展そしてそのために「ソビエトの脅威の崩壊の前後にアメリカも同様の道をたどり、軍国主義的、抑圧的で、偽りの自由があり、4半世紀前のベトナム戦争のように今日のイラクを抱えていること」[119]に気付いていない「構造的反米主義」としてチョムスキーを把握していた。Pierre Guerlainは、チョムスキーにとって「世界は複雑で、相互作用の複雑なネットワークの中にあり、その中でアメリカは全ての役割を占めており」、彼はこれらの複雑な相互作用の中でアメリカが演じる役割を単純に理解しようとしているといったことを考慮しながら、言葉に含みをもたせていた[120]。

メディアに対する彼の批評は、チョムスキー自身はそれを否定するけれども、彼の批評の一部によって「謀略」と呼ばれている。彼は単一の「制度的分析」を生み出すことしか主張しておらず、話を進めると、「私の意見では「謀略の理論」は5文字の単語と同等の知的対象になった。彼らがあなたに本当は何が起こっているかについて考えて欲しくないときに人々が述べている何かが存在している」[121]。この問題について新左翼の中でこの観点はフランスでは反対されている[122]。

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