P3間(アメリカ、イギリス、フランス)における核軍縮に対する視点の違いやP5間(アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国)の核政策に対するNAM(非同盟運動)の影響を伝えてこなかった日本国内のメディア、専門家、行政の担当者(政治家を含む)のミスリーディングと福島の事故を比較しながら何を理解することが妥当であるのかーアメリカのWikipediaの「核拡散防止条約」等の項目やWikiLeaksによって公開されたP3の見解の違いに関するアメリカの公電を読んで考えたこと

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多くのエコノミストや新自由主義者よれば、欧州連合の展開に付随するヨーロッパの経済統合は、ヨーロッパ大陸に存在する多数の国々における戦争を経済的に壊滅的な被害を生じさせるものとして認識させ、それゆえそれは効果的な抑止力として機能し、他方構成主義者はこのステップをさらに進め、欧州連合の政治制度の進展がヨーロッパのアイデンティティのモデルを導き、程度を別にしてヨーロッパ大陸の多数の国々がそれに加わることを願い、欧州連合の中に存在しまたは存在したいと願うすべての国家が、彼らの間における戦争を考慮する価値のないものとして認識することになると示されるように、核に対する抑止力は核保有でしか成し得ないといった考え方はややもすると狭いものの見方であるとの視点が存在している。

Mearsheimerによる選択的核拡散理論によれば、ヨーロッパは将来戦争や疑念が頻繁に生じていた冷戦前の環境に戻るかもしれない傾向にあり、西のフランスやイギリスと東の諸国において力の均衡を達成するためにドイツやウクライナの双方が核兵器を保有することが提唱されており、もしこうならないならば、ヨーロッパ大陸において結局のところ戦争が生じてしまうだろうといったやや悲観的な考え方が示されているのだが、Waltzによる相互確証破壊(MAD)の論理を考慮したとしても、依然として抑止力とは核に限定されるものではないとする考え方の根拠が失われた訳ではないと考えることがある(Waltzによる論理は核兵器によって人間社会にもたらされる短期的な外部被爆やその後長期にわたる内部被曝が非人道的な性質を有しているといった視点を欠落させており、前提に置いても構わないものについて慎重に考慮を加えたいと考えるときがある)。

そしてTretyakovによれば、「そんなにいい子ぶるな、今日のロシアの経済状況では、十分なお金をもっている誰もが核爆弾を購入することができ、それは実際には大したことではない」とロシアのビジネスマンであるVladimir K.Dmitrievが発言している現状と同時に、南アフリカはNPTに署名し、国産の核兵器を保有し、検証可能な状態でそれらを解体した唯一のよく知られた国家であるという事実や、1968年以前に核実験を行った国々のみを核兵器保有国としてみなすことと条約に参加するすべての他の国々に核兵器を保有しないことを要求することにおける差別があるといったNPTの問題点を背景にNAMに関わる諸国による運動の継続を眺めると、P3がどのような立場をとってきたかを問題の遡上に加えなければ、近年における全体像とその部分が織りなす矛盾を包含する背景が見えにくいのではないかと考えるときがある。

核拡散防止の特別代表であるSusan Burkによれば、もし他の国々が核兵器を製造しているなら、アメリカは核軍縮を容易にもしくは迅速に進めるといった幻想を一切保有しないだろうということが示されており、オバマによれば、核兵器を保有することが国家の威信を生じさせ、私たちがどの国々が核兵器を保有することができるかを決定することにより私たちを守ることができるといった考えは幻想であることが示されることから、アメリカにとって核のオプションとは保有せずに済ませることが可能であるならば保有しないに超したことはなく、抑止力の手段としてこれしかないから保有しているといったスタンスとは明確に異なった立場にあることが推察される。

そしてMFAのGerard Araudによる、核の抑止力がフランスの「国際的なアイデンティティ」の一部になっているとの発言を、イギリスのBen Fenderによる、抑止力がなくなることが同盟国によって尊重されず、窮地に追い込まれ、他の問題における進展を阻害させるとフランスが感じているとの分析と併せると、フランスは、核軍縮に対して消極的であり、アメリカやロシアのイニシアチブとイギリスの単独の措置が核軍縮を促すようにフランスに向けられた圧力を増大させるだろうということを懸念していたといった視点を見出すことが可能であるが、これは核以外のオプションを通じて問題を解決するといった考え方を否定するものではない。

DASのMartin Briensによれば、ゴードン・ブラウンは核軍縮が彼の遺産になるだろうと考えていると思われ、イギリスはトライデントの軍事力を更新する目的で議会の支持を得るための政治的譲歩として核軍縮について語ることから、その核自体を終わりにするために核軍縮を採用することに移行していることが示されており、イギリスは「核兵器を禁止する」ことを求める条項を許容する意思を示し、これを批判的に眺めると、イギリスのレトリックは、核兵器が本質的に悪いものであり、これゆえ抑止力を維持することは道徳に反することを示唆していたとの分析と併せると、遅かれ早かれ核軍縮を進める立場にあることを十分に認識していることが話の前提になっているからだろうと考えることがあった(これはFenderによる、フランスは大騒ぎするだろうが、結局のところ一緒に歩み始めるだろうとの見通しを背景にしている)。

フランスとイギリスの立場の違いは、フランスは、核軍縮のための対話は結局のところP3を外交的に弱体化させると感じているが、イギリスは、公式に核軍縮を擁護するスタンスが、核保有国が彼らの役割を果たしているとの主張を強化し、核拡散防止に対する議論をシフトさせるための外交的な影響力をP3に与えることになると感じていることにあろうが、ドイツのPeter Gottwaldによる、多くの人が核拡散防止体制は崩壊するだろうと考えている背景として、主にそれが不公正であることが挙げられ、アメリカのイニシアチブはその環境を変えることを示唆していたが、核兵器の廃絶に関わっているならば、体制の不平等はいつの日か終わる可能性があると現在考えられているとの視点と併せると、核の廃絶といった長期の目標に対して短期の目標をどう位置づけていくのかといったことに対する考え方の違いが表面化しているのだろうが、核非保有国が果たしてきた役割を通じた外交的な影響力の意義を多面的に考慮に加えることが妥当であるかもしれない。

アメリカはフランスに対し、もしアメリカが核の抑止力を「歴史的に正しいと評価されていない」と理解しているとGOFが感じ続けるならば、これゆえ古典的なフランスの妨害行為を生じさせ、それは貴重なパートナーを制度的な敵対者に変える可能性があることになるとの見通しを通じて理解しており、フランスのAraudによる、オバマ大統領はそのような兵器の廃絶の見通しを発表したが、カナダ、オランダ、スウェーデン、そして一般的に欧州連合を含む他の国々の不合理的な期待をフランスはコントロールする必要があり、中国は独自の核戦力の制限を求める圧力を避けるために他のP5諸国の努力の後ろに隠れているといった分析と併せると、アメリカとフランスが巧みに交渉を継続しながらも、他の世界では別の情勢が進展しており、そしてアメリカ政府による「戦争を早く終結させるために原爆を投下する決断を下した」との経済合理性に基づく言説や日本国内における低線量の被曝や内部被曝の人体に対する影響を過小評価するメディア、専門家、行政の担当者(政治家を含む)の見解における政治的なバイアスとは、核の抑止力を非人道的な手段であると高いレベルにおいて認識し明言することに対する一部の核保有国からの外交上の妨害行為や貴重なパートナーを制度的な敵対者に変える可能性を、それらが直接的もしくは間接的なものであれ、背景にしたものであるかもしれないと類推をすることがあった(フランス科学アカデミーは低線量被曝の危険性を十分に認識しているのだが、核兵器がもたらす低線量被曝や内部被曝の危険性を切り離し、フランスにとって核兵器は悪いものではなく良いものであり、「核兵器のない世界」といった言葉に反対しており、政治的判断を通じ道徳的判断を行っていたことは、フランスに限った話ではないが、アメリカ政府による言説や日本国内における過小評価の背景の一部を導いていることを示唆しているだろう)。

また7月13日に中道左派のガーディアン紙で公表されたICMの世論調査によれば、イギリスの有権者の54%がトライデントの核弾頭において新しい世代に資金を注入するよりむしろ核兵器を廃絶することを好んでいたとあるように少なくともイギリスでは核に対して距離を置いた見方をするものが多数派を形成しつつある現状を確認することができるが、ビジネスに裏打ちされた政府間もしくは内部におけるコンセンサスと世界各国における国民の意思との乖離は、その程度が小さいのか大きいのかを別にすれば、世界的に生じている現象であり(これは原子力発電所の事故を巡る議論を念頭に置いているが)、コンセンサスでは人々の意思を代弁しきれない現状が世界的に存在していることを鑑みると、少なく見積もったとしても国民的な投票による解決を目指した制度設計といったものが求められているだろうと考えることがある。

そして日本の話に移るが、P3が核軍縮の歩みについて共同歩調をとろうとしており(その後、時間を掛ければP5に進展することも予想される)、核の抑止力の道徳的価値やその代替概念に揺らぎが生じており、南アジアや中東を含め世界的に議論が紛糾している状況の中で、どういった理由で福島の事故から核の話がでてくるのかが理解できなかったが、これは復古主義者かそれともビジネスを支える既得権益集団の声によるものかは定かではないが、いずれにせよ日本は国民的に核兵器の非人道的な性質に気が付いている(それは核がもたらす長期にわたる内部被曝の影響に対する人々の意識を例にとっても明らかであろう、ヨーロッパはチェルノブイリのフォールアウトからの教訓という形で学んでいるが、日本は第五福竜丸事件に加え福島のフォールアウトを通じて学ぶことになり、現在それは進行中であるが)。これまでに必要とされてきた情報に対してしっかりと公開を促しじっくりと議論を積み重ねる習慣といったものが根付いていれば、また違った展開を考えることも可能になったであろうが、フィルターやバイアスに溢れその古い体質を批判されている伝統的なメディアに様々な場で表明されてきた国民の意思を反映させることが少なかった現状を鑑みると、利用するメディアをシフトし、これまでは情報の受け手であった個が情報の発信者としての立場を獲得していくことを通じ、しぶしぶながら伝統的なメディアが現状を追認していくといった構造的な問題は日本国内に限定された話ではなく、福島、日本国内、広く世界の有権者に限定された情報構造から解放されることつまり地域や他の属性に基づく情報格差を縮めていくことは徹底的に議論する文化の基盤を形成するものであるから、それは他方でグラス・ルーツに根差した健全な民主主義の発展に資するだろうと考えることがある。

さらに付け加えるならば繰り返しになるが、抑止力の在り様は多様であり、目には目をといった単純な話ではなく、それ以外にもできることをやればよいといったことになり、それが可能であるならば、世界の他の国にとってもロール・モデルになりうるものになり、目指すべきものを間違ってはいけないといったことがこの話の趣旨になる。

前回同様これが全てであるとは言及しないが、アメリカのWikipediaの「核拡散防止条約」等の項目やWikiLeaksによって公開されたP3間の見解の違いに関するアメリカの公電の一部を訳すことにより上記の知見をサポートすることにする。URLは以下に示されるとおりになる。

http://en.wikipedia.org/wiki/Nuclear_proliferation
http://en.wikipedia.org/wiki/Libya_and_nuclear_technology

核拡散

核拡散は、核不拡散条約、NPTとも呼ばれている核拡散防止条約によって核兵器、核分裂性物質、武器に転用可能な核技術、情報を「核保有国」として認識されていない国々へ拡散することを記述するために現在用いられている用語である。

核拡散は核兵器を保有している国々や保有していない国々によって反対されており、それに対し反対している国々の政府は、核兵器を保有する国々が増えることは核戦争(核兵器を用いて市民を標的にするいわゆる「カウンターバリュー」を示している)の可能性を増加させ、国際的または地域的関係を不安定にし、国家の主権を侵害するかもしれないと眺めている。

国際的に認められた5つの核兵器保有国に加え4つの国々がすでに核兵器を入手したかもしくは入手したと考えられ、それはインド、パキスタン、北朝鮮、イスラエルになる。NPTに対する1つの批判は、それが1968年以前に核実験を行った国々のみを核兵器保有国としてみなすことや条約に参加するすべての他の国々に核兵器を保有しないことを要求することにおける差別にある。

1 核兵器拡散

核兵器の開発に関する研究はアメリカ、イギリス、ドイツ、日本、ソ連によって第二次大戦中に行われた。アメリカは戦争で核兵器を使用した初めてのそして唯一の国であり、それは、1945年8月に日本に対して2つの爆弾を使用したときのことだった。戦争による損失のため、ドイツと日本はあらゆる核兵器の研究に関与することを止めた。1949年8月にソ連は核実験を行った[1]。1952年10月にイギリスが核実験を行った。フランスは1960年に核兵器を開発した。中華人民共和国は1964年に核実験を行った。インドは1974年に核実験を行い、パキスタンは1998年に核実験を行った。2006年に北朝鮮が核実験を行った。

2 核拡散防止の取り組み

核拡散防止における初期の労力は、強力な政府による秘密の保持、既知のウラン貯蔵所の戦時買収(複合的な開発トラスト)、そして時には徹底的な破壊工作、例えばドイツの核兵器のために使用されたと考えられる重水施設への爆撃を含んでいた。兵器開発自体が、広島の爆撃まで秘密に保たれていた事実により、これらの労力の1つとして明示的に公開されていなかった。

トルーマン政権が国連原子力委員会のアメリカの最初の代表であるバーナード・バルークにちなんだ1946年のバルーク案[2]を提案したとき、第二次世界大戦の直後に、核拡散防止のための本格的な国際的取り組みが始まった。すべての政府が以下の2つのことを達成するために首尾良く協力した後、1946年のアチソン-リリエンタール報告を重視したバルーク案はアメリカの核戦力(それは当時世界において唯一の核戦力だった)を検証可能な状態で解体し破壊することを提案していた。2つのこととは、(1)すべての軍事転用可能な核物質と活動を所有しコントロールする「国際原子力開発機関」の設立と、(2)国連安全保障理事会でさえ拒否権をもつことができず、そして核兵器や核分裂性物質を作る能力を獲得しようとした国家を適切に罰するだろう自動的な制裁のシステムの創設を示していた。

バルーク案は広い国際的支持を獲得していたけれども、ソ連が安全保障理事会でその提案に対し拒否権を用いることを計画していたため、それがUNAECから提案されることはなかった。しかしアイゼンハワー大統領が国連総会で「平和のための原子力」について演説する1953年以前において、それは公式のアメリカの政策であった。アイゼンハワーの提案は1957年に最終的に国際原子力機関(IAEA)の創設につながった。「平和のための原子力」プログラムの下に世界中の数千人の科学者は原子力工学について教育を受け、母国に戻り、多くの人がその後母国で秘密の核兵器プログラムに携わることになった[3]。

4ヶ国(アメリカ、ソ連、イギリス、フランス)が核兵器を入手した後(さらなる情報については核兵器を保有する国々のリストを参照せよ)、1960年代初頭まで、核兵器の拡散を制限する国際協定を締結する取り組みは開始されなかった。これらの取り組みは1960年代初頭になされたけれども、中国が核実験を行った後の1964年に核兵器保有国の定義は再度改められることになった。1968年に18か国軍縮委員会(ENDC)を代表する政府はNPTの文言における交渉を終えた。1968年6月、国連総会は国連総会決議2373(XXII)でNPTを承認し、1968年7月、NPTはワシントンD.C.、ロンドン、モスクワで署名された。1970年3月にNPTは発効した。

1970年代半ば以降、これらの核に関連する物質や技術は核兵器プログラムの内最も困難で費用がかさむため、核拡散防止の取り組みにおける主要な焦点は、そのような装置を建設するために必要な核分裂性物質や専門的な技術に対する国際的なコントロールを維持し、時には強化さえすることであった。製造と配布がコントロールされる主な物質は高度に濃縮されたウランとプルトニウムになる。これらの特別な物質の入手以外に、初歩的であるが稼働する核爆発装置を開発することを目的とした兵器生産のための科学技術上の手段は先進国の手の届く範囲にあると考えられてきた。

1957年に国連によって創設されて以来、国際原子力機関(IAEA)は2つの時に矛盾するミッションを進めてきた。一方でその機関は民間における原子力エネルギーの利用を国際的に促進し普及させることを目指していた。他方でそれは核兵器、核爆発装置、未知の目的のために民間の原子力エネルギーを転用することを防止し、少なくとも発見することを目指していた。IAEAは現在1968年の核拡散防止条約(NPT)の第3条に示されるように安全保護システムを運用しており、それはこれらの核物質に関連した施設や技術同様にウランやプルトニウムの民間における貯蔵が平和目的のためのみに利用され、核拡散や核兵器プログラムに対しいかなる方法でも寄与しないことを確認することを目的としている。多くの他の国々に対する核兵器の拡散は核保有国によるこれらの国々に対する保証と相互の防衛を目的とした条約の拡大によって防がれているが、同様に国家の威信、特定の歴史的体験といった他の要因が核の拡散を早めたり防いだりすることにおいてある役割を演じていることについてしばしば議論がなされてきた[4]。

3 2重に利用できる技術

2重に利用できる技術は民間における原子力技術の軍事利用の可能性に言及している。もし国がそうすることを選択するならば核兵器を製造するために利用されることが可能である点で、原子力プログラムの実施に関連した多くの技術や物質は2重に利用できる性質を有している。このような事態が起こると、原子力プログラムは原爆に導くルートや秘密裏に行われる爆弾のプログラムに至る抜け道になる可能性がある。イランの核に関連した行為における危機的状況はその一例になる[5]。

アメリカや世界の安全保障における重要な目標は原子力の拡大に関連した核拡散のリスクを最小限にすることになる。もしこの開発が「不十分に管理され、リスクを封じ込める取り組みが失敗するならば、核の将来は危険なものになるだろう」[5]。原子力プログラムが安全かつ確実に開発され管理されるためには、国が適切な原子力の運用と管理を促すといった国内における「良い統治」の特徴を有していることが重要である[5]。

これらの特徴は、低いレベルの汚職(パキスタンのA.Q.Khanによる密輸ネットワークで生じたように、関係者が自身の個人的な利益のために核物質や技術を売ることを避けるために)、高いレベルの政治的安定性(政治的動機に基づいた暴力やテロを含む違憲で暴力的な手段によって政府が不安定になり転覆する蓋然性として世界銀行によって定義されている)、政治の効率性における高いスコア(「民間のサービスの質、政治的圧力からどの程度独立しているか、政策の策定と実施の質」を世界銀行によって集計した値)、高いレベルの規制能力を含んでいる[5]。

4 国際協力

4.1 核拡散防止条約

現在、189ヶ国が一般的に核拡散防止条約またはNPTとして知られている核兵器の不拡散における条約の締約国である。これらは5つの核保有国(NWS)、中華人民共和国、フランス、ロシア連邦、イギリス、アメリカを含んでいる。

NPTに調印していない著名な国はイスラエル、パキスタン、インド(後者の2つは以後も核実験を行っており、一方イスラエルは多くの人によって非公式に核保有国になったと考えられている)。北朝鮮はかつて調印したが、2003年1月に撤回した。北朝鮮の撤回の合法性には議論の余地があるが、2006年10月9日の時点で北朝鮮は明らかに核の起爆装置を製造する能力を保持していた。

4.2 国際原子力機関

IAEAは1957年7月29日に平和目的で国家が原子力エネルギーを開発することを援助するために設立された。この役割に関連したものに、個々の国が条約に基づく約束を尊重することを国際社会に保証するための保障措置協定の管理がある。独自の国際条約の下で設立されたけれども、IAEAは国連総会と安全保障理事会の双方に報告を行っている。

IAEAは定期的に、それに与えられた文書を検証するために、民間の原子力施設を検査している。この機関は備蓄やサンプルを検査し、物質を分析している。保障措置は、初期段階での発見のリスクを増加させることによって核物質の転用を防止するために設計されている。それらは、原子力供給国グループのような自発的組織を通じイギリスやアメリカのような国々から機密技術の輸出をコントロールすることによって補完されている。IAEAの主要な関心は、ウランが民間における商業プラントにとって必要な程度以上に濃縮されていないことと、原子炉によって製造されたプルトニウムが爆弾製造に適した形に精錬されていないことになる。

4.3 保障措置の適用範囲

伝統的な保障措置は核物質の利用を説明しコントロールするためのいくつかの協定になる。この検証はウランが特に平和目的のみに利用されていることを確認する国際的なシステムにおいて重要な要素になる。

NPT締約国はIAEAによって適用される技術的な保障措置を受け入れることに同意している。これらは核施設のオペレーターが核物質が関与するすべての移動と取引の詳細な記録を保持し明らかにすることを求めている。550以上の施設と他の数百の場所が定期査察の対象となり、それらの記録や核物質が監査されている。IAEAによる査察は監視カメラや計測機器のような他の手段によって補完されている。

査察は平和的な活動からの核物質の転用の可能性を警告する警告システムとして機能している。システムは以下の活動に依存している。

核物質の管理 - すべての内部と外部における移動とあらゆる核施設における物質のフローを追跡すること。これは核物質のサンプリングや分析、現場の査察、操作記録の検査と検証を含んでいる。

物理的保護 - 敷地における核物質へのアクセスを制限すること。

封じ込めと監視 - 封印、自動カメラ、現場の抜き打ち検査同様、報告されていない移動や核物質を不法に変えることを検出する他の装置の使用。

すべてのNPT非核国家はこれらのすべての範囲における保障措置を受け入れなければならない。5つの核保有国に加え非NPT国(インド、パキスタン、イスラエル)では、特定の施設において保障措置が適用される。IAEA査察官は定期的に記録の完全性と正確性を検証するためにこれらの施設を訪問している。

4.4 追加議定書

1993年にプログラムは古典的な保障措置を強化し拡大するために始められ、議定書のモデルは1997年にIAEA理事会によって同意された。措置は不明な核の活動を検知するIAEAの能力を後押しし、それは核民間の燃料サイクルと関連がないものも含まれている。

イノベーションは2種類あった。いくつかは、保障措置協定や査察を通じIAEAの既存の法的権限に基づいて実施されることができた。その他は、追加議定書を通じ与えられるさらなる法的権限を要求していた。このことは、既存の包括的保障措置協定を補完するものとして、核非保有国によってIAEAと合意されなければならない。核保有国は追加議定書のモデルの原則を受け入れることに合意していた。

追加議定書のモデルにおける重要な要素

IAEAは、ウランやトリウムの研究開発や製造(それが取引されているかどうかと関係なく)を含む核や核が関連した活動と核が関連した輸入品や輸出品に関するかなりの情報を与えられている。

IAEAの査察官はより大きなアクセス権を保有するだろう。このことはあらゆる疑わしい場所を含め、それは短時間になる可能性があり(例えば、2時間)、IAEAは不法活動を検知するために環境のサンプリングとリモート監視技術を用いることができる。

国家は行政手続きを合理化しなければならないので、IAEAの査察官は自動的にビザを更新させ、IAEAの本部とさらに容易に通信することができる。

保障措置のさらなる発展は各国家の評価に対してであり、その特別な状況や保有している核物質の種類を考慮に入れている。このことは、IAEAの一部におけるより大きな判断とNPT締結国を再確認する効果的な方法論の開発を含むだろう。

2010年12月20時点で、139ヶ国が追加議定書に署名し、104ヶ国がそれらを施行し、1ヶ国(イラク)はその議定書を暫定的に実施していた[6]。IAEAは同様に台湾で追加議定書の措置を適用している[7]。追加議定書に署名しない先進国に中に、イスラエルが包括的なIAEAの保障措置を受け入れるまで署名するつもりはないと述べるエジプト[8]と、議定書を濃縮や再処理における国際協力のための要件とすることには反対しているが[9]署名を拒否していない[10]ブラジルがある。

4.5 保障措置の限界

核兵器拡散にとってのさらに大きなリスクは、NPTに参加しておらず、核活動に保障措置を設けていない国々に起因しており、インド、パキスタン、イスラエルはこのカテゴリーに含まれる。保障措置は彼らの活動の一部に適用される一方、他は綿密な調査の対象外になっている。

さらなる懸念は、国々がさまざまな機密を有する核燃料サイクル施設を開発し、完全な保障措置の下でリアクターを研究し、その後の結果としてNPTを脱退するかもしれないといったことになる。ウラン売却のためにオーストラリアやカナダによって主張された二国間協定はこのことを予備条項によって扱っているが、多くの国々はこれらの協定の範囲の外にある。もし核開発可能な国がNPTを脱退する場合には、まさにそのことが保障措置に対する違反であるかのように、国連安全保障理事会にIAEAによって報告される可能性がある。そして貿易制裁の可能性が高くなるだろう。

NPTの下で適用される二国間協定とともにあるIAEAの保障措置は、オーストラリアやカナダのような国々によって供給されるウランが核兵器の拡散に寄与しないことを保証することが可能でありそして保証している。事実、世界におけるこれらの保障措置の適用と原子力発電のための現実に行われているウランの国際貿易が核兵器の拡散の可能性をかなり低くしている。

かつて広い効力を存在させていた追加議定書は、関係国において明らかにされていない核物質や活動が存在しないことに対し信頼できる保証を与えるだろう。このことは、核拡散を防止するための大きな前進となるだろう。

4.6 他の展開

1978年に原子力供給国グループはそのガイドライン、本質的には一連の輸出規制をIAEAに対して伝達していた。これらは、核物質や設備の移転が保障措置のない核燃料サイクルや核爆発を含む活動に転用されることがないだろうといったことを保証することになり、そしてこの結果に対する公式の政府による保証が求められていた。ガイドラインは同様に、機密性の高い施設、技術、軍事利用可能な物質の移転における物理的保障措置の必要性を認識しており、再移転条項を強化した。そのグループは7ヶ国、アメリカ、旧ソ連、イギリス、フランス、ドイツ、カナダ、日本から始まったが、現在全ての5ヶ国の核保有国を含む46ヶ国を含めている。

Kenneth D.Bergeronの『氷上のトリチウム:核兵器と原子力発電の危険な連携』によれば、トリチウムは「特別な核物質」としてでなくむしろ「副産物」として分類されている。それはアメリカの核武装解除の意図に対する真摯さにおける重要なリトマス試験紙として見られている。この放射性超重水素の同位体は核兵器における核分裂性物質の効率を高めるために用いられている。アメリカは2003年に15年ぶりにトリチウムの生産を再開した。このことは、同位体は自然に減衰するので、潜在的な核兵器の備蓄を交換することを示唆する可能性があった。

1995年5月にNPTの締約国は、兵器用の核分裂性物質の生産を禁止するための兵器用核分裂性物質生産禁止条約に対する彼らのコミットメントを再確認した。これは、1996年の包括的核実験禁止条約(2011年の時点で発効されていない)を補完し、中国における類似の禁止同様、核兵器の材料の生産を停止するためにアメリカ、イギリス、フランス、ロシアによってなされたコミットメントを成文化することを目的にしたものである。この条約は同様に、国際的な検証に同意するように、イスラエル、インド、パキスタンにさらなる圧力を加えるだろう。

2005年8月9日にAyatollah Ali Khameneiは、核兵器の生産、備蓄、使用を禁止するイスラムにおける法的決定を表明した。Khameneiの公式声明はウィーンの国際原子力機関(IAEA)における会議でなされた[2]。2006年2月時点でイランは公式に、国内におけるウラン濃縮が継続されることを表明した。イランはそれが平和目的であると主張したが、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカはその目的が核兵器の研究と生産のためであると主張していた[11]。

5 制裁されない核活動

5.1 NPT非署名国

インド、パキスタン、イスラエルは国際的な拡散防止体制の点で「境界」となる国々になる。彼らは1つ以上の核兵器を所有し、迅速に製造することができる。彼らは1970年のNPTの枠外にいた。彼らはこのように主に、いくつかの安全関連機器を除いて、原子力プラントや核物質の取り引きから除外されている。

1998年5月にインドとパキスタンはそれぞれ何回かの地下核実験を行った。パキスタンは認められた核保有国である中華人民共和国と関連があり、このことは両国間の軍拡競争に関する懸念を高めた。両国は現状ではNPTに反対しており、それを核保有国に有利な偏った条約であるとして、インドは一貫して1970年の発端以来条約を批判していた。

両国の間の関係は緊張しておりそして敵対的であり、両国の間の核紛争のリスクは長い間かなり高いものであると考えられてきた。カシミールは両国の緊張の主要な原因であり、その主権が1948年以来争われてきた。反乱とカシミールでの紛争状態の背景にあるパキスタンによる永続的な低レベルの軍事衝突が存在している。

両国は1980年代に在来型の軍拡競争をしており、それは核兵器を移動させることができる高度な技術と機器を含んでいる。1994年代に軍拡競争のペースが早まった。1994年にインドは国防に対する配分を削減する4年間のトレンドを逆転し、そのかなり小さな経済にもかかわらず、パキスタンはそれ自身の支出額をさらに高く押し上げることが期待されていた。両国はインドにとって旧ソ連、パキスタンにとってアメリカといった彼らの後援者を失った。

しかし中国の核兵器の成長や近代化とパキスタンの原子力発電プログラムや伝えられるところではミサイル技術への中国の援助がインドの懸念を悪化させた。パキスタンは中国の人民解放軍によって支援され、その人民解放軍は軍事物資の輸出側として中国内ではやや独立して活動していた。

5.1.1 インド

民間の原子力発電はインドでは十分に認められている。インドの民間における核戦略は核燃料サイクルにおける完全な独立の方向へと向かっており、率直に言えばNPTを拒絶することを必然的な理由としている。この自給自足はウランの調査や採掘、重水の製造、原子炉の設計や建設から再処理や廃棄物管理までに及んでいる。インドには小さな高速増殖炉があり、それよりはるかに大きなものを計画している。インドはまた核燃料としてのトリチウムのように豊富な資源を利用する技術を開発している。

インドは商業運転している14機の発電用原子炉を有しており、さらに大きい2機が建設中で、10機以上が計画されている。稼働中の14機(合計2548万kW)は次のようになる。

1969年に始まったアメリカからの150万kW級の2機のBWRは地元で濃縮されたウランを利用しそして保障措置の下にあり、2機の小型のPHWR(1972年と1980年に開始)は同様に保障措置の下にあり、10機の地元のPHWRはカナダの設計に基づいており、そのうちの2機は150万kW級であり、8機は200万kW級である。Taraporeにおける新規の2機は540万kW級であり、2機は700万kW級のプラントである(TAPP:Tarapore原子力発電プロジェクトとして知られている)。

建設中の2機と計画されたプラントの2機は国内発電の200万kW級が450万kW級になったものである。建設は財政的技術的問題によってひどく遅れている。2001年に最終合意は、ロシアから融資された30億ドルの契約の下で、原子炉である2機のVVER-1000で構成されるインドで初めての大型原子力発電所のためにロシアとの間で署名された。初めての設備は2007年に稼働する予定である。さらに2機のロシアの設備が現場では検討中である。

原子力発電は2000年にインドの電力の3.1%を供給しており、これは2005年までに10%に達すると期待されていた。いくつかのプラント(上記参照)は個別施設に対する保障措置の下にあるけれども、インドの原子力産業は大部分IAEAの保障措置外にあった。結果としてインドの原子力発電プログラムは他の国々からの燃料や技術支援なしで大きく進行することになった。

インドの核兵器の雛形はNPT以前の1960年に始められたカナダで設計された40万kW級の研究用原子炉からきているように思われ、1985年以来インド独自の100万kW級の施設が稼働中である。インドが核燃料を輸入していないように、双方は地元のウランを利用している。インドは100発に及ぶ核弾頭用の十分な兵器級のプルトニウムを製造しているかもしれないと推定されている。

インドとパキスタンの核プログラムは兵器のための核分裂性物質を製造するためにCANDUという原子炉を用いていると広く信じられてきたが、これは正確ではない。カナダ(40万kW級の研究用原子炉を供給することによって)とアメリカ(21tの重水を供給することによって)の両方がCIRUS(カナダ・インド研究施設サービス)と呼ばれる核兵器プログラムを推進するのに必要な技術をインドに供給していた。原子炉とすべての副産物が「平和目的のためのみに利用される」といった条件で、カナダはインドに原子炉を売却した。同様にアメリカは、「平和目的での研究と原子力エネルギーの利用と関連しているときのみ」、原子炉内での利用のための重水をインドに売却した。これらの協定に違反してインドは、初めての核実験を目的としてプルトニウムを製造するために、カナダから供給された原子炉とアメリカから供給された重水を利用した[12]。しかし「平和的な核実験」と主張することにより、インドの政府は論争が多いもののこの事実を正当化した。

核分裂性のウラン233を増殖することによって、インドは、核燃料としてのトリウムの利用を調査する小さなタイプを含めて、少なくとも3機の他の研究用の原子炉を保有していた。

インドは1974年に原子爆弾を爆発させ、いわゆる「Smiling Buddha test」は平和目的であったと一貫して主張していた。他国はその実験を中国の核兵器能力に対する対応として眺めていた。その後インドの公式の否定にもかかわらず、核兵器を所有し迅速に製造することができることがあらゆるところで認識されるようになった。1999年にインドは独自の中距離ミサイルを配備し、中国内の産業の中心地を標的にして到達できる中距離ミサイルを開発した。

1995年にアメリカは提案された核実験を阻止するために控え目に介入した。しかし1998年にOperation Shaktiで5回以上の核実験があった。これらは、高度な核融合爆弾であると主張されるものを含む、明白に軍事的な兵器であり、彼らが宣言した目的は「異なった爆発力と運搬システムをもつ核兵器を設計することに対する援助」であった。

インドの安全保障政策は次の3点によって推進されている。
・地域において支配的な軍事力として認識されるための決定
・中国の拡大する核兵器やミサイル運搬プログラムに対する増大する懸念
・インドの奥深くまで核ミサイルを到達させるだろうパキスタンの能力に対する懸念

インドは核兵器を中国の核兵器や通常兵器に対する費用対効果の高い政治的対抗措置として認識しており、インドの核兵器政策がパキスタンを刺激したことによる影響はある意味で副次的なものだった。インドは中国との不幸な関係を経験している。不安定な停戦が1962年の戦闘を終えた後、両国の関係は1998年まで凍結されていた。それ以来ある程度高レベルの両国間の接触が行われており、初歩的な信頼醸成のための措置が実施されてきた。インドの主張によれば、前述の戦争の間に占領したある領土を中国はいまだに占領しており、インドは中国によって主張されているある領土を占領している。中国の核兵器とパキスタンへのミサイルの支援は論争の主要な骨組みになっている。

アメリカの大統領であるGeorge W.Bushは、インドの核兵器に対する関与を議論するために、インドの首相であるManmohan Singhと会談を行った。両国は、アメリカがインドの原子力発電に対し援助を与えることで合意した。

5.1.2 パキスタン

原子力発電はパキスタンの電力の僅か2.34%しか供給していない。パキスタンは、国際保障措置の下にある1971年から小さなカナダの原子炉であるPHWR(125万kW級)を保有しており、保障措置の下で中国によって供給された2機の300万kW級のPWRが2000年6月と2011年5月に稼働を開始した。中国は、さらに2機の原子炉とともに、これらのPWRのために低濃縮ウラン燃料を供給している。

パキスタンは同様に1965年製の9万kW級の研究用原子炉を保有しており、プルトニウム兵器を製造する可能性があると思われている別の多目的型原子炉であるKhushab付近にある50万kW級のPHWRに関する長年にわたるレポートが存在している。

高度に濃縮されたウランやさらに最近ではプルトニウムの両方を製造するために独自のウランを利用して、パキスタンは同様に核兵器を製造している。1990年に、パキスタンが核兵器を製造する製作を追求していないことを証明することができなくなったため、アメリカはパキスタンへの軍事援助を打ち切った。これは2001年後半に緩和された。

パキスタンは1996年始めに、核兵器に関する基本的な開発作業を行っており、もしインドが核実験を行うならば、すぐに核爆弾の製造を始めるだろうということを明らかにした。パキスタンは現在、40発の核弾頭にとって十分な高濃縮ウランを保有していると思われている。1998年5月、インドの核実験実施の数週間以内に、パキスタンはChagai Hillsでの6回の地下核実験を、5回はその月の28日に、1回は30日に行ったと公表した。そしてこれらの主張と一致した地震が記録されていた。

1970年代に、フランスによって与えられた再処理プラントからの核分裂性物質を入手することを期待して、パキスタンは初めてプルトニウムのルートに焦点をあてた。この計画はアメリカの介入により失敗したが、パキスタンは断念しておらず、ウラン濃縮技術を入手する努力を増強した。この方向に向けた努力はAbdul Qadeer Khan博士の下でなされてきた。Khan博士は以前にFysisch Dynamisch Onderzoekslaboratorium(FDO)で働いていた。FDOは、アムステルダムに本拠を置くオランダ企業であるVMF-Storkの子会社だった。1972年から1975年までKhan博士は、兵器級の濃度までに通常ウランを濃縮するために利用された機密データに対するアクセス権を保有していた。FDOはURENCOのために超高速遠心分離機の開発に取り組んでいた。

Khan博士がAlmeloにあるURENCOのプラントに翻訳者として17日間出向していた1974年に、彼はプラントに関する写真や文書を入手していた。Khan博士は1976年にパキスタンに帰国し、彼の以前の雇用主から入手した技術に基づいたウラン濃縮プログラムを始めた。イギリス政府がアメリカのEmerson Electric Companyのイギリス子会社にパキスタンへの核技術の移転を止めさせた後、Khan博士はドイツの供給者に対する不満を次のように述べた。「ドイツチームのあの人は道義にかなっていない。彼が私たちから発注したものを入手しなかったとき、彼は労働党のメンバーに手紙を書き、その疑問は(イギリスの)議会で尋ねられたことだろう」[3]。

A.Q Khanの努力は彼を国民的英雄にした。1981年に賛辞として、パキスタンの大統領であるムハンマド・ジア-ウル-ハク将軍は濃縮プラントを「The A.Q.Khan Research Laboratories」と改名した。

2003年にIAEAはパキスタンと緊密な関係にある核のブラック・マーケットを明らかにした。パキスタン政府が直接関与していることが広く信じられていた。Khan博士に他ならない疑わしい核のブラック・マーケットの責任者にIAEAがインタビューすることをパキスタン政府が拒否したことにより、この主張を確認することはできなかった。すべての責任を取ることによって政府を救うために、Khan博士は後に国営テレビで彼の犯罪を告白した。彼はパキスタンからイランや北朝鮮への核の拡散を告白した。彼はすぐに引き換えに大統領による免責を与えられた。政府レベルでの関与の正確な本質はまだ不明であるが、政府の振る舞いにおける態度はパキスタンの誠意に疑問を投げかけている。

5.1.3 北朝鮮

北朝鮮は1985年にNPTに参加し、その後IAEAとの保障措置協定に署名した。しかし北朝鮮は核兵器を製造するために寧辺にある原子炉の燃料から取り出したプルトニウムを転用していると考えられていた。検査と疑われる違反の問題におけるその後のIAEAとの対立は1993年における北朝鮮によるNPTからの脱退の脅しをもたらした。これは最終的に、その原子炉や使用済み燃料棒に適用されるIAEAの保障措置を与えた1994年の同意された枠組みをもたらしたアメリカとの交渉につながった。北朝鮮がプルトニウムを抽出することを抑えるためにこれらの使用済み燃料棒はアメリカによって金属容器の中に封印された。北朝鮮はそのためにそのプルトニウムプログラムを凍結しなければならなかった。

この間にミサイル技術移転に関するパキスタンと北朝鮮の協力が確立されていた。報告されるところによればパキスタンへのスカッドミサイル技術の供給を議論するために、高レベルのパキスタン軍事代表団が1992年8月から9月にかけて北朝鮮を訪問した。そして1993年にBenazir Bhutto首相は中国と北朝鮮を訪れた。その訪問はその後のパキスタンによるGhauri(北朝鮮ではノドン)ミサイルの入手に関連していると信じられている。1992年から1994年の間にA.Q.Khanは13回北朝鮮を訪問したと伝えられていた。北朝鮮とのミサイル協力プログラムはA.Q.Khan博士のKahuta Research Laboratoriesの下にあった。この時点での中国はパキスタンにM系のミサイルを供給しないことを求めるアメリカからの圧力の下にあった。このことはパキスタンが(おそらく中国の黙認で)ミサイル移転のために北朝鮮に接触することを押しつけていた。レポートは、北朝鮮が5千万ドルで固体燃料ロケットエンジン、慣性航法装置、スカッド地対地ミサイルのコントロールと検査機器を含むミサイルのサブシステムを供給する意思があったことを示唆している。

北朝鮮が見返りに得たものは不明である。ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー(2002年11月27日)においてJoseph S.Bermudez Jr.は、欧米のアナリストは北朝鮮がミサイルの見返りに何を得たのかについて疑念の声を上げ始め、多くはそれが核技術や部品であると疑っていたと伝えている。KhanのKRLはパキスタンのウラン濃縮プログラムと北朝鮮のミサイルプログラムの双方に責任があった。そのためこの間にパキスタンと北朝鮮における核技術の協力が始められた可能性があった。欧米の諜報機関はKRLと北朝鮮第二経済委員会(兵器製造を担当)といった組織の間で人員、技術、部品の交換が行われていたことに気付き始めた。

2002年10月18日のニューヨークタイムズのレポートは、アメリカの諜報関係者がパキスタンは北朝鮮に対して決定的な機器の主要な供給者であると述べていたことを引用した。そのレポートは、ガス遠心分離機のような機器は北朝鮮がパキスタンにミサイルを供給した際の「物々交換の対象」であったように思われると付け加えていた。個別のレポート(ワシントンポスト、2002年11月22日)は、アメリカの情報機関は早くも1999年に北朝鮮が核兵器を開発し続けていたことを示す徴候を得ていたことを示唆していた。他のレポートは同様に、北朝鮮が少なくとも5年間核兵器のための濃縮技術を開発するために密かに活動し、パキスタンから得た技術を利用したことを示唆していた(ワシントンタイムズ、2002年10月18日)。

5.1.4 イスラエル

イスラエルは同様に、潜在的な数百発の核弾頭の軍需工場や関連した運搬システムを保有していると考えられるが、このことは公然と確認されている訳ではなく、否定されている。

イスラエルの核施設はディモナの南約10kmのところにあり、それはネゲブ原子力研究センターになる。その建設はフランスの援助で1958年に始まった。イスラエルとフランス政府によって与えられた公式の理由は「ネゲブを緑化する」ことを目的として、「淡水化プラント」に電力を供給するために原子炉を建設することだった。ディモナプラントの目的は核兵器を製造することであると広くみなされており、防衛の専門家の大半はそれは事実そうしていると結論づけている。しかしイスラエル政府はこのことを公然と確認することを拒否し、否定しており、その政策は「曖昧」であると言及されている。

ノルウェーは1959年と1960年に闇取引を行い、原子炉に必要とされている20tの重水をイスラエルに売却した。平和目的でない重水の利用を防ぐためにこの取引に対して要求された「保障措置」は存在していなかった。イギリスの新聞であるデイリー・エクスプレスは1960年に原爆を開発していたイスラエルを非難した[3]。アメリカの情報機関が1960年代初頭にディモナプラントの目的に気が付いたとき、それはイスラエルが国際的な査察に同意することを要求した。イスラエルは同意したが、IAEAよりむしろアメリカの査察官が担当し、イスラエルがすべての査察の事前通知を受けるだろうことが条件になった。

ある一部の者たちは、イスラエルは査察官の訪問のスケジュールを知っているので、個々の査察の前に一時的に偽の壁や他の機器を設置することにより、査察官から敷地における疑惑をもたれている目的を隠すことができると主張していた。査察官は結局アメリカ政府に、彼らが査察できる施設のどんな地域であろうともイスラエルによる制限があるので、彼らの査察は役に立たなかったことを伝えていた。1969年にアメリカは査察を終了した。

1986年にディモナプラントの元技術者であるMordechai Vanunuがメディアにイスラエルの核プログラムにおけるいくつかの証拠を明らかにした。イスラエルの情報員はイタリアで彼を逮捕し、彼に薬を飲ませ眠らせ、彼をイスラエルに搬送し、イスラエルの裁判所は反逆罪とスパイの容疑で彼を秘密裁判にかけ、懲役18年の刑を宣告した。彼は2004年4月21日に釈放されたが、イスラエル政府によって厳しく自由を制限されていた。彼は公式になされた容疑に基づきすぐに起訴されなかったのだが、2004年11月11日に再び逮捕された。

ネゲブ原子力研究センター内でMordechai Vanunuによって撮られた写真に対するコメントが著名な科学者たちによってなされた。数日間Vanunuに質問していたイギリスの核兵器科学者であるFrank Barnabyは、イスラエルは約150の兵器に対して十分なプルトニウムを保有していると推定していた[13]。アメリカによって採用された原爆の設計者であるTed Taylorは、Vanunuの写真に基づき数百発の核弾頭の保有が推定されることを確認していた。

5.2 南アジアにおける核兵器管理

核拡散防止に関し両国における公然の態度は著しく異なっている。パキスタンは継続的なプロパガンダのディベートを支配しているように思われる。

パキスタンは一連の地域の安全保障に対する提案を始めた。パキスタンは繰り返し南アジアにおける非核地帯を提案し、もしインドがそうするならば、核の廃絶に関わり、核拡散防止条約に署名するパキスタンの意思を宣言していた。パキスタンは、南アジアにおける核拡散防止を考慮して、地域の5つの電力会議のためのアメリカの提案を支持していた。

インドの主な関心は中国にあったので、インドは地域の安全保障問題に対する解決が地域のレベルよりむしろ国際的なレベルで見受けられるべきであるとの見方をとっていた。インドはそのためパキスタンの提案を拒否した。

そのかわりに1988年に提唱された「ガンジーのプラン」は、インドが核保有国を有利にする本質的な差別とみなしていた核拡散防止条約の改定と完全な核兵器の廃絶のためのタイムテーブルを提案していた。インドは、包括的核実験禁止条約や「カットオフ」条約として知られる軍事目的の高濃縮ウランやプルトニウムの製造を禁止するための国際条約のための早期の提案を支持していた。

特にクリントン政権下で数年間アメリカは、核兵器を放棄し、すべての核活動における包括的な国際的保障措置を受け入れるようインドとパキスタンを説得するさまざまな取り組みを追求していた。この目的のためにクリントン政権は5つの核保有国、日本、ドイツ、インド、パキスタンによる会議を提案した。

インドはこの提案や類似した以前の提案を拒否し、イランや北朝鮮のような他の潜在的核保有国が招かれるべきであり、もし提案が中国によって同様に受け入れられるならば、地域の制限のみが受け入れられるべきだろうといった要求で対抗した。アメリカはイランや北朝鮮の参加を受け入れず、これらの取り組みは消滅していった。

別の、さらに最近のアプローチは軍事目的のための核分裂性物質の製造を制限することに主眼を置き、それはうまくいけば「逆戻り」によって生じるだろう。この目的のために、インドとアメリカは共同で、「カットオフ」条約のための交渉を求める1993年の国連総会決議を支持していた。もし万が一にもインドとパキスタンがそのような条約に参加することがあるならば、彼らは軍用の核分裂性物質の製造を停止し、彼らの関連核施設に(濃縮と再処理工場)に対し国際的検証を受け入れることに合意しなければならないだろう。インドは今や国連軍縮会議の下でそのようなカットオフ条約に関する交渉に参加する用意をしているように思われる。

対立の可能性を減少させるインドとパキスタンの間における二国間の信頼醸成措置は限られている。1990年に両国は互いの核施設を攻撃しない条約を批准し、1991年末、たとえそれぞれのリストが完全に正確なものでないとみなされていても、両国はすべての両国の原子力発電所の位置を示すリストをお互いに与えた。1994年始めにインドは、核兵器の「先制不使用」と核施設同様民間や産業上のターゲットを保護するための「核施設を攻撃しない」条約の拡大のための二国間協定を提案した。

1954年以来、包括的核実験禁止条約を推進してきたが、インドは1995年に支持することを止め、1996年に条約を拒否することを試みた。1998年の核実験に随い、疑問が再び生じ、パキスタンとインドの両国はCTBTに署名する意向を示していた。インドの批准は核兵器の特定の削減に合意している5つの核保有国次第かもしれない。国連軍縮会議は同様に、両国におそらく核非保有国として「核拡散防止条約に遅滞なく応じるように」呼びかけてきた。

5.3 NPT署名国

5.3.1 エジプト

2004年と2005年にエジプトはIAEAに過去の申告されていない核活動や核物質を明らかにした。2007年と2008年に高濃縮や低濃縮のウラン粒子がエジプトで採取された環境からのサンプル中に検出された[14]。2008年にIAEAはエジプトの声明はIAEA自身の検出と一致していると述べていた[15]。2009年5月にロイターはIAEAがエジプトに対してさらなる調査を行うことを伝えた[16][17]。

5.3.2 イラン

2003年にIAEAはイランが保障措置協定を遵守する義務に違反していると伝えた[18]。2005年にIAEA理事会は、NPT保障措置協定を遵守しないイランを認め、国連安全保障理事会に遵守していないことを伝えるコンセンサスの形式をとらない希な決定に対し投票を行い[19][20]、それに対する回答として国連安全保障理事会はプログラムについての懸念に応じた一連の決議を通過させた[21][22][23][24][25]。イランの国連代表は、制裁が核拡散防止条約の下での平和的な核技術に対するイランの権利を放棄することをイランに強要していると主張している[26]。イランは、そのウラン濃縮プログラムが平和目的のみのものであり[27][28]、「5%以下」にウランを濃縮しており、それは原子力発電所の燃料として問題がないものであり、兵器のプログラムで一般的に利用されるWEUの純度(約90%)より十分に低いものである[29][30]と述べている。国際原子力機関の事務局長である天野之弥は2009年に、IAEAの公式文書の中でイランが核兵器を開発しているという証拠を見たことがないと述べている[31]。

5.3.3 イラク

1980年代後半には、いかなる未申告の核活動も保障措置を経た核物質の転用に基づかなければならないだろうといったことが一般的に考えられていた。政府は核活動の可能性が保障措置によってカバーされるものから完全に独立していることを認めていたが、それらの活動は国家の諜報活動によって検知されるだろうといったことが考えられていた。それらの活動を検知しようとするIAEAの取り組みは特になかった。

イラクは1960年代から核の可能性を確保する努力を行っていた。1970年代後半には専用のプラントであるOsiraqがバグダードの近くに建設された。プラントはイラン・イラク戦争中に攻撃され、1981年6月にイスラエルの爆撃によって破壊された。

NPT運用検討会議以降、一部の国が(例えば)既存のNPT保障措置協定における「特別査察」に対する規程をさらに運用する可能性を高めていた。もし未申告の物質や活動があると信じるに十分な理由が存在しているならば、特別査察は、保障措置が日常的に行われている以外の場所で実施されることが可能であった。

国連の湾岸戦争停戦決議に基づきイラクに対する査察がイラクの秘密核兵器開発プログラムが扱っていた範囲を示した後、IAEAがその活動の範囲を拡大させなければならないだろうことが明らかになった。イラクはNPT締結国だったので、IAEAの保障措置の下にすべての核物質を扱うことに合意した。しかし査察は、イラクが大規模な秘密のウラン濃縮プログラムのみならず、核兵器の設計プログラムも追求していたことを明らかにした。

イラクのウラン濃縮プログラムの主眼は国内のウランに対する電磁同位体分離(EMIS)のための技術開発だった。これは質量分析計と同じ原理を(はるかに大きい規模ではあるが)利用していた。磁場内を移動するとき異なる半径の弧を描くため、ウラン238とウラン235のイオンは分離されることが可能である。このプロセスは、広島型原爆で用いられた高濃縮ウランを製造するためのマンハッタン計画で利用されていたが、その後すぐに破棄された。

イラク人はバグダード近郊のTuwaithaにある核研究施設において基礎研究の仕事を行い、バグダード近郊のTarmiyaやAsh Sharqatに2つの総力を挙げた施設を建設していた。しかし戦争が始まり、わずか数機の分離装置しかTarmiyaには設置されず、Ash Sharqatには1つも設置されなかった。

イラク人は同様に遠心濃縮に非常に関心があり、検証の初期段階ではあるが、いくつかの炭素繊維による回転翼を含むいくつかの部品を入手することが可能であった。

イラク人は明らかにNPTや保障措置義務に違反しており、IAEA理事会はその影響を左右する立場にあった。その後国連安全保障理事会はIAEAにイラクの核兵器製造能力を取り除き、破壊し、無害にするよう指示した。このことは1998年半ばに行われたが、当時イラクが国連とのすべての協力作業を中止したため、IAEAはこの作業から撤退した。

イラクに対する摘発は、保障措置が達成するよう目的としている対象におけるはるかに広範囲にわたる見直しを促した。

5.3.4 リビア

リビアは化学兵器や弾道ミサイルを保有し、核兵器を追求してきた。2003年12月19日にリビアの最高指導者であるムアンマル・カダフィ大佐は、大量破壊兵器や長距離弾道ミサイルを含む国際的に禁止されている兵器につながる可能性があるすべての物質、機器、プログラムをリビアは自発的に除去する意思があることを発表した[1][2][3]。リビアは1968年に核拡散防止条約(NPT)に署名し、1975年に批准し、1980年にIAEAと保障措置協定を締結した[4]。アメリカとイギリスは、国際原子力機関による独立した検証を通じ、リビアの核兵器プログラムから機器や物質をリビアが除去することを支援していた[3]。リビアは化学兵器禁止条約に加盟し、それは2004年2月5日に発効し[5]、その年以降リビアの化学兵器を破壊したが[6]、化学兵器製造施設を平和利用に転換し、マスタード剤の備蓄を廃棄する期限に間に合わなかった[7]。

核開発プログラム

イドリース1世は1968年7月に核拡散防止条約(NPT)に署名したが、ムアンマル・カダフィ大佐によるクーデターで追放された。1975年にリビアは条約を批准したが、伝えられるところではカダフィ大佐はさまざまな供給元から核兵器を入手するために労力を費やしたことによって条約に違反していた[3]。リビアの核プログラムはイスラエルの核プログラムに対応したものだが、比較的低い水準の科学と技術の発展によって阻害されていた[3]。カダフィ大佐は、スイスの原子力技術者であるFriedrich Tinnerを含む、違法な核拡散ネットワークやさまざまな闇供給者を注意して眺め始めていた。1970年に中華人民共和国の首相である周恩来との会談で、カダフィ大佐は核兵器の購入の企てに失敗したが、これは中国側の拒否によるものだった[3][8]。1974年にラホール(パキスタン)にあったイスラム諸国会議機構(OIC)に参加している間、当時の首相であるズルフィカール・アリー・ブットーは秘密のプログラムであるProject-706に参加するためにリビアに派遣された[9]。しかしリビアがこのプログラムに参加する頃には、ブットーはパキスタンの最高裁判所の命令により処刑されていた[9]。新しい戒厳令司令官(CMLA)であるジア・ウル・ハクはカダフィ大佐を信用できないと嫌って、リビアの科学者は注意深くその参加から除外され、即座にその国を去るように命じられた[9]。この間リビアの諜報機関はパキスタンの高度な研究施設に侵入することに失敗したが、パキスタン軍統合情報局がリビアのエージェントを逮捕し、その通信を傍受していたために、そのような侵入行為がパキスタン軍統合情報局によって妨害されていたからだった[8]。

カダフィ大佐はあきらめることを望まず、そのためにリビアは核兵器の支援のためにパキスタンの最大の競争相手であるインドへと向かった[10][3]。1978年にリビアのエージェントはインドを説得し、インドから核兵器を購入しようとした[10]。しかしインドにおける平和のための原子力プログラムの一環として、原子力エネルギー協定がリビアとインドによって署名された[3][10]。両国の間でどれほどの対話と協力がなされたかは定かではない[3]。1970年代と1980年代を通じて、リビアは学術上の進歩における困難に直面していたにもかかわらず、さまざまな供給元から核兵器を入手するための多大なる労力を費やしていた[3]。1970年代にリビアはウラン濃縮製法を追求し、ウラン鉱石、ウラン転換施設、兵器級ウランをリビアが製造することを可能にするだろう濃縮技術にアクセスするために多大な労力を費やしていた[3]。このアプローチは1979年に失敗し、1980年にリビアは核兵器に対するプルトニウムを用いた手段を追求することを決定していた[3]。複数回にわたってリビアはその署名された条約に違反し、NPTによって求められているIAEAに報告することなしに、ニジェールにおけるフランスに管理された鉱山からの1200tのウラン精鉱を輸入していた[3]。1982年にリビアはベルギーから4フッ化ウラン(UF6)を製造するためのプラントを購入しようとしていた[3]。当時リビアは4フッ化ウランを必要とする核施設を公表していなかったため、その購入は拒絶された[3]。

1981年にソ連は、リビアがIAEAの保障措置と査察の下に完全に入る条件で、核施設を建設することを最終的に合意した。Tajura核研究施設(TNRF)として知られるところで、リビアは不法なウラン転換実験を行っていた[3]。伝えられるところでは未確認の核保有国が同様にリビアをIAEAによって名前が秘密に保たれているこれらの実験において支援していた[3]。科学国際安全保障研究所の核専門家であるDavid Albrightは、ソ連と中国が最も可能性が高い容疑者であると述べていた[3]。1980年に施設における外国からの専門家が、ウラン濃縮用ガス遠心分離機を製造する目的で、リビアにあるTajoura核研究センターにおいて設計プログラムの実験を実施し始めた[3]。IAEAは、それはIAEAに以前所属していたスイス出身の核技術者であるFriedrich Tinnerであると伝えていた[3]。Tinnerは1992年に仕事を終えていたが、リビアは稼働する遠心分離機を製造することがまだできず、核物質を含むいかなる遠心分離機を用いた実験も行われていなかった[3]。

2000年にリビアは、Tinnerが開発プログラムの責任者を務めていたときに、そのプログラムの進展を促進させた。濃縮ウランを製造するために遠心分離工場を設置することを意図して、リビアは他国に遠心分離機とその部品を発注し始めた[3]。

リビアは遠心分離機とその運用に関する膨大なドキュメントを入手していた。しかしそれらのドキュメントを解釈し運用することに困難を抱えていたため、リビアとTinnerはこれらの設計を評価することに対し多くの失敗を抱えていた。リビアは最終的にIAEAの査察官に、当時これらの設計を評価するための国内における有能な人材を擁していなかったことを述べており、仮に核兵器を追求する決定を行ったとしても、リビアは供給国に助けを求めなければならなかっただろう。

外国からの支援

1980年にソ連は核プログラムに関してリビアの重要なパートナーを務めていた[10]。ソ連は2つの核研究施設を建設し、それはIAEAの保障措置の下に置かれたものだった。最初の施設はAl Hashan(AHF)になり、他はTajura核研究施設(TNRF)になる[10]。リビアの核プログラムは度々管理の不手際と学術面での世代の損失から被害を被っていた[10]。Tajura施設はソ連の専門家によって管理され、ソ連のスタッフによって支援された少数ではあるが未経験の750人に及ぶリビアの専門家と技術者によって構成されていた[10]。1984年にリビアは原子力発電所の供給ためにソ連と交渉していたが、その旧式の技術はカダフィ大佐を不満にさせていた[10]。カダフィはベルギーと交渉したが、会談は失敗に終わった[10]。1984年にリビアはパイロット版のウラン転換施設を発注し日本と交渉していた[10]。日本企業はリビアに技術を供給し、中間業者を通してではなく直接手配していた[10]。施設はAl Hashan施設付近に建設され、研究が始められていた[10]。

しかし後にFriedrich Tinnerが開発プログラムに参加し、プログラムの責任者になった[10]。リビアは多数のブラック・マーケットの供給者と取引した[10]。上級研究員であるAbdul Qadeer Khan博士が守秘義務を課せられたのは、リビアに対しTinnerを通じ遠心分離機の設計の機密を売ったことをパキスタンの国民全体に告白した後だった[10]。

廃止

2003年にアメリカの諜報機関は地中海北部の港におけるリビア向けの遠心分離機に関しその後配送される機器を押収した。調査はこれらの部品の多くがマレーシアにあるScomi精密工場によって製造されたことを明らかにした。そしてそれはA.Q.Khan博士やイギリス、ドイツ、スイス国籍の人物による技術的指導の下で製造されていた。ニュースが公表された後、リビア人の意気込みは低下し、挫かれるものになった[3]。

一部のアナリストによれば、カダフィが非難した2001年9月11日の攻撃と差し迫っていたアメリカによるイラク侵攻はアメリカとの間に平和を築きたいリビアの意思を増大させた。リビア高官は公式に開発プログラムを廃止するためにイギリス、ロシア、アメリカ高官との秘密裏の会合を始めていた。2003年3月、イラク侵攻の前日にカダフィの個人的な特使がブッシュ大統領、イギリスのトニー・ブレア首相に開発プログラムを廃止するリビアの意思について接触を図っていた。その後カダフィの指示で、リビアの高官はイギリスとアメリカの高官にリビアの化学、生物、核、バリスティックミサイル活動に関するドキュメントと付随的な資料を与えた。リビアは繰り返しアメリカやイギリスの高官に、以前は秘密とされた10の施設、数十に及ぶリビアの研究所や軍事施設を核燃料サイクルに関連した活動や化学、ミサイルプログラムを調査するために訪問するよう求めていた。

2003年12月19日にカダフィは開発プログラムを廃止する不意をつく発表を行った。リビアはすべての化学、核、生物兵器を破壊することに合意した。リビアはアメリカ高官に遠心分離機の設計図を与え、供給者の名前を与えていた。その公表はパキスタンの上級研究者の1人であるAbdul Qadeer Khanに守秘義務を課することを促した。2004年にIAEAの関係者やインターポールとともにアメリカはリビアの核プログラムの責任者であるFriedrich Tinnerの逮捕を導いた。2004年1月22日にアメリカの輸送機はリビアの核、バリスティックミサイルプログラムに関連する55,000ポンドに及ぶドキュメントと機器をテネシー州にあるオークリッジ国立研究所に運んだ。2004年3月に1,000を超える付随的な遠心分離機とミサイルの部品がリビアから輸送された。

5.3.5 ミャンマー

ミャンマーの軍事政権は5年以内に初めての原爆を入手することを目的にして北朝鮮の支援とともに密かに原子炉やプルトニウムの抽出施設を建設していると2人のミャンマーからの亡命者が述べているとシドニーモーニングヘラルド紙や日本の新聞であるサーチナのレポートが伝えている。レポートによれば、「秘密の複合施設の多くはビルマ北部のNaung Laingの山の中に掘られた洞窟の中にあり、ロシアによる別の敷地に建設された民間のリアクターと平行して管理されており、ロシアとビルマの双方はそれが国際的保障措置の下に置かれるだろうと述べている」[32]。2002年にミャンマーはIAEAに民間の核プログラムを追求する意思があることを通知していた。後にロシアは、ミャンマーに原子炉を建設すると発表した。AQ Khanの仲間から2人のパキスタンの科学者が移住先であるミャンマーに派遣され、ミャンマーのプロジェクトを支援したとのレポートが同様にあった。最近David Albrightによって導かれた科学国際安全保障研究所は北朝鮮の援助を受けたミャンマーの核プロジェクトの実施について警鐘を鳴らした。もしそれが本当ならば、国際的な圧力のすべてがミャンマーに反対に作用していたと開発に精通している関係者は述べていた。しかし同様に亡命者によって広められている情報は「準備段階」のものであり、2010年のミャンマーにおける選挙の実施において民主主義と人権の問題に関して圧力をかけるために欧米によって用いられている可能性があった。2009年7月のタイで開催されたASEANの会合において、ヒラリー・クリントンは北朝鮮の関わりに対する懸念を強調していた。「私たちは私たちが深刻に受け止めている北朝鮮とビルマの間の軍事協力に関する懸念が同様に増大している事実に気付いている」とクリントンは述べていた[33]。

5.3.6 北朝鮮

朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)はソ連による原子力発電所の供給のための条件としてNPTに加盟した。しかし北朝鮮は1992年4月までIAEAとのNPT保障措置協定の締結とわずか18ヶ月しか要しない手続きを遅らせていた。

その間に北朝鮮は、イギリスのマグノックスの設計に基づく約25MWt(5万kW)級の、小型のガス冷却を有し、黒鉛減速で、天然ウラン(金属)を燃料とする「実験用原子炉」を実用化していた。これは全て独自に原子炉を開発することに対して十分に適していたが、同様に兵器目的の小型のプルトニウム製造のためのすべての機能を示していた。北朝鮮はまた同じ原則に基づいて設計された2機のさらに大きいリアクターの建設においてかなり進歩を遂げており、それは、約200MWt(50万kW)級のプロトタイプと約800MWt(200万kW)級の本格的なバージョンになった。それらはゆっくりと進歩を遂げるのみだったが、1994年に両者において建設が中止され、再開されることはなかった。双方のリアクターはその時以来かなり劣化しており、再開するにはかなりの労力を必要とするだろう。

さらに北朝鮮はマグノックス使用済み核燃料を処理する再処理工場を完成し稼働させ、ウランとプルトニウムを再利用した。燃料が非常に低い燃焼度で照射されるならそのときのみ、プルトニウムは兵器のために非常に適した形になるだろう。寧辺にあるこれらのすべての施設は保障措置の下にあるけれども、ある段階で北朝鮮がNPTから脱退し、兵器のためにプルトニウムを使用するリスクが常に存在していた。

NPTの保障措置を適用する最初のステップの1つは、国内のすべての核物質が保障措置の目的のために申告されていることを確認するためにIAEAがウランとプルトニウムの当初のストックを検証することになる。1992年にこの作業を引き受ける一方、IAEAの査察官は北朝鮮が申告するより頻繁に再処理工場が利用されていることを示唆する矛盾に気が付き、そのことはIAEAに申告されていない兵器級のプルトニウムを北朝鮮が保有していることを示していた。加盟国によってIAEAに渡された情報(IAEAによって要求されていた)は、北朝鮮が2つの申告されていない廃棄物や他の貯蔵施設を有していることを示唆することを支持していた。

1993年2月に核物質の当初のストックが検証されることができるように、IAEAは2つの施設の特別査察を可能にするために北朝鮮を訪問した。北朝鮮はそれを拒否し、3月12日にNPTから脱退する意思を公表した(3ヶ月の事前通知が必要とされている)。1993年4月にIAEA理事会は北朝鮮が保障措置義務を遵守していないと結論づけ、国連安全保障理事会に問題を報告した。1993年4月に北朝鮮はNPTからの脱退を「中断」したと公表したが、その後保障措置義務に関して「特別な地位」を主張していた。これはIAEAによって拒否された。

一旦北朝鮮が保障措置義務を遵守していないことが国連安全保障理事会に報告されると、IAEAの任務の基本的な部分は完了されたことになる。北朝鮮における査察は継続されていたが、査察官は北朝鮮の「特別な地位」を求める主張によって許可された活動においてますます妨害を受けていた。しかし実験炉に関する約8,000本の腐食した燃料棒は徹底した監視の下にあった。

アメリカと北朝鮮の二国間交渉や1994年10月に合意された枠組みにしたがって、IAEAは追加的な責任を付与された。合意は北朝鮮のプルト二ウム生産炉や関連施設を建設し稼働することを凍結することを求めており、IAEAは施設が最終的に解体されるまで凍結をモニタリングする責任を有している。北朝鮮はIAEAの検証作業に非協力的であり、まだ保障措置協定を遵守していない。

イラクは戦争に敗北し、停戦条件の部分として核兵器プログラムを探し破壊する機会を国連に許容していたが、北朝鮮は敗北しておらず、貿易制裁のような他の措置に対して脆弱でもなかった。北朝鮮は輸入する余裕がほとんどなく、石油のような重要な産品に対する制裁は効果的でなく、戦争を引き起こすリスクにつながるかもしれなかった。

最終的に北朝鮮は、エネルギーに関連した約50億ドルの支援における合意された枠組みの下で、引き換えに核兵器プログラムになると思われるものを止めるように説得されていた。このことはアメリカの高度なSystem80の設計に基づいた2機の1,000万kW級の軽水炉原子力発電所を含んでいた。

2003年1月に北朝鮮はNPTを脱退した。反応として、六者会合(北朝鮮、韓国、中国、日本、アメリカ、ロシアで構成されている)において北朝鮮、アメリカ、中国の間における一連の議論が北京で行われ、2004年4月に開始された最初の会合は北朝鮮の兵器プログラムに懸念を示していた。

2005年1月に北朝鮮は核兵器を保有したと表明した。2005年9月19日に六者会合の第4ラウンドは、北朝鮮が外交、エネルギー、経済支援と引き換えに核プログラムを廃止し、NPTに復帰することに合意する共同声明で終わった。しかし2005年末までに、アメリカがマカオのそれらのような北朝鮮における特定の国際金融資産を凍結したので、北朝鮮はすべての六者会合を停止した。

2006年10月9日に北朝鮮は初の核実験を行ったことを公表した。2006年12月18日に六者会合がようやく再開された。2007年2月13日に関係諸国は、エネルギー支援と引き換えに北朝鮮の核施設の閉鎖と無能力化を含む2005年の共同声明を実施するための「初期段階の措置」を公表した。2009年4月のミサイルテストの後課された国連制裁に対する対応として、北朝鮮は六者会合から脱退し、核施設を再開し、2009年5月25日に2回目の核実験を行った。

5.3.7 ロシア

ロシアの核兵器のセキュリティは懸念材料のままである。ロシア対外情報庁からの高位の亡命者であるTretyakovによれば、1991年に彼は国立の企業であるChetekを代表する2人のロシアのビジネスマンと会合を行った。彼らは、地下核爆発によりNovaya Zemlyaの島(ソ連の核兵器の試験場)で西側諸国から集められた大量の化学廃棄物を破壊するプロジェクトを思いついた。プロジェクトはカナダの代表者によって拒否されたが、ビジネスマンの1人はTretyakovに、彼がモスクワ郊外の別荘に自身の核爆弾を保有していると伝えた。Tretyakovはその男が正気でないと考えたが「ビジネスマン」(Vladimir K.Dmitriev)はこう回答した。「そんなにいい子ぶるな。今日のロシアの経済状況では、十分なお金をもっている誰もが核爆弾を購入することができる。それは実際には大したことではない」[34]。

5.3.8 南アフリカ

1991年に南アフリカはNPTに加盟し、IAEAと包括的保障措置協定を締結し、保障措置に対する核物質の問題に関するレポートを提出した。当時イラクと北朝鮮のみが研究用の原子炉を保有していたのに対し、南アフリカは国内の電力のほとんど10%を発電する原子力発電プログラムを有していた。

1979年から1989年の間において多くの核兵器を製造し解体したとの南アフリカの公表により、IAEAの初期検証作業は複雑化していた。南アフリカは兵器プログラムの結論を検証するようIAEAに要請していた。1995年にIAEAは、すべての物質が考慮され、兵器プログラムが終了され、解体されたことに満足したことを表明した。

南アフリカはNPTに署名し、国産の核兵器を保有し、検証可能な状態でそれらを解体した唯一のよく知られた国家であるという特色を有している[35]。

5.3.9 シリア

2007年9月6日にイスラエルは、後に建設中の原子炉であると主張したシリアにある公式に未確認であるサイトを爆撃した(Operation Orchardを参照せよ)[35]。伝えられた原子炉は稼働中であると主張されず、核物質が導入されていたとも主張されていなかった[14]。シリアはサイトが軍事拠点であるがいかなる核活動とも関与していなかったと述べていた[14]。IAEAはシリアに、そのサイトや建物からの残骸や機器が貯蔵されていた他のサイトへのさらなるアクセスを与えるよう求めていた[14]。シリアはその事件に関する西側の「事実のでっちあげと捏造」と呼ぶものを公然と非難していた[37]。IAEAの事務局長であるモハメド・エルバラダイはその攻撃を批判し、問題に関する情報がもっと早くIAEAと共有されなかったことを嘆いていた[38]。

5.3.10 核兵器におけるイギリスとのアメリカの協力

1958年の米英相互防衛協定以来、アメリカはイギリスに核兵器の設計や製造におけるかなりの援助を与えていた。1974年にCIAの核拡散評価は「多くのケースにおいて『核やミサイルの分野におけるイギリスの機密技術』はアメリカから受け取った技術に基づいており、アメリカの許可なしに合法的に渡されることはなかった」と述べていた[39]。

少なくとも1975年から1996年の間、アメリカの大統領は「核兵器のパーツ」をイギリスに移すことに承認を与えていた[40][41]。イギリスの国立監査院は、イギリスのトライデント(ミサイル)の開発や製造に関わる支出の大半は「特定の弾頭に関連した部品」を供給するアメリカに頼ったものであると述べていた[42][43]。イギリスのトライデント用の核分裂性物質の一部はアメリカから購入されていた[43]。機密解除されたアメリカ合衆国エネルギー省のドキュメントは、イギリスのトライデントの弾頭システムがアメリカ海軍のトライデント(ミサイル)に装着されたアメリカの核弾頭であるW76に沿って非核目的で設計された活動に関与していたことを示し[44]、アメリカ科学者連盟がイギリスの弾頭はW76からの設計情報を共有しているかもしれないと推測することを促していた[45]。

1960年から1979年において相互防衛協定の下、6.7kgのトリチウムと7.5tの高濃縮されたウランと引き換えに、5.37tのイギリスで製造されたプルトニウムがアメリカに送られた。機密扱いのままであるが、さらに0.47tのプルトニウムがイギリスとアメリカの間で交換された[46]。一部のイギリスで製造されたプルトニウムは原子炉級のプルトニウムを用いた核実験のためにアメリカによって1962年に使用された[47]。

NPTの署名以前からアメリカは、イギリスの核の力を支援するために核兵器輸送システムを供給していた。協定の更新は21世紀の2番目の10年間に行われる予定である[4][5]。

6 核拡散を肯定する議論

核拡散の可否に関して国際安全保障上の学問的研究の中で多くの議論があった。1950年代後半から1960年代初頭にかけて、シャルル・ド・ゴールの顧問である元フランス空軍参謀長のピエールマリ・ガロワは『恐怖の均衡』といった著作の中で議論をしている。核時代(1961年)の戦略とは、フランス人が抑止力と呼ぶ核兵器の単なる保有は抑止力を確保するには十分なものであり、したがって核兵器の拡散は国際的な安定性を高めることができるといったものになる。

カリフォルニア大学バークレー校の名誉教授であり、コロンビア大学の非常勤主任研究者であるKenneth Waltz、シカゴ大学の政治学教授であるJohn Mearsheimerのような一部の非常に著名な新現実主義者である研究者はガロワの線に沿って議論を続けている(これらの研究者はめったに彼らの知的産物がガロワや同時代の人物に負っていることを認めていないのだけれども)。具体的にはこれらの研究者は核拡散のいくつかの形態を擁護し、特に世界の問題を抱えた地域において、それは戦争の蓋然性を減少させるだろうと主張している。核拡散に反対する多数派の見解とは別に、この問題に関する思想において2つの学派が存在している。それは、選択的な核拡散を支持するMearsheimerのような人々や北朝鮮のようなプログラムに対する自由放任主義の態度を擁護するWaltzのような人々になる。

6.1 全体における核拡散

初期段階ではWaltzは、歴史的緊張や近年の敵意に関わらず、相互確証破壊(MAD)の論理はすべての安全保障環境において機能するはずであると主張している。彼は冷戦をMAD論理の究極の証拠として理解しており、これは2つの大国の間における確執が軍事紛争につながらなかった唯一のケースである。彼は、これは核兵器が意思決定において注意を促したからだと主張している。ワシントンもモスクワも領土的もしくは覇権的目標を達成するために核によるハルマゲドンの危険に晒されることはなく、これゆえ平和的な膠着状態が続いていた(Waltz and Sagan(2003), p.24)。Waltzは、この影響があらゆる環境で生じるだろう理由が存在していると考えていた。

6.2 選択的核拡散

John Mearsheimerは潜在的実例の多数においてWaltzの楽観主義を支持していないが、彼は冷戦後のヨーロッパのような特定の地域における政策として核拡散を議論していた。2本の有名な論文の中でMearsheimer教授は、ヨーロッパは将来戦争や疑念が頻繁に生じていた冷戦前の環境に戻るかもしれない傾向にあると述べている。彼は、西のフランスやイギリスと東の諸国において力の均衡を達成するためにドイツとウクライナの双方が核兵器を保有することを提唱している。もしこうならないならば、彼はヨーロッパ大陸において結局のところ戦争が生じてしまうだろうといったことを確信している(Mearsheimer(1990), pp.5-56 and (1993),pp.50-66)。

Waltzの開かれた核拡散に反対し、Mearsheimerの選択的核拡散に賛成する他の独立した議論は核テロリズムの蓋然性になる。前述の自由放任主義の核拡散に含まれる一部の国々はいかなる政府とも提携していないグループの手に落ちる核物質や爆弾の移転を容易にしている可能性がある。一部の国々は第三者に移転される機器を保護する政治的意思や能力を有していないだろう。全滅によって抑止されないならば、テロリズムのグループは彼ら自身の核の力を利用した計画を助長することができ、前述の不安定な政府によって襲撃計画を遂行するための影の前線として利用されることができるだろう。

6.3 双方の立場に対する議論

選択的なもしくは全体に及ぶ核拡散の双方に対して示される多くの議論があり、その支持者が擁護する傾向にある非常に新現実主義的仮定(例えば、国家の議論における軍事的安全保障の優位性、国際機関の脆弱性、国家戦略にとっての経済統合やグローバリゼーションが長期において重要でないこと)を一般的に対象にしている。ヨーロッパにおけるMearsheimerの具体例に関して、多くのエコノミストや新自由主義者は、欧州連合の展開に付随するヨーロッパの経済統合は、ヨーロッパ大陸に存在する多数の国々における戦争を経済的に壊滅的な損害を生じさせるものとして理解させ、それゆえそれは効果的な抑止力として機能すると主張している。構成主義者はこのステップをさらに進め、欧州連合の政治制度の進展はヨーロッパのアイデンティティのモデルを導き、程度を別にしてヨーロッパ大陸の多数の国々はそれに加わることを願い、欧州連合の中に存在しまたは存在したいと願うすべての国家が、彼らの間における戦争を考慮する価値のないものとして認識することになると頻繁に主張している。

Waltzに関する一般的な見解は、大半の国家は核の使用に対して安全を保障できる立場になく、彼は多くの地域において長期にわたり存在している反感を過小評価しており、弱い国家は核のテロリズムの悲惨な可能性を防ぐことができず、積極的にそれを増大させてしまうかもしれないといったことになる。Waltzは彼の著作の中のいくつかの点でこれらの反論のすべてを取り扱っているが、多くに対し彼は十分に答えていなかった(Betts(2000))。

ザ・ラーニング・チャンネルのドキュメンタリーである『Doomsday:"On The Brink"』は40年におよぶアメリカとソ連の核兵器における事故を扱っていた。1995年のノルウェーにおけるロケットの事件は、冷戦後のロシアの民主化と軍備縮小が指揮と管理の誤りを通じ偶発的な核戦争の危険性を除去していなかった潜在的なシナリオを示していた。将来のロシアの支配者や反逆したロシアの高級将校が外交政策のために核兵器を利用したくなる可能性はあるかと尋ねた後、ドキュメンタリー作家は、核の貯蔵におけるロシアの安全保障におけるさらに大きな危険性と、特に政治力や軍事力を行使するために究極の大量破壊兵器を望む人間における究極の危険性を明らかにしている。将来の世界の指導者は、どれほど緊密にソ連、ロシア、アメリカ人が最後の審判の日に存在していたかや、どれほど安易にそのすべてが30,000年におよぶ人間の先史時代に対して子供を愛し死ぬことを望んでいないライバル、テロリストでなく政治家の間でわずか40年の間大惨事が避けられてきたからだと思われてきたかを理解しないかもしれない。歴史と軍事の専門家は核拡散のペースが遅くなることはあっても決して止まることはないことに同意している(技術の発明を止めることはありえない)[49]。

6.4 核拡散が核拡散の原因となる

「核拡散が核拡散の原因となる」は『Why Do States Build Nuclear Weapons?』といった論文の中でスコット・セーガンによって描かれる概念である。この考え方は戦略的な連鎖反応として描かれることが可能である。もしある国家が核兵器を製造するならば、それはその地域においてほとんどドミノ効果を生じさせるだろう。その地域における国家はバランスをとるためにもしくは安全保障上の脅威を根絶するために核兵器を入手することを望むだろう。セーガンは著作の中でこの反応を十分に想定されるものとして描いており、彼はこう述べている。「ある国家が主なライバルに対しバランスをとるために核兵器を開発するならばそのたびごとに、同様に他の地域に対し核の脅威を生じさせることになり、その後その地域は国家の安全保障を維持するために自身の核兵器プログラムに着手しなければならない」(Sagan, pg.70)。歴史をさかのぼれば私たちはどのようにこのことが行われてきたかを理解することができる。アメリカが広島と長崎の爆撃の後核の保有能力を示したときに、ロシアは冷戦に備えるために核のプログラムを開発することに着手した。ロシアの軍事的増強にともない、フランスとイギリスがこれを安全保障上の脅威として認識し、そのため彼らは核兵器を追求した(Sagan, pg71)。

6.5 核のアパルトヘイト

核拡散の効果的な防止は、わずかに選ばれたいくつかの国家のみが(特に国連安全保障理事会の理事国)核の技術を獲得することができるような技術的アパルトヘイトの形で特徴づけられ、彼ら核保有国は他の国々が核の技術を開発することを妨げるために彼らの力を使うことができる。理論的には、既に原子力発電所を保有している国々と同盟しているわずかの国々のみが自身で核の技術を獲得することができるだろう。

6.5.1 イラン

イランのマフムード・アフマディーネジャード大統領は、いくつかの国々特にアメリカによって行われているような核のアパルトヘイトの考え方を頻繁に批判していた。CNNのクリスティアン・アマンプールとのインタビューの中で、アフマディーネジャードは、イランは「核のアパルトヘイトに反対しており、それはいくつかの国がそれを保有し、燃料を利用し、他の国に10倍の価格で売却する権利を有していることを意味している。私たちはそれに反対している。私たちはクリーンエネルギーへのアクセスはすべての国々の権利になると述べている。しかし同様に核の拡散を防止する枠組みを構築することは私たちを含むすべての国々の義務と責任である。」と述べている。インタビューの後数時間、彼は核技術を開発するためのイランの権利に対する支持を情熱的に語り、国家は同じ自由を保有するべきであると主張していた[50]。

イランは核拡散防止条約の署名国であり、核技術に関連したいかなる作業も民間の用途に限定されており、それは条約の下で許容されていると主張している[51]。イランは秘密裏にウラン濃縮を行ったことにより条約に違反しており、その後国連安全保障理事会がイランにすべてのウラン濃縮を止めるよう指示していた。

6.5.2 インド

インドは同様に核のアパルトヘイトの文脈の中で議論されてきた。インドは一貫して完全な国際的核放棄を求める施策を講じるよう訴えてきたが、それらは既に核兵器を保有している国々からの抗議により成功しなかった。これによりインドは、まだ核兵器を保有する特定の国家が存在する限り、すべての国々に対する必要な権利として核兵器を眺めていた。インドは核の問題は直接的には国家の安全保障と関係していると述べていた。

1998年にインドが最初の地下核実験を行う数年前に、包括的核実験禁止条約が可決されていた。一部は、条約に署名させるためにインドを説得する試みの中で威圧的な言葉が用いられており、それは隣国の中国によって激しく行われていたと主張していた[53]。インドは条約を、既に核兵器を保有している国々、主として国連安全保障理事会の常任理事国のための、そして他のいかなる国々も核を開発できないことを確認しているが、常任理事国の保有は維持されるための手段として眺めていた[54]。

6.6 核拡散の交渉や考え方におけるウィキリークスの見方

ウィキリークスの公電のタイトルである、2009年8月6日に送信された"NONPROLIFERATION TREATY (NPT) BILATERALS"、2009年7月31日に送信された"POSITION ON NUCLEAR ISSUES IN THE RUN-UP"、2009年7月24日に送信された"DOUBTS AND REASSURANCES ABOUT REPLACING BRITAIN'S TRIDENT NUCLEAR DETERRENT"は、フランスの考え、P3(アメリカ、フランス、イギリス)における暗黙の合意、核兵器、NPT、核軍縮の問題に関する教義に対する洞察を得ることを可能にしている。

http://www.guardian.co.uk/world/us-embassy-cables-documents/219798

二国間における核拡散防止条約(NPT)

1. (C) 要旨 核拡散防止の特別代表であるSusan Burk大使は重要な核拡散防止条約(NPT)の交渉者と7月14日から17日にかけてロンドン、パリ、ベルリンで会合を行った。会合は、私たちが条約や2010年の検討会議(RevCon)の主な目標においてこれらの政府とごくわずかな違いしかないことを示していた。イギリスとフランスは強力なリーダーシップの役割を担い、核軍縮の問題を含め私たちと緊密に協力し、検討会議を成功させるために拡大したNPTの締約国と作業を行うことを強く願っていた。BurkはNPTの問題におけるP5間の協調の意義についてイギリスやフランスの関係者と合意していた。イギリスやフランスは私たちが検討会議のために目標を追求することにおいて積極的になるべきであることに合意していた。しかし彼らは1つの重要な分野において見解が異なっており、イギリスは積極的に核軍縮を促進することを願っており、フランスは、核軍縮に対して消極的であり、アメリカやロシアのイニシアチブとイギリスの単独の措置が核軍縮を促すようにフランスに向けられた圧力を増大させるだろうことを懸念していた。この相異なる観点は両国の間にかなりの不安を引き起こしていた。

2. (C) ドイツの担当者は検討会議の目標についてより慎重であり、それは非同盟運動に関わる国々の見解に対し明らかに敏感になっていることが、彼らに対しそれらの国々と西側諸国との間に存在する溝に注目させてしまうからである。私たちが会合した三ヶ国においてすべての政府はイランをおそらくNPTに対する最大の問題とみなしており、エジプトとの高いレベルでの介入が検討会議での中東の問題を解決するために必要とされているだろうと考えている。

3. (U) ロンドンとパリでBurkは、ISN/MNSAの部長代理であるScott Davis、OSDのAmy Prible、国家安全保障会議における核拡散防止の部長であるAdam Scheinmanと会合していた。

4. (C) Burk大使は、アメリカは検討会議が条約に対する締結国の支持を再確認することを願っていると述べており、会議に対する特定のアメリカの目標は、条約の遵守を徹底し、IAEAの保障措置を強化し、NPT締結国が条約の脱退条項を乱用することを防ぎ、原子力エネルギーの成長が核拡散のリスクを増大させないことを確認し、核軍縮のペースについて現実的である一方、オバマ大統領の核軍縮計画を支持することを含むことを示唆していた。彼女は、アメリカは1995年と2000年の検討会議で達成された合意を支持しているが、最後の検討会議からすでに10年が経過しており、締結国はさらに前向きになる必要があることを示唆していた。彼女は、今後の会議は重要な国際的な出来事になるが、それ自体は目的ではないと指摘していた。アメリカは、体制を強化するため他の影響に貴重な勢いを与えるだろう条約の建設的な再検討を求めていた。

5. (C) イギリスにおける国防・戦略的脅威の部長であるSimon Manleyは、イギリスは検討会議が処理における唯一のステップになるが、NPTは彼の国における大きな政治問題になっていたことに同意していると答えていた。彼は、第3回準備委員会は期待以上であり、「ほぼ完璧」であるとしていたが、「私たちに賛成しない」P5間の一貫性のなさが存在していたと述べていた。Manleyと彼のイギリスの同僚は核拡散防止と核軍縮におけるオバマ大統領のリーダーシップを賞賛していた。ManleyはFNCTやCTBTにおけるアメリカのイニシアチブから生じた「肯定的な動き」に言及したが、中国やフランスが核軍縮における最近の進展について不快感を示していると付け加えた。彼とBurkは、私たちの政府はどれほど私たちが核兵器の数や信頼を減らすために行動してきたかを説明するためにつらい仕事をし続ける必要があることに合意していた。

6. (C) Manleyは、最近の進展が核軍縮における非同盟運動を不安定な状態にしているものの、核保有国は2000年の検討会議の最終文書から核軍縮に至る「13の現実的なステップ」を取り扱う方法を議論する必要があることを示唆していた。彼は、Mariot Leslie(FCOの国防・情報局長)がP5における協調とNPT問題における肯定的なメッセージの必要性を願っていることを付け加えた。双方が、強力にP3とP5が関与することが検討会議のために準備されることが必要とされているが、P5のコンセンサスの価値と、ロシアや中国が私たちの核軍縮のイニシアチブに信用を与えないことを避けることについて述べていた。Burkが言うように、私たちはP5のコンセンサスのために「手心を加える」べきではない。Manleyはフランスの態度に対するイギリスの懸念を表明し、パリは核兵器を廃絶することにおける「思考プロセスを表明せず」、多国間における核軍縮の提案について懸念していることを示唆していた。

7. (C) ManleyとNick Lowe(FCOの核拡散防止局、核問題部長)は、遵守せず撤退することに関するアメリカの考え方に合意していた。Loweは、私たちは検討会議を損なうイランや北朝鮮問題を許容するべきではないが、同様に彼らを「救い出す」べきでもないと述べていた。Burkは、第3回準備委員会の委員長であるBoniface Chidyausikuが名指しによって頻繁に批判するよりむしろ準備委員会の場で「一般的な」方法でイランや北朝鮮を扱うアメリカを賞賛していたことを指摘していた。Burkがシリアの核活動について懸念を示したとき、Liane Saunders(FCOの核拡散防止局長)は、ロシアが2007年のシリアの施設に対するイスラエルの攻撃に触れることを主張しているため、核拡散防止に関する最近のG8サミットの表明はその問題に触れるだろうことを指摘していた。

8. (C) Burkは、追加議定書を全世界で遵守することに対する議論によって西側諸国が条約を変更しようとする非同盟運動の議論に対し懸念を表明し、私たちは条約を修正するのではなく体制を強化することを求めていることを明らかにする必要があると述べていた。彼女は、IAEA加盟国がそのミッションを実行するために必要としている資源ををIAEAに与える必要があることを示唆する機会を利用しており、IAEAの通常予算における意味のある増加に対するUSGの支持に言及していた。Peter Carter(エネルギー省の核拡散防止局長)やJudith Gough(FCOの安全保障政策グループにおけるグループ長代理)は、IAEAはどのようにそのような資源を利用するかに対して「ビジネス上の事例」を生み出す必要があると答えていた。

9. (C) Carterは、多国間の核燃料サイクルの取り決めにおける努力が緊張を伴うか否かといった議論から離れる必要があると述べていた。Manleyは、その不信が高いものであり、3月にロンドンで開催された原子力エネルギーに関する会議はこの問題が悪化していることを反映していると付け加えた。Loweは、関連した提案の1つとして消費国に平和利用の権利を放棄するよう求めていないことを指摘していた。Burkは、NPTや強力で信頼できる核拡散防止体制が原子力発電を含む平和的目的のための原子力エネルギーを共有することをどのように促進するかを説明することによって、私たちはこのことに対し肯定的な議論をすべきであることを示唆していた。

10. (C) 双方がNPTの中東における状況がどれほど困難であるかを認識しており、Burkは、NPTが地域の安全保障のより広範な問題の背景の中で考慮される必要があると述べていた。Manleyはこの問題に関する大きな要求のための勢いを生み出しているエジプトの努力について懸念を表明していた。Saundersは、主要な会議や地域へのNPT「特使」を含めた中東を取り扱うロシアの提案に言及しており、ロシアがその問題において「エジプトを排除する」ことを望んでいることを示唆していた。

11. (C) NPT外交や措置に目を向けると、Jon Noble(MODの核拡散防止・安全保障協力局長)は、コンセンサスを求める現在のやり方の代わりに多数決を許容するために検討会議の規則を修正することは締結国がより意味のある声明を採択することを許容するだろうと示唆していた。Burkは、重要な問題における投票が私たちの意見の相違にもかかわらず可決されることがありうるので、多数決は「諸刃の剣」になると答えていた。彼女は、いくつかの異なる見解(すなわち「あるものはこう考え、他はこう考える」)や検討会議の主要な委員会における合意された言葉を反映したIAEAの配布情報の公布をまとめた最終文書が採択された1995年に用いられたものを、検討会議で用いられることができる他のアプローチが含んでいることを付け加えた。議論はその後、Manleyが「マッピング」と呼んだ影響力のある非同盟運動に関わる諸国に対するそれぞれの努力における協調へと変化していた。部分的な課題はそのような諸国にどのように条約が恩恵を与えるかを示すことにあった。

12. (C) その後BurkはFCO大臣であるIvan Lewisと会談し、彼はイギリスの核拡散防止における優先順位に関わり、核軍縮におけるイギリスとフランスの違いに言及し、核安全保障においてアメリカが提唱したサミットとNPTにおける検討会議の間の関係について疑問を呈していた。

フランス

13. (C) Gerard Araud(MFAの政治部長)はセッションを開催し、ほぼ半日に及ぶ会合に45分間出席していた。彼はアメリカの核政策の進展に「神経質」になっていると述べることから始め、核の能力におけるフランスの見通しに対する「心理学的分析」と彼が呼んでいるものを提案していた。彼は、核の抑止力が国家の「国際的なアイデンティティ」の一部になっており、フランスは一部のNPT締結国が望むように非合法な核兵器を望んでいないと主張していた。彼は、オバマ大統領がそのような兵器の廃絶の見通しを発表したが、カナダ、オランダ、スウェーデン、そして一般的に欧州連合を含む他の国々の不合理的な期待をフランスがコントロールする必要があると述べていた。そして中国は独自の核戦力の制限を求める圧力を避けるために他のP5諸国の努力の後ろに隠れていた。

14. (C) フランスの一部に対し、Araudは、Sarkozy大統領の2008年3月に行われた核政策の演説は核軍縮に対する具体的な提案を含んでいたと述べていた。大統領のカイロでの声明を引用すると、「いかなる国民もどの国民が核兵器を保有するかを決定するべきではない」になるが、もし私たちが私たちのレトリックをさらに変更する意図があるならば、Araudはフランスに警告するようアメリカに要求していた。彼はまたNPTの柱である核拡散防止や平和利用は核軍縮より重要であると主張していた。

15. (C) Burkは、特にもし他の国々が核兵器を製造しているなら、アメリカは核軍縮を容易にもしくは迅速に進めるといった幻想を一切保有しないだろうと答えていた。彼女は、オバマ大統領が一般的にNPTやその体制を活性化しようとしていることを述べていた。アメリカの希望は、核軍縮における進展が核兵器非保有国による核拡散防止に対するより強いコミットメントに対する影響力として作用することになるが、この分野におけるアメリカの柔軟性は明らかに限界があった。Burkは同様にアメリカは検討会議における大胆な目標群を追求したいと述べていたが、それを彼女はロンドンで用いたものと類似した用語で説明していた。

16. (C) Jacques Audibert(MFAの戦略的外交・安全保障・軍縮部長)はBurkに、彼は「神経質ではない」が、イギリスの政策変更を考慮すると、P5は核軍縮に関してアンバランスであり、アメリカとフランスはともに核兵器に固執する必要があることを確認していた。Martin Briens(DASの軍縮・核拡散防止)は、トライデント潜水艦発射弾道ミサイル計画を廃棄するかもしれないので、イギリスは核軍縮が可能であると本当に納得させると思われ始めていたと付け加えた。準備委員会では、イギリスの代表は、フランスと非同盟運動諸国との間の「仲介役」として機能しているようにさえ思われ、不一致を避けることを求めることによって主に動機づけられていた。

17. (C) BriensはイランがNPTにとって最も深刻な問題であると主張し、フランスは最近の準備委員会に対するその一般的な声明の中でそれを明示的に言及した唯一の締結国だった。この問題に真剣に取り組むことを確認するために、私たちは非同盟運動諸国との間に橋を築き上げなければならず、ヨルダンのようなより合理的な締結国と協力する必要があった。イランが遵守していないことはあらゆる検討会議のコンセンサスを示した文書の中に言及されるべきであるが、もしそのような文書が採択されず、私たちが「あらゆる犠牲を払ってでも成功を求める」べきでないことを付け加えるならば、「世界の終わり」にはならないだろう。

18. (C) フランス人はエジプトのNPTに対する姿勢について特に厳しかった。Araudはその態度を「受け入れがたい」と呼び、Briensはエジプト人を中東と核軍縮に関して「イデオロギーの信奉者」と呼んでいた。Briensは、エジプトは追加議定書に反対するアラブ諸国の中でキャンペーンを行っていると断言しており、エジプトが検討会議の後まで中東の安全保障におけるセミナーといった欧州連合の提案を拒絶したことに対し不快感を表明していた。彼は「彼らがやっかいになればなるほど、彼らはその対処からより多くのものを得るようになる」と結論づけていた。Michel Miraillet(国防次官)はエジプトの濃縮活動について言及し、エジプトがリビアの核プログラムやA.Q.Khanのネットワークについて多くのことを知っていることに対する疑念を述べ、エジプトは1995年の検討会議で被ったと考えている「屈辱」に対し反応していることを示唆していた。Burkは、エジプトは中東問題におけるあらゆる検討会議の合意を妨げることが可能であると認めていたが、私たちは、あらゆる地域(例えば、イスラエルを含む)に対して受け入れられる、該当地域における1995年のNPT決議の目標においてある種の進展を育て上げることによってそれを防ごうとするべきであると述べていた。Briensは、フランスは「高いレベルで」これらの問題のいくつかを提起するだろうと述べていた。

19. (C) 原子力エネルギーの平和利用に関し、Briensは、少なくとも濃縮や再処理は「普通の技術」ではないとの考え方に基づき、私たちは合意を得ようとするべきであることを示唆していた。IAEAの予算に対し提案された増額を支持するようフランスに対しなされたBurkの要請に対して、IAEAは加盟国がそれに与えているタスクを達成するために十分な資源を有しているので、Briensは費やしてもいない資金をIAEAが有していると主張していた。彼はフランスの新聞に、核の供給国と消費国双方によって採用されるために提案された(元々2008年にUSGに対し提示されていた)、原子力エネルギーにおける「原則の宣言における細部」について言及し、アメリカのコメントを求めていた。もう1つの案は7月末に公布されるだろう。

20. (C) 議論はその後NPT外交に移った。双方は、緊密なP5の協調や核拡散防止と核軍縮の双方における進展の必要性において他のNPT締結国を説得する作業が不可欠であることに合意していた。BriensはP3が核軍縮においてそれぞれできないことを議論すべきであると述べ、Burkは私たちがP3が意見を異にする点をどのように取り扱うかについて対処する必要があることに合意していた。Burkは私たちが平和的な核協調の恩恵を受ける非同盟運動に関わる諸国に関与していることを示唆していた。Briensは特にフランスの欧州連合側のパートナーに対しフラストレーションを表明し、他のすべてがイランへの言及のない準備委員会の勧告案を受け入れたことを指摘していた。彼は、欧州連合は活動的である国々(おそらくオランダやスウェーデンを含むだろう)や中道主義の国々(欧州中部にある諸国)から構成されており、後者のカテゴリーは核軍縮や中東問題において役に立つかもしれないと述べていた。

ドイツ

21. (C) Peter Gottwald(軍備管理・軍縮における連邦政府の局長)は、ドイツはBurkによって説明されたアメリカの検討会議の目標について合意しているが、彼はそれらを達成することがどれほど困難であるかについて「いかなる幻想も」もっておらず、私たちは非常に野心的になることはないといったことを認めていた。1年前に彼は、多くの人が核拡散防止体制は崩壊するだろうと考えている背景として、主にそれが不公正であることが挙げられ、アメリカのイニシアチブはその環境を変えたことを示唆していた。私たちは核兵器の廃絶に関わっているので、体制の不平等はいつの日か終わる可能性があると現在考えられている。Burkは、アメリカは検討会議において積極的になりたいと願っており、私たちはそうする機会を手にしていると答えていた。

22. (C) Gottwaldは、機密施設への権利を放棄する方法を条件付けることなく、平等な扱いを受ける立場にあるけれども、非同盟運動に関わる諸国は同様に、多国間核燃料サイクルの扱いに対する提案が公平でないかもしれないとの疑念を抱いていると続けていた。Burkは、この問題はNPTにとって重要であり、私たちは体制を強化し、原子力発電を含む原子力エネルギーの平和利用に対するアクセスを容易にするために、集団的取り組みとしての提案に対し枠組みを構築すべきであることに合意していた。

23. (C) 彼の疑問に応えて、BurkはGottwaldに、アメリカが提案した核安全保障サミットはNPTの検討会議と競合しないことを保証していた。Gottwaldは、核安全保障や核テロリズムに対抗することはNPT締結国に投げかけられるべき問題であり、そのために条約を強化することを支持するべきであると答えていた。Burkは同意した。このことは彼に、核安全保障は核拡散防止のより広い背景の中に位置づけられるべきであり、サミットはNPTに関連されるべきであることを示唆させていた。Burkは、核安全保障の対象は私たちが検討会議で役立つものとして取り上げたものであると述べ、NPT締結国の一部が何らかの形で核安全保障サミットを通じて検討会議の結果を「事前に調整」しているといった認識を生じさせないよう注意深くなることをアメリカは願っていると述べていた。それは本当ではなかった。

24. (C) Burkは検討会議が追加議定書に対し肯定的なアプローチをとることが重要であると述べたが、Gottwaldは同じような考えをもつ締結国の間でさえその問題について合意に達することは困難になるだろうと述べていた。彼は、条約の違反者が脱退することを説得して止めさせる問題において、会議は「これが問題であるといった常識」を進展させることによって少なくとも「意識を高める」ことができると述べていた。

25. (C) Stefan Kordasch(核軍備管理・核拡散防止局の局長代理)は、エジプトが攻撃的になり、検討会議で「取引の壊し屋」を扇動する可能性があったことに懸念を表明していた。Andreas Michaelis大使(中近東問題担当局長)は中東での、特にアラブ連盟の中での指導的な多くの役割を失ったことに対する過剰な埋め合わせとしてエジプトの振る舞いを説明していた。エジプトの地位は今では、アラブ諸国の「核心的利益」でない問題にのみ指導力を発揮しているようなものである(彼はそれが中東やNPT問題におけるケースになると考えていたように思われる)。彼は、エジプトが検討会議における「現状維持」の言葉に加えてある種の「イスラエルの声明」つまり「あなたはイスラエル人から何かを引き出すことができますか?彼らは既に何かを述べましたか?」といった問いに対する回答に満足するかもしれないことを示唆していた。Michaelisは高いレベル(例えば、Mubarak)でエジプト人を関わらせる必要があることを強調していたが、同時にエジプトの情報局長であるUmar Suleimanを非常に影響力があり潜在的に有益な対話の相手として認めていた。彼は、ドイツがNPTにおける中東の問題を明るみに出すために用いられることが可能なエジプトとの閣僚レベルの運営委員会を設置することを指摘していた。その最初の会合は2010年2月に予定されており、その時にNPTが議題に挙がる可能性があった。

26. (C) Burkは同様に外交政策副顧問のRolf Nikel(大使館員)と会合し、彼はオバマ大統領のプラハでの演説をほとんどすべて支持することができると述べていた。唯一の問題はその目標を達成するのにどのように取り掛かるのかといったことになる。彼はアメリカのNPTの優先順位について詳細な疑問を呈しており、どの問題をアメリカは「最も緊急である」と考えているかや、どれが他の分野における進展のための方法を用意するために最初に取り組まれるべきかを尋ねていた。Burkは、私たちはまだ私たちの政策を築き上げている最中であるが、その試みの一部は政府に核拡散防止を強化するために政治的意思を行使することを納得させていると答えていた。

27. (C) 多国間核燃料サイクルの取り組みに対する提案についてのNikelの疑問に対し、Burkは、事実ではないが、供給国が原子力エネルギーの平和利用に対する権利を否定することを望んでいるといった非同盟運動に関連した議論に対抗するために、私たちはその提案を説明するといったより良い仕事に取り組む必要があることを指摘していた。Nikelは、もしイランが年末までに欧州連合の提案に対し有意味な回答をせず、その後より強い制裁が課せられるならば、私たちは「危機的状況」に直面するだろうことを示唆していた。彼は、そのシナリオは検討会議の雰囲気に影響を与えるだろうと指摘していたが、それに対しBurkは、会議においてイランによる妨害を阻止するために私たちは締結国間における結束を築き上げるべきであると答えていた。

28. (C) 最後の会議はChristian Democratic BundestagのメンバーであるEckart von Klaedenとすべての主要なドイツの政党の職員とともに行われた。Von KlaedenはアメリカはNPTを修正することによって条約の遵守を強制することを望んでいるかと尋ね、Burkは彼に私たちが追求しているオプションは何もないことを保証していた。他の疑問は、P5と非同盟運動に関わる諸国との論争、イラン、CTBT、IAEAの核燃料バンク、アメリカが提案した安全保障サミット、ミャンマーの核の意図に対する懸念に関連していた。

http://www.thepressproject.gr/cablegate/details.php?id=32357(現在リンク切れ)

準備段階における核問題に対するフランスの立場

¶1. (S/NF) 要旨:フランスの関係者は、核問題が、Sarkozy大統領の継続した関心の的になっており、主要な外交政策の優先課題、特に核拡散防止条約(NPT)の2010年春の検討会議(RevCon)の準備段階における優先課題になっていることを明らかにした。フランスの懸念は会議から離れるものの、核拡散防止同様、核軍縮と抑止力の関係といったより大きな問題を含んでいる。様々な会合においてフランスの関係者は、アメリカとイギリス両国の核軍縮政策の表明における厄介なトレンドとして彼らが見ているものについて繰り返し言及していた。彼らが私たちに対してもしくは私たち抜きで闘いに勝利することができないといった想定に基づき、そして彼ら自身を核軍縮のリーダーとして位置づける社会の戦略に沿うと、フランスは彼ら自身の懸念を緩和し、これらの問題において統一された立場を呈するためにアメリカと協力することに大きな痛みを抱えていた。GOFがこれらの問題から受け取る深刻さは、もし私たちが核軍縮における私たちの立場に対する彼らの不安を静めることができ、私たちの政策目標と不可能なことを明らかにすることができるならば、フランスは核問題においてアメリカを貴重なパートナーにすることができるということを意味している。

核軍縮におけるリーダーシップを公式に宣言すること

¶2. (S/NF) フランスは、核拡散防止に対するフランスの営みを強調する公式のキャンペーンとともにプラハにおける4月5日の発言にしたがい、オバマ大統領の核政策に対しすぐに反応を示し、彼らの業績をアメリカ大統領によって概説された目標と好意的に比較していた。4月9日に公式に立場を表明する傾向にある中道のフィガロ紙は、オバマ大統領の声明は主にフランスによって長く支持された立場を思い出させると述べるエリゼ宮からの匿名のレポートを公表した(Cを参照のこと)。さらにフランスのリーダーシップを強調するために、同紙は、オバマ大統領のモスクワへの訪問の直前に、FMCT交渉の前に核分裂性物質の製造を止めることに対するフランスのコミットメントの証明として、フランスはジャーナリストのグループ(Bを参照のこと)をPierrelatteにある核分裂性物質の製造立地に招いていることを伝えていた。

¶3. (C/NF) フランスの外務省は同様に7月7日と10日に、オバマ大統領のモスクワへの訪問にしたがいすぐに声明を公表し、フランスの歩みを核軍縮の方向へ進め、核保有国の間における独自のリーダーシップの役割を主張していた。声明は、フランスの300発までの核弾頭の削減、核分裂性物質の製造施設の解体、核分裂性物質におけるモラトリアムに言及しており、「世界の備蓄の95%を占めていた」アメリカとロシアの核弾頭の削減を歓迎していた。

精力的な取り組みに対する願い

¶4. (S/NF) 突如生じた公表は、7月に行われた大使館やワシントンからの主要な関係者との核問題におけるGOFによる一連の高いレベルの省庁間の関わりによってなされていた。政治局長のGerard Araudは「もし必要なら毎日」フランスはこれらの問題についてアメリカと協力する用意ができている述べていた(注:Araudは8月下旬に準備委員会としての新しい立場に就くためにニューヨークに向かっていた)。戦略担当と同等のA/Sであり、政治局長としてのAraudの交代要員であるJacques Audibertは2009年に私たちに、核拡散防止や核軍縮問題に関して「彼の時間の大半」を費やすことを期待していると述べていた。彼は、継続した取り組みと早期の協力を求め、9月にロンドンでのP5の信頼醸成のための会合の合間に再度会合することを望んでいた。エリゼ宮の軍事顧問であるEdouard Guillaudは、フランスはアメリカが包括的核実験禁止条約を批准することを支持することを望んでいると付け加え、例えばフランスの専門家をアメリカに派遣し、パリでCodelsに対しブリーフィングを行っていた。

フランスの懸念

¶5. (S/NF) 核問題に関しアメリカとさらに緊密に作業するフランスの願いは大部分においてアメリカの政策に対する新しい懸念を反映しており、オバマ大統領による最近の声明、特に以下のコメントの分析に基づいていた。「核兵器を保有することが国家の威信を生じさせ、私たちがどの国々が核兵器を保有することができるかを決定することにより私たちを守ることができるといった考えは幻想である」(モスクワ)そして「いかなる国もどの国々が核兵器を保有するかを決定すべきではなく、そういう理由で私はいかなる国々も核兵器を保有しない世界を希求するためのアメリカのコミットメントを強く再確認していた」(カイロ)。フランスは、差別が内在しているNPTの精神に対する対抗措置としてこの発言を解釈していた。アメリカの発言者はこれらの演説はNPTの原則を強化する意図があったと指摘していたけれども、Araudやアメリカの戦略局と同等の役割を有する国防省のMichel Mirailletは、彼らは非同盟諸国やNPTの違反者がこれらの発言を彼らの有利になるように解釈することが可能になることを恐れていると述べていた。Mirailletは「驚き」を含む可能性がある核問題に関する演説に対し事前の警告を求めさえしていた。フランスの発言者の何人かは、これらの声明が核拡散防止より核軍縮に焦点を当てているとの懸念を表明していた。Araud、Audibert、核軍縮と核拡散防止においてDASと同様のMFAのMartin Briensは、アメリカとロシアの交渉を進め、大統領の演説における全体に及ぶ核軍縮に対する長期のビジョンを練り上げることにおいて、アメリカは非同盟諸国が核軍縮における実際の展開に関し2010年の検討会議で焦点を当て、核拡散防止の議論を避けることをさらに容易にするだろうと述べていた。

イラン

¶6. (S/NF) GOFは、イランを名指しせず、準備委員会で追加議定書の遵守の必要性に言及しないアメリカの決定に落胆していることを表明していた。フランスは、NPTの最も緊急を要するミッションは核兵器を開発するイランの潜在力を抑制することであることを示していた。真正面からイランに対処するために、Briensはイランの大規模な関与を促す雰囲気を混乱させるかもしれないことに対する懸念をパートナーは放棄せねばならないだろうことを強調していた。フランスは同様に、サウジアラビアやエジプトにおける核の能力を支持せず、それを彼らが核武装したイランを許容することと同様であると述べたことにおけるアメリカの支持を歓迎していた。NPTに関するイランに対するフランスの焦点は、イランに対する強いレトリックと行動を一般的にフランスが好んでいる背景の中で生じており、イランの核はフランスの利益にとって許容できない危険なものであるとのはっきりとした幅広いGOFにおけるコンセンサスに基づいていた。多くのフランスの関係者が欧州連合や国際連合のパートナーとともにイランに対して制裁を強化することを促す労力を強調する一方、彼らはこれらの労力が実を結ぶことに対してほとんど楽観していなかった。彼らは現在、アメリカとの緊密な連携やイランの体制に対する圧力を増すために個別のパートナーによる個別の二国間措置に注力している。

FMCT

¶7. (S/NF) フランスは現在FMCTにおける政策を再検討しており、その作業をGOFは9月末までに終えることを期待していた。フランスは核分裂性物質の自身による製造を停止して、多国間のFMCTに賛成しており、それを彼らは、法的な体制の中で将来の製造の問題に取り組むことによって、中国、インド、イスラエル、ブラジルにおける核備蓄の上限を設定するための重要な措置として眺めていた。しかしBriensは合意の範囲内にある既存のストックの問題に取り組むいかなる努力もフランスの手に負えないものであることを明らかにしていた。核兵器のすべての数を認めるフランスの透明性に関し、Briensは核分裂性物質に関する小規模なストックを制限することはフランスの長期における抑止力を蝕むだろうと述べていた。フランスはP5における核備蓄の透明性を議論する意思がある一方、フランスの関係者は繰り返し彼らはジュネーブでこの問題を議論することを容認しないだろうと述べていた。フランスがその政策を再検討するにつれ、フランスの関係者は条約を遵守しないことに対する検証と制裁に関するアメリカの見解の中にある関心を表明していた。

¶8. (S/NF) FMCTの前後関係で、フランスの関係者は繰り返し現実の進歩に対する予期されうる中国の抵抗に言及しており、一方フランスやアメリカと異なり中国は肯定的な行動の欠如を公式に問題にしようとしなかった。中国による動きを促すための努力の一部として、MFAの核軍縮・核不拡散局のCeline Jurgensenは私たちに、フランスはFMCTの交渉の進展として核分裂性物質の製造における世界的なモラトリアムを求める意思があると述べていた(Dを参照のこと)。これらの交渉を始めることに関しジュネーブでの潜在的な進展を振り返ると、Jurgensenは、フランスには可能な限り素早く物事を進める意思があり、今年の秋に行われる国連総会第一委員会でモラトリアムを申し立てる可能性があると述べていた。

アメリカのレトリックに影響を及ぼす可能性

¶9. (S/NF) GOFのオバマ大統領の演説に対する注目が示すように、フランスは現在アメリカのレトリックに関心があり、彼らは現在のアメリカの政策における再検討の間に彼らに有利なように私たちの見解を形成することを望んでいた。Briensが私たちに述べたように、フランスは、非同盟諸国が、核拡散防止の義務を果たし、もしくは追加議定書のような新しいものを選択することを妨げるために、核軍縮におけるP5の進展に関する全体投票の場として検討会議を利用しようとするだろうことを懸念していた。たとえアメリカが核軍縮に完全な形で関わったとしても、結果は、長期にわたるものになるだろうし、P5の偽善の証として検討会議が開催される頃に進展の欠如を非同盟諸国が訴えることを許容することになるだろう。

フランスにとって触れてはならない難題:歴史的に正しいと評価されていない抑止力

¶10. (S/NF) しかしアメリカのレトリックに対するフランスの懸念は検討会議の戦術から離れ、フランスの核神話の確信に達していた。Araudは、核の抑止力の考えを歴史的に正しいとの評価することを認めないすべての声明が直接的にフランスの戦略的利益を脅かすものになり、それは基本的にそして「心理的に」フランスの抑止力に結びついていると述べていた。核の抑止力に対するフランスの政策は政治的派閥を超えた集団によって支持されており、フランスの戦略におけるアイデンティティの不可欠な一部となっていた。NATOの統合軍事指揮下にフランスが戻ることにおいて先立つ交渉の中で、Sarkozy大統領は独立したフランスの核政策は「触れてはならない」ことになると明言していた。フランスはアメリカとの協力を好意的に眺めているとの公式の見解から著しく逸脱しているものの、もしフランスが敏感になっていることが無視されたと感じるならば、フランスは「大きな障害」となるだろうとAraudは明示的に脅していた。この状況の中でフランスの関係者は、どのようにアメリカは私たちの核軍縮の努力に加えて抑止力を維持することによって「リスクから保護する」ことを計画しているのか、そしてどのようにアメリカの核軍縮の目標は中国そして潜在的にイランによる核の増強を治めていくのかに対して特に敏感になっていた。

フランスのイギリスに対する懸念

¶11. (S/NF) アメリカの核政策を進展させることに対するフランスの懸念は同様の状況になるが、イギリスに対する懸念はさらにより大きいものになる。Audibertは7月10日に私たちに、7月6日のフランスとイギリスにおける国防首脳会談はさまざまな問題において困難が存在しており、見解の食い違いが存在する主な分野として核兵器を廃絶することに対するイギリス側の支持を挙げていた(Aを参照のこと)。Araudとエリゼ宮のGuillaudはイギリスの核政策が国内の政治事情を反映した労働党の「デマゴーグ」によって当面導かれることを恐れていた。Briensは、ゴードン・ブラウンは核軍縮が彼の遺産になるだろうと考えていると思われ、イギリスはトライデントの軍事力を更新する目的で議会の支持を得るための政治的譲歩として核軍縮について語ることから、その核自体を終わりにするために核軍縮を採用することに移行していると付け加えていた。Briensによればいくつかのフォーラムにおいて、イギリスは「核兵器を禁止する」ことを求める条項を許容する意思を示していた。批判的に眺めると、イギリスのレトリックは、核兵器が本質的に悪いものであり、これゆえ抑止力を維持することは道徳に反することを暗示していることを示唆していた。フランスにとって「核兵器は悪いものではなく良いものであり、それらはまさにそうであった」。このようにフランスは「核兵器のない世界」といった言葉に反対しており、それはAraudの見解によると道徳的判断を意味していた。しかしフランスは、GOFが道徳的により中立的であると考えるなら、「核兵器のない世界」を許容する可能性があった。

¶12. (S/NF) イギリスの関係者であるBen Fenderは7月21日に私たちに、フランスはイギリスの核軍縮政策について懸念を表明しており、特に3月17日のゴードン・ブラウン首相の演説が示すようにイギリスが核兵器をさらに削減する用意が調っていることについてそうであったと述べていた。一方的な核軍縮に対する1980年代の労働党の支持に関しブラウンが最初の政治的経験を積んでいた一方、Fenderは検討会議の背景でイギリスとフランスがほとんど議論していないことをGOFに納得させるために苦心していた。イギリスは同様に3本の柱すべてにおいてバランスの取れた焦点を当てることを望んでおり、非同盟諸国に援助の手を差し伸べ、妨害を防ぐために、P3との作業の必要性について同意していた。Fenderによれば、フランスとイギリスの見解の不一致は基本的にはレトリックによるものになる。フランスは、核軍縮のための対話は結局のところP3を外交的に弱体化させると感じているが、イギリスは、公式に核軍縮を擁護するスタンスが、核保有国が彼らの役割を果たしているとの主張を強化し、核拡散防止に対する議論をシフトさせるための外交的な影響力をP3に与えることになると感じている。

¶13. (S/NF) Fenderは、イギリスの見解において、フランスの抑止力を歴史的に正しいと評価することを脅かすと思われるいかなる動きも容認できないものとして把握されるだろうが、「フランスは大騒ぎするだろうが、結局のところ一緒に歩み始めるだろう」といった他の問題も存在していると付け加えた。後者のカテゴリーにおいて、Fenderは特にFMCTにおける透明性の対策に言及していた。彼の見解によれば危険とは、抑止力がなくなることが同盟国によって尊重されず、窮地に追い込まれ、他の問題における進展を阻害することをフランスが感じていることである。アメリカとイギリスの双方における真剣な取り組みが、フランスを安心させ、このシナリオを避けるために必要になるだろう。

¶14. (S/NF) コメント:GOFは来年核軍縮と核拡散防止を公表することにおけるP3の統一性とアメリカとの緊密な協力を懸念している。そのためフランスは、核軍縮におけるアメリカの立場がフランスからさらに離れ、私たちが既存の核備蓄における非同盟諸国の懸念を一層解消することに対して神経質になっている。アメリカの高官に対するGOFの積極的な関与は、彼らの見解では自身の核抑止力による外交的実行可能性を保護する目的で苦心しているため、アメリカの政策に影響を及ぼす戦略を維持していることを示唆している。これらの懸念に対する潜在的な落とし穴は、もしアメリカが核の抑止力を「歴史的に正しいと評価されていない」と理解しているとGOFが感じ続けるならば、これゆえ古典的なフランスの妨害行為を生じさせ(Araudによる脅迫やイギリスに対する懸念)、それは貴重なパートナーを制度的な敵対者に変える可能性があることになる。この政策の優先順位に随ってGOFと協力するためのコミットメントを同時に表明し、ワシントンの高官とフランスの相手とのコミュニケーションを継続することは、彼らがエスカレートする前に、私たちの立場における誤解を避けることに役立つだろう。この状況で、Susan Burk大使、Robert Einhorn特別顧問、国防副次官であるJames Miller博士による最近の訪問はフランス側によって高く評価されていた。

次のステップとして当該部署は省による考慮を示した以下を提示する。
- パリ、ワシントン、ジュネーブ、ニューヨーク、その他至る所で核の問題についてGOFと定期的な上級レベルの関与を維持し、コミュニケーションにおいて直接的であり明確な線引きを確認し、私たちの立場と不可能なことを明示する。
- 検討会議に関する私たちの立場は主に一致しているとフランス側に繰り返す。
- これらのトピックの技術的および政治的レベルの双方において活発な議論を継続し、そこには見解の不一致が残るかもしれないが、私たちは共通の基盤を見出すかもしれない、例えばFMCTの性質や検討会議においてどのようにイランを取り扱うかなどが挙げられる。
- 核軍縮における私たちの立場に関するフランスの疑念が妨害行為者としての振る舞いを促し、それがそうでなければ合意が可能な分野での進展を妨げることに対する早期の警告の徴候を探る機会としてこれに取り組む。

http://www.telegraph.co.uk/news/wikileaks-files/london-wikileaks/8305299/SBU-DOUBTS-AND-REASSURANCES-ABOUT-REPLACING-BRITAINS-TRIDENT-NUCLEAR-DETERRENT.html

(SBU) イギリスのトライデントにおける核抑止力を交換することについての疑念と再確認

1. (C) 要旨

首相官邸は7月17日に「トライデントにおける政府の立場に変更はなく、政策は2006年の白書で示されたままであり、タイムテーブルに変更はない」ことを確認する声明を発表していた。この声明は、イギリスのトライデントにおける核抑止力のためのイギリスの既存のVanguard艦隊や潜水艦のプラットフォームを交換する4隻の新規の潜水艦に対する設計計画を実施するために2009年9月に予定された決定を延期することをHMGが予定しているといったメディアのレポートに対する反応だった。最近の世論調査は、イギリスの有権者の大多数はトライデントのシステムを交換することに反対していることを示していた。HMGや保守党の指導者はイギリスのトライデントの抑止力を交換することを支持しているけれども、次期政権の課題はイギリスのトライデント核兵器システムを交換するかどうかではなく、厳しい財政制約の観点からどのようにこれを行うのかといったことになる。

交換するか交換しないか

2. (SBU/NF) イギリスのメディアは7月17日に、イギリスのトライデントにおける核抑止力のためのイギリスの既存のVanguard艦隊や潜水艦のプラットフォームを交換する4隻の新規の潜水艦に対する設計計画を実施するために2009年9月に予定された決定を延期することHMGが決定したと報じていた。メディアは7月16日に、2010年5月に締結される核拡散防止条約(NPT)検討会議の後まで、いかなる支出もなされず、トライデントの交換に関していかなる決定もなされていないと述べている匿名のイギリス関係者に言及していた。プレスのレポートは、「検討会議のために、私たちは2010年まで相当の支出を含む決定を遅らせるだろう」と述べている関係者の発言を引用していた。メディアのアナリストは、このタイムラインは実質的に遅くとも2010年の6月3日までに行われる次のイギリスの総選挙の後までトライデントの交換に関していかなる決定もなされないだろうことを意味していたと指摘していた。関係者は伝えられるところでは、核のない世界という目標は「希望」として眺められるべきであるので、「私たちのすべての抑止力は現在手の届く範囲にある」が、多国間交渉の状況の中にも存在していると述べていた(注:イギリスのトライデントシステムは、弾道ミサイルを搭載できるVanguard級の原子力潜水艦に搭載されたトライデントII(D5)弾道ミサイルによって運ばれる160発の核弾頭から構成されている。弾頭と潜水艦はイギリスで建造されたが、実質的にはアメリカによってその設計に対し援助がなされていた)。

3. (SBU) プレスのレポートが公表された後すぐに、首相官邸は以下のような声明を発表した。「トライデントにおける政府の立場に変更はなく、政策は2006年の白書で示されたままであり、タイムテーブルに変更はない。」国防省の広報官は同様にイギリスの政策に変更はないと主張していた。自由民主党のリーダーであるNick Cleggはトライデントの交換における政府の「混沌と混乱」を批判していた。Cleggはブラウン首相に、「誤りを認めて引き下がり」、アフガニスタンのイギリス軍に対する装備の不足を考慮すると、ミサイルシステムが正当化されないことを認めるよう呼びかけていた。

4. (C/NF) 外務英連邦省(FCO)の安全保障政策グループ長代理はPoloffに7月21日に、プレスに概要を伝えた匿名の関係者は内閣府の外交防衛政策における長官であるSimon McDonaldであると述べていた。彼女は、トライデントの交換の設計作業を延期するHMGの計画についてのプレスのレポートは以下のトライデントに責任があるFCOやMODの関係者によって「初耳」だったと述べていた。彼女は首相官邸の発言に言及し、HMGはトライデントにコミットしたままであり、「タイムテーブルに変更はない」ことを強調していた。声明にもかかわらず、Goughは、来年までそして総選挙後もトライデントのような厳しい財政上の決定を「棚上げする」決定のままにするかもしれないと付け加えた(注:次の10年にわたるトライデントの推定されたコストは200億ポンドになる)。内閣府の外交防衛政策の関係者はPoloffに7月23日に、McDonaldが概要を伝えていたときに「わずかな誤解」があったと述べていた。彼女は「トライデントはタイムテーブルの上になく、私たちは一方的に核軍縮を行う意思はない」と強調していた。

弱い社会全体の支持

5. (SBU) 7月13日に中道左派のガーディアン紙で公表されたICMの世論調査によれば、イギリスの有権者の54%が「トライデントの核弾頭において新しい世代に資金を注入するよりむしろ核兵器を廃絶することを好んでいた」。世論調査は42%が交換を支持することを示していた。しかし別に最近行われたICMの世論調査は、回答者の大多数が交換に支出するよりむしろ既存のシステムの寿命を延長することを望んでいることを示していた。2006年7月の世論調査では、回答者の51%が交換を支持しており、一方39%がそれに反対していた。

コメント

6. (C/NF) MODの高官は私たちに個人的に、HMGがトライデントのプログラムにコミットしたままであることを再確認しており、私たちはブラウン首相がイギリスの独立した核抑止力を廃棄する首相として記憶に残ることを望むことが非常に可能性が低いものであるとみなしている。事実、労働党政権(トニー・ブレアの下で)は2006年12月にイギリスのトライデント核兵器システムを交換する作業を公式に公開する白書を公表しており、そのため今世紀半ばまでイギリスは十分に核兵器を保有することが可能になっていた。保守党の指導力はトライデントにコミットされており、それは影の外務大臣であるWilliam Hagueが4月にインタビューの中で発言したように、彼はトライデントの抑止力を更新することを彼の党に対して約束していたことに見受けられる。次期政権の課題はトライデントを更新するか否かではなく、どのように厳しい財政上の制約を背景にしてそうすることができるのかにある。事実、今月初めの主要な外交政策に関する演説において、Hagueは「私たち自身の防衛予算における極度の圧力が明白に国防戦略の再検討を必要としており、それを時期保守党政権が確かに引き受けるだろう」といったことを認めていた。

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